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Sadhguru : 自身の「異界の存在」との遭遇体験を語る

· 65 min read

前置き

Sadhguru は幼い頃から神秘主義者的な素質を顕していた(具体的な内容は過去記事で述べた)ので、「異界の存在」との遭遇体験があっても不思議ではない。

むしろ驚きは、これほどインド訛の強い英語を Whisper が(インド文化特有の単語を含めて)見事に文字起こしできていること。

Sadhguru も「異界の生物」が実在すると思い込んでいるのは、他のオカルト・ファンと同じだが、それらの 異界の生物 に 精神的/宗教的 な価値を認めていない点が大きく異なる。

概要

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異界の存在と意識の探求

この文書は、‌‌ヒンドゥー教の指導者サドゥグル氏の講演の転写‌‌であり、‌‌他の領域から訪れる存在‌‌について論じています。

サドゥグル氏は、インドとギリシャの文化がこれらの存在について広範囲に記録していると指摘し、ヤクシャ、ガンダルヴァ、ガナといった多種多様な存在が挙げられています。彼は、‌‌オカルトが精神的な探求以上にこれらの存在を探求する‌‌ことが多いと説明し、また‌‌仏陀が瞑想中に遭遇した様々な存在‌‌についても言及しています。

さらに、サドゥグル氏は、自身が‌‌認識可能な形で出会った「異界の存在」‌‌について個人的な体験を語り、それらが‌‌人間には理解しにくい形態‌‌をしている可能性があると示唆しています。

彼はまた、ガネーシャ神がガナの長であるガネーシャとしてどのように描かれ、人間が親しみやすい形に変化したかについても触れ、‌‌人間が異形の存在を自分たちの理解できる形に解釈・変形してきた過程‌‌を解説しています。

目次

  1. 前置き
  2. 概要
  3. 音声対話
  4. 詳細
    1. 主要なテーマと重要な事実
    2. 結論
  5. インド文化における存在の種類
  6. 探求のアプローチ
    1. 探求のアプローチ
    2. サドゥグル氏の個人的な遭遇と探求への姿勢
  7. 自身の遭遇体験
    1. サドゥグル氏の異界の存在との遭遇
    2. 遭遇した存在の特徴とサドゥグル氏の認識
    3. 伝統的な記述との比較
    4. サドゥグル氏の焦点
  8. インド神話の存在の描写
    1. インド神話における異界の存在の広範な記述
    2. 伝統的な描写とその特徴
    3. 人間による解釈と描写の変容
    4. サドゥグル氏の体験と伝統的描写との相違
  9. 存在の自己形成
    1. 存在の自己形成に関する推測
    2. 形態形成の目的
    3. サドゥグル氏の観察と伝統的な描写との関連
  10. 時系列
  11. 主要関係者
  12. 情報源
  13. 文字起こし

音声対話

詳細

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Sadhguruの「異界の存在と意識の探求」に関するブリーフィングドキュメント

概要

この文書は、ヒンドゥー教の指導者であるSadhguruによる「異界の存在と意識の探求」と題された発言の抜粋をレビューするものです。Sadhguruは、インド文化とギリシャ文化において記述されてきた多種多様な「異界の存在」について語り、特に彼の個人的な経験と、これらの存在が人間の精神的探求において果たす役割について考察しています。

彼の経験は、伝統的な記述と実際の観察との間に存在する可能性のある乖離、そして人間の知覚と理解がこれらの存在をどのように形成してきたかを示唆しています。

主要なテーマと重要な事実

異界の存在に関する文化的な記録:

  • Sadhguruは、異界の存在を「明確な形」で記録している文化として、インド文化が最も広範であり、ギリシャ文化もある程度記録していると指摘しています。
  • インド文化には、「ヤクシャ(Yakshas)、ガンダルヴァ(Gandharvas)、ガナ(Ganas)、キンナラ(Kinnaras)、アプサラス(Apsaras)、クリッティカス(Krittikas)」など、11〜12種類以上の明確に認識された異界の存在がいます。
  • ギリシャ文化も同様に多くの存在を認識しています。
  • こうした異界の存在に関する膨大な資料が、チェンナイのアディヤールにある神智学図書館に収蔵されているとSadhguruは述べています。

オカルトと精神的プロセスにおける異界の存在の探求:

  • Sadhguruは、これらの存在を「オカルト」が精神的プロセスよりもはるかに多く探求していると主張しています。オカルトは「必要な力、知性、アクセスを持つ何らかのエンティティを、彼らの利益のためにどのように奴隷化し利用するか」を探求するからです。
  • しかし、精神的プロセスにおいても、ガウタマ・ブッダ自身が彼の修行中に遭遇した様々な種類の存在について多く語っていると述べています。

Sadhguruの個人的な経験と観察:

