Sadhguru の幼い頃の体験談(全体)
履歴
(2024-08-01) 過去記事と統合。文字起こし差替。
(2020-12-27) 作成。Sadhguru の幼い頃の体験談 (途中:その1) (2020-12-27)
背景+前置き
下の過去記事、
(*3)
・「ただのレンガを見つめて、それに魅了され、驚異を覚えた」という Doug Auld の体験は、下の過去記事でチラリと述べかけた Sadhguru の幼い頃の体験談に(部分的にだが)よく似ている。・(*1) Sadhguru は私ごときとは異なり、明らかに悟りを得ている。この動画の 1:13:00 からの、彼の幼い頃の体験談(*2)を聴けばそれがわかる。彼は凡人ではないし、悟ってもいる。
・(*2) この体験談については後日、記事で紹介するかも。
ref: Sadhguru :人生の目的は、人生それ自体だ。 (途中:その1) (2019-05-07)
コメント (2020-04-29)
・精神世界や宗教業界では、派手な幻視や神秘体験、幽玄で難解めかした哲理がもてはやされる。アストラル世界だの高次元世界だの、OBE でどこそこを見てきただの、神や天使や仏の類を見ただのと。稲妻のような悟りも同じ類。梵我一如だの、色即是空だの、空だの無だの中観だの、慈悲だの菩薩の使命だのと言った大層なタワゴトも皆同類。・だが、そういった派手な極彩色のオハナシはいわば子供の玩具。何の変哲も不思議もない飽き飽きするようなこの日常的現実がそのまま究極の驚異だったと実感する瞬間―― Sadhguru は幼い頃にその体験に浸っていたらしい――には比べようがない。
ref: Doug Auld : LSD 摂取時、普通のレンガに魅了され、驚異を覚えた。 (途中:その1) (2020-04-29)
の中で
この体験談については後日、記事で紹介するかも。
と述べたので、「Sadhguru の幼い頃の体験談」の 文字起こし+和訳 をつけておく。
動画に付属の Transcript はより正確なようだが(人手で作成したらしい)、改行が適切ではないため、DeepL による和訳に適さない。
Whisper AI(large-v2 model) + DeepL(new model)
これは、私が4歳か4歳半の時に起こったことです。 (01:13:10)
ある日突然、私は自分が何も知らないことに気づきました。 私はまだ4歳半でした。 誰かがコップ一杯の水をくれたとしても、私はこうして座ったまま3、4時間もじっとしているでしょう。なぜなら、水が何なのかわからないからです。 今でも、水が何なのかわからないと言っているのです。 水は地球上の3つの状態すべてにある唯一の物質です。 (01:13:34)
あなたの体の3分の2は水で、地球の3分の2も水です。しかし、それが何なのかあなたは知りません。 私たちは水の使い方は知っていますが、それが何なのかは知りません。 そうではありませんか? 私たちはこの水の使い方は知っていますが、それが何なのかは知りません。なぜなら、私たちは本当に何なのかを知らないからです。 (01:13:56)
ですから、もし私が葉っぱを見つけたら、ただこうして6、7時間座っているでしょう。 ベッドに座って一晩中、暗闇を見つめていたのです。 医師である私の父は、私が精神鑑定を受ける必要があると思い始めました。 父はこう言い始めました。「あの子は正気を失っている。 ずっと何かを見つめているだけだ」と。 私の問題は、これを見ても、これが何なのかわからないのです。 (01:14:29)
私はそこに注意を移すことができませんでした。 ただじっとこちらを見ていました。 彼は私を教育できると思っていました。 試してみました。 家には厳格なルールがありました。 夕方の7時から夕食の9時までは、私たち4人の兄弟姉妹は全員、座って教科書を読まなければなりませんでした。 私は教科書をこのように開きます。 紙の 上に小さな斑点を見つけました。 (01:14:59)
私はただ紙を見つめていました。 (01:15:02)
この小さな点が、私を2時間も夢中にさせていました。 私はこのように座って、文字を一切読まず、完全に集中していました。 私はこのようにして学校に通っていました。 私はとても一貫していました。 テストではいつも0点ばかりでした。 ですから、もしそれが安らぎや思いやりや愛でなければ、それはただの人生です。 ただの人生です。 いいえ、いいえ。 人生の目的は人生そのものです。 人生そのものが十分に大きな現象です。 (01:15:43)
So this happened to me when I was just four, four-and-a-half years of age. (01:13:10)
Suddenly one day I realized, I don't know a thing. I was only about four-and-a-half years of age. If somebody gave me a glass of water, I would just sit like this for three, four hours at a stretch because I wouldn't know what is water. I'm telling you, even today you don't know what is water. It is the only substance which is in all the three states on the planet. (01:13:34)
Two-thirds of your body is water, two-thirds of the planet is water, but you don't know what it is. We know how to use it, but we don't know what it is. Isn't it so? We know how to use this water in so many ways, but we do not know what it really is because we do not know what really anything is for that matter. (01:13:56)
So if I found a leaf, I would simply sit like this for six, seven hours. If I sat up in the bed, entire night I would be staring at the darkness. My dear father, who is a physician, started thinking I need psychiatric evaluation. He started saying, this boy has lost it. He's just staring at something all the time. My problem is, I look at this and I don't know this. (01:14:29)
I'm not able to shift my attention to that. I'm just looking here still. He thought he could educate me. He tried. So there is a rule, strict rule in the house. Between seven in the evening till nine dinner time, you, all the children, four of us siblings, we have to sit and read some textbook. I open my textbook like this. I find a little speck on the paper. (01:14:59)
I just look at the paper. (01:15:02)
This speck keeps me engaged for two hours. I sit like this, absolutely total attention, without reading a word. I went through school like this. I was very consistent. I always got six zeros in every test. So if it's not shalom or compassion or love, it is just life. It's just life. No, no. The purpose of life is life itself. Life itself is a large enough phenomena. (01:15:43)
公開インタビュー動画(1:44:51)
Dr. Ben Doolittle in Conversation with Sadhguru at Yale School of Medicine
動画概要欄
2,238,200 views May 8, 2017
Details
▼展開
Eminent Scientists with Sadhguru Dr. Ben Doolittle, co-director of the Yale program for Medicine, Spirituality, and Religion conversed with Sadhguru on September 16, 2016, at Yale School of Medicine. Dr. Doolittle spoke with Sadhguru about physician burnout, coping with stress and bringing meaning and joy to our lives and our work.In Conversation with the Mystic, Dr. Ben Doolittle with Sadhguru on "Compassion, Meaning, & Joy In The Practice Of Medicine", Yale University, New Haven, Connecticut, Sep 2016
Sadhguru Yogi, mystic and visionary, Sadhguru is a spiritual master with a difference. An arresting blend of profundity and pragmatism, his life and work serves as a reminder that yoga is a contemporary science, vitally relevant to our times.
