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Jimmy Akin : 1896-1897年に US で多発した謎の飛行船の主要な謎がある程度、解けた (途中1)

· 267 min read

前置き

1896-1897年に多発した謎の飛行船については、これまでも過去記事で何度も取り上げてきたが(*1)、以下の解説動画が最良。

以下は、Jimmy Akin による

1896年と1897年には、カリフォルニアからミシシッピにかけて「ミステリー飛行船」が目撃され、宇宙船ではないかという説もあった。ジミー・エイキンとドム・ベッティネリは、飛行船に関する多くの説を排除し、今、最後の謎に迫る。飛行船とは何だったのか、誰が作ったのか、政府は関与していたのか?

を主題とした動画。

Jimmy Akin はキリスト教信者だが、彼の緻密で徹底的な調査能力と明快な論理性、バランス感覚は、大半の UFO 研究者や否定論者 より優っている(*2)。

2時間弱の長い動画だが、内容が充実しており、過去記事では全く取り上げていなかった意外な事実がいくつも含まれている。

なお、動画には広告が含まれているが、和訳では削除している。

後日、

  • 和訳部分に切り出し静止画を挿入
  • 主要な細部の話題を個別記事として切り出し

をしたいところ。

(*1)

...

(*2)

...

手抜き

動画(1:56:47)

Secret Origin of the Mystery Airships! (Phantom Airships, UFO, 1897) - Jimmy Akin's Mysterious World

www.youtube.com/watch?v=Mq0pmfgeAt4

動画概要欄

9,100 views 2023/10/14 Jimmy Akin's Mysterious World

In 1896 and 1897, Mystery Airships were reported from California to the Mississippi, which some believed were alien ships. Jimmy Akin and Dom Bettinelli eliminated many theories about the airships, and now address the final mystery: what were the airships, who made them, and was the government involved?

FasterWhisper AI(large-v2 model) + DeepL(2024-07 model)

ジミー・エイキンズ・ミステリアス・ワールドは、スタークエスト・プロダクション・ネットワークがお届けしており、多くの方々のご支援により実現しています。ポッドキャストを支援したい方は、sqpn.com slash giveをご覧ください。前回までのジミー・エイキンズ・ミステリアス・ワールド。1896年の年末、カリフォルニアの住民たちは、空に未知の飛行船が現れたのを見て驚きました。 (0:00:29)

ライト兄弟が1903年に初の動力飛行を行う前であり、気球は何年も使われていたとはいえ、この新型飛行船は当時としては他の乗り物とは比べものにならないほど、特異な飛行特性を示しました。 近年、1890年代の飛行船の波は、地球外生命体との接触を告げる初期のUFO目撃例だったという説が数多く提案されています。 しかし、それはすべて巨大なデマだったという人もいます。 (0:00:53)

しかし、1890年代の飛行船の謎の真実は何だったのでしょうか? 宇宙人だったのでしょうか? それとも、いたずらだったのでしょうか? それとも、何か他のものだったのでしょうか? 1896年と1897年の謎の飛行船は、興味をそそる現象です。 その話自体が興味深いものであり、その話を説明できるものを見ると、おそらく複数の原因があることになります。 (0:01:19)

しかし、提案された説明の多くは、あるケースでは真実であったかもしれないが、現象全体に対する一般的な説明としては適切ではないことは、簡単に証明できます。 流星、火球、彗星、金星などを人々が誤認していたからだと簡単に片付けることはできません。一般市民、鉄道員、新聞記者、悪戯者のデマだけが原因だとも片付けられません。 (0:1:46)

証拠は、人々が実際に空に飛行船のようなものを目撃していたことを示唆しています。しかし、UFO研究者の主張にもかかわらず、それらが地球外あるいは異次元の物体であったという確かな証拠はありません。 また、それらが地球外文明の産物であったという確かな証拠もありません。 証拠は、それらが人間によって作られた地球上の乗り物であったことを裏付けています。では、誰がそれらを作ったのでしょうか? (0:02:11)

ジミー・エイキンの「神秘の世界」第280話をお聞きください。この番組では、信仰と理性という二つの観点から謎を取り上げています。今回は、1890年代の謎の飛行船の秘密の起源についてです。私はドム・ベッティネリ、そして今日はジミー・エイキンが参加しています。やあ、ジミー。やあ、ドム。1896年から1897年の7か月間、数百人もの人々が空に浮かぶ奇妙な飛行船を目撃したと報告しました。それらはミステリー・シップ、ファントム・シップ、ゴースト・シップなどと呼ばれています。 (0:02:50)

それらは、他の惑星から来た最も初期のUFOだったという説もあります。先週、私たちは飛行船に関する多くの説を検証し、その多くを除外することができました。しかし、一部は未解決のままです。では、飛行船とは何だったのでしょうか?背後にいたのは誰だったのでしょうか?そして政府は関与していたのでしょうか? それが、ジミー・エイキンのミステリアス・ワールドの今回のエピソードでお話しすることです。ジミー、今日はまず何を話しましょうか? (0:03:15)

謎の後半に入る前に、ちょっとした注意点を。今日のエピソードで、あなたはAIを使って素晴らしいアートワークをいくつか作成してくれました。しかし、それは飛行船の実際の写真ではありません。ビデオ版をご覧の方は、このエピソードの後半で実際の写真をご覧いただけます。 (0:03:38)

いずれにしても、未来の人々がAIアートワークについて、それがアートワークなのか、それとも本物の写真なのか、注意する必要があることを示す例です。 (0:03:43)


素晴らしい。さて、先週、あなたは謎の飛行船は実在したと結論づけました。確かな情報源による証言から、それらを目撃し、乗組員と会話したとされる人々の存在が明らかになっており、十分な証拠があるという結論です。1890年代に地球を訪れた宇宙人の存在を否定できないものの、少なくとも、それらの飛行船の大半は人間によって建造され、操縦されていたと結論づけました。 彼らについて、また彼らがどこから来たのかについて、私たちは何を理解できるのでしょうか? (0:04:12)

このテーマについては、マイケル・バスビー著『1897年の飛行船の謎を解く』で非常に興味深い研究が発表されています。バスビーが行ったことのひとつに、テキサス州で目撃された飛行船の報告書の調査があります。彼は、飛行船がいつどこで目撃されたかだけでなく、飛行船がどの方向に進んでいたかも記録しました。 (0:04:38)

これにより、夜間飛行がほとんどだったため、昼間はどこに留まっていたのかを推定することができました。 なぜ、昼間ではなく夜間に飛行していたのでしょうか? 理由はいくつか考えられます。ひとつは、彼らは基本的に極秘裏に行動していたということです。目撃者の証言によると、乗組員は実験機をテストしていると話していたそうです。 (0:04:58)

そして、もしあなたが新しい改良型の飛行船をテストしているなら、あまり注目されたくないでしょう。なぜなら、当時、より優れた飛行船を建造しようと発明家たちが競い合っていたからです。また、特にまだ米国特許庁から特許を取得していない場合、誰かに自分の設計を知られ、その一部を盗用されることを望まないでしょう。そのため、夜間に飛行すれば、飛行船を目にする人が少なくなり、昼間に定期的に飛行している場合よりも注目度が低くなるでしょう。 (0:05:30)

もう一つの理由として、少し意外ですが、乗組員にとってより快適だった可能性が考えられます。 5月16日(日)付のダラス・モーニングニュースに掲載された記事によると、目撃者が飛行船の所有者に遭遇した際、その飛行船が所有者の馬たちを驚かせたそうです。 所有者はウィルソン氏という男性で、同紙は次のように伝えている。夜間飛行をほぼ全面的に行っている理由について、ウィルソン氏は、彼らはまだそのような目もくらむような高さにいることに慣れておらず、眼下に広がる距離に恐怖を感じているからだと述べた。 (0:06:06)

彼らは航空家ではなく、その種の人間が持つような神経や冷静さを備えていると主張するつもりもない。 当時、気球に乗る人たちは「気球乗り」と呼ばれていました。そして、ほとんどの人は地上から離れた視点で物事を見るという経験をしたことがありませんでした。木に登ることはあっても、それくらいです。そして現在でも、高所恐怖症の人は多く、飛行機に乗ることを恐れる人もたくさんいます。飛行機は今ではごく普通の乗り物ですが、それでも飛行機に乗ることを恐れる人は昔も今もたくさんいます。 (0:06:30)

私もその一人です。私は飛行機に乗りますが、好きではありません。 (0:06:34)


私は高所恐怖症ではありませんが、墜落は怖いです。航空安全の統計を知っていても、恐怖が消えることはありません。ですから、私はゼフラム・コクレーンのようなものです。私は人類の新しい時代の幕開けのためにこの船を建造したわけではありません。 私が星に行きたいと思っているとでも? 飛行機に乗るのも好きじゃないのに。 私は列車に乗る。 だから、エンジニアや発明家タイプのグループが、自分にとって全く新しい経験である何百フィートもの空中移動に恐怖を感じることも想像できるでしょう。 (0:07:06)

夜間飛行では、ほとんど下を向いて暗闇を見ているだけなので、自分がどれほど高い位置にいるかという現実を突きつけられることがありません。乗員もより快適に感じられるでしょう。マイケル・バスビーは、飛行船が夜間に飛行していたもう一つの理由として、攻撃を受けないようにするためだったと提案しています。なぜなら、人は何かを攻撃するのが好きなのです。 第189回でヒンデンブルグの悲劇について取り上げた際にも触れましたが、1783年にフランスで水素を充填した気球の試験飛行が行われた際には、気球は13マイル先の近くの村まで飛行しましたが、その時点で水素が十分に失われていたため、下降を始めました。 (0:07:51)

村人たちは、空から襲いかかってくる怪物だと思ったので、空から怪物が襲いかかってきた場合にとるべき行動をとりました。彼らはすぐに反撃し、脅威の生き物を倒すために、鍬や鎌、短い銃身の散弾銃を使って村を守りました。 アメリカでは、飛行船を地上から銃撃した人々についての新聞記事があります。軍事訓練を行っていた大勢の男たちもその中に含まれており、飛行船が上空を飛ぶと、彼らはそれに銃撃を加えました。 (0:08:18)

また、暗闇の中を移動すれば、銃撃される可能性のある外出中の人々の数が減り、また、暗闇の中では命中させることも難しくなります。 一方、著書『1897年のグレート・エアシップ』の中で、著者のアラン・ダニレク氏は別の理由を提案しています。 彼は次のように書いています。 ある程度の機密性を維持したいという願望に加えて、最も現実的な理由は船の制御でしょう。 (0:08:47)

ガスは熱せられると膨張するため、晴れた日に飛行船を飛ばすことは、特に当時利用可能だった原始的な技術を考慮すると、問題があることが証明されていたでしょう。太陽がエンベロープを熱すると、水素ガスが劇的に膨張し、船が軽くなりすぎて制御不能な上昇を引き起こす可能性がありました。これは、飛行船が低空飛行のみを想定して設計されているため、大きな危険です。 (0:09:08)

このような急上昇を修正するには、大量の水素を素早く放出バルブから放出するしかありませんでした。放出する水素の量が多すぎると、さらに危険な状態になり、船は制御不能な降下を始めることになります。しかし、主に夜間に飛行すれば、この問題は軽減され、日没後も船を飛ばすことができる可能性が高くなります。さらに、当時、大量の水素を生成するには時間がかかり、費用もかかったため、夜間に飛行する方が安上がりで、飛行と飛行の間の短いターンアラウンド時間しか必要としませんでした。夜間の飛行がより魅力的な選択肢であったもう一つの理由は、夜間の空気は、日中の暑い時間帯よりも安定しており、乱れが少ない傾向にあることです。 (0:09:50)

飛行船が主に夜間に活動していた理由は複数あります。 (0:09:55)


バズビーはテキサス州の着陸地点を推定できたと言いましたね。彼は何を見つけたのですか? 基本的には、テキサス州北部の場所を特定しました。それはテキサス州シャーマンのすぐ北で、シャーマン自体はオクラホマ州境のすぐ南に位置しています。彼は1897年4月14日の目撃情報を三角測量によって特定しました。そして、翌日4月15日にも同様の目撃情報があり、同様の計算を行いました。 いずれの場合も、目撃情報と軌跡から、飛行船はおそらくテキサス州シャーマンの北から出発したことが示されました。 2日目の夜の結果から、テキサス州シャーマンとテキサス州パリスの間から出発した可能性も示されましたが、 テキサス州シャーマンはグレイソン郡に、テキサス州パリはラマー郡に属しています。グレイソン郡とラマー郡の間にはファニン郡があります。もし、飛行船がシャーマンとパリの北、両市の間にあったとすれば、それはファニン郡ということになります。ファニン郡の名前を覚えておいてください。後ほど出てきます。 (0:11:02)

彼が2日間の目撃情報に基づいて、同じ場所、同じ大まかな場所を特定したことは非常に重要です。 もしこれが単なるランダムな偽の報告であったなら、三角測量によって特定の場所に収束するなど期待できないでしょう。ましてや2日連続で同じ場所に収束するなどあり得ません。 ですから、これは報告が正確であったことを示す証拠です。 (0:11:26)

飛行船が毎晩夜明け前に同じ地域に着陸していたのであれば、その地域の住民がそれに気づいていたはずです。1890年代のテキサスは、他のアメリカ地域と同様に農業が盛んでした。農場では、夜明け前に起きて仕事を始めます。 ですから、そこにいた誰かが船の着陸に気づいていたはずです。その通りです。そして、バスビー氏はまさにそのように考えています。 (0:11:48)

彼は、着陸した場所には特定の牧場があり、飛行船の乗組員は牧場の所有者をよく知っており、その所有者が昼間は自分の土地に停泊させておくことで彼らに避難場所を提供していたと考えています。この件については、このエピソードの後半でさらに詳しく説明しますので、覚えておいてください。 (0:12:07)

あなたは飛行船を複数形で言及していますね。なぜそうするのですか? 複数の飛行船があったと考える理由があるのでしょうか? あります。 前回お話したように、飛行船に関する報道記事は1,000以上あり、7か月間に目撃情報が報告されています。 複数の新聞社が同じ記事を掲載した重複分を数え、さらに誤認やデマによる数を減らしても、1隻の飛行船としてはあまりにも多くの目撃情報です。 (0:12:33)

特に、飛行船が同時に離れた場所で目撃されていたという事実を考慮すると、その数はさらに多くなります。 1896年11月から12月にかけての飛行船騒動の第1段階では、目撃例はすべて西海岸で報告されていました。しかし、1897年2月にアメリカ中部で始まった第2段階には当てはまります。例えば、テキサス州で信頼できる飛行船目撃情報があったのと同時に、ワシントン州でも飛行船が報告され、さらに国を縦断して北のミシガン州でも目撃されています。さらに、飛行船にはそれぞれ異なる特徴があったと描写されています。 (0:13:13)

例えば、目撃者の証言によると、ほとんどの場合、長さは150フィートから200フィートほどと推定されています。しかし、時にはそれよりずっと小さく、長さは50フィートから75フィートほどと推定されています。もちろん、両方の推定値が誤りで、その中間である可能性もありますが、少なくとも複数の飛行船が存在していたことを示唆しています。 (0:13:38)

また、乗組員も異なっています。乗組員はたった一人の場合もあれば、数人の場合もあり、また、少なくとも一人の女性が同行している場合もありました。おそらく最も根本的なこととして、乗組員と接触した人々は、乗組員が複数の飛行船がいると報告したと言われています。例えば、アルバート・ラブ判事と話した乗組員は、米国を周回している飛行船は10機あると主張しました。しかし、彼らの話のほとんどは信じがたいので、あまり重要視すべきではありません。 (0:14:09)

4月24日(土)のシュリーヴポート・タイムズ紙には、テキサス州デッドウッド在住のH.C.レグローンという人物が、ビール瓶で投下された乗組員からのメッセージを受け取ったと主張する記事が掲載されました。そのメッセージには、投下した飛行船は、5隻の飛行船グループの一部であると書かれていたそうです。 (0:14:34)

4月30日(金)、ヒューストン・ポスト紙は、レグローン氏が飛行船の乗組員と会い、その船が5隻のグループの一隻であると聞いたと主張する記事を掲載しました。ええ、でもそれはただ一つの情報源ですよね、レグローンさん。確かに、H.C.、つまりハイラム・クラーク・レグローンは実在の人物で、1800年代後半にデッドウッドに住んでいたことは確認しました。事実、彼の父親のアダムはデッドウッドの創設者であり、ハイラムはデッドウッド・ニュースの編集者でした。しかし、彼がでっちあげた可能性もあります。 (0:15:06)

しかし、このような例は、当時、複数の飛行船が存在していたと人々が考えていたことを示しています。また、当時、複数の飛行船が存在していたと語る人々の証言が他にもあります。 (0:15:16)


例えば、サンフランシスコの弁護士が、飛行船の発明者と連絡を取っており、飛行船の発明者は複数いたと述べています。また、その弁護士は、発明者のうちの1人はすでに2隻の飛行船を所有しており、3隻目を建造中だったとも述べています。つまり、ひとりの発明家が3隻の飛行船を所有しており、複数の発明家がいたとすれば、少なくとも4隻の飛行船があったということになります。これらを踏まえて、マイケル・バスビー氏は、全部で5隻の飛行船があり、そのうちの3隻(小型のものを含む)が1897年4月にテキサス州で運用されていたと考えています。この主張について、あなたはどう思いますか? (0:15:58)

私は、ありえない話ではないと思います。当時、多くの発明家たちが、より改良された新しい飛行船の設計を考案しようとしていました。そして、何かに熱心に取り組む人や趣味を持つ人であれば誰でもそうであるように、彼らのうちの何人かは互いに知り合いだった可能性が高いです。彼らは社交グループとして飛行船発明家クラブを結成したかもしれませんし、あるいは、彼らの設計に取り組むためにリソースを共有する事業利益を結成したかもしれません。 (0:16:25)

そして、彼らはグループでイベントを企画し、同時に自分たちの設計のテストを開始することにしました。おそらく、最終的なテスト走行として、また、大きな公開発表を控えて、謎めいた雰囲気を演出し、宣伝効果を狙うという目的もあったのでしょう。 さて、報告されている飛行船のすべてが、この取り組みの一環であったとは限りません。 (0:16:44)

これほど多くの人々がこの問題に取り組んでいたことを考えると、この時期に、このグループによる大規模なテストと関連のない別のテストも行われていた可能性もあります。 しかし、それは決して非現実的なシナリオではありません。なぜ複数の飛行船の兆候があるのか、そしてなぜすべての飛行船が同時にテストされていたのかを説明できます。 (0:17:06)

飛行船の発明者が誰なのかを突き止める方法はあるのでしょうか? その出発点は、乗組員が目撃者と話した際に語ったとされる内容でしょう。さて、前回も申し上げましたが、乗組員が語ったとされる内容をすべて鵜呑みにしてはいけません。前回、乗組員が裁判官アルバート・ラブに、自分たちは信じられないような北極の土地から来たのだと言ったとされる遭遇の例を挙げました。 (0:17:37)

あれはちょっと例外的な出来事だった。あんなに奇妙な話が伝えられたのは、私が知る限りあの時だけだ。しかし、飛行船の乗組員たちは秘密主義だったので、人々を欺くために、おそらくは偽りの話をしたのだろう。 さらに、目撃者は、記憶していたかもしれないし、記憶違いをしていたかもしれないし、あるいは単にでっちあげていたかもしれない。 しかし、乗組員が語ったことを検証できるのであれば、より真剣に受け止められるべきでしょう。 (0:18:02)

それでは、テキサス州ウバルデで起こった遭遇について見てみましょう。1897年4月24日(土)、ガルベストン・デイリーニュースは次のような記事を掲載しました。 テキサス州西部の飛行船がウバルデの町に不時着した。保安官ベイラーが男たちに事情聴取を行った。 飛行船はニューヨーク州ゴシェンを出発し、試験飛行中である。 操縦士ウィルソンは友人エイカーズにメッセージを残した。 テキサス州ウバルデ、4月22日。 ウバルデが、この1週間以上テキサスで大きな話題となっているあの有名な飛行船に訪れたことは疑う余地がない。 (0:18:39)

飛行船は4月20日火曜日の夜10時頃、保安官H. W. ベイラーによって目撃されました。ベイラー氏は、自宅裏の路地で明るい光と奇妙な声に最初に気づきました。彼は調査に出かけ、そこで飛行船、船、そして3人の乗組員を発見して驚きました。 (0:19:03)

彼らは試験飛行中であり、町の人々に自分たちの存在を知られたくないと述べた。ウィルソンと名乗り、ニューヨーク州ゴセン在住であると名乗った男は、この地区に住んでいると理解しているザバラ郡の元保安官、C. C. アカーズ大尉を探していると尋ねた。彼は1877年にフォートワースでアカーズ大尉に会ったことがあり、とても気に入っていたので、また会えることをとても喜んでいると述べた。 (0:19:28)

アカーズ大尉が税関のイーグル・パスに駐在しているが、この場所にはよく訪れていると聞かされると、彼は次に訪れる機会には大尉に思い出してもらえるよう頼んだ。ベイラー氏の家の庭にある消火栓で水を調達した後、男たちは船に乗り込み、船の大きな翼とフィンが動き出し、サン・アンジェロ方面の北に向かって船は急いで出発した。ベイラー氏は信頼できる人物であり、彼の証言は疑いなく真実である。 (0:19:54)

彼の飛行船の説明は、ボーモントのJ.R.リゴン氏やグリーンビルで目撃した紳士の説明と大きく異なるものではありません。郡書記官のヘンリー・J・ボウルズ氏も、ベイラー邸の北側にあるゲティ通り上空を通過する飛行船を目撃したと主張しています。 (0:20:12)


この話に登場する人物について調べたところ、H. W. ベイラーは実在した歴史上の人物でした。 彼は南軍の将軍の息子であり、ウバルデ郡の保安官でした。つまり、ここで私たちは、乗組員から聞いたことを報告する法執行官がいるのです。また、この時に飛行船を目撃した郡書記官ヘンリー・J・ボウルズについても調べましたが、彼も実在した人物です。 (0:20:38)

私は、彼の後任者である1907年の記録、ユバルデ郡書記官のゼナ・ダルリンプルという女性を見つけました。記事には、彼女の前任者がヘンリー・ボウルズであったと書かれており、彼も実在した人物です。最後に、飛行船の操縦士が会いたいと言っていた男、テキサス州ザバラ郡の元保安官C.C.エイカーズについて調べたところ、彼も実在した人物でした。 (0:21:05)

1888年に彼はザバラ郡の保安官であったことを示す記録を見つけましたが、1897年には米国税関局で働いていました。 ですから、この物語に登場する3人の人物はすべて実在の人物です。 3人とも政府職員で、保安官が2人、郡書記官が1人でした。 ですから、この話は信用できる話です。 ベイラー保安官によると、飛行船の操縦士はウィルソン氏という人物でした。彼はニューヨーク州ゴシェン出身で、1877年にフォートワースで会ったという元保安官のC.C.エイカーズに会いたがっていた。しかし、エイカーズは現在テキサス州イーグル・パスにいた。イーグル・パスはメキシコ国境のすぐ近くにある。 (0:21:45)