  • 特にDhyanalingaの奉献に向かっていた時期に、Sadhguruは日常的に様々な種類の異界の存在に遭遇したと語っています。
  • 彼はこれらの存在を「カテゴリー分けしたり、名前を付けてこれがこれで、あれがあれだと断言するのは得意ではない」としながらも、「エネルギー、外見、あらゆる点で明確に異なっている」と述べています。
  • 彼の観察によれば、これらの存在は「非定形な形をしているが、二次元の段ボールのように歩き回り、動き回り、音を立てていた」。
  • 彼らが発する音は「私たちが作るような種類の音、つまり私たちがコミュニケーションに使う周波数帯域のどこかにあるような音」であり、時には他の人間にも「彼が誰かと話している」かのように聞こえるほどでした。Sadhguruは実際に話してはいませんでしたが、存在たちは騒音を立てていたのです。
  • これらの存在は彼の精神的な探求において「精神的な意義は何もない」ため、Sadhguruは彼らに注意を払うことをしませんでした。彼らは「単なる実存的な結果」であり、「あなたと同じくらい無知」であり、単に異なる能力を持っているだけだと述べています。「彼らがあなたにとって信じられないように見えるように、あなたは彼らにとって信じられないように見えるに違いない。だから彼らは訪れているのだ。」

伝統的な記述とSadhguruの経験との乖離:

  • Sadhguruが遭遇した存在は、伝統的な記述にあるヤクシャやガンダルヴァとは異なると考えています。伝統では「ガンダルヴァを最も美しい人間の姿」とし、「ヤクシャはわずかに異なる種類だが、それでも合理的に人間の形」としています。
  • 彼の経験した存在は、むしろ伝統的な記述における「ガナ」に近いかもしれません。ガナは「完全に歪んだ」つまり「人間とは異なる形」とされています。
  • しかし、Sadhguruが実際に見たガナは、「私たちが考えるような形を全く持っていなかったかもしれない」と示唆しています。彼が経験したのは「不規則な形」をしており、人間の目で見ると「二次元の段ボール」のようでした。

芸術家と人間の知覚による異界の存在の変容:

  • Sadhguruは、寺院などで見られるガナの姿が「人間とは異なる形」であるにもかかわらず、私たち人間がそれを「少し自分たちのように」作ろうとすることで、その姿が歪められてきた可能性を指摘しています。
  • 「私たちの人間的な心はそうであり、存在とは少なくとも頭を持っていなければならない。そして私たちは彼をただの球体のように見せることはできない。彼を存在に見せるためには二本の手が必要だ。」とSadhguruは述べています。
  • この人間の知覚と、芸術家が「存在」として受け入れられる形に作り変えようとした結果、時間の経過とともに伝統的な記述にある異界の存在の形が変容していったと推測しています。
  • その極端な例として、「ガナパティ(Ganasの長)がガジャパティ(象の長)になった」、つまり「ガナが象になった」という例を挙げています。これは、本来「ガナ」であった存在が、人間が受け入れやすい「人間の体とガナの頭」を持つ形、そして最終的には「象の頭」を持つ形に変えられていった過程を示唆しています。これは「非常に大きな変化」であり、人間が異界の存在を「自分たちに似ているから」という理由で受け入れた結果であるとSadhguruは見ています。

結論

Sadhguruの語りは、異界の存在が単なる神話的な物語ではなく、彼の個人的な経験においても実存的な現象であったことを示唆しています。しかし、これらの存在が人間の精神的進化に直接的な影響を与えるものではないと彼は強調しています。

むしろ、彼の経験は、伝統的な記述と人間の知覚、そして芸術的な表現がどのように異界の存在の認識と表象を形成してきたかという、より深い問いを投げかけています。人間が理解し、受け入れやすい形に無意識的に、あるいは意識的に変容させてきた結果、私たちが今日知る異界の存在のイメージが作り上げられたという洞察は、非常に重要な点です。

インド文化における存在の種類

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異界の存在のより大きな文脈において、これらの情報源はインド文化における存在の種類について以下の点を述べています。

インド文化は、ギリシャ文化とともに、‌‌「異界の存在」について広範囲にわたる文書化を行っている数少ない文化‌‌の一つです。これらの文化は、特定の形態を持つ存在について記述しています。

‌インド文化で認識されている存在の種類‌‌: サドゥグル氏によると、インド文化には以下のような明確に認識されている異界の存在が、少なくとも11〜12種類存在します。

  • ‌ヤクシャ(Yakshas)‌
  • ‌ガンダルヴァ(Gandharvas)‌
  • ‌ガナ(Ganas)‌
  • ‌キンナラ(Kinnaras)‌
  • ‌アプサラ(Apsaras)‌
  • ‌クリティカ(Krittikas)‌

‌異界の存在の探求‌‌: これらの異界の存在の側面は、‌‌精神的なプロセスよりも「オカルト」によって多く探求されます‌‌。オカルトは、これらの存在が持つ力、知性、アクセス能力を利用し、彼らを「奴隷化」して自己の利益のために使おうとします。しかし、精神的なプロセスにおいても、ゴータマ・ブッダ自身も修行中に多くの異なる種類の存在に遭遇したと語っており、特定の側面に入ると遭遇することは避けられないとされています。

‌サドゥグル氏の個人的な経験と伝統的記述との比較‌‌: サドゥグル氏自身も、特にディヤーナリンガ(Dhyanalinga)の聖別に向けて作業していた際、‌‌「日常的にあらゆる種類の」異界の存在に遭遇した‌‌と述べています。