コメント 2 (2024-08-01)
前述の「コメント (2020-04-29)」の時点では、私も
- 何の変哲も不思議もない飽き飽きするようなこの日常的現実がそのまま究極の驚異だったと実感する瞬間
をまだ肯定的に評価していた。
だが、2-3年ほど前からそういった類のものもひっくるめて「悟り」を以下の理由で否定するに至った。
- 悟りに中身はない。中身があると錯覚しているだけ。
- 悟りは有害無益。有益だと錯覚しているだけ。
- 悟りは超越妄想の賜物。超越は虚構であり、いかなる意味においても実在しない。
- 悟りの実態は(伝統的観念の 轍/型 に沿った)意識障害に他ならない。
振り返ってみれば、上で引用した「Sadhguru の幼い頃の体験談」も
- 悟りの実態は意識障害に他ならない
ことを如実に示していたのだが、私はまだ禅などのヨタ話による洗脳の残滓が解けきれず「この幼い頃の体験談には底しれぬ深みがあり、この上なく得難いものだ」と錯覚していた。我ながら純朴というにはマヌケが過ぎる。
Whisper AI(large-v2 model) + DeepL(new model)
ついでに、この動画全体の 文字起こし+和訳 を折り畳み状態でつけておく。
▼展開
サドゥールさん、イェール大学へようこそ。 ありがとうございます。 あなたがここに来てくださって、なんと嬉しいことでしょう。 あなたは友人たちの間におられます。あなたのことを知っている人もたくさんいるようですが、知らない人もたくさんいます。 あなたは非常に教養のある方で、私はそうではありません。 まあ、ご存知のように... 私を許してください。 おっしゃってくださって嬉しいです。 (00:00:48)
私はとてもよく教育を受けており、楽しい好奇心というものを再発見しました。確かに私は多くの学位を取得していますが、髪が抜け、しわが増えていく中で、楽しい好奇心という精神をとても楽しんできました。 ですから、ホスピタリティの精神、楽しい好奇心という精神、そして伝統を越えて集うという精神で、さまざまなトピックについてあなたの考えを聞きたいと思っています。 (00:01:29)
教育者として、医師として、牧師として、私が特に思い入れを持っているのは、健康と燃え尽き症候群の分野です。 今日、大規模な研究結果が発表されましたが、米国の医師の54%が燃え尽き症候群の基準を満たしており、看護師も同じ状況です。皆さんは医学部に在籍しており、私たちは答えと希望を探しています。 (00:02:07)
燃え尽きてしまった医師の54%、看護師、PA、NPなど、医療に携わるすべての人々に対して、今日、あなたは何を言いますか? もし、自分自身や他人に健康をもたらさなければならないとしたら、根本的なことは、自分の中に非常に深い全体性の感覚をもたらすことです。私たちが存在する人生のさまざまな側面、それらすべてが調和し、うまく機能しているのです。 (00:02:47)
医師が燃え尽き状態にあると聞くと悲しくなります。 彼らは薬をもっと売れるかもしれませんが、燃え尽き状態にあるなら健康をもたらすことはできません。 現代医学は進歩し、次々と奇跡的な発見や研究がなされていますが、人々は健康になっていません。 かつてないほど多くの人々が病んでいます。 (00:03:19)
アメリカのような国は、地球上で最も裕福な国であり、本質的には栄養源の選択肢があるということです。 人間には誰しも栄養源の選択肢があります。 他の地域で目にする病気のほとんどは、何らかの形で栄養に関連しています。なぜなら、地球上の多くの人々にとって、必要な栄養が適切なタイミングで得られていないからです。 (00:03:50)
しかし、栄養の選択肢がある国、いや、栄養の選択肢がありすぎる国では、 国家が医療に費やす費用は3兆ドルに上ります。 これは世 界の主要国の予算よりも大きい額です。 インドの経済規模は約3兆ドルです。 25万人の医療にそれだけの費用をかけているのです。 これはどこかで健康を見失っていることを示しています。 産業は発展しているかもしれませんが、健康を見失っているのです。 (00:04:29)
さまざまな理由で説明できますが、医師が燃え尽き症候群になっているのです。誰もが自分の職業が最も困難なものであると考えています。 (00:04:43)
もし人間が本当に大切に思っている何かを創造しているなら、燃え尽きなどあり得ないでしょう。 私自身、そして私の周りの多くの人々も、私たちは1週間7日、1日20時間、1年365日働いています。 これが私たちのスケジュールです。 私が燃え尽きているところを見ることはないでしょう。 時々、肉体的に疲れ果てることはあるかもしれません。 いつか疲れ果てて死ぬかもしれませんが、燃え尽きや退屈で死ぬことは絶対にありません。 (00:05:24)
この2つのことは私には決して起こりません。 なぜ私がこう言っているのかというと、このようなことが起こる根本的な理由は、特に医師の場合ですが、さまざまな職業がありますが、特に医師のもとへ行く場合、ある意味で自分の命を医師に委ねるからです。 ですから、自分の命を預けようという人がいるのですから、神聖な義務として扱わなければなりません。 (00:06:02)
これはただの仕事ではありません。 ただのビジネスでもありません。 誰かが自分の命を預けようとしているのです。一緒に暮らしている人、自分の妻や子供、あるいは夫でさえ、自分の命を完全に預けようとはしません。 しかし、見知らぬ誰かがやって来て、自分の命をあなたの手に委ねるのです。命を預けるほどに信頼されることは、最高の特権だと思います。 (00:06:36)
