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Web 資料「Al Bielek のデマ」の AI 整理・分析

· 86 min read

前置き

Al Bielek に関する以下の一連の Web 資料を AI(NotebokLM plus) でまとめて整理した。

  1. https://de173.com/al-bielek-debunked/
  2. https://de173.com/al-bielek-debunked-false-statements-about-scientists/
  3. https://de173.com/al-bielek-debunked-investigation-on-emil-kirtenauer/
  4. https://de173.com/al-bielek-debunked-al-bieleks-faked-family-album/
  5. https://de173.com/al-bielek-debunked-larry-james-and-other-montaukwitnesses/
  6. https://de173.com/al-bielek-debunked-al-bielek-on-coast-to-coast-am-with-george-noory/
  7. https://de173.com/al-bielek-debunked-we-are-not-alone/
  8. https://de173.com/al-bielek-debunked-statements-of-the-investigators/
  9. https://de173.com/philadelphia-experiment-60-years-later/

これだけの資料を人手でまとめるのは手に余るが、AI なら以下の通り。

音声対話(by AI)

https://notebooklm.google.com/notebook/b9bcd6ec-50af-467a-bbce-718b1d537b3e/audio

要旨 (by AI)

このソースは、アル・ビーレクとフィラデルフィア実験に関する彼の主張に対する詳細な反論を提示しています。著者たちは、ビーレクの過去と彼の物語の変遷を調査し、彼がフィラデルフィア実験に参加しておらず、彼の証言が時間の経過とともに改変され、捏造されたものであると主張しています。

彼らは、ビーレクの多くの主張が検証不可能なものであるか、または明確に虚偽であることを示唆しており、彼の物語はメディア操作と誤情報によって広く受け入れられたと結論付けています。この報告書は、ビーレクの物語が厳しい精査に耐えられないことを証明することを目的としています。

要約

AI

アル・ビーレクに関する詳細なブリーフィング資料:主なテーマと重要な事実

この資料は、アル・ビーレク氏の主張、特にフィラデルフィア実験とモントーク・プロジェクトに関する主張を検証するウェブサイト「Al Bielek Debunked」からの抜粋に基づいています。

主要なテーマ

  • アル・ビーレク氏の主張の信用性への疑問: 複数の情報源が、アル・ビーレク氏のフィラデルフィア実験とモントーク・プロジェクトへの関与に関する詳細な主張に疑問を呈しています。彼の経歴、家族、関わったとされる科学者、そして時間旅行の記述に、矛盾や虚偽の可能性があることが指摘されています。
  • フィラデルフィア実験の現実性 vs. アル・ビーレク氏の物語: 「Al Bielek Debunked」の執筆者であるマーシャル・バーンズ氏は、フィラデルフィア実験自体は実際に、光学およびレーダー探知を回避するための電磁場を用いた実験として行われた可能性が高いと考えていますが、アル・ビーレク氏が語るその物語は「でっち上げ」であると強く主張しています。
  • モントーク・プロジェクトの「伝説」: モントーク・プロジェクトは、マインドコントロールや時間旅行などの要素を含む「伝説」として描かれています。情報源は、この伝説が既知の陰謀論(行方不明の子供たち、秘密の政府技術、オカルト秘密結社、UFOなど)を取り込み、フィラデルフィア実験の物語と組み合わされることで、より広範囲な物語へと発展したと示唆しています。
  • 懐疑論者への批判と真実の探求: マーシャル・バーンズ氏は、伝統的な懐疑論者が実際の調査を怠り、既存の否定的な主張を繰り返す傾向があると批判しています。一方で、自身はフィラデルフィア実験の科学的な側面に焦点を当て、実証可能な証拠に基づいて真実を追求していると主張しています。
  • 大衆意識の操作: 「Al Bielek Debunked」の執筆者たちは、終末論や陰謀論の氾濫が、大衆意識を操作しようとする試みの一部である可能性を示唆しており、人々に対し、情報の信頼性を検証し、恐怖に煽られないよう警告しています。