  • 彼はこれらの存在を分類したり名付けたりすることに長けていないとしながらも、‌‌エネルギー、外見、その他すべてにおいて「明らかに異なる」‌‌と断言しています。
  • 彼はこれらの存在に注意を払うのは多くの点で無駄だと感じており、彼らが自分にとって‌‌「いかなる精神的意義も持ち得ない」‌‌と認識すると、すぐに注意をそらしました。
  • 彼らは「実存的な結果」に過ぎず、存在そのものを探求するなら意味があるが、精神的な探求においては役に立たないとされています。なぜなら、彼らは‌‌「あなたと同じくらい無知」‌‌であり、単に異なる形態をしているに過ぎないからです。彼らは人間には信じられないような能力を持っているかもしれませんが、人間の能力も彼らにとっては信じられないものであり、それが彼らが訪れる理由だと推測しています。
  • サドゥグル氏が見た存在は、不規則な形をしており、二次元の「ダンボールが歩き回る」ようであったと描写されています。また、彼らは‌‌「非常にうるさく」‌‌、時には人間の周波数範囲で騒音を立て、他の人がサドゥグル氏が誰かと話していると誤解するほどでした。

しかし、サドゥグル氏は、自身が遭遇したこれらの存在が、‌‌伝統的に語られるヤクシャ、ガンダルヴァ、ガナのいずれの記述にも合致しない‌‌と考えています。

‌伝統的なインドの存在の描写‌‌:

  • ‌ガンダルヴァ‌‌: ‌‌「最も美しい人間の形」‌‌として記述されています。
  • ‌ヤクシャ‌‌: やや異なるものの、‌‌「比較的人間の形」‌‌をしています。
  • ‌ガナ‌‌: ‌‌「完全に歪んだ」‌‌形、つまり人間とは似ていない形をしています。シヴァ神自身がガナであるため、ガナは人間の意識形成に重要な役割を果たしてきました。シヴァ神は人間と効果的に関わるために人間の形をとりましたが、彼の仲間であるガナは元の形に留まりました。

‌人間の認識と芸術的変形‌‌: サドゥグル氏は、人間が人間ではないものを想像するのが難しいという点を指摘しています。人間は存在を認識する際に、少なくとも頭、手足などを必要とすると考えがちです。そのため、時間の経過とともに芸術家たちはガナの形を変形させ、最終的には‌‌「ガナの長」を意味するガネシャ(Ganapati)を「象の長」を意味するガジャパティ(Gajapati)に変えるという「非常に大きな変化」‌‌を引き起こしました。これは、ガネシャが人間の体とガナの頭を持つことで「私たちに似ている」と認識され、寺院の内部に受け入れられた一方で、完全にガナの形をしたものは寺院の外に置かれたという事実から説明されます。

サドゥグル氏は、自身が遭遇した異界の存在が、特定の状況下で地球の物質を使って自分自身を形作ったり、人間が多様な形をしているように、様々な形をとっていた可能性についても推測しています。

探求のアプローチ

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異界の存在のより大きな文脈において、これらの情報源は、異界の存在の探求に対するアプローチについて以下の点を議論しています。

インド文化は、ギリシャ文化と同様に、異界の存在について広範にわたる記述と文書化を行っており、特定の形態を持つ存在を明確に認識しています。これらの存在を探求する主なアプローチは、オカルトと精神的プロセスの二つに分けられます。

探求のアプローチ

  1. ‌オカルト的なアプローチ‌‌:

    • 情報源によると、オカルトは精神的なプロセスよりも、これらの異界の存在の側面を‌‌より多く探求します‌‌。
    • オカルトの主な目的は、‌‌これらの存在を「奴隷化」し、自己の利益のために利用すること‌‌にあります。彼らは、必要な力、知性、アクセス能力を持つ存在をどのように活用できるか、常に探求しています。
  2. ‌精神的なアプローチ‌‌:

    • 精神的なプロセスは、これらの存在をオカルトのように積極的に「探求」するものではありませんが、‌‌特定の側面へと進むと、これらの存在に遭遇することは必然的である‌‌とされています。
    • ゴータマ・ブッダ自身も、自身の修行(サダナ)中に多くの異なる種類の存在に遭遇したことを語っています。

サドゥグル氏の個人的な遭遇と探求への姿勢

サドゥグル氏は、特にディヤーナリンガの聖別に取り組んでいた際、‌‌「あらゆる種類の」異界の存在に日常的に遭遇した‌‌と述べています。しかし、彼のこれらの存在に対するアプローチは、オカルト的な探求とは大きく異なります。