正しいことをするにしても、間違ったことをするにしても、故意にせよ、知らずにせよ、ということが起こり得るのです。なぜなら、人間の体を完全に理解している人は誰もいないからです。 私たちはある程度は理解しています。 ですから、いくら間違ったことをしても、彼らはあなたに命を預けるのです。 インドでは伝統的に、このように言われていたと思います。 教育、医療、スピリチュアルなプロセスが商業化されてしまえば、その社会は衰退します。 (00:07:10)
現代社会全体がそうなっていると思います。この3つすべてが商業化されてしまっているのです。 商業化自体は悪いことではありません。 商業とは、与えることと受け取ることの取引です。 あなたがこれを私に与えるから、私はそれをあなたに与える。 しかし、中には、単なる与え合いとして扱うことができないものもあります。 もし、この取引の側面を精神的なプロセスや教育、医療に持ち込むと、それは醜悪なものとなり、その醜悪さは間違いなくあなたを疲れ果てさせてしまうでしょう。 (00:07:50)
何よりも、人々が経験している燃え尽き症候群とは、まず第一に、彼らは自分が気乗りのしないことをしているということです。 もし彼らが本当に自分が心から大切だと思うことをしているのなら、燃え尽き症候群など起こらないでしょう。 それをやる機会が増えれば増えるほど、より良いことでしょう? すべては、ある目的に向かって行われるものです。 自分がしていることをする喜びは、 人生にはありません。 (00:08:17)
これは特定の職業に限ったことではなく、あらゆる職業に当てはまることですが、特に、他人の生死に関わる職業ではそうです。 目の前に座っている人の生死に関わる問題である場合、あなたにとってそれは取引にはなり得ません。 (00:08:35)
何事にもビジネスの終わりがあります。なぜなら、何かを継続させるためには、ビジネスの終わりが必要だからです。 私たちは、ビジネスの終わり自体に反対しているわけではありません。しかし、自分自身の中で、目の前に座っている人に対して素晴らしい奉仕として行わないのであれば、もちろん彼らは料金を支払うでしょう。 しかし、自分自身がそうでなければ、このような仕事をしていると間違いなく燃え尽きてしまいます。 (00:09:01)
そうでなければ、毎日誰かを助け、何らかの形で誰かの人生を…より良いものに変えることができたとしたら、一日の終わりには、喜びで膨れ上がっているべきでしょうか、それとも燃え尽きてしまっているべきでしょうか? 燃え尽きていてはいけません。 もしあなたが本当に経験したのであれば、あなたの周りの多くの人々の生活が向上したはずです。これは奉仕についてではなく、私がこれを奉仕した、私がこれをしたという考え方についてでもありません。 (00:09:29)
いいえ。 人間には、他の人の人生に触れることができるという喜びがあります。 なぜあなたは数人の人を家族のように大切に思うのかというと、何らかの形で彼らの人生に触れることができると信じているからです。 あなたは違いを生み出すことができます。 それが人間にとって最も重要なことな のです。 私たちがどんな活動をするにしても、その活動の性質が何であれ、どれだけ深く誰かの人生に影響を与えることができるか、それが大きな違いを生み出すのです。 (00:09:58)
映画を制作する場合、誰も観たくないような映画は作りたくないでしょう? 人々にこの映画を観て感動してほしいですよね? 誰も住みたくない家を建てたくないですよね? 誰も食べたくない料理を作りたくないですよね? これらのことは、自分の活動を通して、何らかの形で他者の人生に触れることができるからこそできることです。 (00:10:24)
これは人間にとって最も根源的な欲求です。 そして、医師であるあなたは、他のほとんどの専門家にはできないような、人々の人生に触れる素晴らしい機会に恵まれています。 しかし、これが燃え尽きにつながるのではなく、そうなるのは、私たちがそれを取引のように扱おうとしているからです。 そして、このプロセスにおいて私たちが理解していない最も根本的なことは、人間の経験は外からではなく内側から引き起こされるということです。 (00:10:54)
あなたの喜びや悲しみ、痛みや快楽、苦悩やエクスタシー、そして光や闇さえも、今この瞬間、あなたの中で起こっているのです。 決してあなたの周りで起こっているのではありません。 もしあなたが自分の周りを変えようとして、自分の中で起こっていることを変えようとしたら、すぐに正気を失ってしまうでしょう。 なぜ54%だけなのか、私は驚いています。なぜなら、人間の経験は内側から引き起こされるものであり、特に人間の生理学の性質をある程度掘り下げている医療従事者は、人間の経験のあらゆる側面が内側から来るものであることを知らなければなりません。 (00:11:44)
そして今日、現代医学は特に、伝統的な医学とは異なり、すべてを完全に化学的に解決しようとしています。 (00:11:52)
健康も病気も、化学反応によって起こるということがお分かりでしょう。 喜びや悲しみも、ある種の化学反応です。 エクスタシーや苦悩も、異なる種類の化学反応です。 つまり、私たちは化学物質の集合体なのです。 問題は、その化学物質が素晴らしいものなのか、それとも最低のものなのかということです。 もし私が皆さんにスープの材料を渡したら、皆さんは同じ種類のスープを持ってくると思いますか? (00:12:27)
100種類ものスープを持ってくるでしょう。 つまり、スープ作りの技術というものがあるのです。 私たちは皆、同じ基本的な人生の材料を持って生まれてきました。 私たちがどれほど多くの方法で存在しているかを見てください。そして、54%だけが燃え尽きています。 人生を間違って扱っているので、100%が燃え尽きてしまうはずです。 それでは、スープ作りについてお話しましょう。 いや、この辺でやめておきましょう。私は料理が得意ですから。 (00:12:56)
