Carl Jung が提唱した Synchronicity(共時性)は隠微かつ絶妙な錯誤。この謎を解く (書式変換)
(ChatGPT-4 + DALLE で描いたが、Jung の背後に窓を配置する事は失敗)
前置き(2023-06-24 begin)
Synchronicity 仮説は精神世界では当然視されている。だが、Synchronicity 仮説は完全に間違っているのではないか? 以下では、間違っていると考える理由を説明する。次に従来、Synchronicity 仮説のみがうまく説明すると考えられてきた様々な「意味のある偶然の一致」の事例を、全くの別の「より合理的な仮説」で説明することを試みる。
なお、「単なる偶然だよ」とか、「たまたま当たった事例だけが印象に残っただけ」というような月並みで凡庸な説明は採用しない。
Synchronicity 仮説は実際には成立していない
…
「意味のある偶然の一致」が起きる合理的な機序
…
(2023-06-24 end)
(2023-09-26 begin)
前置き
最初にこの件を記事にしかけてから既に 3か月が経過してしまった。その間もこの件を考え続けていたが、やはり
- Jung の Synchronicity 仮説は完全に間違っている
- Synchronicity 現象は合理的に説明できる
という私の考えが変わることはなかった。世の Jungian や 精神世界 ファン/信者 は皆、Carl Jung の提唱したこの仮説を真に受けて全く疑うことなく丸呑みしてきたのだ…そう今は思える。
そこで幾つか目にした Synchronicity 現象の具体例を取り上げて、それらが一見するとまるで
- 「意味のある偶然の一致」が起きた
かのように誤解さているが、状況を詳しく検討すると
- 既知の知識で合理的に説明できる
ことを以下で詳しく説明する。たぶん、私が知らぬだけで、以下と同様の「Synchronicity 仮説に対する合理的説明」が識者によってもっと的確かつ精緻になされている筈。
Synchronicity 現象とされるものは全て具体的事例として顕現している。よって具体的事例で説明する。
なお、書籍からの文字起こしには Microsoft 製 PowerToys に含まれる Text Extractor を用いた(無料でこれだけの OCR 品質は素晴らしい。Google の文字起こしの方が品質は優れているが処理が面倒)が、ざっとしかチェックしていないので OCR でのミスが残っているやも。
Jung 本人の心理療法実施中の黄金虫体験
これこそ、Jung が Synchronicity 仮説を思いつくきっかけとなった有名な事例。
引用
(書籍の字組みだと Web では読みづらいので、数か所に改行を追加した。Web 記事の字組みは書籍時代の紙代節約に基づいた文字詰め込みの慣習を捨て去り、もっと読みやすさを優先するべきだと思う)
共時性の問題は、一九二〇年代の半ば以来からずっと長い間、私を悩ませてきた。そのころ私は、普遍的無意識の現象を研究していたが、単に偶然の配置とか「度重なり」として説明できない組み合わせに出くわし続けていたのである。
私が発見したものは、あまりにも意味深く結びついているために、それが「偶然」一緒に起こったとはとても信じられないような「偶然の一致」の事実である。例として、私自身の観察から一つの出来事を述べよう。私が治療していたある若い婦人は、決定的な時機に、自分が黄金の神聖甲虫を与えられる夢をみた。
彼女が私にこの夢を話している間、私は閉じた一窓に背を向けて坐っていた。突然、私の後ろで、やさしくトントンとたたく音が聞こえた。振り返ると、飛んでいる一匹の虫が、外から窓ガラスをノックしているのである。私は窓を開けて、その虫が入ってくるのを宙でつかまえた。
それは、私達の緯度帯で見つかるもののうちで、神聖甲虫に最も相似している虫で、神聖甲虫状の甲虫であり、どこにでもいるナムグリの類の黄金虫 (rosechafer, Cetonia aurata) であったが、通常の習性とは打って変わって、明らかにこの特別の時点では、暗い部屋に入りたがっていたのである。
