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Jimmy Akin : 1967-1968, Egypt: キリスト教会のドームに聖母マリアが 100回近く出現した事件の詳細 (途中 1)

· 257 min read

前置き

この件については過去記事、

❏ Carlos Eire, PhD : 1970年代のエジプトで 2年間毎日、何千人もの人々が聖母マリアの出現を目撃していた ⇒ この謎を推理 (2024-01-03)

で取り上げた(*1)。Jimmy Akin がこの事件を 2時間弱の動画で詳しく解説している。

たぶん以下の Jimmy Akin の解説動画が Web で得られる最上の情報源の筈。つまり、これ以上の情報は他では期待できないと見て良い。なにせ、現地エジプトの当時の目撃者までも何人も出演し証言している。これまで取り上げられていなかった事件の詳細が幾つも語られている。

他では得られない貴重な内容なので、動画全体の 文字起こし+和訳 をつけておく。

後日、静止画を追加したいところ。

冒頭、コプト教会の歴史(カトリック教会とどこがどう違うのか…の類)の長々とした解説がある(*2)が、この事件の本質とは無関係なので skip しても大丈夫。

(*1)

Jimmy Akin の解説によって、上述の過去記事における私の推理(教会関係者の捏造)はありえないないことが判明した。

(*2)

Jimmy Akin はプロの apologist だけあって、こういった解説は得意。宗教に興味がない一般の日本人から見れば、浄土真宗の本願寺派と大谷派の違いみたいなもので、全くどうでもいい話。

日時と場所

開始:1968-04-02 終了:1971-05 or 1971-06

場所:Egypt 首都カイロの郊外にあるゼイトゥーンのタマン・ベイ通り。駐車場の向かいのコプト教の聖母マリア教会。この教会は1925年に献堂され、約43年の歴史。

切り出し静止画

後日

この「聖母マリア」の正体を改めて推測する

写真と冷静な証言者の発言から、教会のドーム付近に頻発した「発光現象」だと思える。

なぜ、この教会のドーム付近に 2年間も発光現象が断続的に続いたのかは不明だが、教会の地下の地質構造が関係している筈。

それによって、海上のセントエルモの火に類似した機序でドーム付近で発光現象(動画冒頭の鳥の群れに似た orb 群を含む)が起きたのではないか。

この事件には奇跡的な治癒が何件か付随しているが、奇跡(マリアの顕現)を本気で信じることができた場合、プラシーボ効果による顕著な治癒も期待しうる。

動画(1:51:05)

Our Lady of Zeitoun (Egyptian Apparition, Coptic Church) - Jimmy Akin's Mysterious World www.youtube.com/watch?v=ikdDzR-5EA8

FasterWhisper AI(large-v2 model) + DeepL(2024-07 model)

▼和訳 展開

このエピソードでは、ザイトゥーンの聖母についてお話しています。私はドム・ベッティネリ、そして今日はジミー・エイキンが参加しています。やあ、ジミー。やあ、ドム。キリスト教はエジプトに長い歴史を持っています。紀元前1年頃、ヨセフとマリアはヘロデ大王に殺されるのを避けるため、幼子イエスを連れてエジプトに避難しました。イエスの宣教の後、キリスト教は再びエジプトに戻ってきました。 (0:00:52)

そして、福音書の著者である聖マルコは、最初の家長であるとされています。 しかし、1968年にカイロ郊外のザイトゥーンで奇妙なことが起こり始めました。目撃者によると、聖母マリアが地元の教会に現れたということです。 彼女は90回以上現れました。 その幻影は劇的な光の演出を伴い、その様子は写真にも撮られました。 その幻影を目撃した人の数は100万人以上と推定され、これは世界史上で最も多く目撃された聖母マリアの幻影となりました。 (0:01:24)

ザイトゥーンはどこにあるのでしょうか? 聖母マリアはそこで何をしたと報告されたのでしょうか? そして、これらの幻影は本物だったのでしょうか? このエピソードのジミー・エイキンのミステリアス・ワールドでは、これらのことについてお話します。ジミー、番組を始める前に言っておきたいことはありますか? そうですね、カイロのイブラヒム・ユスフ・カーターさんに感謝を述べたいと思います。彼はエジプト人ですが、しばらくの間、ミステリアス・ワールドのスポンサーをしてくれています。彼はただ番組を支援したいと思っただけなのです。 (0:01:54)

そして、番組で彼の名前を出すことなど何も要求しませんでした。 ただ、彼はただ...ただ番組のファンで、番組を応援したいだけなのです。 そして、彼がこのエピソードを提案したのですが、いずれにしても、私はずっと前からこのエピソードをやりたいと思っていました。 イブラヒム・ユスフ・カーター氏に感謝します。ミステリアス・ワールドでは、エジプトを舞台にしたミステリーを数多く扱ってきましたが、そのほとんどは古代が舞台でした。 (0:02:20)

これは、キリストの時代以降のエジプトを舞台にした初めての作品です。エジプトにおけるキリスト教の歴史について、私たちは何を理解しておくべきでしょうか? それはとても古いものです。 番組のイントロダクションでもおっしゃっていましたが、聖家族は幼児虐殺を避けるためにエジプトを訪れました。ユダヤ教はキリスト教よりもさらに古い歴史を持っており、創世記にまで遡ります。その後、イスラエルの民全体がエジプトに向かった出来事は、出エジプトとして知られています。そして、それから数百年後、彼らは出エジプトとして知られる出来事の中で戻ってきました。これは、第166回で取り上げた出来事であり、特に出エジプトについて取り上げたものでした。また、今後のエピソードでも出エジプトの日付についてお話します。 (0:03:02)

また、最近、ミイラについて第241回で触れましたが、家長ヤコブ、またの名をイスラエル自身、そして家長ヨセフが死後にミイラ化された経緯についても触れました。 (0:03:16)


その後、ユダヤ人はエジプトと多くの関わりを持つことになります。なぜなら、エジプトはすぐ隣にある大国だったからです。 紀元前300年代にアレキサンダー大王がエジプトを征服すると、アレキサンドリアという都市を建設し、自分の名にちなんで名付けました。この都市はギリシャ人、つまりプトレマイオス朝ファラオの首都となりました。 そして、アレキサンドリアには大きなユダヤ人コミュニティが形成されました。旧約聖書のギリシャ語訳であるセプトゥアギンタの翻訳は、アレキサンドリアで始まったと言われています。聖書の少なくとも1冊、知恵の書はアレキサンドリアで書かれた可能性が高く、紀元前1世紀から紀元後1世紀にかけてユダヤ人の哲学者フィロンがアレキサンドリアに住んでいました。紀元前2世紀から約300年間、エルサレムの神殿のほかに、エジプトのナイル川デルタ地帯にあるレオンティポリスにもユダヤ教の第二神殿が存在していました。 キリスト誕生までの時代におけるエジプトでのユダヤ教の活動は、エジプトを布教に適した場所にしました。 (0:04:26)

エジプトにキリスト教を伝えたのは誰だと考えられていますか? 伝統によると、パウロとペテロの仲間であり、福音書の著者でもある聖マルコがキリスト教のメッセージをエジプトにもたらし、アレクサンドリアの初代大司教とされています。エジプトは初期の教会においてキリスト教活動の主要な中心地となり、アレクサンドリアのクレメント、オリゲネス、聖アタナシウス、聖アントニー、砂漠の父たちといった初期キリスト教の著名な人物を輩出しました。また、カトリック教会では教会博士とされるアレクサンドリア総主教キュリロスもいます。エジプトの異教を最終的に終焉させたのはキリスト教でした。 (0:05:10)

ギリシャ人がアレキサンダーの指揮下でエジプトを征服した際、彼らはエジプトの神々への崇拝を止めませんでした。むしろ、それと融合したのです。しかし、イエスのメッセージが最終的にエジプトの神々を駆逐し、西暦300年代には、ほとんどのエジプト人がキリスト教徒となりました。残念ながら、西暦641年にはアラブのイスラム教徒がエジプトを征服し、それ以来、エジプトのキリスト教徒は迫害や強制改宗、重税に苦しめられてきました。しかし、エジプトのキリスト教徒は信仰を守り続け、エジプト出身のキリスト教徒のコミュニティはコプト教徒のコミュニティとして知られています。 (0:05:47)

彼らはアラブ人ではなく、典礼用語のコプト語を使用しています。コプト語は古代エジプト語の直系の子孫ですが、ギリシャ語の影響も受けています。例えば、何年か前にコプト語の辞書を買ってから、コプト語で「知事」を意味する単語が、ギリシャ語の「ヘゲモス」を語源としていることに気づきました。 しかし、コプト語の基盤となっているのは古代エジプト語であり、コプト語には今でも古代エジプト語の単語がたくさん残っています。例えば、ファラオと同じ語源を持つコプト語の「王」という単語は「エポロ」と発音され、エポロがファラオに似た発音であることが分かります。 (0:06:26)

コプト人たちは自分たちの伝統も維持しています。例えば、古代エジプトの暦を基にした独自の典礼暦を維持しています。 30日を1ヶ月とする12ヶ月に、年末の特別な5日間の月を加えた暦で、古代エジプトの暦と同じです。この暦の年号も、ローマ皇帝ディオクレティアヌスが就任し、キリスト教徒の迫害を始めた西暦284年から数えられています。ですから、現在の西暦、グレゴリオ暦の2023年は、コプト暦では殉教者の年である1739年に相当します。 (0:07:17)

このエピソードではコプト暦の年号がいくつか出てきます。いずれにしても、アラブ人が征服した後も、エジプト人の大半は依然としてキリスト教徒であり続けましたが、1300年代にはキリスト教徒は多数派ではなくなりました。現在でもエジプト人の約15%は、コプト教徒です。コプト教徒のほとんどは東方正教会に属していますが、東方カトリック教会という小さなカトリック系コプト教会もあります。 東方とは東を意味します。 つまり、コプト教徒のほとんどが東方正教会に属しているということは、彼らは東方正教会ということになるのでしょうか? 意外なことに、そうではありません。 (0:07:51)

東方正教会とカトリック教会は基本的に11世紀に分離しましたが、東方諸教会はそれよりも古い歴史を持っています。 それでは、分離は西暦451年のカルケドン公会議にまで遡るのでしょうか。 当時の論争は、キリストの神性と人性の関係をどのように適切に表現するかということに関係していました。 (0:08:17)

カルケドン会議の支持者が表現した方法は、キリストには神性と人性という2つの本質があり、それらが一体となっているというものでした。彼らは特に、コンスタンティノープルの総主教ネストリウスという人物に帰せられる誤りを避けることに懸念を抱いていました。ネストリウス自身は実際にはそのような考えを持っておらず、教会と良好な関係を保ったまま亡くなりましたが、ネストリウスはキリストを神性と人性という2つの人格に分けるとみなされていました。カルケドン公会議の父祖たちは、ネストリウス派の対立者であるエウテュケスが、キリストは神性と人間性の融合という性質を唯一持つ、あるいは、人間性は神性によって失われると教えたとされる誤りを犯したと信じていた。 (0:09:11)

ギリシャ語で「単独」や「唯一」を意味する単語はモノス(monos)であり、「性質」を意味する単語はフシス(phousis)です。そのため、キリストは神性と人性を併せ持つ唯一の性質を持つという考え方から、エウテュケスの支持者たちはモノフィサイトとして知られるようになりました。しかし、カルケドン公会議が提案した表現を好む人ばかりではありませんでした。東方正教会は、カルケドンが表現した方法ではキリストを二つに分裂させるものと受け取られるのではないかと懸念していました。 (0:09:38)

残念ながら、彼らは単性説信奉者であり、エウティケスの支持者であると非難されました。しかし、実際には彼らはエウティケスを非難しています。また、単性説という用語も拒否しています。 (0:09:48)


彼らは自分たちの立場を「メアフィシズム」と呼んでいます。これはギリシャ語の「メア(1)」という単語に由来し、キリストには神性と人性が1つに統合されており、どちらかが他方と混同されたり、他方を排除したりすることなく存在しているという考え方です。良いニュースは、カルケドン公会議以降の歴史的な分裂にもかかわらず、私たちは実際には意見が一致していないわけではないということが後に理解されたことです。 (0:10:21)

私たちは、キリストにおける神と人間の一体性と区別を表現するために、異なる言葉を用いているだけです。そして、私たちの教会の指導者たちは、その後、キリストにおける信仰の共同告白に署名しています。例えば、1973年には、カトリック教の教皇パウロ6世とコプト教の教皇シェヌーダ3世が、このテーマに関する共通の宣言に署名しました。その中で彼らは次のように宣言しました。「私たちの主であり神であり救い主であり王であるイエス・キリストは、神性に関しては完全な神であり、人性に関しては完全な人であることを私たちは告白します。 (0:10:52)

彼において、神性は混ざり合うことなく、混同されることなく、混乱することも、変化することも、分裂することも、分離することもなく、神性と人性が真に完全な形で結合しています。 神性は一瞬たりとも、一瞬たりとも、人性から離れることはありませんでした。 永遠にして目に見えない神である方が、肉体において目に見える存在となり、しもべの姿を身にまとわれました。 (0:11:25)

彼の中には、神性のすべての特性と人間性のすべての特性が、現実的で完璧な、不可分かつ不可分の結合として保たれています。 ですから、私たちは歴史的にイエスに対する信仰を表現するために異なる言葉を使ってきましたが、本質については同意しており、この問題は基本的に解決済みです。 カトリック教会、東方諸教会、東方正教会、そして東方アッシリア教会は、一致の回復に向けて共に取り組んでいます。 (0:11:53)

私たちは同じ信仰を共有し、使徒継承を共有し、7つの秘跡を共有しています。 兄弟愛の証として、1968年にはカトリックの教皇パウロ6世が聖マルコの聖遺物の一部をコプト教会に返還しました。それらは西暦828年にベニスの商人数名によって盗まれたものでした。そう、実際にベニスの商人たちです。伝えられるところによると、彼らはアレクサンドリアのイスラム総督の手から守るためにそれを盗み、それらはその後ベニスの聖マルコ大聖堂に保管されていました。しかし、聖マルコの殉教1900年周年を記念して、1968年に教皇パウロ6世がそのうちのいくつかをコプト教の教皇キリロス6世に返還しました。これはエジプトでは重要な出来事とみなされました。ちなみに、キリロスという名前に聞き覚えがある方は、これは英語での「シリル」に相当します。そのため、教皇キリロスを教皇シリルと呼ぶこともあります。1968年のコプト教会の指導者は「教皇キリロス4世」、1973年の指導者は「教皇シェヌーダ3世」と呼ばれています。ローマ司教を教皇としか考えない人にとっては、耳慣れない呼び方かもしれません。では、「教皇」という称号はどのように使われているのでしょうか? (0:13:09)

「教皇」という称号は「パパ」という言葉に由来し、これは「父」を意味します。初期の時代には、多くのキリスト教指導者にこの称号が用いられていました。「教皇」という称号は、現在でもローマ司教とアレクサンドリア総主教に対して用いられています。そのため、コプト教皇とカトリック教皇の両方が「教皇」と呼ばれています。ちなみに、コプト教の教皇については、第106回目のエピソードで、聖トマス・アクィナスとオカルトについての議論のパート2で触れました。なぜなら、教皇職が空席になるたびに、コプト教会はソルティラージュという形式で新しい教皇を選出しているからです。 (0:13:47)

これは、使徒行伝第1章で使徒たちがユダの後任を決めた際の慣習に基づいています。使徒たちは当時、ユダの後任としてふさわしい2人の候補者を挙げ、どちらが望まれているかを神に相談するためにくじ引きを行いました。神の意志を決定するためにくじ引きを行うこの慣習は、ソルティラージュまたはクレロマンシーと呼ばれており、神がどのような状況でもその手段によって答えを返すことを約束しているわけではないため、常に用いるべきものではありません。ですから、日常的に用いるべきではありません。 (0:14:19)

しかし使徒の例にならって、コプト教の新教皇を選ぶのに使われています。 3人の良い候補者を選び、その名前を紙に書いて聖杯に入れ、それを祭壇に置き、神聖な典礼またはミサを行い、新教皇の名前を選びます。 現在の教皇はタワドロス2世です。エジプト正教の背景について少しお話したところで、ゼイトゥーンの聖母の出現についてお話しましょう。それはいつ始まったのでしょうか?1968年です。エジプトで何が起こっているのかを理解するには、1年前の1967年に遡る必要があります。1967年6月、6日間続いたことから「六日戦争」として知られる事件が起こりました。 (0:15:04)

この戦争はイスラエルとエジプト、ヨルダン、シリアを含む複数の国家の間で戦われました。沈黙の総主教、キリロス教皇の伝記を著したダニエル・ファヌースは次のように書いています。エジプトが国境沿いに秘密裏に軍を集結させたことに対し、イスラエルはエジプトの飛行場に対して先制攻撃を開始しました。瞬く間にエジプト空軍の大半が破壊された。同時に、イスラエル軍のガザ地区とシナイ半島への地上攻撃はエジプト軍を驚かせ、甚大な損害と大混乱をもたらした。 (0:15:40)

イスラエル軍の死者は1,000人に満たなかったのに対し、アラブ軍の死者は2万人を超えた。わずか5日間で、空軍は壊滅的な打撃を受け、数万人が死亡し、シナイ半島は占領され、無形資産は消滅し、国家の誇りと地域の信頼は失墜した。エジプトのアブデル・ナセル大統領の政権は信用を失い、その政策は価値を失った。この大失敗と恥辱に耐えられなかった大統領は、6月9日に公共放送で辞任を表明した。 (0:16:14)

しかし、エジプト国民は彼に辞表の撤回を求め、教皇キリロスが彼に留任するよう説得しました。 (0:16:19)


残念ながら、第3次中東戦争での敗北は、コプト教徒のコミュニティに問題を引き起こしました。 ファヌースは次のように書いています。「コプト教徒は戦争の余波で2つの面で苦しみました。イスラム教徒の同胞とともに立ち上がった彼らも、父親や夫、息子を失いました。しかし、キリスト教徒のスパイという非難を沈めるにはほとんど役立ちませんでした。コプト教会は、結局のところ、イスラエルの建国を支持していた世界教会協議会の一員だったのです。同時に、宗教的な感情が徐々に復活しました。 (0:16:53)

多くの人々は、この戦争は信仰の欠如に対する罰であると感じており、エジプトでは信仰の再出現が急進化し、宗派間の暴力を引き起こす可能性がありました。緊張は急速に高まりました。ナセルは、ムスリム同胞団からの非難の高まりをいくらか和らげるために、コプト教徒の兵士たちの勇敢さと愛国心を公に称えることを余儀なくされました。そのため、1967年にはエジプトは苦境に立たされ、コプト教徒の人々は特に脆弱な立場にありました。 (0:17:27)

しかし、1968年4月2日火曜日の夜、奇妙な出来事が起こりました。物語は、公共交通局が所有する市営の駐車場から始まります。その駐車場は、首都カイロの郊外にあるゼイトゥーンのタマン・ベイ通りにありました。駐車場の向かいには、コプト教の聖母マリア教会があります。この教会は1925年に献堂されたので、約43年の歴史があります。 (0:17:56)

この教会はタフィク・ハリール・イブラヒムという人物によって建てられました。聖母マリアが彼に現れ、彼女を記念して彼が建てた教会に40年後に現れると告げたと言われています。1968年の出来事は午前8時30分に始まり、最初に異変に気づいたのは、ガレージの夜警、アブドゥル・アジズ・アリという名の男でした。彼は教会のドームの上に明るく照らされた物体を見つけ、「ドームの上に光が!」と叫びました。これにより、ガレージの整備工3人が関与することになりました。 (0:18:32)

彼らの名前はファルーク・モハメド・アトワ、フセイン・アワッド、ヤクート・アリでした。3人ともイスラム教徒でした。フランシス・ジョンソンの小冊子『Zeytun 1968-1971』に掲載された説明によると、ラッシュアワーは終わり、夕暮れ時に活気が感じられるのは、街灯に照らされた通りを1台の車と数人の女性歩行者が歩いていることだけでした。突然、教会の中央ドームに予期せぬ動きがあり、女性たちの注意を引いた。 (0:19:04)

ガレージの門のそばにいた作業員2人が紅茶のマグカップを置き、ドームの頂上にある十字架のそばに跪く白い婦人の姿を信じられないという表情でじっと見つめた。 ざわめきと不安の声が飛び交った。その中の一人、イスラム教徒のファルーク・モハメド・アトワは、壊疽のため翌日に切断手術を控えていた包帯を巻いた指を指さし、切迫した口調で叫びました。「お嬢さん、飛び降りないで!飛び降りないで!絶望感に駆り立てられ、彼は消防隊と救助隊に連絡するために走り出し、その間、何人かの仲間が通りを渡って司祭のコンスタンティン・ムッサ神父を呼びに行った。実際、作業員の一人によると、彼らはまず教会の守衛を呼んだという。 (0:19:58)

ファルーク自身の言葉によると、私たちは教会のドームの頂上に白い服を着た人影を見ました。私は彼女が自殺しようとしていると思い、彼女に気を付けるように叫びました。友人は警察を呼び、私はドアマンを起こしました。ドアマンが出てきて見て、泣きました。「聖母だ!」と言って、司祭を呼びに行きました。 (0:20:15)

教区司祭のコンスタンティン・ムサ神父は、そのときの様子を次のように語りました。私は自宅にいて、教会までほんの数歩の距離でした。すると、守衛のイブラヒムがひどく動揺した様子でやって来て、「聖マリアがドームに現れました」と言いました。私も行って、光に照らされた聖マリアの半身を見ました。バスターミナルの作業員たちが何人か、聖マリアの方向にスポットライトを向けましたが、聖マリアはさらに明るく輝いていました。 (0:20:40)

ジョンストンの証言に戻る。その瞬間、その女性は立ち上がり、光り輝く光のローブをまとった光り輝く存在であることが明らかになった。 (0:20:45)


下の階にいた女性の一人が、衝撃的な理解とともに叫んだ。「サテナ・マリア!聖母マリアだ!」叫び声が彼女の唇から発せられるや否や、白く光り輝く鳩の群れがどこからともなく現れ、幻影の周りを飛び回っているように見えた。しばらくすると、その驚くべき光景は暗闇の空へと消え、観衆は呆然と立ち尽くし、言葉を失いました。 2018年の出現50周年を記念してコプト教会総主教庁が委託した本によると、警官がすぐに到着し、通りすがりの人々の群衆が集まり始めました。 (0:21:22)