わかりました。 ではお話しましょう。 人生のスープ、というわけです。 たとえば、今夜、看護師や医師が家に帰ってきて、家族に愛する人が亡くなったことを伝えたとします。 あるいは、化学療法を受けている子供を治療した。 あるいは、保険が十分でない患者を診るクリニックにいた。 (00:13:35)
そして、善良な人々は家に帰ってきて、気持ちが折れてしまったのです。 彼らは自分の仕事が好きです。 燃え尽きてしまった医師も、自分の仕事が好きだと思います。 彼らはそうします。 そして、私はスープという比喩が好きです。 私たちは何ができるのでしょうか? では、私たちは何ができるのでしょうか? その看護師、医師助手、医師は、土曜の朝に目を覚ましたとき、何をすべきでしょうか? (00:14:16)
私は、あなた方の化学反応を至福の化学反応にする方法を教えることができます。 つまり、あなた方は本来、至福の状態にあるということです。それは、あなた方の周囲で起こったことによるものではありません。 これがまさに私が言っていることです。 この質問が暗示しているのは、自分の周りで起こる出来事が、自分の中で起こる出来事を決定するという意味です。 人間であることの意義とは、自分の中で起こる出来事を、自分の周りで作り出すことができるということです。 (00:14:47)
もし自分の周りで起こる出来事が自分を作り出すのであれば、私はまだ動物的な性質を持っています。 人間とは、動物と同じことをすべて行うということですが、私はそれをすべて意識的に行うことができます。 それが人間であることの大きな部分なのです。 まあ、あなたは他の生き物と同じように生まれ、成長し、食べ、眠り、そしていつか生殖し、死ぬでしょう。 これは全ての生き物がすることです。 (00:15:13)
これはあなたや私がすることです。 しかし、私たちは意識的にそれを行うことができます。それは、思考、感情、すべてを含みます。 非常に簡単に言えば、私は、20歳、30歳、50歳、60歳になっても、自分の思考や感情をどう扱うべきかを知らない人がいることに驚かされます。 こ れは、世界における大きな障害です。 もしあなたが自分の手をどう使っていいか分からなかったら、それを障害と呼ぶでしょうか? (00:15:47)
思考や感情を管理する方法を知らないということは、障害ではないのでしょうか? (00:15:54)
誰もが同じ状態だからといって、それが普通になるわけではありません。 つまり、本質的には、あなたは...病気や死にかけている人々を扱うという選択をしたのです。 それは選択です。 そして、病気の人や死にかけている人たちを助けることは特権です。病気とは、100%健康ではないということです。 誰かの助けが必要なのです。 そのような人や死にかけている人たちは、あなたを信頼し、自分の命を預けようとしています。 (00:16:40)
素晴らしい特権です。 さて、これにはやるべきことがたくさんあります。 あなたが例として挙げたように、誰かに不愉快なことを伝えなければならないこともあります。 時には、時間がない、お金がない、その他の理由で、その人を治療できないこともあります。 これらは存在します。 私はこれを否定しているわけではありません。 しかし、この中で最も重要なのは、もし誰かに幸福をもたらしたいのであれば、幸福になる方法を知っていなければならないということです。 (00:17:15)
そうでなければ、どうやってそれを実現するのか、私は尋ねているのです。 どうやって? 自分がどうやって幸せになるのかを知らないのに、どうやって誰かを幸せにするのでしょうか? これが意味するのは、自分が幸せになるためには、世界が完璧でなければならないということです。 まあ、あなたは幸せになることはできません 。 たとえ家族が2人だけだとしても、すべてが自分の思うように起こるわけではないでしょう? (00:17:45)
もしもし? 大丈夫ですから、教えてください。 たとえあなたとパートナーの2人だけだとしても、100%思い通りにいくことは決してないでしょう。 51%思い通りなら、あなたは支配権を握っています。 それ以上期待すると、離婚することになります。 そうです。 つまり、外の世界は決して100%思い通りにはならないということです。 言い換えれば、もしあなたが外の世界が100%自分の思い通りになることを期待しているなら、この世界で生きるための準備ができていないということです。 (00:18:26)
はいかいいえか? もしあなたが外の世界が100%自分の思い通りになることを期待しているなら、明らかに私はこの世界で生きるための準備ができていません。 私たちはボランティア組織です。 4,000人以上のフルタイムのボランティアと、300万人以上のパートタイムのボランティアがいます。 毎日、誰かが私のところに来てこう言います。「サドゥール、もう彼女には耐えられない。耐えられない」と。 この人とは一緒にやっていけない。 (00:18:55)
この人はこうで、あの人はああだ。 私は彼らに言います。ほら、世の中にはこういう人たちがいる。 もしあなたが自分のしていることがとても意義深いと思っているなら、そういう人たちと一緒に働かなければなりません。 理想的な人たちと一緒に働きたいなら、今すぐ天国に行かなければなりません。 これが私たちの現実です。 もしあなたが、私がしていることが本当に意義深いことだと心から思えるなら、それは意義深いことです。私の周りの人々の人生を変えるのに十分なほど意義深いことです。今こそ、その仕事をしなければなりません。 (00:19:42)