もし彼がエイカーズに会って、彼に自分のことを覚えてもらいたいのであれば、彼が名乗る名前は本名でなければなりません。本当にウィルソンという名前でなければならなかったのです。それでも、これはその名前を使ったただ一つの報道ですから、間違っている可能性もあります。しかし、その3日後の4月27日火曜日、別の新聞、サンアントニオ・エクスプレス紙がこの話を掲載しました。 (0:22:19)

イーグル・パスに飛来した飛行船。保安官ダウが乗客に事情聴取。リオ・グランデ川のほとりに飛行船が着陸したことに、メキシコ人が大いに動揺。その様子を描写。 テキサス州イーグル・パス、4月25日。イーグル・パスはメキシコ国境沿いにあるため、最新の文明からやや遅れているが、確かな知識と警戒心に優れた郡当局がいるという点では、他の地域に引けを取らない。 (0:22:50)

国境の賢人たちは、同時に多くの異なる場所で目撃された飛行船の様々な目撃談や、その様々な描写に興味を持って注目しており、飛行船の艦隊が存在しているか、さもなければ、無防備な市民に対して新聞業界の非情な仲間たちが仕掛けた巨大なジョークであるという結論に達していた。 しかし、今日、すべてが変わった。 (0:23:15)

国境全体が興奮状態にある。メキシコ系住民は狂乱状態だ。アステカ人の子孫である人々が、さまざまな場所に集まり、昨夜4月24日の奇妙な出来事について話し合っている。大多数の人々はひざまずいて救いを求めているが、一部の人々は、自分たちの優れた知識に基づいて、その現象を凶兆と解釈したり、吉兆と解釈したりしている。 (0:23:39)

記者の注意が引かれ、彼はすぐに保安官R.W.ダウを探しに行き、保安官は興奮した様子で、実業家グループに自分の経験を語っているところだった。記者は保安官が落ち着くまで待ち、騒ぎの原因について次のような説明を得た。 (0:23:56)


昨夜12時頃、何人かのメキシコ人が私の家に駆け込んできて、フォート・ダンカン(Fort Duncan)のすぐ下のリオ・グランデ(Rio Grande)の土手に、何かとても奇妙なものが上から降りてきて止まっていると告げました。私はすぐにその場所に行き、飛行船と船内に3人の男がいるのを見つけました。 彼らはちょうどウバルデ(Uvalde)から来たところで、空を飛ぶという問題を解決したと主張していました。 (0:24:18)

彼らはここから悪魔の川の地帯に向かい、デュバル・ウェスト氏とガルベストンのハンター数名が少し前に目撃したバッファローの群れを見つけるつもりだ。この男たちはウェスト・テキサスでは誰もが知る人物だが、まだ公に正体を明かすつもりはないようだ。 (0:24:41)

そのうちの一人が、この地のC.C.エイカーズ大尉に問い合わせたが、エイカーズ氏は川の向こう側で、シュリンプ氏が市場に出荷する準備をしている羊を数えているところだと言われた。 彼らはリオ・グランデ川の水で水筒を満たし、飛び立った。 彼らは私にも同行するよう誘ったが、地方裁判所が開廷中だったので、私は参加できなかった。 ダウ氏によると、船は暗くて見えなかったが、男たちが船に乗り込み飛び立つのを目撃したそうです。 (0:25:03)

調べてみたところ、R.W.ダウ保安官は実在の人物でした。1899年のテキサス郡役人の名簿を見つけたのですが、彼はイーグル・パスを本拠地とするマーベリック郡の保安官でした。ダウ保安官によると、飛行船の乗組員は、保安官ベイラーによると3日前までウバルデに滞在していたと話したそうです。 保安官のダウは、彼らの名前を明かさなかった。それは、彼がそれを秘密にしておきたかったからなのか、あるいは彼らがそれを秘密にしておきたかったからなのかはわからないが、彼は彼らがウェスト・テキサスではよく知られた人物であると述べた。そして、彼らはC.C.エイカーズ大尉を探しているが、彼は現在そこにいないと述べた。 (0:25:43)

その代わり、彼は仕事でメキシコのリオ・グランデ川の向こう側にいた。それは、米国税関局での現在の仕事に伴うものだった。そのため、飛行船の乗客たちは立ち去った。 ウィルソン氏がベイラー保安官に、1877年にフォートワースでアカーズ大尉に会ったと語ったこと、そしてアカーズが実在の人物であったことから、アカーズが彼に会ったことを確認できるかどうかは非常に興味深い。 ええ、それは非常に興味深いことです。ガルベストン・デイリーニュースの編集者たちもそう考え、エイカーズ大尉に問い合わせ、4月28日水曜日に船がイーグルパスを訪れた翌日にその返事を掲載しました。飛行船の発明家ウィルソンは機械的な思考の持ち主で、以前はフォートワースに住んでおり、友人によると、彼は空中発明で世界を驚かせることを約束したそうです。 (0:26:38)

テキサス州イーグル・パス、4月27日 ウバルデの保安官ベイラーが目撃したという飛行船には、ウィルソンと名乗る男が乗っていたと伝えられています。 私は76年と77年にフォートワースに住んでいた際、ニューヨーク州出身のウィルソンという名の男と親しくしていました。 (0:27:03)

彼は機械的な思考の持ち主で、航空航行と世界を驚かせるような何かに取り組んでいました。彼は当時24歳くらいで、非常に教養のある人物でした。調査を行うための資金もあったようで、調査に全力を注いでいました。フォートワース滞在中に交わした会話から、ウィルソン氏は実用的な飛行船の製作に成功しており、おそらく私に連絡して、私が当時考えていたほど彼の主張は突飛なものではないことを証明するだろうと思います。 (0:27:30)

さらに付け加えると、私はダウ保安官を長年知っており、彼が述べることはすべて正しいと信頼できることを知っています。C.C. アカーズ。 以上です。1876年と77年にフォートワースでウィルソンという名のニューヨーカーを知っていたと、本当に知られた人物が証言しています。そのウィルソンは教育を受けており、機械的な才能があり、航空航行の問題に取り組んでおり、お金を持っており、2人は友人関係にあり、ウィルソンが自分を訪ねてきて、ついに飛行船の設計に成功したことを示してくれるだろうと思っていたほどでした。つまり、飛行船に関わっていた人物の一人は本当にウィルソンという名前だったようです。しかし、飛行船の設計者が複数いたとすれば、他の名前については何か分かっているのでしょうか? (0:28:26)

あります。複数の飛行船と乗組員がいました。人々が彼らに話を聞いたところ、マイケル・バスビーが著書で取り上げた複数の名前が挙がりました。すべてを紹介することはできませんが、テキサス州スティーブンヴィルでの遭遇について、4月19日月曜日にダラス・モーニングニュースに掲載された記事を紹介します。テキサス州スティーブンヴィル、4月17日。今日の午後、ここからボスク川を3マイル下ったところに住む著名な農場主C. L. マクエルヘイニー氏がニュース特派員のオフィスを訪れ、席に座る前にこう言いました。「見つけましたよ。」何を見つけたのですか?ダラス・ニュースが話題にしている飛行船を見つけたんです。冗談ではありませんよ。 (0:29:19)

私はこの飛行船を4月17日の早朝に地上で発見しました。 操縦士とエンジニアの2人の男が操縦していました。 彼らは機械の修理のために地上に降りざるを得なかったのです。 私はすぐにスティーブンビルに来て、発見を報告しました。 そして、大勢の市民がすぐに現場に向かい、空中の怪物を見ました。 (0:29:42)

その素晴らしい機械を見た人の中には、ジェームズ・U・ヴィンセント大佐、スティーブンヴィル・エンパイアのユージン・ムーア、スティーブンヴィル・ジャーナルのチャールズ・バセル、W. W. モース判事、L. N. フランク上院議員、M. F. マーティン氏、S. D. ネイラー博士、トーマス・B・キング判事、J. C. ジョージ氏、M. デイ博士、J. H. ケージ、S. フランク、W. P. Orr、市長、James Collins、Mr. Lee Young、Dr. R. S. Cameron、Dr. J. H. Stewart、A. M. Borders、S. C. Buck、J. T. Daniel判事、元地方検事、J. W. Carker判事、地方検事、Otho S. Houston、J. S. Strawn判事、およびその他多くの著名な市民の方々。飛行船は、これまでのニュースで報道されたとおりのものです。 (0:30:40)

長さ約60フィートのシガー型の本体に、2つの巨大な飛行機、つまり翼が取り付けられており、動力源は両端にある巨大な車輪で、外観は金属製の風車に似ています。この車輪は、蓄電池から電力を供給される巨大な電気エンジンによって駆動されます。乗組員は、前述の通り、S. E. ティルマンとA. E. ドルベアと名乗る2人の男性で構成されていた。彼らは、支援しているニューヨークの資本家たちとの契約に従って実験飛行を行っていると報告している。 (0:31:15)

彼らは大きな成功を収めたと確信しており、間もなく航空航行が確かなものになるだろうと語っています。彼らは、自分たちの機械を徹底的に検査することを拒否し、今後の計画についてこれ以上話すことを拒否しました。彼らは必要な修理を迅速に行い、船に乗り込み、集まった驚いた群衆に別れを告げると、船はゆっくりと上昇し、南西方向に進んでいきました。 (0:31:40)

もし私の言うことを信じられないなら、それを見たこれらの人たちに聞いてみてください。そして、ニュースを伝えたいと伝えてください。テキサス州イーラス郡が今回、一歩リードしました。飛行船が最初に目撃された場所です。そして、ダイナマイトを積んだ飛行船が都市上空を飛び、人々に爆弾を落とすようになったら、何が起こると思いますか? (0:32:01)

この世界は飛行船を受け入れる準備ができているのでしょうか?答えは出ないまま、マクエルヘイニー氏はニュースを伝えるために出かけました。 (0:32:07)


テキサス州イーラス郡は、飛行船が実際に着陸した最初の場所ではありませんが、マクエルヘニー氏は印象的な人物名を列挙しました。マイケル・バスビー氏が要約すると、その著名な人物名には、大佐、鉄道会社の重役、新聞記者、判事2名、上院議員、医師4名、スティーブンビルの市長、地方検事、元地方検事、地方裁判所判事、その他の著名市民が含まれています。 (0:32:42)

長いリストに載っているすべての名前を調べたわけではありませんが、複数の名前は確認しました。ユージン・ムーアは実在し、スティーブンビルのエンパイアのオーナーでした。チャールズ・バセルも実在し、スティーブンビル・ジャーナルの発行者でした。ルイス・ナポレオン・フランクも実在し、テキサス州の上院議員でした。トーマス・ベントン・キングは実在し、イーラス郡の判事でした。W.P.オア市長も実在し、彼の記録も見つけました。 (0:33:11)

J.S. ストレイハンは実在し、裁判官でした。 これほど多くの著名な人物を検証したあとで、私はそれ以上の調査を諦めました。 また、マクエルヘニーのような地元の農民が、これほど多くの著名な地元住民が船を目撃したと嘘を書く可能性は低く、さらに、新聞社に彼らに確認するよう持ちかける可能性はもっと低いでしょう。 (0:33:38)

スティーブンヴィル・エンパイア紙とスティーブンヴィル・ジャーナル紙の地元の発行者だけでも、もし彼が嘘をついていたなら、地元紙で彼を攻撃することで彼の生活を地獄に変えることができたでしょう。 ですから、マクエルヘニー氏の言ったことは注目に値します。 彼は、船が着陸したのは何かが壊れて修理が必要だったからだと述べました。これは、船が着陸したとされる一般的な理由です。 (0:34:05)

まさに、新しい技術を試すための慣らし運転中の実験船として予想される通りのものです。また、彼は飛行船はニューヨークの支援者たちから資金提供を受けていたと述べており、またもやニューヨークとのつながりが出てきました。ニューヨークのウィルソン氏のようなつながりです。そして、彼は船に乗っていた2人の名前を挙げました。一人はS.E.ティルマン、もう一人はA.E.ダールベイヤーという名前だと言いました。ティルマンもダールベイヤーも非常に珍しい名前です。 (0:34:40)

この場合、彼は彼らのファーストネームとミドルネームのイニシャルも教えてくれたので、もし彼らが実在の人物であれば、彼らを見つけるのは簡単でしょう。マイケル・バスビーは、テキサスの飛行船が昼間停泊していた場所を見つけたと考えているとあなたは言いました。それはオクラホマ州境近くの北テキサスにあり、所有者がそのプロジェクトを公衆の目から隠すために、特定の牧場を利用していると。彼は特定の牧場を特定することができたのですか? (0:35:02)

彼はそうしました。そして4月24日(土)、ガルベストン・デイリーニュースは次の記事を掲載しました。 コンローにて。テキサス州モンゴメリー郡コンロー、4月23日。昨夜ホテルで起こった驚くべき事件の報道に、我らが小さな町は今日、大いに騒然としています。そのホテルの経営者であるG.L.ウィザースプーン教授、テキサス・ルイジアナ・イースタン鉄道の監査役であるダン・D・ドナヒュー少佐、徴税人のA.H.トレイラー大佐、そして商人であるジョン・ワーリンジャーガー氏は、午後1時まで社交的なドミノゲームに興じていたところ、カリフォルニア州サンフランシスコから来たという3人の見知らぬ人物からの呼び出しにより中断させられました。彼らはとても信頼できる紳士で、サンフランシスコから飛行船でエルパソ、コンロー、ニューオーリンズを経由してキューバに向かっている途中であるとためらいなく述べた。彼らは町の近くのウィリアムズ・ランチで船を降り、気分転換に夕食を食べに入ったのだという。 (0:36:05)

ドナヒュー少佐は、これまで飛行船のアイデアを馬鹿にしていたため、まるで月の原住民にインタビューしたような気分だと語っています。そして、昨夜、友人たちと共に、その素晴らしい空中移動機械を見学する招待を丁重に断りましたが、 真夜中に訪れた人々が去ってから1時間も経たないうちに、彼は船が地上から堂々と上昇し、鮮やかな電灯に照らされながら空間を突き進むのを目撃した。彼の懐疑心は消え去り、飛行船という奇妙な現実が彼の感覚と視覚に刻み込まれた。 (0:36:37)

ドナヒュー少佐は最も人気のある市民の一人であり、基本的には穏やかで控えめな紳士である。彼の証言は、特にウィザースプーン氏、トレーラー氏、ワーリンガーガー氏といった紳士たちの証言によって裏付けられているため、神の真実として受け入れられている。彼らは、船の幅は30フィート、長さは50フィートはあったに違いないと証言している。 (0:36:55)


彼らは、それが地平線上の明るい星のように見えるまでそれを見つめていた。そして、大佐は自分が酔っていなかったと断言した。ちなみに、ドミノはテキサスで人気のゲームである。それは罪深いカード遊びとは違う。だから、敬虔な神を信じる善良なテキサス人は、代わりにドミノをプレイすることができた。例えば、私の家族のように。 (0:37:23)

ドミノは、はるかに健全で罪が少ないのです。さて、調べてみたところ、G.L.ウィザースプーンは実在の人物で、物語の通りコンローホテルを経営していました。 物語によると、男たちがドミノをしていると午前1時に見知らぬ3人の男がホテルに現れたそうです。 (0:37:42)

彼らは、飛行船目撃の第1段階が始まったサンフランシスコから来たと言い、キューバに向かっていると話しました。 他の飛行船乗組員が語った話と同じ、キューバの話がまた出てきました。 彼らは、飛行船を近くの牧場に停泊させた後、牧場や船で食事をするのではなく、たまには夕食を食べに街へ出かけようと決めたと言いました。 (0:38:07)

そして彼らが立ち去った後、ウィザースプーン氏と他の乗組員たちは飛行中の飛行船を目撃しました。さて、我々の目的にとって重要なのは、その牧場の名前です。彼らは、それがウィリアムズ牧場であり、コンローの町に近いと話していました。コンローはヒューストンの南に位置し、ウィリアムズはよくある名前で、コンローの近くには複数のウィリアムズ牧場があるかもしれません。しかし、もう一つの手がかりは、2週間前の4月10日(土)の新聞記事にありました。ダラス・モーニングニュースが、テキサス州パリ近郊にある、連邦保安官ウィリアムズが所有する牧場で飛行船の整備をしている男について報じていたのです。この記事ではウィリアムズのファーストネームは出てこないが、記事には、空飛ぶ船が連邦保安官のウィリアムズが所有する牧場と関係があることが書かれており、ウィリアムズという名の連邦保安官はテキサス州にはそれほど多くないので、彼を見つけるのは簡単だった。実際、1789年に連邦保安官制度が創設されて以来、歴代の連邦保安官の州別年表を調べたところ、テキサス州の歴史上、ウィリアムズという名の連邦保安官は一人しかいませんでした。つまり、ダラス・モーニング・ニュースが言及していたのは間違いなく彼のことです。彼の名前はジョン・シェルビー、またはシェブ・ウィリアムズ・ジュニアでした。彼は1848年にカリフォルニア州ソノマ郡で生まれ、近くのビュート郡で育ちました。間もなくお聞きいただくように、カリフォルニア州ビュート郡は飛行船開発者の拠点があった可能性が高い場所なので、ウィリアムズ連邦保安官は彼らを知っていたかもしれません。 (0:39:58)

それが理由で、彼は昼間、飛行船を格納するために自分の所有地を使用することを申し出たのかもしれません。これは飛行船の発明者たちにとって、本当に良い動きでしょう。マイケル・バスビーが述べているように、ウィリアムズ連邦保安官は彼らにとって非常に有益な友人であったかもしれません。 この物語の時点では、テキサス州ヒューストンの近くにあるコンローと、マーシャル・ウィリアムズが住んでいたテキサス州パリの近くにある2つのウィリアムズ牧場がありました。彼は両方の牧場を所有していたのでしょうか? (0:40:31)

事実として分かっているのは、マーシャル・ウィリアムズがパリの近くに牧場を所有していたということです。ファニン郡にあり、バスビーが4月15日の目撃情報を基に三角測量で計算した飛行船の格納場所の正確な位置です。 ダラス・モーニングニュースが、パリ近郊のマーシャル・ウィリアムズの牧場で飛行船の整備を行っている男を目撃したと報道しており、その場所はバスビーが飛行船の格納場所を計算した場所と同じです。 したがって、彼らの通常の昼間の隠れ場所を特定できたようです。 (0:41:10)

バスビーは三角測量という手法で記述している。推定では、ボンハムのやや北西の層にピンポイントで位置が特定されている。この推定は、新聞記事の目撃情報から視認情報を使用して後方方位角を測定したもので、結果に影響を与えるいくつかの要因があるため、近似値である。後方方位角を測定する際に最も明白な問題は、物体が直線的に移動しているという前提である。 (0:41:43)

風向きやコースの変化により、飛行船の出発地点を特定するこのようなアプローチはやや不正確になる可能性があります。後方方位角の推定値は概算値です。この推定値は概算値としては確かに正確でした。後方方位角の推定値はわずか約15マイルの誤差でした。ジョン・シェルビー・ウィリアムズの牧場が飛行船の日中の隠れ場所であることを示す証拠は明白です。 (0:42:09)

つまり、テキサス州北部の日中隠れ家の場所を正確に特定できたのです。しかし、コンローの近くにある2つ目のウィリアムズ牧場についてはどうでしょうか?コンローはテキサス州刑務所システムに近く、その刑務所はハンツビルにあります。コンローはマーシャル・ウィリアムズの縄張りであり、刑務所システムの本部近くで時間を過ごしていたでしょう。 (0:42:37)

ですから、コンローの近くに牧場を所有していた可能性もあります。あるいは、コンローにウィリアムズという親戚がいて、その親戚が牧場を所有していたという可能性もあります。そして、その親戚がサンフランシスコの3人の紳士に飛行船をそこに停泊させることを許可したのかもしれません。しかし、ガルベストン・デイリーニュースで報告されたコンローでの目撃情報を除外しても、北テキサスの牧場が昼間の主な隠れ場所であったことを示す、ダラス・モーニングニュースの、そこで飛行船が修理されていたという報道や、バスビーの目撃情報と飛行船の飛行経路に基づく計算など、確かな証拠が残っています。 (0:43:13)

飛行船関係者の名前について、もうひとつ注目すべき手がかりがあります。前回、アルバート・ラブ判事が語った話では、飛行船の乗組員が自分たちは北極から来たのだという素晴らしい話をしたそうです。しかし、彼らは6月18日と19日にテネシー州ナッシュビルで開催されるテネシー州100周年記念博覧会で飛行船を展示するとも話したそうです。飛行船の発明家が、テネシー州100年記念博覧会に飛行船の展示を申し込んだとあなたは言いましたね。 (0:43:44)

その発明家の名前は分かっていますか? はい、分かっています。 実際、6月より前にその出来事は起こりました。 しかし、5月7日(金)のサンアントニオ・ライト紙には、このような記事が掲載されていました。 動く飛行船。バーナード教授がナッシュビルで自作飛行船の展示を行い、15マイルの飛行に成功。 1897年5月6日、テネシー州ナッシュビル。 テネシー州100年記念博覧会において、ナッシュビルYMCAの体育教師であるアーサー・バーナード教授が、自作の飛行船で旅に出発しました。 (0:44:19)

バーナード教授は、空中に上昇した後、風に向かって航行すると約束し、その通りにした。飛行船は博覧会で引き続き使用される予定である。バーナード教授は、今夜出発地点に帰着する予定である。船は長さ46フィート、直径20フィートである。今夜飛行船で戻ってきたバーナード氏は、通常の条件下で飛行する機械を完成させた、と語っている。 (0:44:42)

彼は今夜、完璧ではないし、完璧に制御できるものでもないと述べました。しかし、彼は、その進路を制御できるよう、完璧にできると信じています。今朝、視界から消えた後、船は旋回し、操縦士は好都合な海流に遭遇することを期待していました。ついに船は西に向かって航行を始め、バーナード氏はナッシュビルから15マイル離れたワトキンスという村まで、気球のガスが尽き始めたと述べています。 (0:45:09)

その後、彼は安全に着陸できる場所を探し、簡単に着陸しました。空中に浮いている間、突風により船の支柱の1本が折れました。その他の損傷はありませんでした。彼が空中に浮いていた時間は1時間半でした。上昇飛行の航路を戻っているときに不時着を余儀なくされたのです。 テネシー州100年祭で、実在の人物が飛行船を展示していたという話があります。 それは非常に印象的です。 (0:45:40)

バーナード教授が操縦した飛行船の写真もあります。 しかし、それらを見ると疑問が湧いてきます。明らかなことのひとつは、これは報告されていた他の飛行船とは全く異なる設計であったということです。これは基本的に、人が乗る気球の下にペダルがあり、そのペダルを踏むことでプロペラを回すというものでした。これは驚くことではありません。バーナード教授はライト兄弟と同じく自転車愛好家であり、ライト兄弟はそれからわずか6年後に動力飛行機を開発したのです。 (0:46:10)