群衆が集まってくると、少女の外見が変化し始めました。群衆の前に現れたのは、白い天の光に包まれ、白いローブを身にまとい、オリーブの枝を手にした美しい少女でした。突然、純白の鳩の群れが少女の頭上を飛び交いました。 (0:21:44)

この瞬間、彼らは皆、この光景が霊的かつ天上の起源によるものであると理解しました。ダニエル・ファヌース著『沈黙の族長』には次のように書かれています。群衆が集まり始めました。警察が到着し、いわゆる「幻影」は隣接する街灯の反射による錯覚に過ぎないとして、群衆を解散させようとしました。警察は実際に街灯を壊しましたが、幻影はさらに強まりました。幻影を調査した人々のうちの一人は、カイロ・アメリカン大学のアメリカ人人類学教授でした。彼女の名前はシンシア・ネルソンで、彼女は次のように報告しています。「最初の数時間、数日間現場に居合わせた人々への後日のインタビューによると、警察は現場に到着し、マアムール警察署長は群衆を解散させようと試み、いわゆる幻影は街灯の光の反射に過ぎないと述べ、街灯を壊し始めました。 (0:22:42)

ドームの光は消えず、聖母の姿はさらに鮮明になりました。アムールは恐ろしくなり、これ以上関わりたくないと述べましたが、一方で、他の人々は、自分たちの目で確かめようと近づいてきました。こう語るのは、10代の娘2人と共に聖母の出現を目撃した50代前半のコプト教徒の女性です。 コプト総主教庁の著書によると、疑いの余地がないことを確かめるために、彼らは光を光る像に向けたが、それはより明るく鮮明になっただけだった。 (0:23:13)

そこで彼らは教会の近くにあった街灯を壊しましたが、光の像は消えませんでした。最後に彼らはその一帯のすべての照明を消しましたが、天上の輝きをまとった少女と光を放つ衣はより鮮明に浮かび上がり、少女は体から放たれる光の輪の中で周囲を照らしながら円を描いて動き始めました。 (0:23:35)

目の前にいる少女が間違いなく聖母マリアであることは誰の目にも明らかでした。群衆は「聖母だ!光の母だ!」という叫び声と歓声とともに、雷鳴のような拍手を送りました。その声は空に届くほどでした。そして群衆は歌い、唱え、祈りを捧げ、夜通し翌朝まで続きました。これらの異なる証言を総合すると、さまざまな詳細が浮かび上がってきましたが、後に行われた調査で複数の目撃者がこの出来事の基本的な事実を確認したため、この出来事の全体像をほぼ把握することができました。 (0:24:12)

ちなみに、地元の言い伝えによると、ゼイトゥーンは聖家族がエジプトに滞在していた際に訪れた場所のひとつであり、これが聖母が出現した理由のひとつであると一般的に考えられています。また、翌日には非常に興味深いことが報告されました。 覚えていらっしゃるでしょうか。 工事作業員の一人、ファルーク・モハメド・アトワは、壊疽のため翌日に切断手術を受ける予定で包帯を巻いた指で奇跡の姿を指さしたのです。 (0:24:37)

ジョンストン氏によると、ファルーク・アトワが翌朝、手術のために病院に到着したとき、外科医は指が完全に治っているのを見て驚いたそうです。 これが、ゼイトゥーンで起こった最初の奇跡として知られています。 私は、アトワの指が治ったことを他の情報源でも確認しました。 これらの出来事の後、人々、特に警官たちは、さらなる奇跡が起こるかどうかを見るために教会で待つようになりました。 (0:25:08)

その1週間後の4月9日火曜日、ついにその現象が起こりました。それだけではありませんでした。著者のエリック・ウエレットは、自身のブログ「パラソシオロジー」で次のように書いています。この事件を調査していて驚いたことのひとつは、その現象の完全なリストが存在しないということです。 (0:25:22)


コプト教会の調査では、1968年4月2日から1968年5月4日までの1か月余りの間に27件の幽霊の出現が確認され、複数の夜に1回以上の出現が起こった夜もあった。 他の情報源によると、1968年を通して出現の数は減少し、週に1~2回になったという。 (0:25:49)

ジョンストン氏によると、1970年初頭には、その頻度は月に一度にまで減少した。しかし、ザキ氏の調査によると、1969年8月21日から1971年6月11日までの間には、17回の出現があった。ジョンストン氏によると、最後の出現は1971年5月29日に起こったということです。したがって、この出現は1968年4月初旬から1971年5月または6月まで続き、ほぼ3年2ヶ月にわたって続いたことになります。 (0:26:19

) オウレット氏は、全部で94回ほど出現があったと推定しており、そのほとんどが1968年に起こったとしています。実際、ウエレット氏は、いつ聖母の出現があったか、また、その出現を待つ群衆の推定人数をグラフ化した表を作成しました。 彼が発見したのは、正確に一致するわけではありませんが、群衆が最も多かった時期に、最も多くの出現があったということです。これは、出現を目撃するために集まった人々の信仰を神が報いたと解釈することもできます。 (0:26:49)

どれくらいの人数が聖母の出現を待っていたのですか? 時期によって違いますが、かなりの人数が集まっていたようです。 非常に大勢の群衆が集まったことを示す写真もあります。 教会周辺はブロック単位で人で埋め尽くされ、教会に近づくだけでも何時間もかかったという証言もあります。 ある報告によると、群衆の圧力で歩くのが困難だったため、イスラム教の聖職者がキリスト教の医師を助け、教会に近づけるよう実際に担いで運んだという話もあります。 (0:27:20)

ヨハナ・ヤッサ神父が、現在ゼイトゥーンの聖マリア教会の司祭として、当時のモーションビデオのクリップを紹介しています。ポッドキャストのビデオ版をご覧になれば、群衆の様子を実感していただけるでしょう。 もしあなたがそこにいたなら、さまざまな場所からやって来た何万人もの人々が、異なるグループや宗教に属しながらも、皆声を合わせて賛美歌を歌っているのを聞くことができたでしょう。 (0:27:50)

一方、エリック・ウィレットは次のように書いています。このイベントは全くの予想外であったため、初日は数人の証人しかいませんでした。しかし、やがて非常に大規模な集会へと発展しました。ニルは、1968年4月13日の夜には約100人が集まっていたと証言しています。ネルソンは、1968年4月15日の人出は1,000人から1,500人だったと推定した。その後、この現象は1968年4月23日付のアラビア語新聞「Watani」の記事で初めて主要な報道機関で取り上げられた。群衆は大幅に増加した。 (0:28:54)

アタナシウス司教は、4月29日から30日の夜には10万人の群衆が集まっていたと推定しています。ジョンストン氏によると、数週間後には、毎晩25万人の観衆が集まるようになったとのことです。1968年末には、毎晩の群衆は1万人に減少したと推定されています。ザキ氏によると、1971年6月には、その数はほんの一握りになっていたということです。 特に夜間においては、群衆の規模を正確に推定することは非常に困難であるため、この数字は過大評価されている可能性があることに留意すべきでしょう。 (0:29:24)

しかし、このことは、この現象が非常に大勢の人々の関心を集めた出来事であったことをよく示しています。 (0:29:29)


そして、それは非常に大勢の人々が参加したイベントでした。ある推定によると、100万人以上の人々がその出現を目撃したと言われています。 その数字がかなり多めに見積もられているとしても、非常に大勢の人々がその出現を目撃したことは事実です。そのことは、そのイベントに参加した人々の写真を見れば明らかです。その出現はどのようなものでしたか?人々はそこでどのような現象を体験したのでしょうか? (0:29:55)

エリック・ウエレットは、さまざまなソースを調査しました。私もその多くを読みました。そして、ウエレットのパラソシオロジーブログでは、彼らの主張の要約が提供されています。ですから、人々が経験したことについて述べる際には、彼のソースの要約を基にすることにします。基本的に、ウエレットは次のように述べています。ゼイトゥーンの出来事について、6つの主な定性的側面を特定することができます。 A. いわゆる光の鳥。 (0:30:30)

B. お香の香り。 C. 雲。 D. 燐光のような輝き。 E. きらめく光や星。 そしてF. 主な発光体、つまり幻影。 それでは、この6つのカテゴリーをそれぞれ見ていき、人々が経験したことについて、より詳しく説明しましょう。 カテゴリーの最初は、光でできた鳥と呼ばれるものでした。 (0:30:57)

ここで知っておくべきことは何でしょうか? コリラス法王がゼイトゥーンの調査を命じた司教の一人に、グレゴリウス司教がいました。 彼は科学調査とコプト文化の司教でした。 科学調査の司教がいるというのが私は大好きです。 素晴らしいと思います。 彼が「鳥」について説明しているクリップを見つけたので、彼の言葉を紹介します。故グレゴリウス司教は、非公開のインタビューで、教会の上空に天使のような大きさの鳩が現れては消えると語りました。 (0:31:32)

それらが消える前に、綿毛のように散らばっていきました。 グレゴリウス司教は、教会の上空に多くのハトが現れるのを何度も目撃しました。 時には7羽、時には12羽でした。 それらは隊列を組んでいました。 一方、複数の情報源をまとめると、多くの目撃者が、ゼイトゥンの空を移動する発光物体を目撃したと報告しており、それは当初は鳥と解釈されましたが、明らかに鳥ではありませんでした。 (0:32:00)

その正体は今日に至るまで不明のままです。彼らは次のように描写されています。また、この現象を目撃した人々によると、幻影の前後、そして幻影が全くない夜にも、鳥のような生物が現れたとのことです。これらの生物は、ある意味では鳩に似ています。鳩よりも大きいです。ハトよりも大きいのです。 彼らがどこから来てどこへ行くのか、誰も判断できません。 (0:32:26)

カイロ動物園の飼育係によると、ハトは夜には飛ばないことが知られています。しかし、これらは自然界の鳥であるはずがありません。 まず第一に、あまりにも急速に飛びます。翼を動かすことなく飛んでいます。 インタビューに答えた観客のうち、1羽が翼を羽ばたかせているのを見たと思った人はいました。 それらは、幻影の前、中、そして周りを滑空しているようです。 (0:32:48)

それらは決して屋根や木の上に留まることはなく、時には雲のように空中で分解していくのが目撃されています。 夜によって数は異なりますが、それらは単体、2体、3体、あるいはそれ以上の大きな群れとなって現れます。常に何らかの隊形を組み、それらは三角形の形、時には十字の隊形を組んで飛んでいます。一度、12体が6体ずつ2列になって飛んでいました。 (0:33:12)

これらの鳥は純白であるだけでなく、自ら光を発している。まるで電飾を施したような鳥で、幻影の明るい光の中にも、上空の暗闇の中にも見ることができる。それらは現れるのと同じくらい神秘的に姿を消し、一切の音もなく消える。もう一つの説明は、1968年4月27日から5月15日にかけて起こった出現について、グレゴリウス司教によるものである。出現が起こる前に、ハトのような、何なのかわからない鳥が、さまざまな隊形を組んで現れた。 (0:33:52)

時折、2羽がドームから出てきたかのようにドーム上に現れます。しかし、ドームは閉じられています。窓は開きません。鳥たちは東に向かって飛び、旋回しながら西に向かって飛んでいるのが見えるかもしれません。そして、それらを見ていると、突然姿を消します。 (0:34:04)


ドームの窓が開かない、密閉されているという事実は重要です。なぜなら、光の鳥がドームの中から放出されることはできなかったからです。 教会の内部を調べれば、それも分かるでしょう。なぜなら、ドームは床から50フィート上にあり、その下には立つことのできる構造物がないからです。 (0:34:28)

足場や大きな梯子を立てなければそこまで登れないでしょう。窓が開かないという事実を除けば、誰かがそれを試したなら、それは明らかだったでしょう。 幻影に伴う現象として説明されたものに、お香の匂いと教会を取り囲む雲の2つがありました。 アッラトによると、パルマーは、教会の上空に雲がないときでも教会の上空高くに浮かんでいるのが見える神秘的な雲を光として含めるべきかもしれないと報告した。ある夜、グレゴリウス司教は、高いドームの封印されたステンドグラスから、何百万ものセンサーで光の量を生成しなければならないほどの香の雲が降り注いだと述べた。香の雲は、教会の周りに集まった群衆の上に広がった。 (0:35:18)

これらの雲は教会の屋根の上、ドームの近くで見られたのですが、ドームの窓は密閉されていて開かないので、そこから発生したものではないでしょう。また、先ほども申し上げたとおり、そこまで登るには足場が必要です。ベイリス氏は、グレゴリウス司教が、大量に立ち上る深紅の香の雲の様子を描写していることを付け加えています。 (0:35:42)

それは30~60フィートの高さにまで達し、無色透明の空を背景に、教会の上空とその周辺ではっきりと見えました。作家のパール・ザキは、教会に向かって濃い霧のような雲が押し寄せるように流れ込み、まるで通りを流れるように四方八方に向かって教会を完全に覆い隠すかのように見えると描写しています。それらはまるで線香の煙と香りを吸収し、人々の群れに運び、天蓋のように人々の上に広げているかのようでした。上空は深い赤紫色に染まります。 (0:36:10)

また、彼女は、それは心地よい香りだったとも付け加えています。パール・ザキによると、雲が通りからやって来て教会の周りに集まるのが時折見られたということです。マイケル・ニルは1978年に、ゼイトゥーンの主任司祭であるブトロス神父にインタビューを行いました。彼は、雷と線香の香りを伴う雲が様々な場面で現れたことを指摘しました。最後に、1980年のインタビューで、目撃者のモナ・マクヘイルはベイリスに、他にも線香の雲を見たことがあると語りました。 (0:36:48)

まず、白い雲のようなものが見え、それが教会全体、教会を取り囲む地域全体を上から覆いました。 私はこれまでに、これほどまでに素晴らしい香りを嗅いだことはありません。 それはとても、とても美しい香りでした。 その雲は10分か15分ほど続き、消えていきました。 つまり、雲はそれほど長くは留まらず、10分から15分ほどで消えていったのです。 (0:37:07)

目撃者たちは、特定の形をとらないが、教会を照らす拡散光のようなものの出現も報告しています。 また、空や教会の周囲に、ある種の光るオーラや燐光のような光が見えたという、もう一つの共通した定性的な描写もありました。 パーマーは、教会の頂上の大きなドームが、時折、天からの光で照らされると報告しています。 (0:37:32)

また、サミュエル司教の説明によると、ある時、小さなドームの1つから下に向かって放たれた光が、徐々に教会全体を光で包み込んだそうです。ミシェル・ニルは、1978年のインタビューで、ラガイ・ルイスから、教会が蛍光灯のような光で照らされているのを見たと言われ、ビクター・ファクリーは、同じ現象をドームの教会の壁に燐光が見えると表現しました。 (0:37:56)

また、目撃者のサミー・グブロンは、教会から発せられ、近隣全体を照らす100万ワットの非常に強い光について説明しました。拡散した光に加え、光は小さな点として現れることもあり、目撃者はそれをきらめきや星として表現しました。また、炎のように見えることもあったと報告されています。主な幻影は、きらめく光にしばしば先行していました。 (0:38:27)

パーマーが指摘したように、観客たちは、その光を、ある時は明るいスポットライトの輪のように、またある時は流れ星のように、さらには聖母の動きに合わせて渦巻く光のダイヤモンドのように描写しています。聖母の姿の上には、すべての光からなる輝かしい冠が見られ、聖母は威厳に満ちた壮麗な姿に見えました。 (0:38:45)


パール・ザキは、5回目の夜、午前4時15分頃、4つの黄色い閃光または炎が教会の前面を覆っているのを目撃したと書いています。 これに続いて、4時30分頃、聖母マリアが全身を現しました。 彼女は別の文章で、再び、大きな炎のような形をした黄色がかったオレンジ色の閃光を目撃し、それは教会の前面全体を覆い、約5秒間続いたと付け加えています。それは2度繰り返され、全部で4度ありました。 (0:39:17)

ヒルダ・グブロンは1978年にミシェル・ニルに、その出現の時には星と鳩が現れたと語り、ゼイモリドは1981年のインタビューで、1968年4月の出現の前にきらめく光を見たことをベイリスに語りました。最後に、聖母マリアと解釈された女性の姿が現れました。人々が目撃したことの多くの目撃証言があり、そのうちの1つをビデオで見つけることができました。マルコス司教が語った内容です。 (0:39:52)

ちょうど教会の裏側、教会の壁の前、たぶん40メートルか50メートル以内の距離で、真夜中頃だったと思います。私はビジョンをはっきりと、とてもはっきりと、完全に見たのです。私は聖母の顔と体全体、そして祝福された人々に向かって手を振っている両手を見ました。そして、誰もが、聖母がまさに彼らに目を向けているのがわかったのです。 マルコス司教が、彼と他の人々が聖母の目を見たことを示していることに注目してください。これはかなり細かい点です。 (0:40:37)

さて、ゼイトゥンの聖マリア教会の司祭の一人であるヨハンナ・ヤッサ神父は、次のように語っています。 数日後、工学部出身の友人ムフタール・フィクリ氏と一緒に立っていると、素晴らしいオレンジ色の光に包まれた聖母マリアを見ました。 私たちは、北東のドームで何度も彼女を見ました。彼女は、さまざまな驚異的な姿で現れました。 (0:41:13)

ある時は、全身で立ち、人々を祝福していました。彼女はドームからドームへと移動し、それから十字架に向かって行きました。 ハーバード大学で博士号を取得した福音派プロテスタント神学者オットー・ミナードゥスは次のように述べています。 4月の初旬に、数千から数万人のイスラム教徒とキリスト教徒が、聖母マリアがドームに現れたのを見ようと、聖母教会の前に集まりました。 (0:41:55)

数日後、多数の人々が、さまざまな宗派のイスラム教徒とキリスト教徒の両方がそこに集まり、さまざまな形で聖母の出現を目撃しました。私自身も、教区の友人たちや大学生たちと一緒に何度も目撃しました。私には疑いの余地はありません。 最後に、医師であるヘイリ・マレク博士の報告を紹介します。 私はあちらのフェンスの近くに立っていて、群衆の圧力に耐えるために、できる限り強くその鉄のフェンスを握っていました。 (0:42:45)

そして、それは夜の8時半頃でした。南西のドームから光が差し込み、その光は徐々に強くなり、突然聖母がドームの前に立たれました。彼女は15分ほどそこに立った後、歩き始め、その十字架の前に立ち、ひざまずき、再び立ち上がりました。そして、教会の北側、ちょうど私が立っていた場所のすぐ上まで歩いて行き、群衆を見つめ、彼らを祝福し、微笑みました。私は、彼女が微笑んだ時に歯が見えたと言ってもいいと思います。 (0:43:42)

ヘイリー博士は、聖母が立ったり、歩いたり、跪いたり、また立ち上がって歩いたりするのを見たと言っています。それは意図的な行動です。また、マリアの歯が見えたとも言っています。これは非常に細かい点です。さまざまな情報源をまとめると、エリック・ウエレットは次のように述べています。「この聖母の出現について明らかなことは、目撃者によって報告された描写や行動がかなり多様であったということです。 (0:44:12)

これらの出現はすべて教会の近くで起こったようですが、必ずしも同じ場所で起こったわけではありません。前述の通り、最初のものはドームの基部近くの屋根で目撃されました。また、木々の間の中庭でも目撃され、別の機会にはドームの上空で目撃されました。 (0:44:27)


幽霊が1か所に留まっていたわけではなかったことは重要です。 幽霊は教会の屋根の上、中庭の地面、そして教会の上空に浮かんでいるのが目撃されました。つまり、どのような説明であれ、この3つの場所すべてを説明できなければなりません。そして、公的機関は、いたずらではないことを証明しようとしました。 (0:44:59)

最初の夜に、光の発生源として考えられる街灯を壊したことを覚えているでしょう。さて... 興味深いことに、数日間の出現の後、公共事業体が、最初はデマを否定するために、そしてその後はよりよく見えるようにするために、その地域の電力を切断しました。 (0:45:16)

また、3日目の夜には周囲の木々が伐採され、人々がよりよく見えるようにされました。最も一般的な色は青と白でしたが、緑やピンクを指摘する人もおり、また赤っぽい光を見た人もいました。聖母マリアへの信仰と関連付けられる伝統的な色は青と白ですが、古い図像や東方の図像では赤も一般的です。これらは、この幻影の性質を定義する上で重要な要素です。 (0:45:40)

複数の目撃者は、その出現は、まるでランプの調光器をゆっくりと下げていくように消えていったと強調しました。一方で、空に浮かび上がってから消えていくという状況もありました。ある時は、風が吹いていて、その風で聖母のベールが動いているように見えましたが、別の時には平らで二次元的にしか見えなかったという状況もありました。 (0:46:03)

時にはその幻影は静止しており、彫像のようだと描写されましたが、多くの場合、足を使わずに浮いているかのように動いているように見えました。特に頭と手を使ってジェスチャーをしていました。これらのジェスチャーは、聖母マリアが人々を祝福しているものとして、目撃者たちに共通して理解されていました。多くの人が、顔、目、口を識別でき、宗教的なイコンに見られる表現に似ていると主張しました。 (0:46:28)

しかし、他の人々は光があったと証言していますが、特に何かを識別することはできませんでした。予想通り、目撃者の証言には多少の相違があるのが普通ですが、概して比較的整合性があります。このことは、この出来事が共通かつ継続的な源から生じているという確信をある程度高めるものです。以上が、複数の情報源から収集した、目撃者がこの出現の間に経験したことの一般的な要約です。 (0:46:57)

アメリカ人類学教授のシンシア・ネルソンは、最初の聖体出現から約2週間後の4月中旬に聖体出現の事実を知り、その後数回にわたってこの出来事に立ち会いました。彼女は目にしたものを次のように説明しています。 人々が指さす方を見ると、私も木々の枝の間から光が見えると思いました。 (0:47:17)

そして、その枝に修道女のような姿を想像してみると、その姿の輪郭をたどることができました。しかし、これは枝に反射した光の錯覚に過ぎないと思い、修道女の姿が視界から消えてしまいました。それでも、光があることは疑いようがなく、その姿を探せば焦点が合うだろうと思いました。 (0:47:32)

