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Leo : 自身の二度目の「悟り」体験を語る

· 約131分

前置き

この動画については遠い昔の過去記事、

Leo : 最近、二度目の悟りを体験した。その状況と内容を克明に語ろう (2016-04-26)

で取り上げた。この動画を今回は AI(=NotebookLM) で整理した。

私の評価

彼の悟り体験がどうのこうの…という部分は、どこにでもある意識変容時の体験報告であり、その実質は―― DTM/LSD 摂取で体験した幻覚と同様に――物珍しいだけで無内容・無価値だが、以下の証言部分は注目に値する。

注目箇所 1

  • Leo氏は「遍在」を、自分自身が「空間そのもの」であるかのように説明しています。通常の視点は「世界を移動するカメラ」だが、新しいモデルでは「あなたは粒子ではなく、空間そのものであり、空間全体に均等に分布している」と表現しています。これは「360度のカメラ」のようなイメージです。
  • この瞬間、「完全な静寂、完全な平和」が訪れ、「視覚野が均衡し、均等になった」と述べています。通常の視覚野が「カメラにすべてが収束する」のに対し、この状態では「すべてが本来あるべき場所にそのまま存在する」ようになり、「カメラが円錐形から360度の球体になった」かのように感じられました。
  • 彼は「すべてになった」と感じ、「木々になり、雲になり、地面になり、すべてになった」と表現しています。

この部分は、OBE や臨死体験で数多く報告される

  • 360度の視野
  • 周囲や万物との「神秘的融即」

の発生機序が「正常から逸脱した歪んだ意識状態」の産物であることを示唆している。

逆に言えば、「正常から逸脱した歪んだ意識」であるがゆえに取り巻く周囲の世界も自身の意識状態それ自体も正しく認知できず、歪めて認知する。その歪めて認知した世界が「悟りの世界」として立ち顕れてくる。

この意味で、悟りに関する様々な言説や解説が無数に世の中に出回り、まさに汗牛充棟の状況だが、どれも「歪んだ認知」を「超越した意識が捉えた自己と世界の本質」だと履き違えている。それほどまでに、人間の超越願望は強烈。

注目箇所 2

  • 自己の感覚の変容: 以前は「目の奥、頭の中にいる」と感じていた自己の「点」が、「頭の上約30センチ、頭の後ろ約30センチのところに浮いている」ような感覚になったと述べています。これは「同時に遍在でありながら、全体を眺めている」ような状態でした。

この部分も、OBE や臨死体験で無数に報告されてきた「主観的な自己の視点の肉体からの遊離感覚」の初期的・萌芽的な認知だと思える。つまり、歪んだ認知という点で共通した機序がある筈。