問題は、仕事の本質にあるのではありません。 どんな仕事をしている人に聞いても、どんなに地位の高い仕事からどんなに下らない仕事まで、誰もがストレスについて不平を言います。 (00:19:54)
つまり、ストレスは仕事とは関係ないのです。 これだけは言っておかなければなりません。何年も前のことですが、私が初めてアメリカに来たとき、どこに行っても人々はストレス・マネジメントについて話していました。 私は理解できませんでした。なぜなら、私にとってマネジメントとは、自分にとって大切なもの、つまり家族、財産、ビジネス、お金などを管理することだったからです。 なぜ誰かがストレスを管理したいと思うのでしょうか? (00:20:23)
理解するまでにしばらく時間がかかりましたが、人々はストレスを人生の一部だと結論づけているのです。 ストレスは人生の一部ではありません。 ストレスとは、自分の思考、感情、エネルギー、身体を管理できない状態のことです。 もしあなたが知っていたら、もしあなたの心があなたからの指示を受け取っていたら、あなたはストレスの中で生きるでしょうか、それとも至福の中で生きるでしょうか? 教えてください。 (00:20:45)
あなたはどうしますか? はい。 そんな単純なことが起こらないのは、あなたの心があなたからの指示さえ受け取っていないからです。 もしあなたの知性があなたに牙をむいたら、いったい誰があなたを救えるというのでしょうか? ですから、この不安やストレスは仕事とは関係ありません。 教育システムがそういうものだから、世界を征服する方法、目に見えない原子を壊す方法、宇宙を越える方法などを教えるのですが、このことについては何も教えていないのです。 (00:21:24)
これを人間のメカニズムと呼ぶなら、これは最も複雑で洗練されたメカニズムです。 そうですね? 医師として、私は尋ねます。医師でさえ、このマシンの使い方を説明書で読んだことがあるでしょうか? いいえ? たまたま、何かが起こった。 たまたま生きていると、不安は当然です。 それで、私はあなたの著書のタイトル『Inner Engineering, a Yogi's Guide to Joy』にとても興味を持ちました。 (00:22:10)
そして、これらは通常、一緒に並んで使われることのない言葉です。 エンジニアリングと喜びについて考えています。 そしてヨギ。 そしてヨギ。 そしてヨギ、ですね。 エンジニアリング、ヨギ、エンジニアリングという言葉が好きです。 知っておいてほしいのですが、会場には大学でトップクラスのエンジニアが何人かいます。 昨日はエンジニアの日でしたね。
そうです。
昨日は世界エンジニアの日でした。 ええ。 それで、その…テーマは…何でしょう…このメッセージは何でしょう? つまり、あなたはそれに触れていると思います。 『Inner Engineering』、『ヨギの喜びへの手引き』。 これはどういう意味ですか? あなたと私が100年前か200年前にここにいたとしましょう。その頃の世界と今の世界を比べてみてください。ほとんど別世界です。 (00:23:14)
同じ世界ではありません。あなたはそれを認識できなかったでしょう。 それほどまでに変化したのです。 何がこれを変化させたのでし ょうか? 私たちが望むように外部の状況を設計する能力です。 私たちは外に座ってこれを行うこともできましたが、今はこの建物の中に座っています。なぜなら、ここは私たちの快適さのために設計されているからです。 今、本質的にエンジニアリングとは、私たちが望む通りに何かを作り出すことを意味します。 私たちはこの世界にあるすべてのものを自分たちの望むようにしてきましたが、ただ一つ、自分たちの望むようにしなかったために、54パーセントが燃え尽きてしまったのです。 (00:23:56)
もしこの一つを自分たちの望むようにしていたら、また同じ質問ですが、あなたは幸福に暮らすでしょうか、それとも不幸に暮らすでしょうか? (00:24:04)
もしあなたがこれを望むようにしたなら、間違いなく、あなた自身にとって最高に幸せで、最高の心地よさになるでしょう。 隣人のために何を望むかは議論の余地があるかもしれませんが、自分のために何を望むかは明確ですよね? ですから、これは、私たちが内面の幸福を科学的な方法でアプローチしたことがないから起こっているのではありません。 どこかから何か別のものがこれを解決してくれるだろうと考えています。 (00:24:32)
もし健康になりたいのであれば、上を見上げることです。 インドではこれを「ウパールワラ」と呼びます。つまり「上」という意味です。 私は言っているのです。地球は丸い惑星だというのは本当ですか? もしそうなら、 私たちは丸い惑星に住んでいるのですか? しかも、それは回転しています。 上を見上げると、必ず間違った方向を見上げることになりますよね? 私は...正しい方向を見上げるには、オーストラリアに行かなければなりません。 (00:25:15)
ですから、この宇宙において、私たちは上下さえも知ることができないと言っているのです。 この宇宙には、上を向いた状態がどこかに示されているのでしょうか? 私たちは知らないだけでなく、知ることもできないのですよね? ですから、上と下がどちらなのかもわからないのです。 前方、後方が何なのかも分かりません。 東が何なのか、西が何なのかも本当に分かりません。 (00:25:42)
便宜上、私たちは物事をでっちあげてきました。 しかし、今すぐにでも分かることがあります。視点、内側と外側です。 私たちは外側を直すのに忙しくしてきました。 外側を好きなだけ直しても、得られるのは快適さと便利さだけです。 幸福は得られません。 幸福が訪れるためには、自分の内面を望む通りに作り上げなければなりません。 (00:26:11)
