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Michael Schratt:墜落 UFO 回収事例の解説講演:文字起こし+和訳

· 約243分

要旨

先月(2024-07-06)に開催された Michael Schratt の講演動画で、テーマは様々な墜落 UFO 回収事例の集大成となっている。

Michael Schratt の 解説/講演 の特徴は華麗な CG イラストだが、今回もそれが生かされている。

動画(1:47:47)

Michael Schratt - Lecture on UFO Crash Retrievals - 7/6/24

www.youtube.com/watch?v=20HpJ3L2lOw

動画概要欄

6,600 views Jul 25, 2024 06JUL2024 - Michael Shratt discusses information of his studies of several different UFO crash retrievals. Shot by Steve Laub. Edited by Tommy McIntosh.

FasterWhisper AI(large-v2 model) + DeepL(2024-07 model)

今夜はありがとう。本当に感謝している。私たちは少人数の親密なグループだ。 急ぐつもりはない。ゆっくりと進めていくつもりだ。ひとつひとつケースを見ていく。 すべて時系列順だ。参考資料、書類、ドキュメントを提供するので、自分でこれらのケースを検証してほしい。今日、このような機会を与えてくれたルディと奥さんに感謝したい。 (00:00:26)

そして今日の午後に私がしたいことは、基本的に、レナード・スプリングフィールドの墜落回収冊子の中で最もミッション・クリティカルなケースのいくつかを簡単に紹介することだ。 この状況報告書は7つ作成され、ルディと私はこの3年間、この報告書に取り組んできた。 たくさんの情報がある。さっそく始めたいのだが、この講演のタイトルは「Lots of information to go through」だ。 (00:00:53)

先に始めたいが、この講演のタイトルは「第三種の回収、宇宙衝突、死体、隠蔽工作」だ。 これがこのプレゼンテーションの名前だ。 ここから始めたい。UFO墜落の奪還、それはUFO学の究極の聖杯である。 さて、なぜUFO学の究極の聖杯と呼ばれるのか?それは簡単だ。 UFO墜落事故は、遺体、残骸、機体がすべて1つの主題にまとめられているからだ。 (00:01:20)

これは情報公開につながる乗り物だ。 それ以下であれば、我々は文字通り空回りしていることになる。 我々はCE1、CE2の案件を何十万件も抱えている。 必要なのは、確固とした物的証拠だ。それこそが、この分野全体を前進させる原動力となる。 だからこそ、墜落物奪還は文字通り究極の聖杯なのだ。 (00:01:48)

事例の紹介に入る前に、いくつか簡単なお知らせがある。 このプレゼンテーションで取り上げた各事例の内容は、原典の記述のままである。 その2、レナード・スプリングフィールドが軍関係者と交わした当初の合意のため、直接入手した情報源の身元は保護される。 その3、本プレゼンテーションで使用されている視覚資料は、レナードの情報源から提供された具体的な詳細から生まれたコンピューター生成の法医学的合成イラストとスケッチである。 (00:02:18)

本プレゼンテーションで取り上げた資料の情報源は以下の通りである。 つまり、レナードはここから情報を得たのである。 軍との直接の接触。 アメリカ空軍の三ツ星将官、アメリカ空軍の戦闘機パイロット、宇宙飛行士、民間航空会社のパイロット、航空管制官、神経外科医、病理学者、理論物理学者、数学者、アメリカ陸軍将校、アメリカ海軍将校、憲兵隊、ペンタゴンの高官、軍幹部、ライト・ピーターソン空軍基地やその他の政府施設で働く科学者やエンジニア。 (00:02:55)

これは、レナードがこの情報を得るために利用した目撃者たちの簡単な断面である。 いくつか引用しよう。 その1、UFOの墜落回収はありえない。もしそうなら、地元の新聞で読んだだろうから。 これが最初の言葉だ。 (00:03:13)


第二に、ライト・ピーターソン空軍基地には、今も昔も、地球外からの訪問者や設備は存在しない。 これは1980年7月に発表されたプレスリリースである。 だから、我々の証人がアメリカ空軍に対抗することになる。 これが、これから我々が従うことになる手順だ。 では、時の人だ レナード・ストリングフィールドだ 彼はUFO墜落回収という言葉を作った人物だ。 (00:03:40)

彼は30年以上にわたって、軍の目撃者たちから直接話を聞き、証言を集めた。 そして、彼らはこれらの情報をすべて彼のところに持ってきた。 そして彼はこれらすべてを複数の現状報告書にまとめた。 ここで、いくつかの略歴を紹介しよう。 まず、レナードは1920年にオハイオ州シンシナティで生まれた。 1939年に高校を卒業する頃には、すでに辞書を全部暗記していた。 (00:04:08)

つまり、この手の話を収集するチームには、こういう男が必要なのだ。 次に、彼は1941年12月7日の真珠湾攻撃を聞くとすぐに軍に入った。 戦後はオハイオ州の化学会社に勤め、30年後に退職した。 レナードは1957年に『Inside Saucer』と『Post 3-0』という2冊の本を書いた。 (00:04:31)

Situation in Red、これは1977年のことだ。 さて、次の箇条書きの項目は、ここで掘り下げたいものである。 1978年にオハイオ州デイトンで開催されたUFONシンポジウムでのUFO墜落回収に関する彼の講演は、国際的なセンセーションを巻き起こした。 なぜかというと、このUFO墜落事故奪還という概念全体が実際にレーダースクリーンに映し出されたのは、このときが初めてだったからだ。 (00:04:56)

。しかし、それは諸刃の剣だった。というのも、レナードが軍関係者と交わした契約では、彼はこのような話をすることで、我々の国家史の重要な部分を維持することができた。 この両刃の剣があったから、UFONシンポジウムでは反発もあった。 レナードは1994年12月18日に亡くなった。 1993年7月19日、シンシナティ・エンクワイアラー紙。 (00:05:23)

著者はUFOについての真実の探求を続けている。 私が収集したものは、人類にとって驚異的な意味を持っている。 これはプライス以来の大事件だ。 もしこれらの事件の一つが本当なら、ここで大きな問題になるだろう。 レナードは、オリジナルの手紙、図面、オーディオテープ、そして彼の情報源からの証言の22の銀行の箱のコレクションを維持していた。 これらの証人の所在を突き止め、彼らの証言を議会に提出すべきである。 (00:05:51)

そうする必要がある。そうする必要がある。 一匹狼が名乗り出る必要はない。 エンジニア、科学者、リバース・エンジニアリング・プログラムに携わった人々の連合体が必要なのだ。 そうすれば、ここで良い進展があるだろう。 そこで、この文書を紹介しよう。 スプリングフィールドによる調査を完了したUFO墜落の回収、1978-1994年。 (00:06:20)

そしてこれが、ルディと私がこの件に本格的に取り組むきっかけとなった。 (00:06:24)


さて、これがその本で、僕はそのコピーを持っている。 墜落事故の回収や遺体、ライトパターソン空軍基地に送られた18輪トラクタートレーラーの関係者について、素晴らしい詳細が書かれているんだ。 素晴らしい情報ばかりだが、ご覧の通り、読み物としては辛口だ。 気の弱い人には向かない。こんなことに首を突っ込むには、僕のようなクレイジーな馬鹿でなければならない。 (00:06:48)

だから僕は、ここで何かが起こる必要があると思う。 誰かが現地に赴き、このドキュメントをくまなくチェックし、ミッション・クリティカルなケースを選び出し、それを洗練された図面に落とし込む必要がある。 私にはそれをする資格はないし、それをしなければ、想像に任せるしかない。 これらのケースはどのようなものか? 私にはこの計画を実行する資格はない。 (00:07:13)

それで、この航空ショーでルディに会って、彼の素晴らしい作品を見たんだ。 この人なら、これらのケースを生き生きとさせる手助けをしてくれるかもしれないと思ったんだ。 それでこの3年間、まさに私たちがやってきたことを実践してきた。 国史の重要な部分を保存するために、私たちは本全体をケース・バイ・ケースで見ていき、これらのケースを生き生きとしたものにしてきた。 それが、このプレゼンテーション全体の基本なのだ。 (00:07:36)

もう一冊は、友人のライアン・ウッド著『マジック・アイズ・オンリー』だ。 このドキュメントの中には119の墜落事故がある。 この本では、104のクラッシュ・リトリーブがある。 さて、重複はあるか?そう、あちこちで重複している。 つまり、控えめに見ても100件ほどはある。 非常に保守的な数字だ。 この2つの文書の間に、これらのケースを掘り下げるための本当に良い参考情報があるんだ。 (00:08:08)