これに似たことは、それ以前にも以後にも起こったことは一度もなく、患者の夢は私の経験に独得なものとして残っているということを私は認めねばならない。
出典:C・G・ユング、W・パウリ(著)、河合隼雄、村上陽一郎(訳)『自然現象と心の構造:非因果的関連の原理』、海鳴社、1976年、28ページ
この事例を合理的に説明する
(2024-01-06 begin)
この Jung の名高い事例は以下のようにして起きた。
「彼女が私にこの夢を話している間、私は閉じた一窓に背を向けて坐っていた」とあることから、Jung と患者の位置関係は次のようになっていることがわかる(冒頭の AI 作成のイラストでは窓と Jung の位置関係が正しく描けていない)。
|| 黄金虫 || 窓 背中(Jung)正面<==対話==>正面(患者)背中 || ||
つまり、患者は Jung と窓を同時に見渡せる位置にいる。
さて、患者は Jung との対話に集中していたので、明確に気づくことも意識にのぼらせることも無かったが、窓ガラス越しに黄金虫が彼女の視野に入っていた。
患者の潜在意識はその黄金虫に気づき、「決定的な時機に、自分が黄金の神聖甲虫を与えられる夢をみた」ことを連想した。
潜在意識が黄金虫の夢を連想したので、その影響を受けた彼女の顕在意識は、Jung にその夢の話をした。
Jung は後ろから黄金虫がたてる物音を聞いて、窓を開け、入ってきた黄金虫を捕らえた。
…とまぁ、以上のように機序は単純明快に説明できる。
それにも関わらず、Jung も 大勢の Jungian(Jung 心酔者/支持者)も、この事例を
私が発見したものは、あまりにも意味深く結びついているために、それが「偶然」一緒に起こったとはとても信じられないような「偶然の一致」の事実である。
と判断しているが、この事例に「偶然」の要素はどこにも無い。
心理学のド素人(=私)でも気づくような こんな単純なこと(=潜在意識の作用)に、超一流の心理学の専門家が気づかずに「意味のある偶然一致」という仮説を構築し、以後 100年近く Jungian がこぞって それを受け入れてきたことの方が Synchronicity そのものよりも不可解に思える。
潜在意識のこのような働き(*1) を考慮すれば
- Carl Jung が提唱した Synchronicity(共時性)は隠微かつ絶妙な錯誤
だと言うことが納得できる筈。
(*1)
潜在意識のこのような働きを否定する心理学者はいない筈。現在は、Sigmund Freud の構築した理論の大半、特に性欲を基盤とした理論を受け入れない心理学者が増えたが、それでも潜在意識を否定するには至っていない筈。
(2024-01-06 end)
福島泰樹の西川マリヱ葬儀遭遇体験
次は、笠原敏雄の『人間の「つながり」と心の実在』に詳述されている事例。細部が重要なので、この事例に関する箇所を欠落なしに(とはいえ、図や注釈は無視できるので省略)に引用する。
引用
(書籍の字組みだと Web では読みづらいので、数か所に改行を追加した)
現実の生活の中では、この臆説と相容れない現象が時おり体験ないし観察される。"偶然の一致"と言われる現象もそのひとつであろう。次に紹介するのは、その中でもとりわけ劇的なものである。
昭和初期の詩人、中原中也( 1907~37 ) の研究者でもある歌人の福島泰樹( 1943~) は、1990年 7月 4日に、鎌倉に住む友人の案内で、中也の無二の親友であった小林秀雄(1902~83) の旧居を訪ねている(福島、2008, p115)。その日の朝、福島は自宅で、中也の「鎌倉を強くイメージしておこうと思って」、なぜかある書簡を選び、それに目を通した。
それは、中也が、妻子とともに入居してまもない鎌倉町扇ヶ谷の寿福寺境内にある借家から、東京の本郷区駒込追分に住む西川マリヱ(中也の母親のいとこ;図 1 参照)に宛てて出した手紙で、鎌倉の中也宅を初めて訪れるマリヱのために、鎌倉駅からの道案内を兼ねたものであった(中原、1968, p454-55)。
日付は、死去する 7 か月ほど前に当たる 1937年 3月 11日であった。この日の日記には「催眠術講義讀了」と記されている註 9 。マリヱは中也の家族と同居していたこともあったし、中学生の時には、成績が悪化したのを心配したマリヱが中也を預かったこともある。