  • ‌分類と注意の欠如‌‌: 彼はこれらの存在を分類したり、名前を付けたりすることには長けていないとしながらも、彼らが「エネルギー、外見、その他すべてにおいて‌‌明らかに異なっていた‌‌」と断言しています。しかし、彼はこれらの存在に注意を払うのは「多くの点で無駄」だと感じました。
  • ‌精神的意義の認識‌‌: サドゥグル氏は、自身が遭遇した存在の「どれも、私にとって‌‌いかなる精神的意義も持ち得ない‌‌」と認識した瞬間、すぐにそれらから注意をそらしました。
  • ‌「無知な存在」としての理解‌‌: 彼はこれらの存在を「実存的な結果」とは捉えるものの、精神的な探求においては「役に立たない」と見ています。なぜなら、彼らは「‌‌あなたと同じくらい無知‌‌」であり、単に異なる形態をしているに過ぎないからです。彼らは人間には信じられないような能力を持っているかもしれませんが、人間の能力も彼らにとっては信じられないものであり、それが彼らが訪れる理由だと推測しています。
  • ‌騒音と物理的特性の観察‌‌: サドゥグル氏が遭遇した存在は、不規則な形をしており、二次元の「ダンボールが歩き回る」ようであったと描写されています。また、彼らは‌‌非常にうるさく‌‌、時には人間の周波数範囲で騒音を立て、他の人がサドゥグル氏が誰かと話していると誤解するほどでした。彼は、彼らの音や思考の周波数が人間と合理的におおよそ同じである可能性や、彼らの体が同じ種類の物質でできている可能性を示唆しています。
  • ‌伝統的記述との比較‌‌: サドゥグル氏は、自身が遭遇した異界の存在が、伝統的に語られるヤクシャ、ガンダルヴァ、ガナのいずれの記述にも合致しないと考えています。伝統的な記述では、ガンダルヴァは「最も美しい人間の形」、ヤクシャは「比較的人間の形」、ガナは「完全に歪んだ」形(人間とは似ていない形)とされています。

このように、インド文化では異界の存在がオカルト的または精神的な文脈で異なる方法で探求される一方で、サドゥグル氏の個人的な経験は、それらの存在が必ずしも精神的な進歩に直接寄与するものではないという見方を示しています。

自身の遭遇体験

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異界の存在のより大きな文脈において、これらの情報源はサドゥグル氏の異界の存在との個人的な体験について詳しく述べています。

サドゥグル氏の異界の存在との遭遇

サドゥグル氏は、特にディーヤーナリンガ(Dhyanalinga)の聖別に向けて作業していた際、‌‌「あらゆる種類の」異界の存在に「日常的に」遭遇した‌‌と述べています。これらの遭遇は非常に頻繁であり、彼の日常生活の一部となっていたようです。

遭遇した存在の特徴とサドゥグル氏の認識

サドゥグル氏は、遭遇した存在を分類したり名前を付けたりすることには長けていないとしながらも、それらが‌‌「エネルギー、外見、その他すべてにおいて明らかに異なっていた」‌‌と断言しています。しかし、彼のこれらの存在に対する態度は、一般的な好奇心とは異なっていました。

  • ‌精神的意義の欠如‌‌: 彼は、自分が遭遇した存在の「どれも、私にとって‌‌いかなる精神的意義も持ち得ない‌‌」と認識したため、それらに注意を払うことは「多くの点で無駄」だと感じました。彼は、これらの存在が「存在的な結果」であるとしながらも、精神的な探求においては「何の役にも立たない」と見ています。なぜなら、彼らは‌‌「あなたと同じくらい無知」‌‌であり、単に異なる形態をしているに過ぎないからです。
  • ‌能力と相互認識‌‌: これらの存在が人間には「信じられないような」能力を持っているかもしれないとしながらも、サドゥグル氏は、人間の能力も彼らにとっては信じられないものであり、それが彼らが訪れる理由だと推測しています。
  • ‌物理的特徴と行動‌‌:
    • 彼が遭遇した存在は、‌‌「不規則な形」‌‌をしており、‌‌「まるで二次元の...段ボールが歩き回っているよう」‌‌であったと描写されています。
    • 彼らは‌‌「非常にうるさく」‌‌、時にはその騒音が人間の周波数範囲で発生し、家の中にいた他の人々がサドゥグル氏が誰かと話していると誤解するほどでした。サドゥグル氏は、彼らの音や思考の周波数が人間と‌‌「おおよそ同じ」‌‌である可能性や、彼らの体が人間と同じ種類の物質でできている可能性を示唆しています。

伝統的な記述との比較

サドゥグル氏は、自身が遭遇した異界の存在が、‌‌伝統的に語られるヤクシャ(Yakshas)、ガンダルヴァ(Gandharvas)、ガナ(Ganas)のいずれの記述にも「合致しない」‌‌と考えています。

  • ‌伝統的な描写‌‌:
    • ‌ガンダルヴァ‌‌は「最も美しい人間の形」として記述されています。
    • ‌ヤクシャ‌‌はやや異なるものの、「比較的人間の形」をしています。
    • ‌ガナ‌‌は「完全に歪んだ」形、つまり人間とは似ていない形をしているとされています。
  • ‌芸術的変形への推測‌‌: サドゥグル氏は、人間が人間ではないものを想像するのが難しいため、時間の経過とともに芸術家たちがガナの形を変形させ、最終的に‌‌ガネシャ(Ganapati)を象の頭を持つガジャパティ(Gajapati)に変えるという「非常に大きな変化」‌‌を引き起こしたと推測しています。これは、ガネシャが人間の体とガナの頭を持つことで「私たちに似ている」と認識され、寺院の内部に受け入れられたのに対し、完全にガナの形をしたものは寺院の外に置かれたという事実によって説明されます。
  • ‌形態形成への推測‌‌: サドゥグル氏はまた、自身が遭遇した存在が、特定の状況下で‌‌地球の物質を使って自分自身を形作ったり‌‌、人間が多様な形をしているように、様々な形をとっていた可能性についても推測しています。これは、彼らが一時的な目的のために人間のような姿を借りる可能性を示唆しています。

