道徳は客観的真理などではなく、「行動規範に関する美意識」
· 約37分
前置き
以下、誰も興味を持てない内容なので skip 推奨。
何が問題か?
商人道や武士道は道徳なのか? なぜ、ヤクザやギャングといった犯罪集団の中ですら独自の道徳意識(=例:任侠道)が発生するのか?
道徳がその根幹に抱えている偽善性(さらには「道徳の非道徳性」という自己矛盾)は何に由来するのか?
こういった疑問を解くのが、タイトルのような私の仮説。
正体が不明なもの(道徳)を別の正体不明のもの(美意識)で説明するという筋の良くない仮説だが、「道徳は客観的真理」と言い張る従来の哲学的見解よりは、若干マシ…な筈。
この仮説を更に別の AI で俯瞰し整理した対話があるが、それは後日の別の記事で取り上げる。
対話
Me:
イギリスの現代哲学者 Derek Parfit について解説して。彼を何も知らないという前提で説明して。
AI(Claude 3.7 Sonnet)
デレク・パーフィット:外向的な歴史学生から隠遁的哲学者へ
デレク・パーフィット(Derek Parfit, 1942-2017)はイギリスの現代哲学者で、特に道徳哲学と個人のアイデンティティに関する思想で知られています。
初期の人生と変化
パーフィットは元々、社交的で優秀な歴史学専攻の学生でした。オックスフォード大学で歴史を学んでいた彼は、学業面で非常に優れた成績を収めていました。しかし、彼の人生は大きな転機を迎えます。
道徳的問題、特に「私たちはどのように生きるべきか」「人格とは何か」という根本的な問いに強く惹かれるようになったのです。この関心が彼を歴史学から哲学へと導きました。