中也が「マリヱ姉さん」と呼んでいたように、中也とマリヱは親密な間柄にあり、マリヱは中也よりも 17歳ほど年長で、その時点では 46歳であった。中也は、荒天であったこ の日に、自宅から 1 キロほどのところにある天主公教会大町教会(現、カトリック由比ガ浜教会)に出かけ、主任司祭であったウジェ ー ヌ・ジョリ ー神父(1869 ~ 1966)と初めて対面している。マリヱは 4日後の 1937年 3月 15日の昼過ぎに中也宅を訪れた。
中也はマリヱとともに大町教会に行き、ジョリ ー 神父と 2 時間ほど歓談したという。中也は、この日の午前中に、近くに住む小林秀雄を訪ねていたが、就寝中のため会えなかった。マリヱが帰った後、再び小林を訪ねたが、今度は上京していて留守であった(同書、p252,255-56)。
それから 53年 4か月後に当たるこの日、鎌倉駅に降りた福島は、待ち合わせていた友人と、小林がよく使っていた小町通りの中華料理店で昼食をとった。当日は梅雨時のため雨が降っていたらしく、ふたりは(少なくともその友人は)傘をさしていた。
昼食後、鶴岡八幡宮の表参道(若宮大路)に出ると、向かいのカトリック雪ノ下教会の入り口に掲げられた大きな看板が目に入った。そこには「西川マリヱ葬儀式場」と墨書されていたのである。まさに、その西川マリヱの葬送の儀が執り行なわれるところなのであった。
今朝方、目にしたばかりの人の名を、葬儀を知らせる大看板で見かけたとしたら誰だって驚くに決まっている。それは充分、偶然の名に値する。しかも、所も同し鎌倉でだ。
それにしても私は何故に、西川まりゑさんの葬送の、まさに始まろうとしているその日のその時刻に、その場所に巡り合わせているのであろうか。(福島、2014, p174 傍点は引用者)
出かける前に福島は、中也の弟の思郎がまとめたマリヱの経歴(中原1979,p48)にもなぜか目を通していた。そこには生年月日は記されていなかった註 10 が、もし存命していれば、100歳前後の高齢になっているはすである。
そのため福島は、まさか「人違いにきまっているさ。第一、平成の代まで生きているわけがないではないか」と、いったんは打ち消そうとした。ところが、確認しようとして教会に人った友人から、当人にまちがいないことを知らされた福島は、「血の気が引くほど、驚愕」した(同書、p172, 174)のである。
享年は 99歳 10か月であった。福島は、中也の研究者ではあるが、少なくとも思郎が 1979年にマリヱの現住所を記して以降は、マリヱがどのような生活を送っているのかわからなかったし、完全に過去の人物になっていたため、存命しているかどうかすら実際にはわからなかった。
マリヱは、終戦後に夫の赴任先であった上海から引き揚げた後、歯科医の息子が鎌倉で開業したため、その自宅に同居していたのであった(西川 2002, p21)。
この日に福島が鎌倉に出かけた目的は、小林秀雄の旧居を訪ねることにあったので、中也の手紙やさらには西川マリヱの経歴にまで目を通す必要はなかった。したがって、この事例で肝心なのは、福島がそうした行動をなぜかとったという事実である。
可超常現象研究の方面から見ると、こには予知的な要素が関係している可能性が咼く、本例は、"適合行動 conformance behavior" (第 12章 442~448ペ ー ジ)と呼ばれる現象(Stanford, 1978) に当たりそうである。
いすれにせよこの出会いは、この日のこの時刻でなければ起こりえなかった。福島がその選択をしたのは、なぜなのであろうか。そこには、同行してくれた友 人のつごうとの兼ね合いもあったはすである。自宅を出る前に、なぜか中也がマリヱに出した手紙を選んだばかりか、マリヱの経歴にも目を通していた。
それだけでも十分ふしぎに思われるが、のみならす、この逸話を知った私自身の周辺でも、そうした事柄とつながっているらしき、さまざまな出来事が見いだされるのである。
笠原敏雄、『人間の「つながり」と心の実在』、すぴか書房、2020年、8ページ~
この事例を合理的に説明する
(2024-01-06 begin)
この「福島泰樹の西川マリヱ葬儀遭遇体験」の機序も簡単に説明できる。
