AI 分析 : Ted Bloeche : 1947年 の UFO 目撃多発に関する調査報告書

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Ted Bloecher, "Report On The UFO Wave of 1947", 1967
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❑ Ted Bloeche : 1947年の UFO 目撃多発に関する調査報告書 (途中1) (2023-06-19)
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情報源 :
http://kirkmcd.princeton.edu/JEMcDonald/bloecher_67.pdf
UFO目撃報告:1947年夏の時系列記録
提供された文書は、主に1947年夏に北米で発生した未確認飛行物体(UFO)の目撃情報に関する包括的な分析です。これは、ジェームズ・F・マクドナルドによる序文と、テッド・ブローカーによる報告書で構成されています。
ブローカーは、当時の新聞記事を詳細に検証し、目撃情報の発生状況、目撃者の種類、物体の形状や動きに関する記述をまとめることに焦点を当てています。また、報 告書は、軍や科学界による初期の反応と、いくつかの目撃情報が後にデマと判明した事例についても触れています。
目的は、UFO現象の初期段階におけるジャーナリズムの役割と、その後の政府の対応を記録することにあり、特にケネス・アーノルドの目撃情報が報道の引き金となったことが強調されています。
詳細ブリーフィング資料:1947年の未確認飛行物体(UFO)報告書主要テーマと重要事実
概要
提供された資料は、1947年夏にアメリカ合衆国を席巻した大規模なUFO目撃の波、通称「フラップ」に関する包括的な調査報告書からの抜粋です。この報告書は、目撃された物体の形態、機動、目撃者の種類、および経験的証拠を詳細に分類し、当時の公式見解と矛盾する広範な目撃情報を浮き彫りにしています。特に、ケネス・アーノルドによる有名な目撃事例とそれに続くメデ ィアの反応、そして政府および軍当局の混乱した対応が強調されています。
主要テーマと重要なアイデア・事実
- 1947年の「フラップ」現象とその定義
1947年の夏に発生したUFO目撃の波は、当時の空軍プロジェクト・ブルーブックの元責任者エドワード・J・ルッペルトによって「フラップ」と定義されました。彼は「フラップ」を「集団の、高度な混乱状態であって、まだパニック寸前ではない状況」と説明しています。資料は、この期間に非常に多くの人々が経験した著しい混乱が、このUFOの波を間違いなく「フラップ」のカテゴリーに入れると指摘しています。
- 目撃された物体の多様な形態と機動
報告書は、目撃されたUFOの形態と機動について詳細な分類を提供しています。
形態:
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円盤状/皿型: 最も多く報告された形態で、「丸い物体」や「円盤」と表現されることが多かった(I-5)。「銀色で高度に研磨された」円盤状の物体が軸上で回転している様子や(I-2)、通常のディナープレートくらいの大きさで緑色の物体(II-16)などが報告されています。
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V字型・三角形・翼型: V字型編隊や翼型の物体も複数報告されています(II-3, II-17)。特に、J.V.ワッツ・ジュニアが 目撃した「V字編隊で飛行し、上下に揺れ動く」翼型の物体は、「円盤」や「皿」とは異なると強調されています(II-17)。
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魚雷型/円筒型: 「マヨネーズの瓶のような形をした物体」(II-16, III-9)や「煙突の形に似ている」と表現された物体も記録されています。
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ドーム、フィン、つまみなどの突起物: ドーム型やフィン(尾部)を持つ円盤も報告されています(II-13)。「下向きに突き出た小さな尾」を持つ物体(II-14)も言及されています。
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小さな物体と「親と子」の関係:「ママディスク」の周りを「小さな赤ちゃんディスク」が飛び回り、その後「ママディスクが赤ちゃんディスクを吸収する」という非常に珍しい報告もあります(II-18)。
機動:
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高速移動: ケネス・アーノルドの目撃事例では、物体が50マイルの距離を1分42秒で移動し、時速1,700マイルという驚異的な速度で飛行していたと計算されました(I-3)。他の報告でも「非常に速い」(I-15, I-16)、「途方もない速度」(I-7)といった表現が見られます。
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急激な上昇・下降、停止と反転:「急激な高度変化」(I-10)や「空中での突然の停止」(II-12)、「急降下して視界から消える」(III-2)といった、通常の航空機では考えられない機動が報告されています。
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ホバリング: 空中での停止やホバリングも記録されています(I-6)。
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揺れ動く・ふらつくような飛行:「ふらつくような飛行パターン」(III-10)や「揺れながら、その 後まっすぐになる」(付録-5)、「ひらひらと舞うように」着陸する様子(II-12)も記述されています。
無音飛行: 多くの目撃者が物体からの音を報告していません(I-2, II-12, II-15)。
- 目撃者の信頼性と多様性
目撃者のリストは、社会の幅広い層にわたる多様な専門家が含まれていることを示しています。これには以下が含まれます。
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航空専門家: 航空会社、軍、および民間パイロット(III-9)、航空計器技師(III-17)、空軍の元偵察写真家(IV-5)。ケネス・アーノルド自身も4000時間以上の飛行経験を持つベテランパイロットであり、「有能なセールスマン」や「副保安官」としての信頼性が強調されています(I-3)。
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警察・法執行官: 多数の警察官や保安官代理が目撃し、公式報告書を提出しています(III-14)。
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科学者: 気象学者(III-2)、海軍研究所のミサイル専門家(I-4)、天文学者(I-5)。
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その他: 実業家、教育者、ニュース記者、医師、公共当局者、技術者、主婦、理容師、歯科医、郵便局長など(I-5)。
これらの目撃者たちは、「信頼できる人物がでたらめを言うような人間ではない」と評されています(I-15)。
- 公式の対応と矛盾する説明 軍や政府当局からの公式声明は、しばしば矛盾しており、事態を混乱させました。
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初期の混乱と否定: 空軍当局は当初、「現象、あるいは誰かの想像の産物」とし、「さらなる調査を正当化するほどの事実が出ていない」と述べていました(I-6)。また、一部の専門家は「計器盤の反射」「奇妙な雲の形成」「錯覚」といった 説明を提供しています(I-7)。
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ロズウェル事件の初期発表と訂正: ロズウェル陸軍航空隊の第509爆撃機群の諜報部隊が「円盤の破片を入手した」と発表したことは「原子爆弾の爆発に匹敵する影響」を与えましたが、直後に「高高度気象観測装置の残骸」と訂正されました(I-9)。
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「レーダーチャフ」説: ポートランドでの多数の円盤型物体の目撃は、空軍の公式ファイルでは「レーダーチャフ」(敵レーダーを混乱させるために投下されるアルミニウム片)と説明されていますが、これは繰り返される目撃には合致しないと指摘されています(viii)。
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軍高官の関心: 当時の陸軍航空隊司令官カール・スパーツ将軍が、ライトフィールドの当局に「円盤が何であるかを調査し、確認する」よう要請したこと(I-6)は、初期の公的な否定とは対照的に、内部での関心があったことを示唆しています。
これらの対応は、空軍の主要な関心事が「科学的調査ではなく、むしろ広報であったことを明確に示している」と結論付けられています(I-6)。