これが自分の望む通りのものになって初めて、喜びが生まれます。 外側が自分の望む通りのものになれば、快適さが生まれます。 これは認めざるを得ません。 人類の歴史上、あなたや私が今享受しているような快適さや便利さを知っている世代は、これまでありませんでした。 そうでしょう? うーん? 私たちは歴史上最も快適な世代ですが、ひどく愚痴っぽいのです。 (00:26:41)
内面と外面の生活についてお話ししましょう。 あなたが世界で果たしている使命について、私を強く惹きつけるものがあります。それは、あなたがその両方の世界をうまく仲介しているように見えることです。 仲介者...仲介者という言葉は取っ払ってください。 うまく両方を追求していると言えるでしょう。 イーシャ財団は若者を教育し、木を植えています。 (00:27:18)
そして、内面のエンジニアリングについても人々に教えています。 それは私たち西洋人にとっての課題かもしれません。 私たち西洋人は、外の世界を愛するあまり、内なる世界を犠牲にしているのかもしれません。 そのことについて、あなたの考えを聞きたいです。 南インドで行っている健康、教育、エコロジーに関する大規模なプロジェクトは、主に内なる経験があったからこそ実現したものです。 (00:27:55)
何百万人もの人々が強力な内なる体験をしたからこそ、このような行動を起こすことができたのです。 (00:28:04)
これらの大規模なプロジェクトはすべてボランティアによって成し遂げられたものです。 ボランティアとは、その仕事のために訓練された人ではありません。 彼らはボランティアですから、非効率だからといって解雇することもできません。 同時に、彼らがどんなに重要なポジションに就いていたとしても、予告なしに突然いなくなることもあります。 このような組織を管理すれば、すぐに気が狂ってしまうでしょう。 それが私の仕事です。 (00:28:55)
ですから、私の仕事を説明しましたが、それは確実に狂気への道です。もし私が自分自身の中でそれほど確立されていなかったら、気が狂ってしまっていたでしょう。 なぜなら、以前にも事業を経営したことがあり、その時は権威を振りかざして人々を動かしていました。 そして、一番重要なのは、彼らは私の下にいて、私が彼らの支払いをしていたということです。 (00:29:25)
それが主な統制でした。 今は、誰に対しても支払いはしていませ ん。誰も支払われていません。 実際、彼らは自分のお金を使って、すべてをやって来ています。 彼らを継続させることは、本質的には内なるエンジニアリングです。なぜなら、彼らをこのような仕事に駆り立てる強力な体験があるからです。 それは…人々が常に世界を分割しようとするのは残念なことです。 (00:29:52)
これを理解しなければなりません。人間の知性の本質はこれです。 人間の知性は、皆さんもご存じのように、鋭ければ鋭いほど良いものですよね? そうでしょう? 鋭ければ鋭いほど良い、それが知性だと思います。
実は、預言者についてお話したいのです。 そこまでは言いませんが、プロジェクトを終わらせましょう。 (00:30:23)
そこに行きましょう。 さて、内なる生活に心を配るということについてですが、内なる生活に心を配ることはできません。 あなたは預言者であると今あなたは言いましたが、私はノーと言いたいです。 ですから、私は...私は...あなたを預言者だとは言いません。 私が話しているのはユダヤ・キリスト教の預言の伝統についてです。 ですから、ヘブライ語聖書、つまり旧約聖書には、権力に対して真実を語る人々、不正に対して声を上げる人々、不正のために大義のために自らを犠牲にする人々の役割があります。 (00:31:14)
そして、その物語には、怒りや激しい怒りがあります。 世界には、世界に対して怒る正当な理由を持つ人々が、かなりの数存在します。 難民、少数民族、貧困層の人々です。 内面の成長や自分自身の中に平和を見出すことについてですが、そのコインの裏側にあるのは、つまり、世の中の不正に対して怒り、抗議し 、激怒する時がかつてあったでしょうか? (00:32:00)
それについてどう思いますか? チェ...私はあなたが...アメリカではあまり人気のある名前ではありませんね。 チェ・ゲバラは言いました。もしあなたが怒りに燃えているなら、あなたは私たちの一員です。 私は言いました。もしあなたが怒りを乗り越えているなら、あなたは私たちの一員です。 もしあなたが本当に怒りを乗り越えているなら、あなたは間違いなく私たちの一員です。なぜなら、あなたは自分の怒りに理由があると思っているからです。それは間違った認識です。 (00:32:41)
よく考えてみると、人は愛する人に対してひどく怒りを覚えるものです。 (00:32:47)
家庭内暴力の多くは、愛する人に対してひどく怒りを覚えることから生じます。一緒に暮らしている誰かに対してです。彼女が朝食をきちんと作らなかったとか、犬が決められた場所で用を足さなかったとか、怒る理由には事欠きません。 あるいは、ゴルフ場で叫び声をあげながらクラブを叩きつけている人たちを見たことがありますが、彼らはただ楽しんでいるだけなのです。 (00:33:14)
つまり、誰もが怒る理由を持っているということです。 怒りとは、まさにこのことを意味します。 怒っているとき、文字通り体内に毒を生み出しているのです。 もしあなたが内側から自分を毒しているなら、そして怒っているとき、人生で最も愚かなことをしていると気づいているはずです。 振り返って、自分がしたことを信じられないでしょうが、最も愚かなことは、怒っているときに起こるのです。 (00:33:53)