さて、確率が119対1で自分に有利だと知っていたら、ラスベガスに行くだろうか? 技術的には負けることはない。 ルーレットで120のスペースがあり、そのうちの119に賭けるとしたら、あなたは毎回勝つことになる。 ほとんど負けることはない。 私が言いたいのは、本物であるために必要なのは、これらのケースのうちの1つだけでいいということだ。 (00:08:31)

そして、非クラッシュ・リトリーブの現実という概念は完全に崩壊する。 本物であるために必要なのは1つだけだ。 そして私たちは119件以上の有利な情報を手に入れた。 ルディの素晴らしいアートワークを称えたい。 このケースから始めよう。 Mufon Journal』、これは2001年11月の403号だ。 これらはすべて年代順に並んでいる。 これは1941年のミズーリ州ケープジラードでの墜落回収に関係している。 (00:09:02)

この事件の主要人物はシャーロット・マンとウィリアム・ホフマン牧師だ。 そして、我々はこの事件を見ていくことになる。 見るべき本はM041、ミズーリ41、ロズウェル前の爆弾事件だ。 ロズウェルの6年前の話だ。 何が起こったかというと、牧師が夜の9時半頃にドアをノックされたんだ。 (00:09:27)


これは1941年4月20日のことだ。 彼がドアを開けると、そこには警官がいた。 その警察官が言うんだ、我々は航空機の墜落事故だと考えている。 捜査に協力してほしい。 協力してくれないか? 彼はパトカーに乗り込んだ。 町の反対側まで15マイルほど走った。 そしてそこに着くと、彼らはこの農家の畑に入った。 (00:09:50)

軍が現場に入ったところだった。 背景には燃えさかる炎があった。 周辺には農家の人たちがいた。 消防車もいた。 そして彼が見たものは、45度の角度で突進してきた直径約25フィートの円盤状の機体だった。 船体の側面に裂け目があり、内部の部品が見えていた。 その近くに3体のE.T.が横たわっていた。 (00:10:14)

いずれも身長3フィート半から4フィートほど。 ピチピチのフライトスーツを着ている。 特大の頭、特大の目、細長い鼻。 全員がピチピチのフライトスーツを着ている。 そのうちの一人は、彼がそこに着いたとき、まだ生きていた。 これがハフマンが実際にそこに到着したときの様子だ。 彼は生存者に祈りを捧げた。 (00:10:38)

そして亡くなった。 さて、このようなことが起こっている間、新聞記者がすべての写真を撮っていた。 軍が到着する直前だった。 農場関係者が2人、E.T.の死体の脇の下を押さえていた。 両手を広げた。 カメラマンの一人がこれを写真に撮った。 これが家族に手渡された。

(00:11:07)

そしてこの写真は不思議なことに失われてしまった。 こういうことはいつもそうだ。 私たちはいつも証拠に近づきながら、それを奪われてしまう。 そこで、この写真がどのようなものであったかを再現してみた。 もう70年、80年は経っているだろう。 シミがあり、おそらく汚れている。 縁の一部はざらざらしているだろう。 (00:11:29)

しかし、これが我々が思いつく最高の表現だ。 1941年当時、この写真が実際にどのように見えたかを。 では、ここで続けよう。 さて、1941年当時、E.T.の遺体や工作機械をどこに隠すだろうか? まあ、ペンタゴンに隠したいだろうね。 しかし問題は、1941年にはペンタゴンは存在しなかったということだ。 (00:11:58)

ポール・ブレイク・スミスによれば、彼らは連邦議会議事堂に保管されていた。 つまり、これは我々が検討したいことなのだ。 連邦議会議事堂には地下に保管庫がある。 そしてこれがその施設内の様子だ。 3つの大きなガラス瓶がある。 E.T.の死体がある。 残骸の一部もある。 ポール・ブレイク・スミスによれば、1941年当時、このようなものが存在していた可能性があるということだ。 (00:12:27)

ここで続ける。 (00:12:28)


さて、次は1942年だ。 まだロズウェルじゃない。 まだロズウェルに着いてない。 1942年、ジョージア州北部の陸軍基地だ。 レナードでさえ、ここがどこなのか知らなかった場所だ。 ジョージア州の北だ。 これは本の319ページだ。 この本の319ページを見てほしい。 (00:12:50)

もし興味があれば、この本を読んでみてほしい。 これは319ページだ。 これが実際にどんなものかというと... 高さは約15フィート。 縦軸に約10フィート。 3つのレベルに分かれていた。 上のレベルにはボタンやスイッチのあるコントロールパネルがあった。 それがこの上のセクションのようなものだった。 そしてこれが、ルディが描いたブローアップされた図面だ。 (00:13:17)

さて、中層部には3つのバー・スツールのようなものがあり、ラップアラウンド・ウィンドウの後ろに座っていた。 それがミッドデッキのようなものだった。 下甲板にはエントリーハッチがあった。 そして、一次資料によれば、4人の乗組員が生け捕りにされた。 彼らは身長約180センチ、体重90キロだった。 特大の頭、特大の目、スリットの入った口、縛られた鼻。 彼らは生きたまま連れ去られた。 (00:13:43)

その情報源はまた、円盤状の工芸品の下部の外周に象形文字タイプの文字が書かれていたと述べている。 これがどのようなものであったかをよりよく理解してもらうために、ここでブローアップしてみよう。 これはすべて1942年のものだ。 つまり、おそらく科学者、エンジニア、言語学タイプの専門家の連合が、これらの工芸品に書かれた図像の複数の製本された巻を持っていて、この文字が実際に何を意味しているのかを解読し解釈しようとしているのだと言っていいと思う。 (00:14:19)

よし、次だ。 ライトフィールド、オハイオ州デイトン、1946年。 一次資料はテックス・マーティンという6歳の少年だった。 彼は学校で本当によくやったので褒美をもらった。 これは本の242-243ページだ。 これはオハイオ州デイトンのライトフィールドでのことだ。 ライト・パターソン空軍基地になったのは1947年10月のことだった。 だから1946年の時点では、オハイオ州デイトンのライトフィールドとして知られていた。 (00:14:46)

この少年は父親と一緒だった。 彼らはメイン格納庫に隣接するカフェテリアにいた。 清掃員がいて、この6歳の少年に年代物のソーダマシンを買い与えようとしたんだ。 で、彼は父親に大丈夫かと尋ねた。 すると彼は、うん、大丈夫だと言った。 それでこの用務員は6歳の少年にソーダ水を買って渡した。 (00:15:11)

彼がこのソーダ水を手渡すのとまったく同時に、メイン格納庫に通じる入口のドアが開いた。 男が通り抜け、この少年は格納庫を覗き込む。 そしてこれがルディが描いたオリジナルのスケッチだ。 ここでその過程を追うことができる。 (00:15:30)


彼は中を覗いている、そして何を見る?何が見えるんだ? これが大まかな絵だ。 2台の18輪トラクター・トレーラー・トラックがあり、未知の防水シートの残骸があった。 軍人がいた。 三脚のランディングギアに支えられた直径20フィートの円盤状の機体があった。 では、この男を次のレベルに移動させよう。 これは2回目のパスのようなものだ。 (00:15:54)

ルディーは洗練されてきた。 タープの破片が見えるだろう。 タープの残骸が何なのかは知らないが、報告書には含まれている。 6年前の目撃者のテキストマーキングから得たものをすべて、ルディの図面の次のレベルに持っていく。 これがルディ・キングが得たものである。 (00:16:13)

ルディ・キングがこの事件をいかに生き生きと描き出したかがわかるだろう。 これがこの少年が報告したものだ。 直径20フィートの円盤状の機体が三脚の着陸装置に支えられていた。 色はオフホワイトだった。 円盤型の外周に2つのリングが巻かれていた。 ここに、18輪トラクター・トレーラー・リトルボーイ・トラックと防水シートの残骸がある。 軍人がいて、その後ろに少年がいる。 (00:16:36)

少なくとも3人のETの遺体が簡易ベッドか担架に乗せられて床に横たわっていた。 これがルディのスケッチに基づいたイラストである。 ルディのおかげでこのイラストが実現した。 ルディのスケッチなしには、このようなことは起こりえなかった。 1946年当時、これがどのようなものであったかを想像していただきたい。 (00:16:59)