そして、バーナード教授の乗り物の写真とされるものがあります。それは、ゴンドラではなく、長い棒が下に付いた気球であり、自転車とプロペラの取り付け部分のように見えるものにワイヤーが垂れ下がっていることを裏付けています。ただし、この写真は地上にあり、周りに人が立っているため、判断するのは難しいです。 (0:46:35)

しかし、この飛行船は、これまで取り上げてきた他の飛行船よりもはるかに原始的なものです。それらとはまったく似ていません。ですから、バーナード教授の個人的な功績を否定するつもりはありませんが、報道されていた他の有名な飛行船とは無関係のように私には見えます。あまりにも原始的すぎて、それらの仲間入りをするには無理があります。しかし、バーナード教授が他の飛行船の発明家たちとつながりがあった可能性は否定できません。 (0:46:58)

彼らを知っていた可能性もあり、彼らの幅広いコミュニティの一員であった可能性もありますが、これを北極の飛行船乗組員とラブ判事に語った内容の確かな証拠と見なすことはできないと思います。これは偶然の一致のように見えます。それでも、少なくとも、当時、この問題の解決に取り組んでいた発明家がどれほどいたかを示しています。 (0:47:26)

現在、飛行船の発明者として考えられる人々の名前がかなり多く挙がっています。 ここで、名前が挙がっている人々が実際に存在したのかどうかを調べる前に、他に考慮すべき名前があるでしょうか? 1つあります。それを明らかにするには、1896年11月と12月のカリフォルニアにおける飛行船の報告の第1段階まで遡る必要があります。 つまり、私たちは現象の始まりを明らかにするために、まさに最初まで遡ろうとしているのです。

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ジミー、飛行船現象はどのように始まったのですか? (0:49:04)

通常、1896年11月にカリフォルニア州サクラメントで始まったとされていますが、実際にはそれより前に始まっていた可能性を示す証拠があります。その数ヶ月前から、飛行船の目撃と思われる出来事についての報道が散見されています。例えば、10月23日(金)のサンフランシスコ・エグザミナー紙には、「3つの流星が一直線に」という見出しの記事が掲載されています。この記事では、ネバダ州、カリフォルニア州、またはカリフォルニア州北部にあるネバダシティの住民が、引用すると「3つに連結した流星」を目撃したと説明しています。 (0:49:43)

これは3つの流れ星が一直線に並んだ現象を指していると思われるかもしれません。その場合、おそらく元々は宇宙空間に1つの流星体が存在し、それが大気圏に突入した際に3つに分裂したのでしょう。しかし、それは特にニュースになるようなことではありません。また、昔の人々は今よりも多くのものを指して「流星」という言葉を使っていました。 (0:50:14)

もともと「流星」という言葉は、空に発生するあらゆる現象を指していました。これはギリシャ語の語源に由来し、単に「高く舞い上がるもの」を意味します。そして、それは複数のものを指す可能性がありました。例えば、大気中の風は「空中流星」と呼ばれていました。雨、雪、あられは「水流星」と呼ばれていました。虹やオーロラは「発光流星」と呼ばれていました。 (0:50:44)

そして、火のように見える稲妻や流れ星は火成隕石と呼ばれていました。ですから、3つの隕石が繋がっていたという記述は、現代人が考えるものとは異なる何かを示しているのかもしれません。サーチライトを点灯した3機の飛行船が並んでいたという可能性もあります。 (0:51:03)


同じ号のサンフランシスコ・エクスプレス紙には、「空に奇妙な現象」というタイトルの記事もあり、そこには、サンフランシスコの有名な崖の上の家を訪れた人々が、火のついたような頭と尾を持つ彗星のようなものが海面を高速で飛ぶのを目撃したと書かれていました。しかし、彗星は空を高速で飛ぶことはありません。 (0:51:28)

彗星は非常にゆっくりと動きます。目で動いているのが見えるわけではありません。そのため、これはライトを点灯させた飛行船ではないかと考えた人もいました。 翌日、24日(土)のオークランド・トリビューン紙も3つの流星について触れ、3つの光体が移動しているように見えると述べています。これは、3つの流れ星について言うようなことではありません。なぜなら、流れ星はよく知られているからです。そのため、飛行船の可能性を示唆しているのかもしれません。 (0:51:55)

主たる現象が始まったとき、サンフランシスコ・コール紙は、3週間前の10月31日に飛行船を目撃したと報告したブラウンという名のハンターの証言を掲載しました。 ですから、それもまた、第1段階の大部分が始まる前に、その地域で飛行船が活発に活動していたことを示唆しています。 飛行船ブームが本格的に始まったのは、その翌月のことでした。 (0:52:23)

アラン・ダニレク著『1897年の巨大飛行船』には次のように書かれています。カリフォルニア州サクラメントの3万人ほどの住民にとって、1896年11月17日火曜日の夜は、ごく普通で、ある人にとっては陰うつな夜の始まりでした。 曇り空で雨の降るこの日は、断続的なスコールと低く垂れ込めた雲が特徴的で、街全体に冷たい寒気が立ち込め、不快な晩秋の一日となっていました。 (0:52:49)

もちろん、カリフォルニア州中部ではこの時期にこのような天候になることは珍しくありませんが、街灯が明滅し始め、人々が家路につく頃には、ほとんどの人はただできるだけ早く家に帰り、少なくとも外見上は静かな夜を過ごそうとしていました。しかし、この夜は静かな夜にはなりませんでした。 (0:53:13)

ほとんどの証言によると、物体が最初に東の地平線上に現れたのは、午後8時過ぎのことだった。 その物体は、周囲の冷たい闇とは対照的に、明るく、音のない光を放っていた。 物体は、概ね西に向かってゆっくりと移動し、サクラメントで最も高いビル群の上を数百フィートしか飛んでいないように見えることもあった。 (0:53:35)

30分もしないうちに、それは暗闇の中に消えていきましたが、カリフォルニア州議会議事堂の上空を通過し、数十人の人々、その中にはカリフォルニア州務長官補佐官も含まれていました。翌日、サクラメント・イブニング・ビーは「空からの声」という見出しで、州議会議事堂上空に飛行船が現れたという記事を掲載しました。昨晩、西暦1896年の6時から7時の間、サクラメント市の空に驚くべき光景が現れました。 その時間帯に市の特定の場所にいた歩道に立っていた人々は、軒先の上空を、何らかの不思議な力で動く、単なるアーク灯のように見えるものが通過するのを目撃しました。それは東から現れ、不規則に南西に向かって進み、時には地上に近づき、時には急に再び上空に舞い上がるかのように動いていました。まるで、宇宙空間を旋回するその物体を動かしている力が、地上の物体との衝突の危険性を察知しているかのようでした。 (0:54:39)

数百人の人々がそれを見た。昨夜、この物語を聞くために集まったグループの間で、この街に動揺が広がった。以下に続くのは、奇妙な光景を目撃した証人の一部が、その状況について述べた内容と同じくらい真実であると主張している。昨夜、驚いた市民たちが、市の荒々しい対角線上に位置する地点に住んでいた。彼らは、その現象を目撃しただけでなく、空中から聞こえる声を聞いたと主張している。それは天使のささやき声でもなく、悪霊の呪いの呟きでもなく、人間が発する明瞭な言葉と楽しげな笑い声だった。 (0:55:17)

その間隔で、まっすぐ進むという義務を無視するかのようにきらめく物体が屋根のすぐ近くまで危険なほど下降すると、空に「早く持ち上げろ! 塔にぶつかるぞ!」という声が聞こえた。すると、空の光は神秘的な力に従うように見え、かなりの高さまで上昇し、そこから再び南西のコースを取る。 (0:55:43)

光はK通りの線に沿って進んでいったため、市の東部からはそう見えたが、14番街を通り過ぎた後は、Kのずっと南に流れていったようだ。かなり遠くから聞こえる笑い声や、はっきりとは聞き取れるが奇妙に聞こえる言葉が、珍しい光景に足を止めて見上げる歩行者の耳に届いた。 (0:56:07)

カリフォルニアにやって来た昨夜の蜂には、ニューヨークからの電報が含まれており、それには、ある男が飛行船を完成させ、今週の金曜日に友人1人か2人を伴って、大都市の空き地から飛び立ち、直接カリフォルニアに向かう予定であると書かれていた。その電報に添えられた説明には、驚くべきこの発明品に光と動力を供給する電気装置が含まれていた。 (0:56:34)

電報に書かれた発表内容から判断すると、昨夜のサクラメントがこの飛行船によって吹き飛ばされた可能性は低いと思われる。しかし、ここに事件がある。ここに、聞いた言葉、目撃した奇妙な光景の記録がある。流星ではないことは誰もが認めるところであり、光はどこから来て、どこに行ったのか、今どこにあるのか。これらの事柄は、この記事で扱うには荷が重すぎる。 (0:56:57)

ラスク氏の証言 セントラル・エレクトリック・ストリート・レイルウェイ・カンパニーの会計係であるチャールズ・ラスク氏は、昨夜24番街とOストリートの自宅にいたところ、外に出て空に奇妙な光景を目にした。彼は家に入り、そこで暮らす人々に自分が目にしたことを伝えた。今朝、ラスク氏は何人かの牛追いたちにこの出来事を話し、彼らがイーストパークの近くで、ラスク氏が説明したような光を目撃したと聞き、驚いた。さらに、彼らは音楽と声を聞いた。 (0:57:29)

そのうちの一人がはっきりと「明日のお昼までにはサンフランシスコに着かなければ」と言った。 空中に浮かんでいた物体の形について、かすかに何かを捉えたと、彼らは言っている。 風船のような形だったので、風船だと結論づけた。 その新聞は、前日の夕方にニューヨークから、ニューヨークからカリフォルニアへの飛行旅行計画がまさに実現しようとしていることを伝える電報を掲載したことを伝えている。 (0:58:00)

これは偶然の一致だと考えられていましたが、またもやニューヨークとのつながりが出てきました。 ニューヨークからサクラメントまで2日で到着するには、電報に書かれていたように、時速59マイルの平均速度で移動する必要があります。これは当時、旅客列車が到達していた速度に相当します。 興味深いことに、目撃者の何人かは飛行船から音楽が聞こえてきたと報告しており、これは他の場面でも報告されています。 (0:58:24)

また、トーマス・エジソンが20年前の1877年に写真機を発明していたとはいえ、飛行船が空中で上下に跳ねている間、当時一般的だったワックスシリンダーに蓄音機の針を当てて音楽を流していたとは考えにくい。それよりも、飛行船の乗組員たちが楽器を演奏していた可能性が高いでしょう。おそらくバイオリンかバンジョーだったでしょう。当時、バンジョーはエレキギターのような存在でした。なぜなら、今では録音された音楽がありますが、当時は通常、録音された音楽はなかったからです。ですから、音楽を聴きたければ、自分で演奏するしかありませんでした。また、飛行船の乗組員たちは歌っていたと報告されています。 (0:59:05)

サンフランシスコ・コール紙は、この出来事を次のように伝えています。「シェルド醸造所に勤務していたE. ウェンゼルは、飛行船が頭上を通過した際、乗客たちが楽しそうに合唱していたと主張しています。その歌声は遠くからではありましたが、夕方の空気の中で甘く澄んだ音色を奏でていました。目撃者の一人は、歌詞は聞き取れなかったが、彼らが歌っていた曲は当時流行っていた「Just Tell Them That You Saw Me」だったと報告している。 (0:59:35)

この曲は1895年に発表された。どんな曲か知りたい方のために、最初の歌詞を紹介します。 (0:59:43)


ある晩、ただ楽しみのために、通りをぶらぶら歩いていると、その日の仕事の悩みの後だった。私は、私を避けるように身をすくめる少女を見つけた。私は、彼女が遠く離れた村の同級生であることに気づいた。 マッジ、君なのか?私は彼女に言った。彼女はすぐに背を向けた。マッジ、背を向けるな。私はまだ君の友人だ。 (1:00:34)

来週、私は年老いた人たちに会いに行くつもりだ。そして、君が伝えたいメッセージがあるのではないかと思った。ただ、私に会ったと伝えてほしい。彼女たちは残りのことは知っているだろう。ただ、私が元気だったと伝えてほしい。もし母に伝える機会があれば、ささやいてほしい。私はずっとずっと昔と同じように、母を愛していると。 証人たちが乗組員たちが言っているのを聞いたのも好きだ。「早く彼女を上げろ、そのままでは尖塔に直撃するぞ」と。そして、まあ、明日のお昼までにはサンフランシスコに着くはずだ。そして、おそらく彼らはそうしただろう。 (1:01:11)

しかし、もしそうであれば、6日後に再び上空を飛行したことから、彼らはサクラメントに戻ってきたようです。 アラン・ダニレックが報告します。この謎の光は、特にそれが再び現れたときには、無視できないほどの悪評を博していたようです。今回はサクラメント上空だけでなく、州最大の都市サンフランシスコでも現れました。さらに注目すべきことは、この2つの都市は約90マイル離れており、同じ夜に両都市でその存在が確認されたことです。 (1:01:49)

11月22日の夜は、16日の夜とよく似た曇り空で気温も低かったが、より乾燥しており、軽いながらも持続的な風が吹いていた。1週間前と同じように、夕暮れ直後にサクラメント上空に光が現れた。唯一の違いは、今回は東の空ではなく北西の空に現れたことだ。さらに興味深いことに、光は弱い風に流されるのではなく、風に逆らって動いているように見えた。 (1:02:19)

幸いにも、22日は日曜の夜であったため、この飛行物体を目撃する人々の数はかなり多く、少なくとも一部の報道によると、市の副保安官と地方検事までもが、この物体を目撃したそうです。この物体は、ゆっくりと街の上空を飛び、最終的に西の地平線に消えるまで、少なくとも30分間は目撃されていたようです。この光景が州都だけに留まっていたなら、それだけでも十分にニュース価値のある出来事だったでしょう。しかし、この謎の飛行物体はまだ終わっていなかったのです。 (1:02:46)

サクラメント上空で目撃されたわずか数時間後、この奇妙な飛行物体はサンフランシスコ上空に現れました。少なくとも翌日の新聞によると、市長を含む数百人の有力市民が目撃したとされています。目撃者の一部は、サンフランシスコで最も有名な名所のひとつであるクリフハウス上空を飛行するのを目撃したと報告した。そこでは、強力なサーチライトでシールロックのアザラシを追い払って海に突入させるのが目撃された。その後、北東に向かい、厚い雲の中に消えていった。 (1:03:22)

その後も目撃情報は続き、西海岸一帯に広がりました。Danelecは、この謎の飛行船の目撃談が、カリフォルニア州だけでなく太平洋沿岸の新聞に次々と掲載され始めたのも不思議ではないと述べています。その数週間後、カリフォルニア州の1ダース以上の都市、主にナパバレー地域とサンフランシスコ周辺の上空を飛行しているのが目撃されたとされています。11月25日の夜だけでも、州内の11の異なる都市や町の上空に現れたとされています。 (1:03:55)

新聞は、ワシントン州シアトルの北、サンディエゴの南まで飛行船が現れたと報じており、この謎の飛行物体は、当時の人類の理解をはるかに超える速度で、広大な距離を飛行できる能力があるように見えました。Danelecは、飛行船は1機だけだったと仮定しているが、これはテスト飛行を行っていた飛行船が複数あったためだと説明することも可能であり、私はこの説を支持したい。 (1:04:25)

さて、ここで物語に新たな登場人物が登場する。彼の名はジョージ・D・コリンズ、当時サンフランシスコで著名な弁護士であった。4月22日日曜日、サンフランシスコ・クロニクル紙は「飛行船に関する弁護士の言葉」という見出しの記事を掲載しました。その記事の一部を引用すると、サンフランシスコの弁護士ジョージ・D・コリンズは、飛行船は実在し、発明者は彼の依頼人であり、その奇妙な船はオロビルからサンフランシスコまで無事に航行し、湾に向かう途中でサクラメント上空を通過したと主張している 、そして数日のうちに、世界でも最も古く、最も困難な問題の解決策となるこの発明品が、サンフランシスコの誰もが目にするよう、昼間航行され、市の中心部上空を旋回し、上昇し、下降するだろうと主張している。 (1:05:15)

クロッカービルの2階に事務所を構えるコリンズ弁護士は、昨夜、アラメダの自宅でこの件について取材に応じた。 参考までに、カリフォルニア州オロビルは、サンフランシスコから北に約150マイルのビュート郡にある町である。 コリンズ氏が住むアラメダは、もちろん原子炉容器の所在地である。 (1:05:38)

彼は次のように述べた。「飛行船がようやく完成し、その栄誉を世界に披露できる場所がカリフォルニア州であることは、まったくその通りです。私はこの件について以前から知っており、発明家の弁護士を務めています。彼は非常に裕福な人物で、飛行機械の研究を15年間続けており、7年前にメイン州からここに来たのは、他の発明家の目を気にせずに自分のアイデアを完成させるためでした。 (1:06:05)

過去5年間、彼は少なくとも10万ドルをこの仕事に費やしてきました。 特許はまだ取得していませんが、申請はワシントンで行われています。 彼が完成させた機械については、彼が私の顧客であることと、さらに、もし人々が彼の発明が実用可能であることを知れば、特許申請が特許庁から盗まれることを彼が恐れているため、多くを語ることはできません。 (1:06:26)

先週の夜、発明家の招待でその機械を見ました。金属製で、長さは約150フィート、15人乗りのようです。動力は見当たりません。蒸気は間違いなくありません。飛行機、つまり翼のシステムで、幅18フィートのキャンバス製翼が2つあり、鳥の尾のような方向舵が付いています。 (1:06:50)

発明家が機械に乗り込み、しばらくの間、いくつかの機構を動かした後、私はその機械が地面からゆっくりと上昇し始めたのを目撃しました。上昇中はゆっくりと羽ばたき、風に向かって動き出すと少し速くなりました。 (1:07:00)


機械は常に完璧に制御されていました。約90フィートの高さに達したとき、発明家は私に、いくつかの円を描いてから降下すると叫びました。 彼はすぐにその通りにし、直径約100ヤードの円を描き、徐々に狭めて機体が地面から30フィート以内まで近づいた。 それから、それは優雅にまっすぐ落ち、落ち葉のように軽く地面に触れた。 (1:07:26)

先日のサクラメントからの報告は本当でした。人々が目撃したのは、私の顧客の飛行船でした。その夜、ビュート郡のオロビルから飛び立ち、サクラメントの真上を一直線に65マイル飛行しました。州都の上空を1度か2度上昇下降した後、友人はさらに70マイルの距離をまっすぐ飛行し、今、船が3人の男たちに守られて停泊している湾のこちら側の地点に降り立ちました。 (1:07:56)

この試験飛行中、発明家は、自分の船が波のような動きをし、船酔いしてしまうことに気づいた。彼は今、この欠陥を改善しようとしている。あと6日で問題は解決し、その後すぐにサンフランシスコの人々に自分の機械を見てもらうつもりだ。 (1:08:14)

彼は街の上空を飛び、マーケット・ストリートを12回横断するでしょう。私は秘密保持の誓約を負っているため、飛行船をどこに格納しているか、また、その名前が何であるかをお伝えすることはできませんが、飛行船がその仕事を完璧にこなすことは事実であり、一般公開されれば世界を驚かせ、旅行に革命をもたらすでしょう。 (1:08:37)

発明者は明日、望めばこれに乗ってニューヨークまで飛んでいくことができます。彼はマキシムやラングレーの考えを完全に捨て去り、まったく新しい理論に基づいてこの機械を構築しました。 つまり、この船の発明者はコリンズの顧客だったということです。彼はメイン州出身で、1889年頃にその地域に移住した。彼は、少なくとも10万ドル、つまり政府が引き起こしたインフレをすべて考慮すると360万ドルを、飛行船の開発に費やした。 (1:09:10)

コリンズは飛行船の非公開デモンストレーションを見学し、その翼が上下に動くことを報告したが、これは当時設計されていた一部の飛行船の動きと一致していた。飛行船の揚力は船内のガスから得られるため、翼で揚力を発生させる必要はなく、翼は補助的な役割を果たす。また、テストにより、船が揺れることで発明者が船酔いしてしまうことが判明し、コリンズはこれを修正しようとしていた。 (1:09:35)

コリンズはそうは言わなかったが、ビュート郡のオロビルからサクラメントまで飛行したという事実から、オロビルが飛行船の製造地であるか、少なくとも保管されていた場所であることが示唆される。ただし、コリンズは、現時点ではサンフランシスコに近い場所に保管されていると述べた。当然のことながら、地元の著名な弁護士が飛行船の発明者は自分の顧客であると発言したことで、コリンズ氏に注目が集まり、新聞各社は彼に詳細を迫りました。 (1:10:07)

翌日、11月23日月曜日、サクラメント・イブニング・ビーは次のような記事を掲載しました。今朝、サンフランシスコ・クロニクル紙は、コリンズ弁護士が飛行船の発明とその成功したテストに関する主張を貫いていると発表しました。クロニクル紙の記者は、次のように述べています。「コリンズ氏、この発明家がどうやって150フィートの船をバークレー近郊の納屋に隠し、その存在が発見されずに済んだのか、疑問に思っている人が何人かいます。 (1:10:36)

それは簡単に説明できます、とコリンズは答えました。納屋はそれほど長くはありませんが、古い2階建ての住居を解体して付け足したものです。仕切りは取り払われており、実質的には1つの長い部屋となっています。コリンズはさらに、機械の大きな部分はどれもこの状態では作られていないと述べました。 (1:10:57)

それらは東部のさまざまな場所で製造され、オロビルとストックトンに輸送され、そこで徐々に組み立てられた。 (1:11:01)


発明者の身元の手がかりを求められて、彼は次のように述べた。まあ、これだけは言っておこう。その男はエリス通りの南側、600ブロックに住んでいる。 身長は6フィート、年齢は40歳、職業はなし、そして大金持ちだ。 住まいは一軒家で、2年前からそこに住んでいるが、その間、飛行船の建造のために様々な場所に頻繁に出かけていた。 (1:11:27)

彼は自分の考えを人に話さないので、あなた方は彼を見つけることはできないだろう。これ以上の情報は提供できない。 ただし、記者が必要としていた情報はそれだけだったため、彼らはすぐにその発明家らしき人物を発見した。コラムはすぐに続いた。 コリンズが述べたエリス通りのその部分には20軒の宿舎がある。それらすべてをくまなく捜索した結果、弁護士が述べた発明家の特徴に一致する宿泊者がいたのは、そのうちの1軒だけだった。 (1:11:59)