最も重要なアイデアまたは事実

  • 「エドワード・キャメロン」としてのアル・ビーレク氏の主張の虚偽性:アル・ビーレク氏は、自身がかつて「エドワード・キャメロン」という人物であり、1916年8月4日にニューヨークで生まれたと主張しました。「私は、1916年8月4日にニューヨーク地域で、アレクサンダー・ダンカン・キャメロン・シニア氏を父として生まれました。」「アルフレッド・ビーレクは、1916年8月4日にエドワード・A・キャメロン2世として生まれました。父(アレクサンダー・ダンカン・キャメロン・シニア)は、アメリカが第一次世界大戦に参戦する前に米海軍に入隊しました。」
  • 彼は、兄弟のダンカン・キャメロンとともに裕福な家庭で育ち、「アーノルド叔母に主に育てられました。」
  • エドワード・キャメロンとして、彼はプリンストン大学とハーバード大学で物理学の博士号を取得し、兄のダンカンもエディンバラ大学で博士号を取得したと主張しています。「彼はエディンバラ大学、スコットランド、エディンバラに行き、39年夏に物理学で博士号を取得しました。私はプリンストンに行き、学士号と修士号を取得しました。博士号はハーバードに行きました。」
  • 彼とダンカンは1939年9月に米海軍に入隊し、90日間の特別訓練を経て少尉となったと述べています。「1939年9月、ダンカンと私は共に米海軍に入隊し、少尉の任官を受け、ロードアイランド州プロビデンスで「特別任務」海軍職員のための90日間の訓練校に通いました。」
  • 彼らはUSSペンシルベニアに配属され、1941年のほとんどを太平洋で過ごしたと主張しています。「1941年1月、私たちは海軍勤務のためUSSペンシルベニアに送られました。1941年のほとんどを太平洋で過ごしました。」
  • しかし、プリンストン大学のアーカイブ担当者であるトム・ヒリー氏は、プリンストン大学の卒業生名簿に「キャメロン」の名前はリストされていないと回答しています。「イェール大学の卒業生名簿、1924-1954を確認しましたが、どちらのキャメロンもリストされていませんでした。」
  • 「Al Bielek Debunked」の調査により、アル・ビーレク氏が公開した「家族アルバム」とされる写真が、実際にはアレックス・キャメロン3世の盗用された写真であることが示されています。
  • 「エミル・キルテナウアー博士」に関する主張の虚偽性:アル・ビーレク氏は、フィラデルフィア実験の起源に関わった科学者として、「オーストリアの物理学者、キルテナウアー博士」の名前を挙げています。「関係した3人の主要人物は、ニコラ・テスラ博士、ジョン・ハッチンソン・シニア博士(後のシカゴ大学学長)、そしてオーストリアから来たシカゴ大学のスタッフだったオーストリアの物理学者、キルテナウアー博士です。」
  • しかし、オーストリアのザルツブルク大学およびウィーンの物理学中央図書館への調査依頼の結果、「エミル・クルテナウアー博士」に関する情報は見つかりませんでした。「エミル・クルテナウアー博士に関する情報は、大学のアーカイブおよび図書館のいずれにも見つかりませんでした。」「長時間の徹底的な調査の後、申し立てられているエミル・クルテナウアーに関する追加情報を見つけることができなかったことをお伝えしなければなりません。アメリカおよびオーストリアの人物事典、ウィーンの住民登録所のいずれにも、「エミル・クルテナウアー博士」に関する情報は確認できませんでした。」
  • 「Al Bielek Debunked」の執筆者は、「クルテナウアー」という名前が、ジョージ・E・シンプソンとニール・R・バーガーによるフィクション小説「Thin Air」から「直接持ち上げられた」ものであると指摘しています。「「クルテナウアー博士」のキャラクターは、フィクション小説「Thin Air」(ジョージ・E・シンプソンとニール・R・バーガー著)から直接持ち上げられました。」
  • ニコラ・テスラに関する主張の疑問:アル・ビーレク氏は、ニコラ・テスラがフィラデルフィア実験に深く関与し、1942年3月のテストで機材を妨害したと主張しています。「特定のテストが近づき、彼は非常に不安になり、最終的に、時間の延長も、問題を修正するためにハードウェアを変更する方法もないと判断し、彼に残された唯一の方法は、機材を妨害することでした...そして、テスラ氏は退場しました。彼は言いました、「紳士諸君、この実験は失敗であり、私が去る時が来ました。非常に優れた男がここにいて、物事を機能させることができます。それがジョン・フォン・ノイマン博士です。さようなら!」」
  • しかし、アル・ビーレク氏が描く、非常に病弱で虚弱だったとされるテスラ氏の姿は、複雑な科学プロジェクトに積極的に参加できたかどうか疑問を投げかけています。「私が来た時、私は一度にすべてを見たかった…なぜなら、ここにこの偉大な男がいて、彼に会い、どのように生きているのかを見る機会があったからです。彼はベッドに横たわり、ドアに向かっていました。パジャマを着て座っていましたが、非常に脆弱でした…そして、この男が翌日まで生きているのかどうかはわかりませんでした。彼は私にとって非常に病んでいて非常に虚弱に見えました。」
  • ラリー・ジェームズを含む他のモントーク「証人」への疑問:アル・ビーレク氏の主張を支持する他のモントーク「証人」についても懐疑的な見方が示されています。特に「ラリー・ジェームズ」と呼ばれる人物については、声が若いことが「警告の旗」であり、プリストン・ニコルズの周りに集まった「モントークの少年志願者」の一人である可能性が指摘されています。
  • ラリー・ジェームズ氏のウェブサイトに掲載されているとされる「時間制御装置」の写真は、実際には「Delta T Transmitter」ではなく、EMCO(現ETS-Lindgren)の「バイコニカル」アンテナであることが明らかになっています。「もしあなたが「Delta T Transmitter」とラベル付けされた写真を注意深く見れば、そうでないことに気づくでしょう。」「ごらんのように、実際には「バイコニカル」アンテナと呼ばれており、Delta Tではありません。」
  • また、「E Field Generator – Doorway」とされる写真についても、Eフィールドジェネレーターが「出入り口」を作り出すことはないだろうと指摘されており、そのアイデアはニューエイジ的なウェブサイトから取られた可能性が示唆されています。
  • 海軍の関与とデバンキングの主張への反論:アル・ビーレク氏は、海軍が自身のデバンキングに大規模な努力をしていると主張しています。「しかし同時に、明らかなのは、この実験が起こったことをまだ認めようとしない海軍の非常に大きな努力があり、それが起こったことを否定し、誰もが受け入れられる方法で証明されるのを阻止する大規模な努力があるということです…」
  • しかし、マーシャル・バーンズ氏は、自身のウェブサイト「bielek-debunked.com」は海軍とは無関係であり、むしろ海軍がフィラデルフィア実験について「嘘をついている」ことを証明する証拠を持っていると主張しています。「bielek-debunked.comは、火星人が運営しているのと同様に、海軍がアル・ビーレクをデバンキングする努力ではありません。私たち3人は、フィラデルフィア実験が現実だったという事実を支持しています。」彼は、海軍の担当者がフィラデルフィア実験について嘘をつき、さらにエリア51について知っていることを隠そうとした事例を挙げています。「Viewzoneの記事を注意深く読めば、私が海軍の担当者がフィラデルフィア実験について嘘をついているのを見つけ、その後、彼がエリア51について聞いたことがないと否定した時に、予期せず別の嘘を見つけた方法がわかるでしょう。」
  • 時間のロックアップと未来への旅行に関する主張の変更:アル・ビーレク氏は、フィラデルフィア実験中にUSSエルドリッジからジャンプし、当初は1983年のモントーク空軍基地に到着したと長年主張していました。「エドとダンカンが1943年にUSSエルドリッジから飛び降りた後、彼らは1983年のモントーク空軍基地に到着しました。」
  • しかし、1999年以降、彼はこの話を変更し、彼らが2137年に到着したと主張し始めました。「エドとダンカンが1943年にUSSエルドリッジから飛び降りた後、彼らは2137年に到着しました。」
  • この変更は、彼が自身の物語を継続的に「装飾」し、新しい要素(この場合はWingMakersのデマ)を取り込んでいる証拠として提示されています。
  • アル・ビーレク氏の他の主張と終末論:アル・ビーレク氏は、フィラデルフィア実験の物語を超えて、さまざまな終末論や陰謀論を提唱していることが指摘されています。Y2K、惑星直列、9/11の出来事などに関連した終末予言を、彼は自身の主張に取り込んでいます。
  • これらの主張は、大衆を恐怖に陥れ、意識を操作しようとする広範な動きの一部である可能性が示唆されています。
  • アル・ビーレク氏の過去とコネクションの検証:アル・ビーレク氏が、フィラデルフィア実験やUFOに関する研究に1950年代から関わっていた可能性が示唆されています。彼はイヴァン・T・サンダーソン氏を知っていたと主張しており、「1952年、私はイヴァン・T・サンダーソンに会いました。彼は1952年と1953年に「フィラデルフィア実験」について独自の調査を行いました。」これは、彼が主張するような突然の記憶の回復ではなく、以前からこれらの分野に興味を持っていたことを示唆しています。
  • 彼がホフマン・エレクトロニクスで働いていたという主張は、会社の記録が古すぎるため検証できませんでしたが、シカゴでの匿名の情報提供者は、1970年代初頭に彼がVapor Corporationで電気技師としてコンサルティングをしており、当時から「地下基地と政府/地球外生命体の陰謀にのめり込んでいた」と述べています。
  • 彼はウィリアム・ビス氏と協力し、ELF電磁放射が人間の行動に与える影響に関する研究に関わっていたことが確認されています。これは後のマインドコントロール理論の先駆けと考えられており、モントーク・プロジェクトの物語の要素を取り込む基盤となった可能性が示唆されています。「ビゼ氏の報告書のタイトルは、連続波無線周波数の応用とそれらが脳に与える影響について考えさせられます。言い換えれば、ビゼ氏の仕事は、後に集中的な研究の対象となり、最終的にマインドコントロール実験として知られるようになったものに基づいています。この矢印はモントークのシナリオにつながります。」
  • 彼は米国心理音響学会(USPA)の会議で長年にわたり講演を行っており、プリストン・ニコルズもそこで講演していました。これは、彼らが互いに接触し、物語を共有または構築していた可能性を示唆しています。
  • 資料の信頼性への懐疑的な視点:アル・ビーレク氏の主張を検証している側も、特定の人物(例えば、フィリップ・シュナイダー氏)の死の状況(自殺とされたにもかかわらず)に疑問を呈しており、この分野における危険性を示唆しています。
  • 「Al Bielek Debunked」の執筆者たちは、アル・ビーレク氏が提供したとされるフィリップ・シュナイダー氏の父親からの手紙が「偽物」であると断定しています。これは、日付、船名、階級、海軍のプロトコルが間違っているためであり、海軍の将校でさえ詐欺であると示唆したほどです。「手紙は偽物であり、見かけだけで偽物であることがわかりました…」「そして結局、ビーレクの物語は偽物であることがわかった。」

結論

提供された資料からは、「Al Bielek Debunked」の執筆者たちが、アル・ビーレク氏のフィラデルフィア実験およびモントーク・プロジェクトへの関与に関する詳細な主張を、証拠に基づいた調査と検証によって体系的に反駁しようとしていることが強く示されています。彼の経歴、家族、関与したとされる科学者、および時間旅行の記述における矛盾や虚偽が詳細に指摘されています。