そして、ここに続く。 ライトフィールド、デイトン、オハイオ州、1946年。 これは私的な記録管理である。 クラーク・マコンブ著『宇宙、最後のフロンティア』の59ページ。 これが59ページだ。 本の表紙はこんな感じだ。 彼は宇宙科学者だ。 これが彼の本の表紙だ。 彼がインタビューした紳士は、この作戦に関与していたと述べている。 (00:17:27)

これは直径15フィートの円盤状のもので、アーカンソー州から鉄道のフラットカーで運ばれてきた。 高さ7フィート、非常に磨かれた鏡のように反射する外面を持つ。 アーカンソーからこの鉄道車両で来た。 言っておきたいが、継ぎ目はなかった。 リベットもない。 ソケット・ヘッド・キャップ・スクリューもなかった。 六角ボルトもなかった。 目に見える推進手段もなかった。 (00:17:55)

この機体の中央には直径3フィートほどの柱があり、下から上に向かって伸びていた。 これは私が目撃した第一次調査のスケッチだ。 そこでAutoCADで図面を書いてみた。 ハッチも溶接も継ぎ目もない。 注目してほしいのは、この赤い点だ。 (00:18:14)

これはダイヤモンド・チップ・ドリル・ビットで穴を開けようとしているところだ。 (00:18:19)


スプリングフィールドのコレクションには 他にも4つのケースがある 白衣を着た技術者たちが 先端ダイヤモンド・ドリルで この船の外壁を破ろうとしている これが延々と続いている。 さて、これがこの船が実際にどのようなものであったかを示す最初の過去のカラー図版である。 それから、ジョセフ・レイスのドローイングを見てみよう。 (00:18:44)

左側の中央のすぐ後方に赤い点があるのがわかるだろう。 ここが、ダイヤモンド・チップ・ドリル・ビットを使って進入を試みている地点だ。 では、ルビーの絵を見てみよう。 この個人記録管理者が格納庫に入った時... この紳士はこう言った 見せたいものがあるんだ ついてこい。 彼は彼を格納庫に連れて行き、彼らはこの飛行機が格納庫の床に置かれているのを見た。 (00:19:08)

機体の右側にはタープが畳まれていた。 その手前には工具箱があり、工具箱の外には電動ドリルがあり、ダイヤモンドチップのドリルビットが入っていた。 彼はその光景にショックを受けた。 約10分後、彼らはその区域を立ち退かなければならなかった。 ルディーの図面を見てみよう。 一次ソースからの情報を元にしよう。 (00:19:30)

ジョセフ・レイスはこの絵を描いた 1946年にオハイオ州デイトンのライト飛行場で見られたものをフルカラーで描いたものだ。 この事件を生き生きとしたものにするためだ。 次に行こう。 誰が知る必要があるんだ? ネイサン・トワイニングだ 引用:この現象は現実であり、想像や架空ではない ライトパターソン空軍基地司令官だ だから、彼はここで起こっていることを知る必要がある。 (00:19:58)

次だ。 アリゾナ州グローブの西、パパゴスインディアン居留地。 これは1947年1月のことだ。 スーパースティション山脈の北。 目撃者は第二次世界大戦中、アメリカ海軍にいた。 これは本の93ページだ。 その情報源によると、この未整備の道路を運転していた2人の軍人がいた。 彼らはライフルを持った2人の憲兵に挑発され、ただちに立ち退くように言われた。 ここは立ち入り禁止だ。 (00:20:28)

しかし、時すでに遅しだった。道をさらに50フィートほど行った左側に、45度の角度で飛び込んできた直径30フィートほどの円盤状の機体があったからだ。 円盤の外周にはくぼんだ窓が並んでいた。 外周には2つのリングが巻かれていた。 そして低層のドームがあった。 だから、彼らはこれを見ることができた。 (00:20:48)

報告書にある。 ルディーの絵に目撃証言を加味すると、ジョエル・クリストファー・ペインによるフルカラーのレンダリングになる。 素晴らしい仕事だ これらの事件を存続させ、我々の国家史の重要な部分を保存しているのだから。 (00:21:05)


次だ。ロズウェル・ロード・トリップだ もう5回目だ ロズウェルに着いた 1947年7月2日だ 明日にでも、誰でもできることだから、これを強調したい。 もしあなたがロズウェルに飛んだなら、1947年7月に第509爆撃機群のメンバーが行ったのと全く同じドライブ旅行をすることができる。 (00:21:28)

文字通り、1947年に彼らがたどったのとまったく同じ足跡をたどることができる。 これがここで話していることのレイアウトだ。 1947年7月2日だ。 ここで強調したいのは、我々が話しているのは1つのことだけではないからだ。 まず覚えておいてほしいのは、この大きな塊だ。 これがデブリフィールドだ。 (00:21:53)

私たちは、デブリフィールドの約5海里北、タッチダウン・サイトと呼ばれる場所から始めたい。 隕石の専門家であるリンカーン・ラパスと第509爆撃群のルイス・リケットがそこで発見したのは、高熱によってのみ溶融した緑色のガラスだった。 気象観測気球では不可能だ。 だから我々は、気象観測気球説を即座に否定することができる。 (00:22:19)

ここでは気象観測気球の話をしているのではない。気象観測気球で砂を溶かしてガラスにすることはできないからだ。 彼らが見つけたもう一つのものは、パンの箱ほどの大きさの継ぎ目のない黒い箱で、それは開けられることはなかった。 開けられたかどうかさえ、今日に至るまでわかっていない。 しかし、融解した緑色のガラスが発見された場所からそれほど遠くない場所で、小さな箱が発見された。 (00:22:42)

これが最初の発見だ。 さて、タッチダウン・サイトから5海里南には瓦礫原がある。 そこで牧場主のマック・ブラゼルと7歳のティモシー・D・プロクターは、幅200フィート、長さ3.4マイルの瓦礫原に出くわした。 瓦礫の1つ目は、切ることも燃やすこともできず、16ポンドのハンマーでへこませることもできない小型のアルミホイルであった。これが第一の破片だ。 (00:23:14)

破片その2は、いわゆるメモリーメタルと呼ばれるもので、手のひらの上でクシャクシャに砕くことができ、手を放すと液体水銀のように広がっていくような素材だった。これが2番目の破片だ。 破片その3は、内壁に象形文字タイプのエジプト文字が書かれた小さなI字梁だった。 これはジェシー・マーセル・ジュニアによって語られた。さて、飛行経路は北西から南東に向かっている。 (00:23:39)

ここに見えるのは2番目の遺体安置所で、ティモシー・D・プロクター遺体安置所としても知られている。 その場所から2体の遺体が射出された。さて、さらに進むと、ここはロズウェルから北に約65、35マイルの地点で、もう2体の遺体が発見された墜落現場である。さらに1体が生きて発見された。 つまり、5人の遺体があった。1体はまだ生きていた。これが、簡単に言えば、ここで話していることの内訳だ。 (00:24:07)

さて、ロズウェルの残骸地帯に行くと、こんなものがある。 (00:24:12)


外はこんな感じだ。車では辺鄙だが、飛行機ではそうでもない。 高い山はない。木もない。だから、今日そこに行けば、これがここにあるんだ。 だから、ここも車では辺鄙だが、飛行機ではそうではない。 そしてここにはマック・ブラゼルとティモシー・D・プロクターがいる。これは1947年7月3日の朝だ。 (00:24:36)

そしてここには瓦礫の原がある。溝が刻まれているのがわかるだろう。そしてこれが、2人がそこに着いたときの様子だ。 当時は歩ける年齢なら、馬に乗れる年齢だった。 だから、7歳の少年であっても、この2人が一緒にいるのが見えるのだ。 ライアンの著書『マジック・アイズ・オンリー』にも書かれているが、アメリカ最古の国防請負業者であるバテル記念研究所は、この件に深く関わっている。 (00:25:07)

我々は今、このことを知っている。ロズウェルの残骸の一部が間違いなくバテル記念研究所に送られたことを示す十分な文書化された証拠がある。 この時点で非常にはっきりしている。 さて、1947年7月8日。死体が何であれ、生物学的物質が何であれ、2日、3日、4日、5日、6日の夜、砂漠に放置された。 (00:25:34)

つまり、死体が何であれ、生物学的物質が何であれ、2日、3日、4日、5日、6日の夜から、回収作業が始まった7日の夜まで、そして7月8日の朝まで、砂漠に放置されていた。それがここにあるものだ。 ドン・シュミット、トム・キャリーによると、ロズウェルの船はフォルクスワーゲンの虫くらいの大きさで、13フィート(約12メートル)ほどあったという。 (00:25:49)