これはエリス通り633番地で、E. H. カイザーが借りている。カイザーは2年前から、この家の一番手前の部屋をE. H. ベンジャミン博士に貸している。この紳士は身長6フィートで、年齢は40歳くらいだ。カイザーによると、この2年間、この紳士の謎めいた習慣については、彼が引っ越してきた日以来、何も変わっていないという。 (1:12:22)

彼は時々、オーヴィルやサクラメント、ストックトンに小旅行に出かけ、時には数日、時には1か月ほど滞在します。彼は裕福で、部屋にいるときは様々な金属、主にアルミニウムや銅板を使って実験に時間を費やしています。職業は歯科医だと思います。オーヴィルには彼が発明品の実験をしている友人や親戚がいるようですが、それが何なのかは知りません。 (1:12:48)

彼は、コリンズ弁護士が法律業務を手伝ってくれていると、一度か二度私に言ったことがあります。そして、私はよく考えていました。小規模な歯科医がどんな法律業務を行うのか、と。ベンジャミン医師の名前は、電話帳にもこの街の歯科医リストにも載っていません。 昨夜、彼が職業として歯科医をしていると聞いたことがあるという人物は、誰も見つかりませんでした。 (1:13:05)

彼の部屋には、彼の本業を示すものはほとんどありません。三角関数の数字が書かれた数枚の図面やチャートが散らばっており、マントルピースの棚には2本の非常に古い歯が置かれ、カーペットにはアルミニウムと銅の削りくずが散らかっていました。カイザーの亡くなった後の行動に関する供述によると、彼は先週2度サクラメントにいたそうです。 (1:13:27)

彼は先月は夜遅くまで外出しており、この2日間は家には数時間しか帰っていません。 飛行船の移動に関する話と一致する記録です。 今朝の2時まで、ベンジャミンは部屋に戻っておらず、飛行船は、エリス・ストリートから数マイル離れた地域で、所有者が操縦しているとの最新情報が入りました。そこで、コリンズが与えた情報をもとに、記者たちはすぐに発明家が歯科医のE.H.ベンジャミン博士であることを突き止めた。彼は現在歯科医として開業しているわけではないようだが、資金は豊富にあり、その動きは飛行船のそれと一致していた。 (1:14:14)

いずれにしても、これから検討する可能性のある飛行船関係者の名字はこれで出揃いました。E.H.ベンジャミン博士。これで6人となりました。ベンジャミン博士の他に、以前、ウィルソン、S.E.ティルマン、A.E.ダールベアー、アーサー・バーナード、それに牧場主のジョン・シェルビー・ウィリアムズの名前が出てきました。 (1:14:34)

これらの人物について、私たちは何と言ったらよいのでしょうか?彼らは実在したのでしょうか?そして、彼らは飛行船と関係があったのでしょうか?マーシャル・ウィリアムズに関しては、間違いなく実在していました。オンラインには彼の記録が複数存在しますが、彼と飛行船との関わりは、テキサス州の彼の牧場の1つまたは複数を、乗組員たちの隠れ場所として使用することを許可したことだけだったようです。 (1:14:49)


それはもっともな話です。なぜなら、彼はカリフォルニア州ビュート郡で育ち、ビュート郡にはオロビルがあるからです。そして、私たちは現在、飛行船とオロビルを結びつける情報を入手しています。少なくとも、それはあり得ます。バーナードに関しては、彼は実在の人物であり、飛行船の仕事に従事していたことや、テネシー州100年記念博覧会で飛行船を展示したことは間違いありません。しかし、彼の飛行船はあまりにも原始的なもので、これまで取り上げてきた飛行船の説明と一致しません。ですから、彼が同じグループの一員であった可能性は低いと思います。 (1:15:26)

彼は同じ活動に従事する人々として彼らのことを知っていたかもしれませんが、彼の登場は私には偶然のようにも思えます。 2人の最も有力な候補者、S.E. ティルマンとA.E. ダルベアーは、その特定性から、どちらも実在の人物であり、オンラインで簡単に記録を見つけることができます。 S.E. ティルマンはサミュエル・E・ティルマン教授でした。彼は1847年にテネシー州で生まれ、1869年にウェストポイントを卒業しました。最終的には化学、鉱物学、地質学の教授としてウェストポイントに戻りました。 (1:16:03)

その後、米国陸軍士官学校の校長となり、退職時には准将に昇進しました。A.E. Dallbearは、アモス・E・ダールベア教授です。彼は1837年にコネチカット州で生まれ、1883年にミシガン大学で博士号を取得しました。彼は複数の大学で自然科学の教授を務め、化学、物理学、天文学などを教えました。 (1:16:36)

彼は、コオロギの鳴き声の速さから大気温度を測定できる公式を発表したことで有名です。これは「ダルの法則」として知られ、テレビ番組『ビッグバン・セオリー』でも取り上げられました。何の音?コオロギの鳴き声みたいだ。ちょっと待って。 1分間の鳴き声の回数とこの部屋の温度からすると、スノー・ツリー・クリケットですね。 冗談じゃない。 どうしてそんなことがわかるんだ? (1:17:08)

1890年、エミール・ダールベアは、雪の木コオロギの1分間の鳴き声の数と周囲温度の間には一定の関係があることを突き止めました。 普通のフィールドコオロギには見られない正確な関係です。その詳細がすべて正しいわけではありませんが、おおよそのところはご理解いただけるでしょう。 ダールベアの業績について、マイケル・バスビーは次のように書いています。 彼が完成させた発明には、1867年に地球の自転を証明するために使用された電気ジャイロスコープ、1872年にリサージュ曲線を展示するために使用された音叉、声の振動を展示するために使用されたオペトスコープなどがあります。 (1:17:46)

1873年、彼は音を電気へ変換する研究を開始した。そして1876年、特許を取得した電磁式電話機を完成させ、これが後にアレクサンダー・グラハム・ベルに対する特許侵害訴訟の根拠となった。 そして1879年には静電式電話機を開発した。彼は1876年に『The Art of Projecting』、1877年に『The Speaking Telephone』、1885年に『Sound and its Phenomena』を出版した。1882年、ダールベア教授はワイヤーなしで400メートル離れた場所と通信した。 (1:18:18)

この事実は、特に注目に値します。なぜなら、これはダールベア教授が無線通信の先駆者であるヘルツやマルコーニよりも先を行っていたことを証明するものだからです。ダールベア教授は1882年に無線電信の米国特許を取得し、1886年には無線電信の誘導方法の特許を取得しています。つまり、彼は発明家だったのです。そして、ティルマンとダールベアの両名が飛行船に関わっていた可能性は十分にあるのです。 (1:18:49)

一部の飛行船がプロペラの動力源として電気バッテリーを使用していたという報道について、マイケル・バスビーは次のように書いている。「電気の供給源として蓄電池が特定されている点に注目してください。 (1:18:57)


動力源は、蓄電池で充電された電気モーターであると再び特定されています。 ダールベアとティルマンは、電気とバッテリーに専門的な関心を持つ大学教授でした。 アモス・E・ダルベアはマサチューセッツ州メドフォードのタフツ大学の教授であった。彼は、1864年から1868年の間に熱電電池を完成させたモーゼス・ファーマーの親しい相談相手であり友人であった。そして1868年には、アメリカ合衆国の複合電信線の製造のために鋼鉄に銅を沈着させるために、それまでに作られた中で最大のものを製作した。 (1:19:35)

1860年から1863年の間、モーゼス・ファーマーは銅やその他の金属とアルミニウムの合金を開発しました。1859年9月、モーゼス・ファーマーは現在自己励磁ダイナモと呼ばれるものの法則を発見し、1866年には最初のダイナモマシンを開発しました。この発明は、E.E.ダールベア教授によると、今日の電気産業のすべてを可能にしたと言われています。 (1:20:01)

サミュエル・S・Q・ティルマン大佐は、1880年12月23日から1917年に陸軍士官学校の校長に任命されるまで、同校の化学の教授を務めていました。ティルマン教授は、教科書『Elementary Lessons in Heat and Essential Principles of Chemistry』を承認しました。 ですから、この2人は飛行船の開発に興味を持っていた可能性は十分あり、テキサス州スティーブンビルで飛行船が目撃された際に、一緒に飛行船に乗っていた可能性もあります。 別の情報源からも、その事実を確認しています。 (1:20:33)

ティルマンとダールベアがスティーブンビルで名乗りを上げた後、飛行船はルイジアナ州ニューオーリンズで再び目撃されました。そして、4月21日水曜日に発行されたニューオーリンズ・デイリー・ピカユーン紙の記事によると、ニューオーリンズの記者が、ティルマンとダールベアが同市に滞在しているかどうかを確認したとのことです。彼らは地元のホテルに2人の名前でチェックインしていることを突き止め、その新聞社は彼らの部屋にカードを送ったが、インタビューを拒否している秘密主義の発明家らしく、彼らはそのカードに応答しなかった。 (1:21:17)

しかし、ニューオーリンズで飛行船が目撃された直後に彼らの名前が登録簿に載っていたことから、彼らは一緒に旅行していたことが分かります。次にリストに載っている名前はウィルソンです。ウィルソンという名前はアメリカ国内にたくさんあるので、あまり期待できません。しかし、ウィルソン氏は友人であるC.C.エイカーズに言及してもらうために自分の名前を登録したので、少なくともそれは本名のはずです。 (1:21:42)

また、C.C. アカーズ氏は、ウィルソン氏の実在、飛行船の設計に取り組んでいたこと、1876年と77年にフォートワースで彼と面識があったことを確認しました。 アカーズ氏はまた、ウィルソン氏は当時24歳くらいであったと述べ、これは1850年頃に生まれたことを意味します。 ベイラー保安官は、ウィルソン氏の飛行船はニューヨーク州ゴシェンで開発されたと聞いたと報告しています。また、別の飛行船の記録では、飛行船への出資者の一人に、父親がウィラード・H・ウィルソンというニューヨーク出身のヒラム・ウィルソンという人物がいたとされています。 つまり、私たちは、1850年頃にニューヨーク州ゴシェンまたはその近郊で生まれた、ウィラード・ウィルソンの息子であるヒラム・ウィルソンを探しているのです。 そして、マイケル・バスビーが一人を見つけました。 (1:22:33)

国勢調査記録と南北戦争従軍記録を比較したところ、ニューヨーク出身のウィラード・H・ウィルソンという人物を特定することができました。彼は、ヒラムの父親である可能性が高いと考えています。また、ヒラム・ウィルソンの記録も見つけました。この2人は、南北戦争後にニューヨークからカリフォルニアに移り住み、1870年代にはテキサスで過ごしていたようです。 (1:22:59)

E.H.ベンジャミン博士についてはどうでしょう?彼については何と言ったらいいのでしょうか? (1:23:03)


最後の追跡捜査は実に興味深いものです。彼が実在したかどうかという問題というよりも。私には理解できない理由から、アラン・ダニレクは著書の中で、ベンジャミンが実在したという証拠は何も無いと述べています。しかしマイケル・バスビーの著書では、ベンジャミンの存在を示すあらゆる記録が引用されています。 ダニレクは、結論が異なるにもかかわらず、バスビーの著書を推奨しています。 ですから、彼はバスビーの著書を読み、それらの記録をすべて確認したのだと思います。 (1:23:34)

なぜダニレックが「ベンジャミンの存在を証明する証拠がない」と言うのか、私にはまったくわかりません。念のため、私自身も調べてみました。 新聞が伝えたところによると、フルネームをエルマー・H・ベンジャミンという博士は、新聞で何度も取り上げられていました。 記者によるインタビューも受けています。 さらに、彼が存在したことを示す記録も見つけました。 (1:24:01)

例えば、1899年7月13日付のサンフランシスコ・クロニクル紙に、医学と歯科外科の博士号授与を発表する記事を見つけました。そして、エルマー・H・ベンジャミンがそこに記載されており、歯科外科の博士号を授与されたと記載されていました。そして、これらはサンフランシスコで授与されたものですから、サンフランシスコにエルマー・H・ベンジャミンという歯科医がいたことになります。 彼は歯科医としての仕事を再開し、その分野でさらに高度な学位を取得したようです。 (1:24:33)

私が目にした彼の記録と照らし合わせると、ベンジャミン博士の存在は確かだと考えます。そうなると、彼が飛行船と関係があったかどうかという疑問が残ります。はい、そしてここからが本当に興味深いところです。もしジョージ・コリンズがほのめかしたように、ベンジャミンが彼の顧客で、その身元を明かさないと約束していたにもかかわらず、コリンズが詳細を明かし、記者が彼の正体を突き止められるほどだったとすると、ベンジャミンは本当に怒ったでしょうね。 (1:25:07)

さて、11月24日火曜日のサンフランシスコ・コール紙は、コリンズ氏が突然の態度変更をしたことをからかう記事を掲載しました。昨日、彼は怒った発明家を訪問し、口止めされたのか、あるいは、1週間前に何者かに催眠状態に陥れられたのが解けたのか、どちらかでしょう。 (1:25:30)

『荒涼館』の登場人物リトル・ジョーのように、彼は何も考えず、何も考えない。彼は、飛行船が存在したというほのめかしを激しく否定し、そのようなものが飛んでいるのを見たことがあるという話も、その仮定自体が馬鹿げていると主張した。確かに数日前、飛行機械と特許と模型について何かを話しながら彼を訪ねてきた男がいたが、それ以上のことは何も知らない。 (1:25:55)

ワシントンに飛行船の申請を送ったことは一度もなく、要するに、そんなことを言っている男は嘘つきであり、その息子だ。コリンズ氏は、飛行船のような低俗でありえないものに彼を何らかの形で結びつけることは侮辱だと考えている。 彼の話を聞いた2、300人の人々に、彼らは、まあ、話好きだと言わなければならないのは残念だが、他に方法がない。 (1:26:17)

日曜日、2人の人物の間で次のような会話が交わされた。コリンズさん、職業人としてのあなたの名誉にかけて、あなたは飛行船が成功裏に飛行しているのを見たことがありますか?はい、あります。しかし、コリンズ氏はその時明らかに夢中になっていたため、今ではそのことについて一言も覚えていない。コリンズ氏は自分が引き起こした驚異を打ち消したいあまり、今では成功した飛行船はこれまで1機も建造されていないと断言している。 (1:26:47)

先週木曜の朝、依頼人から報酬を受け取った際、コリンズ氏は発明家に模型を提供するように指示したと言います。 そうするよう約束した発明家は去り、それ以来戻ってきていません。 そのため、コリンズ氏の主張は完全に変わっており、報道機関に身元が特定されたベンジャミン氏も、飛行船とは何の関係もないと述べています。 (1:27:11)

話は続いた。ベンジャミンは話し、一貫性のない発言をしたが、発明の父であることを拒否した。E.H.ベンジャミン博士は、偶然か意図的にか、飛行船の発明者として推測された人物である。昨夜、彼は633エリス・ストリートで通信員によって目撃された。彼はすでに就寝しており、眠っていたが、起き上がり、着替えもそこそこに、先ほど訪ねてきた見知らぬ訪問者を、寄宿舎の正面にある大きなベッドルームに快く招き入れた。その部屋には、エリス・ストリートを見下ろす出窓があった。ベンジャミン博士は、平均以上の長身で、たくましい体格をしており、大きな口ひげと茶色の髪、灰色の目をしていた。 (1:27:46)

彼は、飛行船とのつながりや個人的な知識を一切持っていないことを率直に否定したが、もし彼がその情報を提供できる立場にあるのであれば、その情報を喜んで提供する意思があるという彼の主張は、まだ完全に完成しておらず、特許も取得できない非常に価値のある発明をした人物が、自分自身に注目が集まるのを避けるために、正直に嘘をつくことは正当化されるという彼の主張と一致していない。 (1:28:12)

そして、飛行装置の所在と設計が明らかになった。ベンジャミンは事実上、自分は関係ない人間であり、関係があれば教えるが、関係がある場合でも嘘をつくことは正当化されると述べた。つまり、このインタビューで彼が真実を語っているという確信は持てないということだ。記事はさらに、長い会話の中で、彼は次のように述べたと伝えている。私は歯科医で、12年間その仕事を続けている。私は34歳で独身だ。 (1:28:39)

私はプラサビルに既婚の叔父がいます。彼の名前はF.W.ベンジャミンで、それなりの収入のある開業医です。ジョージ・コリンズは私の弁護士で、私は彼と長い付き合いがあり、どんな些細な法律業務でも彼に依頼してきました。今日彼に会ったところ、私が飛行船の発明者として名を連ねていることを伝えると、彼は心から笑いました。 (1:29:01)

彼は賢い男だ。私は自分が発明家だったらよかったのにと思っているが、それに乗って飛ぶのは怖いだろうな。 (1:29:07)


確かに私は発明家だが、それは別の分野だ。私の発明は歯科関係で、歯のクラウンやブリッジの特許取得済みの一貫した技術や、金塊を引き延ばすための減速機、継ぎ目のない金キャップの製造などだ。それから、他にもいくつか小さな歯科関連の発明があります。今朝、この件に関連して私の名前が報道されたので、友人たちから発明家であることについてかなりからかわれました。そして、そのうちの何人かには、今夜うまくいけば、明日一緒に乗れるかもしれないと伝えました。 (1:29:38)

私は飛行船を発明する可能性について、少し考えたことがあります。私は、この近くに飛行船が存在し、一般の人々が目にするのもそう遠いことではないと固く信じています。彼は、私が発明者ではないと否定していますが、飛行船を発明する可能性について考えたことは認め、この地域に飛行船が存在し、間もなく一般の人々の目に触れることになるだろうと考えています。 (1:30:03)

また、彼が発明者であるならば嘘をつく理由があると認めたことを考慮すると、それらの発言は、いずれ自分が発明者であると名乗り出るための下準備として一時的に嘘をついていたことと矛盾しない。なぜ、彼が発明者ではないという彼の言葉を信じないのか? ジョージ・コリンズが以前に主張していたことを説明するのは本当に難しいからだ。コリンズは以前、飛行中の飛行船を目撃したと示唆していた。 (1:30:27)

彼は、発明者本人からデモンストレーションを見せてもらったという、非常に生き生きとしたドラマチックな説明をしました。彼は飛行船の特許申請を行ったと述べています。また、発明者について多くの具体的な詳細を語りました。そして、その発明者はエルマー・ベンジャミン博士であると指摘しました。博士は、自分が発明者であることは認めていますが、この発明者ではないと述べています。 (1:30:53)

しかし、今、コリンズは飛行船やその模型さえも見たことがないと語っている。彼は特許申請もしておらず、発明家から模型が送られてくるのを待っている。 彼は先週木曜日に発明家と会ったばかりのようで、彼が挙げたベンジャミンを指し示すような詳細な情報は、実際の発明家には当てはまらない。 (1:31:13)

すべてが単なる誤解であるとは考えにくい。つまり、本当に起こったことはサンフランシスコの電話で示唆されたことだったということだ。彼はあまりにも多くのことを口外し、怒った発明家と会い、その発明家は彼に黙って、自分の顧客の怒りを鎮めるように言った。そして、ベンジャミンは予想外の行動に出た。11月25日水曜日、サンフランシスコ・クロニクル紙は「疑惑の惑星金星と火星」という見出しの記事を掲載した。この記事は、サンフランシスコ・クロニクル紙がコリンズとベンジャミンをからかうような軽い調子の記事でした。しかし、からかいの中盤で、クロニクル紙はこのような爆弾発言をしています。 (1:32:06)

ベンジャミンは昨日、クロニクルのオフィスを訪れ、仮面を脱ぎたいと述べました。この欺瞞の継続は彼を疲れ果てさせていました。彼は飛行船の発明者であり、7年間その構想に取り組んできました。彼は世間に発表する準備がほぼ整っており、春までにいくつかの詳細を完璧にするのを待っているだけでした。 (1:32:22)

クロニクル紙は明らかに彼を信じていなかった。なぜなら、彼らはただ嘲笑し続けたからだ。 (1:32:26)


しかし、ベンジャミンは新聞に自分が発明者であることを認めたようだ。しかし、ジョージ・コリンズを解雇し、新しい弁護士を雇ったことから、コリンズに対して怒りを抱いていなかったわけではない。同じ日の11月25日(水)、サンフランシスコ・コール紙は、次のような記事を掲載した。「元司法長官W.H.H.ハートが、これまでジョージ・D・コリンズ弁護士の法的保護下にあった飛行船の運命を管理することになった。変更の理由は、コリンズ氏の多弁さによるものだと言われている。極秘を保ちたいと強く願っている発明家は、コリンズ氏が賢明なことを多く話し過ぎたと考えている。 (1:33:10)

そして、それはコリンズの最初の話だけ説明できる。彼は発明家について多くの詳細を語り、ベンジャミンが発明家であるかのように思わせた。コリンズの2つ目の話は、ひどくまずいダメージコントロールだった。そのため、ベンジャミンは、元司法長官という、より権威のある新しい弁護士を雇った。そして、ウィリアム・ハートはさらに続けた... 発明は2つあり、非常に似ている。 (1:33:37)

1つは東部で、もう1つはカリフォルニアで完成された。私は個人的に、東部の発明に以前から関心を持っていた。 両方の利益を統合することが目的だ。私は東部で発明された機械を見たが、うまく機能すると確信している。また、聞いた話からすると、カリフォルニアで発明された機械が機能しない理由はない。 (1:33:55)

これは複数の飛行船説を裏付けるものであり、東海岸と西海岸の両方から発明家や投資家の報告を聞いている理由を説明できる。 ハートはさらに、飛行船の用途についても説明した。 この発明を運用する私の計画では、可能な限り秘密にしておく必要がある。 私は、これを完全に戦争目的で使用することを提案し、今後5~6か月以内にテストを行う予定である。 (1:34:27)

私がこれまでに見た限りでは、4人の人間と1,000ポンドのダイナマイトを搭載できることに疑いの余地はない。しかし、実用化する前に、2つの重要な改良を加える必要がある。水上に落下して損傷した場合でも、船のように浮く構造にしなければならない。 (1:34:44)

また、底面はライフル銃の弾丸や小口径の武器が筒を貫通できないよう保護する必要があります。戦争目的で使用する予定であるため、関心を持っている人物の名前は明かしません。この機械の最初の試験で、私たちが海賊行為の容疑で逮捕されることは避けたいのです。 (1:35:05)

私が知る限り、2~3人の男が48時間でハバナ市を破壊できると確信しています。この機械は、気候が良好なカリフォルニアでテストされています。キューバ独立戦争と、まもなく起こる米西戦争において、キューバのスペイン軍を爆撃するために、1機またはそれ以上の飛行船が使用される予定であるという話は、前回取り上げたキューバの話とつながっています。また、軍事妨害工作についても、第255回「黄金の円の騎士団」で取り上げました。また、電話では別の情報源から発明者の正体についての情報も得た。 (1:35:48)

ある情報源は、ベンジャミン博士の助手をしていたのはケイトリンまたはキャトリンという名の医師だと語ったようだ。しかし、これは誤りである可能性もあり、キャトリン博士が実在したという証拠は見たことがない。 (1:36:00)