資料は、フィラデルフィア実験自体は実際に電磁気学的な隠蔽の試みとして行われた可能性を認めつつも、アル・ビーレク氏が語る物語は、他の情報源やフィクションから要素を借用し、「でっち上げ」られたものであると結論づけています。また、モントーク・プロジェクトは、既知の陰謀論とフィラデルフィア実験の物語を組み合わせた「伝説」として描かれ、大衆意識の操作に利用されている可能性も示唆されています。資料の執筆者たちは、懐疑論者の手法を批判しつつ、実証的な調査に基づいた真実の追求の重要性を強調しています。


timeline と主な関係者

タイムライン

  • 1820-1830年代: イギリスでThorn Industriesが設立される。
  • 1850年代: Thorn IndustriesがWilson Brothersに引き継がれる。
  • 1890年: Wilson brothersの家族写真が撮影され、Aleister CrowleyとPreston Nichols(約10年後)が写っているとされている。Crowleyはこの時、Preston Nicholsが未来から来た人物であり、フィラデルフィア実験の物語を彼らに提供したと述べているとされる(Al Bielekの主張)。
  • 1916年8月4日: Al Bielekは、自身の過去生であると主張するEdward A. Cameron IIがAlexander Duncan Cameron, Sr.の子としてニューヨーク地域(ベイショア、ロングアイランド)で生まれたと主張している。
  • 1917年5月: Al Bielekは、自身の過去生であると主張するA. Duncan Cameron, Jr.(Edward Cameronの異母兄弟)が生まれたと主張している。
  • 第一次世界大戦前: Alexander Duncan Cameron, Sr.が米国海軍に入隊する。
  • 1920年代後半から1930年代初頭: Al Bielekは、Edward Cameronとして、父Alexander Duncan Cameron, Sr.が海軍を退役したと主張している。
  • 1930年代: Alexander Duncan Cameron, Sr.が趣味としてフルサイズのヨットを建造し、レースに参加する。また、ナチスドイツから科学者を密輸する活動も行う。
  • 1931-1932年: シカゴ大学で、Nikola Tesla、Dr. John Hutchinson Sr.、Dr. Kirtenauer(オーストリア人物理学者とされる)らが「インビジビリティ」や「テレポート」に関する研究(フィージビリティスタディ)を開始する。後にこのプロジェクトはプリンストンの高等研究所に移される。
  • 1932年: Edward Cameronがプリンストン大学に入学したとAl Bielekは主張している。
  • 1933年10月: Emil Kurtnauer(Kirtenauerと同一人物とされる)がデュッセルドルフでアインシュタインとボーアの会議に出席し、アインシュタインと相対性理論の応用について議論したとされる(フィクション小説「Thin Air」の内容)。
  • 1939年夏: Edward Cameronがハーバード大学で博士号を取得し、Duncan Cameronがエディンバラ大学で物理学の博士号を取得したとAl Bielekは主張している。
  • 1939年9月: Edward CameronとDuncan Cameronが米国海軍に入隊し、中尉(J.G.)の階級でロードアイランド州プロビデンスの特別訓練学校で90日間の訓練を受けたとAl Bielekは主張している。
  • 1939年末 - 1940年初頭: Edward CameronとDuncan Cameronが訓練を修了し、高等研究所(ニュージャージー州プリンストン)に配属され、「プロジェクト・インビジビリティ」(後の「プロジェクト・レインボー」)に従事したとAl Bielekは主張している。
  • 1940年: プロジェクト・インビジビリティ(レインボー)がブルックリン海軍造船所で成功裏にテストされ、機密扱いとなり、「プロジェクト・レインボー」と改名されたとAl Bielekは主張している。フィラデルフィア海軍造船所に事務所が設立される。Edward CameronとDuncan Cameronはフィラデルフィアとプリンストンを行き来したとAl Bielekは主張している。
  • 1941年1月: Edward CameronとDuncan Cameronが海軍任務のために戦艦USS Pennsylvaniaに配属され、1941年のほとんどを太平洋で過ごしたとAl Bielekは主張している。
  • 1941年10月頃: USS Pennsylvaniaが修理のために真珠湾にドック入りし、Edward CameronとDuncan Cameronは休暇を取りサンフランシスコへ行ったとAl Bielekは主張している。
  • 1941年11月: Edward CameronとDuncan Cameronが真珠湾に戻ることを決定したとAl Bielekは主張している。
  • 1941年12月5日: Edward CameronとDuncan Cameronが真珠湾への航空機搭乗直前にHal Bowen, Sr.によって呼び止められ、真珠湾攻撃が差し迫っているためサンフランシスコに留まり、USS Pennsylvaniaに配属されたまま任務を終え、その後研究所に戻るよう指示されたとAl Bielekは主張している。
  • 1942年1月: Edward CameronとDuncan Cameronが研究所に戻り、プロジェクトに1942年を通して取り組んだとAl Bielekは主張している。
  • 1942年3月: プロジェクトのテストが行われるが失敗し、Nikola Teslaがプロジェクトを辞任し、Dr. John von Neumannが引き継いだとAl Bielekは主張している。
  • 1943年: 米海軍が1943年に軍艦を消磁するプロジェクトを開始したとされる。
  • 1943年: USS Eldridgeがニュージャージー沖で実験中に消滅し、1983年にロングアイランド沖に短時間出現したとされる。Al Bielekは、自身(Edward Cameronとして)とDuncan Cameronがこの実験中にUSS Eldridgeから飛び降り、1983年のモンタウク空軍基地に着陸したと主張している(初期の主張)。後に、彼らは2137年に着陸したと主張を変更している。
  • 1944年: 商船員であったCarlos Allendeが、ニュージャージー沖での実験を目撃したとされる。
  • 1944年: Josephという名の元船員が、フィラデルフィア海軍造船所で1943年の奇妙な実験の結果について深く動揺している別の船員に出会う。この船員は、友人が実験中に船の船体と融合して死亡したと主張している。
  • 1950年: Aleister Crowleyが死去。
  • 1952年: Al BielekがIvan T. Sandersonに出会ったと主張している。Sandersonはフィラデルフィア実験について独自調査を開始したとされる。
  • 1953年: Ivan T. Sandersonがフィラデルフィア実験に関する調査を続けたとされる。
  • 1956年頃: Al BielekがHoffman Electronicsの民間従業員として海軍省のためにハワイのパールハーバーで働いたと主張している。
  • 1958年: Al Bielekが学校を終え、電子技術者になったと主張している(1988年まで)。
  • 1958年: Morris K. Jessupが、Allendeからの注釈付き「The Case for the UFO」の原本をIvan T. Sandersonに渡したとされる。
  • 1959年: Morris K. Jessupがフロリダ州デイド郡の車内で死亡しているのが発見される。自殺と判断されたが、彼の研究資料は見つからなかった。
  • 1960年代: Josephが出会った船員が海軍を退役し、フィラデルフィア実験の関係者と連絡を取ろうとしたとされる。
  • 1963年: Al Bielekがペンシルバニア州ステートカレッジで働いていた時にIvan T. Sandersonと再会したと主張している。
  • 1960年代: Josephが出会った船員がひき逃げ事故で死亡。
  • 1967年: Ivan T. Sandersonの著書「UNINVITED VISITORS」が出版され、フィラデルフィア実験に関する彼の考えが述べられている。
  • 1969年: ボート雑誌「Rudder」がモンタウク沖でUFOに遭遇した遊覧船に関する記事を掲載する。
  • 1972-1973年頃: シカゴの匿名人物が、VapAir部門(Vapor Corporationの一部)で電子技術者としてコンサルタントをしていたAl Bielekに出会う。このAl Bielekは地下基地や政府/ETの陰謀に興味を持っていたとされる。
  • 1973年: Ivan T. Sandersonが死去。Bill Knellがフィラデルフィア海軍造船所にいた元船員Josephに出会う。
  • 1975年: Al BielekがUSPA(United States Psychotronics Association)の最初の会議にインディアナ州インディアナポリスで出席し、創立会員となる。
  • 1975年7月 - 1976年6月: William van Biseがヒト神経系における電磁波の干渉反応に関する報告書を作成する。
  • 1979年: Al BielekとWilliam van Biseが共同でUSPAカンファレンスで講演する。
  • 1980年: Al BielekとWilliam van Biseが共同でUSPAカンファレンスで講演する。
  • 1981年7月16日: NBC Magazine with David Brinkleyで、ロシアの遠隔電子手段によるマインドコントロール研究とELF電波による米国の爆撃について報道される。William Biseがインタビューでマイクロ波が最も簡単な方法だろうと述べる。
  • 1983年頃: EMI Thorn Industriesがフィラデルフィア実験に関する映画を製作することを決定したとされる。また、Al Bielekが映画のアイデアのためにベンチャーキャピタルの資金を募る際に「兵器システムコンサルタント」の仕事を提供されたと主張している。
  • 1983年: Preston NicholsがUSPAで講演を開始する(1988年まで)。
  • 1984年: フィラデルフィア実験の映画が公開される。
  • 1985年: Al BielekがUSPAで講演する。
  • 1988年: Al Bielekが電子技術者としての仕事から引退したと主張している。Preston NicholsがUSPAで講演を終了する。
  • 1989年2月: Al BielekとPreston Nicholsがニューヨーク支部のUSPAでそれぞれフィラデルフィア実験とフェニックスプロジェクトについて講演する。この講演はプライベートでビデオ録画された。
  • 1989年: Bill Knellが、元のプロジェクトおよびフォローアッププロジェクトに関与したと主張する3人の証人(Al Bielek、Preston Nichols、Duncan Cameronとされる)をフィルムに収め質問する。Al Bielekがフィラデルフィア実験の生存者として自身を公表する。
  • 1990年: Al BielekがMUFON会議で講演し、自身の過去生、家族、海軍での経歴について詳細を述べる。Al BielekがUSPAで講演する。
  • 1991年: Al BielekがUSPAで講演する。Preston Nicholsが個人としてUSPAで講演する。シカゴの匿名人物がインターネット掲示板でAl Bielekとの出会いについて投稿する。
  • 1992年: Susanne KonicovがCONNECTING LINK誌のためにAl Bielekにインタビューを行い、彼の主張を繰り返す。
  • 1996年: Phil Schneiderがアパートで死亡しているのが発見され、自殺と判断された。
  • 1997年: Kenneth Burkeがフロリダ州デイトナビーチのGlobal Sciences CongressでAl Bielekにインタビューを行う。Bielekは過去生に戻されたこと、合法的な両親(Arthur E. BielekとAlbertina Bielek)のもとで育ったこと、サイキックのJeffに過去生とフィラデルフィア実験について言われたことなどを語る。
  • 1998年: Al BielekがUSPAで最後に講演する。
  • 1999年: Al Bielekのウェブサイトで、Edward CameronとDuncan CameronがUSS Eldridgeから飛び降りた後、2137年に着陸したというストーリーが掲載される。WingMakersのホークスがリリースされた可能性がある。 Jerry DeckerがKeely NetでAl Bielekに関する経験を共有する。
  • 2000年: サルツブルク大学、ウィーンの住民登録事務所、ウィーンの物理学中央図書館が、Dr. Emil Kurtenauerに関する情報を発見できなかったと回答する。Robert Todd Carrollが自身のSkeptic’s Dictionaryにフィラデルフィア実験に関する記述を追加する。
  • 2001年4月16日: Robert BeutlichがUSPAの記録からAl BielekとPreston Nicholsの講演履歴を確認するメールを送信する。
  • 2003年: Bill HamiltonがAl Bielekに関する情報を共有する。John VelezがBill Hamiltonの投稿に返信し、Bielekを知っていると述べる。