上にドームがある卵型の工芸品のように見えた。 ここに生存者がいて、そして工芸品そのものを回収するために使われた18輪トラクタートレーラーのローボーイがいる。 次のスライドに進む。 情報将校のジェシー・マーセル少佐だ。彼はこう言った 確かに我々が作ったものではない。次に続けよう。 1947年ロズウェル陸軍飛行場年鑑。 (00:26:13)

この物体の内部がどうなっていたかを教えてくれる、信頼できる情報源はあるのだろうか? それがわかった。これがその年鑑だ。 この年鑑の中で、ここにいるウィリアム・W・バド・テイラー軍曹に注目してほしい。 彼は墜落現場にいた。彼は卵型の機体の内部を見た。 ここに彼の良い写真がある。これが彼の弾丸だ。 (00:26:44)

ウィリアム・バド・テイラー軍曹、機体の仕立屋はこう言った。 機体内部のある部分は奇妙なプラスチックのような繊維やフィラメントのネットワークで絡み合っていた。 内部にはフラットスクリーンやディスプレイパネルが埋め込まれていた。 紫やピンクパープルの幽玄な色彩が、機体の素材の一部に取り入れられていた。 (00:27:13)

工作物の構造の一部には、珍しい象形文字のようなシンボルが浮き彫りにされており、彼はそれをややアジア的な文字だと表現した。 (00:27:20)


死体があった。小さな死体が見つかり、彼はそれを小さな人間のようだと表現した。 第509爆撃集団のメンバー、ウィリアム・バド・テイラーが直接目撃した軍人の情報をもとにすると、ルディが思いついたのはこういうことだ。 薄型モニターがここにある。 光ファイバーケーブルがあり、それが今日我々が知っている光ファイバーだったことがわかった。 (00:27:47)

ここには象形文字がある。 船体の裂け目もある。 このようなものが、この第509爆撃航空団員によって描写されたのだ。 もちろん、少し調べてみた。 この男は合法的なのか? 1985年5月9日 エルパソ・タイムズ紙 ロズウェルのW.F.バド・テイラー(87歳)の葬儀は、金曜日の午前10時に第一葬儀場で行われる... そう、彼が言った通りの人物であることが確認された。 (00:28:15)

だから、それを確認したかっただけだ。 さて、次に移ろう。 この紳士、エルンスト・シュタインホフ、ペーパークリップ作戦でヴェルナー・フォン・ブラウンの部下だったナンバー2の人物だ。 この方だ。 彼はこのロズウェルについて何と言ったか? ロズウェルの船は地球外生命体ではなかった。 それは超次元的なものだった。 さて、この件について信頼できる目撃者の証言は他にあるのだろうか? 米海軍司令官ジョージ・W・フーバー、左の席に座っている。 (00:28:44)

この方だ。 彼はロズウェルについて詳しい。 彼はそれについて何と言ったか? 彼はこう言った。 ロズウェルの訪問者は地球外生命体ではなく、実は我々の未来から来た地球外生命体だった。 それは興味深い理解だ。 さて、幅13フィートの卵型の船をどうやって動かすのか? 信じられないかもしれないが、第509爆撃機群には基地にクレーンがなかったことが判明した。 (00:29:11)

信じられるかい?本当なんだ。 ドン・シュミットが確認したんだ。 彼らはクレーンを持っていなかった。 だから、民間人の個人請負業者がロズウェルから墜落現場まで車を走らせたんだ。 彼らはこれにヒモをかけ、18輪トラクター・トレーラーに吊り上げた。 それがここに見えるものだ。 こうして卵型の機体を回収し、基地に持ち帰った。 (00:29:34)

さて、次はロズウェルのメインストリートを行く。 これがここに見えるものだ。 今日、このコースを正確に追跡できる。 私も車で通ったことがある。 これはあなたにもできることだ。 時刻は1947年7月8日午後4時だ。 基本的にプラスマイナス5分だ。 2人の少年を含む複数の目撃者がいる。彼らは18輪トラクター・トレイラーに乗った卵型の飛行体が基地に向かっていくのを目撃している。 (00:30:01)

それで、我々はそれを確認した。 約15分後、それはここの格納庫に到着した。 さて、ロズウェル・デイリー・レコード、1947年7月8日。 ロズウェル陸軍飛行場がロズウェルの牧場で空飛ぶ円盤を捕獲した。 これは1947年7月8日である。 それから1日も経たないうちに、彼らは考えを変えた。 1947年7月9日である。 レイミー将軍がロズウェルの円盤を空にした。 (00:30:27)


Rameyは言う、興奮は正当化されない。 レイミー将軍は言う、これは気象観測気球だと。 つまり、16時間以内に、空飛ぶ円盤から気象観測気球に完全に変更された。 これが7月9日のことだ。 1947年7月8日だ。 これはP3格納庫、84号棟で、今も建っている。 この格納庫の中をお見せしよう。 ここから始めよう。 18輪トラクター・トレーラー・リトルボーイ・トラックに卵型の飛行機を乗せた。 (00:30:57)

葬儀屋グレン・デニスが確認した子供サイズの棺がある。 格納庫の床にはETの遺体が横たわっている。 そして、彼らが作っていたこの木箱が、すべて同時に進行している。 さて、この時点で遺体の1つはすでにオハイオ州デイトンの右翼席に運ばれている。 ここで続けよう。 ロズウェル陸軍飛行場、P3格納庫、84号棟。 (00:31:20)

そこでもちろん、私は少し調べる必要があった。 それで、ロズウェルのエアセンターのメンテナンス担当者に連絡を取った。 私は歴史家だ。 この格納庫、84号棟の中を案内してもらうアポイントメントを取ることは可能だろうか? 彼は、はい、できますと言った。 それで実際にその人に会った。 私たちは2時間かけて基地全体を回った。 (00:31:43)

信じられなかった。信じられなかった。 それで、この格納庫の中に案内するよ。 こんな感じだ。 全米で最も歴史的な格納庫かもしれない。 現在も残っている。 正しい足どりをすれば、この中に入ることができる。 これが中に入るところだ。 彼らは整備作業をしている。航空機のシュレッダーもやっている。 (00:32:01)

ここでは航空機のスクラップをやっている。 中にエンジンが見える。 トラクタートレーラーがあった場所だ。 ここに木箱があった。 後ろの木箱はこっちだ。 続けてみよう。 ここにエンジンと整備の一部がある。 航空機の皮と整備員がいる。 彼らはこの場所で多くの機体のスキンを行っている。 (00:32:26)

そして、格納庫の中央付近から始まる。 もう1枚スライドを入れたい。 これがそれだ。 目撃者によると、この場所だった。 プラスマイナス10センチが遺体を横たえた場所だ。 そこに行くと、なんだか奇妙な感じがする。 これがすべて本当なら、1947年当時はここに遺体が横たわっていたことになるからだ。 (00:32:50)

さて、次に起こったことだ。 これは1947年7月8日の夜だ。 原爆第1投下孔だ。 もしこの穴に原子爆弾があったなら、B-29を爆弾坑の上空に走らせただろう。 そして油圧リフトを使って、この爆弾をB-29の爆弾倉に吊り上げる。 その夜、そこに原爆はなかった。 (00:33:14)

しかし、少なくとも3体のETの遺体が入った木箱があった。 (00:33:19)


そして彼らは2列の境界スクリーンを持ち、ライフル銃を持った憲兵が、この境界スクリーンの中に入ってきた人を射殺するように言われた。 今、これは気象観測気球の上にある。 気象観測気球は除外できる。 他の何かがここで起こっていた。 これが原爆ピット上空を通過したストレートフラッシュだ。 木箱を爆弾倉に運び込むと、テキサス州フォートワースの第8空軍司令部に直行した。 (00:33:45)

そしてこのストレートフラッシュはそこへ向かった。 さて、フォートワースに行ったストレートフラッシュB-29について少し調べてみた。 1954年にスクラップになった。 今スミソニアンにあるライト・フライヤーを除けば、この飛行機はアメリカで最も歴史的な飛行機だったはずだ。 そして今はもうない。 実際に遺体を運んだ機体はスクラップされた。 ロズウェルに残された、ストレートフラッシュB-29に関係するものは、エアセンターのこの展示だけだ。 (00:34:17)

そしてこれがストレートフラッシュB-29だ。 機首のアートワークはこんな感じだ。 世界で最も歴史的な航空機はこれで全部だ。 さて、パピー・ヘンダーソンが飛んだ C-54 スカイマスターだ。 これは7月8日のことだ。 少なくとも1体の遺体と残骸がオハイオ州デイトンの右翼飛行場に直接送られた。 B-29に加えて、C-54の飛行もあったわけだ。 だからルディに絵を描かせたんだ。 (00:34:43)

