1952-07-02, Wshigton DC : 1952年、US 首都上空に出現した UFO 群の謎 ⇒ この正体を解く
前置き
1952-07-02 に US の首都上空に出現した UFO 群の正体を強く示唆する動画映像を見かけた。撮影者の証言映像も含まれている。この動画映像と証言はとても重要。
末尾で、謎解きを行う。
撮影された動画
概要
ニューハウスUFOフィルム分析
この文章は、海軍の写真家デルバート・C・ニューハウスが1952年に撮影したUFOフィルムに関する綿密な分析と証言をまとめたものです。
ニューハウス自身の詳細な説明から始まり、彼がユタ州で円盤状の物体を目撃し、その様子を16mmカメラで撮影した経緯が語られています。さらに、空軍によるフィルムの調査結果が提示されており、その物体が鳥、気球、既知の航空機ではないことが結論付けられ、「未知の物体」と分類されました。
この報告は、米国への脅威の可能性を特定し分析するという空軍の義務の一環であり、その後のワシントンD.C.上空でのUFO目撃事件の序章となったことが示唆されています。
目次
詳細
ニューハウスUFOフィルムに関する詳細ブリーフィングドキュメント
主要テーマと重要な事実
本ブリーフィングドキュメントは、デルバート・C・ニューハウスが1952年に撮影したUFOフィルムに関する分析、証言、およびその後の調査結果をまとめたものです。このフィルムは、当時の空軍による詳細な分析にもかかわらず、その正体が「未知(unknowns)」と結論付けられた事例として特筆すべきものです。
ニューハウス氏によるUFO目撃と撮影の経緯
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目撃日時と場所: 1952年7月2日、ワシントンD.C.からポートランド、オレゴンへの家族旅行中、ユタ州トレモントを通過した約7マイル後。
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発見者: デルバート・C・ニューハウス氏の妻が最初に空中の物体群に気づいた。
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目撃された物体: 「およそ12個の物体が、おおまかな編隊を組んで西方向に進行していた。」 (0:01:00)
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物体の外観: 「皿を2枚、上下逆さまに重ねたような形」で、「全く同じ外見」をしていた。(0:01:30) 「明るい銀色の光沢があり、磨かれた金属でできているように見えた。」(0:04:20)
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物体の大きさ: 「10,000フィートのB-29爆撃機と同じくらいの大きさに見えた。」(0:01:30)
- 撮影状況:
- ニューハウス氏は米海軍の「首席写真家」(Chief Photographer)であり、21年の軍務経験を持つ熟練のプロフェッショナルであった。(0:04:00)
- 撮影には「16mmベル&ハウエル、フィルモ・オートロードマスター、3レンズタレット付き」カメラを使用。3インチレンズをF8に設定し、無限遠にフォーカス。(0:01:52)
- 興奮のため、カメラ設定を誤ったこと(F8からF16への変更)や、カメラを準備するまでに時間を要したため、肉眼で見たものと比較して「非常に失望」する結果となった。(0:02:19, 0:03:36) しかし、もしカメラが準備万端であれば「空軍は答えを得られていただろう」と述べている。(0:03:58)
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物体の動き:
- 物体群は概ね編隊を維持していたが、「終わり頃には、一つの 物体が針路を反転させ、他のグループから離れていった。」(0:02:52)
- この単独の物体は「2、3回、カメラの視野を通過し、その後消滅した。」(0:03:14) その後、残りのグループも西の地平線に消えていった。(0:03:14)
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気象条件: 「天候は明るく、雲一つなかった。視界は良好だった。」(0:03:22)
フィルムの分析と空軍の結論
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初期分析: フィルムはライトフィールド写真研究所で分析され、その後、空軍情報総監がワシントンD.C.で閲覧した。(0:04:20)
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空軍の初期評価: フィルムはニューハウス氏の予言通り「状態が悪かった」が、「主な関心は動き、速度、光源」にあった。(0:04:53)
- エアテクニカル・インテリジェンスは、「このフィルムはシミュレートされた条件下で再現することはできなかった」と報告した。(0:04:53)
- 将軍はフィルムを再視聴した後、ただ一言「あれはなんだ?」と述べた。(0:06:21)
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エアマテリアルコマンドによる分析結果:
- 「鳥ではない、気球ではない、航空機ではない、偽造ではない。」(0:07:53)
- 気球ではない: 望遠レンズを使用した場合、5マイル以内の気象気球であればフィルム上で識別可能であり、それ以上の距離では計算された速度を達成できない。(0:07:53, 0:15:13)
- 航空機ではない: 5マイル以内であれば、翼幅40フィートの航空機は明確に識別可能。5マイルを超えると、物体は航空機が直線速度走行を除いて達成できない速度を出している。(0:07:53, 0:12:26) さらに「画像の構造と機動性は、既知の航空機の種類を明確に排除する。」(0:11:49)