登場人物

  • Al Bielek (Alfred Bielek): フィラデルフィア実験やモンタウクプロジェクトに関与したと主張する人物。Edward A. Cameron IIという過去生があったと主張し、詳細な経歴を語っているが、調査によってその多くが虚偽であることが示唆されている。未来への時間旅行やマインドコントロール実験への参加、火星への訪問なども主張している。語り部としては非常に説得力があるが、懐疑論者からは作り話であると批判されている。William van BiseやPreston Nicholsと関わりがあったとされる。
  • Edward A. Cameron II: Al Bielekが自身の過去生であると主張する人物。1916年生まれで、プリンストン大学とハーバード大学で物理学の博士号を取得し、弟のDuncan Cameronと共に海軍に入隊し、プロジェクト・インビジビリティ/レインボー、USS Pennsylvania、そしてUSS Eldridgeの実験に関与したとされている。調査では、この人物の存在を裏付ける証拠は見つかっていない。
  • A. Duncan Cameron, Jr.: Al BielekがEdward Cameronの異母兄弟であると主張する人物。1917年生まれで、エディンバラ大学で物理学の博士号を取得し、兄と共に海軍に入隊し、様々なプロジェクトに関与したとされている。調査では、この人物の存在を裏付ける証拠は見つかっていない。
  • Alexander Duncan Cameron, Sr.: Al BielekがEdward CameronとDuncan Cameronの父であると主張する人物。第一次世界大戦中に海軍に所属し、情報機関との繋がりがあったとされている。また、科学者をドイツから密輸する活動も行っていたとされる。
  • Aunt Arnold: Al BielekがEdward CameronとDuncan Cameronを育てた叔母であると主張する人物。ロングアイランドの「ビッグハウス」に住んでいたとされる。
  • Morris K. Jessup: フィラデルフィア実験に関する初期の研究者であり、著書「The Case for the UFO」の中でCarlos Allendeからの手紙に言及した人物。1959年に不審死を遂げている。
  • Ivan T. Sanderson: 動物学者、超常現象研究家、作家。Morris K. Jessupの友人であり、彼の死後、注釈付きの「The Case for the UFO」の原本を保管していたとされる。Al BielekはSandersonと出会ったと主張している。
  • Carlos Allende (Carl Allen): USS Eldridgeの実験を目撃したと主張する元商船員。Morris K. Jessupに手紙を送り、フィラデルフィア実験に関する情報を提供したとされる。
  • Dr. Franklin Reno (Dr. Rinehart): William Mooreの著書に登場する物理学者で、Carl Allenと話したとされ、フィラデルフィア実験の開発段階に関与した真の証人・参加者であるとされている。Montaukの書籍に登場する「Dr. Rinehart」とは別人物であるとされる。
  • William Moore: フィラデルフィア実験に関する著書の著者。「Thin Air」という小説から「Rinehart」という名前を借用したとされる。
  • Preston Nichols: モンタウクプロジェクトに関与したと主張する人物。USPAで講演を行っていた。Al Bielekの主張を「装飾している」と述べている。
  • Duncan Cameron: Preston Nicholsの協力者であり、モンタウクプロジェクトに関与したとされている人物。Al Bielekが自身の弟と主張するA. Duncan Cameron, Jr.と同一人物とされることもあるが、出典では区別されている。
  • Phil Schneider: 政府の地下施設の建設やUFO/エイリアンに関する政府の隠蔽工作について語っていた人物。複数本の指を失い、銃創があったとされる。1996年に不審死を遂げた。彼の父がフィラデルフィア実験の船医だったとされているが、この主張の信憑性は出典によって疑問視されている。
  • Nikola Tesla: 有名な科学者、発明家。フィラデルフィア実験の初期段階に関与したが、後に辞任したとAl Bielekは主張している。
  • Dr. John von Neumann: 有名な数学者。Nikola Teslaの後任としてフィラデルフィア実験に関与したとAl Bielekは主張している。Al Bielek(Edward Cameronとして)は彼にプリンストン大学で出会ったと主張している。Montaukの書籍に登場するDr. Rinehartは彼ではないとされる。
  • Albert Einstein: 有名な物理学者。第二次世界大戦中に海軍と契約し、フィラデルフィア実験に関与したとされている。しかし、造船所で目撃されたことはないとされ、その役割は象徴的なものだった可能性が示唆されている。
  • Dr. John Hutchinson Sr.: シカゴ大学の学部長であり、後に総長となった人物。フィラデルフィア実験の初期研究に関与したとされている。
  • Dr. Kirtenauer (Kurtenauer): シカゴ大学に所属していたオーストリア人物理学者で、フィラデルフィア実験の初期研究に関与したとAl Bielekが主張する人物。しかし、大学や公的記録にはその存在を確認できないことから、フィクション小説「Thin Air」から借用された人物である可能性が高い。
  • Emil Kurtnauer: フィクション小説「Thin Air」に登場するオーストリア人物理学者。Albert Einsteinの統一場理論の応用について研究していたとされる。Al Bielekが「Dr. Kirtenauer」のモデルにしたとされる人物。
  • Hal Bowen, Sr.: Al Bielekが、Edward CameronとDuncan Cameronに真珠湾攻撃が差し迫っていることを伝え、サンフランシスコに留まるよう指示した海軍大佐であると主張する人物。
  • Joseph: Bill Knellが出会った元船員。1944年に、フィラデルフィア実験の結果について動揺していた別の船員に出会った。
  • Jeff: Al Bielekが、自身がEdward Cameronであり、二重のタイムラインを生きたこと、そしてフィラデルフィア実験について真実を知らないことを指摘したと主張するサイキックの男性。Al Bielekは彼にアリゾナ州ツーソンの国際UFO大会で出会ったと主張しているが、その存在の確実性は低い。
  • Vince Barbarick (Peter Moon): 元サイエントロジストであり、Sky Booksの出版者。Al Bielekのビデオを販売していた。Al Bielekの主張には「装飾」があると述べている。Philadelphia Experiment/Montaukの「伝説」に関する書籍を出版し、利益を得ているとされる。
  • Marshall Barnes: Al Bielekの主張を「でっち上げ」と批判し、フィラデルフィア実験の真実を探求している人物。BielekDebunked.comの運営に関わっている。海軍関係者がフィラデルフィア実験に関する嘘をついている証拠を持っていると主張している。
  • Gerold Schelm: Al Bielekの主張の多くが様々な情報源から借りたものであると主張し、BielekDebunked.comの調査に関わっているドイツ空軍士官。