これはオリヴァー・パッピー・ヘンダーソンだ。 彼はC-54への遺体の積み込みを監督している。 彼は指揮を執るパイロットだ。 彼は機内で何が起こっているかを知る必要がある。 よし 続けよう 少なくとも1人のE.T.解剖が基地で無造作に行われた。 そして1947年7月9日以降、オハイオ州デイトンの右翼飛行場で、検死という意味で何かが行われたと我々は考えている。 (00:35:11)

さて、このどれもが真実であるという証拠はあるのだろうか? 信頼できる目撃者、軍の目撃者、実際に帽子をかぶって検証できるような直接の目撃者はいるのだろうか? この紳士を紹介しよう。 マリオン・ブラック・マクグルーダー。 海兵隊パイロット。 第二次世界大戦のエースだ。 1943年2月6日 夜間戦闘を学ぶため イギリスに派遣された 勲章を持つパイロットだ。 (00:35:38)

ベスト中のベストだ。 信頼できる証人。 実際に信頼できる人物。 だから、もちろん、ここで少し調べなければならなかった。 1945年8月9日 レキシントン・ヘラルド紙だ マクグルーダー大佐は 1942年に選ばれた 5人の海兵隊パイロットの1人だった 英国に行き 夜間戦闘技術を学んだ それ以前は、アメリカは夜間戦闘について何も知らなかったわけだ。 マリオン・ブラック・マック=マクグルーダーをイギリスに送って夜間戦闘を学ばせ、パイロットを訓練させるためにわざわざ飛行機でアメリカに帰国させたんだ。 (00:36:11)

つまり、ここでは信頼できる目撃者、歴史上の人物について話しているのだ。 そこで彼の息子の一人の話をしよう。 マーク・マクグルーダー、パイロット、マリオン・マグルーダーの息子だ。 これは5年ほど前のことだ。 (00:36:24)


私はこの紳士に3時間ほどインタビューをした。すべてビデオテープで。 彼は父親のオリジナルの記章、彼の受賞歴、航空殿堂入りを見せてくれた。 これが勲章の一部だ。 これが殿堂入りだ。 だから、彼は自分が言ったとおりの人物なんだ。 これは彼が獲得した他の勲章の一部だ。 信頼できる証人だ。 (00:36:45)

これは彼が関わった航空士官学校だ。 これは1947年から1948年のものだ。 彼らは1948年4月にモンゴメリー・フィールドにいた。 私はこのことについて書かれた機密解除された文書の原本を手に入れることができた。 航空大学、4748の研究史ファイルをご覧いただきたい。 ここに進む。 航空大学、航空士官学校、アラバマ州モンゴメリー。 (00:37:14)

そこが元々彼らが駐屯していた場所だ。 さて、ここからが本題だ。 1948年4月、彼らはオハイオ州デイトンのライト・フィールド、ライト・パターソン空軍基地へ見学に行った。 これが1948年4月だ。 そしてこれが、彼らが行った場所と時間の実際のリストである。 これで完全にチェックがつく。 さて、彼らがそこにいる間、ライト・パターソン空軍基地から電話があった。 つまり、彼らはもともとモンゴメリーフィールドに駐留していたのだ。 (00:37:45)

そしてライト・パターソン空軍基地から、あることについて意見を聞きたいから早く来てくれという緊急の電話があった。 パイロットたちは皆、この車に乗り込んだ。 ライトパターソン空軍基地に飛ぶ。 彼らはこの大きな部屋に連れてこられた。 二人の男が箱を持って入ってきた。 そして、ロズウェルの破片をパイロットたちに配り始めた。 (00:38:08)

彼らはパイロットたちの反応を測っている。 彼らはこの新しい現実に対処できるだろうか? それは試験気球のようなものだった。 それが彼らがここでやっていたことだった。 それが終わると、これらの部品はすべて箱に戻された。 そしてパイロットたちはこの長い廊下に導かれた。 彼らは左折した。 一方通行の鏡がある別の部屋に連れて行かれた。 そしてロズウェルでの生存者を実際に見せられた。 (00:38:35)

そしてルディーはここでとても良い仕事をした。 彼は身長3.1~4フィート(約1.5~4.2メートル)、ぐにゃぐにゃした感じで、腕はやせ細り、キャスパー・ザ・ゴーストのようだった。 特大の頭、特大の目、口は切れ長で鼻は細かった。 だから彼らは生存者を見たし、他の死体も見た。 だから彼は生存者だけでなく、ETの死体も見たのだ。 (00:39:02)

さて、これは何千時間もの経験を持つ、勲章を受けたエースであるアメリカ海兵隊のパイロットからの言葉だ。 彼の息子、マークから入手できたメモの一部で、これは私がここで入手できたメモから直接引用したものである。 彼らは皆、遺体はライト・パターソン空軍基地にあると思っているが、エグリン空軍基地の広大な地下石炭貯蔵庫にある。 (00:39:28)

これはマリオン・ブラック=マクグルーダーの話だ。 (00:39:31)


ライト・パターソン空軍基地だけでなく、エグリン空軍基地、ホームステッド空軍基地、マクディル空軍基地、エドワーズ・ノース・ベース・コンプレックスもある。 つまり、アメリカ全土に点在しているのだ。 アメリカ政府がすべての卵を一つのカゴに入れることはあり得ない。 (00:39:52)

彼らがやろうとしていること、それは賢いことで、誰だってそうするだろう。 それは理にかなっている。だから、彼らはここで確実にポートフォリオを分散させるつもりだ。 次に行こう。 ホワイトサンズ・ミサイル発射場だ。 これは1947年7月4日のことだ。 まだロズウェルの時間枠内だ。 (00:40:13)

この本の196ページ。 軍の証人は米陸軍空軍の技術軍曹だった。 私が強調したいのは、この紳士がこの回収作戦に参加したとき、すべてが夜だったということだ。 砂丘のひとつに約40度の角度で墜落し、直径は約150フィートだった。

(00:40:41)

ライトオールがあり、サーチライトがあり、スポットライトがあった。 ガイガーカウンターを持った人たちがこの周りを回っていた。 これは直径150フィートの円盤型だ。 彼らはスチルカメラで写真を撮っていた。 映画フィルムのリールもあった。 つまり、要するに、非常によく記録されていたということだ。 これは非常によく記録されたものだ。 (00:41:05)

ルディの絵を参考に、1947年当時、これがどのようなものであったかをイメージしてもらうために、フルカラーのレンダリングをご覧いただこう。 よく記録されている。 さて、ここでの収穫は何だろう? 実行可能な項目だ。 この出来事のスチール写真と映画フィルムが記録されているのだから、上院議員や下院議員は、適切なセキュリティ・クリアランスを持った上で、この証拠を探し出し、将来の公聴会で活用すべきだ。 (00:41:32)

さて、ここからが本当に掘り下げたいところである。というのも、我々が直面している問題は、上院議員や下院議員の多くが、第一に、知る必要性がなく、これらのプログラムに目を通されていないことである。 だから、彼らが一度も説明を受けたことのないものにどうやってアクセスできるのか? それが、ここで我々が直面していることだ。 議会公聴会の障害となっているのは、議員や上院議員たちが、このようなことにアクセスするのに十分なセキュリティ・クリアランスを持っていないことだ。 (00:42:00)

だから我々はこの轍を踏んでいるのだ。最後の遺産である証人を探し出し、名乗り出ることが我々に課せられている。うまくいけば、彼らの上司にたどり着くことができ、彼らの上司が瓦礫や死体、ゴミのありかを教えてくれるかもしれない。 それが最後の望みだ。文字通り、墜落事故回収の最後のカーテンコールだ。 これで終わりだ。ここにいるのは我々だけだ。アメリカ政府は助けてくれない。 (00:42:24)

ここを前進させるのは私たちだ。続けよう。 (00:42:27)


UFO墜落回収、1947年。よりによってバークレー大学で。 あなたはそうは思わないだろうが、これはバークレー大学である。 197ページだ アルバート・ブルース・コリンズ、故人。彼は冶金技師だった。 この18輪トラクター・トレーラーがバークレー大学の倉庫に突っ込んだとき、彼は適切な場所に適切なタイミングでいた。 これがルディの図面だ。これは卵型の船で、横30フィート、高さ15フィートである。 (00:42:59)