しかし、同じページには、別の人物であるC.A.スミス博士のインタビューが掲載されていました。スミス博士は、自分がカリフォルニア飛行船を目撃したとは言えないが、来年4月にはテストが完了し、全米を巡業できる飛行船を完成させる予定だと語っています。チャールズ・A・スミス博士は実在の人物で、飛行船の発明家でした。 (1:36:36)

1896年8月11日、数ヶ月前、彼は、その呼びかけで説明されているものと同じ飛行船の設計で特許番号585803を取得していました。 そして、彼は1897年4月に大陸横断旅行を行うと述べていたので、ちょうどその月が第2段階における飛行船目撃のピークの時期と一致します。 ですから、彼がその時期に活躍していた発明家の一人であった可能性は高いのです。 (1:37:09)

飛行船に関わっていた人物の名前がまた一つ明らかになったかもしれません。 もし、戦争でハバナを爆撃するために飛行船を使うというウィリアム・ハートの言葉が本当に彼らの意図だったとしたら、前回あなたが言った可能性が浮上します。 これは政府の秘密プロジェクトの一部だった可能性があるということですか? あり得ます。 (1:37:34)

現在、政府は1896年当時よりもはるかに多くの機密軍事研究を行っていますが、当時も秘密の軍事プロジェクトはありました。飛行船の軍事利用計画は、これがそのようなプログラムの一部であったことを示すヒントかもしれません。また、関係者の一人にウェストポイント出身の科学者サミュエル・E・ティルマンがいたことも、その可能性を示唆しています。彼は現役の軍人であり、1897年の飛行船への関与は、それが軍事プロジェクトの一部であったことを示唆している可能性があります。 (1:38:07)

それから、4月27日火曜日にオースティン・デイリー・ステーツマン紙が、キューバに向けて武器を降ろして出発したばかりの海上遠征について報じています。 その記事によると、その遠征が運んでいるもののひとつは、引用すると「ダイナマイトの使用に適応した実験飛行機械」だそうです。 つまり、政府が軍事用飛行船の研究に関与していた可能性があるということですね。 (1:38:38)

これが政府の秘密プロジェクトの一部であったという考えに反対する意見はありますか? 最も明白なのは、ウィリアム・ハートが、彼らがまだ機械をテストしている最中に、彼らが逮捕されることを望んでいなかったため、発明者の身元を明かさなかったという事実です。 これは、彼らが政府が関与していない非合法の活動を計画していたことを示唆しています。 (1:39:03)

また、彼には非常に商業的な動機があり、その活動に対して十分な報酬を得ることを期待していたことも示唆しています。彼は、彼らがたった6か月で500万ドル、あるいは今日のお金で1億8000万ドルを稼ぐだろうと見積もっています。つまり、彼らは誰かから、おそらくはキューバ人から、多額の報酬を得ることを期待していたようです。そして、そのお金があれば、世界中のどこでも好きな場所で引退したり、軍事的なフィリーバスターを実施したことによる法的トラブルから賄賂で逃れることもできたでしょう。 (1:39:34)

しかし、それもすべて、隠蔽工作の一部である可能性もあります。ですから、これが政府プロジェクトの一部であったかどうかは不明です。ティルマン教授のような軍人が関与していたとしても、政府がそれを承認していたとは限りません。 (1:39:46)


さて、理由に関する最後の質問に移ります。1896年と1897年の飛行船のフラップがなぜ終わったのかということです。もしこれが人間の発明家によるものだった場合、彼らの行動を宇宙人の不可解な不可解な行動のせいにすることはできません。では、もし軍のプロジェクトだったとしたら、なぜキューバのスペイン軍を爆撃しなかったのでしょうか?また、軍事プロジェクトでなかったとすれば、なぜ彼らはその素晴らしい新発明を世界に公表しなかったのでしょうか? まあ、私は、彼らは本当に宣伝に興味がなかった可能性があるという意見を目にしたことがあります。この2つの段階は、単なる大規模な気晴らしであり、発明家クラブの航空祭だったのかもしれません。 (1:40:31)

しかし、彼らが飛行船を公に発表するつもりだったという数々の発言や、彼らが宣伝を好む傾向にあることと一致しません。彼らは何かを企てているように見えました。それは、新しい商業航空輸送複合体を立ち上げるために投資する富裕な財政支援者を引き付けるための準備だったのか、あるいは、キューバのスペイン軍を爆撃するために報酬を支払う富裕な財政支援者に自分たちの能力を示すための準備だったのか。どちらも実行しなかったということは、何かが彼らを妨げたことを示唆している。 (1:41:08)

そして、問題は、何なのか? 可能性の一つとして私が目にした提案は、彼らは鉄道王たちに買収されたというものです。今日、旅客のほぼすべてと貨物の多くは、鉄道業界よりも航空業界によって輸送されています。そして、航空航行の問題が解決された場合、このようなことが起こるだろうと予測できます。 (1:41:35)

そのため、鉄道王たちが飛行船が自分たちの事業を圧迫すると気づいたとき、彼らは発明家たちを買収し、設計を秘密にしておくよう説得しました。しかし、ライト兄弟が数年後に動力飛行を発明し、すべてを打ち砕いてしまったのです。問題は、この説明が完全に憶測に基づいているということです。私はその証拠となるものについて何も知りません。 (1:42:01)

しかし、彼らを阻止したかもしれない別の出来事の証拠は知っています。それは、4月13日火曜日のデトロイト・イブニングニュースの記事に示されています。ミシガン州カラマズー郡に散らばっているとされる飛行船を破壊しに向かった。パビリオン郡からの報告が本当であれば、話題の飛行船は現実のものだっただけでなく、今では過去のものとなった。 (1:42:24)

古参兵のジョージ・W・サマーズとウィリアム・チャドバーンは、4月11日の日曜の夜、病人の看病で遅くまで起きていた際に飛行船を目撃したと主張した。 愛国者たちが述べた説明には多少の相違があるが、その幻影は両端が光を放ち、驚くべき速さで空間を切り裂いて進んだという主張では一致している。 彼らは上記の観察を行う間もなく、鈍い爆発音が聞こえ、物体は消えた。 (1:42:55)

彼らは、その報告は大砲の音のようだったと述べ、すぐに空中を飛ぶ発射体の遠くの音が続いたと付け加えた。不思議に思いながらも、彼らは家に向かって歩き、興奮して眠れない夜を過ごした。この2人の男がこの現象を目撃したと主張している唯一の人物であるが、以下のような多くの裏付けとなる状況がある。 (1:43:15)

ウォレス夫妻は、はっきりと爆発音を聞いたが、最初は雷だと思ったと語っている。しかし、朝の調査で、2人の目撃者である2人の退役軍人の証言の真実性が十分に立証された。スコットの家から2マイル離れた場所で、電気器具の一部が発見された。別の場所では、非常に軽い素材のプロペラの羽が、部分的に溶けた状態で発見された。 (1:43:42)

コムストック郡の納屋で屋根葺き作業に従事していた3人の男たちは、事件の翌朝に作業を再開したところ、完成したばかりの屋根が細かい破片で散乱しており、破片の中には屋根板を突き破って下の板まで入り込んでいるものもあったと証言した。 仮説がどうであれ、空中の異物が永遠に消え去ったことは疑いの余地がなく、その起源と乗組員の体験は永遠に謎のままである。 (1:44:10)

そして、このような話はこれだけではありません。ワシントン州ミードでは、飛行船が故障して地上に放置されているのが発見されたという話もあります。また、間違いなく、あるいはおそらく飛行船が墜落し、爆発したという話もあります。そして、忘れてはならないのは、これらはすべて新しい技術だったということです。原理がしばらく前から存在していたとしても、それまでこのような形でまとめられたことはありませんでした。 (1:44:35)

そのため乗組員たちは地上で飛行船の修理を行っている姿がよく見られました。おそらく、ヒンデンブルグ号の問題は、この最初の飛行船グループにも起こったのでしょう。ヒンデンブルグの悲劇については第189回でも取り上げましたので、詳しくはそちらをお聞きください。 しかし、基本的には、水素を使っていたためにいくつかの飛行船が、あるいはすべての飛行船が爆発したのかもしれません。当時はまだヘリウムを大量に利用することができなかったのです。 (1:45:06)

あるいは、それ以外に故障したのかもしれません。そして、この技術はまだ実用化には至っていないと発明家たちを納得させるには十分でした。彼らは面子を保つために、このプロジェクトから静かに撤退しました。彼らが飛行船のテストを行い、乗組員として働いていた人々を死に至らしめるような、時には壊滅的な失敗を何度も経験していたとしたら、彼らがそうするだろうと予想するのは当然です。 (1:45:32)

これが、何よりも、彼らが新しい飛行船を公に発表しなかった理由である可能性が高いと思います。最後に、1890年代の飛行船について信仰の観点から何か言いたいことはありますか? 特にありません。これは科学と技術の話であり、飛行船を建造することに問題はありません。発明家たちは、まだすべての問題を解決できていない開拓者たちに過ぎません。つまり、彼らはリスクを負っていたということです。しかし、イノベーションにはリスクが伴います。新しい事業にどれほどのリスクが伴うかを常に予測できるわけではありません。 (1:46:04)

しかし、第208回のタイムトラベルの祈りに関するエピソードで議論したように、飛行船の事故で命を落とした人々、あるいは命を落としたと思われる人々、そして生き残った人々を含め、このプロジェクトに関わったすべての人々のために祈ることはできます。ジミー、謎の飛行船について、あなたの結論は何ですか?飛行船は実在していた可能性が高いと思います。また、その背後にいたと思われる人物の少なくとも一部を特定できたと思います。 (1:46:28)

エルマー・ベンジャミン博士、チャールズ・A・スミス博士、サミュエル・E・ティルマン教授、アモス・E・ダールバーグ教授、そしてハイラム・ウィルソンは、いずれも有力な候補者である。これは政府プロジェクトの一部であったかもしれないし、そうでないかもしれない。そして、失敗した理由として最も可能性が高いのは、広範囲にわたるテスト中に複数の飛行船が故障し、時には大惨事となったことであると、我々は突き止めた。ですから、謎の飛行船の秘密の起源を解明した可能性が高いと思います。 (1:47:01)

リスナーに提供できる追加のリソースはありますか? (1:47:05)


マイケル・バスビー著『1897年の飛行船の謎を解く』と、J. アレン・ダニラック著『1897年の巨大飛行船』へのリンクを用意しています。また、カルロス・アレンデ著『幻の遭遇』、ニュースでは『1896年から97年の幽霊飛行船』も紹介しています。また、あの有名な歌「Just Tell Them That You Saw Me」のビデオへのリンクや、コオロギに関するダーベルグの法則についての情報も提供します。 (1:47:39)

今回はここまでです。1890年代の謎の飛行船の秘密の起源について、皆さんはどのような仮説をお持ちでしょうか?sqpn.com、またはジミー・ヤトキンス・ミステリアス・ワールドのFacebookページにアクセスしていただくか、mysterious.fmのfeedback宛にメールを送っていただくか、mys underscore world宛にツイートしていただくか、sqpn.com slash discordのStarquest Discordコミュニティにアクセスしていただくか、619-738-4515のミステリアス・フィードバック・ラインまでお電話ください。619-738-4515です。そして、このエピソードのビデオとアニメーション制作を担当したオアシス・スタジオ7に特別な感謝の言葉を述べたいと思います。 (1:48:22)

▼文字起こし 原文 展開

Jimmy Akin's Mysterious World is brought to you by the StarQuest Production Network and is made possible by our many generous patrons. If you'd like to support the podcast, please visit sqpn.com slash give. Previously on Jimmy Akin's Mysterious World. At the end of the year 1896, residents of California were startled to see an unknown airship appearing in their skies. (0:00:29)

This was before the Wright Brothers conducted their first powered flight in 1903, and although balloons had been used for years, these new airships displayed unusual flight characteristics that were beyond other craft in their day. In recent years, many have proposed that the wave of the 1890s airships were early UFO sightings that heralded contact with extraterrestrials. But others have said that it was all a giant hoax. (0:00:53)

But what's the truth about the 1890s airship mystery? Was it aliens? Was it a hoax? Or was it something else? The mystery airships of 1896 and 1897 are a fascinating phenomenon. The stories themselves are interesting, and when we look at what could explain the stories, we likely are looking at multiple causes. (0:01:19)

However, it's fairly easy to show that while many of the proposed explanations may have been true in some cases, they are not good general explanations for the overall phenomenon. We can't simply explain it away by saying that people were misidentifying things like meteors, fireballs, comets, and the planet Venus. We can't explain it away as just based on hoaxes by ordinary people, railroad workers, newspapermen, or pranksters. (0:01:46)

The evidence suggests that people really were seeing something like airships in the sky. But despite the claims in the UFO community, we do not have good evidence that they were extraterrestrial or interdimensional in nature. Neither do we have good evidence that they were from a crypto-terrestrial civilization. The evidence supports them being terrestrial craft built by human beings. So the question is, who built them? (0:02:11)

You're listening to episode 280 of Jimmy Akin's Mysterious World, where we look at mysteries from the twin perspectives of faith and reason. In this episode, we're talking about the secret origins of the 1890s mystery airships. I'm Dom Bettinelli, and joining me today is Jimmy Akin. Hey, Jimmy. Howdy, Dom. For seven months, between 1896 and 1897, hundreds of people reported seeing strange airships in the sky. They're known as the mystery airships, the phantom airships, or the ghost airships. (0:02:50)

Some people think that they were the earliest UFOs from another planet. Last week, we examined many of the theories about the airships, and we were able to eliminate many of them. But part of the remains unsolved. So what were the airships? Who was behind them? And was the government involved? That's what we'll be talking about on this episode of Jimmy Akin's Mysterious World. Jimmy, what do we want to say to begin today? (0:03:15)

Just a minor note before we get into the second half of our mystery. I wanted to mention that you did some really great artwork for today's episode using an AI, but it's not an actual photograph of an airship, though we will have an actual photograph later in this episode for those who are watching the video version. (0:03:38)

In any event, it's an illustration of how folks in the future will need to be cautious about AI artwork and whether it's artwork or a real photograph. (0:03:43)


Very good. Now, last week, you concluded that the mystery airships were real, that we have good evidence from solidly sourced accounts of people who are known to have been real, who saw them, and who even talked with their crew. You concluded that although you can't rule out that there were aliens visiting Earth in the 1890s, that at least the bulk of the airships were built and manned by humans. What can we figure out about them and where they came from? (0:04:12)

Well, some very interesting work has been done on this subject by Michael Busby in his book Solving the 1897 Airship Mystery. One of the things Busby did was study reports of airship sightings in Texas, and he plotted not only where the airships were seen and when, but also the direction that they were traveling. (0:04:38)

And this let him estimate where the airships had a landing place that they could stay during the daytime because they traveled almost exclusively at night. Why was that? Why would they travel by night rather than during the daytime? There are a number of possible reasons. One is that the group was generally trying to be fairly secretive. According to witness accounts, the crew said that they were testing experimental craft. (0:04:58)

And if you've got a new and improved airship design that you're testing, you don't want too much attention because there was a race among inventors at the time to build better airships, and you don't want someone else learning about your design and stealing aspects of it, especially if you haven't yet secured a patent on it from the U.S. Patent Office. So traveling at night would mean fewer people would see the airship and there would be less attention than if they'd been regularly flying around in the daytime. (0:05:30)

Another possible reason, although it's a little surprising, is that it may have been more comfortable for the crew. According to an account published on Sunday, May 16th, in the Dallas Morning News, a witness met the owner of an airship after it startled his horses. The owner was a man named Mr. Wilson, and the paper reported, As a reason for traveling almost entirely by night, Mr. Wilson stated that it was because they had not yet become accustomed to being in such dizzy heights, and they feared to see the distance below them. (0:06:06)

They are not aeronauts and do not claim to possess the nerves or coolness of that class of people. At the time, aeronauts were people who went up in balloons, and most people had never had a perspective from off the ground. You might climb a tree, but that would be about it. And even today, many people are afraid of heights, and lots of people were afraid, were and are afraid of going up in airplanes, despite the fact that airplanes are a totally normal thing now. (0:06:30)

I happen to be one of those people. I will fly, but I don't like it. (0:06:34)


I'm not afraid of heights, but I am afraid of crashes, and even though I know the air safety statistics, that doesn't make the fear vanish. So I'm like Zephram Cochran. I didn't build this ship to usher in a new era for humanity. You think I want to go to the stars? I don't even like to fly. I take trains. So you can imagine how a group of engineer inventor types could be freaked out by traveling hundreds of feet in the air when that's a completely new experience for you. (0:07:06)

And so by traveling at night, you just largely looked down and saw darkness. You weren't hit in the face with the reality of how high up you were, and you and your crew might feel more comfortable. Michael Busby also proposes another reason that the airships would travel by night, which was to keep from getting shot at, because people like shooting at things. As we discussed in episode 189 on the Hindenburg disaster, when the first hydrogen-filled balloon was tested in Paris, France in 1783, it flew 13 miles to a nearby village, and by that point, it had lost enough hydrogen that it started to descend. (0:07:51)

The villagers thought it was a monster attacking them from the sky, so they did what you should do if a monster is attacking you from the sky. They attacked it right back and defended the village using pitchforks, scythes, and short barreled blunderbuss guns to destroy the menacing creature. Here in America, there are newspaper accounts of people on the ground shooting at airships, including a whole bunch of guys who were doing a military drill, and when an airship flew over, they opened fire on it. (0:08:18)

And by traveling in the darkness, there would be fewer people out and about who would be likely to shoot you, and they'd also be less likely to hit you in the darkness. On the other hand, in his book The Great Airship of 1897, author Alan Danilek proposes another reason. He writes, Besides the desire to maintain a degree of secrecy, the most practical reason would be ship control. (0:08:47)

Since gas expands when it is heated, the prospect of flying the airship on a sunny day would have proven problematic, especially considering the primitive technology available to our vessel at the time. Once the sun heated the envelope, the hydrogen gas would expand dramatically, resulting in the ship becoming too light and possibly initiating an uncontrolled ascent, a major danger since our airship is designed only for low altitude flight. (0:09:08)

Correcting such a rapid ascent could only have been achieved by quickly valving off large amounts of hydrogen, which could prove even more dangerous if too much gas were valved off, putting the ship in an uncontrollable descent. Flying chiefly at night, however, would alleviate this problem, making the ship potentially more flyable after sunset. Additionally, since creating large amounts of hydrogen would have been a slow and expensive process at the time, it would also have been cheaper to fly at night and require a shorter turnaround time between flights. Another reason night flying would have been a more attractive option is that the air tends to be more stable and less turbulent at night than it is during the heat of the day. (0:09:50)

So there are multiple reasons why the airships would be primarily active at night. (0:09:55)


You said that Busby was able to estimate where they had a landing area in Texas. What did he find? Basically, he identified a location in North Texas. It was just north of Sherman, Texas, which is itself just south of the Oklahoma border. He did this by triangulating sightings made on April 14, 1897. Then he did the same thing, the same kind of calculation for sightings made the next day on April 15. And both times, the sightings and trajectories indicated the airship had probably originated from a spot north of Sherman, Texas. Although the results from the second night could indicate that it was between Sherman, Texas, and nearby Paris, Texas. Now, Sherman, Texas is in Grayson County, and Paris, Texas is in Lamar County. Between Grayson and Lamar counties is Fannin County. If the hiding place was north of and between Sherman and Paris, it would have been in Fannin County. So remember the name Fannin County, because it will come up later. (0:11:02)

It's very significant that he got the same location, the same general location, based on the sightings from two different days. If these were just random fake reports, you wouldn't expect the triangulation to converge on a specific location, much less the same location two days in a row. So that's a sign that the reports were accurate. (0:11:26)

If the airships were coming into land in the same area before dawn each night, you'd expect people in the area to notice that. Like the rest of America, Texas was heavily agricultural in the 1890s, and people on farms get up before daylight to start their chores. So you'd expect someone there to be aware of the ship landing. Correct, and that's exactly what Busby thinks is the case. (0:11:48)

He believes that there was a specific ranch where they were landing, and that the airship crews knew the owner of this ranch, and that the owner was giving them shelter by letting them park on his property during the daytime. We'll have more to say about that later in the episode, so remember it. (0:12:07)

You keep referring to airships in the plural. Why do you do that? Do we have reason to think that there was more than one airship? We do. As we mentioned last episode, there are more than a thousand press stories about the airship, and they report sightings within a seven-month period. Even counting duplicate stories that were published by multiple papers, and further reducing the number because of misidentifications and hoaxes, that's just too many sightings for one airship. (0:12:33)

Especially when you take into account the fact that the airships were sighted in widely separated locations at the same time. Now, that doesn't apply so much to phase one of the airship flap, which was during November and December of 1896. Then all the sightings were on the west coast. But it does apply to phase two, which began in February of 1897 in the middle of America. For example, at the same time that there were credible airship sightings in Texas, there was also an airship being reported in Washington state, and another on the other side of the country up north in Michigan. Furthermore, the airships are described as having different characteristics. (0:13:13)

For example, most of the time it's estimated to be something like 150 to 200 feet long by witnesses. But sometimes it's much smaller, being estimated to be only 50 to 75 feet long. Of course, it could be somewhere in the middle with both of those estimates being in error, but it's at least suggestive of more than one airship. (0:13:38)

Also, the crews are different. Sometimes the crew is just one guy, sometimes it's several men, and sometimes it's men with at least one woman along. Perhaps most fundamentally, when people were in contact with the crew, the crew reportedly said that there was more than one airship. For example, the crew that spoke with Judge Albert Love claimed that there were 10 airships touring the U.S. But most of what they said is hard to believe, so we shouldn't put too much weight in that. (0:14:09)

Then there was a piece published on Saturday, April 24th, in the Shreveport Times, where a gentleman named H.C. Legrone of Deadwood, Texas, claimed to have received a message from the crew that had been dropped in a beer bottle. And the message stated that the ship that dropped it was one of five that were part of a group of airships. (0:14:34)

On Friday, April 30th, the Houston Post published another piece in which Legrone stated that he had met the crew of an airship, and they told him that it was one of five that were part of a group. Yeah, but that's just one source, Mr. Legrone. True, but I did confirm that H.C., or Hiram Clark Legrone, was a real person who did live in Deadwood in the late 1800s. In fact, his father, Adam, was the founder of Deadwood, and Hiram wrote the Deadwood News. But he could have been making it up. (0:15:06)

However, examples like these illustrate how people at the time understood there to be more than one airship, and we have other accounts of people at the time saying that there was more than one. (0:15:16)


For example, we'll be hearing about an attorney in San Francisco who said that he was in touch with the airship creators and that there was more than one airship creator. He also said that one of the creators already had two airships and was building a third. So, if one inventor had three airships and there was more than one inventor, that would suggest at least four airships. Based on all this, Michael Busby thinks that there were five airships in total, and three of them, including a smaller one, were operating in Texas in April of 1897. What do you think of this claim? (0:15:58)

