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立川 武蔵:死後の世界が実在するとは信じていない

· 4 min read

前置き

立川 武蔵(著名な仏教学者)(*1)が晩年になって驚きの告白をしている。

(*1)

奥書より

立川 武蔵:1942年、名古屋生まれ。国立民族学博物館名誉教授。名古屋大学文学部卒業。同大学大学院博士課程中退後、ハーバード大学大学院にてPh.D.取得。文学博士(名古屋大学)。仏教学とインド学を専門とし、2001年に中村元東方学術賞受賞、2008年に紫綬褒章、2015年に瑞宝中綬章を受章。『ブッダをたずねて』(集英社新書)、『弥勒の来た道』(NHKブックス)、『最澄と空海』(角川ソフィア文庫)、『仏教原論』(角川書店)、『三人のブッダ』(春秋社)、『仏教史』全2巻(西日本出版社)など著書多数。

引用

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出典

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立川 武蔵、『死と生の仏教哲学 親鸞と空海を読む』、角川、2023、p. 4

コメント

仏教の考え方からすると、「死後の世界が実在するとは信じていない」=「死ねば終わり」=「輪廻の否定」となる。

仏教学者であれば、魂の類の存在を否定するのはごく普通の事だが(無我/非我)、輪廻を否定する仏教学者というのは自己否定(=仏教の大前提の否定)に繋がる。いわば、神を信じない神学者(田川 建三)のようなもの。

田川建三:「真のクリスチャンは神を信じない」。なぜなら神は偶像であり、実在しないゆえに。(全体 + OCR)

田川 建三の場合は、レトリックを駆使しているが、そもそも前提が無理筋だったゆえに結果も破綻している。最初から無理な足掻きだったが、彼もそれを重々承知の上で「逆説的反逆者」(=イエス)を見習って突っ走るしかなかった。

立川 武蔵が「死後の世界が実在するとは信じていない」なら、仏教を否定するのが筋だが、「生の世界を蘇らせ、浄化する」立場から仏教を肯定しているようだ。だが、田川の場合と同様に、それも無理な足掻きに終わる。

なぜなら、仏には「死後の世界」を導くだけの権能があるゆえ、死の裏面である「生の世界を蘇らせ、浄化する」権能も期待できると見なされている。ところが、

「死後の世界」はありませんでした

というのでは、その前提が崩壊する。

(2024-07-22)