私はすぐに、この知覚体験を反射光による錯覚だと説明しました。 (0:47:38)


しかし、光の源は謎でした。なぜなら、数日前から教会周辺の街灯はすべて消され、さらに1週間も経たないうちに、教会周辺の木々はすべて伐採されることになっていたからです。 もちろん、このようなことが起こっているので、幻影は大きなニュースとなりました。特にエジプトでは、新聞や雑誌など、アラブ語の報道機関で広く報道されました。ニューヨーク・タイムズや英国のテレグラフ紙など、世界中の新聞でも報道されました。地元では、幻影を見るために集まる人々の数は増え続け、1回の幻影を見るために集まった人の数は、推定で25万人に達したと報告されています。 (0:48:20)

そのうちのいくつかの出現はほんの数分間でしたが、あるものは2時間15分間続いたと報告されています。それは、たまたまその日が近隣の電力供給が停止された日だったのです。 ヨハンナ神父は報告します。 ある人々は、これは光の反射によるものかもしれないと述べています。 そのため、1968年4月30日の夜明けに、その地域一帯の電気を遮断しました。 その日、幻影は2時間15分間続きました。 (0:48:56)

それ以前にも、キリロス6世教皇は、その出現が報告され始めた直後に、その出現を調査する委員会を迅速に任命しました。これはカトリック教会でなされることと同じです。出現が報告され、調査が必要な場合、地元の司教がその任務を負い、通常は専門家委員会を任命して調査させ、その結果を司教に報告させます。その後、司教はその調査に基づいて決定を下します。 (0:49:26)

私たちは、第84話で私的な啓示について話しました。カトリック教会における私的な啓示の仕組みについて、より詳しい情報をご希望の場合は、そのエピソードを聞き直してください。教皇キリロスは、コプト教会でヘグメンとして知られる3人の大司祭を任命しました。そして、ヘグーメンという言葉はギリシャ語の「総督」という言葉と関連しており、他の司祭を監督する職務を意味します。 この3人は、教皇の執務室の室長、教会問題に関する教皇委員会の書記、そしてキリロス教皇の書記を務めていました。 彼らは非常に信頼され、尊敬されていた人物でした。 彼らは肯定的な調査結果を持って戻ってきました。 後ほど引用します。 (0:50:11)

そして1968年5月4日(土)、総主教庁は150人以上の記者たちが出席した記者会見を開きました。記者会見の監督役は、ベニスエフのアタナシウス司教、ファイユームのアブラハム司教、社会事業総司教のサミュエル司教、科学調査・コプト文化担当司教のグレゴリウス司教の4人の司教が務めました。アタナシウス司教は、総主教庁の声明文を読み、翻訳しました。その全文をここに掲載します。コプト暦の日付も記載されています。 (0:50:52)

西暦1684年4月2日火曜日の夕方、バラーム・ハット24に一致する時刻から、光の母である聖母マリアの幻影が、カイロのゼイトゥーン地区トマンベ通りの教会で継続的に発生しました。この幻影は多くの夜に発生し、未だに終わっていません。 (0:51:16)

それはさまざまな形で現れました。時には全身で、時には光の輪に囲まれた上半身で、時には教会のドームの窓から、また時にはドームの外から現れました。聖母はドームの上を移動し、歩いたり、明るい光で照らされた上部の十字架の前で頭を下げたりしました。彼女はしばしば観衆の方を向き、両手と聖なる頭のジェスチャーで彼らを祝福しました。 (0:51:37)

時には、明るい雲の体や、高速で飛ぶ鳩などの霊的な形が現れる前に現れる光の形として現れた。この幻影は長い時間続き、時には2時間15分に達した。西暦1684年4月30日火曜日の夜明けのように、1968年4月30日火曜日の夜明けのように、バラーム・ハット22と一致した。彼女の 光り輝く姿は午前2時45分から午前5時まで続きました。この出現は、異なる宗教、信仰、宗派に属する何千人もの人々、外国人、聖職者、科学者、専門家、その他のグループによって目撃され、彼らは確かに彼女を見たことを断言しました。 (0:52:24)

多数の人々が、その姿、場所、時間など、すべての場面について、満場一致の証言で一致した。このため、この地域における聖母マリアの出現は、その性格において独特なものであり、説明や確認の必要性を超えたものとなっている。この出現には、2つの重要な事柄が伴っていた。 (0:52:48)

1つ目は、神、あの世、聖人に対する信仰の精神を復活させ、神から遠く離れていた多くの人々に神の知識の光を照らしたことでした。これにより、多くの人々が悔い改め、生活を改めることになりました。2つ目は、いくつかの素晴らしい治癒の奇跡が起こったことで、その多くは科学的に証明され、また多くの証言によっても証明されました。 (0:53:11)

教皇庁は、真実を調査した司祭団や委員会のメンバーが、これらの奇跡を自ら目撃し、教皇キリロス6世への報告書で証明した。この声明を発表するにあたり、教皇庁は、全幅の信頼と大きな喜び、そして全能の神への謙虚な感謝の念をもって、光の母である聖母マリアが、異なる夜に、異なる期間、時には2時間以上も途切れることなく、明確かつ一貫した形で次々と現れたことを確信しています。 (0:53:48)

西暦1684年バラムハット22日に当たる1968年4月2日火曜日の夜から、カイロのゼイトゥーン地区トバン・ベイ通りとアル・マタラヤ通りの聖母マリアコプト正教会で始まった。これは、聖家族がエジプトを旅した際に通ったことが歴史的に証明されている道である。神がこの祝福を世界の平和の象徴とし、私たちの愛する祖国と祝福された人々、預言が述べたように「エジプトよ、我が民よ、祝福あれ」に繁栄をもたらしますように。 (0:54:22)

西暦1968年5月4日土曜日、バラバダ26、午前1684分、カイロの教皇本部。4月2日から5月4日にかけて起こった聖母出現は、コプト総主教庁によって公式に承認されました。さて、カトリック教会の反応がどうだったのか、気になるところでしょう。聖母出現は、コプト教の教会で起こったので、カトリック教会が公式に声明を発表する場ではありませんでした。 (0:54:47)

しかし、コプト・カトリック教会の地元のトップであるステファノス1世枢機卿は非公式の調査を行いました。そして、この調査に基づいて、コプト総主教庁の見解に同意しました。ステファノス枢機卿は次のように述べています。「これは疑いなく、誠実で信頼のおける多くのコプト・カトリック教徒によって確認された本物の出現です。彼らは聖母の出現を目撃し、ゼイトゥーン教会のドームに現れた聖なる出現の詳細と描写を私にすべて話してくれました。正確さと厳密さでよく知られているローマ・カトリックの修道女ポーラ・デ・マファロは、ゼイトゥーン教会のドームに聖母が出現したことの確実性を私に保証しました。ポーラ修道女は震えながら、 (0:55:34)

彼女は、自分だけが目撃したのではなく、何千人もの目撃者のうちの一人であり、その全員が聖母の出現を目撃したと語っています。この類まれな奇跡は、慈愛に満ちたメッセージを体現しており、ゼイトゥーン教会を巡礼の中心地とするでしょう。もちろん、この聖母の出現はコプト教の教区で起こったことなので、公式な裁定ではありませんが、ステファノス枢機卿の個人的な見解を反映したものでした。フランシス・ジョンストンは著書『ゼイトゥーン、1968年~1971年』の中で次のように記しています。予想通り、ローマからのビジョンに関する公式発表はありませんでしたが、パウロ6世はゼイトゥーンに2人の調査員を派遣し、彼ら自身の目でビジョンを目撃させました。 (0:56:17)

1968年5月6日付のアル・アラム紙によると、コプト正教の環境で起こった出来事について判断を下す義務は、聖座にはないということでした。同様に、コプト教徒は1917年にファティマで聖母が出現したことについて判断を下す必要はないと感じていました。著者に宛てた手紙の中で、ジェローム・パーマー神父は、コプト正教会との団結が達成された後、ローマがビジョンについて独自の調査を行う可能性があると説明しました。 (0:56:46)

少なくとも最初の月の間、この聖母出現は、コプト総主教庁によって承認され、カトリック総主教庁も非公式に同意しました。この聖母出現は、1968年の残りの期間はかなりの頻度で、1969年と1971年にはやや頻度が下がって続きました。言うまでもなく、この出来事が注目を集めたため、多くの人々がゼイトゥーンに移住し、最終的には大勢のキリスト教徒がそこに住み、ミサに参加したいと望むようになったため、彼らを受け入れるために新しい大聖堂を建設する必要がありました。 (0:57:22)

新しい大聖堂は巨大です。教会の隣にあるので、とても目立ちます。エジプトのガマール・ナセル大統領は、大聖堂を建てるために、公共バスの車庫を取り壊す許可を出したと言われています。そして、エジプトのキリスト教徒たちは今日に至るまで、ゼイトゥーンの聖母を敬い続けています。 (0:57:41)


それでは次に、理論と信仰と理性の観点についてお話します。 その前に、この番組を可能にしてくださっているパトロンの方々に感謝の意を表したいと思います。スコット・S、ダニエル・H、モーガン・N、ジェイコブ・K、リチャード・Dなどの方々の寛大な寄付が、sqpn.com slash giveで受け付けており、この寄付金によってジミー・エイキンズのミステリアス・ワールドとスタークエストのすべての番組を継続することが可能となっています。sqpn.com slash giveにアクセスして、彼らに協力することができます。 (0:58:14)

ジミー・エイキンのミステリアス・ワールドは、カトリック教徒のためのティム・シェブリンのパーソナル・フィットネス・トレーニングによって提供されています。この番組では、精神と肉体の健康プログラムと毎日の自己管理チェックを提供しています。神の王国をさらに広げるために、自分自身を強くしましょう。正しい理由と正しい考え方で運動しましょう。詳細は fitcatholics.com をご覧ください。 また、米国全土の顧客に安全な資金オプションを提供し、顧客に適正な収益率を実現しているカトリック系の企業、グレディ・グループもご紹介しましょう。 (0:58:50)

詳細は gradygroupinc.com をご覧ください。 ジミー、ザイトゥーンの聖母に関する説にはどのようなものがあるのでしょうか? その出現を調査するには、その原因となり得る3つのタイプの理論を考慮する必要があります。まず、自然主義的な理論、つまり、純粋に慣習的な説明が可能なものがあります。次に、超常的な説明、つまり、慣習的ではないが、聖母マリアの真の顕現ではないものがあります。そして最後に、超自然的説明、つまり、聖母マリアの真の顕現であるものがあります。 (0:59:28)

さまざまな説を理性の観点から分析する前に、まず、我々が扱う証拠についてお話しましょう。ザイトゥーンの写真が数多くあります。それらをどう解釈すべきでしょうか? 残念ながら、私はそれらの写真に大きな価値を置くことはできないと思います。 誰が撮影したのかわからない写真もあります。つまり、偽物である可能性があるということです。 (0:59:53)

売り子が観客に写真を売っていたことが分かっていますが、売り子が儲けのために写真を偽造するとは考えられません。 また、撮影者が分かっている写真もありますが、残念ながら、それらの写真はレタッチされており、特に画像のエッジが強調されています。 発光する物体をよりはっきりと見えるように、空を暗くするために黒く塗りつぶすことがよくあります。 (1:00:18)

そのため、写真ではその形が鋭いエッジで表現されているのです。場合によっては、聖母マリアの姿をより鮮明にするために、その姿にスケッチを施すレタッチも行われました。例えば、ラビブ・シェヌーダ博士がこのようなレタッチを施した画像が1枚知られています。博士は、その幻影を目にした記憶を頼りに、その上にスケッチを加えました。 (1:00:44)

幸いにも、このケースでは、元のレタッチされていない画像も残っており、かなりぼやけています。いずれにしても、これらの要因の結果として、これらの写真の詳細をあまり重視することはできないと思います。しかし、出所が明らかな写真については、レタッチされていたとしても、目撃者の証言と併せて、教会で実際に光の現象が起こっていたことを明らかにしています。他にどのような証拠があるのでしょうか?もちろん、多数の目撃証言があります。その一部はすでに紹介しましたが、これから引用していくものもあります。 (1:01:22)

私は特に、可能な限り公式文書を引用するのが好きです。そのうちのひとつは、コリルス教皇の司教団委員会によって作成されたものです。それは、イスラム教徒である公共交通機関の労働者の経験と、彼ら自身の経験、つまり司教団が現場を訪問した際の経験の両方を取り扱った要約書でした。この手紙は、私が資料を読んだ限りでは一般には公開されていませんが、コプト総主教庁が聖母出現50周年を記念して出版した本には掲載されており、彼らが収集した証拠の一部をまとめた公式文書です。そこで、ここで全文を読みます。 (1:02:01)

アレクサンドリアの教皇にして聖マルコの海の総主教であらせられる、教皇コリルス6世の神聖なる御前へ。私たちは、あなたの使徒的座に服従し、あなたの清らかな御手に口づけし、あなたの正しい祈りを求めます。 (1:02:14)


敬愛する教皇様、私どもヘグーメン・フリゲル・ギルギス・マタ、ヘグーメン・フリゲル・ヨハンナ・アブデルマッシ、ヘグーメン・フリゲル・ベンジャミン・キャメルは、ゼイトゥーン地区にある聖母マリア教会における聖母マリアの出現に関するこの報告書を提出できることを光栄に思います。 教皇閣下が、ゼイトゥーンの聖母マリア教会を訪問する使徒として私たちを選ばれたことを嬉しく思います。 私たちは1968年4月23日火曜日に訪問しました。最初に到着した際には、聖母マリアの出現を目撃した人々にインタビューをしたいと思いました。私たちは教会の向かいにあるガレージに入りましたが、時刻は夜の9時でした。そこで、公共輸送局が所有するガレージの作業員たちに連絡をしました。彼らは、4週間前に聖母マリアが初めて目撃された夜に、自分自身で目撃したと断言しました。 (1:03:05)

彼らは口を揃えて、聖母を目撃したのは自分だけではないと述べ、同じ時間に他の同僚たちも目撃したほか、偶然にも大勢の人々も目撃したと語りました。彼らはその瞬間、その場所を通りかかったのです。以上が、公共交通機関の車庫で働く労働者たちの証言の要約です。1. 公共交通機関の運転手指導員マフムード・アフィフィー氏(彼の国民ID番号は9937、エル・サエディ県)は、次のように証言した。「1968年4月2日火曜日の午前8時30分、私はまだ車庫で起きており、教会の方を向いていました。その時、入口に立っていた駐車監視員が大声で叫ぶのが聞こえました。『ドームの上に光が!』 そこで私は急いで外に出て、自分の目で、ドームの上を移動しながら、その周辺を照らす異常な光を放つ女性を目撃しました。 (1:04:01)

そこで私は目を凝らして彼女を見つめました。すると、彼女は聖母であることが分かりました。そして、私は彼女が滑らかなドームを歩き、その体は光の炎であるのを見ました。そして、彼女は落ち着いて歩いていました。私は思わず叫び声を上げました。神は、全世界の女性の中からあなたを選び、清められたのです。 2. 公共交通局の車庫で働くアブデル・アジズという名の警備員も、聖母を見た瞬間、ドームの上に光の体が見えたと言いました。 (1:04:42)

彼は叫び始めました。「ドームの上に光が!」そして私はフセイン・アワドを呼びました。彼は他の作業員たちと一緒に急いで駆けつけ、聖母がドームの上を移動するのを見ました。私は言いました。「彼らは今年、エルサレムの聖母を訪問することが禁じられていたので、聖母が自ら彼らのもとへ訪れたのです。」公共交通局の車庫で鍛冶屋を営むフセイン・アワド氏(国民ID番号33289、アルギザ県)は次のようにコメントしました。「私は、教会のドームの上に輝く光の体として聖母を見ました。それは太陽のようにその場所を照らしていました。 (1:05:15)

聖母はオリーブの枝のようなものを持っており、動き始めました。光は聖母の体から周囲一帯に広がりました。光は聖母を中心に円を描き始めました。このような光景は見たことがありません。 (1:05:28)


公共交通局の修理工場の作業員であるヤクト・アリ氏は、聖母がドーム上を歩かれた様子を説明しました。彼は次のように述べました。「それは、流れるような、明るく照らされた身体が空間を漂っているようでした。彼女の足がドームの表面に触れたとたん、彼女は静かに動き始めました。彼女の周りには、畏敬と神聖さの光輪が取り巻いていました。 (1:05:53)

彼女を見た人々は畏敬の念を抱き、その素晴らしい光景に見とれていました。この光景がドーム内に消えるまで。教皇閣下、これは総合運輸会社(General Transportation Company)の従業員たちの証言です。私たちは自分自身で確かめたかったので、何度も出かけました。ある夜、私たちは聖母がまず球状の天体光とともに現れるのを目撃しました。 (1:06:16)

その後、彼女は全身を現し、ドームの上を移動し、十字架に向かってひれ伏し、祈りを捧げながら歓声を上げる喜びの群衆を祝福しました。別の夜には、ドームから空に向かって飛んでいく、明るい銀色に輝く鳩を見ました。私たちは、この世に生きる私たちに天上の栄光を見せてくださった神を称えました。 (1:06:38)

これらはすべて、神聖なるあなたの民に対するあなたの純粋な祈りと力強い嘆願によるものです。私たちは神に、あなたの生涯を教会の財産として、そして誇りとして永続させ、あなたの手によって正教の信仰を一つにまとめるようお願いいたします。あなたの使徒の座への服従を受け入れてください。そして、神が私たちと教会の人々のために、あなたの大司祭職を永続させてくださいますように。 1968年4月30日 A.D. バルバドス 22日 午前1684分 司教たちは、公共交通機関の労働者たちの証言を確認しました。 (1:07:12)

彼らは当初、目撃した女性は自殺しようとしている普通の人かもしれないと考えていましたが、結局、それは聖母マリアであったと結論づけました。司教たちも自ら現場を訪れ、その目で聖母を見たことを報告しています。 理性にかなった観点から、ゼイトゥーンの聖母について何を言えるでしょうか? その出現現象について、どのような自然主義的な説明があるでしょうか? 検討すべき主な理論は、偽物説と誤認説の2つです。 (1:07:41)

つまり、誰かが巧妙な偽りをでっちあげた可能性があるのか、あるいは、純粋に自然現象を無邪気に誤認した可能性があるのかということです。 偽りの説についてお話しましょう。 もしこれが偽りだというのであれば、何を根拠にそう言えるのでしょうか? 19世紀には、今日で言うところの物理的な霊媒が数多く存在しましたが、その多くが偽りの存在であったことが知られています。 (1:08:07)

物理的な現象、例えば物体が動いたり、楽器が演奏されたり、光る物体が現れたりすることで、幽霊の存在を明らかにすると主張するのです。物理的な現象を扱う霊媒については、エピソード200の「ゴースト・ブライド」でも少し触れました。こうした霊媒の多くは、英国心霊研究協会や米国心霊研究協会によって正体が暴かれ、彼らが手品師のトリックを使っていることが判明しました。 (1:08:38)

彼らは、自分たちのしていることが見えにくくなるように、暗闇の中でパフォーマンスを行いました。事実、降霊会や心霊探索を暗闇で行うという発想は、そこから生まれたのです。本物の超心理学者は暗闇の中で作業をしたがりません。なぜなら、暗闇では物を見る能力が低下するからです。また、物理的な媒体は、しばしば15番元素やリンを含む化学物質を使用して、物体を光らせるふりをしました。なぜなら、白リンは大気中の酸素と接触すると光るからです。 (1:09:13)

そこで考えられる仮説のひとつは、リンや他の化学物質を使って、女性が光っているように見せたり、鳩が光っているように見せたり、他の光の現象を作り出すという手の込んだ偽装工作が誰かによって行われた可能性です。同様に人々が目撃したと報告した星やきらめきは、花火や煙火によって引き起こされた可能性もあります。また、人々が目撃したと報告した雲や線香も、従来の方法によって引き起こされた可能性もあります。 (1:09:40)

つまり、人々が目撃したと報告したものの多くは、自然な化学的現象によって生み出された可能性があるということだ。では、反対意見の側面を見てみよう。デマであることを裏付ける要因はあるのだろうか?私が考えつくありとあらゆる反対意見を挙げるつもりはないが、以下にいくつか挙げてみよう。 (1:10:05)

まず、このようなデマを流すには、加害者は教区内の人間でなければなりません。多くの現象は教会の屋根から発生しているので、屋根に登る手段が必要です。しかし、最初の幻影が現れた際に司祭は自宅にいたため、呼び出さなければならなかったことから、司祭が関与していたようには見えません。 (1:10:23)

教区の他の人々だった可能性もありますが、ドームの窓は密閉されていて開かないので、そこから外に出ることも、鳥を逃がすこともできません。また、ドームは数十フィート上空にあり、足場なしで登る方法はありません。屋根に登る方法はあると思いますが、それでは人々が目撃したと報告したすべてを説明できません。 (1:10:50)

そもそも、彼らが目撃したと報告している光は、化学発光で得られるものよりもはるかに明るいのです。化学発光は柔らかい光を放つ傾向がありますが、人々は時折明るい光を目撃したと報告しています。そのような光を出すには、隠しきれないような電気機器が必要でしょう。 (1:11:09)


人々は教会から、あるいは教会に向かって照らされるスポットライトを目撃した。 スポットライトは空中の霞を切り裂いて、その存在を明らかにした。 また、教会の屋根から下の庭に女性の姿が降りてきたという目撃証言もあり、屋根から飛び降りた女性のように急降下するのではなく、浮遊しながら降りてきたと報告されている。 (1:11:38)

さらに、彼女が空中に浮かび上がるという目撃情報もありましたが、ジェットパックでもなければ、1968年にはそんなものはなかったし、ウィンチでもなければ、それが見られたはずなので、人間にはそんなことは不可能です。それから、ハトが普通より大きかったというだけでなく、羽ばたかずに飛んだと多数の目撃者が証言している。 (1:12:03)

また、人々は、ハトと女性が消えるのを見たことがあると言っていますが、もし彼女たちが光る化学物質をまとっていたとしたら、そのようなことは起こりません。 化学物質をまとっていたとしたら、突然ではなく、長い時間をかけて徐々に消えていくはずです。 また、人々は、女性は明るすぎて、その形を常に確認することはできなかったと報告しています。 (1:12:31)