- 経験的証拠の存在と未解明な点 目撃報告に加えて、物体との相互作用や痕跡に関する報告も含まれています。
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電磁気効果: UFOが車両のヘッドライトや無線に影響を与えた例が報告されています(IV-3)。
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破片・痕跡:ボブ・スコットの庭で発見された、触っても熱くない「トーチのように明るい」物体(IV-2)。
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モーリー島事件では、ダールが目撃したドーナツ型物体が「大量の金属片を噴出し」、彼のボートを損傷させ、息子を負傷させたという報告がありまし た(I-14)。ただし、これらは後に虚偽であったことが示唆されています(I-15)。
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動物の反応: 動物がUFOに反応したという報告も含まれています(IV-1)。
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写真: 報告書には複数のUFOの写真や絵が掲載されており、特にフランク・ライマンによるレイクシティでの写真(IV-3)や、ヒックスによるルイビルでの写真(IV-4)などが紹介されています。
- ケネス・アーノルドの目撃の重要性
ケネス・アーノルドの1947年6月24日のマウント・レーニア上空での目撃は、「現代のUFO活動の導入」として位置づけられています(I-2)。彼の目撃は、「空飛ぶ円盤(flying saucers)」という言葉を生み出し、その後の目撃の波の引き金となりました。彼の詳細な報告と、時速1,200マイルという推定速度は、当時の航空技術では説明がつかないものでした。
結論
1947年のUFO「フラップ」は、単なる大衆ヒステリーでは片付けられない、広範で多様な目撃と証拠を含む複雑な現象でした。多岐にわたる信頼できる目撃者の存在、物体の異常な形態と機動、そしてそれに対する政府機関の混乱した、時に矛盾する対応は、この出来事が当時の社会に与えた大きな影響を示しています。この報告書は、後のUFO研究における重要な基礎資料として位置づけられるものです。
タイムライン
1946年9月
- 日時不明、デラウェア州ルイス近郊: パイロットのフォレスト・ウェニヨンが「マヨネーズ瓶のような形をした物体」を初めて目撃する。
1947年5月
- 5月最終週、サウスカロライナ州セントヘレナ湾近郊: オーガスタ、ジョージア州の医師コールデン・R・バッティ博士が、南東方向に猛スピードで飛行する4つの円盤状の物体の編隊を目撃する。それらは軸上で回転しているように見え、高度約20,000フィートで、銀色に輝き「高度に研磨されている」ようだった。
1947年6月
- 6月2日、デラウェア州ルイス近郊: パイロットのフォレスト・ウェニヨンが、以前にも目撃した「マヨネーズ瓶のような形をした物体 」が飛行機の前を横切るのを目撃する。これは空軍ファイルに「ミサイル」として記載されている。
- 6月2日、オロビル、カリフォルニア州のフェザー川近郊: ロバート・ラーキンが3つの暗い物体を目撃する。そのうち1つはとがっていて傘のようだった。
- 6月21日、ワシントン州モーリー島: ハーバーパトロールマンのハロルド・ダールがドーナツ状の物体6つを目撃。うち1つが大量の金属片を噴出し、ボートを損傷させ、息子を負傷させる。
- 6月23日、カリフォルニア州ベーカーズフィールド: ベテラン飛行士のリチャード・ランキンが、正午ごろにV字型編隊で飛行する10個の平らな円形の物体を目撃する。
- 6月23日、オレゴン州ラ・グランド: ラ・グランド高校生のリーランド・ジョーンズと2人のカトリック修道女が、V字型編隊で「編隊から出たり入ったり」する9つの円盤状の物体を目撃する。それらは「明るく丸く、ひれがついているようだった」とジョーンズは述べる。
- 6月24日、ワシントン州レーニア山近郊: 事業でチヘリスからヤキマへ飛行中のケネス・アーノルドが、9つの明るくきらめく、平らな円盤状の物体が「飛び跳ねるように」動くのを目撃する。彼は後にその速度を時速1,700マイルと推定する。この目撃は「空飛ぶ円盤」という用語の導入に繋がる。
- 6月24日、オレゴン州ウキア近郊: 鉱山技師のフレッド・ジョンソンがひれまたは尾を持つ5、6個の円盤を目撃する。
- 6月27日、シアトル、ワシントン州: 空軍ファイルに記載されているケース46とケース84が関連するが、詳細は不明。