外側の船体にはこのような裂け目があり、内部の部品が見える。 直径3フィートの卵の黄身がここにあった。 前方に複合隔壁があり、さらに別の隔壁がこの直径3フィートの卵黄の外周を取り囲んでいた。 彼はまた、この機体の右下に、榴散弾が出てくる船体の裂け目があったとも言っている。 (00:43:26)

これがこの冶金技師の説明だ。 さて、ルディの図面をもとに、第一の目撃者を加味してみよう。 1947年当時、バークレー校でこの事件がどのようなものであったかを想像するために、このフルカラー図面を作成した。話を続けよう。 1947年7月から8月にかけて、カリフォルニア州サリナスの南にあるニンジン畑。 近くの畑で19歳の労働者2人が見た。 (00:43:51)

さて、私はこれをレナード・ストリングフィールドの口述筆記ノートの原本から得た。 そこからこの情報を得た。 彼らが説明したのは、直径9フィート、高さ4フィートの円盤状のものだった。 外周に二列のくぼんだ窓がある。 上部は平らだ。 これを発見したのは2人の19歳の少年だ。 Xがその場所だ。 技術的には、フリーウェイがあるこの場所から8分の1マイル以内には行けるだろう。 (00:44:21)

ここが101号線だ。 だから、おそらく8分の1マイル以内には行けると思う。 でもこれはかなり昔のことだから、何も残っていないだろう。 つまり、かなりよく残っているんだ。 彼らの証言によると、前日の夜に崩落したらしい。 現場監督がそれを見て、2人の少年に知らせた。 翌朝出勤すると、彼らはこの工芸品に近づいていった。 (00:44:42)

彼らはこの船の側面を蹴った。 これがその船のようなもので、直径は約9フィートだった。 上部は平らだった。 これはSOLIDWORKSのレンダリングで、これがどのようなものであったかを想像してもらうための最初のパスだ。 そしてこれがルディの図面だ。 さて、この19歳の少年たちが現場に到着して5分も経たないうちに、トレーラーを引く軍人の車列があった。 (00:45:05)

彼らはすぐにその地域から立ち退くように言われた。 しかし彼らは、彼らがこの船をこのトレーラーの荷台に人力で乗せるのを見た。 10分もしないうちに、彼らはそこから立ち去った。 つまりこれも、軍よりも先に民間人が現場に到着したケースのひとつなのだ。 そしてこれは、ルディーの図面をもとにジョエルが描いたフルカラーのレンダリングで、これを生き生きとさせ、私たちの歴史をここに保存するためのものだ。 (00:45:26)

続けよう。 (00:45:27)


1948年3月25日、ニューメキシコ州アズテック。 血と汗と涙の調査文書はすべて、スコットとスザンヌ・ラムゼイによって行われた。 スタントン・フリードマンによれば、この二人は、ロズウェルに関してこれまで誰も行ったことのないような調査を行ったという。 忘れ去られようとしている事件だが、アステカについては多くの研究がなされている。 これが、これがどこに落ちてきたかを示す地図だ。 (00:45:55)

1948年、ニューメキシコ州アズテックの町の北東約16マイル。 そして、この事件を見てみよう。 彼らが発見したのは、直径99.9フィートの円盤状のもので、非常に磨かれ、鏡のように反射する外側の部分には、外周を取り囲む多数の舷窓のある低層のドームがあった。 油田作業員たちが初めてそこに着いたときは、こんな感じだった。 (00:46:24)

直径100フィート弱の大きさだ。 彼らはそれを見て衝撃を受けた。 軍はまだそこに到着していなかったので、彼らはこのものの縁に登り、この舷窓の一つに行った。 そして舷窓の窓を覗き込んだ。 舷窓のひとつに4分の1サイズの小さな穴を見つけたのだ。 そこで油田作業員の一人がトラックに戻り、ポールを引っ張り出し、そのポールをこの小さな4分の1サイズの穴に押し込んで、ジリジリと動かし始めた。 (00:46:56)

彼らは船底の入口ハッチを開ける装置を作動させ、船内に入ると、上部のドームに上がった。 ボタンとスイッチがあった。 この上部ドームの内側の壁には、紫がかったスラッシュ・バイオレット色の図像、象形文字が書かれていた。 それは以前にも複数の事例で語られている。 (00:47:24)

というわけで、そこには2つの遺体がある。 この頃には軍が関与していた。 彼らは皆にその地域から出るように言った。 油田労働者は全員、その地域から立ち退くように言われた。 彼らは円盤の縁の中に入った。 さらに14体の遺体が発見され、ニューメキシコ州アステカでは合計16体が発見された。

(00:47:51)

さて、軍がこの船の中に入ったとき、彼らはピン装置を見つけ、このピン装置を作動させた。 そのパイ片をM-25戦車輸送車に積んでロスアラモスに運んだ。 そうやって移動させたんだ これはすべて、スコットとスザンヌ・ラムゼイの話である。 M-25タンク・トランスポーターがこれらのパイ・セグメントをロスアラモスに運んでいるのが見えるだろう。 (00:48:23)

一つの単位で移動したのではない。複数のパーツに分けて移動したのだ。 C-119フライング・ボックスカー、シエラ・マドレ・バレー、メキシコ、1951年以前。 だから、1948年のことだと思う。この本の32ページだ。 (00:48:38)


これは直径約9フィートの小型機で、ここにあるのはC-141ボックスカーだ。 さて、どうやって機体の直径を知るのか? とても簡単だ。C-119の貨物室の内壁にメジャーを当てると、9フィート10インチの幅がある。 ということは、デフォルトでは、数学的に確実なことだが、機体の直径は9フィート以上にはならない。 (00:49:09)

つまり、ここでは小さな船について話しているのだ。 そして証人は、クラムシェル・ドアが開いていたとき、米軍がC-119のF貨物室のドアにこの機体を運び入れるのを手伝うように頼まれたことを説明した。 これがジョセフ・レイによる1948年当時のフルカラーレンダリングである。 少なくとも3体の遺体が回収され、この建設作業員がそのうちの1体に近づいたとき、この回収作業がどのようなものであったかを知ってもらうために、ここで少し拡大してみた。 (00:49:53)

それで焼けた。ぞっとするような光景だったが、これは目撃者の証言だ。 続けて、カリフォルニア州サニーベールの海軍航空基地、1950年。 これは第1格納庫で、今でも入ることができる。私は実際にこの格納庫に入ったことがある。 この格納庫はとても大きく、専用の天気がある。それほどこの格納庫は大きいんだ。 これは本の57ページだ。これはレーダーオペレーターだ。 (00:50:19)

そうだ。今でもそこに行くことができる。 彼がこの二重の入り口を入ったとき、直径約100フィートの円盤状の機体を見て衝撃を受けた。 低層のドームがあった。舷窓が船の外周を取り囲んでいた。 彼は警備員に挑発され、すぐにその場から立ち去るように言われたが、レーダーオペレーターによれば、それは確かに我々の飛行機ではなかったと言った。 (00:50:49)

ファーミントンの数百人が、空飛ぶ円盤の大群を報告した。 アルバカーキ・ジャーナル、1950年3月18日。これは画期的な事件だ。 この日、500機の円盤型飛行物体があった。 そのリーダー的存在だったのが、赤い色をしたUFOだった。 これらの円盤型UFOは90度左旋回した。後方に飛ぶこともできた。 これは1950年の艦隊だった。さて、なぜこれが重要なのか? 1950年代初頭、アメリカ空軍はパイロットにこれらを撃墜するよう命令していたのだ。 (00:51:30)

新聞の切り抜きに次ぐ切り抜きが、これらのものを撃ち落とすことについて話している。 ジェット機は24時間体制で円盤を警戒している。パイロットは、円盤が着陸しない場合は撃墜するよう命じられた。 パイロットは円盤を撃墜するよう命じられた。ジェット機は24時間体制で円盤を撃墜するよう警戒している。 つまり、1950年代初めの新聞の切り抜きの後に、この撃墜命令があったということだ。 (00:51:53)


彼らが使っていた飛行機はロッキードF-94スターファイアだった。 この機体を間近で見たいなら、2つの場所しかない。 アリゾナ州のピマ航空宇宙博物館とオハイオ州デイトンの空軍博物館だ。 アリゾナに行けば、前部のロケットフラップが閉じた状態なので、あまり見ることはできないだろう。 (00:52:16)