シンシア・ネルソンの証言を思い出してください。彼女は、考えれば女性の輪郭が見えるが、自分に「これは錯覚だ」と言い聞かせると、女性の輪郭が分からなくなると証言しました。 もし女性が単に発光する化学物質を塗られただけだとか、あるいは非常に明るいライトを当てられただけだとしたら、このようなことが起こるとは考えられません。 さらに、この幻影は3年以上続きました。 (1:12:54)

90回以上もあったのに、偽者たちを捕まえた者は誰もいませんでした。それはとてもありそうもないことです。もし私が幽霊の偽者をするなら、一度か、せいぜい数回でしょう。しかし、90回以上も、時には何千もの人々の目がある中でやるなんて、私はやりません。捕まるリスクが高すぎます。 しかし、偽者たちが捕まったことは一度もありません。 (1:13:25)

スモークマシンが見つかったこともありません。スポットライトが見つかったこともありません。薬品を混入したハトが見つかったこともありません。中には近くに着地したハトもいたはずです。 そして、発光する化学物質の供給源も見つかっていません。 起こったことのすべてが複雑かつ大規模であったことを考えると、偽情報説には重大な証拠があります。 誤認説にも反する理由がありますが、それはまた後ほどお話しします。 それでは、誤認説についてお話ししましょう。 (1:13:56)

この説を支持するものは何でしょうか? 人間の心理で知られている現象に「パレイドリア」があります。これは、漠然とした刺激に対して意味のあるパターンを付与する傾向です。 そして、これは宗教的なイメージに関連して起こることが知られています。1994年にダイアン・ダイサーという女性がグリルドチーズサンドイッチを作っていたとき、トーストの炭の模様が聖母マリアの顔のように見えたのです。このニュースは世界中で話題となり、そのサンドイッチは最終的に2万8000ドルで落札されました。これは、政府が引き起こしたインフレをすべて考慮すると、現在の価値では5万6000ドルに相当します。 (1:14:39)

ザイトゥーンのケースでは、目、鼻、歯など、聖母マリアの特徴をはっきりと見ることができたという証人がいます。しかし、シンシア・ネルソン氏のように、聖母マリアの画像を正しい方法で見ると、聖母マリアの輪郭が見えるが、別の方法で見ると人間の輪郭が消えると証言する人もいます。 (1:15:03)

それは、超心理学や宗教の世界における他の出現の事例でも報告されています。 (1:15:09)


超心理学的な出現では、ある人々は幽霊をはっきりと見ており、生きた人間と間違えることさえあります。一方で、その場にいた他の目撃者は何かを見ていますが、はっきりと見てはいません。同様に、聖書の中にも、ヨハネによる福音書第12章で神がイエスに語りかける場面のように、一部の人々がはっきりと何かを見たり聞いたりする現象があります。また、使徒行伝第9章でイエスが聖パウロを改宗させる場面では、聖パウロはイエスの言葉をはっきりと聞きますが、一緒にいた男たちはその声が何を言っているのか理解できませんでした。 (1:15:53)

したがって、ある人々にははっきりと知覚されるが、その場に居合わせた他の人々にははっきりと知覚されないという現象は、幻影においては珍しいことではありません。しかし、調査段階の一部として、このケースにパレイドリアが関与している可能性があるかどうかを依然として検討する必要があります。人々が聖母マリアのイメージを思い浮かべたときに、チーズサンドイッチの例のように、精神的に投影した光源があった可能性はありますか? それによって、純粋に自然現象であった可能性もありますか? それには、人々が聖母マリアや鳩などと見なす光源が存在する必要があります。 (1:16:30)

自然光で説明できるものはあるのでしょうか?地上の人々が一般的なものを排除してくれたおかげで、私たちは非常に助かりました。 最初の夜に、警察署長が光は近くの街灯から来ているかもしれないと考え、街灯を壊したので、街灯が原因である可能性はなくなりました。 (1:16:53)

それから数日後、近隣の他の電気照明を排除するために、その地域の電源を落としました。もし私がその近所に住んでいたら、本当に困ったことになったでしょう。しかし超常現象の調査員として言えば、よくやった、素晴らしい消去法だ、という感じです。また、人々が光の現象を遮るものなく見られるように木々を伐採したことで、遠くからの反射光を排除し、はっきりと現象を見られるようになりました。 (1:17:24)

もちろん、誰かが発電機やバッテリー式のスポットライトを現場に持ち込むことも可能だったでしょうが、スポットライトは観衆や空気中の霞、そして特に近代的な排出削減技術や自動車が普及する前の1960年代のカイロでは、霞がかなり発生しやすい都市であることから、霞に隠れてしまう可能性がありました。空気中の煙霧により、90回以上の公演のうち少なくとも何回かの夜には、ビームが目に見える状態になっていたでしょう。特に、お香のような香りのする雲が立ち込めていた夜には。 (1:18:01)

つまり、一般的に考えられる自然光の光源は除外されるということですね。 これまでに提案された、型破りな自然光の光源はありますか? ひとつあります。 地震光です。 地震光は、地震に関連して空中に現れる光だと報告されています。 応力のかかった特定の岩石が電荷を発生させることは知られています。 その理論によると、これらの岩石が地殻変動による応力、つまり地震による応力を受けている場合、地表に光が現れる可能性があるということです。 (1:18:40)

そして1989年、ジョン・デールとマイケル・パーシンガーは、ゼイトゥーンで目撃された光は地殻の歪みによって引き起こされた部分もあるという論文を発表しました。 (1:18:46)


彼らは記事の中で、ゼイトゥーンの南東400キロメートル(250マイル)の地点で発生した地震活動と、その幻影の出現との関連性を発見したと主張しました。その関連性は完璧なものではありませんでしたが、彼らは、この活動が、他の未知の要因とともに、光の現象の少なくとも一部の原因であると提案しました。この説について、あなたはどう思いますか? 地震光は議論の的となっており、誰もがそれを本物だと信じているわけでも、このような状況で起こるだろうと確信しているわけでもありません。 また、デールもパーシンガーも地質学者ではなかったという指摘もあります。 (1:19:27)

彼らは心理学の専門家であり、心理学の専門誌に論文を発表しています。 この説について、Skeptoidポッドキャストの懐疑論者ブライアン・ダニング氏は次のように述べています。 ゼイトゥーンの光については、このテーマに関する懐疑的な記事のほとんどすべてで言及されている、科学的な響きのある説明が1つあります。地震による光です。聖母ゼイトゥーンの説明として地震光の説の妥当性または非妥当性を理解するには、私の地震光に関するSkeptoidの全エピソード(第534回)を聞くだけで十分です。そのエピソードでは、地震光が広く信じられているにもかかわらず、その存在を示す証拠も、そのようなものが存在する可能性を示唆する説得力のある理論も存在しないことが分かります。 (1:20:20)

例外なく、いわゆる地震光がビデオに捉えられた原因が特定された場合、それは、地震とは無関係の遠くの嵐による稲妻、地震に直接関係する変圧器の爆発、あるいは、そもそも地震光と呼ぶべきではない太陽に照らされた雲のいずれかであった。 (1:20:41)

存在する根拠のない神秘的な現象について、奇抜な説明を求める必要などない。 しかし、それらをゼイトゥーンの聖母の説明に用いることは、さらに不条理なレベルにまで高めている。 最初の著者であるデールとパーシンガーは、彼女の出現と南東400キロメートルの地震活動を関連付けた。 (1:21:07)

彼らは、これらの地震が、空に大きな閃光として、あるいは地面に火花として現れるのではなく、3年間にわたって夜間に400キロ北西にある特定の教会の屋上に静止したりゆっくりと歩いたりする、完全に形成された認識可能な人間の姿として現れたと示唆していた。 (1:21:34)

同じ期間に、この半径400キロの地域で、このような目撃情報はまったく報告されていません。なぜでしょうか?それは、ひどく、ひどく説明不足で、間違っているからです。残念ながら、ダニング氏は、その光が何であったのかについての説明を持っていません。 彼は、それらが存在したこと、ゼイトゥーンで本当に奇妙な光の現象があったことを認めているが、筋金入りの懐疑論者として、その幻影を聖母マリアとして願望的に誤認したものと見なしている。彼は、それが非自然的な起源である可能性を認めることができないか、認めるつもりがないようだが、その光が何であったのかについては説明できない。 (1:22:12)

彼は、地震の光も奇跡も教皇の宣言も必要ない、と述べています。私たちが必要としているのは、何らかの未知の、取るに足らない、ありとあらゆる光の源によって引き起こされた、情熱的な人々の偉大な集合的願望と信念だけなのです。 (1:22:34)


ダニングは説得力のある説明をしようとしているが、あり得たことは何でもあり得るという説明は私には納得できない。ダニングは非自然的なものを認めない自然主義的な考え方に縛られており、それは開かれた考え方ではない。しかし、地震光説は良い説明ではないという彼の意見には同意する。私は、地震光が存在する可能性があるという問題にはよりオープンだ。 (1:23:09)

私はまだその問題について深く研究したことはありませんが、将来の番組で取り上げるかもしれません。しかし、250マイル離れた場所で起きた地震や地殻変動が、他の光現象が他の場所で報告されていないにもかかわらず、3年間にわたって特定の教会で人型の光が目撃される原因となったとは、とても考えにくいと思います。それは非常にありそうもないことです。 (1:23:40)

ですから、意見の相違はありますが、私は、ゼイトゥーンの地震光の説明は、非常に憶測に満ちたものであり、可能性は極めて低いというダニング氏の見解に同意します。 あなたは、デマ説と誤認説の両方を扱う議論を、今は保留していると言いましたね。それは何ですか? 奇跡です。もし幻影が偽物であったり、自然現象の誤認であったりするなら、奇跡的な癒しが起こることはないでしょう。 (1:24:10)

最初の夜に聖母マリアを指さした交通労働者ファルーク・ムハンマド・アトワは、壊疽した指を翌日に切断する予定になっていたことを覚えているでしょう。しかし、彼が病院に行くと、その指は健康な状態で見つかり、切断せずに済んだのです。まあ、聖母の出現に関連した医学的に説明のつかない治癒は、これだけではありません。 (1:24:35)

例えば、コプト教会総主教庁が出版した50周年記念誌を1つだけ例に挙げると、そこには複数の奇跡の報告が掲載されています。これはそのうちの1つです。アレクサンドリア大学商学部卒業のリヤド・ナギーブ・エゼル氏は次のように語っています。「私は右目の網膜静脈の破裂により網膜剥離になりました。21日間、内出血が続き、その後、網膜の前に血の塊ができました。 (1:25:06)

眼科医のグループは、エジプト国内でも海外でも治療法はないと発表しました。私はショックを受けましたが、特に、聖母マリアが自身の名を冠したゼイトゥーン教会で数百万人に聖母マリアの幻影を見せたという『Watani』紙の記事を読んで、神の慈悲を信じるようになりました。復活祭の4月21日(日)の朝、私は母と友人フィクリ・エル・セイード・エル・シャワウィと共にカイロに向かいました。私たちは一緒に教会に行き、祈りを捧げ、私のために他の人にも祈ってもらいました。 (1:25:41)

私はそこで夜を過ごしましたが、聖母は現れず、翌日の復活祭の月曜日の夕方、突然聖母が現れ、群衆は歓喜の声を上げ始めました。 私は知らず知らずのうちに左手で左目を覆い、空を見上げて叫びました。「もし医学が効かないなら、主は効かないはずがない」と。 (1:25:59)

すると、私の人生で最大の驚きが起こりました。 聖母マリアが、私が知っている通りの姿で現れ、私がこれまでに見たこともないほど明るい光を放ち、白い鳩が彼女の周りを飛び回っているのが見えました。 私は、このすべてを盲目の右目で見たのです。 そして、彼女は消えました。 それから私は、母と友人フィクリを見つめて、「右目で見える」と叫びました。 (1:26:25)

人々が私の周りに集まり始め、彼らは私を肩車してくれましたが、私は叫び続けました。「私は癒された!奇跡が起こった!」マルコス司教は、彼が目撃した癒しについて報告しています。私たちは、非常に体が不自由な男性がいました。彼の両手は麻痺しており、背中が曲がっていて、ほとんど話すこともできませんでした。夕方の7時頃、私は彼が両手、そして指を動かし始め、それから体の残りの部分を動かし始めたのを見ました。 (1:26:50)

間もなく杖を手から放り投げ、神に感謝して教会の周りを走り回りました。そして、後に司教のもとを訪れたイスラム教徒の女性に起こった出来事を司教が報告します。 (1:27:03)


彼女は手に杖を持ってこう言いました。「私はもう杖を必要としませんが、この杖を持って来たのは、私が麻痺してこの杖に頼っていたことをあなた方に納得していただくためです。そして、ヨハナ神父も同様に報告しています。 聖母出現から3か月後、他の使用人と私は、教会の北側の庭に立っているときに奇跡を目撃しました。

私たちは、目も見えず、体が麻痺した女性が車椅子に乗って教会に入ってくるのを目撃しました。 彼女は、夜に聖母マリアが現れて「ザイトゥーンの私の教会を訪ねなさい。そうすれば、あなたは癒やされるでしょう」と言われたという約束に従って教会に来たのです。 その女性が教会に足を踏み入れたとき、北東のドームから強い光が放たれました。 (1:28:16)

私たちは、彼女が車椅子を喜びと賛美の波の中に残して立ち上がり、教会に向かって歩いているのを見ました。 これらは数多くある奇跡の報告のほんの一部であり、癒しを報告したのは病人だけではありませんでした。病人を診察した医師たちも奇跡を認めています。医師の中には懐疑的な人もいました。 (1:28:43)

例えば、シンシア・ネルソンは次のように報告しています。「その幻影が理解できない人々もいます。その人々にとっては、その幻影の正当性を認めることは、彼らが当然のこととして受け入れている世界を脅かすことになるのです。」著名なカイロプラクティック医は、次のような物語でこの実存的ジレンマを表現しました。「2年前に私が手術したがん患者が、3週間前に診察のために私のオフィスに戻ってきました。 (1:29:07)

診察したところ、その男性には別の腫瘍があることが判明しました。実際に内診で腫瘍を感じ、生体検査のために組織の一部を採取しました。検査の結果悪性であることが判明したため、私はすぐに手術することを勧めましたが、その男性は「十分なお金がない」と言って拒否し、その場を去りました。2週間後、その男性は再びやって来て、再度の診察を求めました。 (1:29:31)

驚いたことに、腫瘍は見当たらず、白い瘢痕組織だけが見つかりました。その男性は、ゼイトゥンに行き、聖母に助けを求めて祈ったと私に話しました。 私はそのような奇跡を信じていませんでしたが、腫瘍が消えたことは説明がつかず、私を狂気へと追い詰めています。デマ説の問題、誤認説の問題、光源が何であったかという問題、そして文書化された奇跡の証言を考慮すると、その証拠は、その幻影には自然な説明がつくはずがないことを示していると思います。 (1:30:04)

ですから、ある出来事について自然現象による説明ができないからといって、宗教的な説明がなければならないということにはなりません。超常現象についてはさまざまな報告があります。 これらの幻影について超常現象的な説明が提案されたことはあるのでしょうか? 私が知る限りでは、エリック・ウエレットがパラソシオロジーのブログで支持しているものだけです。 彼は、自然主義的な説明では幽霊の説明はできないと同意していますが、宗教的な説明も本質的にはイデオロギー的な理由から採用しないとしています。 (1:30:38)

これは、超心理学の様々な研究者にも見られることです。 (1:30:42)


彼らは、科学を行う必要があるという理由で、自然主義者が自然主義以外の説明を受け入れないと指摘しています。しかし、彼ら自身も、やはり科学を行う必要があるという理由で、宗教的な説明を考慮することを拒否しています。これは、彼ら自身が宗教的ではないということを必ずしも意味するわけではありませんが、科学的な態度で臨もうとする場合には、宗教的な説明を考慮しないということを意味します。 (1:31:17)

ウエレット氏の場合、「...純粋に地質学的な説明に固執するなら、これまでに一度も見られたことのない地質学的な偶然の一致を長いリストにして挙げ、その証人全員を信頼できないと見下して退ける必要がある。これは、純粋に自然主義的な説明が存在するはずだが証明できないという信念に基づいた、理不尽な見解である。宗教的な説明も、マリアの出現を支持するが証明できない神学体系に基づいているという点では、地質学的な説明と何ら変わりはない。 (1:31:59)

これは信念の問題なのです。」そして、彼は自身の理論を提案し、次のように結論づけている。「この説明は宗教的でも自然主義的でもありませんが、信念体系を必要とするものでもありません。」これは単なる誤りである。誰もが信念体系を持っており、あらゆる理論は信念体系によって裏付けられている。オウェット氏の提案を裏付ける超常現象の信念もその一つである。 では、彼は何が起こったと考えているのでしょうか? ザイトゥーンを説明するために、オウェレットは超常現象としてのUFOを説明するために開発されたモデルを使用していますが、彼はそれがこのケースにも当てはまると考えています。 (1:32:31)

デュラーとパーシンガーが挙げた地球物理学的要因は、ザイトゥーンの発生を助ける上で何らかの役割を果たしたと彼は考えていますが、十分条件ではなく必要条件としてです。 彼は、地震光が教会で見たような形で現れたとは思っていません。 むしろ、地球物理学的条件が舞台を整え、その現象自体は大きな社会学的影響によって超常的に引き起こされたと考えています。 (1:33:04)

つまり、彼は、光の現象は、いわゆる「反復性自発的サイコキネシス」、またはRSPKによって引き起こされたと考えているのです。もし聞き覚えがあるようでしたら、それは以前にもこの件について話したことがあるからです。例えば、ポルターガイストに関する第159話などです。その考えとは、ストレス下にある人々は、意図せずして潜在意識下で念動力、すなわちPKを発現し、物体を動かしてしまうことがあるというものです。これが報告されるポルターガイスト現象の多くを占めていると考えられています。 (1:33:36)

このケースでは、ウエレット氏は、PKが光現象の形で発現したと提案しています。それは、その地域のエジプト人がストレス下にあったために引き起こされたのです。彼は、そのストレスのせいで、多くの人々が自然発生的に光現象という形でPKを発現し、彼らに聖母マリアの慰めの幻影を見せたのだと考えている。彼は、そのストレスの原因は何だったと考えているのだろうか? 私たちはすでに、6日戦争で起こったことについて言及した。彼は、それがストレスの原因だったと考えているのだろうか? やや意外なことに、彼は別の原因を指摘している。 (1:34:10)

6日戦争は1年前の1967年に起こっており、ウエットはストレスの原因はそれとは別のものだったと示唆しています。彼は、1968年4月、エジプト政府が1,000人以上の急進的なイスラム教徒を刑務所から釈放したことに注目しています。これらはムスリム同胞団のメンバーであり、その中には後にアルカイダの主要な指導者となったアイマン・アル=ザワヒリも含まれていました。ウエレットは、この囚人釈放を予知的に感じ取っていた人々、あるいは事前に知っていた人々がいたため、彼らに大きなストレスがかかり、それがPKの一種である集団的な大規模な現象として出現したのだと提案しています。 あなたはウエレットの理論についてどう思いますか? (1:34:58)

集団による超心理学的な体験の報告はあります。ある人物が超能力を発揮し始め、その後、他の人々もテレパシーによる影響や通常の影響によって超能力を発揮し始めるのです。例えば、スプーン曲げパーティーでPKが発揮されるような場合です。ある人物がスプーンを曲げ、その後、他のあらゆる人々がスプーンを曲げ始めるのです。ですから、集団による超能力体験はあり得ないことではありません。 (1:35:25)

そこで、起こった癒しは超自然的癒しというよりも超心理学的な癒しの例であると提案できるでしょう。しかし、念力は通常、光現象という形で現れることはありません。特徴的なのは、物体を動かすことであり、物体を曲げたり光を発生させたりすることではありません。アラン・ゴールドとA.D.コーネルの著書『ポルターガイスト』では、ポルターガイストの事例で報告されている現象について統計的な調査が行われ、500件の事例のうち、発光現象が報告されていたのはわずか10%でした。 (1:36:07)

それらは、物体が自然に動くといった他の現象と結びついていました。ですから、ポルターガイスト現象において、光の効果がこれほど顕著に現れることは非常に珍しく、通常、ポルターガイスト現象には他の現象が伴うものです。ですから、私にはウエレット氏の理論はありそうもないように思えます。また、ムスリム同胞団の囚人が釈放されたという件は、非常に憶測の域を出ないものであり、ウエレット氏自身も、それが彼の理論で提案されているポルターガイスト現象の引き金となったかどうかはわからないと認めています。 (1:36:45

)この理論に対する私のより根本的な問題は、すべてが単なる憶測であるということです。ウエレット氏は、それを裏付ける確かな証拠を提示していません。私が述べたように、彼がこの説を採用する主な理由は、証拠に基づくというよりもむしろ観念的なものです。彼は、それが聖母マリアではないとしても、宗教的な説明や霊的な説明を考慮する用意がないのです。彼は、ある霊が現れて、これらの人々に幻影として現れたと言うこともできますが、そこまでは言いません。 (1:37:15)

だから、彼の集合的念動説が、彼が考えつく中で最も優れたものなのです。しかし私は、現象は別の方法で解釈されるべきだという証拠が得られるまでは、現象は額面通りに解釈されるべきだと考えています。 (1:37:27)


さて、これらの現象は、霊の幻影、特に聖母マリアの幻影として現れました。ですから、それとは反対の証拠を十分に得るまでは、そのように解釈すべきなのです。そして、そのような証拠はまだありません。証拠は、霊の幻影、特に聖母マリアの幻影があったことを示しています。では、信仰の観点からザイトゥーンの聖母についてお話しましょう。 (1:37:57)

まず、多くの目撃者がイスラム教徒であり、聖母マリアだと信じていたという事実から始めましょう。あなたはどう思いますか?私は驚きません。彼らはイエスを神とは見なしていませんが、神の預言者であり、救世主であると見なしています。そして、神の計画において、彼の母親マリアを非常に特別な女性であると見なしています。 (1:38:15)