  • Fred Houpt: Al Bielekのストーリーに感銘を受けたが、魂の移動やエイリアンの関与といった点に疑問を抱いた人物。BielekDebunked.comの調査に関わっている。
  • Susanne Konicov: CONNECTING LINK誌のためにAl Bielekにインタビューを行った人物。
  • Chica Bruce: Al Bielekが所持していたフィル・シュナイダーの手紙を調査した研究者。手紙が偽造であると判断し、Marshall Barnesに協力した。
  • William van Bise: 超低周波(ELF)現象に関する研究者であり、非電離放射線の研究者。マイクロ波が人間の脳に影響を与える可能性に言及した。Al Bielekと共にUSPAで講演を行った。
  • Bill Knell: 超常現象研究家であり、フィラデルフィア実験の調査を長年行っている人物。JosephやPhil Schneiderなど、実験に関与したと主張する人物にインタビューを行っている。
  • Jerry Decker: Keeley Netの運営者。Al Bielekについて知っており、彼が嘘をついている現場に遭遇したと述べている。
  • Bill Hamilton: 尊敬されているUFO研究家。Al Bielekが以前にも作り話をしたことを知っており、BielekDebunked.comの情報に言及している。
  • John Velez: UFOアブダクション研究者。Al Bielek、Preston Nichols、John Fordを知っている。
  • Clarence Robinson: USPAのニューヨーク支部長。
  • Robert Beutlich: USPAの幹事兼会計。USPAの記録からAl BielekとPreston Nicholsの講演履歴を確認した。
  • Arthur E. Bielek: Al Bielekが自身を養子にした合法的な父であると主張する人物。Josef Bielekの息子。
  • Albertina Kirches: Al Bielekが自身を養子にした合法的な母であると主張する人物。
  • Josef Bielek: Al Bielekの祖父とされる人物。
  • Michael Ash: モンタウク基地で働いたと主張し、過去にアトランティスへ時間旅行したと主張する人物。Al Bielekのウェブサイトには言及されていない。
  • Larry James: モンタウクプロジェクトの「目撃者」とされている人物。彼の声は若く聞こえるとされ、Preston Nicholsを中心とした「モンタウク少年志願者」の一人である可能性が示唆されている。彼が使用したとされる装置も虚偽であると指摘されている。
  • Michael Corbin: ParaNetの人物。Jacques Valleeによるフィラデルフィア実験のデバンキングを支持したが、後に誤情報であったことが判明した。
  • Jacques Vallee: 有名なUFO研究家。フィラデルフィア実験のデバンキングを行ったが、その証言は調査によって虚偽であることが示されている。
  • Robert Todd Carroll: Skeptic's Dictionaryの著者。Jacques Valleeのデバンキングを支持し、Marshall Barnesの主張を軽視したとされる。 Robert Goerman: Skeptic。 Benjamin LeBlanc: Skeptic。 Mack Shelton: Skeptic。

これらの情報は、主に「Al Bielek Debunked」の出典に基づいており、Al Bielekの主張が調査によって疑問視されている内容が中心となっています。フィラデルフィア実験自体の信憑性については、出典によって異なる見解が示されています。


おまけ

上述の 9 の Web 記事から 1つだけを DeepL 訳した。

Al Bielek Debunked - Al Bielek on Coast To Coast AM with George Noory - The Philadelphia Experiment From A-Z https://de173.com/al-bielek-debunked-al-bielek-on-coast-to-coast-am-with-george-noory/

Marshall Barnes がその記事の著者。

DeepL(2024-07model)

アル・ビーレックが論破される - Al Bielek on Coast To Coast AM with George Noory - The Philadelphia Experiment From A-Z

ジョージ・ヌーリーとコースト・トゥ・コーストAMに出演したアル・ビーレック

マーシャル・バーンズ

7月21日月曜日の夕方、ジョージ・ヌーリーが司会を務めるCoast To Coast AMで、アル・ビーレックへの長いインタビューが行われた。ヌーリーの名誉のために言っておくと、彼は私たちのウェブサイトが存在すること、そしてCoast To Coastがビーレックのウェブサイトへのリンクの下にそのウェブサイトへのリンクを追加したことに言及した。しかし、私や調査員に対する明らかに不合理な主張、そしてこのウェブサイトの明白な目的を頂点に、何時間にもわたってビーレックが空想に耽るのを、ヌーリーが「ではアル、教えてください。なぜあなたのウェブサイトに、エドワード・キャメロンだと主張するアレックス・キャメロンという男の大学時代の写真を載せているのですか?これは、ビーレックの発言の信憑性よりも、ヌーリーや『Coast To Coast AM』番組の本質を物語っている。ビーレクの発言を以下に引用する:

「......チャンネルを通じてそのことについて少し調べてみたところ、その関係者(放送では名前を伏せるが)の主要人物が10年以上も諜報機関で働いていたことがわかった。その点については、彼を評価したい。しかし、それと同時に、どうやら今、この実験が起こったことをいまだに認めようとしない海軍の側が、この実験が起こったことを否定し、私を論破し、誰もが納得できるような形で証明されるのを阻止しようと、非常に大きな努力をしているようなんだ。彼らを責めるつもりはない。彼らは単に十分な背景や知識、情報を持っていないだけなのだ。その多くは高度に機密化されている」。

これは、現在弁護士の手にある『Coast To Coast』番組のライブ音声からの引用である。私はこれが典型的なアル・ビーレクの戯言であると認識している。一部のリスナー、特に長年にわたってアル・ビーレックを追ってきたリスナーが、アル・ビーレックが話したことを一つも再確認しようとしなかった場合に、あらかじめ決められた効果を得るために意図的に使われるテクニックや流行語が数多くある。なぜか?彼らの多くは、わざわざ私たちのウェブサイトに行って、ここに何があるのか自分で確かめようともしないからだ。第二に、残りの大半は、ここに収められている長い論説に目を通す気にならないからだ。彼らは単に、ビーレックを論破しようとする動きがあるのだから、ビーレックは真実を語っているに違いないと考えるだろう。

しかし、ビーレクの発言を注意深く読み、それについて考える人にとっては、真実はむしろ明白である。それだけではない: 「......チャンネルを通して少し調べてみたんだが......」。 チャンネル』という言葉を使うと、彼が軍の諜報活動や陰謀の世界とつながっているような、どこか公式的で、どこか軍事的な響きがある。少し』という言葉を使うことで、この『チャンネル』を通した彼の研究努力は簡単に達成されたことを暗に示している。そして、彼の研究は何を明らかにしたのか?