I don't think it's implausible. At the time, there were lots of inventors trying to come up with new improved airship designs. And like any people who are intensely interested in an activity or hobby, some of them likely knew each other. They may have formed an airship inventors club as a social group, or they may have formed a business interest where they pooled their resources to work on their designs. (0:16:25)

And then they decided to have a group event where they would go out and start testing their designs at the same time, perhaps as a final testing run to, perhaps in part, create a sense of mystery and get publicity in anticipation of a big public reveal. Now, not all of the airships being reported may have been part of this effort. (0:16:44)

Given how many people were working on the problem, there could have been some unrelated efforts that also were being tested at this time, and they got lumped in with the big test being done by this group. But that's not at all an unreasonable scenario. It explains why we have indications of multiple airships, and it explains why all the airships were being tested at the same time. (0:17:06)

Is there any way to figure out who the airship creators may have been? Our starting point for that would be things that the crew reportedly said when they talked to witnesses. Now, as we said last episode, we shouldn't automatically believe everything the crew is reported to have said. We saw a really good example of that last episode with the encounter where the crew allegedly told Judge Albert Love that they were from the unbelievable North Pole land. (0:17:37)

You know, that was kind of an outlier. It was the only time I know of that a story that bizarre was reportedly told. But the airship crews were being secretive, and they likely told some false stories as misdirection to throw people off the trail. Furthermore, witnesses may have remembered, may have misremembered or simply been making stuff up. But if we can verify things that the crew said, they need to be taken more seriously. (0:18:02)

So let's look at an encounter that took place in Uvalde, Texas. On Saturday, April 24, 1897, the Galveston Daily News printed the following story. The airship in West Texas landed in the town of Uvalde. Sheriff Baylor interviewed the men. It started from Goshen, New York, and is on a trial trip. Navigator Wilson left a message for his friend, Akers. Uvalde, Texas, April 22. That Uvalde has been visited by the famous airship that has created so much excitement in Texas the past week or more, there is no room to doubt. (0:18:39)

The airship was sighted by Sheriff H. W. Baylor about 10 o'clock Tuesday evening, April 20. Mr. Baylor's attention was first attracted by a bright light and the sound of strange voices in the alley back of his residence. He went out to investigate and was surprised to find there the airship, ship, and crew of three men. (0:19:03)

They stated they were on a trial run and did not wish their presence known to the people of the town. One of the men, who gave his name as Wilson and place of residence as Goshen, New York, inquired for Captain C. C. Akers, former Sheriff of Zavala County, who he understood lived in this section. He said he had met Captain Akers in Fort Worth in 1877 and liked him very much and would be much pleased to meet him again. (0:19:28)

When told that Captain Akers was at Eagle Pass in the Customs Service, but often visited this place, he asked to be remembered to the Captain on the occasion of his next visit. After procuring water at the hydrant in Mr. Baylor's yard, the men boarded the ship, its great wings and fins were set in motion, and it sped away northward in the direction of San Angelo. Mr. Baylor is thoroughly reliable and his statement is undoubtedly true. (0:19:54)

His description of the ship does not differ materially from that given by Mr. J. R. Ligon of Beaumont and the gentleman who saw it at Greenville. County Clerk Henry J. Bowles also claims to have seen the airship as it passed up Getty Street north of the Baylor residence. (0:20:12)


I checked on the people named in this story, and H. W. Baylor was a real historical individual. He was the son of a Confederate general, and he was the Sheriff of Uvalde. So here we have a law enforcement officer reporting what the crew told him. I also checked on the County Clerk, Henry J. Bowles, who also saw the airship on this occasion, and he also is real. (0:20:38)

I found a 1907 record of his successor as Uvalde County Clerk, a woman named Ms. Zena Dalrymple. And the piece mentions that her predecessor in the post was Henry Bowles, so he was real too. Finally, I checked on the man that the airship navigator said he wanted to meet, Captain C.C. Akers, the former Sheriff of Zavala County, Texas, and he's also real. (0:21:05)

I found a record indicating that in 1888 he had been Sheriff of Zavala County, though by 1897 he was working for the U.S. Customs Service. So all three of the men in this story are real. All three of them were government officials, two sheriffs and a county clerk. So it's a credible story. Now, according to Sheriff Baylor, the navigator of the airship was a man named Mr. Wilson. He was from Goshen, New York, and he wanted to meet former Sheriff C.C. Akers, who he said he'd met in Fort Worth in 1877. But Akers was now at Eagle Pass, Texas, which is right down on the Mexican border. (0:21:45)

And if he wanted to meet Akers and be able to and have Akers be able to remember him, then the name he gave would need to be his true one. He really would need to be named Wilson. Still, that's just one report using that name, so it could be wrong. However, three days later, on Tuesday, April 27th, a different newspaper, the San Antonio Express, printed this story. (0:22:19)

The airship at Eagle Pass. Sheriff Dow interviews its passengers. Mexicans much wrought up by the alighting of the ship on the banks of the Rio Grande. A description. Eagle Pass, Texas, April 25th. Eagle Pass, though a way out on the Mexican border and a little slow on up to date civilization, cannot be outdone when it comes to real sound knowledge and alert county officials. (0:22:50)

The learned folks of the border have been watching with interest the various accounts of the airship seen at so many different places simultaneously and the various descriptions of it and had come to the conclusion that there was a whole fleet of airships, else the whole thing was a huge joke perpetuated upon a defenseless public by the heartless newspaper fraternity. Today, however, all is changed. (0:23:15)

The whole border is in a state of excitement. The Mexican element is in a frenzy. Crowds of Aztec descendants are gathered on different corners discussing a strange occurrence of last night, April 24. While the majority spend the hours on their knees begging to be saved, others expostulate and interpret the vision as an evil omen or a good spirit, according to their own superior knowledge. (0:23:39)

The express reporter's attention was attracted and he immediately went in quest of Sheriff R.W. Dow, whom he found in a great state of excitement, relating his experiences to a group of substantial citizens. The reporter waited till the sheriff gained his equilibrium and got the following account of the cause of the commotion. (0:23:56)


Last night, about 12 o'clock, some Mexicans came running to my house and told me that a very strange thing of some kind had come down from above and stopped on the bank of the Rio Grande just below Fort Duncan. I went at once to the place and found an airship and three men on board. They were just from Uvalde and claimed that they had solved the problem of traveling by air. (0:24:18)

They are going from here to the Devil's River country to locate a herd of buffalo that was seen over there some time ago by Mr. Duval West and some hunters from Galveston. The men are all well known in West Texas, but do not care to have their identity known to the public just yet. (0:24:41)

One of the men inquired for Captain C.C. Akers of this place, but was told Mr. Akers was over the river counting some sheep that Mr. Shrimp is getting ready to ship to market. They filled their canteens with water from the Rio Grande and flew off. They invited me to accompany them, but district court being in session, I could not accept. Mr. Dow says it was so dark that he could not see the vessel, so as to describe it, but he saw the men board it and fly away. (0:25:03)

I checked, and Sheriff R.W. Dow was a real individual. I found a table of Texas County officials from 1899, and he was the sheriff of Maverick County, whose seat is Eagle Pass. According to Sheriff Dow, the airship crew said that they had come from Uvalde, where they had been three days earlier, according to Sheriff Baylor, so that corresponds. Sheriff Dow didn't say what their names were, since he wanted to keep that quiet, or since they wanted to keep that quiet, though he did say they were well-known in West Texas. And he said that they were looking for Captain C.C. Akers, though he wasn't there at the moment. (0:25:43)

Instead, he was over the Rio Grande in Mexico on business, which would have been with his current job with the U.S. Customs Service, so the airship travelers left. Since Mr. Wilson told Sheriff Baylor that he'd met Captain Akers in Fort Worth in 1877, and Akers was a real individual, it would be very interesting to know if Akers could confirm having met him. Yeah, it would be very interesting to know that, and the editors of the Galveston Daily News thought so too, so they followed up and asked Captain Akers, and they printed his response the day after the ship visited Eagle Pass on Wednesday, April 28th. Airship inventor Wilson was of a mechanical turn of mind and formerly lived in Fort Worth, remembered by his friend, who says he promised to startle the world with his aerial invention. (0:26:38)

Eagle Pass, Texas, April 27th Noting that on the airship said to have been seen by Sheriff Baylor in Uvalde was a man who gave his name as Wilson. I can say that while living in Fort Worth in 76 and 77, I was well acquainted with a man by the name of Wilson from New York State and was on very friendly terms with him. (0:27:03)

He was of a mechanical turn of mind and was working on aerial navigation and something that would astonish the world. He was a finely educated man, then about 24 years of age, and seemed to have money with which to prosecute his investigations, devoting his whole time to them. From conversations we had while in Fort Worth, I think that Mr. Wilson, having succeeded in constructing a practical airship, would probably hunt me up to show me that he was not so wild in his claims as I then supposed. (0:27:30)

I will say further that I have known Sheriff Dow many years and know that any statement he may make can be relied on as correct. C.C. Akers. So there we have it. A real known individual confirms that he did know a New Yorker named Wilson in Fort Worth in 1876 and 77. That Wilson was well educated, that he had a mechanical bent to his mind, that he was working on the problem of aerial navigation, that he had money, and that the two were friends to the point that he thought Wilson would come try to look him up to show him that he'd finally succeeded with his airship designs. So it looks like one of the people involved with the airships really was named Wilson. But if there was more than one airship designer, do we have any idea of the other names? (0:28:26)

We do. There were multiple airships and airship crews, and when people talked to them, they gave several names that Michael Busby followed up on in his book. We won't go into all of them, but here's a story that ran in the Dallas Morning News on Monday, April 19th, about an encounter in Stephenville, Texas. Stephenville, Texas, April 17th. This afternoon, Mr. C. L. McElhaney, a prominent farmer who lives three miles down the Bosque from here, came into the News Correspondent's office, and before seating himself, he said, I have found it. Found what? Found the airship the Dallas News has been talking about. It's no joke. (0:29:19)

I discovered this ship on the ground early this morning, April 17th. It was in charge of two men, an engineer and the other a pilot. They had been compelled to come to the ground to make repairs on the machinery. I at once came to Stephenville and reported my find. I got a large number of our citizens who at once proceeded to the spot to view the aerial monster. (0:29:42)

Among those who viewed the wonderful machine were Colonel James U. Vincent, Eugene Moore of the Stephenville Empire, Mr. Charles Bassel of the Stephenville Journal, Judge W. W. Morse, Senator L. N. Frank, Mr. M. F. Martin, Dr. S. D. Naylor, Judge Thomas B. King, Mr. J. C. George, Dr. M. Day, J. H. Cage, S. Frank, W. P. Orr, Mayor of the City, James Collins, Mr. Lee Young, Dr. R. S. Cameron, Dr. J. H. Stewart, A. M. Borders, S. C. Buck, Hon. J. T. Daniel, ex-District Attorney, Hon. J. W. Carker, District Attorney, Otho S. Houston, and Hon. J. S. Strawn, District Judge, and many other of our prominent citizens. The airship ship is very much as reported by the news heretofore. (0:30:40)

It consists of a cigar-shaped body about 60 feet in length to which is attached two immense aeroplanes, that is, wings, and the motive power is an immense wheel at each end and appearance much like a metallic windmill. It is driven by an immense electric engine which derives this power from storage batteries. The crew consisted, as stated, of two men who gave their names as S. E. Tillman and A. E. Dolbear. They report they have been making an experimental trip to comply with a contract with certain capitalists of New York who are backing them. (0:31:15)

They are confident they have achieved a great success and that in a short time the navigation of the air will be an assured fact. They refuse to have their machine critically inspected and refuse to talk further as to their plans for the future. They rapidly made the necessary repairs, boarded the ship, and bidding adieu to the astonished crowd assembled, the ship rose gently into the air and sailed off in a southwesterly direction. (0:31:40)

If you don't believe me, just ask any one of these men who saw it and say, I want to tell the news about it. This is one time old Erath County, Texas is ahead, the first place the airship has been seen to light. And say, what do you reckon is going to happen when dynamiters get to riding in airships and dropping bombs down on folks in cities? (0:32:01)

Is this world ready for airships? Without an answer, Mr. McElhaney went forth to tell the news. (0:32:07)


Now, Erath County, Texas was not actually the first place that an airship was seen to have landed, but McElhaney gave an impressive list of names. As Michael Busby summarizes, the distinguished list includes a colonel, a railroad executive, a newspaper man, two judges, a senator, four doctors, the mayor of Stephenville, a district attorney, an ex-district attorney, a district judge, and other prominent citizens. (0:32:42)

I didn't check every name on the lengthy list, but I did check multiple ones. And I can report that Eugene Moore was real, and he was the owner of the Stephenville Empire. Charles Bassel was also real, and he was the publisher of the Stephenville Journal. Louis Napoleon Frank was real, and he was a Texas senator. Thomas Benton King was real, and he was a judge in Erath County. Mayor W.P. Orr was real, and I found a record of him. (0:33:11)

J.S. Strahan was real, and he was a judge. After verifying that many distinguished individuals, I gave up on looking for more. And it's quite unlikely that a farmer, just a local farmer like McElhaney, would lie in print about so many prominent local individuals having seen the ship, and less likely still that he would invite the newspaper to check with them. (0:33:38)

The local publishers of the Stephenville Empire and the Stephenville Journal alone could have made his life hell by attacking him in the local papers if he was lying, which makes what Mr. McElhaney said worth paying attention to. He said that the ship landed because it had something broken and needed repairs, which is a common reason the ship was said to have landed. (0:34:05)

And it's exactly what you'd expect of an experimental vessel using new technology on a shakedown cruise. He also said that the airship was being financed by backers in New York, so there's our New York connection again, like with Mr. Wilson of New York. And he gave the names of the two men aboard the ship. He said that one was named S.E. Tillman, and the other was named A.E. Dahlbayer. Both Tillman and Dahlbayer are very uncommon names. (0:34:40)

And in this case, he gave us their first and middle initials as well, which should make it easy to find them if they were real people. You said that Michael Busby thought he had located where the Texas airships were parked during the daytime, that it was located in North Texas near the Oklahoma border, and that it was a specific ranch whose owner was sheltering their project from public view. Was he able to identify a specific ranch? (0:35:02)

He was, and on Saturday, April 24th, the Galveston Daily News ran this story. At Conroe. Conroe, Montgomery County, Texas, April 23rd. Our little city is all agog today over the report of a most remarkable incident that occurred last night at the hotel. Professor G.L. Witherspoon, proprietor of that hostelry, Major Dan D. Donahue, auditor of the Texas, Louisiana, and Eastern Railroad, Colonel A.H. Traylor, tax collector, and John Waringerger, merchant, were engaged until one o'clock in a social game of dominoes when they were disturbed by a call from three strangers who said they were from San Francisco, California. They were most reliable gentlemen and made no hesitancy in stating they were traveling in an airship from San Francisco en route to Cuba via El Paso, Conroe, and New Orleans. They had left the ship at Williams Ranch near town and walked in to get supper by way of a change. (0:36:05)

Major Donahue says that he feels like he has interviewed natives of the moon, as heretofore he has scoffed at the idea of an airship, and he and his friends on last night gracefully declined an invitation to inspect the wonderful aerial traveling machine, but when, less than an hour after his midnight visitors had taken their leave, he saw the ship rise majestically from the earth, illuminated by brilliant electric lights, and plow its way through space, his skepticism vanished, and the strange reality of an airship was stamped on his senses and vision. (0:36:37)

Major Donahue is one of the most popular citizens, and in the main a quiet and most unassuming gentleman, and his statements, especially when corroborated by the evidence of such gentlemen as Messrs. Witherspoon, Traylor, and Waringerger, are accepted as gospel truth. They say that the ship must have been 30 feet wide and 50 feet long. (0:36:55)


They watched it until it looked like a bright star just above the earth's horizon, and the major declares he was sober. Incidentally, dominoes has been a popular game in Texas. It's not like that sinful card playing, so good God-fearing Texans could play dominoes instead, like my own family, for instance. (0:37:23)

Dominoes are so much more wholesome and so much less sinful. Now, I checked, and G.L. Witherspoon was a real individual, and he did run the Conroe Hotel, just as the story says. According to the story, the men were playing dominoes when at 1 a.m. three strangers showed up at the hotel. (0:37:42)

They said they were from San Francisco, which is where phase one of the airship sighting started, and they said they were heading for Cuba. So, there's the Cuba story again, which other airship crew members had told. The men said that after parking their airship at a nearby ranch, they decided to go into town to get supper for once, instead of just eating at the ranch or on the ship, I guess. (0:38:07)

And after they left, Mr. Witherspoon and the other men saw the airship in flight. Now, the key thing for our purposes is the name of the ranch. They said that it was the Williams Ranch, and that it was near the town of Conroe. Conroe is down south near Houston, and Williams is a pretty common name, and there might be more than one Williams Ranch near Conroe. But another clue was in the newspaper record as early as Saturday, April 10th, two weeks earlier, when the Dallas Morning News reported about a man working on an airship at a ranch near Paris, Texas, owned by a man called U.S. Marshal Williams. That doesn't give us Williams' first name, but it does tie the airships to a ranch owned by a U.S. Marshal, whose name was Williams, and that makes him easy to find, because there aren't many U.S. Marshals in Texas named Williams. In fact, I checked a chronological state-by-state list of all the U.S. Marshals that have existed since the office was created in 1789, and there has only been one U.S. Marshal named Williams in the entire history of Texas. So he's definitely the one that the Dallas Morning News was referring to. His name was John Shelby or Sheb Williams Jr. He was born in 1848 in Sonoma County, California, and he grew up in nearby Butte County, California. As we'll soon hear, Butte County, California is a probable location for where some of the airship developers were based, so Marshal Williams may have known them. (0:39:58)

And that could be why he offered to let them use his property to house the airships during the daytime, which would be a really good move for the airship inventors. As Michael Busby states, So Marshal Williams could have been a very useful friend to them. At this point in the story, we have two Williams ranches, one down near Houston in Conroe, Texas, and one up near Paris, Texas, where Marshal Williams was living. Did he own both of them? (0:40:31)

What we know for a fact is that Marshal Williams owned a ranch near Paris. It was located in Fannin County, and that's the exact location that Busby calculated the airships were being housed based on his triangulation of the April 15th sightings. So since we have the Dallas Morning News reporting that a man was working on an airship at Marshal Williams's ranch near Paris, and that's the same place where Busby calculated the ships were housed, it looks like we've identified their normal daytime hiding place. (0:41:10)

Busby writes, method called triangulation. The estimate pinpoints the layer somewhat north and west of Bonham. This estimate comes from shooting a back azimuth using sighting information from the newspaper accounts, an approximation, as several factors influence the results. The most obvious problem with shooting a back azimuth is the assumption that the object was traveling in a straight line. (0:41:43)

Wind and course changes can make such an approach to determining the flight origination of airships somewhat inaccurate. The back azimuth estimate is a in the ballpark estimate. We were certainly in the ballpark with this one. The back azimuth estimate was off by only about 15 miles. The evidence identifying John Shelby Williams's ranch as the location of the airship's daytime lair is incontrovertible. (0:42:09)

So we've got a really good identification of the north Texas location of the daytime hiding spot. But what about the second Williams ranch down near Conroe? Conroe is near the Texas state prison system, which is in nearby Huntsville. And Conroe was in Marshall Williams's territory, and he would have spent some time near the prison system headquarters. (0:42:37)

So it's possible that he also owned a ranch near Conroe. Or it's possible that he had a relative named Williams in Conroe who owned a ranch. And maybe he got the relative to let the three San Francisco gentlemen park an airship there. But even if you throw out the Conroe sighting reported in the Galveston Daily News, we still have really good evidence for the north Texas ranch being the main daytime hiding place, as illustrated by the Dallas Morning News reporting of an airship being worked on there and Busby's calculations based on the sightings and flight paths of the ships. (0:43:13)

There's one more possible lead for an airship person's name that we should look at. Last episode, we heard the story related by Judge Albert Love, who said the airship crew told a fantastic tale of being from North Poleland. But they also said that they would be exhibiting their airships in Nashville on June 18th and 19th at the Tennessee Centennial Exposition. You said that an airship inventor contacted the Centennial Exposition about exhibiting his airship there. (0:43:44)

Do we know his name? We do, and it actually happened before June, which could be because the plans of the group changed. However, on Friday, May 7th, the San Antonio Light carried this story. Airship that moves. Professor Barnard gives an exhibition of his machine at Nashville and sails 15 miles. Nashville, Tennessee, May 6th, 1897. Today, at the Tennessee Centennial Exposition, Professor Arthur Barnard, physical instructor of the YMCA of Nashville, began a journey in an airship constructed by himself. (0:44:19)

Professor Barnard promised to sail against the wind after a rising into the air, and he did so. The airship will be continued in use at the exposition. Professor Barnard said he would land at the starting point tonight. The ship is 46 feet long and 20 in diameter. Mr. Barnard, who returned with his airship tonight, says that he has perfected a machine which will fly under ordinary conditions. (0:44:42)

He said tonight that it was not perfect, nor could it be perfectly controlled. But he believed that he could perfect it so that its course could be controlled. After disappearing from view this morning, the ship circled around, the navigator hoping to meet with a favorable current. At last, the ship began to sail to the west, and Mr. Barnard says as far as Watkins, a village 15 miles from Nashville, the gas in the balloon attachment began to give out. (0:45:09)

He then sought a safe place to descend and came down easily. While aloft, a sudden gust broke one of the spans of the ship. No other damage was suffered. The entire time he was aloft was one and one-and-a-half hours. He was returning along the line of the upward flight when he was forced to land. We now have an account of an airship being exhibited at the Tennessee Centennial Exposition by a real, live, known-to-exist person. So that's quite impressive. (0:45:40)

There are even pictures of the airship that Professor Barnard flew. But when you look at them, questions start arising. One of the things that's clear is that this was a design very different from the other airships that were reported. This was basically a balloon with a single man underneath it, using his feet to pump pedals that would crank a propeller, which is not surprising since Professor Barnard was a bicycle enthusiast just like the Wright brothers, who developed powered flight just six years later. (0:46:10)

And then there is what is claimed to be a photograph of Professor Barnard's vehicle, and it confirms that it's a balloon with a long bar underneath it rather than a gondola, and wires hanging down to what looks like a bicycle and propeller mounting, though it's hard to tell in the photo since it's on the ground and there are people standing around it. (0:46:35)

But this thing is way more primitive than the other airships that we've been covering. It isn't remotely like them. So even though I don't want to take anything away from Professor Barnard's personal achievement, it looks to me like this is unrelated to the other famous airships that were being reported. It's too primitive to be one of them. Now, I can't rule out that Professor Barnard was connected with the other airship inventors. (0:46:58)

He may have known them and even been part of their broader community, but I don't think we can count on this as solid evidence confirming the North Poleland airship crew and what they told Judge Love. This looks like a coincidence. Still, at a minimum, it shows just how many inventors there were at the time trying to crack this problem. (0:47:26)