ですから、私は尋ねたいのです。怒りは、人間の知的な表 現なのか、それとも愚かな表現なのか? どうですか? 愚かです。 これだけ知っていれば十分です。 次にあなたが怒ったとき、あなたは自分が愚かであることを知るでしょう。なぜなら、あなたは自分自身に逆らっているからです。 しかし、私が言いたいのは、この怒りが賞賛されてきた理由は、怒りの瞬間、ずっと眠っていた一部の人が行動を起こし、その行動が何らかの結果を生み出したからです。 (00:34:33)
はい、そういうことは起こり得ます。 私があなたに石を投げたとしましょう。その石はあなたに当たらず、木になっているリンゴに当たって、リンゴがあなたの手に落ちた。でもそれは偶然です。 普通、私が石を投げたら、あなたの頭が割れます。 そういうことが起こるはずなのです。 はい? それで私は怒って、何かが起こりました。 ですから、私は怒りは物事を成し遂げる素晴らしい方法だと思います。 (00:35:04)
ですから、あなたが怒ると、誰かを怒鳴りつけたり、どなり散らしたりします。 私は皆さんに尋ねます。誰かに怒鳴られたり、どなり散らされたりすることを楽しんでいる人はどれくらいいるでしょうか。それが上司であろうと、夫や妻であろうと、両親であろうと、誰であろうと、本当に心から楽しんでいるでしょうか。 もしそうなら、手を挙げてください。 そうですか? いいえ。 では、なぜ他人がそれを喜ぶと思うのですか? 彼らはあなたに耐えているだけで、あなたを喜んでいるわけではありません。 (00:35:37)
そして、彼らがやり終えたら、それで終わりです。 ですから、あなたが預言者と呼ぶ人物に怒りが起こったとしても、それは問題ではありません。なぜなら、私たちはすべてを賞賛する方法を持っているからです。 概して、千年以上前のことはほとんどの人々の心の中で神聖なものとなりますが、今起こっていること、それがどんなに素晴らしいものであっても、彼らはそれを認識する知性を持っていません。 (00:36:07)
人々は、過去のことが素晴らしいと言っていますが、それは単に他の誰もがそう言っているからであって、本当に認識しているからではありません。 しかし、私たちは今、あなたがそれをしなければ、あなたの子供たちがそれをやるという時代にきています。 つまり、世界では、意味がなければ、それはやってこない時代が到来しようとしています。それがどこから来たものであっても、たとえ神がここに来て語ったとしても、次の世代は、自分たちにとって意味がなければ拒絶するでしょう。 (00:36:42)
これは良い展開です。なぜなら、権威が真実である代わりに、真実が権威になりつつあるからです。 (00:36:48)
良い方向に向かっています。 しかし、そうなれば、あらゆる疑問が湧き上がってくるでしょう。 地球上のあらゆる宗教的伝統に対して敬意を表しつつも、私は途方もない伝統を持つ国から来ました。 世界の大半の人々、大半のインド人は、その国にどれほどの伝統があり、どれほどの方法があるのかさえ意識していません。 マーク・トウェインがインドを訪れた際、彼は「この国では、人間が成し遂げたことでも神が成し遂げたことでも、ありとあらゆることが行われてきた」と言いました。なぜなら、この国の探求は信じられないほど素晴らしいからです。 (00:37:30)
しかし、彼ら全員に敬意を表しつつ、私はこう言いたい。もしあなたが3つの根本的な質問を投げかければ、地球上の聖典の知識の90%は崩壊するでしょう。 申し訳ありませんが、これは真実です。 3つの適切な質問をすれば、地球上の聖典の知識の90%が崩壊するでしょう。精査に耐えられないのです。 では、その3つの質問とは何でしょうか? (00:38:08)
あなたは聖典ではありません。だから、なぜ私がそうしなければならないのですか? いや、あなたは3つの質問をするように言いました。 これが根本的な質問です。単純に質問すれば、あなたは... 根本的なことはこれです。あなたはどこから来たのか、どこへ行くのかを知りません。 あなたは信じることができます。 私たちがあなたを十分に教育すれば、何でも信じさせることができます。 あなたはこれを知らなければなりません。 私はちょうどテネシー州ナッシュビルにある私たちのセンターで、あるグループの人たちと話していました。 (00:38:39)
私は彼らに冗談を言ったところでした。 その冗談の中で、私は神のことを「彼」と言いました。 するとすぐに数人の女性が立ち上がり、「あなたは神が男性だと信じますか?」と言いました。 私は「ちょっと、ちょっと、ちょっと、私は自分が何に巻き込まれているのか分かっていますよ。 ただ冗談を言っただけです」と言いました。 すると彼は「そんなことは問題ではありません。あなたは『彼』と言ったのですから」と言いました。 これがアメリカでの議論です。神は男性なのか女性なのか? (00:39:05)
今回の選挙では、彼らはその問題を解決しようとしていると思います。 しかし、私たちの出身地では、そのような問題はありません。 私たちは男性の神、女性の神、牛の神、象の神、蛇の神、鳥の神、犬の神、あらゆる種類の神を持っています。這うもの、這うもの、飛ぶもの、あらゆる種類です。 (00:39:35)
私たちは非常に賢明な文化ですから、将来起こり得る問題をすべて予見していました。 そして、前回の選挙で解決しようとした議論もありますが、解決には至らなかったと思います。 南部の教会では、神は黒人なのか白人なのかという議論が行われています。 これは深刻な大議論です。 人々は本当にこのことについて議論しています。神は白人なのか、それとも黒人なのか? ご存知のように、ウガンダのイディ・アミンは、神は黒人だと宣言しました。 (00:40:06)