サドゥグル氏の焦点

これらの異界の存在との頻繁な遭遇にもかかわらず、サドゥグル氏の主な焦点はディーヤーナリンガの聖別という‌‌自身の精神的な使命‌‌にありました。彼は、自身の「時間がなくなりつつあった」ため、これらの存在を探求する余裕はなかったと述べています。彼は、自身の「基盤が急速に崩れ去っていた」ため、聖別の「煉瓦を積む」ことに集中していました。

インド神話の存在の描写

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異界の存在のより大きな文脈において、これらの情報源はインド神話における存在の描写について、以下の点を述べています。

インド神話における異界の存在の広範な記述

  • インド文化は、ギリシャ文化と同様に、異界の存在について‌‌広範な記述と文書化‌‌を行っており、‌‌特定の形態を持つ存在‌‌を明確に認識しています。
  • これらの文献には、ヤクシャ(Yakshas)、ガンダルヴァ(Gandharvas)、ガナ(Ganas)、キンナラ(Kinnaras)、アプサラス(Apsaras)、クリッティカス(Krittikas)など、‌‌少なくとも11~12種類の異なる異界の存在‌‌が明確に認識され、記載されています。

伝統的な描写とその特徴

情報源は、特に以下の存在の伝統的な描写について言及しています。

  • ‌ガンダルヴァ‌‌: 伝統的には‌‌「最も美しい人間の形」‌‌として描写されています。
  • ‌ヤクシャ‌‌: ガンダルヴァとはわずかに異なるものの、依然として‌‌「比較的人間の形」‌‌をしているとされています。
  • ‌ガナ‌‌: ‌‌「完全に歪んだ」‌‌、つまり人間とは似ていない形をしていると記述されています。
    • 多くの寺院でガナが見られるのは、彼らが人間の意識の形成に重要な役割を果たしてきたためです。シヴァ(Shiva)自身がガナであるため、ガナたちは彼の周りに集まり、彼の民であるとされています。
    • シヴァは人間と効果的に関わるために人間の形をとったものの、彼の仲間であるガナたちは元の形を保っていたと説明されています。

人間による解釈と描写の変容

サドゥグル氏は、これらの異界の存在の描写が、人間の知覚と芸術的表現によってどのように変容したかについて独自の洞察を述べています。

  • ‌人間化された描写‌‌: 人間は、人間ではないものを想像するのが難しいため、ガナのような存在を「少し自分たちに似た」形、あるいは「わずかに歪んだ」形で描こうとします。人間が何かを「存在」として認識するためには、少なくとも頭、手足など、ある程度の形が必要であるという人間の心の傾向が指摘されています。
  • ‌ガネーシャへの変容の例‌‌: サドゥグル氏は、時間の経過とともに芸術家たちがガナの形を変形させ、最終的に‌‌「ガナの長」を意味するガネーシャ(Ganapati)を、象の頭を持つガジャパティ(Gajapati)へと「非常に大きな変化」‌‌をもたらしたと推測しています。
    • これは、ガネーシャが‌‌人間の体とガナの頭‌‌を持つことで「私たちに似ている」と認識され、寺院の内部に受け入れられたのに対し、完全にガナの形をしたものは寺院の外に置かれたという事実によって説明されます。これにより、ガネーシャは人間にとって「かなり効果的」な存在になったと考えられています。

サドゥグル氏の体験と伝統的描写との相違

サドゥグル氏自身は、ディーヤーナリンガの聖別に取り組んでいた際に多くの異界の存在に遭遇しましたが、彼が目撃した存在は‌‌伝統的に語られるヤクシャ、ガンダルヴァ、ガナのいずれの記述にも「合致しない」‌‌と述べています。

  • 彼の観察によると、遭遇した存在は‌‌「不規則な形」‌‌をしており、まるで‌‌「二次元の...段ボールが歩き回っているよう」‌‌であったと描写されています。また、それらの存在は‌‌「エネルギー、外見、その他すべてにおいて明らかに異なって」‌‌いました。

したがって、インド神話は異界の存在を広範かつ具体的に描写していますが、その描写は人間の認識と解釈によって形成され、時間の経過とともに変容してきた可能性が示唆されています。

存在の自己形成

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異界の存在のより大きな文脈において、これらの情報源は、存在の‌‌自己形成‌‌について、サドゥグル氏の観察と推測に基づいて興味深い洞察を提供しています。

存在の自己形成に関する推測

サドゥグル氏は、自身が遭遇した異界の存在が、特定の状況下で‌‌物理的な形を形成する能力‌‌を持っている可能性を示唆しています。

  • ‌物質を用いた自己形成‌‌: サドゥグル氏は、これらの存在が特定の状況下では「その形態では活動できない」と認識したため、‌‌「現地の土を使って自分自身を創造したのかもしれない」‌‌と推測しています。これは、彼らが自身の目的のために、地球の物質を利用して一時的な、あるいは機能的な形を構成できることを示唆しています。
  • ‌適切な形態への形成‌‌: 彼らは「適切に自分自身を形作ることができた」と述べられており、‌‌多様な形をとることができた‌‌ようです。人間の中に様々な形があるのと同様に、これらの存在も多様な形をとっていた可能性があります。

