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Bart Ehrman : イエスの死後、信者が幻覚でイエスを見た → イエスが蘇ったと解釈した

· 約10分

前置き

過去記事

Bart Ehrman の講演 : 「イエスが神と見なされるようになった歴史的経緯」の解説

の講演からタイトルの件に絞る。原文は上の記事に付けた。

コメント 1

Bart Ehrman は

  • 「キリスト教の弁明者たちは、プロテスタントばかりで」

というが、もちろんカトリックの apologist (護教論者、弁明者)もいる。

大半はカトリック教会の公認機関として活動しているが、少数ながら個人の名前で活動しているものもいる。Jimmy Akin もその一人で 30年もプロの apologist を務めており、彼の動画は 900万回近くも視聴されている。他にも Scott Hahn や Trent Horn などの名前が浮かぶ。

コメント 2

キリスト教には apologist がいるが、もちろん仏教にもいる。多くの仏教学者や仏教哲学者がそれに相当しており、著作などで「啓蒙」活動をしている。

問題は、Bart Ehrman のようにキリスト教神学者でありながら、キリスト教を否定するような、仏教学者・仏教哲学者が存在しないこと。

仏教を否定する仏教学者・仏教哲学者が存在しないことは、スケールの大きな仏教学者の不在を示唆している。2,500年もの間、皆で綻びの修復を重ね、重箱の隅をつつき続けてきた。もういい加減に、その重箱をひっくり返しすべき頃合いだろうに。

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私はこの本の中で、イエスが死からよみがえったと人々に思わせたのは、 イエスに従った人たちの何人かが、その後イエスの幻を見たからだ、と 主張している。 彼の信奉者の何人かは、その後、彼の幻を見た。 これは、無宗教者や無神論者だけでなく、信仰を持つ人々にも有効な説明です。 信仰のある人々は、弟子たちがイエスの幻を見たのは、イエスが死からよみがえり、彼らに現れたからだと言うだろう。 (0:32:58)

復活を信じない人々は、復活を信じた人々が見た幻は幻覚だと言うだろう。 そこで私は、幻覚について私たちが知っていることについて、本の1章を使って話しています。 興味深いことに、幻覚には最も一般的なものが2つある。 ちなみに、私たちの8人に1人は幻覚を見ている。 私たちの8人に1人は、本当に信じられるような鮮明な幻覚を見たことがあるか、これから見るでしょう。 (0:33:27)

そして最も一般的なタイプが2つある。 一つは、亡くなった愛する人の幻覚です。 祖母が亡くなって2週間後に、寝室で祖母を見るのです。 よくあることです。 ただ見るだけでなく、声が聞こえたり、時には話したり、触れたりすることもある。 物理的にその人の存在を体験するのです。 よくあることです。 その他によく見られるのは、尊敬する愛する人です。 (0:33:53)

すみません、尊敬する愛する人ではなく、尊敬する宗教家です。 尊敬される宗教家。 キリスト教の擁護者たちに、集団幻覚など存在しないと言われたことがあります。 つまり、イエスの幻覚は、多くの人が同時に見たので、集団幻覚はありえないので、うまくいかないというのだ。 まさに、キリスト教の弁明者たちは、プロテスタントばかりで、集団幻覚はあり得ないと主張したがるのだ。 (0:34:21)

まさにこれらの人々は、聖母マリアが一度に何百、何千もの人々の前に現れたことを否定する人々である。 なぜ彼らは否定するのか? 彼らはそれが起こったと信じていないからです。 しかし、もしそれが起こったと信じていないのであれば、彼らは集団幻覚を信じることになる。 なぜなら、それは非常によく記録されているからだ。 つまり、集団幻覚を信じるか信じないかだ。でも両方はあり得ない。 (0:34:50)

興味深いことに、最もよく見られる幻覚は、亡くなった愛する人の幻覚と、尊敬する宗教的人物の幻覚です。 だから、彼の信奉者たちが彼の幻覚を見たとしても驚くことではない。 私もそうだと思う。 だから、イエスに従った人たちは、イエスはもう死んでいないと思うようになり、イエスがまだここにいないことを知ったのです。 (0:35:22)

つまり、彼らはイエスが臨死体験をしたとは考えなかった。 彼の肉体がここになかったから、彼の肉体が生き返ったのではないのだ。 イエスがガリラヤに戻ったのは、再びファリサイ派の人々と論争を始めるためではなかった。 カファルナウムに戻ってあれこれするわけでもない。 彼はここにはいない。 (0:35:42)


さて、死からよみがえられたのを私たちが見たのに、ここにおられないとしたら、どこにおられるのでしょうか? 天に召されたに違いない。 それで、彼らはすぐにイエスが天に召されたと考えた。 誰かが天に召されたと考えたら、古代の人はどう思うだろうか? その人が神の存在になったと考えるのだ。 (0:36:02)

それがイエスが神であるという考えの始まりです。イエスがよみがえったと考えるやいなや。 新約聖書自体にも、イエスを神と呼ぶことの意味について異なる理解をしている著者がいる。古代の世界では、イエスが神と呼ばれるには3つの方法があったと言ったのを覚えていますか? そして、この3つの方法はすべて、異なるクリスチャンによってイエスに適用されている。新約聖書には、イエスがよみがえられたときに神とされたと考えるクリスチャンがいる。つまり、彼は神の領域に昇格したのだ。 (0:36:41)

講演動画(1:06:51)

Bart Ehrman Freedom From Religion Foundation Lecture

www.youtube.com/watch?v=sAsQULGs1kU

動画概要欄

182,900 views 2014/08/13 Here's Bart Ehrman's Freedom From Religion Foundation Lecture in Raleigh, NC in 2014. At the end I included a short interview I did with him for the "Openly Secular" Campaign by RDF and FFRF. I only had ten minutes for the interview so didn't have time to discuss his work more broadly, but hope to in the future.

Directed by Scott Burdick, author of “Nihala”

(2025-01-01)