We now have quite a number of names of people alleged to have been involved as possible airship creators. Before we look and see if the named individuals actually existed, are there any other names we should consider? There is one, and to reveal it, we need to go back to phase one of the airship reports in November and December of 1896 in California. So, we're about to go all the way back to the very beginning and uncover how the phenomenon started. And before we go back, I want to take a moment to thank our patrons who make this show possible, including Eric R., Patricia S., Evgeny G., Dixie P., and Father Terrence D. Their generous donations at sqpn.com slash give make it possible for us to continue Jimmy Akin's Mysterious World and all the shows at StarQuest. And you can join them by visiting sqpn.com slash give. (0:48:20)

Jimmy Akin's Mysterious World is also brought to you in part by The Grady Group, a Catholic company bringing financial clarity to their clients across the United States, using safe money options to produce reasonable rates of return for their clients. Learn more at GradyGroupInc.com. Jimmy Akin's Mysterious World is also brought to you by Great Lakes Customs Law, helping importers and individuals with seizures, penalties, and compliance with U.S. customs matters throughout the United States. Visit GreatLakesCustomsLaw.com. So, Jimmy, how did the airship phenomenon begin? (0:49:04)

It's normally reckoned as beginning in November of 1896 in Sacramento, California, but there's actually evidence that it may have started earlier. There are scattered reports in the press in the preceding months of things that might have been airship sightings. For example, on Friday, October 23rd, the San Francisco Examiner ran a story titled, Three Meteors in Line, in which they described the inhabitants of Nevada, California, or Nevada City, which is in Northern California, seeing a, quote, triple-connected meteor, close quote. (0:49:43)

Now, you might think that this would mean three shooting stars in a line, in which case it would probably originally have just been a single meteoroid in space that then broke into three parts when it entered the atmosphere, and the phenomenon would have only lasted for a few seconds. But that wouldn't be particularly newsworthy. And people back in the day used the word meteor to refer to more things than we do now. (0:50:14)

Originally, the term meteor referred to any phenomenon occurring up in the sky. It comes from Greek roots that just mean something lifted high up. And it could refer to multiple things. For example, wind in the atmosphere was referred to as an aerial meteor. Rain, snow, and hail were referred to as aqueous meteors. Rainbows and auroras were referred to as luminous meteors. (0:50:44)

And lightning and shooting stars, which appeared to be fiery, were referred to as igneous meteors. So, the statement about a triple-connected meteor could indicate something other than what we today would think of. And so, it could have been three airships in a line with their searchlights turned on. (0:51:03)


The same issue of the San Francisco Examiner also had an article titled, A Queer Thing in the Sky, which said that visitors at the famous cliff house in San Francisco had seen something that looked like a comet with a fiery head and tail zooming over the water. But comets don't whiz rapidly through the sky. (0:51:28)

They're very slow moving. You can't see them move with your eyes. So, some have thought that this might have been an airship with its headlight turned on. The next day, Saturday the 24th, the Oakland Tribune also commented on the triple meteor, saying that it looked as if three luminous bodies were traveling, which isn't something you'd say about three shooting stars, because they were familiar. So, it could suggest airships. (0:51:55)

When the main phenomenon began, the San Francisco Call published an account of a hunter named Brown who reported having seen the airship three weeks earlier on October 31st. So, that also would suggest that the airships were active in the area before the bulk of phase one began. That happened when the airship craze really kicked off the next month. (0:52:23)

In his book, The Great Airship of 1897, Alan Danilek writes, For the 30,000 or so residents of Sacramento, California, the evening of Tuesday, November 17, 1896, started as a rather ordinary and some might say gloomy one. Gray and rainy, the day had been marked by intermittent squalls and low-hanging clouds that cast a cool and chilly pall over the city, making for an unpleasant late autumn day. (0:52:49)

Such weather was not unusual for that time of year in Central California, of course, but as the city's kerosene streetlights began flickering on and people began making their way home, most were simply intent on getting there as quickly as possible and settling down for what promised to be, at least from all outward appearances, a quiet evening. This evening, however, would turn out to be anything but quiet. (0:53:13)

By most accounts, it was shortly after eight o'clock that the object first appeared over the city, low on the eastern horizon. A bright, noiseless light that shone in sharp contrast to the chilly darkness that surrounded it. The object traveled slowly over the city in a generally westerly direction, at times seeming to fly no more than a few hundred feet over Sacramento's tallest buildings. (0:53:35)

Within half an hour, it had disappeared in the gloom, though not before passing over the Capitol building and being seen by dozens of people, including an assistant to the Secretary of State of California. The next day, under the headline Voices in the Sky, the Sacramento Evening Bee published a story about the airship appearing over the state capitol, which said... Last evening, between the hours of six and seven o'clock in the year of our Lord 1896, a most startling exhibition was seen in the sky in the city of Sacramento. People standing on the sidewalks at certain points in the city between the hours stated saw coming through the sky over housetops what appeared to them to be merely an electric arc lamp propelled by some mysterious force. It came out of the east and sailed unevenly toward the southwest, dropping now nearer to the earth and now suddenly rising into the air again, as if the force that was whirling it through space was sensible of the dangers of collision with objects upon the earth. (0:54:39)

That much, hundreds of the people saw. That much caused consternation in this city last night among groups gathered to hear the tale. What follows, some of the witnesses to the strange spectacle assert to be as true as the circumstances related. Voices in the sky, startled citizens last night living at points of the city along a rough diagonal line, yet far distant from each other, declare that they not only saw the phenomenon, but they also heard voices issuing from it in mid-air, not the whispering of angels, not the sepulchral mutterings of evil spirits, but the intelligible words and the merry laughter of humans. (0:55:17)

At those intervals, where the glittering object, as if careless of its obligation to maintain a straightforward course, descended dangerously near the housetops, voices were heard in the sky saying, Lift her up, quick! You're making directly for that steeple! Then the light in the sky would be seen obeying some mystic touch and ascending to a considerable height from which it would take up again its southwesterly course. (0:55:43)

The light sailed along the line of K Street, so it appeared from those in the eastern part of the city, although it appears that after it had passed Fourteenth Street, it was wafted far south of K. Laughter and words sounding strange in the distance, though fairly intelligible, fell upon the ears of pedestrians along the course of the light who had paused to look up at the novelty. (0:56:07)

Coming to California, last night's bee contained a telegram from New York announcing that a man had perfected an airship and would on Friday of this week, accompanied by one or two friends, ascend from a vacant lot in the metropolis and go directly to California, which he promised to reach in two days. The description furnished in the telegram included an apparatus which was electrical to supply light and power for the astonishing contrivance. (0:56:34)

It is not regarded as likely, in view of the announcement contained in the dispatch, that last night's Sacramento was overswept by this aerial ship. But here is the incident. Here the chronicle of words heard, of strange spectacle witnessed. Whence the light, which is not a meteor, all agree, came whither it went, where it now is. These things it is not within the capacity of this article to deal with. (0:56:57)

Mr. Lusk's Story Charles Lusk, cashier of the Central Electric Street Railway Company, was at his home at 24th and O Streets last evening, when, having stepped outside, he saw the remarkable appearance in the sky. He went into the house and told the inmates of what he had seen. This morning Mr. Lusk mentioned the incident to some of the carmen, and was amazed to learn from them that they had seen such a light, as he described, while they were in the neighborhood of East Park. More than that, they heard music and voices. (0:57:29)

One voice distinctly said, Well, we ought to get to San Francisco by tomorrow noon. The carmen say they caught some faint idea of the shape of the object that was floating in the air. It was of balloon shape, and they concluded that it was a balloon. The paper noted that the previous evening they had published a telegram from New York announcing a planned air trip from New York City to California that was just about to happen. (0:58:00)

They thought that this was a coincidence, but there's our New York connection again. And to get from New York to Sacramento in two days, like the telegram said, they'd need to travel at an average rate of 59 miles an hour, which was the equivalent of what passenger trains were doing at the time. It's interesting that some of the witnesses reported hearing music from the airship, which was also reported on other occasions. (0:58:24)

And though Thomas Edison had invented the photograph 20 years earlier in 1877, it's unlikely that someone would be playing a phonograph and keeping the needle on the wax cylinders that were common at the time as the ships bouncing up and down in the air. It's more likely that some of the airship crew were playing instruments, perhaps fiddles or perhaps banjos, which were considered the electric guitars of the day, since many more people played instruments back then than they do today, because we now have recorded music and back then they usually didn't. So if you wanted music, you often had to make it yourself. They also, the airship crew, were reported to be singing. (0:59:05)

In its reporting of the event, the San Francisco Call says, E. Wenzel, who was employed at Sheld's Brewery, claims that when it passed over him, the occupants were trolling a merry chorus, which though distant, sounded sweet and clear in the evening air. One of the witnesses reported that he couldn't quite make out the words, but the tune that he heard them singing was Just Tell Them That You Saw Me, which was a popular song at the time. (0:59:35)

It had been published the previous year in 1895. And just so you'll know what it sounded like, here's the first verse. (0:59:43)


While strolling down the street one eve upon mere pleasure bent, t'was after business worries of the day, I saw a girl who shrank from me in whom I recognized, my schoolmate in a village far away. Is that you, Madge? I said to her, she quickly turned away. Don't turn away, Madge, I am still your friend. (1:00:34)

Next week I'm going back to see the old folks and I thought, perhaps a message you would like to send. Just tell them that you saw me. She said they'll know the rest. Just tell them I was looking well, you know. Just whisper if you get a chance to mother dear and say, I love her as I did long, long ago. I also love that the witnesses heard the crew saying, lift her up quick, you're making directly for that steeple. And well, we ought to get to San Francisco by tomorrow noon. And perhaps they did. (1:01:11)

But if so, they apparently came back to Sacramento because they flew over it again six days later. Alan Danilek reports. The mysterious light seemed to enjoy a certain notoriety that made it difficult to ignore, especially when it decided to make a repeat appearance, this time not only over Sacramento, but in the largest city in the state, San Francisco. And what was to be even more remarkable this time, it would make its presence known over both cities, separated by a distance of nearly 90 miles on the same night. (1:01:49)

The evening of November 22nd was a night very much like that of the 16th, overcast and cool, but drier and with a light but persistent wind. As it had only a week earlier, the light again appeared over Sacramento shortly after dusk. The only difference being that this time it appeared in the northwest skies rather than the eastern sky. And even more interestingly, it appeared to be moving steadily against the prevailing light winds rather than being driven along by them. (1:02:19)

Fortunately, in that the 22nd was a Sunday evening, considerably more people were available to witness the craft's appearance, amongst them, at least according to some reports, the city's deputy sheriff and his district attorney, all of whom watched the craft for almost half an hour as it flew slowly over the city before finally disappearing over the western horizon. Had the spectacle been confined to the state capital, it would have been newsworthy enough, but the mysterious craft was not done yet. (1:02:46)

Just a few hours after being seen in the skies over Sacramento, the strange craft appeared over San Francisco, where at least according to the papers the next day, it was supposedly observed by hundreds of the city's leading citizens, including its mayor. Some witnesses even reported seeing it cruising above one of San Francisco's most famous landmarks, the Cliff House, where it was seen to use its powerful searchlight to frighten the seals on Seal Rock, sending them plunging into the sea in panic, before heading off to the northeast and disappearing into the heavy overcast. (1:03:22)

After this, the sightings continued to happen, and they spread up and down the west coast. Danelec states, it's not surprising that accounts of the mysterious airship soon began appearing in newspapers, not only in the California area, but all over the Pacific coast. To that effect, over the next few weeks, it was supposedly spotted flying over a dozen cities in California, mostly in the Napa Valley area and in and around San Francisco. On the evening of November 25 alone, it supposedly appeared over 11 different cities and towns around the state. (1:03:55)

Newspapers even reported the airship as far north as Seattle, Washington, and as far south as San Diego, making the mysterious craft appear to be capable of flying vast distances and at speeds that appeared to be well beyond human comprehension for that era. Danelec tends to assume that there was only one airship, but this also could be explained by there being multiple airships that were being test flown, which is the theory that I would tend to favor. (1:04:25)

Now, it was at this point that a new figure enters our story. His name was George D. Collins, and he was a prominent attorney in San Francisco at the time. On Sunday, April 22nd, the San Francisco Chronicle published a story under the headline, A Lawyer's Word for That Airship. It read, in part, There is a San Francisco attorney, George D. Collins, who asserts that the airship exists, that the inventor is his client, that the strange craft sailed without mishap from Oroville to San Francisco, that it did pass over Sacramento on its way to the bay, and that within a few days, this invention, which is the solution of one of the world's oldest and toughest problems, will be navigated in daylight so that all San Francisco may see it, and that it will circle and rise and sink over the central part of the city. (1:05:15)

Attorney Collins, who occupies offices on the second floor of the Crocker Building, was seen about the matter at his home in Alameda last night. Just as a point of reference, Oroville, California, is a town about 150 miles north of San Francisco in Butte County. And Alameda, where Mr. Collins lives, is, of course, the location of the nuclear vessels. (1:05:38)

He said, It is perfectly true that there is at last a successful airship in existence, and that California will have the honor of bringing it before the world. I have known of the affair for some time and am acting as attorney for the inventor. He is a very wealthy man who has been studying the subject of flying machines for 15 years, and who came here 7 years ago from the state of Maine in order to be able to perfect his ideas away from the eyes of other inventors. (1:06:05)

During the last 5 years, he has spent at least $100,000 on his work. He has not yet secured his patent, but his application is now in Washington. I cannot say much about the machine he has perfected because he is my client, and besides, he fears that the application will be stolen from the patent office if people come to know that his invention is practicable. (1:06:26)

I saw the machine one night last week at the inventor's invitation. It is made of metal, is about 150 feet long, and is built to carry 15 persons. There was no motive power as far as I could see, certainly no steam. It is built on the aeroplane, that is, wing, system, and has two canvas wings 18 feet wide and a rudder shaped like a bird's tail. (1:06:50)

The inventor climbed into the machine, and after he had been moving some of the mechanism for a moment, I saw the thing begin to ascend from the earth very gently. The wings flapped slowly as it rose, and then a little faster as it began to move against the wind. (1:07:00)


The machine was under perfect control all the time. When it got to a height of about 90 feet, the inventor shouted to me that he was going to make a series of circles and then descend. He immediately did so, beginning by making a circle about 100 yards in diameter, and gradually narrowing in till the machine got within 30 feet of the ground. It then fell straight down very gracefully and touched the earth as lightly as a falling leaf. (1:07:26)

The reports from Sacramento the other night were true. It was my client's airship that the people saw. It started from Oroville in Butte County that evening and flew 65 miles in a straight line directly over Sacramento. After running up and down once or twice over the capital, my friend came right on a distance of another 70 miles and landed at a spot on this side of the bay where the machine now lies, guarded by three men. (1:07:56)

The inventor found, during this trial trip, that his ship had a wave-like motion that made him seasick. It is this defect that he is now remedying. In another six days, the trouble will be done away with, and it is then his intention to immediately give the people of San Francisco a chance to see his machine. (1:08:14)

He will fly right over the city and cross Market Street a dozen times. I cannot tell you where he is housing the ship or what his name is, as I am under the pledge of secrecy, but it is a fact that the machine does its work perfectly and will astound the world and revolutionize travel when it has been displayed before the public. (1:08:37)

The inventor can fly with it to New York tomorrow if he wants to. He has forsaken the ideas of Maxim and Langley entirely in building the machine and has constructed it on an absolutely new theory. So the key takeaways from that are that the ship's inventor was a client of Collins's. He was from the state of Maine and had moved to the area seven years earlier, around 1889. He had spent at least $100,000, or $3.6 million after all the inflation the government has caused, on developing his airship. (1:09:10)

Collins saw a private demonstration of the airship and he reported that its wings moved up and down, which was consistent with the way some airships were designed at the time. Since the lifting power of a dirigible comes from the gas it contains, you don't need to generate lift with the wings, so they play a secondary role. Tests also revealed that the ship swayed in a way that made the inventor seasick and he was trying to fix this. (1:09:35)

Although Collins didn't say so, the fact that the ship flew from Oroville in Butte County down to Sacramento suggests that Oroville is where it was built or at least was being stored, though he indicated that at the moment it was being stored closer to San Francisco. Now, as you'd expect, having a prominent local attorney say that the inventor of the airship was a client generated a lot of focus on Collins and the papers pressed him for more details. (1:10:07)

The next day, on Monday, November 23rd, the Sacramento Evening Bee ran a story that said... This morning, San Francisco Chronicle announces that attorney Collins sticks to his story concerning the airship invention and its successful test. The Chronicle reporter remarked, several people are wondering, Mr. Collins, how this inventor can house his 150-foot vessel in a barn in the vicinity of Berkeley without having the existence of such a large structure discovered. (1:10:36)

That is easily accounted for, Collins replied. The barn is not very long, but it is tacked on to an old dismantled two-story dwelling. The partitions have been knocked out, making the place practically one long room. Collins went on to say that none of the larger parts of the machine had been made in this state. (1:10:57)

They had been manufactured in various parts of the east and shipped to Oroville and Stockton, where they had been gradually put together. (1:11:01)


When pressed to give some clue to the identity of the inventor, he said, Well, I will tell you this much. The man lives on the south side of Ellis Street in the 600 block. He's six feet tall and 40 years old, has no occupation, and is possessed of plenty of money. The place he lives in is a private house where he has been for two years, making frequent trips during that time to various places to look after the construction of his airship. (1:11:27)

He keeps his own counsel, and you won't be able to discover him. I can give you no closer information. Except that was all the information the reporters needed, and they immediately discovered the apparent inventor. The column immediately continued. There are 20 lodging houses in that portion of Ellis Street described by Collins. A complete search of all of them revealed the fact that in only one was there a lodger answering to the attorney's description of the inventor. (1:11:59)

This is 633 Ellis Street, rented by E. H. Kaiser. Kaiser has for two years leased his front room to a Dr. E. H. Benjamin. This gentleman is six feet in height, about 40 years of age, and as far as his mysterious habits are concerned, Kaiser said last night, we have had him in the house two years now and don't know any more about him than we did the day he came in. (1:12:22)

He goes away on little trips every little while to Orville, Sacramento, and Stockton, sometimes staying a few days, sometimes a month. He has plenty of means and fills in his time when he is at his room and experimenting with various metals, principally aluminum and sheet copper. He is a dentist by profession, I think. I know he has friends and one relative in Orville who are experimenting on some invention or other, but what it is I don't know. (1:12:48)

He has told me once or twice that attorney Collins does his law business for him. And I have often wondered what law business a dentist in a small way would be likely to have. Dr. Benjamin's name is not in the directory nor in the list of dentists in the city. Nobody could be found last night who had ever heard of him practicing his profession. (1:13:05)

His room contains very little to show what his real business is. There are a few drawings and charts scattered around bearing trigonometrical figures, two very ancient teeth on a mantel shelf, and a litter of aluminum and copper shavings all over the carpet. According to Kaiser's statement of his late movements, he was in Sacramento twice last week. (1:13:27)

He has been out very late at night during the last month and has not been home more than a few hours in the last two days. A record that fits in seemingly with the stories of the airship's movements. Up to two o'clock this morning, Benjamin had not returned to his room and the flying machine was at latest reports being steered by his proprietor over localities several miles away from Ellis Street. So based on the information Collins gave them, the reporters were immediately able to identify the inventor as sometime dentist Dr. E.H. Benjamin. He didn't seem to be practicing dentistry at the moment, but he had plenty of money and his movements corresponded to those of the airship. (1:14:14)

In any event, we now have the last name of the possible airship related people that we'll be considering. Dr. E.H. Benjamin. And that makes six names. In addition to Dr. Benjamin, we earlier heard the names Wilson, S.E. Tillman, A.E. Dahlbehr, and Arthur Barnard, as well as John Shelby Williams, the ranch owner. (1:14:34)

What can we say about these men? Did they exist and were they plausibly related to the airships? When it comes to Marshall Williams, he definitely existed. There are multiple records of him online, but his only involvement with the airships would appear to be allowing the crews to use one or more of his ranches in Texas as hiding places. (1:14:49)


That's plausible because he was raised in Butte County, California, and Butte County is where Oroville is. And we now have information connecting the airships to Oroville, so that's at least possible. When it comes to Barnard, he was a real person and there's no doubt that he worked on airships or that he showed one at the Tennessee Centennial Exposition. However, his airship was so primitive that it doesn't match the descriptions of the ones we've been covering, so I don't think he was a likely part of the same group. (1:15:26)

He may have known of them as people involved in the same activity, but his appearance seems to be more of a coincidence to me. Our two most promising names, because of how specific they are, are S.E. Tillman and A.E. Dallbear, and both of these men were real and are easy to find records of online. S.E. Tillman was Professor Samuel E. Tillman. He was born in Tennessee in 1847 and he graduated from West Point in 1869. He eventually returned to West Point as a professor of chemistry, mineralogy, and geology. (1:16:03)

He then became superintendent of the U.S. Military Academy and upon his retirement he was promoted to Brigadier General. A.E. Dallbear was Professor Amos E. Dallbear. He was born in Connecticut in 1837 and he received his PhD from the University of Michigan in 1883. He served as a professor of natural sciences at several universities and he taught subjects like chemistry, physics, and astronomy. (1:16:36)

He's famous for publishing a formula that let you tell the air temperature from the rate at which a cricket chirps. This is known as Dallbear's Law and it was mentioned on the TV show The Big Bang Theory. What's that? Sounds like a cricket. Hang on. Based on the number of chirps per minute and the ambient temperature in this room, it is a snowy tree cricket. Oh, give me a freaking break. How could you possibly know that? (1:17:08)

In 1890, Emile Dallbear determined that there was a fixed relationship between the number of chirps per minute of the snowy tree cricket and the ambient temperature. A precise relationship that is not present with ordinary field crickets. The details in that aren't all correct, but you get the idea. Concerning Dallbear's achievements, Michael Busby writes, Among the inventions that he has perfected are the electric gyroscope used to demonstrate the rotation of the earth in 1867, tuning forks for the exhibition of Lissajous curves in 1872, and the opetoscope for the exhibition of vocal vibrations. (1:17:46)

In 1873, he began to study the convertibility of sound into electricity. And in 1876, perfected and patented his magneto-electric telephone, the basis for his lawsuit against Alexander Graham Bell for patent infringement. And the static telephone in 1879. He published The Art of Projecting, 1876, The Speaking Telephone, 1877, and Sound and its Phenomena, 1885. In 1882, Professor Dallbear communicated over a distance of a quarter mile without wires. (1:18:18)

This fact is particularly noteworthy because it proves Professor Dallbear preceded radio pioneers Hertz and Marconi. Professor Dallbear received a U.S. patent for a wireless telegraph in 1882 and obtained a patent for an induction method of a wireless telegraph in 1886. So he was quite the inventor, and it's plausible that both Tillman and Dallbear could have been involved in the airships. (1:18:49)