「放送では名前を伏せるが、その関係者は10年以上も諜報グループのために働いている......"。 これは驚くべきことだろう?彼は、私が10年以上も諜報グループのために働いていることを明らかにするような、公的なコネクションを持っていることをほのめかす言葉を使っている。ヤカンがヤカンを 「黒 」と呼ぶようなものだ。それも真っ赤な嘘だ。ひとつは、事実ではないということ。もうひとつは、「チャンネル 」がなかったということだ。その理由は後で説明しよう。まず、彼が誰の名前も挙げず、「関与した主要人物」とだけ言っている事実を扱う。彼は後に、その 「主犯 」を特定してこう言っている。

「......そして、彼は過去に、いくつかの良い研究をしてきたし、アート・ベルが企画した以前のプログラムでも私を助けてくれた。 私の仲間はともかく、フィラデルフィア実験に関する 「良い研究 」をしていることで知られているのは、ウィリアム・ムーア以外に私以外にはいない。また、私が以前『Coast To Coast Am』の番組でビーレックを助け、何百万人もの人々に聞いてもらったことも事実であり、このサイトでの私の最初の発言(パラグラフ10の2行目、http://www.bielek-debunked.com/Statements.html)でも言及している。だから、私の名前を挙げないことは、議論されているテーマに詳しい人なら誰でも私を特定できるような他の方法で私を明確に特定している以上、何の意味もない。

彼はそれをしないが、もし本当に彼の「チャンネル」があったなら、私はそれを特定することができる。この場合、それはピーター・ムーンことヴィンス・バーバリック元サイエントロジストで、私が制作した「フィラデルフィア実験からの量子の陰謀」というタイトルのドキュメンタリー・ビデオを販売していたスカイブックスの出版社であった。その番組の冒頭で私は、1983年、私が持っていたスペース・サーガ映画のアイデアのためのベンチャー・キャピタルのシードマネーを調達するために弁護士に売り込みに行った際、「兵器システム・コンサルタント」として働く機会を与えられたことを明かした。それは、その兵器システムが非常によく考え抜かれた高度なものでありながら、実際の軍の研究開発部門が手の届く範囲にあるものだったからである。まだ機密事項なので明かさないが、地元の金物屋で手に入るようなものだけで、どうやってそれを阻止できるかを考えろと指示された。

さて、何人かが考えていることはわかる。「マーシャル、なぜ機密扱いのものを見たことを教えてくれないんだ。同時にフィラデルフィア実験を証明しようとしているのに。その理由は、私が1983年に見たものはいまだに機密扱いであり、私がこれまで見たオープンソースの資料でも明らかにされたことがないからだ。誰も「ああ、あれは本当だ」と名乗り出ないし、公開討論もされていない。それはいまだ秘密であり、国家安全保障上の資産であるため、私はそれを説明するつもりはない。フィラデルフィア実験が違うのは、ずいぶん前のことであり、何年も前から公になっていること、要するにフェアなゲームであることだ。私はフィラデルフィア実験について安全保障上の誓約をしたことはないし、その真実を明らかにすることが国家安全保障に影響を与えることもない。フランス、ロシア、イギリスはすでにこの実験について知っているし、その後に何が行われたかも知っている。ああ、彼の 「チャンネル 」が、そのことについて彼を蚊帳の外に置いているのだろう。

いずれにせよ、私は5分もかからずに答えを得た。弁護士であるその男は、よく考えてから、比較的短期間で種銭を稼ぐことができる 「兵器システム・コンサルタント 」の仕事を紹介してくれると言った。私の主な仕事は、その会社が製造する兵器プラットフォームを「マクガイバー・プルーフ」(私の用語)することだ。そうすれば後々、私の映画で扱ったようなものを作り始めることができる。 ひとつ問題があった。私は、この会社には他にも何かあることを知っていた。アフリカのバイヤーに野戦装備やユニフォームを供給しているという話だった。当時の私は、軍事請負ビジネスや諜報機関の 「手抜き 」がどのように機能していたのか、まったく何も知らなかった。私はまだ子供だったし、私の興味は軍事分野ではなく娯楽分野にあった。しかし、私にはその分野で天賦の才能があり、それを知っていた。未来の戦争は、私の治療に反映される可能性は大いにあったが、私は第三国に売却される兵器プラットフォームの開発には興味がなかった。彼の口から 「わが国のため 」とか 「アメリカのため 」という言葉を聞いたことがなかったので、私は断った。彼は私にとても腹を立て、私はその後、私たちの道が交わることがないようにした。あの弁護士は、アフリカで過ごす時間が長くなるにつれて、CIAと何らかの取引をしているという噂を後で聞いた。でも、私はあまり深く考えなかった。私はまだエンターテインメントに携わっていましたから。

映画『JFK』が公開されたとき、私はドナルド・サザーランド演じる主人公とケビン・コスナーの会話に驚いた。突然、弁護士との会話が腑に落ちた。彼が代表を務めていた会社は、CIAの活動のためのある種の切り抜き、あるいは隠れ蓑だったのだ。私は、その弁護士が最も多く取引していたアフリカ諸国の現地人に確認した。弁護士との会話から1年後、その国では政府を転覆させるクーデターが起きた。私は、知り合いのハイレベルなコネクションを持つ私立探偵と湾岸戦争の帰還兵にさらに確認した。彼らに、私が見たものを説明したところ、私立探偵は、それは我が国の特殊部隊と最も親しい「クライアント」国が使用する極秘資産だと言った。湾岸戦争の帰還兵はパニックになり、「彼ら 」と関わることについて私に警告した。 私が10年以上前に「諜報機関」と関わっていたのは、その程度のことだったわけだ。私は仕事のオファーを受け、それを断り、スカイブックスから配信されたビデオドキュメンタリーの中でそのことに触れた。アル・ビーレックの口から語られることのほとんどがそうであるように、残りは単なる誇張と 「脚色 」にすぎない。では、彼の告発の残りを扱おう: 「しかし、それと同時に、どうやら今、この実験が起こったことをいまだに認めようとしない海軍の側が、この実験が起こったことを否定し、私を論破し、誰もが納得できるような形で証明されるのを阻止するために、非常に大きな努力をしているようだ...」