しかし、オハイオ州デイトンの空軍博物館に行くと、ロケットフラップが展開位置にあり、ここでの攻撃に備えている。 これは撃墜命令の一つだ。これは実際に行われたものだ。 多くのジェット機、事実上すべてのジェット機がガンカメラの映像を搭載していた。 8x10の光沢のある白黒映像だ。 (00:52:43)

8x10の光沢カラー写真もある。これはここで何十年も続いている。 さて、なぜこれが重要なのかというと、1979年10月2日、ミルドレッド・ビッセルという女性がレナード・ストリングフィールドに宛てた手紙に行き着く。 この手紙の一部を紹介しよう。 昨年、デイトンで開催されたMUFONシンポジウムであなたの講演を聞いた。 (00:53:11)

先週、地元の図書館で講演をしたんだが、そのあとのディスカッションの時間に、ある人が空軍の砲手だったときにUFOに銃をぶっ放して、砲弾がUFOの側面で爆発しているところをガンカメラで撮影したことがある、と話してくれたんだ。 そのカメラは、着陸したときに飛行機の翼から外され、写真が現像されたという。 (00:53:32)

午前2時、数人の憲兵がやってきて彼をベッドから起こし、基地の講堂に連れて行った。 彼らは、UFOの17秒間の映画映像を何度も何度も流し、彼と他の2人の乗組員に午前10時まで尋問した。 彼は、何が起こったかを決して誰にも話さないように警告された。彼は、妻と家族がいて、仕事もあり、失うものも多いと言った。 (00:53:52)

彼はCIAを恐れているようで、名前さえ教えてくれなかった。 要するに、このパイロットは弾倉1個分の薬莢を空にして、ガンカメラの映像に収まった。 これは何度も何度も繰り返されてきたことだ。彼らはこれらの傍受のガンカメラの映像を絶対に持っている。 (00:54:14)

というわけで、米空軍基地の不明な機密資料ライブラリにたどり着く。 この本の212、213ページにある元軍人だ。 彼はこの機密資料図書館にいる。彼はそこに入るための正しいセキュリティ・クリアランスを持っていた。 そこで彼はファイルキャビネットの引き出しを開け、マニラフォルダーの一つを取り出した。 (00:54:39)

そして彼が描写したのは、直径約36フィートの円盤状の工芸品の8x10の白黒光沢写真だった。 (00:54:47)


低い高さのドームがあり、その外周を舷窓が取り囲んでいて、その舷窓の一つの内側に小さな穴があった。 ここで話を進めよう。彼が言ったのは、この機密資料図書館の職員についてだ。 軍人は機密資料室にアクセスできる正しいセキュリティ・クリアランスを持っていた。 その2 目撃者が見た報告書では、墜落について言及があり、死体が回収されていた。 (00:55:15)

第三に、機体の内部にアクセスするために、ダイヤモンドチップのドリルビットとアセチレントーチが使われた。 その4、最終的に技術者たちは小さな入口ハッチを使って機体内部に入ることができた。 これが興味深い。報告書によれば、ドアについて、まるで機体の素材が液化し、再び固まったかのようだったという。 (00:55:38)

要するに、これらの目撃者の多くが、これらの機体の継ぎ目は機体の皮膚と完全に一体化しており、そこに剃刀を入れることはできないと言っているのだ。 完全に一体化している。それが我々がここで扱っているものだ。まるで液体金属のように、安全で自己治癒力のある金属なのだ。 ペンタゴン 1952年 立ち入り禁止の部屋 これは作業員だ。この本の152ページ、ケース1だ。 (00:56:04)

さて、この作業員はペンタゴンの地下にある地下室に、おそらく偶然入った。彼女は自分がどこに行くのかよく知らなかった。 それで彼女はこの地下室に入った。彼女はこの部屋に入った。暗い。薄汚れている。左側に段ボール箱がいくつかある。 そして彼女は180度方向転換する。そこで彼女は何を見たか?

(00:56:30)

彼女はまったくショックを受けている。そしてこれがルディの絵だ。私はルディ、このショックを受けた表情の女性を描いてくれと言った。 これがルディが描いたものだ。5秒もしないうちに、この女性は肩に手を置かれたのを感じた。 それはE.T.で、すぐにこのエリアから出るようにと告げていた。彼女はそこに入ってはいけなかったのだ。 (00:56:51)

これがこの目撃者の証言だ。この目撃者を全体として見た場合、この中の何人かは嘘をついたり、デマを流したりしているのだろうか? もちろんだ。そうだ。それは間違いない。しかし、全体として見た場合、情報の集合体として見た場合、連合体として見た場合、すべての人が嘘をついているわけではない。 ここには119人がいる。全員が嘘をついているわけではない。ルディの絵を基にしたジョセフ・ライスのイラストだ。 (00:57:19)

つまり、このようなことがペンタゴンで行われていた可能性が高いということだ。だからもちろん、私は少し調べなければならなかった。 実際のところ、ペンタゴンに地下室はあるのだろうか? だからもちろん、私はここでいくつかの調査を勝ち取ることができた。1989年3月25日、ペニンシュラ・タイムズ・トリビューン紙。 新国防長官、国防総省の地下室で迷子になる。ディック・チェイニーのことだ。 (00:57:42)

よりによってダース・チェイニーがペンタゴンの地下室で迷子になった。そこで、こうだ。こんな場所があったんだ。 (00:57:49)


ペンタゴンの地下にそのような地下保管庫があり、そこに誰が何を隠しているか分からないということは、ジェームズ・フォックスも確認している。 しかし、要するにそれは存在するということだ。ペンタゴン・ビルは29エーカーの広さがある。巨大な建物だ。 この地下に何があるかは誰にもわからない。 よし 続けよう 1953年 モンタナ州ダットン セシル・テニーは民間人 この本の16ページだ (00:58:16)

彼は道を運転している。のんびりした一日だ。彼は何を見たか? まず、彼が見上げると、長さ120フィートの葉巻型の船が45度の角度で傾いているのが見えた。 そして、火と煙と火の玉を吐き出している。 空中に浮き続けようとしているようだが、なかなかうまくいかない。そう彼は言った。 (00:58:41)

さて、対向車のテールパイプが燃え上がり、彼は自分が見ているものが信じられない。 それで彼はどうしたかというと、これがピックアップトラックに乗った目撃者で、彼は地元の基地まで車を走らせ、ガソリンスタンドで報告書を提出した。 彼は実際にガソリンスタンドに行き、報告書を提出した。10分後、警察官がやってきて、事実上同じ報告書を提出する。 (00:59:09)

その夜、第一目撃者が家に帰ると、ここにいる感じのいい紳士から電話がかかってきた。 基地司令官だ。彼の正確な言葉は「君に会いたい」だった。 それで彼は翌朝基地に行くように言われた。彼は3時間ほど尋問された。 何を見た?それについて話すことは許されない。秘密保持契約書にサインしなければならなかった。 (00:59:31)

彼が立ち去ろうとするとき、芋袋を背負った筋骨隆々の二人の軍人を見かけた。 そのうちの一人がつまずいて転び、この袋が床に落ちた。 それがETのものだったのか、私にはわからない。でも、人間の体の一部が入っているように見えたと言ってた。 (00:59:56)

我々は知らないが、これは記録の一部だ。我々は歴史の正確さを維持しなければならない。 グレートフォールズ空軍基地は、もともとこの事件が起きた場所だ。 現在はマームストローム空軍基地となり、1967年に何度もUFOが飛来した場所である。 我々はロバート・サラスからそれを確認した。これは2010年9月20日のグレートフォールズだ。 これは1967年にさかのぼるが、1967年には10以上の核ICBMミサイルサイロがオフラインになった。 (01:00:29)

その2週間後、ボーイングのエンジニアがミサイルサイロを訪れ、AからZまで全ての電子機器をチェックした。 システムには何の問題も見つからなかった。 つまり、誰であろうと何であろうと、それは意図的なものであり、米軍に何か別のことが起こっていることを示す意図があったのだ。 その意図は誰にもわからないが、要するにボーイングは彼らのシステムに何の問題も見つけられなかったということだ。 (01:00:55)

つまり、空軍基地で何かが意図的に発生し、これらのICBMミサイルを停止させたのだ。 (01:01:01)


そうだ、そうだ。ルディーの絵にはそれが描かれている。彼はここに侵入を示した。 これは旧ソ連でも起こったことだ。彼らもまた同じような問題を抱えていた。 アルゼンチン、1954年12月7日。セシル・テニーが説明したことと似たようなことが、煙と炎が後ろから出ている葉巻型の飛行機を見た。 だから、それは孤立した事件ではない。これは1954年12月7日のアルゼンチンである。 (01:01:35)