形態形成の目的

この自己形成は、特定の目的のために行われる可能性があります。

  • ‌人間との関わり‌‌: サドゥグル氏は、これらの存在が「少なくとも一人は受け入れられるような姿」に見えるように形を作ったのかもしれないと推測しています。また、「会議に行くために、もう一人必要だった」という仮説を立て、‌‌「差し迫った目的」のために人間の体に「帽子をかぶせた(形を変えた)」‌‌可能性についても言及しています。これは、彼らが人間界で機能するため、あるいは人間と交流するために、一時的に人間の認識可能な形を取ることがあるという考えを示唆しています。

サドゥグル氏の観察と伝統的な描写との関連

サドゥグル氏が遭遇した異界の存在は、「不規則な形」をしており、「まるで二次元の...段ボールが歩き回っているよう」であったと描写されています。これらの存在は、伝統的なヤクシャ、ガンダルヴァ、ガナのいずれの記述にも「合致しない」と彼は述べています。

  • ‌伝統の変容と人間の知覚‌‌: サドゥグル氏は、人間が人間ではないものを想像するのが難しいため、時間の経過とともに芸術家たちがガナの形を変形させ、ガネーシャ(Ganapati)を象の頭を持つガジャパティ(Gajapati)に変えるという「非常に大きな変化」を引き起こしたと推測しています。これは、人間が「存在」として認識するためには、少なくとも頭、手足など、ある程度の形が必要であるという人間の心の傾向を反映していると指摘されています。
  • ‌「真の」ガナの形態‌‌: サドゥグル氏は、自身が目撃したものが「真のガナ」であり、私たちが考えるような形はしていなかったのかもしれない、と示唆しています。これは、存在が持つ実際の形が、人間の理解や描写の枠を超えている可能性を裏付けるものです。

これらの推測は、異界の存在が固定された形を持たず、必要に応じてその形態を適応させたり、地球の物質を利用して物理的な姿を現したりする能力を持っているかもしれないという、興味深い可能性を提示しています。

時系列

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‌不明な時代‌‌:

  • インド文化とギリシャ文化において、異界の存在が詳細に文書化される。インドではヤクシャ、ガンダルヴァ、ガナ、キンナラ、アプサラ、クリッティカなど11〜12種類以上の存在が認識される。ギリシャ文化でも同様に認識される。
  • オカルトの分野がこれらの存在を探求し、自身の利益のためにエンティティを奴隷化する方法を模索する。
  • ガウタマ・ブッダが自身のサダナ(修行)中に様々な種類の存在に遭遇し、それらについて語る。
  • シヴァがガナの長であり、人間と効果的に関わるために人間の姿をとる。彼の仲間であるガナは元の姿のままでいる。
  • 初期のガナの描写は不規則な形をしていた可能性があるが、人間の認識に合わせて、頭部や手足を持つような、より人間的な形へと芸術家によって徐々に変形されていく。
  • 最終的に、ガナの長であるガネーシャ(Ganapati)が、人間の体にガナの頭を持つ姿(象の頭を持つ姿)として描かれ、寺院に迎え入れられるようになる。これは、より人間的な姿が受け入れられやすいという理由から。

‌SadhguruのDhyanalinga奉献期(過去)‌‌:

  • SadhguruがDhyanalingaの奉献に向けて動いていた時期に、様々な種類の異界の存在が日常的に現れる。これらはエネルギーや外見がはっきりと異なっていたが、Sadhguruはそれらが自身の精神的な意味を持たなかったため、あまり注意を払わなかった。
  • Sadhguruの自宅周辺に壁がなく、午前5時45分から6時頃、日の出時に外の回廊に座っていた時期。まだ寺院はなく、心の中で寺院を建設するイメージを抱いていた。
  • この時期、不規則な形をした、二次元の段ボールのような生物がSadhguruの周りをうろつき、騒音を立てていた。Sadhguruは彼らの騒音があまりに大きいため無視できないことがあった。
  • これらの生物が発する騒音は、通常の人間には聞こえない種類の音ではなく、人間がコミュニケーションに使う周波数帯の音であったため、Sadhguruは彼らが自身のために特別な音を出しているのか、あるいは人間と同じ周波数帯で音を出すカテゴリーに属するのかを推測した。
  • Sadhguruの自宅にいた他の人々も、Sadhguruが誰かと話しているような声や騒音を聞いたが、実際にSadhguruが誰かと話している姿は見なかった。これは、Sadhguruが会話をしていなかったが、生物が騒音を出していたため。
  • Sadhguruは自身の「基礎が急速に崩れ落ちていた」ため、これらの存在の探求に時間を割かず、レンガを積む作業(精神的な修行)に集中した。
  • Sadhguruは、これらの存在が人間の音と同じ周波数で音を出すのであれば、彼らの思考も人間と近い周波数である可能性があり、彼らの体も人間と同じ種類の物質でできている可能性があると推測したが、詳細な探求はしなかった。
  • Sadhguruは、これらの存在がヤクシャ、ガンダルヴァ、ガナのいずれにも該当しないと結論付けた。なぜなら、彼らは伝承で語られる描写(ガンダルヴァは最も美しい人間の形、ヤクシャは人間的な形、ガナは完全に歪んだ形)に当てはまらなかったため。Sadhguruが目撃したのは、私たちが考えるような形を持たない、本当のガナであった可能性を示唆した。
  • Manasuraの世界(Manasarovarの誤記と思われる)でSadhguruが目撃した異界の存在が、特定の目的のために現地の土を使って自分たちを形作った可能性について語る。彼らは人間の形をとり、少なくとも一人、人間として受け入れられる姿の「アシスタント」を必要としたかもしれないと推測。