これはおかしな話であるだけでなく、またしても見え透いた嘘である。「Bielek-debunked.com "は、火星人が運営しているのと同様、アル・ビーレックを論破しようとする海軍の努力の賜物ではありません。私たち3人全員が、フィラデルフィア実験が事実であったという事実を支持しています。海軍が嘘をついているわけではなく(私は、PXに関する問題で米海軍を代表するという公式の立場で、海軍職員がL-Y-I-N-Gを行ったという証拠を文書化した唯一のPX研究者としてそう言えます)、ある種の電磁場を使った光学およびレーダーステルスの試みであったのです。懐疑論者や偏ったメディアがそうではないと言う努力を阻止できたのは、アル・ビーレックではなかった。私しかいないのだ。最近になって、ジェロルド・シェルムとフレッド・ホウプトが加わった。Viewzoneの記事(http://www.viewzone.com/philadelphia.html)を注意深く読めば、PXについて海軍の代表が嘘をついているのを私がどうやって見つけたか、そしてエリア51のことを聞いたことがないと否定したときに、予想外に彼が別の嘘をついたことがわかるだろう。「私は核実験マニアではない......」と、彼は極秘基地について何も知らない言い訳をした。唯一の問題は、私がその基地がネバダ核実験場にあるなどとは一言も言っていなかったことだ。さて、私が海軍のために働いているように聞こえるだろうか?ゲロルトとフレッドはともに外国籍であり、ゲロルトはドイツ空軍の将校であるため、この発言はさらに滑稽である。

「そして、誰もが納得できる形で証明されるのを防ぐために...」 この発言は実に皮肉だ。私たちが明らかにしてきたPXが本当に起こったことを示す事実は、非常に明確で、最も理解しやすいものだ。すべての詳細を説明し、混乱を正してくれる。私たちがそれらをすべて発表する準備が整えば、実際に最も理解しやすい方法となり、それを証明することができるため、懐疑論者を味方につけることができるだろう。今のところ、PXに対する懐疑的な議論で、私たちが反証できないものは1つもない。今のところ、ビーレックが証明できるビーレック起源の声明は1つもない。ビーレックの事件のバージョンは、私たちがやろうとしていると彼が主張することをまさに実行している。その表面上は、複雑で、拡大解釈され、一片の証拠にも裏付けられていないため、誰もが受け入れることのできないバージョンなのだ。 私が 「モントーク・マニア 」と呼び始めているように、ビーレックは 「証拠 」とされるアイテムの羅列を提示しているが、その正確性をチェックしても裏付けがとれず、シュナイダーの手紙の場合は明らかに彼のバージョンと矛盾している。私は最近、モントーク・マニアの一人から、もし隠蔽工作が時間制御装置を持っているなら、彼らは単に過去に戻って本物の証拠をニセの文書に置き換えることができる、という明白な指摘を見逃している、と非難された。これが、なぜビーレックが自分のウェブサイトの写真をエドワード・キャメロンだと主張し、その代わりに写真の下に 「E. Cameron 」ではなく、「A. Cameron 」と書いているのかについての言い訳である。モントーク・マニアが見落としているのは、もし本当にタイムトラベルのようなことが行われていたとしても(物理学や時空図式からして、そのようなことが不可能である理由には触れないが)、ビーレックが主張するために使用したのは、やはり「ニセモノ」の証拠であるということだ。彼は 「E.キャメロン 」ではなく、「A.キャメロン 」と明記された写真を掲載したのだ。そして、もしこの架空の入れ替わりが写真を見つけたときに行われていたのなら、彼はそう言うべきだった。ギュスターヴ・ルボンが1931年に亡くなったことについて何も言わなかったように(http://www.geometry.net/book_author/le_bon_gustave.html)。そうなると、ビーレックが1931年にシカゴで起こったとするインチキな初期開発ストーリーに、ルボンが関与していたとは考えにくい。たとえ筋が通っていなくても、ストーリーがあれば何でも出すというパターンがここにはある。どんなストーリーでも。その理由は2つある。彼らがクレイジーなのか、それともあなたがバカだと思われているのか。現実には、彼らはクレイジーだと思う。そうでなければ、みんながそんなにバカだとは思わないだろう。

アル・ビーレックには、私たちが努力してきたことに時間を費やしてほしかった。PXの真実を知るために。彼ならできたはずだ。それは私たちにとってそれほど難しいことではなかった。そうすれば、彼は本当のヒーローになれただろう。彼はまだ生きていた時に本物のリネハート博士を見つけることができた。痕跡がもっと鮮明であれば、もっと簡単に、もっと多くのことを見つけられたはずだ。私が裁判を始めたのは50年以上前のことだ。そのために10年近くも辛く危険なアルバイトを続け、昔好きだった男に背を向け、昔の『X-ファイル』に出てきた空に書かれたあの文字の現実に直面する羽目になった。 「誰も信じない」。

原文

展開

Al Bielek Debunked - Al Bielek on Coast To Coast AM with George Noory - The Philadelphia Experiment From A-Z 13~17 分 Al Bielek on Coast To Coast AM with George Noory

by Marshall Barnes

On Monday evening, July 21, Coast To Coast AM, hosted by George Noory, featured a lengthy interview with Al Bielek. To Noory’s credit, he mentioned that our website here exists and that Coast To Coast had added a link to it under a link to Bielek’s website. However, it was very disappointing to hear Noory allow Bielek to ramble unfettered through hours of fantasy, culminating with the patently absurd claims against myself and the investigators and the obvious purpose of this website, without even a “So Al, please tell us, why do you have the college picture of a man named Alex Cameron on your web site where you claim it’s Edward Cameron?” from Noory. This says more about Noory, and the true nature of the Coast To Coast AM program than it does about the veracity of Bielek’s statements. Bielek’s Statement against us is quoted below:

“…doing a little research on that through channels, what I found out the principal involved, I will not use his name on air, the principal involved in that was working for intelligence groups for well over 10 years and he has, in the past, done some good research and has even helped me out on one of the earlier programs that was put on by Art Bell. And, uh, I will give him credit for that. But at the same time there is, apparently now, is a very major effort on the part of the Navy, which still refuses to admit this experiment ever happened, a major effort to deny it ever happened, to debunk me and prevent it’s being proven in a manner which everybody can accept…I don’t fault these people. I don’t blame them. They simply don’t have enough background and knowledge and information. Much of it is highly classified.”

This is quoted right from the live audio feed of the Coast To Coast program which is now in an attorney’s hands. I recognize this as classic Al Bielek garbage and I will explain to you what I mean. There are a number of techniques and buzzwords deliberately used to obtain a predetermined effect on some listeners, in particular, listeners who have followed him over these many years, and never bothered to double-check a single solitary item that he spoke of. Why? Because many of them won’t even bother to go to our web site and see for themselves what’s here. Second, because most of the rest won’t be inclined to read through the lengthy dissertation that is stored here. They’ll simply think that Bielek must be telling the truth because there’s an effort to debunk him.

The truth is rather obvious, however, to a person who carefully reads what Bielek said and thinks about it. There’s still more to it than that:

“…doing a little research on that through channels…”

Using the word ‘channels’ sounds somewhat official, somewhat military like he’s connected somehow to the world of military intelligence and intrigue. Using the word ‘little’ implies that his research effort through these “channels” was easily accomplished. And what does his research reveal?

“I found out the principal involved, I will not use his name on the air, the principal involved in that has been working for intelligence groups for well over 10 years…”

Now that’s rather surprising, isn’t it? He uses wording to imply that he’s got the kind of official connections that would reveal to him that I’ve been working for intelligence groups for well over 10 years. That’s like the pot calling the kettle “black”. It’s also a patent lie. For one, it’s not true. For the other, there were no “channels”. I’ll tell you why in a moment. First I’ll deal with the fact that he mentions no one’s name, he only says the “principal involved”. He later identifies that “principal” by saying that

“…and he has, in the past, done some good research and has even helped me out on one of the earlier programs that was put on by Art Bell.”

My associates here withstanding, there isn’t anyone else that’s known for doing “good research” on the Philadelphia Experiment beyond William Moore than I. That’s just simply a fact. It’s also a fact that I helped Bielek out during a previous Coast To Coast Am program which was heard by millions of people and to which I even refer to during my original statement on this site, in paragraph 10, line 2 at http://www.bielek-debunked.com/Statements.html. So not mentioning my name means nothing when he clearly identifies me in other ways that anyone, privy to the subject being discussed, could identify me.