彼らは処女懐胎とマリアの永遠の処女性を信じています。彼らは、マリアは神によって特別に選ばれたと信じています。そして、彼女は歴史上最も偉大な女性であると信じています。マリアはコーランの中で唯一言及されている女性です。実際、コーランでは70回も言及されており、これは聖書で言及されている回数よりも多いのです。そして、コーランにはマリアにちなんだ章がまるまる1章あります。 (1:38:39)

さらに、多くのイスラム教徒がマリアに深い信仰を抱いており、マリアにまつわる場所を訪れています。キリスト教のマリアを祀る聖堂などもその一つです。特にイスラム教徒の女性は、妊娠を望む際にマリアの助けを求めることが多いのです。ですから、イスラム教徒がザイトゥーンの聖母の出現に好意的な反応を示したとしても、私は驚きません。マリアがコプト教会に出現していたという事実についてはどうでしょうか? 神がカトリック以外の文脈で個人的な啓示を与えるのかと疑問に思う人もいるかもしれません。 (1:39:06)

人は皆神の子供であり、神は私たち皆を愛しておられます。神の愛があるからこそ、神は誰に対しても祝福を与え、語りかけることができるのです。イエスが言われるように、神は善悪を問わず息子を復活させ、キリスト教徒が求めるなら、確かに光を与えます。このことについては、第44回でテネシーの預言者ジョン・ヘンドリックスについて話しました。 (1:39:31)

彼はプロテスタントでしたが、神がジョン・ヘンドリックスに真の個人的啓示を与えていると考えるに足る理由があることが分かりました。ですから、神が他のキリスト教徒にも個人的啓示を与えるという考えに私は何の問題もありません。特に、聖母マリアを愛するエジプトのキリスト教徒たちに聖母マリアが現れることを許すことも含めてです。そして、エジプトのキリスト教徒たちは、聖母マリアの現れを平和と団結のしるしと見ました。 (1:39:54)

コプト教会当局が公式に聖母出現を承認しただけでなく、カトリック総大司教も個人的に承認し、エジプトのプロテスタント教会のトップであるイブラヒム・サイード博士も出現を支持しました。これはキリスト教全体に関わる出来事であり、キリスト教信仰に対する理解が最も正しいと主張し合う場というよりも、平和と団結の象徴でした。このようなキリスト教全体に関わる出来事は、キリスト教社会の橋渡しとなり、団結を促すことができます。 (1:40:30)

あなたは、これらの出現を個人的な啓示として分類していますが、マリアはファティマや他の多くのケースとは異なり、誰に対してもメッセージや秘密、予言を伝えたという報告はありません。これについてどう思いますか? 私もそれには驚きません。実際、これほど多くの出現の後でメッセージが報告されていないという事実は、起こったことに対する信頼の証しでもあります。 (1:40:54)

もし誰かが何かをでっち上げようとしても、それは広まらなかった。これは人々が識別力を働かせていたことを示しています。マリアの出現の多くは言葉によるメッセージを含んでいますが、すべてがそうではありません。例えば、1871年にフランスで起きたプーマまたはパンテーヌの出現では、別名「希望の聖母」として知られる聖母マリアは、口頭で何かを語ることはありませんでしたが、書かれたメッセージはありました。 (1:41:18)

また、1879年のアイルランドのノックでの出現でも、聖母マリアは何も言いませんでした。これらの出現は完全に沈黙していました。ですから、聖母マリアが何も言わないことは、以前に承認されたマリアの出現と一致しています。さらに、メッセージを送るためには、話さなくてもよいのです。ただそこに現れるだけで、メッセージを送ることができます。この場合、聖母はうなずき、両手で人々を祝福したと報告されています。これは、神が彼らを愛し、祝福しているというメッセージを伝えています。 (1:41:52)

六日戦争での敗北に関連して、一部の人々が引き出した暗示についてはどうでしょうか? ゼイトゥーナの聖母が、神が軍事的にエジプトの味方であり、将来イスラエルを打ち負かすかもしれないというメッセージを伝えていると見る人もいました。 (1:42:03)


まあ、そう考えるエジプト人がいるのも理解できます。自分の心配事に関して、神の恩恵の兆しを読み取るのは自然なことです。そして1968年、人々は6日戦争で起こったことに不安を抱いていました。しかし、神の子たちが互いに抱える困難にもかかわらず、神は私たち全員を愛しており、鳩は平和の象徴として広く知られています。 (1:42:29)

ですから、ゼイトゥーンの聖母とともに現れた鳩のような幻影は、少なくとも部分的には平和の象徴であると解釈したいと思います。残念ながら、1973年にはイスラエルとの間で再び戦争が起こりましたが、その後、両国は平和に向けて動き出しました。1978年には、キャンプ・デービッド合意が締結されました。 イスラエルはシナイ半島全域をエジプトに返還し、1979年にはエジプト・イスラエル平和条約が締結されました。 (1:43:00)

エジプトはイスラエルを正式な国家として認め、1980年には大使の交換を含む完全な国交が樹立されました。緊張状態が続いているにもかかわらず、両国は戦略的パートナーであり、40年間平和が保たれています。 他に何かお伝えしたいことはありますか? 最後に少しだけ。まず、聖マリア教会のヨハネ神父の最後の言葉です。1967年の戦争に敗れた後、人々は落ち込んでいました。聖母マリアは、まるで「私はいつもあなた方と共にいる」と言っているかのように現れました。 (1:43:39)

私はあなた方を決して見捨てません。あなた方と共にいるからこそ、私は幸せなのです。あなた方に祝福と恵みを注ぎます。 その結果、多くの人々が悔い改め、信仰がより強固なものになりました。 私たちは神に目を向けるべきです。なぜなら、私たちは天国と永遠の命を信じているからです。 天国に、私たちの目は向けられています。 (1:44:09)

憧れに胸がいっぱいになります。聖母よ、あなたの愛に圧倒されます。あなたのとりなしを求めています。私たちは1968年4月2日を常に忘れないでしょう。神に栄光あれ、永遠に。アーメン。そしてマルコス司教はこう語ります。 聖母のビジョンはキリスト教徒だけでなく、全てのエジプト人に向けてのものでした。彼女は彼らに平和を与えます。彼女は彼らに希望を与え、明日は今日よりも良くなると信じさせています。 (1:44:40)

私は、番組への資金援助と、このエピソードの調査への協力の両面で、カイロのイブラヒム・ユセフ氏に特別な感謝の意を表したいと思います。彼はゼイトゥーンの教会を訪問し、米国では入手できない調査資料を私に提供してくれました。シャーロック・ホームズがベーカー街の変人たちに調査を手伝わせていたように、ミステリアス・ワールドの調査を手伝ってくれる人々は「ミステリアス・イレギュラーズ」と呼ばれています。イブラヒムさん、どうもありがとうございます。そして、ミステリアス・イレギュラーズへようこそ。ジミー、ゼイトゥーンの聖母についての結論は? (1:45:18)

私は、ゼイトゥーンの聖母は本物だったと思います。 状況や90回以上におよぶ出現を考えると、それが偽物だったという考えは極めてありそうにありません。 通常考えられる光源は排除され、地震の光という説は説得力に欠け、多数の目撃証言に加えて、医学的に証明された奇跡もあります。 (1:45:46)

エリック・ウエレットが提唱した集団心霊説は、純粋に憶測の域を出ず、証拠もありません。したがって、聖母マリアの幻影は、そのように見える通りのもの、つまり本物の聖母マリアの幻影であると受け止めるべきです。私は、コプト教会による公式な承認と、エジプトのカトリックおよびプロテスタントの指導者による非公式な承認に同意します。それゆえ、ゼイトゥーンの聖母の出現と、神と聖母が私たち一般に対して抱いておられる愛に感謝しましょう。 (1:46:13)

それでは、ジミー、リスナーや視聴者に、他にどのような情報源を提供できますか? (1:46:18)


聖母ゼイトゥーン、ゼイトゥーン記念財団、コプト正教会、東方諸教会、パウロ6世とシェヌーダ3世の共同宣言、コプト暦に関する情報、ゼイトゥーンの短いドキュメンタリー、 残念ながら有料コンテンツとなっており、地震光に関する情報、デューラーとパーシンガーによるゼイトゥーンの地球物理学的解釈に関する記事(同じく有料コンテンツ)も含まれています。Skeptoidポッドキャスト、Parasociologyからの2つの投稿、エリック・ウエレットのブログ、そしてマリアとイスラム教に関する情報もあります。素晴らしい。今回は以上です。ゼイトゥーンの聖母について、あなたはどう考えますか? (1:47:09)

sqpn.com または Jimmy Akins Mysterious World Facebook ページにアクセスするか、mysterious.fm のフィードバック宛てにメールを送るか、mys underscore world にツイートするか、sqpn.com slash discord の StarQuest Discord コミュニティにアクセスするか、619-738-4515 の謎のフィードバックラインに電話してください。619-738-4515です。他の人もそうするかもしれませんし、そうすればより多くの人々にそのエピソードを見てもらえます。 (1:48:07)

ですから、チャンネルの成長を手助けするには、動画を見たり、いいね!やコメントをしたり、特にチャンネル登録をしてください。 そうしていただいたら、必ず通知を受け取れるように、ベル通知をオンにしてください。そうすれば、私が新しい動画を投稿するたびに通知が届きます。通常、現時点では少なくとも週に2本か3本は投稿しています。ですから、チャンネル登録をして、ベル通知をオンにして、登録した動画の通知を受け取れるようにしてください。 (1:48:40)

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ありがとう、ドム。そして、もう一度言いますが、私はドム・ベッティネリです。ジミー・エイキンズのミステリアス・ワールドをスタークエストでお聞きいただき、ありがとうございました。 (1:50:29)

▼原文 展開

Jimmy Akin's Mysterious World is brought to you by the StarQuest Production Network, and is made possible by our many generous patrons. If you'd like to support the podcast, please visit sqpn.com slash give. You're listening to episode 283 of Jimmy Akin's Mysterious World, where we look at mysteries from the twin perspectives of faith and reason. In this episode, we're talking about Our Lady of Zaytun. I'm Dom Bettinelli, and joining me today is Jimmy Akin. Hey, Jimmy. Howdy, Dom. The Christian faith has a long history in Egypt. Around the year 1 BC, Joseph and Mary took the baby Jesus to Egypt to keep him from being killed by Herod the Great. Christianity came back to Egypt after Jesus' ministry. (0:00:52)

And St. Mark, the author of the Gospel, is credited with being its first patriarch. But in 1968, something strange began happening in Zaytun, a suburb of Cairo. Witnesses reported the Virgin Mary was appearing at a local church. She appeared more than 90 times. The apparitions involved dramatic displays of light, and these were even photographed. It's estimated more than a million people saw the apparitions, making them the most witnessed Marian apparitions in world history. (0:01:24)

Where is Zaytun? What was the Virgin Mary reported to do there? And were these genuine apparitions? That's what we'll be talking about on this episode of Jimmy Akin's Mysterious World. So, Jimmy, what do we want to say before we begin? Well, I want to say thank you to Ibrahim Yusuf Khater of Cairo. He is an Egyptian man who, for some time, has done some sponsoring of Mysterious World. He just wanted to support it. (0:01:54)

And he didn't ask for a business to be mentioned on the show or anything like that. He just wanted... he's just a fan of the show and just wanted to support it. And he suggested that we do this episode, which is one that I've been meaning to do for a long time anyway. So special thanks to Ibrahim Yusuf Khater. So we've done a lot of mysteries set in Egypt on Mysterious World, but most of them have been set in ancient times. (0:02:20)

This is the first we've done in Egypt that's set after the time of Christ. What should we know about the history of Christianity in Egypt? It's very old. As you said in the introduction, the Holy Family visited Egypt to avoid the slaughter of the innocents. Judaism has an even older history than Christianity in Egypt, going all the way back to the book of Genesis, when the patriarchs visited Egypt. Then the whole people of Israel went to Egypt in an event known as the Exodus. And several hundred years later, they came back in the event known as the Exodus, which we talked about in episode 166, which was specifically on the Exodus. And we'll also talk about the date of the Exodus in a future episode. (0:03:02)

We also recently mentioned in episode 241 on mummies, how the patriarch Jacob, also known as Israel himself, and the patriarch Joseph were mummified after their deaths. (0:03:16)


Later, Jewish people had a lot of dealings with Egypt, because it was a major superpower that was right next door. When Alexander the Great conquered Egypt in the 300s BC, he set up the city of Alexandria and named it after himself. It became the capital of the Greek or Ptolemaic pharaohs. And a large Jewish community formed in Alexandria. The beginnings of the Septuagint Greek translation of the Old Testament were made there, reportedly for the famous library of Alexandria. At least one book of the Bible, the Book of Wisdom, was likely written in Alexandria, and the Jewish philosopher Philo lived there in the 1st century BC and the 1st century AD. Starting in the 2nd century BC, and for about 300 years afterwards, there was also a second Jewish temple, besides the one in Jerusalem, that was operating in Leontopolis, in the delta of the Nile River in Egypt. So all the Jewish activity in Egypt in the time leading up to Christ made Egypt a good place for evangelization. (0:04:26)

And who's credited with evangelizing Egypt? According to tradition, St. Mark, the companion of Paul and Peter and the author of the gospel, brought the message of Christianity to Egypt, and he's regarded as the first Archbishop of Alexandria. Egypt became a major center of Christian activity in the early church, and it gave us famous early Christian figures such as Clement of Alexandria, Origen, St. Athanasius, and St. Anthony and the Desert Fathers, as well as Patriarch Cyril of Alexandria, who is a doctor of the Church in the Catholic Church. It was Christianity that finally ended Egyptian paganism. (0:05:10)

When the Greeks conquered Egypt under Alexander, they didn't stop the worship of the Egyptian gods. Instead, they integrated with it. But the message of Jesus finally displaced the Egyptian pantheon, and by the A.D. 300s, most Egyptians were Christians. Unfortunately, in 641 A.D., Arab Muslims conquered Egypt, and Christians in Egypt have been subject to persecution, forced conversion, and heavy taxes since then. But Egyptian Christians have kept the faith, and the Christian community that is of Egyptian origin is known as the Coptic community. (0:05:47)

They are not Arabs, and they use the liturgical language Coptic, which is a direct descendant of the Ancient Egyptian language, though with influences from Greek. For example, after buying a Coptic dictionary a number of years ago, I noticed that the Coptic word for governor is based on the Greek word for governor, hegemonous. But its basis, the basis of the Coptic language, is Ancient Egyptian, and you can still hear lots of Ancient Egyptian words in Coptic. For example, the Coptic word for king, which is derived from the same root as pharaoh, is pronounced ep-o-ro, and you can hear how ep-o-ro sounds like pharaoh. (0:06:26)

They also, the Coptic people, maintain their own traditions. For example, they keep their own liturgical calendar, which is based on the Ancient Egyptian calendar. It has 12 months of 30 days each, plus a special five-day month at the end of the year, and that's like the Ancient Egyptian calendar. The years of the calendar are also counted from the year 284, which was the year that the Roman Emperor Diocletian took office and began martyring Christians. So the current year, A.D. or Anno Domini, or the year of the Lord 2023 on Gregorian calendar, corresponds to A.M. or Anno Martyrum, or the year of the martyrs, 1739 on the Coptic calendar. (0:07:17)

You will hear some Coptic dates in this episode. In any event, after the Arab conquest, the majority of Egyptians were still Christians, though they ceased being the majority by the 1300s. Today, around 15% of Egyptians are still Coptic Christians. Most Copts are Oriental Orthodox, though there is a small Catholic Coptic Church, which is one of the Eastern Catholic churches. The term Oriental means Eastern. The Orient is the East. So if most Copts are Oriental Orthodox, does that mean that they are Eastern Orthodox? Surprisingly, no. (0:07:51)

The Eastern Orthodox communion of Christians and the Catholic Church separated basically in the 11th century, and the Oriental Orthodox communion is older than that. In that case, the separation goes back to the Council of Chalcedon in A.D. 451. The dispute at the time had to do with how to properly express the relationship between Christ's divinity and his humanity. (0:08:17)

The way the supporters of Chalcedon expressed it was to say that Christ has two natures that are united together, a divine nature and a human nature. They were particularly concerned to avoid an error that was attributed to the Patriarch of Constantinople, a man named Nestorius, who was perceived as dividing Christ into two persons, one divine and one human, though Nestorius himself actually didn't believe that, and he died in good standing with the Church. The Chalcedonian fathers were also concerned to reject what they believed was an error attributed to Nestorius's opponent, Eutyches, who was perceived as teaching that Christ had only one nature alone that was a fusion of the divine and human, or that even caused the human to be lost in the divine. (0:09:11)

The Greek word for alone, or only, is monos, and the Greek word for nature is phousis, so supporters of Eutyches came to be known as monophysites after the idea that Christ had one divine human nature alone. But not everyone preferred the language that the Council of Chalcedon proposed. The Oriental Orthodox were concerned that the way Chalcedon expressed things could be perceived as splitting Christ in two. (0:09:38)

Unfortunately, they were then accused of being monophysites and supporters of Eutyches, though they actually condemn Eutyches. And they also reject the term monophysite. (0:09:48)


They describe their own position as meaphysitism, from the Greek word mea meaning one, the idea being that Christ has one nature that unites the divine and human without either being confused with the other or without eliminating the other. The good news is that it has subsequently been realized that despite the historical division following Chalcedon, we really aren't in disagreement here. (0:10:21)

We simply use different language to express the unity and the distinction of the divine and the human in Christ, and the leaders of our churches have subsequently signed joint confessions of faith in Christ. For example, in 1973, the Catholic Pope Paul VI and the Coptic Pope Shenouda III signed a common declaration that dealt with the topic. In it, they declared, We confess that our Lord and God and Savior and King of us all, Jesus Christ, is perfect God with respect to his divinity, perfect man with respect to his humanity. (0:10:52)

In him, his divinity is united with his humanity in a real perfect union without mingling, without commixtion, without confusion, without alteration, without division, without separation. His divinity did not separate from his humanity for an instant, not for the twinkling of an eye. He who is God eternal and invisible became visible in the flesh and took upon himself the form of a servant. (0:11:25)

In him are preserved all the properties of the divinity and all the properties of the humanity, together in a real, perfect, indivisible, and inseparable union. So the good news is that even though we have historically used different language to express our faith in Jesus, we agree on the substance, and this issue has basically been put to rest. And the Catholic Church, the Oriental Orthodox Church, and the Eastern Orthodox Church, and the Assyrian Church of the East are all working towards restoring unity. (0:11:53)

We share the same faith, we all share apostolic succession, and we all share the seven sacraments. As a sign of fraternity, in 1968, the Catholic Pope Paul VI returned some relics of St. Mark to the Coptic Church. They had been stolen in AD 828 by a couple of merchants of Venice. So yes, actual merchants of Venice. Reportedly, they stole them to keep them safe from the Islamic governor in Alexandria, and they were then kept in the Basilica of St. Mark in Venice. But to commemorate the 1900th anniversary of St. Mark's martyrdom, Pope Paul VI returned some of them to the Coptic Pope Kyrillos VI in 1968, which was considered an important event in Egypt. Incidentally, in case the name Kyrillos sounds familiar, it's the English equivalent of Cyril. So you may sometimes see Pope Kyrillos referred to as Pope Cyril. You referred to the leader of the Coptic Church in 1968 as Pope Kyrillos IV and its leader in 1973 as Pope Shenouda III. That may be unfamiliar to some listeners who only think of the Bishop of Rome as Pope. So how does the title Pope work? (0:13:09)

The title Pope comes from the word papa, which means father, and in the early centuries it was used for many Christian leaders. In the form Pope, it is still used for the Bishop of Rome and for the Patriarch of Alexandria. So they're referred to, both of them, as popes, the Coptic Pope and the Catholic Pope. Incidentally, we mentioned the Coptic Pope in episode 106, part 2 of our discussion of St. Thomas Aquinas and the occult, because whenever there's a vacancy in the office, the Coptic Church uses a form of sortilage to select a new pope. (0:13:47)

This is based on the practice of the Apostles in Acts 1, when they replaced Judas. The Apostles at that time named two good candidates to replace Judas, and then consulted God about which one he wanted by drawing lots. That practice of drawing lots to determine God's will is known as sortilage or cleromancy, and it isn't something you should do all the time because God hasn't promised to give an answer to us in just any situation, by that means. So don't try to use it in your ordinary life. (0:14:19)

But based on the apostolic precedent, it's used to select the new Coptic Pope. They determine three good candidates, they put their names on slips of paper in a chalice which is put on the altar, and then they say the Divine Liturgy or Mass, and select the name of the new pope. The current pope is His Holiness Tawadros II. Now that we have some background in Egyptianist Christianity, let's talk about the apparition of Our Lady of Zeytun. When did it begin? In 1968, and to understand what was going on in Egypt, we need to go back a year in time to 1967. In June of 1967, an event took place known as the Six-Day War, because that's how long it lasted. (0:15:04)

It was fought between Israel and several other states, which included Egypt, Jordan, and Syria. In his biography of Pope Kyrillos, a silent patriarch, Daniel Fanous writes, In response to Egypt secretly mobilizing forces along the border, Israel launched a preemptive strike against the Egyptian airfields. Within moments, the greater part of the Egyptian air force was destroyed. Simultaneously, an Israeli ground offensive at the Gaza Strip and the Sinai Peninsula caught the Egyptian army by surprise, inflicting heavy losses and mass confusion. (0:15:40)

Fewer than a thousand Israeli soldiers were killed compared to over 20,000 of the Arab forces. In just five days, the air force was decimated, tens of thousands killed, the Sinai Peninsula seized, intangible assets obliterated, and national pride and regional credibility abrogated. Egyptian President Abdel Nasser's regime was discredited and his policies devalued. Unable to bear the seismic failure and embarrassment, the president and a public broadcast on June 9th stepped down. (0:16:14)

But the people of Egypt demanded that he retract his resignation and Pope Kyrillos helped convince him to remain in office. (0:16:19)


Unfortunately, the defeat in the Six-Day War caused problems for the Coptic community. Fanous writes, The Copts suffered on two fronts in the fallout of the war. Standing alongside their Muslim brethren, they too had lost fathers, husbands, and sons. But that did little to silence the accusations of Christian espionage. The Coptic Church was, after all, a member of the World Council of Churches, which happened to support the founding of Israel. At the same time, religious sentiments were slowly resurrected from the ashes. (0:16:53)