‌現代(Sadhguruの現在)‌‌:

  • Sadhguruは「このような贅沢(異界の存在に注意を払うこと)はもうない」と述べており、過去のDhyanalinga奉献期のような経験は現在では頻繁ではないことを示唆している。

主要関係者

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‌Sadhguru(サドグル)‌‌:

  • ヒンドゥー教の指導者であり、このテキストの発言者。
  • 自身のサダナ(修行)の過程、特にDhyanalingaの奉献期間中に、様々な種類の異界の存在(ガナ、ヤクシャ、ガンダルヴァなど)に遭遇した経験を持つ。
  • これらの存在の性質や特徴について語り、伝統的な描写との比較や自身の解釈を述べている。
  • 彼らは自身の精神的な進化には役立たないと考え、あまり注意を払わなかった。

‌Gautama the Buddha(ガウタマ・ブッダ)‌‌:

  • 仏教の開祖。
  • 自身のサダナ(修行)中に多くの異なる種類の存在に遭遇したことが語られている。Sadhguruは、これらの存在への遭遇は「ある側面に入っていくときには避けられない」と述べている。

‌Shiva(シヴァ)‌‌:

  • ヒンドゥー教の主要な神の一人。
  • ガナ(半人半獣または奇形の従者)の長であるとされている。
  • 人間と効果的に関わるために人間の姿をとったと語られているが、彼の友人であるガナたちは元の姿のままであったとされる。

‌Ganapati / Ganesha(ガネーシャ)‌‌:

  • シヴァの息子であり、ガナの長(Ganapati)を意味する。
  • 元々はガナの形であったが、人間が受け入れやすいように、人間の体とガナの頭(象の頭)を持つ姿として描かれるようになったとSadhguruは解釈している。
  • 寺院に迎え入れられ、崇拝される存在。

‌Occultists(オカルティスト)‌‌:

  • 異界の存在を探求する人々。
  • 自身の利益のために、特定の力、知性、アクセスを持つエンティティを奴隷化しようと常に模索しているとSadhguruは述べている。

‌Artists(芸術家)‌‌:

  • ガナなどの異界の存在の描写を時代とともに変容させてきた人々。
  • 人間の心が理解しやすいように、不規則な形から頭部や手足を持つような、より人間的な形へと変化させた役割を担ったとSadhguruは推測している。

‌Other people in the house(Sadhguruの家にいた他の人々)‌‌:

  • Sadhguruが異界の存在といた際に、彼らが発する騒音やSadhguruが誰かと話しているかのような声を聞いた人々。
  • 彼らはSadhguruが実際に誰かと話しているのを見ることはなかった。

情報源

動画(14:40)

Sadhguru Describes Aliens He Encountered Sadhguru

文字起こし

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(以下は Sadhguru というヒンズー教の指導者の発言の文字起こしです。)

Namaskaram Sadhguru, our scriptures and even our temple sculptures depict many kinds of beings like Ganas and Yakshas. Are these the same beings that are visiting Manasarovar? The only two cultures which have documented this to some extent are the Indian culture has documented it hugely and the Greek culture has done it to some extent. About the nature when we say beings from another realm, these are only two cultures which is describing definite forms. (0:01:23)

So here we have Yakshas, Gandharvas, Ganas, Kinnaras, Apsaras, Krittikas and there are so many like this. I think we have well-recognized beings from other realms, at least over eleven, twelve varieties of them. The Greeks also have similar numbers of probably, if not similar, maybe little less, but they also have recognized. I think the only place, I have never entered this place but people tell me that the best library of this kind is in Adyar, Chennai, the Theosophical Library is supposed to have immense collection of occult books which deal with all these aspects. (0:02:13)

More than the spiritual process, it's the occult which explores these aspects because they are always looking how to use some kind of entity which has the necessary power, intelligence and access to do things for them. They are always looking how to enslave something to use it for their own benefit. So, the occult explores these things much more than the spiritual process. But in the spiritual process, I think Gautama himself talks a lot about these things. (0:02:48)

Gautama the Buddha, Buddha himself talks about a lot of different types of beings that he faced in his sadhana, which invariably one is bound to face when they move into certain aspects. Particularly when we were in another place, lots of things have happened but... but particularly when we were moving towards the consecration of Dhyanalinga, these kind of beings like were everyday happening, all kinds. (0:03:26)

I am not good at categorizing and naming them and saying this is this, this is that. But they are distinctly different, that's for sure, no question. Very distinctly different in their energy, in their appearance, in their everything. It was all there but... didn't pay attention. (0:04:03)

But elsewhere, I have paid attention to some of these things but it is wasteful in many ways because... none of them, at least whatever I have come across, none of them can be of any spiritual significance to me. So, if I paid little attention to them, in the moment I realized that's not it, I took my attention off those things because they were never of any spiritual consequence. (0:04:27)

They were only existential consequence. If you want to explore the existence, yes. But if you want to know this, they are of no use because they are just in a different form as ignorant as you are. Maybe with different kind of capabilities which would look incredible to you, but I am sure your capabilities look incredible to them. Otherwise they wouldn't be visiting, isn't it? (0:05:02)