Though he doesn’t do it, I can identify his “channels” if there indeed were any. In this case, it would have been one Vince Barbarick aka Peter Moon former high-ranking Scientologist and publisher of Sky Books who used to sell a video documentary that I produced entitled “Quantum Conspiracies from the Philadelphia Experiment”. In the beginning of that program I revealed that in 1983, during a pitch to an attorney to raise venture capital seed money for a space saga movie idea I had, I was offered the opportunity to work as a “weapons system consultant”. This came about because the weapons systems in the treatment were so well thought out and sophisticated, yet within reach of an actual military R&D; department, that I was given a “test”. I was shown a photograph of something that I won’t reveal because it’s still classified but instructed to figure out how it could be stopped with only the kinds of items available at a local hardware store.

Now, I know what some of you are thinking. “Marshall, why won’t you tell us what you saw that was classified when at the same time you’re trying to prove the Philadelphia Experiment, which is also classified if it really happened?” The reason is that the thing I saw in 1983 is still classified and has never been revealed in any open-source material that I have ever seen. No one else has come forward and said “Yeah, I know that’s real”, there’s no public debate. It’s still secret, and as it is an asset of our national security structure, I’m not going to describe it. The Philadelphia Experiment is different because it was a long time ago, it’s been out in the open for years, and in short, it’s fair game. I never took a security oath about the Philadelphia Experiment and revealing the truth about it isn’t going to affect national security. The French, the Russians, and the British already know about it and what’s been done with it since, something that Bielek’s never talked about. Oh, I guess his “channels” have kept him out of the loop on that.

In any case, I took less than 5 minutes and had an answer. The man I was talking to, an attorney, thought it over and then said that he could offer me a job as a “weapons system consultant” where I could make enough money, in a relatively short time, to use for my seed money. My principal job would be to “McGiver proof” (my term) the weapons platforms that the company would be building. Then later they could begin to build the kinds of things that were in my movie treatment.

There was one problem. I knew that there was something else going on with this company. I was told how there were supplying field equipment and uniforms to buyers in Africa. I knew absolutely nothing about the military contractor business or how intelligence agency “cut-outs” worked back then. I was barely more than a kid, and my interests were in the entertainment field, not the military field. But I did have a natural talent in that area, and I knew it. The wars of the future were could very well reflect what was in my treatment, but I wasn’t interested in developing weapons platforms that would be sold to third-party countries. I never heard the words “for our country”, or “American” come out of his mouth, so I turned him down. He got very angry at me, and I made sure our paths didn’t cross after that. I heard rumors later that that attorney had some dealings with the CIA as he spent more and more time in Africa. I didn’t think much about it though. I was still involved with entertainment.

When the movie “JFK” came out I was amazed by Donald Sutherland’s character’s conversation with Kevin Costner’s. Suddenly, the conversation with the attorney made sense. The company he was representing was some kind of cut-out or front for CIA activities. I did some checking with a local man from the African nation that the attorney had dealt with the most. One year after my conversation with the attorney, that country experienced a coup that overthrew the government. I did more checking with a private investigator with high-level connections that I knew and a Gulf War vet. To them, I described what I saw, and the P.I. said that it was a top-secret asset used by our special forces and our closest “client” nations. The Gulf War vet freaked out and warned me about getting involved with “them”.

So that’s the extent of what I was doing with “intelligence agencies” well over ten years ago. I got offered a job, turned it down, and mentioned it in a video documentary that was distributed by Sky Books. Like most of what comes out of Al Bielek’s mouth, the rest is just gross exaggeration and “embellishment”. Now let’s deal with the rest of his accusations:

“But at the same time there is, apparently now, is a very major effort on the part of the Navy, which still refuses to admit this experiment ever happened, a major effort to deny it ever happened, to debunk me and prevent it’s being proven in a manner which everybody can accept…”

This is not only ludicrous, it’s another blatant lie. Bielek-debunked.com is no more a effort on the part of the Navy to debunk Al Bielek than it is run by the Martians. All three of us support the fact that the Philadelphia Experiment was real – not the way the Navy LIES about it(and I can say that being the only PX researcher that has documented evidence of Naval personnel l-y-i-n-g in their official capacity of representing the U.S. Navy in matters concerning the PX) but as an attempt at optical and radar stealth using some form of electromagnetic fields. It has not been Al Bielek who has been able to thwart the efforts of skeptics and a biased media to say otherwise. It only been me. I’ve been the only one that’s really tried, until recently, when I’ve been joined by Gerold Schelm and Fred Houpt. A careful reading of the Viewzone article at http://www.viewzone.com/philadelphia.html will show how I caught the hand-picked Navy representative lying about the PX and then unexpectantly caught him in another lie when he denied ever having heard of Area 51. “I’m not a nuclear test buff…” he said, as his excuse of not knowing anything about the top secret base. The only problem was that I had never mentioned that the base was located in the Nevada Nuclear Test Site, so why would he associate it with nuclear testing unless he did know about the base and its location. Now, does that sound like I work for the Navy? Gerold and Fred, both being foreign nationals and Gerold an officer in the German Air Force, makes the comment even more ludicrous.

“and prevent it’s being proven in a manner which everybody can accept…”

This remark is truly ironic. The facts that we have been uncovering that show the PX really happened are very clear-cut and the easiest to understand. They explain all the details and correct the confusion. When we are ready to present them in their entirety, it will be actually the easiest way to understand and will win the skeptics over because we’ll be able to prove it. So far, there is not 1 skeptical argument against the PX that we can’t disprove. So far, there is not 1 Bielek originated statement that Bielek can prove. Bielek’s version of events does exactly what he claims that we’re trying to do. It is a version that not everyone can accept because on its face it’s convoluted, ever-expansive, and not supported by a single shred of evidence.

In what I’m beginning to call “Montauk Mania”, Bielek’s presented an entire laundry list of items that are supposed to be “evidence” that repeatedly fail to be supported once checked for accuracy and, in the case of the Schneider letters, clearly contradict his version of events. I have been accused, recently by one of these Montauk maniacs, of somehow missing the obvious point that if the cover-up has time control equipment, they could simply go back in time and replace the real evidence with phony documentation. This is the excuse given as to why Bielek claims that the photo on his website is of Edward Cameron and instead it says “A. Cameron” underneath the photo, not “E. Cameron”. What the Montauk maniac is missing is that if indeed there was some kind of time travel switch-a-roo going on (and I’m not even going to get into why the physics and the spacetime diagramming for such a stunt would make it impossible) it is still then the “phony” evidence that Bielek used to make his claim. He’s the one that put up a photo that is clearly labeled “A. Cameron” and not “E. Cameron”. And if this imaginary switch had been made when he found the photo, he should have said so. But no, he didn’t, just like he didn’t say anything about Gustave LeBon dying in 1931 (see http://www.geometry.net/book_author/le_bon_gustave.html). That kind of makes it tough for LeBon to even have been involved in the phony early development story that Bielek has happening in Chicago in 1931. There is a pattern here, a pattern of put out anything, even if it doesn’t make sense, so long as there’s a story. Any story. There are two explanations for that. They’re that crazy, or they think you’re that stupid. In reality, I think they’re that crazy. Otherwise, they wouldn’t think that everyone could possibly be that stupid.

I truly wish Al Bielek had spent the time to do what we have strived to do. Find out the truth about the PX. He could have. It has not been that hard for us. He would’ve been a real hero for doing it. He could have found the real Dr. Rinehart when he was still alive. He could have found so much more, so much easier when the trail was fresher. I didn’t start until the trial was over 50 years old. It’s taken almost 10 years of hard and dangerous part-time work to do it, only to have to turn my back on a man that I used to like and face the reality of that writing in the sky from the old “X-Files” show.

“Trust No One”.

(2025-06-01)