- 6月28日~30日: 合衆国30州とカナダ2州で合計128件の目撃情報が報告され、そのうち90件が昼間の目撃だった。ワシントン州が最多で20件、オレゴン州とニューメキシコ州がそれぞれ13件だった。
- 6月29日、ニューメキシコ州ホワイトサンズ: 海軍研究室のミサイル専門家カール・J・ゾーンが目撃する(詳細は不明だが、空軍ファイルには未確認とは分類されていない)。
- 6月30日、グランドキャニオン近郊: 海軍パイロットが2つの物体が地球に落下するのを目撃する(空軍ファイルには未確認とは分類されていない)。
- 6月30日、ワシントン州スポケーン: 郡夜間刑務官のジョン・モーニングが、街の上空を西から飛んでくる「丸い物体」を目撃し、公式報告書を提出する。
- 6月30日、アイダホ州ヘイリー近郊: ウォルター・ニッチが空飛ぶ円盤を目撃する。
- 6月30日、テキサス州デカルブ近郊: 農民のウェンデル・L・カーソンが、彼と幼い息子がトマト畑を高度100フィートで音もなく横切る円盤を目撃する。「鏡のように太陽を反射していた」と彼は説明する。
- 6月30日、ポートランド、オレゴン州: ポートランド気象局長E・S・エリソン大佐が、気象観測用気球について言及し、それらが円盤のような速度に達することはできないと述べる。
1947年7月
- 7月1日~2日: マップ#8に示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月3日: マップ#9に示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月3日、アイダホ州セントマリーズ近郊: ウォルター・ジョンソン夫人が、南の空から飛んでくる「洗濯桶」のような9つの大きな物体(一部は8つと数える)のゆるい編隊を目撃する。それらは「素早く現れ、ぎくしゃく止まり、葉のように地上にひらひらと舞い降りた」という。
- 7月4日、ワシントン州レイクシティ: 沿岸警備隊のフランク・ライマンが、レイクシティ上空を飛ぶ円盤を撮影する(広く公開された最初の写真)。
- 7月4日、オレゴン州ポートランド: 警察官のフレッド・クライブス、クラレンス・マッケイ、ジョン・サリバンが、ダークで「派手ではない」が「ガチョウの群れ」のように見える物体がV字型で飛んでいるのを目撃する。彼らは「低いハミング音」または「ドローン音」を聞いたと報告する。
- 7月4日、アイダホ州ツインフォールズ: ピクニックをしていた60人が、35以上の物体の3つの編隊が頭上を飛行するのを目撃する。
- 7月4日、ワシントン州ハウザー湖近郊: スポケーン近郊のハウザー湖で200人以上が空の単一の円盤を目撃する。
- 7月4日、アイダホ-オレゴン州境近郊: ユナイテッド航空機の全乗組員が、薄暮時に2つの円盤群を目撃する。
- 7月4日、アイダホ州ボイシ: UPIのニュースマンと友人たちが、単一の円盤が猛スピードで頭上を直接飛行し、数秒で地平線に消えるのを目撃する。
- 7月4日、アイダホ州エメット & オレゴン州オンタリオ: キャプテン・カーティス・J・スミスとスティーブンスが、当初は飛行機と間違えたが、平らで円形の物体を目撃する。彼らは客室乗務員のマーティ・モローを呼ぶ。
- 7月4日、モンタナ州クレイグ近郊: グレートフォールズの芸術家で彫刻家のカート・デニスと妻が、ミズーリ川で釣りをしているときに、12個ほどの銀色の物体が「皿が連なって飛んでいる」ように見えるのを目撃する。
- 7月4日、ノースダコタ州エリオット: 農民のヴァージル・ビーンが、母親の農場上空で「ディナープレートくらいの大きさで形は同じだが、緑色」の小さな物体を目撃する。彼の母親と兄弟も目撃する。
- 7月4日、テキサス州ヒルズボロ: ボブ・スコットという農民の庭で、「たいまつ(溶接用トーチ)のように明るいが、拾ってもやけどしない」円盤状の物体が発見される。
- 7月4日、ニューヨーク州マンハッタン: ニューヨーク市警察官のフランク・M・リッチモンドが、空を高速で移動する銀色の円盤状の物体を目撃する。
- 7月5日: マップ#11に示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月5日、メリーランド州ベセスダ: ケース306の詳細が報告される。
- 7月5日、カリフォルニア州ベイエリア: マップBに示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月5日、メイン州オーガスタ: ニュースマンでプログラムディレクターのダン・ケリーと友人が、オーガスタ市上空を北へ猛スピードで飛行する12個の円盤状の物体を目撃する。
- 7月5日、アーカンソー州フェイエットビル: ホイットニー・L・ヴァンダーホーフ・ジュニアが空飛ぶ円盤を目撃する。
