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Carl Jung の Synchronicity(共時性)事例の再考

· 6 min read

前置き

最近の記事、

Carl Jung が提唱した Synchronicity(共時性)は隠微かつ絶妙な錯誤。この謎を解く (書式変換)

について、素人には思い至らぬ貴重なコメント、

 この時代のユングはフロイトの流れを汲んで、寝椅子を用いて面接していました。寝椅子を用いる意味は様々ありますが、治療者の表情を見て、治療の妨げとなるような転移を防ぎ、飽くまでも分析空間がブランクスクリーンとして機能するためという意味合いが強かったのです。そのため寝椅子に横たわった患者の頭部後方に治療者は座ることになります。つまり患者はユングの方を見ていませんから、当然ユングの背後にあった窓の外を見ることもできませんでした。

ref: http://news21c.blog.fc2.com/blog-entry-23076.html#comment458

を頂いたので(ありがとうございます)、以下でそのコメントに対する私の考えを述べます。Markdown 書式を用いる都合上、こういった記事の形にしました。

Carl Jung の事例の再考

近く、この御意見を反映させて元の記事を大筋で次のように変更したいと思います。

OLD: 患者の婦人は Jung に対面し、Jung の背後の窓が見えていた。そして窓の黄金虫が目に入っていた。

NEW: 患者の婦人は、入室し寝椅子に横たわるまでの間に、窓の黄金虫を目にしていた。

この OLD → NEW の変更で、確かに黄金虫を目にするチャンスは 大きく低下しますが、完全に無視できるほど低くはならない…そう判断します。

頑迷な奴だ…そう思われるかもしれません。ですが、私が Synchronicity を否定する根拠が眼の前にあります。

Synchronicity を否定する根拠

それは、今まさに誰もが使っている PC/多機能能携帯電話機 です。Jung が提唱する「意味のある偶然」が僅かでも現実に働いているのであれば、PC/多機能能携帯電話機 は誤動作しまくりで正常動作はありえません。

なぜなら、「意味のある偶然」の「意味」とは情報そのものですし、 PC/多機能能携帯電話機 こそが、その持ち主自身の情報や関心となる情報の塊です。

「意味のある偶然」とは「物理的因果法則の枠外の干渉によって新たに(有意な)情報パターンが生じること」と等価です。その情報パターンの変化の頻度が極小であっても PC/多機能能携帯電話機 は正常動作しません(構造上エラーを受け入れて設計したフラッシュ・メモリを除けば、これらの電子機器はエラー補正機能を備えていません)。

つまり、OS やアプリのコードもデータも持ち主の 気分/考え/行動 によって 1bit も変化しないがゆえに正常動作し続けています。

また、「意味のある偶然」の効果が実在すれば、多種多様の超精密実験において既に統計的に有意な謎の偏向として検出されている筈ですが、そのような報告はありません。

ESP 仮説で足りるので、Synchronicity 仮説は不要

さらにダメ押しとなるのが、「意味のある偶然」は「ESP 的な作用」と区別ができません(*1)。「ESP 的な作用」は実験室でもある程度まで再現され、それを裏付けているとされる測定データも豊富にあります。一方で、Synchronicity は測定方法すら確立していません。

それゆえ、「意味のある偶然」という仮説は不要で、大幅に譲歩しても「ESP 的な作用」で代用できるのではないかと私には思えます。

(*1)

たとえば、Jung の事例では

  • 患者の婦人は ESP で「窓の黄金虫」の存在を意識下で察知していた

と解釈すれば、Synchronicity 仮説は不要となります。

推測ですが、全ての Synchronicity 現象は ESP 仮説(+潜在意識での認知)でも十分に説明可能だと思えます。

(2024-12-27)