冒頭に、
昭和初期の詩人、中原中也( 1907~37 ) の研究者でもある歌人の福島泰樹( 1943~) は、1990年 7月 4日に、鎌倉に住む友人の案内で、中也の無二の親友であった小林秀雄(1902~83) の旧居を訪ねている(福島、2008, p115)。その日の朝、福島は自宅で、中也の「鎌倉を強くイメージしておこうと思って」、なぜかある書簡を選び、それに目を通した。
とあるが、福島の
その日の朝、福島は自宅で、中也の「鎌倉を強くイメージしておこうと思って」、なぜかある書簡を選び、それに目を通した。
という朝の行動には理由がある。福島はその朝、新聞の朝刊に目を通していた筈。現在は新聞の実態(=活動家になりそこねた連中によるアジビラ的作文)が暴かれてしまい、毎朝、新聞紙を読むような因習は廃れたが、30年以上昔の 1990年なら普通の大人は皆、習慣としていた。まして住職であり歌人であり非常勤大学講師でもある福島であれば、毎日の習慣としていたのは確実。
そして、新聞には訃報欄が配置されている。当日に執り行われる「西川まりゑの葬儀」もそこに記載されていたのだろう。
その朝、福島が朝刊に目を通した時に、その「西川まりゑの葬儀」の記事が目に入ったが、顕在意識は気づかなかった。だが、潜在意識は気づいた。顕在意識は全く自覚しなかったが、潜在意識の影響下で、葬儀場のある
「鎌倉を強くイメージしておこうと思って」、なぜかある書簡を選び、それに目を通した。
という行動をとり、鎌倉の友人に電話連絡して鎌倉で落ち合うことになった。だから、
今朝方、目にしたばかりの人の名を、葬儀を知らせる大看板で見かけたとしたら誰だって驚くに決まっている。それは充分、偶然の名に値する。しかも、所も同し鎌倉でだ。
それにしても私は何故に、西川まりゑさんの葬送の、まさに始まろうとしているその日のその時刻に、その場所に巡り合わせているのであろうか。(福島、2014, p174 傍点は引用者)
は偶然ではなく、起こるべくして起きた。
福島の顕在意識はこの事例に驚き、不思議がるが、彼の潜在意識が彼にそのような行動をとるように働きかけただけ(*2)。
(*2)
福島のこの事例に関する上記のような私の説明には反証可能性がある。福島が読んだ 1990-07-04 の朝刊に「西川まりゑの葬儀」の訃報記事が掲載されていなければ、私の説明は否定される。
その場合でも、寺院経営の責を担う住職であれば、各地からの訃報方法が集まりやすい筈で、その中に「西川まりゑの葬儀」の情報が含まれていた可能性がある。顕在意識はそれを見逃したが、潜在意識は気づいていたと。
なお、仮にその訃報情報が通常の手段では全く入手しえなかった場合でも、Synchronicity を持ち出す前に、無自覚の遠隔視のような ESP 的な方法で葬儀を察知した可能性を先に考慮すべきだと私は考える。
(2024-01-06 end)
Mike Clelland の「日焼け止め薬品」遭遇体験
次は Mike Clelland の事例。彼は UFO 業界で有名。彼が度々取り上げている、彼自身の Synchronicity 体験の事例を検討する。
Mike Clelland の代表的な Synchronicity 体験 ⇒ この謎を解く(書式変換)
一般化すると…
…
履歴
(2024-12-25) 書式変換
(2024-01-06) 追加。発端となった Jung の体験と、福島泰樹の事例の謎を解く。❑ Carl Jung が提唱した Synchronicity(共時性)は隠微かつ絶妙な錯誤。この謎を解く (途中 4) (2024-01-06)
(2023-10-01) 追加。 ❑ Carl Jung が提唱した Synchronicity(共時性)は巧妙な錯誤。錯誤の機序を合理的に説明する (途中 3) (2023-10-01)
(2023-09-26) 追加。 ❑ Carl Jung が提唱した Synchronicity(共時性)は巧妙な錯誤。錯誤の機序を合理的に説明する (途中 2) (2023-09-26)
(2023-06-24) 作成。 ❑ Carl Jung が提唱した Synchronicity は間違っている可能性が高い (途中 1) (2023-06-24)