- 7月5日、ニューハンプシャー州アルトン: チャールズ・M・デール知事の息子トーマス・デール(26歳、8年以上の飛行経験を持つベテラン)が、友人のジェレ・ステットソンと共に飛行中に「過剰な速度」で接近する奇妙な物体を目撃する。
- 7月6日: マップ#12に示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月6日、ミシガン州ポンティアック近郊: ケース651の写真が撮影される。
- 7月6日、アラバマ州バーミンガム: マップDに示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月6日、サウスカロライナ州ダーリントン: 弁護士J・V・ワッツ・ジュニアが、V字型編隊で飛行し、ゆっくりと上下に揺れる10〜12個の翼状の物体を目撃する。それらは金属質で、通常の円盤とは異なっていた。
- 7月6日、ニュージャージー州エリザベス: 警察官フレデリック・シュラウフが、空を不規則に移動する2つの光る物体を目撃する。それらは「クロームプレートに似ていた」という。
- 7月6日、カリフォルニア州サンラファエル: 警察官アーサー・H・フェローズと3人の仲間が、東の空に円盤状の物体を目撃する。彼らは「安定したハミング音」を聞いたと報告する。
- 7月7日: マップ#13に示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月7日、イリノイ州シカゴ: マップEに示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月7日、ワシントン州シアトル: マップFに示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月7日、アリゾナ州フェニックス: ケース675の写真が撮影される。
- 7月7日、ケンタッキー州ルイビル: ケース683の写真が撮影される。
- 7月7日、カリフォルニア州レッドランズ: パン配達ドライバーのH・J・ステルが、8つの円盤状の物体が南西方向に「さっと」移動するのを目撃する。
- 7月7日、ワシントン州タコマ: 警察が大小の円盤を目撃する(衛星物体報告を参照)。
- 7月7日、オレゴン州フェニックス: 航空計器エンジニアのデイビッド・A・ケニーが、時速600〜700マイルで飛行する円盤状の物体を目撃する。それは明るい光を放ち、地形の輪 郭に沿って不規則に上下に揺れていた。
- 7月7日または8日、ワシントン州スポケーン近郊: 退役軍人で学生パイロットのジェームズ・デビッドソンが、飛行中に「空飛ぶ円盤」を目撃する。それは中央に穴があり、太陽に向かって輝いていた。
- 7月8日: マップ#14に示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月8日、ミズーリ州セントルイス: 学校教師のティーモ・ウルフが、これまで空飛ぶ円盤の報告を疑っていたが、正午過ぎにセントルイス上空を飛行する物体を目撃し、考えを変える。それは自動車くらいの大きさでピンク色で、中央に暗い斑点があった。
- 7月8日、ニューメキシコ州ロズウェル: ロズウェル陸軍航空基地第509爆撃航空団の情報将校が、地元の牧場主とチャベス郡保安官事務所の協力を得て「円盤の破片」を入手したと発表する。この発表は後にフォートワースのロジャー・M・レイミー准将によって「高高度気象観測装置」の残骸であると訂正される。
- 7月8日、カリフォルニア州アバロン: サンタカタリナ島で数百人が6つの円盤状の物体が島の上空を通過するのを目撃する。そのうちの1つはアーミー空軍の退役軍人ボブ・ユングによって撮影される。
- 7月8日、アラバマ州ペルシティ近郊: 空中からの目撃情報が報告される。
- 7月8日、ピュージェットサウンド上空: 水上飛行機のパイロットがオリンピック山脈上空でいくつかの円盤を目撃する。
- 7月8日、スポケーン山近郊: スポケーン海軍補給所の学生パイロットが、中央に穴のある円盤を目撃する。
- 7月8日、ロサンゼルス地域上空: ムロック空軍基地のF-51パイロットが、彼の飛行機の上空高くに、平らで反射性の高い物体を目撃する。
- 7月9日~10日: マップ#15に示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月9日または10日、ニュージャージー州モリスタウン: ケース790の図が示される。ジャンセンは、それらが宇宙船であると公言する。
- 7月11日~15日: マップ#16に示された地域で目撃情報が報告される。
- 7月13日、マサチューセッツ州ガードナー: ケース838の図が示される。
- 7月20日~30日: マップ#17に示された地域で目撃情報が報告される。