As they look incredible to you, you must be looking incredible to them. That's why they are visiting. (0:05:09)


These days I don't have this luxury. At that time, there was no wall around the house and... the morning always by like 5.45, 6 when the sun is rising, I always came and sat in the outside corridor. And temple was still not there and... just building the temple in my mind. Every day I sit there and... gazing in the direction where it should come up, I am just... because I don't have the money, I don't have the material, I just have to only what's in my mind. (0:05:53)

At that time, you know, like... these creatures just hung around for quite some time. They are like irregular shapes, but all like... just like two-dimensional, you know, like... cardboards walking around, moving around and... making noises and... just hanging around right there all the time. Sometimes I could not ignore them because they were so noisy. And it so happened sometimes that... you know, like... other people in the house heard the voices and noises that I was talking to somebody. (0:06:40)

And they would come out and see that I was not talking to anybody. They cannot hear what, but they hear something. I never spoke, but they were making so many noises. You need to understand, noise means... the kind of noise that we make, only we can make. When I say the kind of noise, well, the birds can make a different kind of noise, but both of us are making the same noise in terms of frequency, reasonably there. (0:07:12)

That's why we can hear each other. There are other creatures here who are making other kinds of noises, which you cannot hear. So, usually these beings are making other kinds of noises, you cannot hear, but these were making noises that... like our kind of noises, that is, somewhere in the frequency range that we can... we communicate in. Either they were especially making these noises for me, or they also belong to the same category of noise making as we. (0:07:44)

I didn't explore all this because my thing was... my time was running out, my sense were slipping, so I was putting up the bricks. I sat there and putting up the bricks because... my foundation was slipping away so rapidly. So, if their sound making is of the same frequency as ours, it is also possible that their thought making could be reasonably about the same frequency as ours. (0:08:35)

Their body could be reasonably of the same kind of material, maybe not exactly, but same kind, otherwise your eyes wouldn't so easily capture it. Well, you could see it if you are in a certain way, other things also, but... not that simply like... like anything else that we see on a day-to-day basis. So, are these Yakshas, Gandharvas, Ganas? I don't think so, because they don't fit into any of the descriptions that the traditions talk about. (0:09:09)

They describe Gandharvas as the most beautiful human forms. Yakshas are slightly of a different kind, but still reasonably human form. (0:09:20)


Ganas, totally distorted. Distorted means unlike human forms. So, most of the temples that you see are Ganas. Why they are putting up Ganas is... because Ganas have played an important role in the shaping of human consciousness, because Shiva himself is a Gana. Because he is a Gana, Ganas hung around him, he's his people. But he put on a form. He put on a form, a human form, to be effective with human beings. (0:10:06)

But his friends remained in the same old forms. His form was powerful enough, impactful enough, they could manage their work without changing all of that. So, Gana forms are all over the place. Being human beings, we try to make it little like ourselves, slightly distorted, because we cannot imagine something which is totally unlike human. See, right now in front of the Bhairavi temple, two Ganas are sitting like this. (0:10:38)

Maybe they didn't look like that. But our human minds are such, a being means he must at least have a head. And then we can't, he just looks like a ball. We need two hands to make him look like a being. In our mindset, if somebody has to look like a being, he must have hands, legs, everything, you know. Maybe they didn't have any of those things. (0:11:05)

Maybe what I saw was the real Ganas, that they didn't have any form like what we think of. But over a period of time, artists... How can an artist write this and say it's a being? If I show you an irregular shape of a paper and say this is a being, you won't buy it, isn't it? At least I must cut it. Reasonably humans say, this is a being, little like that. (0:11:42)

You are clearly cut like this, we'll make you like this. And say this is a being, you say, oh okay. At least a head and a body and some limbs, something needed, isn't it? For human mind to perceive. So over a period of time, artists might have went on transforming the forms. To a point where we made a Ganapati into a Gajapati. We made a Gana into an elephant. (0:12:14)

Which is a serious big change, isn't it? Not a small change, very big change. Ganapati means the chief of the Ganas, that's what it means. So it is not just he went and slaughtered somebody's head and put it. He told the Gana, okay I'll take your head and put on the human body. At least you are half way effective. Now I have made myself into complete human form. (0:12:50)

If I put a human body for you, only the head we are not able to create. You will be quite effective and he is effective, isn't it? We accepted him because he has a human body and a Gana's head. If he sat whole Gana, we kept him outside, we didn't make him, we didn't worship him. We kept the Ganas outside the temple, but we took Ganapati into the temple. (0:13:15)

Why? Because he looks like us. (0:13:17)


So he might have thought through all these things and done it. Maybe at least he needed one assistant who looked reasonably human. Isn't it so? Maybe they just came just like how we saw them in the Manasura world, just like that in bunches. In a simply a certain time, they knew in that form they cannot operate. So maybe they use the local earth to create themselves. (0:13:52)

And they could shape themselves properly, it went like this, like that. Even among human beings, everybody didn't come with the same shape, isn't it? So like that, they went in many shapes and they thought it's okay. As long as one man is looking acceptable, they thought it's okay. Maybe to go to a conference, he needed one more guy. So, he took off his hat and put it on a human body to fulfill some immediate purpose, I'm saying. (0:14:27)

(2025-08-18)