- 鳥ではない: 「いかなる鳥も、フィルムがこれほど強く反応するほど十分に反射性ではない。」(0:08:17) さらに、「写真測量実験により、画像はいかなる距離のいかなる種類の鳥とも関連付けられないことが示されている。」(0:14:24)
- 偽造ではない: フィルムは偽造されていないと結論付けられた。(0:07:53)
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最終結論: 「公式の結論は…未知(unknowns)である。」(0:08:17)
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空軍の見解:
- 空軍は「米国に対する脅威や危険性を持つ可能性のある、空中にあるあらゆるものを可能な限り特定し、分析する義務」があるため、UFO問題に関心を抱いている。(0:08:59)
- 1947年以来、「1,000から2,000の報告」を受け、その大半は「デマ、誤認された友軍機、気象現象や電子現象、光の異常」として説明できた。(0:09:30)
- しかし、「信頼できる観察者による、比較的信じがたい事柄」の報告も一定数存在し、これらの「観察群を現在解決しようとしている。」(0:10:08)
- この未解明な事象について、「米国に対するいかなる脅威とも関連付けられるような、目的や一貫性のパターンは含まれていない」と結論付けている。(0:10:08)
- また、「最近の目撃情報は、米国のいかなる機関による秘密開発とも一切関係がない」と断言している。(0:10:08)
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フィルムの追加分析:
- 「画像は良好にフォーカスされていることが微視的検査で明 - らかになった。」(0:12:26)
- 「その大きさは、肉眼で見た月の大きさの6分の1から10分の1の間で変化する。」(0:12:26) 「その形状は円形であり、時には楕円形である。これは一般的に使用される空飛ぶ円盤の説明に合致する。」(0:13:00)
- 「動きは楕円形または円形のパターンに従う。」(0:12:26)
- 「気象条件と編隊の持続性および動きにより、大気光学現象の可能性は排除される。」(0:14:24)
- モンタナフィルム(約2年前、数百マイル離れて撮影)の物体とも比較された。(0:13:45)
歴史的意義
ニューハウスUFOフィルムは、1952年7月20日未明のワシントンD.C.上空でのUFO目撃事件(「ワシントン・ドラマ」)の「序曲」とされており、UFO研究において極めて重要な証拠の一つとなっている。軍の専門家が撮影し、その詳細な分析をもってしても、既知のいかなる物体にも分類できなかったという事実は、未確認航空現象(UAP)の存在を示す有力な根拠として現在でも引用されている。
時系列
1947年以降:
アメリカ空軍は、米国への脅威となる可能性のある空中現象を特定・分析する義務感から、1,000〜2,000件のUFO報告書を受け取り、分析している。これらの報告の大半は説明可能であったが、一部は「信頼できる観察者による信じられないほどの出来事」として未解決のままであった。
1952年 (日付不明、夏季と推測される):
- 場所: ユタ州トレモントンから約7マイル先の国道30号線沿い。
- 海軍写真家デルバート・C・ニューハウスが、妻、息子デルバート、娘アンと共にワシントンD.C.からオレゴン州ポートランドへの休暇旅行中、複数の未確認飛行物体を目撃する。
- ニューハウスの妻が最初に空中の物体に気づき、特定できなかった。
- ニューハウスは車を路肩に止め、外に出て物体を目視する。約12個の物体が粗い編隊を組み、西方向に移動していた。それらは「2枚のソーサーを上下に重ねたような」形状で、明るい銀色、磨かれた金属のような外観をしていた。高度は不明だが、10,000フィートのB-29爆撃機ほどの大きさに見えたという。
- ニューハウスはすぐにカメラを取り出さず、数分間観察した後にスーツケースから16mmベル&ハウエル・フィルモ・オートロードマスターカメラとフィルムを取り出し、装填に時間を費やす。
- カメラの準備が整った時には、物体はかなり遠方に移動していた。ニューハウスは3インチレンズを選択し、F8に設定して無限遠に焦点を合わせた。
- 16コマ/秒で最初の撮影を行う。その後、空が暗ければ物体がよく映ると考え、レンズをF16まで絞って撮影を続けた(後にこの設定は間違いだったと悔やむ)。
- 撮影中、一つの物体が編隊から離れて方向を反転させ、東の地平線に消える。ニューハウスはその物体を2、3回視野に捉える。
- 残りの物体は西の地平線に消える。
- 天候は晴れ渡り、雲はなく、視界は良好だった。
- 撮影されたフィルムは、ニューハウスが肉眼で見たものと比較してはるかに劣るものだった。
ニューハウスの撮影後 (日付不明):
- ニューハウスは、撮影されたフィルムを分析するため、デイトンで1週間を過ごす。
- フィルムはライトフィールド写真研究所で分析される。
- 分析完了後、フィルムは空軍の伝令によってワシントンD.C.に 手で運ばれ、空軍情報部長官によって閲覧される。
- 空軍技術情報部は、「このフィルムはシミュレーション条件下で再現不可能」と報告する。
- フィルムの質は悪かったが、「動き、速度、光源」が主要な関心事となる。
- ある将軍はフィルムを再度見るよう要求し、「これはどうだ?」とだけコメントする。
ニューハウスの撮影から数日後 (日付不明):
- フォーニー少佐がニューハウスフィルムの分析結果について報告する。
- 分析の結果、「鳥でもなく、風船でもなく、航空機でもなく、偽造でもない」と結論付けられる。
- 望遠レンズを使用した場合、5マイル以内の気球であればフィルム上で特定できたはずだが、それ以上の距離では計算された速度を達成できない。
- 5マイル以内であれば、翼幅40フィートの航空機は明確に特定できたはずだが、それ以上の距離では、直線飛行以外では航空機が達成できない速度である。
- 鳥はフィルムに強く反応するほど十分な反射率を持たない。
- 公式の結論は「未知(unknowns)」であると発表される。