私も彼に同意します。 白人が白人の神を持つことができるように…黒人が黒人の神を持つことがなぜできないのでしょうか? しかし、ご存知のように、この世界のこれらの地域では、救世主、預言者、息子、その他が現れただけなのです。 (00:40:22)
彼らは知りません。 インドでは、神は褐色であると知っています。 いいですか? なぜなら、神自身がインドを9回訪れたからです。 ご存知でしたか? 知りませんでしたか? 神は9回、自らインドを訪れました。 インド人はこれをとても誇りに思っています。なぜなら、神は自ら9回インドを訪れ、息子や使徒、その他の人々を他の場所に送ったからです。 私は彼らに繰り返し思い出させます。なぜなら、神はインド人と直接仕事をしたいと思ったからです。 (00:41:01)
神はインド人に関して、他の誰のことも信用できませんでした。 神は9回やって来て、失敗しました。 いいですか、 信念についてですが、私は、幼少期から働きかけさえすれば、人は何でも信じると言っているのです。 ただ、十分に努力して、あれこれと信じ込ませる必要があるのです。 信念は、明確さのない自信を与えます。 明確さのない自信は、この惑星にとって災難です。 (00:41:39)
明晰さの代わりになるものはありません。 明晰さの代わりになるものはありません。 しかし、自信があれば、何でもできるのです。 そうでなければ、うまくいきます。 たとえ明確でなくても、何かをすればうまくいくのです。 冗談を言ってもいいですか? これはニューヨークで起こったことです。 夕方、8歳の少年が学校から帰ってきました。 その少年にはとても進歩的な母親がいました。 (00:42:16)
明らかに彼女は独身でした。 私は、彼らは...誰も彼女に追いつくことはできないと言っています。 彼は家に帰ってきて、ママ、神は男か女か?と尋ねました。 彼女はジェンダー問題や、間近に迫った選挙など、あらゆることを考えました。 そしてしばらく考えた後、彼女は「両方」と答えました。 少年は深く考え込みました。 しばらくして、少年は戻ってきて尋ねました。「ママ、神様は黒人?それとも白人?」 (00:42:49)
彼女はまた、この国のあらゆる人種問題について考えました。そして、熟考した末に「両方」と答えました。 少年は深く考え込みました。 しばらくして、少年は戻ってきて尋ねました。「ママ、神様はストレート?それともゲイ?」 彼女はまた考え、そして「両方」と答えました。 少年は喜びのあまり飛び跳ねました。 わかった、わかった。 マイケル・ジャクソンだ。 (00:43:27)
では、 私たちがどのようにして...私たちが信念にたどり着いたのか、それは文化的な背景があるのです。 あらゆる文化が独自のものを生み出しています。 しかし、私は尋ねます。私たちは本当に自分たちがどこから来て、どこに向かっているのかを知っているのでしょうか? もしあなたがどこに向かっているのかをはっきりと理解しているのなら、それは創造主との約束があるからでしょう。その約束を延期すべきではないと思います。 今日、受け入れなければなりませんよね? でも、それは真実ではありません。 (00:44:00)
死が次の瞬間なら、行きたくないでしょう。 もしあなたがそう確信しているなら、自爆する狂信者だけが確信しているように思えます。 他の誰もが疑いを持っていますよね? 働く知性には、疑いがありますよね? もし、あなたが、支配的な信念体系によって知性を凍結しているなら、あなたは死を迎えるでしょう。 他の働く知性は、死が次の瞬間にあるなら、ためらいがあるか、ないでしょうか? (00:44:38)
確かに、そうではありませんか? なぜなら、あなたは本当にどこへ行くのかわからないからです。 あなたが何を信じようとも、本当にわからないのです。 (00:44:48)
信念は、ある程度は心理的な意味を持ちますが、実存的には何の意味も持ちません。 このことについて、あなたの考えを聞いてもよろしいですか? ある意味では、多くの意味で、私たちは伝統を受け継いでおり、伝統は私たちに影響を与え、私たちを形作ります。 私たちが由来する伝統には、肯定的な役割があるのでしょうか? 例えば、もし私が自分の内面をエンジニアリングして、方向性や意味、信念 、希望、価値観を見つけようとするなら、それは自分一人ではできません。 (00:45:36)
そして、ヒンドゥー教の伝統、ユダヤ教・キリスト教の伝統、イスラム教の伝統といった豊かな伝統があり、それらは私の人生に意味や構造を与えてくれます。 それについてどう思いますか? 私たちはすべての伝統を捨て去り、自分の人生を内面から設計するのでしょうか、それとも、これらの伝統を利用することができるのでしょうか? あなたが言ったように、人生を確かなものにする、それは、すべての人間が下さなければならない決断です。 (00:46:11)
あなたは確かなものにしたいですか、それとも、船出したいですか? それは、誰もが下さなければならない決断です。 もしあなたが自信を求めているのであれば、もしあなたが安定を求めているのであれば、あなたは何か確かなものに自分を結びつけなければなりません。 遠くへ行きたいのであれば、アンカーは役に立ちません。 伝統、すべての伝統、すべての伝統に敬意を表しますが、特にインドやその他の地域から来た伝統です。 (00:46:48)
私は専門家ではありませんので、あなたが話している伝統についてコメントすることはできませんが、本質的には伝統とはこういうものです。 昨日誰かがしたことは今日の文化であり伝統です。 今日あなたがすることは明日の文化であり伝統です。 私はあなたに尋ねたいのですが、この世界で、この国で、今日私たちがしていることのどれだけが意識的に文化として行われているのでしょうか? しかし、私たちがしているくだらないことのすべてが、この国の明日の文化や伝統となるでしょう。 (00:47:21)