Many felt the war was a punishment for a lack of faith, and in Egypt, the re-emergence of faith could in an instant radicalize and spark sectarian violence. Tensions swiftly intensified. Nasser was compelled to publicly praise the bravery and patriotism of Coptic soldiers to soften somewhat the increasing accusations from the Muslim Brotherhood. So, in 1967, Egypt was suffering, and the Coptic people were particularly vulnerable. (0:17:27)

But then, on the night of Tuesday, April 2nd, 1968, something strange happened. The story begins at a municipal garage owned by the Public Transportation Authority. The garage was on Taman Bay Street in Zeytun, a suburb of the capital Cairo. Across the street from the garage is the Church of the Virgin Mary, a Coptic parish. The church had been dedicated in 1925, so it's about 43 years old. (0:17:56)

It had been built by a man named Tafik Khalil Ibrahim. And it's reported that the Virgin Mary had appeared to him and said that she would appear in 40 years at the church he built in memory of her. The event in 1968 began at 8.30 a.m., and the first person to notice something was happening was the night watchman of the garage, a man named Abdul Aziz Ali. He saw a brightly lit object above the dome of the church and shouted, Light over the dome! This caused three of the mechanics at the garage to become involved. (0:18:32)

Their names were Farouk Mohamed Atwa, Hussein Awad, and Yakut Ali. All three of them happened to be Muslims. According to an account published in Francis Johnson's booklet Zeytun 1968-1971, rush hour was over and the only sign of activity in the gathering dusk was a solitary car and several women pedestrians in a lamplit street. Suddenly, there was an unexpected movement on the middle dome of the church which attracted the attention of the women. (0:19:04)

Two of the workmen by the garage gate put down their mugs of tea and stared up in mute disbelief at what seemed to be a white lady kneeling beside the cross at the top of the dome. There was a flurry of agitated whispering shot through with a rising tremor of alarm. One of the workmen, Farouk Mohamed Atwa, a Muslim, pointed up with a bandaged finger, which he was due to have amputated next day as a result of gangrene, and cried out with compelling urgency, believing it was a young girl about to commit suicide. Lady, don't jump! Don't jump! Impelled by a sense of desperation, he dashed off to call the fire brigade and the rescue squad while several of his companions ran across the street to summon a priest, a Father Constantine Moussa. Actually, according to one of the workmen, they first summoned the church doorkeeper. (0:19:58)

In Farouk's own words, We saw a figure dressed in white on top of the dome of the church. I thought she was going to commit suicide and shouted to her to be careful. My friend called the police and I woke up the doorkeeper. He comes out and looks and cries, It is the Virgin! and runs to call the priest. (0:20:15)

The parish priest, Father Constantine Moussa, described his experience. I was at home, only steps from the church, when Ibrahim, the doorkeeper, came in very distressed, saying, St. Mary has appeared on the dome. I went myself and saw an illuminated half-body of St. Mary. Some of the bus depot workers directed spotlights in her direction, but she illuminated more. (0:20:40)

Back to Johnston's account. At that moment, the lady rose to her feet, revealing herself as a luminous being dressed in shimmering robes of light. (0:20:45)


One of the women below cried out with electrifying comprehension, Satena Mariam! Our Lady Mary! Hardly had the cry escaped her lips when a flight of glowing white doves seemed to appear from nowhere and hover around the apparition. After several moments, the extraordinary tableau faded into the darkened sky, leaving the spectators stupefied and speechless. According to a book that the Coptic Patriarchate commissioned to commemorate the 50th anniversary of the apparition in 2018, the policemen arrived quickly, and a crowd of passers-by began to gather. (0:21:22)

As the crowd gathered, the girl's appearance started to change. The scene that was revealed to the crowd showed a beautiful girl surrounded by a white heavenly light, clothed in a white robe, and holding branches of olive tree in her hand. Suddenly, a swarm of pure white doves flew over her head. (0:21:44)

It was at this moment that they all realized that this scene was of spiritual and heavenly origin. In his book, A Silent Patriarch, Daniel Fanous writes, A crowd began to gather. The police arrived and attempted to disperse them, stating that the so-called apparition was merely an illusion caused by the reflection of the adjacent street lights. They duly proceeded to break the offending lights, but the apparition only became more intense. One of the people who investigated the apparition was an American professor of anthropology at the American University of Cairo. Her name was Cynthia Nelson, and she reports, According to those I later interviewed who were present during those first hours and days, the police did arrive on the scene, and the Ma'amur, police chief, attempted to disperse the crowds, saying that the so-called apparition was but the reflection of the lights from the street lamps, and commenced to break the lights. (0:22:42)

The light of the dome remained, and the vision of the Virgin became even clearer. The Ma'amur became frightened and said that he wanted nothing more to do with this, while others came closer to be sure of what they saw. Thus reported a Coptic woman in her early fifties, who witnessed the apparition along with her two teenage daughters. And according to the account in the Coptic Patriarchate's book, In order to be certain beyond any doubt, they aimed lights at the luminous image, but it only increased in brightness and clarity. (0:23:13)

Then they broke the street lights located close to the church, but the luminous image did not disappear. Finally, they turned off the lights in the whole area, but the girl in her heavenly splendor and her luminous robe only appeared more clearly, and she began moving in a circle of light that radiated from her body onto all her surroundings. (0:23:35)

It became clear to everyone that the girl in front of them was undoubtedly the Virgin St. Mary. The crowd erupted in thunderous applause, with shouts and cheers of She is the Virgin! She is the Mother of Light! reaching to the sky. Then the crowd started to sing, chant, and pray throughout the night until the next morning. Different details emerged from knitting together these different accounts, but the fundamental substance of the event was confirmed by multiple witnesses upon later investigation, so we have a good sense of the overall shape of what happened. (0:24:12)

Incidentally, according to a local tradition, Zeytun was one of the places that the Holy Family visited during their time in Egypt, and this was popularly regarded as part of why she appeared there. Also, a very interesting thing was reported the next day. You'll recall that one of the transit workmen, Farouk Mohamed Atwa, had pointed at the apparition with his finger that was bandaged because it was going to be amputated the next day because of gangrene. (0:24:37)

Well, according to Johnston, next morning when Farouk Atwa arrived at the hospital for his operation, the surgeon was astonished to find the finger completely healed. This was the first known miracle to have occurred at Zeytun. And I've seen it confirmed in other sources that Atwa's finger was healed. Following these events, people, and especially cops, started to wait at the church to see if any additional apparitions would occur. (0:25:08)

A week later, on Tuesday, April 9th, one did. And that wasn't the only one. On his blog Parasociology, author Eric Ouellette writes, Among the surprises I had researching this case is that there is no complete list of apparitions. (0:25:22)


The Coptic Church investigation identified 27 apparitions during the period of 2 April 1968 to 4 May 1968, or just over a month, with a number of nights having more than one apparition occurring. Other sources noted that there was a decline in the number of apparitions throughout 1968 to one or two a week. (0:25:49)

The frequency went down to once a month by early 1970, according to Johnston. However, based on Zaky's research, between 21 August 1969 and 11 June 1971, there were 17 apparitions. According to Johnston, the last apparition occurred on 29 May 1971. The apparitions thus stretched from the beginning of April 1968 to May or June 1971, a period of basically three years and two months. (0:26:19)

All told, Ouellette reckons that there were around 94 apparitions, with most of them occurring in 1968. In fact, Ouellette produced a chart graphing when the apparitions occurred and the estimated size of the crowd that was waiting to see them. What he found was that although the lines don't match exactly, the most apparitions occurred when the crowds were the largest, which you could interpret as God rewarding the faith of the people that were showing up to witness them. (0:26:49)

How many people were coming to wait for the apparitions? It varied over time, but there could be a lot of people in attendance. There are pictures of absolutely very large crowds. The accounts which we have indicated that the area around the church was filled up for blocks with people, and it could take hours to get close to the church. I even have one report of a Muslim clergyman physically carrying a Christian doctor to help him get close, since he was having trouble walking with the pressure of the crowd. (0:27:20)

Here's Father Yohanna Yassa, who is a priest at St. Mary's Church in Zeytun today, as he introduces a clip with some motion video from the time, so you can get a sense of what the crowd was like if you're watching the video version of the podcast. If only you were there to hear tens of thousands coming from different places, groups, and different religions were all raising their voices in songs of praise. (0:27:50)

Meanwhile, Eric Willette writes... There were only a few witnesses the first day, as it was a completely unexpected event. It eventually grew to a very large gathering. Nill interviewed a witness stating that there were about 100 people on the night of 13 April 1968. Nelson estimated that there was between 1,000 and 1,500 people on 15 April 1968. After that, the phenomenon was discussed for the first time in the mainstream press through the 23 April 1968 article in the Arabic-language newspaper Watani. The crowd grew significantly. (0:28:54)

The Bishop Athanasius estimated that there were 100,000 people on the night of 29-30 April. It finally reached an estimated 250,000 nightly onlookers after a few weeks, according to Johnston. By the end of 1968, it was estimated that the crowd was down to 10,000 people nightly. By June 1971, there were only a handful of people, according to Zaki. It should be noted that it is notoriously difficult to estimate properly the size of a crowd, especially at night, and the higher figure might have been overestimated. (0:29:24)

However, this provides a good illustration that the phenomenon was a very public event. (0:29:29)


And it was a very public event. By some estimates, over a million people witnessed the apparitions. Even if that number is overestimated on the high side, it's still true that a very, very large number of people saw the apparitions, as is evident from the photos of the crowds that attended. What were the apparitions like? What kind of phenomena did people experience at them? (0:29:55)

Eric Ouellette surveyed a bunch of different sources. I've read many of them too. And on Ouellette's Parasociology blog, he provides a good summary of what they say. So we'll be using his summary of the sources as a basis for describing what people experienced. Basically, Ouellette says, There were six main qualitative aspects that can be identified about the Zeytun events. A. The so-called light birds. (0:30:30)

B. The smell of incense. C. The clouds. D. Phosphorescent-like luminosity. E. The scintillating lights or stars. And F. The main luminescent object, that is, the apparition. So we'll go through each of these six categories and provide more detail on what people experienced. The first of the categories was the so-called birds made of light. (0:30:57)

What should we know here? One of the bishops that Pope Corillus tasked with looking into Zeytun was Bishop Gregorius, who was Bishop of Scientific Research and Coptic Culture. And I love how they have a Bishop of Scientific Research. I think that's awesome. I found a clip of him describing the so-called birds, and here's what he had to say. The late Bishop Gregorius, during a private interview, told of doves the size of angels that would appear and disappear over the church. (0:31:32)

Before they disappeared, they dispersed like cotton. Bishop Gregorius saw many doves at many different times over the church. Sometimes there were seven. Sometimes there were 12. And they were in a formation. Meanwhile, summarizing multiple sources, Ouellette writes, many witnesses reported that there were luminous objects that traveled through the sky of Zeytun, which were at first construed as birds, but were clearly not birds. (0:32:00)

Their actual nature remains unknown to this day. They were described as follows. Another phenomenon witnessed by the is the appearance of bird-like creatures before, during, and after the apparitions, and sometimes on nights when there is no apparition at all. These creatures in some ways resemble doves. They are larger than doves. They are larger even than pigeons. Whence they come or whither they go, no one can determine. (0:32:26)

It is known, says the keeper of the Cairo Zoo, that pigeons do not fly at night. But these can hardly be any kind of natural bird. First of all, they fly much too rapidly. They fly without ever moving their wings. Only one spectator interviewed thought he saw one bird flap its wings. They seem to glide before, into, and around the apparitions. (0:32:48)

They never come to rest on the roof or trees, and on some occasions have been seen to disintegrate in the sky like wisps of cloud. Varying in number on different nights, they have appeared singly, in twos, threes, and even larger groups. Always in some kind of formation, the creatures fly in the form of a triangle, sometimes in the formation of a cross. Once, twelve of them flew six abreast in two rows. (0:33:12)

Not only are these birds spotless white, they themselves emit light. They are like electrically illuminated birds which can be seen both in the brilliant light of the apparition and in the darkness of the sky above the apparition. They disappear as mysteriously as they appear and without sound of any kind. Another description is from Bishop Gregorius on the apparitions that took place between 27 April and 15 May 1968. Before the apparitions took place, some birds that look like pigeons, I don't know what they are, appear in different formations. (0:33:52)

Sometimes two appear on the dome just as if they had come out of it. However, the dome is closed. The windows do not open. They might be seen flying eastward then wheeling about and flying to the west, and while one watches them, they suddenly disappear. (0:34:04)


And the fact that the windows of the dome do not open, they are sealed shut, is important because it means that the birds of light could not be released from within the dome. That's also something you could tell by examining the inside of the church because the dome is 50 feet above the floor and there is no structure under it that you could stand on. (0:34:28)

You'd have to put up scaffolding or big ladders to get up there and that would have been obvious if anybody had tried that, apart from the fact the windows don't open. Two of the phenomena that were described as accompanying the apparition were the smell of incense and clouds around the church. According to Allat, Palmer reported that one should perhaps include as lights the mysterious clouds that are sometimes seen to hover high above the church even when the rest of the sky is cloudless. On one night, Bishop Gregorius stated, there poured from the sealed stained glass windows of the high dome such clouds of incense that it would take millions of sensors to produce a light quantity. The incense clouds settled over the throng standing around the church. (0:35:18)

So these clouds were seen above the roof of the church, near the dome, but they couldn't have come out of the dome because its windows are sealed shut and don't open. Also, as we noted, you'd need scaffolding to get up there. Bayliss adds a few more details in noting that he, Bishop Gregorius, describes the appearance of clouds of deep reddish incense which billowed in huge quantities. (0:35:42)

It rose to a height of 30 to 60 feet and was clearly visible above and around the church against the colorless sky. Author Pearl Zaki described that sometimes clouds like a thick fog would roll in towards the church as if they were being channeled down the streets in all directions to completely cover the church. They seemed to absorb the incense and its fragrance and carry it to the crowd of people and spread it over them like a canopy. The sky above would turn a deep reddish purple. (0:36:10)

She also added that it was a pleasant fragrance. So according to Pearl Zaki, the clouds were sometimes seen coming from the streets and gathering around the church. Michael Nill interviewed Father Boutros, the parish priest of Zeytoun, in 1978. He noted that there was at various occasions clouds accompanied with thunder and a smell of incense. Finally, in an interview in 1980, a witness, Mona McHale, told Baylis that other times we used to see clouds of incense. (0:36:48)

First you would see a type of white cloud and it would cover all the church, all the area surrounding the church from above. I never smelled anything like it in all my life. It was a very, very beautiful odor. The cloud remained for 10 or 15 minutes and disappeared. So the clouds did not remain very long, just 10 to 15 minutes and then they dissipate. (0:37:07)

The witnesses also reported displays of a kind of diffuse light that didn't take a particular shape but that did illuminate the church. Another common qualitative description was some sort of glowing aura or phosphorescent like luminosity in the sky and around the church. Palmer reported that the large dome atop the church is sometimes illuminated by the heavenly lights. (0:37:32)

And on one occasion, as described by Bishop Samuel, the light which poured out from beneath one of the smaller domes gradually covered the entire church in light. Michel Nill, from his 1978 interviews, was told by Ragai Lewis that he saw the church illuminated from above as if it was from a fluorescent light, while Victor Fakhry described the same phenomenon as a phosphorous light on the church's wall in dome. (0:37:56)

As well, witness Sammy Gubron described a very strong light as if it was a million of watts emanating from the church and lighting up the entire neighborhood. In addition to the diffuse glow, light also sometimes appeared as small points which were described by witnesses as sparkles and stars. It also reportedly sometimes looked like a flame. The main apparition was oftentimes preceded by sparkling lights. (0:38:27)

As Palmer noted, the lights have been described by spectators as a circle of bright spotlights on one occasion, as falling stars on another occasion, and even as a of diamonds of light swirling in the path of Our Lady's movements. A brilliant crown all of lights has been seen over the figure of Our Lady, giving her a majestic and glorious appearance. (0:38:45)


Pearl Zaki witnessed a similar phenomenon as she wrote that, on my fifth night, at about 4.15 a.m., I saw four yellow flashes or flames covering the front of the church. Following this, about 4.30, the Virgin Mary appeared full figure. She added in a different text, again I saw a flash of yellowish-orange light, shaped like a big flame, and covering the whole front of the church and lasting about five seconds. It was repeated twice, four times in all. (0:39:17)

Hilda Gubron told Michelle Nill in 1978 that at the time of the apparitions there were stars and pigeons associated with the apparitions, and Zeymourid told Baylis in a 1981 interview that he saw sparkling lights prior to the apparition in April 1968. Finally, there was the apparition itself, the figure of the woman that was interpreted as the Virgin Mary. We have many eyewitness accounts of what people saw, and I was able to find a of them on video. Here is what Bishop Marcos had to say. (0:39:52)

Just behind the church, in front of the wall of the church, I think, not more than 40 or 50 meters, approximately at midnight. I have seen the vision, complete, very nice, very clear. I saw the complete face, complete body, and her hands waving to blessed people. And everyone could see that she concentrated her eyes on them exactly. Notice that Bishop Marcos indicates that he and others could see the Virgin's eyes, which is a rather small detail. (0:40:37)

Now, here is what Father Yohanna Yassa, now one of the priests at St. Mary's in Zeytun, had to say. A few days later, while I was standing with my friend, Mukhtar Fikri, from the Faculty of Engineering, we saw the Virgin Mary surrounded by a stunning orange light. We saw her many times at the Northeastern Dome. She appeared in many different phenomenal forms. (0:41:13)

Once she was standing in her full body, blessing the people. She was moving from one dome to another, then going towards the cross. Here is what the Evangelical Protestant theologian Otto Minardus, who got his PhD at Harvard University, had to say. Well, it occurred during the first days of April that thousands and ten thousands of people, both Muslims and Christians alike, assembled in front of the Church of the Holy Virgin to see the apparition of the Virgin Mary as she appeared there on the dome. (0:41:55)

The days later, large numbers of people, both Muslims and Christians of the various denominations, assembled there and witnessed the apparition in various forms. I myself saw it numerous times with friends in my parish, with university students, and yes, there's to me no doubt about it. And finally, here is what Dr. Hayri Malek, a physician, reports. I was standing over there near the fence and holding that iron fence as strong as I could because of the pressure of the crowd. (0:42:45)

And it was about 8.30 in the evening and I saw a light coming out from this dome, which is the Southwest Dome, and the light began to increase gradually and then suddenly the Holy Mother was standing in front of the dome. She stood there for about 15 minutes and then she began to walk and she stood in front of that cross and she knelt and stood up again and then she walked to the northern side of the church just above the area where I was standing and she looked at the crowd and she blessed them and she smiled and I can say that I saw her teeth when she smiled. (0:43:42)

Dr. Hayri says that he saw the Virgin standing, walking, kneeling, and then standing up again and walking, which is purposeful behavior. He also says that he could see Mary's teeth, which is a very fine detail. Summarizing different sources, Eric Ouellette says, One obvious aspect about the apparitions is that there was a fairly wide variety of descriptions and behaviors reported by the witnesses. (0:44:12)

The apparitions seem to have all occurred near the church, but not necessarily at the exact same spot. As previously noted, the first one was seen on the roof near the base of the dome. It was also seen in the courtyard between trees, while in other occasions it was seen in mid-air above the dome. (0:44:27)


It's significant that the apparition was not confined to a single spot. The apparition was seen on the roof of the church, on the ground in the courtyard, and floating in the air above the church. That means that whatever the explanation was, it needs to be able to account for all three of these locations, and the public authorities took steps to try to rule out a hoax. (0:44:59)

You'll recall that on the first night they broke nearby streetlights to rule out those as a source of the light. Well... It is interesting to note that after a number of days of apparitions, the public utilities cut the power in the neighborhood, at first to deflect a hoax, and then to help having a better view. (0:45:16)

As well, surrounding trees were cut on the third night, so people could see better. The most common colors were blue and white, but some noted also green and pink and others saw a reddish light. These are important elements to define the nature of the apparition, as the traditional colors associated with Marian devotion are blue and white, but also red, although more common in older and eastern iconography. (0:45:40)

Several witnesses underlined that apparition disappeared as if turning off slowly the dimmer of a lamp, while in other situations it rose in the sky to disappear. On some occasions it was perceived as if the wind was blowing through it and that her veil was moving in the wind, while it appeared to be flat and only two-dimensional on another occasion. (0:46:03)

At times the apparition was motionless and described as statue-like, but it appeared that it was moving, more often than not, but as if floating without using its feet. It was making gestures with her head and her hands in particular. These gestures were commonly understood by witnesses as the Virgin Mary blessing the people. Many claimed to be able to distinguish a face, eyes and mouth, and even resembling representations seen in religious icons. (0:46:28)

Yet others noted that there was a light, but they could not distinguish anything particular. As one would expect, it is normal to have variations in descriptions provided by eyewitnesses, but in general it tends to be relatively consistent. This certainly adds some degree of confidence about the common and ongoing source of the event. So that's a general summary gathered from multiple sources of what the witnesses experienced during the apparitions. (0:46:57)

The American anthropology professor Cynthia Nelson learned about the apparitions in mid-April, about two weeks after the first apparition, and she attended the events several times. She describes what she saw. When I looked to where the crowds were pointing, I too thought I saw a light through the branches of the trees. (0:47:17)

And as I tried to picture a nun-like figure in those branches, I could trace the outline of a figure. But as I thought to myself that this is just an illusion of the light reflecting through the branches, the image of the nun would leave my field of vision. Still, there was no doubt in my mind that there was a light, and that if I looked for the image it would come into focus. (0:47:32)

I immediately explained this perceptual experience as an illusion caused by reflected light. (0:47:38)


But the source of the light was a mystery, for the streetlights had been disconnected all around the church for several days, and within another week all the trees around the church would be cut. Of course, with all this going on, the apparitions were a major news story. They were being reported extensively in the Arabic language press, both newspapers and magazines, particularly in Egypt. They were even being reported in newspapers around the world, including the New York Times and the British Telegraph. Locally, the crowds for the apparitions were growing, and they reportedly topped out at an estimated 250,000 people present for a single apparition. (0:48:20)