全般的な情報
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「フラップ」の定義: プロジェクト・ブルーブックの元責任者、エドワード・J・ルッペルトが「レポート・オン・未確認飛行物体」(1956年)で「フラップ」を「混乱状態にある集団の状態」と定義している。
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1947年夏のフラップ: 1947年夏に多くの人々が経験した混乱状態は、この期間のUFO現象を「フラップ」のカテゴリーに入れる。
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軍の反応: 当初、米空軍は目撃情報を「レーダー攪乱金属片」や「気象観測用気球」などの従来の説明で説明しようとする。矛盾する公式声明は、軍の主な関心が科学的調査ではなく広報であったことを示唆している。
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目撃者: 経営者、教育者、気象学者、軍人(陸軍、海軍、海兵隊、沿岸警備隊)、ニュース記者、医師、パイロット、警察官、公務員、エンジニア、科学者など、幅広い職業の人々が目撃者となる。
主要な著者・編集者・専門家
Ted Bloecher(テッド・ブローカー):
- 本報告書「REPORT ON THE UFO WAVE OF 1947」の著者。彼の研究は、1947年夏にUFO問題が公衆に現れた際の「決定的な分析」と見なされている。彼は全国の図書館にある古い新聞ファイル、空軍のプロジェクト・ブルーブックのファイル、および独立した調査グループのファイルを参照して、1947年の膨大なUFO報告を系統的に整理しました。
Dr. James E. McDonald(ジェームズ・E・マクドナルド博士):
本報告書の序文を執筆したアリゾナ大学大気物理学研究所の主任物理学者。彼は、UFO問題が「おそらく人類が直面する最も傑出した科学的問題である」と信じていると述べています。彼は、1947年の中頃の目撃報告が、単なる数十件ではなく数百件に上ったことに「呆然とした」と述べており、このエピソードが記録上「際立った目撃波」の一つであると強調しています。
Dr. J. Allen Hynek(J・アレン・ハイネック博士):
- 空軍のUFO調査における科学顧問。1947年当時、プロジェクト・サインのためにケネス・アーノルドの報告をレビューした際、「矛盾点」を発見したとされています。具体的には、物体の速度と距離の推定と、物体のサイズの推定を一致させることが問題でした。彼は、空軍のファイルにおける平均的なUFO目撃報告率が1日1〜2件であると述べています。
Edward J. Ruppelt(エドワード・J・ラペルト):
- 元プロジェクト・ブルーブックの責任者。彼の著書「The Report on Unidentified Flying Objects」の中で、「フラップ」という状態を「混乱の進んだ状態にある人々のグループの状況」と定義しています。彼はまた、1947年のミューロック空軍基地での目撃が「空軍にUFOへの深い関心を持たせた最初の目撃」であったと述べています。
Charles Fort(チャールズ・フォート):
- 「The Book of the Damned」の著者で、UFO現象が「脅しも嘲りも反抗もしないが、集団形成で現れ、通り過ぎ、通過し続ける」という「抵抗しがたい」性質を持っていると表現されています。
Lt. Colonel Harold R. Turner(ハロルド・R・ターナー中佐):
- ホワイトサンズ実験場の司令官。彼は、ケネス・アーノルドの目撃について、当初は「ジェット機」の排気管の錯覚であると主張し、後にニューメキシコでの一連の報告を受けて「隕石」であると説明を変更しました。これは、初期のUFO報告に対する軍の混乱した見解を示しています。
Dr. H.H. Nininger(H・H・ナイニンガー博士):
- 隕石学の専門家で、バイロン・サベージが目撃した物体が隕石であった可能性に言及しました。また、別のニューメキシコでの目撃について、R・L・ホプキンス博士が見たものは「アリゾナ州南東部に落下した隕石であった可能性がある」と述べています。彼は、飛行する円盤は「人間の心理における興味深い研究」に過ぎないと述べています。
Dr. Gerard Kuiper(ジェラルド・カイパー博士):
- シカゴ大学ヤーケス天文台の責任者。UFO報告について、円盤は「隕石ではありえない」という見解を示し、「人間が作ったもので、おそらく無線操縦されている」と提言しました。
重要な目撃者
Kenneth Arnold(ケネス・アーノルド):
