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「いま、私は実在している」という自明かつ絶対的な実感…この謎を解く

· 8 min read

前置き

この記事は、誰も興味を持てない筈なのでスキップ推奨。

誰もが「今、私はリアルに存在している(=実在している)」と実感している筈。このような実感は「自己の実在」の自明かつ究極の岩盤(*3)となるものだが、この実感の正体はいったい何だろうか?

これを以下で解明する。常識を完全に否定しているが、話の内容は至って単純なので、理解は容易な筈。

関連

この記事は昨日の過去記事を前提とし、それを更に延長した内容となっている。

人工「知性」(AI) : 虚構こそが知性の本質である

簡潔な説明

  • 「今、私はリアルに存在している」という自明かつ究極の岩盤としての実感(= 実感 X )

は、どうして生じたのだろうか? その答え…

  • デカルト:「私が実在するから」(我思う、故に我あり)

  • 私:「私が実在しないから」

簡単に言えば、

  • 実感 X こそが「私の実在」の根拠だと感じるのは根深い錯覚で、
  • 「私」という虚構の源が、距離 0 から自身を認知したときに生まれたのが「自己の実在」という虚構の実感の正体だ、

ということ。

つまり、「私」も「実在」もその組み合わせである 実感 X も、全て虚構であり、実在などというものは最初から存在しないが、その虚構を我々は実在だと認知している。

この根深い、根源的な倒錯が「今、私はリアルに存在している」という実感を生み出した。

より丁寧な説明

より丁寧に言うと、

  • 「実在」それ自体は虚構(=「実在」は実在しない)。
  • 「私」も虚構だが、他の虚構を生み出す虚構という点で特異点となっている。
  • その特異点としての「私」が自身を距離 0 で捉えたものが「実在という実感」の虚構。
  • クオリアと呼ばれる謎の ありよう も全てが、この私という虚構が生み出した虚構だが、少し遠くなる
  • 「意味」もまたこの私という虚構が生み出した虚構だが、「実在という実感」からさらに遠くなる

このように虚構である私自身からの距離に応じて

  • 距離 0 : 自身が実在しているという実感。自明かつ絶対の実感。
  • 距離 小:クオリア
  • 距離 中:意味
  • 距離 大:言語
  • 距離 無限遠:真理、超越、神、

と実在感の濃度(リアルさ)が薄れる。

…となる。一言で言えば、

  • 「実在」とは虚構が生み出した虚構で、生み出した虚構自身からの距離に応じて実在感の濃度が薄れるもの

となる。それゆえ、死によって自分が消え去った後のこの世界は実在しなくなる(自分と世界の距離が無限になる)。より正確に言えば、自分と世界の間の「距離」という概念が意味を持たなくなる→実在という概念が意味を持たなくなる。

(この記事は、AI との対話とは無関係。AI によるそれっぽい論旨展開の 汚染/影響 を回避するために、 AI との対話は避けた。だが、先述の AI との対話の影響下にあるという意味では、既に――人間的価値観や実感を突き放した―― AI 的発想とも言える)

(*3)

究極の岩盤…

この実在感が、自己が実在するという実感の最終の根拠となっているという意味で、究極の岩盤。とはいえ、ある種の精神障害によって自己の実在感すら希薄となる(=自分が実在しているという感覚が無くなる or 極端に薄れる)ゆえに、この「究極の岩盤」もまた虚構であることが脆くも露呈する。

補足

身体を持っていること、それが実在の実感を生み出している…かつて私はそう予想していた(*4)が、今はそのような予想は破棄した。理由は…

  • 臨死体験や DMT の摂取、さらには宗教的な神秘的合一体験で、「宇宙/神/梵/全世界 と一体化した」といった類の自明かつ強烈な認知がうまれた事例が無数に報告されている。これは存在しない架空の概念対象が強烈な実在感を伴っている。

  • シャーマンや、普通の人間でも OBE や高等魔術などで異世界に至るが、その異世界の中で「今、私はこの異世界にこの足で立っており、日常の現実体験よりもリアルだ」と自明かつ強烈に実感する。だが、当人は床や寝台の上で横なっている。

  • ある種の精神障害では自己の実在感が消える(or 極端に薄れる)。

これらは身体が実在感の根源であることを否定している。

(*4)

(後日、補足)

(2025-04-29)