Some of the apparitions lasted just a few minutes, but one reportedly lasted for two hours and 15 minutes, which happened to be on the day that they cut the power in the neighborhood. Father Yohanna reports... Some people said this may be the result of light reflections, which is why they cut off the electricity from the whole area at dawn on April 30, 1968. On that day, the apparition lasted for two hours and 15 minutes. (0:48:56)

Even before that, Pope Kyrillos VI had quickly appointed a commission to study the apparitions as soon as they began to be reported, which is the same thing that would be done in the Catholic Church. When an apparition is reported and needs to be investigated, the local bishop is tasked with doing so, and he typically appoints a commission of experts to research it and deliver their findings to him, after which he makes a decision based on their research. (0:49:26)

We talked about that in episode 84 on private revelations, and you can go back and listen to that if you'd like more information about how private revelations work in the Catholic Church. Pope Kyrillos appointed three archpriests, known in the Coptic Church as hegumens. And yes, the word hegumen is related to the Greek term for governor, meaning that they had supervisory duties over other priests. These three were the director of the papal cabinet, the secretary of the Papal Committee for Churches Affairs, and the secretary of His Holiness Pope Kyrillos. So they were very trusted and respected men. They came back with positive findings, which we'll quote later. (0:50:11)

And on Saturday, May 4, 1968, the Patriarchate held a press conference that was attended by more than 150 reporters. Overseeing the press conference were four bishops, Bishop Athanasius of Benisuef, Bishop Abraham of Fayoum, Bishop Samuel, the General Bishop of Social Services, and Bishop Gregorius, Bishop of Scientific Research and Coptic Culture. Bishop Athanasius read and translated the statement of the Patriarchate, which we present here in full, including dates on the Coptic calendar. (0:50:52)

Since the evening of Tuesday, April 2, 1968 A.D., which coincides with Baram Hat 24, 1684 A.M., the apparition of the Virgin Mary, the Mother of Light, continuously occurred in the Coptic Orthodox Church after her name on Tomanbe Street at Zeytoun District in Cairo. This apparition occurred on many different nights and was not yet finished. (0:51:16)

It happened in different forms, sometimes with the whole body, sometimes with the upper half surrounded by a halo of light, sometimes from the windows of the domes on the church top, and other times outside the domes. She used to move and walk above the dome and bow in front of the upper cross, which would be illuminated with a bright light. She used to face the viewers and bless them with her hands and with gestures of her holy head. (0:51:37)

Sometimes she appeared in the form of a body of a bright cloud or in the form of light preceded by the emergence of spiritual forms such as high-speed doves. The apparition would continue for a long period of time, which sometimes reached up to two hours and fifteen minutes, as on the dawn of Tuesday, April 30, 1968 A.D., which coincides with Baram Hat 22, 1684 A.M. Her complete glowing figure lasted from 2.45 A.M. to 5.00 A.M. This apparition was witnessed by many thousands of people of different religions, faiths, denominations, and foreigners, clergy, scientists, professionals, and other groups who affirmed certainly that they had seen her. (0:52:24)

The large numbers agreed in describing every scene in its form, location, and time with unanimous testimony, which makes the apparition of the Lady of the Virgin, the Mother of Light, in this region a distinct apparition in its character, elevating it above the need for a statement or confirmation. This apparition was accompanied by two important matters. (0:52:48)

The first was reviving the spirit of faith in God, the other world, and the saints, and illuminating the light of the knowledge of God in many who were far away from Him. This led to the repentance of many and the change of their lives. The second matter was the occurrence of several wonderful miracles of healing, many of which were proven scientifically and through collective testimonies. (0:53:11)

The papal office collected information on all of the above by members and committees of priests who investigated the truth, witnessed this apparition themselves, and proved it in their reports to His Holiness Pope Kyrillos VI. The papal headquarters in issuing this statement affirms with full faith, great joy, and humble thanksgiving to the Almighty God that the Virgin Mary, the Mother of Light, has appeared successively, in clear and consistent forms, in many different nights, for varying periods, and at times for more than two hours, without interruptions. (0:53:48)

Beginning Tuesday evening, April 2, 1968 AD, which coincides with Baramhat 22, 1684 AM to date, at the Coptic Orthodox Church of the Virgin Mary on Toban Bay Street at Zeytun District and Al Mataraya Road in Cairo. This is the historically proven road that the Holy Family passed through during their trips in Egypt. May God make this blessing a symbol of peace for the world and prosperity to our dear homeland and our blessed people, to whom the prophecy proceeded and said, Blessed be Egypt, my people. (0:54:22)

Saturday, May 4, 1968 AD, Barabuda 26, 1684 AM, the Papal Headquarters in Cairo. So, the apparitions that occurred between April 2 and May 4 received official approval by the Coptic Patriarchate. Now, you may be wondering what the reaction of the Catholic Church was. Since the apparition was happening at a Coptic parish, it really wasn't the place of the Catholic Church to make an official pronouncement. (0:54:47)

But the local head of the Coptic Catholic Church, Cardinal Stephanos I, had an informal investigation conducted. And based on this investigation, he concurred with the Coptic Patriarchate. Cardinal Stephanos stated, It is no doubt a real appearance confirmed by many Coptic Catholic members of the highest integrity and reliability. They saw the Blessed Virgin's apparition and gave me complete details and descriptions of the appearances of the Blessed Apparitions on the dome of the Zeytun Church. Sister Paula de Muffalo, a Roman Catholic nun well known for her accuracy and preciseness, assured me of the certainty of the Virgin's appearance on the dome of the Zeytun Church. Sister Paula was shivering and trembling. (0:55:34)

She says that she was not the only observer, but she was among thousands of observers who all saw the apparition. This unique miracle embodies a benevolent message which will make the Zeytun Church a center of pilgrimage. Of course, this was not an official ruling since the apparition was taking place in a Coptic parish, but it did represent Cardinal Stephanos' informed personal opinion. In his book Zeytun, 1968-1971, Francis Johnston writes, As would be expected, there was no official pronouncement on the visions from Rome, though Pope Paul VI sent two investigators to Zeytun who saw the apparition with their own eyes. (0:56:17)

Reported in Al Aram, 6 May 1968, there was no obligation on the part of the Holy See to pass judgment on an event which occurred in a Coptic Orthodox environment. Similarly, the Copts felt it unnecessary to pronounce on the visions of the Blessed Virgin at Fatima in 1917. In a letter to the author, Father Jerome Palmer explained that Rome might only undertake its own investigation of the visions after corporate unity with the Coptic Orthodox Church has been attained. (0:56:46)

So the apparitions, at least of the first month, had now been approved by the Coptic Patriarchate, and the Catholic Patriarchate concurred in an unofficial decision. The apparitions would continue with significant frequency throughout the rest of 1968, and with lesser frequency in 1969 and 1971. Needless to say, because of all the attention they attracted, many people moved to Zeytun, and they ended up having so many Christians living there and wanting to come to Mass there that they had to build a new cathedral to accommodate them. (0:57:22)

And the new cathedral is huge. It's massive next to the church. President Gamal Nasser of Egypt reportedly gave permission for the public transportation bus garage to be torn down to make room for it. And the Christians of Egypt continue to honor Our Lady of Zeytun to this day. (0:57:41)


So we will next turn to theories and our faith and reason perspective. But first, I want to take a moment to thank our patrons who make this show possible, including Scott S., Danielle H., Morgan N., Jacob K., and Richard D. Their generous tax-deductible donations at sqpn.com slash give make it possible for us to continue Jimmy Akin's Mysterious World and all the shows at StarQuest. And you can join them by visiting sqpn.com slash give. (0:58:14)

Jimmy Akin's Mysterious World is also brought to you by Tim Shevlin's Personal Fitness Training for Catholics, providing spiritual and physical wellness programs and daily accountability check-ins. Strengthen yourself to help further God's kingdom. Work out for the right reason with the right mindset. Learn more by visiting fitcatholics.com. And by The Grady Group, a Catholic company bringing financial clarity to their clients across the United States, using safe money options to produce reasonable rates of return for their clients. (0:58:50)

Learn more at gradygroupinc.com. So, Jimmy, what theories are there about Our Lady of Zaytun? To investigate the apparitions, we need to consider three types of theories that could be responsible for them. First, there are naturalistic theories, things that would account for them that would be purely conventional. Second, they could have a paranormal explanation, something that isn't conventional but also wouldn't be a genuine manifestation of the Virgin Mary. And then finally, third, they could have a supernatural explanation. (0:59:28)

Before we start analyzing the different theories from the reason perspective, let's talk about the evidence we have to work with. There are a lot of photos from Zaytun. What should we make of them? Unfortunately, I don't think we can put a great deal of weight on the photographs. In some cases, we don't know who took them, which means that they could be fake. (0:59:53)

We know that vendors were selling photographs to the spectators, and vendors can't be assumed to be above faking photographs to make a buck. In other cases, we do know who took the photos, but unfortunately, they've been retouched, particularly to make the edges of the images stand out more. The sky has frequently been blacked out to make it darker so that you can see the luminous shapes better. (1:00:18)

That's why the shapes have such sharp edges in the photos. In some cases, the retouching has extended to sketching over the figure of the Virgin Mary to make her image clearer. For example, we know of one image that was retouched in this way by Dr. Labib Shenouda, who did the additional sketching from his memory of seeing the apparition. (1:00:44)

Fortunately, in this case, we also have the original un-retouched image, which is significantly blurrier. In any event, as a result of these factors, I don't think we can put much evidential weight on the details of these photographs, though the ones that have known sources, even if they've been retouched, together with the eyewitness accounts, really do reveal that there were genuine light phenomena taking place at the Church. What about other evidence that we have? Of course, we have numerous eyewitness statements, some of which we've heard, and some of which we'll quote as we go forward. (1:01:22)

I particularly like quoting official documents whenever possible, and one of these was prepared by Pope Corillus's commission of hegumens. It was a summary letter that dealt with both the experiences of the public transportation workers who were Muslim and with their own experiences, the hegumens, when they visited the site. This letter hasn't generally been public from my reading of the sources, but it is found in the Coptic Patriarchate's book for the 50th anniversary of the apparitions, and it's official document summarizing some of the evidence they gathered. So we will read it here in full. (1:02:01)

To His Holiness Pope Corillus the Sixth, Pope of Alexandria and Patriarch of the Sea of St. Mark, with subordination to your apostolic seat, we kiss your pure hands and ask for your righteous prayers. (1:02:14)


Your faithful sons, Hegumen Fr. Gyrgis Mata, Hegumen Fr. Yohanna Abdelmassi, and Hegumen Fr. Benjamin Camel are honored to present this report on the apparition of the Virgin St. Mary in her church located at Zeytun area. We were glad that Your Holiness has chosen us to visit the Church of the Virgin Mary at Zeytun. We went on Tuesday, April 23, 1968. When we first arrived, we wanted to interview those who saw the apparition of the Virgin Mary. We entered the garage opposite the church, but it was 9 p.m., so we called the workers of the garage, which belonged to the Public Transportation Authority. They assured us that they saw the Virgin themselves with their own eyes on the first night she was seen, four weeks ago. (1:03:05)

Each one of them said that he was not the only one who saw her, but that she was also seen by other co-workers at the same time, as well as by a large number of people by coincidence. They were passing by at that moment. This is the summary of the accounts of the workers of the garage of the Institution of Public Transportation. 1. Mr. Mahmoud Afifi, the instructor for the drivers of public transportation, his national ID number is 9937 El Sayedi Province, said, I was still awake in the garage facing the church at 8.30 a.m. on Tuesday, April 2, 1968, when I heard the parking guard standing at the door shouting loudly, Light on top of the dome! So I went out quickly and saw with my own eyes a lady moving over the dome and radiating an unusual light which lit the darkness of the area around the dome. (1:04:01)

So I looked harder and my eyes were fixed on her and I saw that she was the Virgin. And I saw her walk over the smooth dome and her body was a flame of light. And she walked calmly. I could not hold myself from shouting, God has purified and chosen you from among all the women of the world. 2. As for the guard named Mr. Abdel Aziz, working in the garage of the Public Transportation Authority, he also said that as soon as he saw the Virgin, he saw her as a body of light over the dome. (1:04:42)

He started to shout, Light over the dome! And I called to Hussein Awad, who hurried along with the other workers and saw the Virgin moving over the dome. I said, They were forbidden this year from visiting the Virgin in Jerusalem, so she came to visit them herself. Mr. Hussein Awad, a blacksmith in the garage of the Public Transportation Authority, National ID number 33289, Algiza province, commented, I saw the Virgin over the dome of the church as a body of radiant light, lighting the place like the sun. (1:05:15)

The Virgin was holding what looked like a branch of an olive tree and began to move. The light was shining from her body to all surrounding areas. The light then began to form a circle with the Virgin in its center. This scene I have never seen before. (1:05:28)


Mr. Yakut Ali, the worker at the garage of the Public Transportation Authority, described how the Virgin walked over the dome. He said, It was a flowing, brightly illuminated body in space. As soon as her feet touched the surface of the dome, they moved quietly, surrounded by a halo of reverence and holiness. (1:05:53)

Those who saw her were standing in awe and were taken by the magnificent view until this scene disappeared inside the dome. Your Holiness the Pope, these are the words of the employees of the General Transportation Company. We wanted to make sure ourselves, so we went on many occasions. One night we witnessed the Lady, the Virgin, appearing first with a celestial spherical light with the Virgin inside it. (1:06:16)

She then appeared with her whole body, moved over the dome, prostrated herself towards the cross, and blessed the joyful crowds who were shouting with their supplications. On another night we saw bright silver shining doves flying directly from the dome to the sky. We glorified God who allowed us, the earthly, to see the glory of the heavenly. (1:06:38)

All this is due to Your Holiness's pure prayers and powerful supplications for Your people. We ask God to perpetuate Your life as an asset and pride to the Church and to unite the Orthodox faith at Your hands. Please accept our submission to Your apostolic seat, and may He perpetuate for us and the people of the Church Your archpriesthood. April 30, 1968 A.D. Baramuda 22, 1684 A.M. So the hegumens confirmed the testimony of the public transportation workers. (1:07:12)

Even though they had initially thought that the woman they saw might be a normal person about to commit suicide, they ended up concluding that it was the Virgin Mary. The hegumens also visited the site themselves, and they reported seeing the apparitions with their own eyes. What can we say about Our Lady of Zeytun from the reasoned perspective? What kind of naturalistic explanations for the apparitions would there be? The two principal theories that we need to examine are hoax and misidentification. (1:07:41)

That is, whether someone could have pulled this off as an elaborate hoax, and whether it could have been an innocent misidentification of a purely natural phenomenon. Let's talk about the hoax theory. If you were going to argue that it was a hoax, what would you point to? In the 19th century, there were a large number of what are known today as physical mediums, and a large number of them are known to have been hoaxers. (1:08:07)

Physical mediums claim to manifest the presence of ghosts through physical phenomena, such as moving objects, playing musical instruments, and materializing glowing objects. We talked about physical mediums some in episode 200 on the Ghost Bride. Many of these mediums were exposed by the British and American Societies for Psychical Research, and they found that they were using magicians' tricks. (1:08:38)

They performed in darkness to make it harder to see what they were doing. In fact, that's where the whole idea of doing seances and ghost hunts in the dark came from. Real parapsychologists don't want to work in the dark, because it cuts down on your ability to see things. And physical mediums would use chemicals, often containing element 15 or phosphorus, to make objects that they pretended to materialize glow, because white phosphorus glows in contact with the oxygen in the atmosphere. (1:09:13)

So one theory to consider is whether someone could have pulled off an elaborate hoax, using phosphorus or another chemical to make a woman appear to glow, and doves appear to glow, and other light phenomena. The stars or sparkles that people reported seeing similarly could have been caused by pyrotechnic means or fireworks. And the clouds and incense that people reported could have also been caused by conventional means. (1:09:40)

So it would seem to be possible to generate a lot of the things that people reported seeing through natural chemical means. Then let's look at the other side of the argument. Are there factors that weigh against it being a hoax? We won't go through every conceivable objection that I can think of, but here are a number of them. (1:10:05)

First, in order to pull off a hoax like this, the perpetrators would have to be people inside the parish. A lot of the phenomena originated from the roof of the parish, so they would need roof access. But it doesn't appear that the priest was in on it, since he was at home and had to be summoned when the first apparition took place. (1:10:23)

It could have been other people in the parish, but the windows of the dome are sealed shut and do not open, so you couldn't use them to climb out of or release birds through them. Also, the dome is dozens of feet up in the air, and there's no real way to climb up to it without scaffolding. I'm sure there are ways to get onto the roof, but that wouldn't explain everything that people reported seeing. (1:10:50)

In the first place, the lights they reported seeing were way brighter than what you'd get from chemical luminescence. That tends to produce soft glows, but people sometimes reported seeing bright lights, and to produce those, you'd likely need electrical equipment that you wouldn't be able to hide. (1:11:09)


People would see spotlights coming from the church or aimed at the church. Spotlights would cut through the haze in the air and betray their presence. Also, the figure of the woman was reported to descend from the roof to the garden below the church, and she was reported to float down, not to plummet like a woman leaping off the roof. (1:11:38)

Further, she sometimes was reported to float up into the air, and there's no way for a human to do that without a jet pack, which they didn't have in 1968, or without a winch, which would have been seen. Then there are the doves, which people said were not only larger than normal doves, but which numerous witnesses said flew without flapping their wings, so you couldn't just coat dusts in phosphorus and release them. (1:12:03)

People also said that they sometimes saw the doves and the woman simply fade out, which is not what would happen if they were covered in a glowing chemical. That would fade out slowly over a long period of time, not suddenly. And people reported that the woman was bright enough that you couldn't always make out her shape. (1:12:31)

You'll recall Cynthia Nelson's testimony that she could see the outline of the woman if she thought about it, but if she told herself it was an illusion, she lost the outline of the woman. That's not something that you would expect to happen if a woman were simply covered in a light-producing chemical, or if you had a super bright light shining on her. Further, these apparitions went on for more than three years. (1:12:54)

There were more than 90 of them, and nobody ever caught the hoaxers. That's very improbable. If I were going to hoax an apparition, I'd do it once, or maybe a few times. But doing it more than 90 times, often with thousands of pairs of eyeballs watching, I wouldn't do that. The risk of getting caught would be too high. Yet, nobody ever caught the hoaxers. (1:13:25)

Nobody ever found a smoke machine. Nobody ever found spotlights. Nobody ever found a chemically laced dove, and some of them would have landed nearby. And nobody ever found a supply of light-producing chemicals. Given the complexity and magnitude of everything that happened, there's significant evidence against the hoax hypothesis. There's also another reason, which also strikes against the misidentification hypothesis, but I'll hold that one back for now. Then let's talk about the misidentification hypothesis. (1:13:56)

What could be said in favor of this one? A known phenomenon in human psychology is pareidolia, which is the tendency to impose a meaningful pattern on a nebulous stimulus. And this is known to happen in connection with religious imagery. That's why, back in 1994, a woman named Diane Deisser was cooking a grilled cheese sandwich, and when she looked at it, she thought that the char pattern on the toast looked like the face of the Virgin Mary. It became an international sensation in the news, and the sandwich eventually sold for $28,000, which would be worth $56,000 today after all the inflation the government has caused. (1:14:39)

In the case of Zaytoon, we have some witnesses saying they could see the Virgin Mary's features very clearly, including her eyes, nose, and teeth. But we also have other witnesses, like Cynthia Nelson, who said she could see the Virgin Mary's outline if she looked at the image the right way, but if she looked at it another way, the human outline would disappear. (1:15:03)

That's also reported in the cases of other apparitions, both in parapsychology and in the religious world. (1:15:09)


In parapsychological apparitions, some people report seeing a ghost clear as day, and they can even mistake it for a living human being, while other witnesses who are present see something, but they don't see it clearly. Similarly, in the Bible, there are apparitions where some people see or hear something clearly, like when God speaks to Jesus in John 12, and some of those who are present hear what God says clearly, but others think they've just heard thunder. Or when Jesus converts St. Paul in Acts 9, St. Paul hears what Jesus says clearly, but the men who are with him couldn't make out what the voice was saying. (1:15:53)

So it's not uncommon in apparitions for some people to perceive them clearly, while others who are present don't perceive them clearly. But as part of the investigative stage, we still need to ask whether pareidolia could be involved in this case. Could there have been light sources that people mentally imposed the image of the Virgin Mary on, like in the cheese sandwich example, and thus it was a purely natural phenomenon? That would still require that there be a light source for people to see as the Virgin Mary, or as doves, or whatever. (1:16:30)

Are there any natural light sources that it could have been? People on the ground actually did us a big favor by eliminating the common ones. You'll recall that on the first night of the apparitions, the police chief thought that the light might have been coming from nearby streetlights, so he broke them, and that eliminated the nearby streetlights as a cause. (1:16:53)

Then, a few days later, they shut down the power in the area to eliminate any other electrical light sources from the neighborhood. That might really annoy me if I lived in the neighborhood, but speaking as a paranormal investigator, I'm like, good job, excellent process of elimination. They also cut the trees to give people an unobstructed view of the light phenomenon, which would help eliminate distant reflections by letting you see what was going on clearly. (1:17:24)

Of course, someone could still have brought a generator or battery powered spotlight to the scene, but spotlights would have been seen by the crowd, the haze in the air, and Cairo can be a pretty hazy city, especially back in the 1960s before modern emission reduction technology and cars. The haze in the air would have made the beams visible, at least on some of the nights during the more than 90 appearances, and especially when those clouds that smelled like incense were present. (1:18:01)

So the conventional natural light sources that you'd think of seem to be eliminated. Are there any unconventional but natural light sources that have been proposed? There is one, earthquake lights. Earthquake lights are reported to be lights that appear in the air in association with earthquakes. We know that certain rocks under stress can generate electrical charges. The theory is that when these rocks are under tectonic stress, you know, seismic stress, they can cause lights to appear above the surface. (1:18:40)

And in 1989, John Derr and Michael Persinger published an article in which they proposed that the lights seen at Zeytun were caused in part by tectonic strain. (1:18:46)


They claimed in their article to find associations between when the apparitions occurred and seismic activity about 400 kilometers or 250 miles to the southeast of Zeytun. The association wasn't perfect, but they proposed that this activity was at least partly responsible for the lights along with other unknown factors. What do you make of that theory? Earthquake lights are controversial and not everybody is convinced that they're real or that they would happen in this kind of circumstance. It's also been pointed out that neither Derr nor Persinger were geologists. (1:19:27)