- 1947年6月24日、ワシントン州レーニア山付近を飛行中に「9つの円盤のような物体が不規則に空中を移動しているのを見た」と報告したパイロット兼ビジネスマン。彼の目撃は「近代UFO活動の記録の第一章を開いた」とされており、当時の新聞で大々的に報道され、その後の大規模なUFO目撃の波の引き金となりました。
Byron Savage(バイロン・サベージ):
- オクラホマシティのビジネスマン兼プライベートパイロット。アーノルドの報告より約6週間前の1947年5月17日または18日に、音もなく非常に速く移動する「ぴかぴかの銀色の円盤状の物体」を目撃しました。彼の報告は、アーノルドの報告後すぐに新聞で広く注目されました。
Walter A. Minczewski(ウォルター・A・ミンチェフスキー):
- 1947年4月中旬、バージニア州リッチモンドの気象局で、気球を追跡中に、ドーム状の「銀色の楕円形の物体」が水平飛行するのを目撃した米国政府の気象学者。彼はこの目撃を気象局の上司にのみ報告していました。
Dean A. Hauser(ディーン・A・ハウザー):
- 1947年5月19日、コロラド州マニトウ・スプリングスで、他の6人のパイクス・ピ ーク鉄道従業員と共に、急速に接近し、頭上で不規則な運動(「広い円を描くように不規則に動いた」)をする明るい銀色の物体を目撃した海軍退役軍人。
W.I. Davenport(W・I・ダベンポート):
- 1947年6月25日、ミズーリ州カンザスシティで、緩い編隊を組んだ9つの物体が音を立てて飛行し、飛行機雲を残しているのを目撃した大工。
Mrs. H.G. Olavick(ミセス・H・G・オラビック):
- 1947年4月29日、アリゾナ州ツーソンで、友人のミセス・ウィリアム・ダウンと共に、雲の中から現れた、平らな球体のような形をした鈍い白い円盤状の物体を目撃しました。この目撃はアーノルドの報告以前のもので、公式には報告されていませんでした。
Emil J. Smith(エミール・J・スミス):
- ユナイテッド航空の機長で、1947年7月4日、アイダホ州とオレゴン州の境界付近で、乗務員と共に2 つのグループの円盤を目撃しました。彼の報告は、広く公表され、「最も懐疑的な人々さえも動揺させた」と評されました。
Frank Ryman(フランク・ライマン):
- 1947年7月4日、ワシントン州レイクシティで、空飛ぶ円盤の写真を撮影した沿岸警備隊の測量員。この写真は、広く公表された最初のUFO写真の一つであり、多数の目撃者がいた状況で撮影された点で重要です。
Henry Seay(ヘンリー・シー):
- 1947年7月4日と5日の2夜連続で、アーカンソー州フェイエットビルで、彼の家畜がUFOが頭上を急降下した際に逃げ出したと報告した農夫。彼は、物体の光は目くらましするほどではなかったが、形はよく見えなかったと述べています。
William Rhodes(ウィリアム・ローズ):
- 1947年7月7日、アリゾナ州フェニックスで、円盤状の物体が自宅の上空で旋回するのを撮影した「フリーランスの科学者兼発明家」。彼の写真 は、後にケネス・アーノルドによって「本物であると考えられる」ものの一つとして評価されました。
公式調査関係者・科学者
Major Jesse A. Marcel(ジェシー・A・マーセル少佐):
- 1947年7月上旬、ニューメキシコ州コロナ近くで農夫ウィリアム・W・ブラゼルが発見した円盤の残骸を、ロズウェル陸軍航空基地の情報部隊として検証しました。この事件は後に「ロズウェル事件」として知られることになります。
Warrant Officer Irving Newton(ワラント・オフィサー・アービング・ニュートン):
- フォートワース気象台の気象予報官で、ロズウェルで回収された「円盤」の残骸を「高高度気象観測装置」であると特定しました。
Dr. Lincoln La Paz(リンカーン・ラ・パス博士):
- ニューメキシコ大学隕石学部長。1947年7月10日、ニューメキシコ州フォートサムナー付近で、奇妙な明るい楕円形の物体が雲の中に静止し、突然上昇するのを目撃し、「まったく新しい空中装置」であると確信しました。
デマ関連人物
William W. ("Mac") Brazel(ウィリアム・W・(マック)・ブラゼル):
- 1947年7月上旬、ニューメキシコ州コロナ近くの牧場で、円盤の残骸を発見した農夫。この出来事(ロズウェル事件)は、後に誤報や公衆の混乱を招いた要因の一つとされています。
Fred Crisman(フレッド・クリスマン):
- モーリー島事件の目撃者の一人。この事件は後にデマとして暴かれ、クリスマンとハロルド・ダールがシカゴの出版社に石の破片を送りつけ、それが円盤の一部であると主張していたことが判明しました。