Commenting on reports that some of the airships used electric batteries to power their propellers, Michael Busby writes, Note the identification of the storage batteries as the source of electricity. (1:18:57)


Mode of power is again identified as electrical motors fed by storage-age batteries. Dallbear and Tillman were university professors with a professional interest in electricity and batteries. Amos E. Dallbear was a professor at Tufts University in Medford, Massachusetts. He was close confidant and friend of Moses Farmer, who between 1864 and 1868 perfected a thermoelectric battery. And in 1868, he constructed the largest one ever built for the deposition of copper upon steel to produce the American compound telegraph wire. (1:19:35)

During the years of 1860 to 1863, Moses Farmer developed alloys of aluminum with copper and other metals. In September 1859, Moses Farmer discovered the law of what is now called self-exciting dynamo and between that time in 1866 built the first dynamo machine, an invention which, says Professor E. E. Dallbear, has made possible all the electrical industries of today. (1:20:01)

Captain Samuel S. Q. Tillman was a professor of chemistry at West Point Military Academy from December 23, 1880 until his appointment as the academy's superintendent in 1917. Professor Tillman authorized the textbook Elementary Lessons in Heat and Essential Principles of Chemistry. So, these two guys could plausibly be interested in airship development and they could have ended up on an airship together when it was seen in Stephenville, Texas. And we have confirmation of that from another source. (1:20:33)

After Tillman and Dallbear gave their names in Stephenville, the airship was seen again in New Orleans, Louisiana. And according to a story printed in the New Orleans Daily Picayune on Wednesday, April 21st, reporters in New Orleans checked to see if Tillman and Dallbear might be staying in their city. They discovered that they were registered under their names in a local hotel and the paper sent cards to their rooms, apparently looking for interviews, but they didn't respond to the cards, as you'd expect of secretive inventors who didn't want to be interviewed. (1:21:17)

But their names were on the register when there had just been an airship sighting in New Orleans, and that suggests that they were traveling together. The next name on our list was Wilson. That doesn't sound promising as there are lots of Wilsons in the United States. True, however, since Mr. Wilson gave his name so that he could be mentioned to his friend C.C. Akers, it should at least be his real name. (1:21:42)

And C.C. Akers confirmed that Wilson was real, that he had been working on airship designs, and that he'd known him back in 1876 and 77 in Fort Worth. Akers also said that Wilson had been about 24 years old at the time, which would mean that he was born about 1850. Sheriff Baylor also reported that he was told that Wilson's airship originated in Goshen, New York. There's also another airship account in which it was said that one of the investors in the airship was a native of New York named Hiram Wilson, whose father was Willard H. Wilson. So we're looking for a Hiram Wilson, son of Willard Wilson, who was born about 1850 in or near Goshen, New York. And Michael Busby found one. (1:22:33)

By comparing census records and Civil War service records, he was able to identify a specific Willard H. Wilson who was from New York, who he thinks was the father of Hiram. He also found records of Hiram Wilson. And the two apparently moved from New York to California after the war between the states and then spent time in Texas in the 1870s. So we have a plausible identification. (1:22:59)

What about Dr. E.H. Benjamin? What can we say about him? (1:23:03)


Our final manhunt is really interesting and not so much because of the question of whether he existed. For reasons I can't fathom, Alan Danilek says in his book that we don't have any proof that Benjamin existed. But in Michael Busby's book, he cited all kinds of records for Benjamin. And Danilek recommends Busby's book, even though he comes to some different conclusions. So I assume he read the Busby book and saw all those records. (1:23:34)

I have no idea why Danilek says we don't have proof of Benjamin's existence. But just to be sure, I went looking myself. And not only is Dr. Benjamin, whose fuller name, as given by the papers, was Elmer H. Benjamin, mentioned all over the place in the newspapers. He was even interviewed by reporters. But I found additional records of him existing. (1:24:01)

For example, I found a notice in the San Francisco Chronicle from July 13th, 1899, announcing the awarding of doctoral degrees in medicine and dental surgery. And Elmer H. Benjamin is right there and listed as being awarded a doctoral degree in dental surgery. And since these were being awarded in San Francisco, that means we have a dentist in San Francisco named Elmer H. Benjamin. So he apparently took up the practice of dentistry again and got an advanced degree in it. (1:24:33)

Between that and all the other records of him I've seen, I consider Dr. Benjamin's existence certain. The question then would be whether he had anything to do with the airships. Yes, and this is where it gets really interesting. If, as George Collins implied, Benjamin was his client whose identity he had promised not to reveal, but Collins revealed enough details to let reporters figure out who he was, then you'd imagine Benjamin would be really mad about that. (1:25:07)

Well, on Tuesday, November 24th, the San Francisco Call published a piece in which they poked fun at Collins for a sudden reversal he'd made. Yesterday, he either had a visit from the irate inventor and an order to quit talking, or else he has just been aroused from a hypnotic condition into which some unknown plunged him a week ago. (1:25:30)

Like Charles Dickens' character from Bleak House, Little Joe, he don't know no think about no think. He indignantly repudiates the insinuation that there ever was an airship, and as for his having seen such a thing fly, the very supposition is ridiculous. There certainly was a man who visited him a few days ago with some talk about a flying machine and a patent and a model, but beyond that, he's not aware of anything in connection with the matter. (1:25:55)

He never sent any airship application to Washington, and in short, any man who says he did is a liar and a son of a liar. Mr. Collins thinks it an insult to connect him in any way with anything so vulgarly improbable as an airship. He is sorry to have to tell two or three hundred people who have listened to his statements that they are, well, storytellers, but he can say no other way out of it. (1:26:17)

On Sunday, the following scrap of conversation passed between two persons. Mr. Collins, on your word of honor as a professional man, have you seen this airship in successful operation? Yes, I have. But Mr. Collins was evidently in a trance at the time, for he doesn't now remember a word about it. So anxious is Mr. Collins to undo the wonder he has worked that he now declares his positive belief that no successful airship has ever been constructed. (1:26:47)

When he took a retainer from his client last Thursday morning, Collins says he instructed the inventor to provide him with a model. Promising to do so, the inventor left and has not since returned. So Collins' story has completely changed, and Benjamin, now that the press has identified him, also indicated that he had nothing to do with the airship. (1:27:11)

The story continued. Benjamin talks, is inconsistent, but refuses to father the invention. Dr. E. H. Benjamin, the man who was either by chance or for a purpose been suggested as the inventor of the airship, was seen at 633 Ellis Street last night by a call reporter. He had retired and was asleep but arose, partly dressed, and cordially invited his late visitor into his room, a large single bedchamber at the front of the boarding house and with a bay window overlooking Ellis Street. Dr. Benjamin is a sinewy-built man, above the average height, and with a large mustache and brown hair and grey eyes. (1:27:46)

He frankly denied having any connection with or personal knowledge of an airship, but his avowals of willingness to impart the information were it his to give, were not consistent with his acknowledgements that a man with so very valuable an invention, not completely perfected and not yet securely patentable, would be justified in lying in a straightforward manner in order to divert from himself all attention that might result in his being persistently followed. (1:28:12)

And the whereabouts and design of the flying device made known. Benjamin said, in effect, I'm not the guy and I'd tell you if I were, but I'd also be justified in lying to you if I were. So, that doesn't particularly inspire confidence that he's telling the truth in this interview. The article went on to say, during a long conversation, he said in part, I'm a dentist and have been for 12 years. I am 34 years old and a bachelor. (1:28:39)

I have a married uncle in Placerville. His name is F.W. Benjamin and he is a practicing physician of some means. George Collins is my attorney, for I have known George for a long time and whatever little law business I have wanted done, I have had him do it. I saw him today and he laughed heartily when I told him that they had me as the inventor of the airship. (1:29:01)

He is a shrewd fellow, while I only wish I was the inventor, but I'm inclined to think I would be afraid to go up on it. (1:29:07)


It is true that I am an inventor, but along other lines. My inventions have to do with dentistry and consistent patented crowns and bridges for teeth and a reducer to draw the gold bars and making gold caps without seams. Then I have a number of other little dental inventions. Since my name appeared this morning in connection with this affair, my friends have joshed me a good deal about being the inventor and I have told some of them that they may have a ride with me tomorrow if the night does favorable. (1:29:38)

I have given some thought to the possibility of inventing an airship. I firmly believe that there is an airship somewhere near here and that it will not be long before the public sees it. So he says no I'm not the inventor, but he admits he's thought about the possibility of inventing one and he believes there is an airship in the area and that it will soon be seen by the public. (1:30:03)

And in view of his admission that he would be warranted in lying if he was the inventor, all of that is consistent with a temporary set of lies in which he's laying the groundwork for eventually announcing himself as the inventor. Why shouldn't we take him at his word that he's not the inventor? Because it's really hard to explain George Collins' earlier claims on this theory. Collins previously indicated that he had seen the airship in flight. (1:30:27)

He gave a very vivid, dramatic account of having the inventor personally give him a demonstration of it. He said he filed a patent application on the airship. He also gave lots of specific details about the inventor. And they pointed squarely at Dr. Elmer Benjamin, who admits he's an inventor, just not of this. (1:30:53)

Yet now, Collins says he's never seen the airship or even a model of it. He hasn't filed a patent application and is waiting to see a model from the inventor. That he apparently just met the inventor last Thursday and that none of the details that he gave that pointed to Benjamin apply to the actual inventor. (1:31:13)

It's really hard to see how all that could just be a misunderstanding, which suggests that what really happened is what the San Francisco call suggested. He let too much slip and he had a meeting with the irate inventor who told him to shut up and take the heat off of him as his client. And then Benjamin apparently did something unexpected. On Wednesday, November 25th, the San Francisco Chronicle ran a story under the headline Venus and Mars Under Suspicion. The article was a light-hearted mocking one in which the paper made fun of both Collins and Benjamin. But in the middle of all the mocking, the Chronicle dropped this bombshell. (1:32:06)

Benjamin came into the Chronicle office yesterday and said that he wanted to throw off the mask. This continued deception was killing him. He was the inventor of an airship and had been working on the proposition for seven years. He had the whole thing nearly ready for the public and was only waiting to perfect a few details before springing it on an anxious world. (1:32:22)

The Chronicle apparently didn't believe him because they just kept on mocking. (1:32:26)


But Benjamin apparently admitted to a newspaper that he was the inventor. This didn't mean that he wasn't mad at Collins, though, because he apparently fired George Collins and got a new attorney. The same day, on Wednesday, November 25th, the San Francisco Call ran a story which stated Ex-Attorney General W. H. H. Hart now has charge of the destinies of the airship, which has hitherto been under the legal wings of Attorney George D. Collins. The reason for the change is said to be due to the loquacity of Mr. Collins. The inventor, who is said to be extremely desirous of maintaining his incognito, thinks that Collins talked not wisely and too much. (1:33:10)

And that's only explainable on Collins' first story, where he gave a lot of details about the inventor and that would make Benjamin the inventor. Collins' second story was just badly executed damage control, so Benjamin got a new and more prestigious attorney, a former Attorney General. And William Hart went on to say... There are two inventions and they are very much alike. (1:33:37)

One was perfected in the East and the other in California. I have been concerned in the Eastern invention for some time personally. The idea is to consolidate both interests. I have seen the machine invented in the East and I am convinced it will work all right. And from what I have been told, I don't see any reason why the machine invented in California cannot be worked. (1:33:55)

So that would confirm the multiple airship theory and explain why we've been hearing reports of inventors or investors from both the East and the West coasts. Hart also went on to describe the function that the airship would be put to. My plan of operating this invention requires it to be kept as secret as possible. I propose to use it wholly for war purposes and within the next five or six months it will be put to the test. (1:34:27)

From what I have seen of it, I have not the least doubt but that it will carry four men and 1,000 pounds of dynamite. Before it is brought into practical use, however, two important modifications must be made. It must be so constructed that if it should be injured while over a body of water and drop, it will float like a boat. (1:34:44)

The bottom will also have to be protected so that the cylinder cannot be penetrated by rifle bullets or weapons of small caliber. Because we expect to use it for war purposes is the reason I will not give the names of the persons who are interested in it. We don't want to be arrested as filibusters on the first trial of the machine. (1:35:05)

From what I know of it, I am quite convinced that two to three men could destroy the city of Havana in 48 hours. This machine is being tested in California owing to the favorable character of our climate. So there's our connection back to the Cuba story that we heard about last episode, that one or more of the airships were going to be used to bomb the Spanish forces in Cuba during the Cuban War of Independence and the forthcoming Spanish American War, which we discussed back in episode 151 on Operation Northwoods. We also talked about military filibusters and what those are back in episode 255 on the Knights of the Golden Circle. The call also got word from another source about the identity of the inventor. (1:35:48)

One source apparently told them that it was a doctor named Caitlin or Catlin who had been assisted by Dr. Benjamin. However, this may be mistaken and I haven't seen any evidence that Dr. Catlin existed. (1:36:00)


But on the same page, the call carried an interview with another man, a Dr. C.A. Smith. And Smith says he can't say that he's seen the California airship, but he's working on one that will be ready for testing next April and tour the country. Dr. Charles A. Smith was a real man and he was an airship inventor. (1:36:36)

On August 11, 1896, a few months earlier, he had been awarded patent number 585803 for an airship design that matches the one described in the call. And since he said he would be making a transcontinental journey in April of 1897, well, that was the month that the airship sightings peaked in phase two. So it's very possible that he was one of the inventors who was active during that phase. (1:37:09)

So we may have uncovered another name of someone connected with the airships. If what William Hart said about using an airship to bomb Havana in a war was really their intent, that raises a possibility you mentioned last episode. Could this have been part of a secret government project? It's possible. (1:37:34)

Now the government does way more classified military research than it did back in 1896, but it did have secret military projects back then. And the planned military use of an airship could be a hint that this was part of such a program. So too could be the fact that one of the people involved was Samuel E Tillman, the scientist from West Point. He was an active military officer and his involvement in the 1897 airships could signal that they were part of a military project. (1:38:07)

Then there's the fact that on Tuesday, April 27th, the Austin Daily-Statesman reported on a sea expedition that had just left and was taking arms down to Cuba. And one of the things they reported it to be taking was, quote, an experimental flying machine adapted to the use of dynamite, close quote. So that sounds like the government may have been involved in researching military airships. (1:38:38)

Do you see any arguments against the idea that this was part of a secret government project? The most obvious one is the fact that William Hart said he wasn't revealing the inventor's identities because they didn't want to get arrested as filibusters while they were still testing the machines. That would suggest that they were planning an extra legal activity that the government was not part of. (1:39:03)

He also indicates that they had a highly commercial motive and expected to be well paid for their activities. He estimates that they would make $5 million or $180 million today in just six months. So they apparently expected to be handsomely paid by somebody, perhaps grateful Cubans. And with all that money, they could retire anywhere in the world they wanted or just bribe their way out of any legal trouble for conducting a military filibuster. (1:39:34)

However, all of that also could be part of a cover story. So I consider it uncertain whether this was part of a government project or not. Even if military men like Professor Tillman were involved, that doesn't mean it was authorized by the government. (1:39:46)


We now come to our final question from the reason perspective, which is why the airship flap of 1896 and 1897 ended. If these were human inventors, we can't chalk up their behavior to the mysterious, inexplicable ways of aliens. So if it was a military project, why didn't they bomb Spanish forces in Cuba? And if it wasn't a military project, why didn't they announce their marvelous new invention to the world? Well, I've seen it suggested that it's possible they really weren't interested in publicity, that the two phases of the flap could have just been a big joyride, you know, aeronauting festival for an inventor's club. (1:40:31)

But this isn't consistent with the numerous statements that they planned to reveal their airships publicly or with the way they seem to court publicity. It looked like they were building up to something, whether that was building up to attracting wealthy financial backers who would invest in them to start a new commercial air travel conglomerate, or whether it was showing what they could do to wealthy financial backers who would pay them to bomb Spanish forces in Cuba. So the fact that they didn't do either of these things suggests that something stopped them. (1:41:08)

And the question is, what? One suggestion I've seen, just as a possibility, is that they were bought out by the railroad barons. Almost all passengers and a lot of freight are shipped today by the airline industry rather than by the rail industry. And you could foresee that this would happen if we got the problem of aerial navigation solved. (1:41:35)

So when the railroad barons realized that airships would crush their business, they bought out the inventors and convinced them to keep their design secret, only to have the Wright brothers smash everything a few years later with the invention of powered flight. The problem is that this explanation is entirely speculative. I'm not aware of any evidence for it. (1:42:01)

But I am aware of evidence for another thing that could have stopped them. And it's illustrated by this story from Tuesday, April 13th, in the Detroit Evening News. Went to smash airships said to be scattered over Kalamazoo County, Carlsberg, Michigan, April 13th. If reports from Pavilion Township are true, then the much-talked-of airship was not only a reality, but is now a thing of the past. (1:42:24)

George W. Summers and William Chadburn, old soldiers, claimed to have seen the airship on Sunday evening, April 11th, when they remained up until a late hour in attendance upon a sick course. The descriptions given by the Patriots are somewhat at variance, but agree in the assertion that the apparition was illuminated at both ends and plowed through space with wonderful rapidity. They had scarcely time for the above observation when a dull explosion was heard and the object disappeared. (1:42:55)

They declare the report to have been like that of heavy ordnance and to have been immediately succeeded by a distant sound of projectiles flying through the air. Wondering neatly, they proceeded to the house where they passed an excited and sleepless night. While these two men are the only ones who claim to have witnessed the phenomenon, there are many corroborating circumstances as follows. (1:43:15)

Mr. and Mrs. Wallace say they heard the explosion distinctly but thought it was thunder. But the discoveries of the morning were sufficient to establish the veracity of the two actual observers, the two old soldiers. In one place, two miles from Scott's, there was found part of some electric appliance. At another point a propeller blade of some very light material was found in a partially fused condition. (1:43:42)

Three men engaged in shingling a barn in Comstock Township affirmed that, upon resuming work on the morning following the occurrence, they found their completed work strewn with minute fragments which had in some instances penetrated the shingles and entered the boards beneath. Whatever may be the theories, there is scarcely a doubt that the aerial stranger is gone forever and that its origin and the experiences of its crew have to remain forever a mystery. (1:44:10)

And this wasn't the only story like that. There's one account of an airship in Meade, Washington being found abandoned on the ground after it broke down. And there are other stories of what were either definitely or possibly airships crashing and exploding. And remember, all this was brand new technology. Even if the principles had been around for a while, it hadn't been put together this way before. (1:44:35)

And that's why the crews were often seen on the ground doing repairs to their airships. So maybe what we could call the Hindenburg problem happened to this first group of airships. We discussed the Hindenburg disaster back in episode 189, so you can go back and listen to that for the details. But basically, maybe some or even all of the airships blew up because of the hydrogen they were using, since helium wasn't available in quantity yet. (1:45:06)

Or maybe they otherwise broke down. And it was enough to convince the inventors that this technology was not yet ready for prime time. So they quietly backed off from the project to save face. And that's what you'd expect them to do if they were conducting airship tests and experienced multiple, sometimes catastrophic failures that killed men working for them who were part of their crews. (1:45:32)

I think that this, more than anything else, is the likely reason they never publicly announced their new airships. Finally, is there anything to say about the 1890s airships from the faith perspective? Not really. This is a story of science and technology, and there's nothing wrong with building airships. The inventors were just pioneers who didn't have all the bugs worked out yet. That means they took risks, but innovation involves risk, and you can't always foresee how much risk you're undertaking with a new venture. (1:46:04)

However, as we discussed in episode 208 on time travel prayer, we can still pray for everyone involved in this project, including those who lost their lives or appeared to have lost their lives when the airships failed, as well as for those who survived. Jimmy, what's your bottom line on the mystery airships? I think the airships were likely real, and that we've identified at least some of the men who were likely behind them. (1:46:28)

Dr. Elmer Benjamin, Dr. Charles A. Smith, Professor Samuel E. Tillman, Professor Amos E. Dahlberg, and Hiram Wilson are all plausible candidates. I think that this may or may not have been part of a government project, and I think that we've identified the most likely reason that it failed, which was the failure, and sometimes catastrophic failure, of multiple airships when they were put to extensive testing. So I think we've likely solved the secret origin of the mystery airships. (1:47:01)

And what further resources can we offer to the listeners? (1:47:05)


We'll have a link to Michael Busby's book, Solving the 1897 Airship Mystery, and J. Allen Daniluk's book, The Great Airship of 1897. Also, Carlos Allende's book, Close Encounters of the Phantom Kind, the Ghost Airship Wave of 1896 to 97, in the news. We'll also have a link to a video of that popular song, Just Tell Them That You Saw Me, and also information about Dahlberg's law involving crickets. (1:47:39)

So that's it from us this time. What are your theories about the secret origins of the 1890s mystery airships? You can let us know by visiting sqpn.com or the Jimmy Yatkins Mysterious World Facebook page, sending us an email to feedback at mysterious.fm, sending a tweet to at mys underscore world, visiting the Starquest Discord community at sqpn.com slash discord, or calling our Mysterious Feedback Line at 619-738-4515. That's 619-738-4515. And I want to say a special word of thanks to Oasis Studio 7 for the video and animation work on this episode. (1:48:22)

Be sure to check out what they do on my YouTube channel, which is youtube.com slash Jimmy Akin. While you're there, like and comment on the videos, so that tells YouTube that you were interested in it, and therefore other people would be interested as well. So the algorithm will share it with them and you can help grow the channel just by liking and commenting on the videos. (1:48:45)

Also, I am trying to grow the channel and I'd really appreciate it if you would subscribe and hit the bell notification so that you always get notified whenever I have a new video, whether it's Mysterious World or one of the others that I put up. And Jimmy, what's our next episode going to be about? Next week, we're combining our two tongue-in-cheek sayings here on the show. (1:49:07)

It's always aliens and it's always demons. Some people think that UFOs must be demonic phenomenon and they reject the hypothesis that they might be from other planets or other physical dimensions. So next week, we'll be asking the question, is it always alien demons? First though, since our look at the 1890s airship mystery involved a lot of newspaper research on my part, here are some ads from the 1896 and 97 newspapers that I read. (1:49:33)

Hosteters celebrated stomach bitters. Good blood full of vitality comes from the use of Hosteters stomach bitters. It cures dyspepsia, indigestion, and constipation. See that a private revenue stamp covers the neck of the bottle. Butter and egg problem solved. These are the days when it's hard to get butter and eggs that are fit to eat. The next time you want good butter and eggs, try us. (1:49:59)

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Address may be changed as often as desired. Keep up with home affairs. New exchange. It will soon be the pleasure of residents of Oak Cliff to know that the musical Hello, which greets them when they use their telephones, comes from their side of the river. Manager Farnsworth of the telephone company announced yesterday that the branch exchange, the erection of which was begun some weeks ago, will be completed and in use before the end of week. It is at the corner of Lancaster Avenue and 10th Street and will furnish faculties for 200 to 300 subscribers. (1:54:04)

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(2024-11-13)