Instead, they were experts in psychology and they published their paper in a psychology journal. Here's part of what skeptic Brian Dunning of the Skeptoid Podcast had to say about this theory. There's one sciency-sounding explanation for the Zeytun lights that is mentioned in virtually every skeptical article on the subject. Earthquake lights. To grasp the plausibility or implausibility of earthquake lights as an explanation for Our Lady of Zeytun, you need only listen to my full Skeptoid episode on earthquake lights, number 534. In it, you'll find that despite widespread popular belief in earthquake lights, there is neither evidence for their existence nor any plausible theory suggesting anything like them might exist. (1:20:20)

Without exception, every time the source of a so-called earthquake light caught on video has been conclusively identified, it's been either lightning from a distant storm unrelated to the earthquake, the explosion of an electrical transformer directly related to the earthquake, or a cloud illuminated by the sun that should never have been called an earthquake light in the first place. (1:20:41)

There has never been any need to go in search of an exotic explanation for a mysterious phenomenon that we have no reason to believe exists. But using them to explain Our Lady of Zeytun stretches this to an even further level of absurdity. Derr and Persinger, the original authors, correlated her appearance to seismic activity 400 kilometers to the southeast. (1:21:07)

They were suggesting that these earthquakes caused lights that manifested neither as great flashes in the sky nor as sparks along the ground, but as a fully formed and recognizable human figure standing still or walking slowly on the rooftop of one particular church 400 kilometers to the northwest for quiet hours at a time over a period of three years. (1:21:34)

No other such apparitions were reported in this alleged 400 kilometer radius at all over that same period of time. Why not? Because it's a terrible, terrible explanation, and it is wrong. Unfortunately, Dunning does not have an explanation for what the lights were. He acknowledges that they existed, that there really were strange light phenomena at Zeytun, but as a hardcore skeptic, he attributes the apparitions to wishful misperception of the lights as the Virgin Mary. He seems unable or unwilling to accept the possibility that the could have a non-natural origin, but he has no explanation for what the lights were. (1:22:12)

He says, we need no earthquake lights, no miracles, and no papal declarations to explain Our Lady of Zeytun. We need only a great collective desire and belief by a passionate populace triggered by some unknown, inconsequential, various light sources that could have been anything. (1:22:34)


Dunning tries to sound persuasive, but could have been anything is not a satisfactory explanation in my mind. Dunning seems boxed in by a naturalistic mindset that's unable to acknowledge anything non-natural, and that's not open-mindedness. But I do agree with him that the earthquake lights theory isn't a good explanation. I'm more open to the question of whether earthquake lights might exist. (1:23:09)

I haven't researched that question in depth yet, but we may cover it on a future episode of the program. However, I find it very hard to suppose that earthquakes or seismic activity 250 miles away would cause human-shaped light sources to be seen at one specific church over a period of three years without other light phenomena being reported elsewhere. That seems very improbable. (1:23:40)

So despite our differences, I agree with Dunning that the earthquake lights explanation for Zeytun is super speculative and very unlikely, so not buying it. You said that there was one argument that you were going to hold back for the moment that dealt with both the hoax theory and the misperception theories. What was that? Miracles. If the apparitions were a hoax or if they were misperceptions of natural phenomena, they would not cause miraculous healings to happen. (1:24:10)

You'll recall that Farooq Muhammad Atwa, the transportation worker who pointed at the Virgin Mary on the first night, had a gangrenous finger that he was scheduled to have amputated the next day. But when he went to the hospital, the finger was found healthy and he got to keep it. Well, that was far from the only medically unexplainable healing connected with the apparitions. (1:24:35)

For example, to name just one source, the 50th anniversary book produced by the Coptic Patriarchate, it contains multiple miracle reports. This is one of them. Mr. Riyad Naguib Ezer, Bachelor of Commerce, University of Alexandria, said, I developed a retinal detachment due to rupture of the retinal vein in my right eye. The internal hemorrhage continued for 21 days, followed by a clot in front of the retina. (1:25:06)

A group of ophthalmologists announced that it had no treatment, no cure in Egypt or abroad. This shocked me, but I believed in God's mercy, especially when I heard what was published in the newspaper Watani about the apparitions of the Blessed Holy Virgin Saint Mary to millions at Zeytun Church, named after her. On the morning of Sunday, April 21, day of the Resurrection Feast, I traveled to Cairo, accompanied by my mother and my friend, Fikri el-Sayed el-Shawawi. Together we went to the church, prayed, and asked others to pray on my behalf. (1:25:41)

I spent the night there, yet she didn't appear, and on the evening of the next day, Easter Monday, suddenly the Virgin appeared and the crowd started cheering joyfully. Without knowing, I closed my left eye with my hand and lifted up my eyes to the sky and screamed praying, If medicine has failed, the Lord will not fail. (1:25:59)

Then the greatest surprise of my life occurred. I saw the Virgin Saint Mary appearing as we know her, glowing with a light brighter than I had ever seen before, with white doves circling around her. I saw all of this with my blind right eye. Then she disappeared. Then I looked at my mother and my friend Fikri and screamed, I see with my right eye. (1:26:25)

People started gathering around me and they carried me on their shoulders as I continued screaming, I am healed! A miracle has happened to me! Here Bishop Marcos reports a healing that he witnessed. We had a man who was very crippled. His hands were paralyzed and his back was bent and he could barely speak. At approximately seven o'clock in the evening, I saw him begin to move his hands and then his fingers and then the rest of his body. (1:26:50)

Before long he threw his canes from his hands and began to run around the church blessing God because now he was healed. And here Bishop Gregorius reports one that occurred to a Muslim woman who later came to him. (1:27:03)


With a stick in her hand she said, I am bringing this stick with me not because I need it anymore but to convince you that I was paralyzed and I was depending on this stick and now I don't need it. And Father Yohanna similarly reports. Three months after the apparition, other servants and myself witnessed a miracle while we were standing at the north yard of the church. (1:27:38)

We saw a blind and paralyzed lady entering the church on a wheelchair. She came to the church following the Virgin Mary's promise who visited her at night saying, Visit my church at Zaytoun and you will be cured. She came to the church following the Virgin Mary's promise who visited her at night saying, Visit my church at Zaytoun and you will be cured. A strong light radiated from the northeastern dome when the lady stepped into the church. (1:28:16)

We then saw her standing and moving towards the church, leaving the wheelchair behind in a stream of joy and praise. These are just a few miracle reports among many others, and it wasn't just sick people who reported the healings. Doctors who had examined the sick also confirmed the miracles. Some of the doctors were even skeptics. (1:28:43)

For example, Cynthia Nelson reported. There are those for whom the apparition does not make sense, and for whom an admission of its validity would threaten their taken-for-granted world. One prominent chirosurgeon expressed this existential dilemma in the following narrative. A patient of mine, upon whom I had operated two years ago for cancer, returned to my office three weeks ago for a checkup. (1:29:07)

Upon examination, I discovered that the man had another tumor. I actually felt the tumor during the internal examination and removed a piece of tissue for biopsy. When the test showed it was malignant, I recommended an immediate operation, but the man refused, saying he did not have enough money, and left the office. Two weeks later, he returned and asked for another examination. (1:29:31)

To my astonishment, I could not find the tumor, but only some white scar tissue. The man told me he had gone to Zeytun and prayed to the Virgin for help. I did not believe in such miracles, but I cannot explain the disappearance of the tumor and it is driving me mad. So between the problems with the hoax theory, the problem with the misperception theory and what the light source would have been, and the documented miracle accounts, I think the evidence points away from there being a natural explanation for the apparitions. (1:30:04)

So just because there isn't a natural explanation for an event doesn't mean that there must be a religious explanation. There are reports of paranormal phenomena of various kinds. Have any paranormal explanations of the apparitions been proposed? The only one I'm familiar with is one favored by Eric Ouellette on his parasociology blog. He agrees that the naturalistic explanations for the apparitions fail, but he also refuses to adopt the religious explanation on what seems to be essentially ideological grounds. (1:30:38)

This is something I've seen with various researchers in parapsychology. (1:30:42)


They point out that ideology keeps naturalists from embracing anything other than a naturalistic explanation, allegedly on the grounds of needing to do science. But then they themselves refuse to consider a religious explanation also allegedly because they need to do science. This doesn't necessarily mean that they aren't themselves religious, but it does mean that they won't consider religious explanations when they're trying to act in a scientific mode. (1:31:17)

In Ouellette's case, he says, "...to stick to a purely geological explanation, one would need to invoke a long list of geological coincidences never seen before and dismiss condescendingly all the witnesses as unreliable. This is an unreasonable perspective that is based on a belief that a purely naturalistic explanation somehow exists but cannot be proven. The religious explanation is no different from the geological one as it is based on a theological corpus from which a belief in Marian apparitions can be supported but not proven. (1:31:59)

It is a matter of belief." He then proposes his own theory and concludes, "...this explanation is neither religious nor naturalistic and yet does not require a belief system." Which is just mistaken. Everybody has a belief system and every theory is undergirded by a system of beliefs including the paranormal beliefs that undergird Ouellette's own proposal. So what does he think happened? To explain Zaytoon, Ouellette uses a model that was originally developed to explain UFOs as paranormal phenomena, but he thinks it also applies here. (1:32:31)

He believes that the geophysical factors cited by Durer and Persinger played some role in helping Zaytoon to happen, but as a necessary condition rather than a sufficient condition. He doesn't think that earthquake lights would have appeared the way they did at the church. Instead, he thinks that the geophysical conditions helped set the stage, and then the phenomena themselves were paranormally produced by a large sociological effect. (1:33:04)

In short, he thinks that the light phenomena were produced by what's known as Recurrent Spontaneous Psychokinesis, or RSPK. If that sounds familiar, it's because we've talked about it before, such as in episode 159 on poltergeists. The idea is that, without meaning to, people who are under stress sometimes subconsciously manifest psychokinesis, or PK, and cause objects to move. This is thought to be responsible for much of the poltergeist phenomena that gets reported. (1:33:36)

In this case, Ouellette proposes that the PK manifested in the form of light phenomena, and it was brought about because of the stress the Egyptian people in the area were under. Because of all the stress, he thinks that a bunch of people began spontaneously manifesting PK that took the form of light phenomena, providing them with comforting apparitions of the Virgin Mary. What does he think was the cause of the stress? We've already made reference to what happened in the Six-Day War. Does he think that was the source of the stress? Somewhat surprisingly, he points to something else. (1:34:10)

The Six-Day War had taken place a year earlier in 1967, and Ouellette suggests that the stress was from something different. He notes that later in April of 1968, the Egyptian government freed over 1,000 radical Islamists from prison. These were members of the Muslim Brotherhood, and they included Ayman al-Zawahiri, who later became a key leader in al-Qaeda. Ouellette proposes that there were people who either precognitively sensed the coming release of the prisoners or who knew about it in advance, and that this caused them so much stress that it started the apparitions as a kind of collective, large-scale manifestation of PK. What do you think of Ouellette's theory? (1:34:58)

Well, there are reports of collective parapsychological experiences, where one person starts manifesting a psychic ability, and then other people start manifesting it too, either through telepathic influence or through normal influence. For example, displaying PK at a spoon-bending party. One person spoon-bends, and then all kinds of other people start having spoons bent. So, it's not unheard of that there would be a collective psychic experience. (1:35:25)

You could then propose that the healings that took place were examples of parapsychological healing rather than supernatural healing. But psychokinesis does not normally manifest in the form of light phenomena. It characteristically manifests as moving objects, not bending or generating light. In Alan Gauld and A.D. Cornell's book Poltergeists, they did a statistical study of the phenomena that are reported in poltergeist cases, and out of 500 cases that they logged, luminous effects were reported in only 10% of them. (1:36:07)

And those were coupled with other effects, like spontaneously moving objects. So, it would be very unusual to have a poltergeist case manifesting so heavily in the form of light effects without the other effects normally present in poltergeist cases. So, Ouellette's theory sounds improbable to me. Also, the stuff about the Muslim Brotherhood prisoners being released is highly speculative, and Ouellette himself acknowledges that it's impossible to tell whether this was what triggered the proposed poltergeist agents in his theory. (1:36:45)

My more fundamental problem with the theory is that it's all just speculation. Ouellette doesn't present substantial evidence in its favor. As I mentioned, his primary reason for adopting it is ideological rather than evidential. He's just not prepared to consider a religious explanation or even a spirit-related explanation, even if he doesn't think it's the Virgin Mary. He could say, well, some spirit showed up and appeared to these people as an apparition, but he won't go there. (1:37:15)

And so, his collective psychokinesis theory is the best one he can come up with. But I am of the view that phenomena should be interpreted at face value until such time as we get evidence that they should be interpreted in another way. (1:37:27)


Well, these phenomena presented themselves as the apparition of a spirit and specifically of the Virgin Mary. So, that's how they should be interpreted until we get good evidence to the contrary. And we don't have such evidence. The evidence points to there being apparitions of a spirit and specifically of the Virgin Mary. Then let's talk about Our Lady of Zaytun from the faith perspective. (1:37:57)

Let's start with the fact that many of the witnesses were Muslim and believed it was the Virgin Mary. What do you make of that? I'm not surprised. Although they don't regard Jesus as God, Muslims do regard him as a prophet of God and as the Messiah. And they regard his mother Mary as a very special woman in God's plan. (1:38:15)

They believe in the virgin birth and in Mary's perpetual virginity. They believe Mary was specially chosen by God. They believe that she is the greatest woman who ever lived. She's the only woman mentioned in the Qur'an. In fact, she's mentioned 70 times in the Qur'an, which is more than she's mentioned in the Bible, actually. And there's a whole surah or chapter in the Qur'an that's named after her. (1:38:39)

Furthermore, many Muslims have a devotion to Mary and visit sites connected with her, including Christian shrines to Mary. Muslim women in particular often seek Mary's assistance when they're seeking to become pregnant. So it doesn't surprise me that Muslims were favorably disposed to the apparitions of Our Lady of Zaytun. What about the fact that Mary was appearing at a Coptic church? Some people might wonder if God would really give private revelations in a non-Catholic context. (1:39:06)

All people are God's children, and he loves all of us. Because of his love, God can bless and speak to anyone. As Jesus says, God makes his son rise on the evil and the good, and he certainly gives light to Christians when they seek it. We talked about that back in episode 44 on John Hendricks, the Tennessee prophet. (1:39:31)

Even though he was Protestant, we saw there were good reasons to think that God was genuinely giving John Hendricks private revelation. I therefore have no problem with the idea that God would give private revelations to other Christians, including especially allowing the Virgin Mary to appear to Christians like those in Egypt who love her so much. And the Christians in Egypt saw her appearance as a sign of peace and unity. (1:39:54)

Not only did the Coptic authorities officially approve the apparitions, and the Catholic patriarch also gave his personal approval, even Dr. Ibrahim Said, the head of the Protestant church in Egypt, supported the apparitions. So this was a pan-Christian event, a sign of peace and unity, rather than an occasion for squabbling about whose understanding of the Christian faith is most correct. It's pan-Christian events like this that can help build bridges within the Christian community and spur us towards unity. (1:40:30)

You classified the apparitions as private revelations, but Mary, unlike at Fatima and many other cases, was not reported giving anyone any messages, no secrets or prophecies. What do you make of that? I'm also not surprised by that. Actually, the fact no messages are reported after so many appearances is another sign of confidence about what happened. (1:40:54)

If anyone tried to make anything up, it didn't get any traction, which shows that people were exercising discernment. While many Marian apparitions do contain verbal messages, not all of them do. For example, during the apparitions of Puma or Pantméne, France, in 1871, also known as Our Lady of Hope, the Virgin Mary didn't say anything out loud, although there was a written message. (1:41:18)

Neither did she say anything in the apparitions at Knock, Ireland, in 1879. Those apparitions were completely silent. So it's consistent with previous approved Marian apparitions that she may not say anything. Furthermore, you don't have to speak in order to send a message. Just showing up by itself sends a message. And in this case, the Virgin was reported to also nod and bless the people with her hands, which communicates the message that God loves them and is blessing them. (1:41:52)

What about the implications that some drew in relation to the defeat during the Six-Day War? Some saw Our Lady of Zeytunas communicating the message that God was on Egypt's side militarily, and they might defeat Israel in the future. (1:42:03)


Well, I understand why some Egyptians thought that. It's natural to read signs of divine favor in terms of your own concerns. And in 1968, people were concerned about what had happened during the Six-Day War. However, despite the difficulties God's children have with each other, He loves all of us, and the dove is a prominent symbol of peace. (1:42:29)

So I would be inclined to interpret the dove-like apparitions that appeared alongside Our Lady of Zeytun as symbols of peace, at least in part. Unfortunately, there was another war with Israel in 1973, but after that, the two nations began working towards peace. In 1978, the Camp David Accords were signed. Israel returned the entire Sinai Peninsula to Egypt, and in 1979, the Egyptian-Israeli Peace Treaty was signed. (1:43:00)

Egypt recognized Israel as a legitimate state, and full diplomatic relations, including an exchange of ambassadors, were established in 1980. Despite continuing tensions, the two countries are strategic partners, and the peace between them has held for 40 years. Is there anything else to say before we go? Just a few things in closing. First, here's a closing reflection by Fr. Yohanna of St. Mary's Church. She appeared after the defeat of the 1967 war, because people were depressed during that time. The Virgin Mary appeared as if she were saying, I am always with you. (1:43:39)

I will never abandon you. I am happy because I am with you. I am going to shower you with blessings and grace. As a result, a lot of people repented, and their faith became more steadfast. We should set our eyes upon God, because we believe in heaven and eternal life. To heaven, our eyes are lifted. (1:44:09)

With longing, our hearts are filled. With your love, O Virgin, we are overwhelmed. For your intercession, we are seeking. We will always remember April 2nd, 1968. Glory be to God, forever and ever. Amen. And here's what Bishop Marcos has to say. The vision of St. Mary is intended for all Egyptians, not just the Christians. She gives them peace. She gives them hope and the belief that tomorrow will be better than today. (1:44:40)

I want to say a special thanks to Ibrahim Yusuf of Cairo, both for his financial generosity to the program and for his help in researching this episode. He visited the church in Zeytun, and he provided me with research materials that are not available here in the United States. Just like Sherlock Holmes had his Baker Street Irregulars who helped him with his research, people who help Mysterious World research various topics are known as the Mysterious Irregulars. So thank you very much, Ibrahim, and welcome to the Mysterious Irregulars. So, Jimmy, what's your bottom line on Our Lady of Zeytun? (1:45:18)

I think Our Lady of Zeytun was a genuine apparition. The idea that it was a hoax is extremely improbable, given the circumstances and the more than 90 appearances. The common light sources that you would expect were eliminated and could not have been responsible, the earthquake light theory is bad, and in addition to numerous eyewitness testimonies, we have medically documented miracles. (1:45:46)

The mass psychokinesis theory that Eric Ouellette proposed is purely speculative and not supported by evidence, and so the apparitions should be taken as what they appear to be—genuine apparitions of the Virgin Mary. I thus concur with the official Coptic approval of them and the unofficial approvals by the Catholic and Protestant leaders in Egypt. So let's give thanks to God for the appearances of Our Lady of Zeytun and for his and her love for us in general. (1:46:13)

And so, Jimmy, what further resources can we offer to the listeners and viewers? (1:46:18)


We're going to have links to Our Lady of Zeytun, the Zeytun Memorial Foundation, the Coptic Orthodox Church, Oriental Orthodox Churches, the Common Declaration of Pope Paul VI and Pope Shenouda III, information about the Coptic Calendar, a short Zeytun documentary, Cynthia Nelson's article on the Virgin of Zeytun, which unfortunately is behind a paywall, also information about earthquake lights, Dürer and Persinger's article on the geophysical interpretation of Zeytun, which is also behind a paywall, the Skeptoid podcast, and two posts from Parasociology, Eric Ouellette's blog, as well as information on Mary and Islam. Excellent. So that's it from us this time. What are your theories about Our Lady of Zeytun? (1:47:09)

You can let us know by visiting sqpn.com or the Jimmy Akins Mysterious World Facebook page, sending us an email to feedback at mysterious.fm, sending a tweet to at mys underscore world, visiting the StarQuest Discord community at sqpn.com slash discord, or calling our mysterious feedback line at 619-738-4515. That's 619-738-4515. And so other people might be as well, and it'll show more people the episode. (1:48:07)

So you can help the channel grow by showing, by liking, commenting, and especially by subscribing. And when you do that, be sure to hit the bell notification so that you always get notified whenever I have a new video out. Usually I have at least two or three a week at this point. So um do subscribe and hit the bell notification so that you actually get notified for what you've subscribed to. (1:48:40)

I am trying to grow my channel and I'd really appreciate it. Also thank you to Melanie Bettinelli for her voice work in today's episode. So Jimmy, what's our next episode going to be about? Next time we're going cryptid hunting again. This time the hidden animal or cryptid that we're hunting is a strange creature described in medieval tales, including those about King Arthur. It's known as the questing beast. (1:49:02)

Folks, be sure to share the podcast with your friends and write a review in Apple Podcasts or wherever you get your podcasts from to help us grow our community and reach more listeners. You can find links to Jimmy's resources from our discussion on our show notes at www.mysterious.fm. And remember, to help us continue to produce the podcast, please visit sqpn.com. Jimmy Akin's Mysterious World is also brought to you in part by DeliverContacts.com. Offering contact lenses at low prices with free delivery. (1:49:39)

Visit DeliverContacts.com. And by Great Lakes Customs Law. Helping importers and individuals with seizures, penalties, and compliance with U.S. customs matters throughout the United States. Visit GreatLakesCustomsLaw.com. And by Rosary Army. Featuring award-winning Catholic podcasts, rosary resources, videos, and the School of Mary online community, prayer, and learning platform. Learn how to make them, pray them, and give them away while growing in your faith at rosaryarmy.com and schoolofmary.com. Until next time, Jimmy Akin, thank you for exploring with us our mysterious world. (1:50:21)

Thanks, Dom. And once again, I'm Dom Bettinelli. Thank you for listening to Jimmy Akin's Mysterious World on StarQuest. (1:50:29)