これはトム・ボーガンが描いた、その機体がどのようなものであったかのイラストである。 続けて、フォートポーク、これはルイジアナ州キャンプポーク、1953年夏、主な情報源は陸軍の二等兵だった。 これは本の80ページだ。 彼は適切な時に適切な場所にいた。 卵型の機体が30フィート幅で降りてきたとき、機体の外側を回転するフィンのようなものがあり、まだ回転していた。 (01:02:04)

これが降りてきた場所の地面は、触るとまだ熱かった。ほとんど燃えていた。赤い炎が上がっていた。 そして彼は、この船から出てきたETを介助している軍の医療関係者がいたと言った。 一人は担架で運ばれていった。 そして、彼らの仲間たちと運ばれていく遺体との間で、継続的なコミュニケーションが試みられていた。 (01:02:32)

身長は3.5フィートから4フィートくらいで、小柄な体格で、大きな頭と大きな目をしていた。 ピチピチの緑色の飛行服を着ていた。 ミトンをつけ、ヘルメットをかぶっていた。 そしてもう一つのポイントは、彼らには膝関節がなかったということだ。 だから彼らは歩くときに階段状のステップを踏んでいた。 彼らには膝関節がなかった。腰を曲げることしかできなかった。 (01:02:56)

これは第一目撃者が語っていたことだ。 ここでレンダリングを続けよう。 ジョセフ・レイが描いたフルカラーのレンダリングで、フォートポークでの様子を描いている。 拡大しよう。彼らは医療スタッフに助けられている。 彼らは確かにミトンをつけ、ワンピース型のぴったりしたフライトスーツを着ていた。 ヘルメットをかぶっている。次のスライドに進む。 (01:03:19)

救急車に運び込まれる仲間だ。 ここで少しズームインしてみよう。 この死体が救急車に運ばれていく様子を、もう少し近くで拡大して見ることができる。 生存者はどうなったのか? 情報筋によると、生存者は病院に送られ、隔離されたが、すぐに全員が死亡したという。 (01:03:44)

彼はまた、死体はワシントンD.C.近くの医療センターに送られたことも知った。 それは興味深い。E.T.の遺体や死体が病理医の報告書や解剖のために送られる医療センターがあることは、何度も耳にしてきたことだ。 その場所とは?2001年に閉鎖されたウォルター・リード陸軍医療センターだ。 ここは間違いなく、多くの検死が行われたゼロ地点だ。 (01:04:12)

複数の情報筋がこれを確認している。 (01:04:14)


よし、アリゾナ州キングマンだ。UFOだ これは1953年5月18日だ。 ハリー・ドリューの仕事について言及したい。彼はもうこの世にいない。 彼は、キングマンの墜落回収の主要な目撃者であった。これは、事実上、強制着陸であり、墜落回収ではない。 ハリー・ドリューが調査した目撃者によると、彼が説明したのは、直径30フィート、高さ14フィートの円盤状の機体で、機体の外周をぐるりと囲む一連のくぼみがあり、小さな入り口のハッチがあった。 (01:04:51)

これは私が描いた2Dの図面だ。 さて、インディアン・スプリングスから飛び立った一連の軍人とエンジニアがいた。 彼らはフェニックスに飛んだ。 その数は30人ほどだった。 フェニックスに着くと、さらに10人が加わった。 これで40人になった。 彼らはゼネラルモーターズのバスに乗って、フェニックスからキングマンまで行った。 (01:05:16)

未舗装の道を深夜に到着したようなものだ。 歴史的な出来事だったに違いない。 だから、彼らがどこへ向かっていたのか、その軌跡をたどることができる。 ようやくそこに到着したとき、彼らが見たものはこれだった。 回収作業はすでに本格化していた。 ライトオフがあった。 各コーナーにテントがあった。 軍人がいた。 機体全体が30度の角度で傾いていた。 (01:05:38)

ここに3人の遺体が立っていた。 そして、他の3人の、引用すればリーダーであるリーダーがいた。 軍人とETとの間で双方向通信が行われた。 そして合意は、ETは1つの条件と1つだけで、軍と一緒に行くというものだった。 私たちを引き離さないこと。 それが合意事項だった。

(01:06:18)

それは2度起こった。 これは他の目撃者にも確認されている。 ということは、このクラフトの中で何かが起こっていたのだ。 次のスライドに移ろう。 M-25タンク・トランスポーターを運び込んだ。 クレードル装置を作った。 そしてこれを輸送した。 これはすべて夜だ。 (01:06:41)

そして急いでこれを移動させなければならなかった。 そこで彼らは何をしようとしていたかというと、ここで少し話がややこしくなる。 彼らはこれをエリア51に移そうとしていた。 これは53年にさかのぼる。 だから、もちろん、私はここを掘り始めた。 ハイウェイ93だ コロラド川を渡り、エリア51に向かうのだ。 (01:07:03)

これはハリー・ドリューの証言によるものだが、もしこの証言を信じるのであれば。 だからもちろん、私は調査を始めた。 そう、これが彼らが通った道だ。 ハイウェイ93は1935年に開通し、今も存在している。 (01:07:18)


そう、1953年には存在していたのだ。 さて、問題はグルーム・レイク、エリア51は1953年当時、何があったのか、ということだ。 U-2スパイ機のテスト飛行は1955年まで始まっていなかった。 私の親友であるピーター・マーリン(後で少し紹介する本を書いた人)について調べてみると、ここに少し矛盾がある。 ハリー・ドリューによると、フーバー・ダムに到着した後、彼らはこの形状の船の外径が大きすぎて、フーバー・ダム上部を通過できないことに気づいた。 (01:07:54)

それはできなかった。 そこで彼らは、フーバー・ダム北壁の北約100フィートの地点に設置されたプットインに向かった。 彼らはコロラド川にはしけを浮かべた。 円盤型の工作物を載せた18輪トラクター・トレーラーごと持っていった。 それをはしけの上に巻き上げた。 コロラド川にケーブルを張り巡らし、基本的にこのバージをコロラド川を渡らせようとした。 (01:08:19)

これはすべて夜で、急いでいた。 大勢の男たちが叫び、悪態をついている。 彼らは日が暮れる前にこれを固定しなければならなかった。 そして突然、ケーブルが切れた。 そしてこのバージ船はコロラド川を下り始め、実際にフーバー・ダムの壁にぶつかった。 水位からすると、今日、この船が接触した跡があるのかもしれない。 (01:08:41)

自分では見たことがないが、あるかもしれない。 少し拡大してみよう。 これを見れば、これがどのようなものであったかがわかるだろう。 結局、彼らはコロラド川に別のケーブルを何本も張った。 対岸まで到達した。 そしてハリー・ドリューによれば、それをエリア51に運んだ。 これがハリーの本だ。 (01:09:00)

これはとても珍しい本だ。 5月の7日間、キングマンUFO物語」。 この本を手に入れるのはほとんど不可能だ。 私が持っているのは、出版された数十冊のうちの一冊だろう。 とても興味深い本だ。 ハリーは素晴らしい仕事をした。 彼はもうこの世にいないけど、彼の研究には敬意を表したい。 というのも、エリア51に関する世界的な専門家であるピーター・マーリンの本の18ページには、 (01:09:27)

この地球上でこれ以上の人物はいない。 彼は「ドリームランド、エリア51の秘密の歴史」という本を書いた。 600ページほどのボリュームで、完全に参照され、完全に図解されている。 重さは6ポンドもある。 巨大な本だ。 18ページだ。 1955年以前、グルーム湖には補助滑走路があり、第二次世界大戦中、砲術訓練に使われた。 そこには格納庫はなかった。 53年当時、エリア51には本当に何の建物もなかった。 (01:09:57)

だから、ハリーが話していたことが何であれ、少し食い違いがある。 しかし、歴史家として、たとえ真実が私の聞きたいことと一致しなくても、真実を伝えなければならない。 (01:10:08)


では、この辺で。 どうぞ。 それは可能だ。可能だ ライト・パターソン空軍基地 1953年 マイケル・オルヴィーが情報源だ 彼は陸軍准尉だった レナード・ストリングフィールドの本の15ページだ。 つまり、ライト・パターソン空軍基地は、この情報の多くにとってゼロ地点なのだ。 だから、彼は適切な時に適切な場所にいた。 これが実際に行われたのは4番格納庫だと思う。 (01:11:00)

証明はできないが、4番格納庫だと思う。 この矢印を見れば、ベイEに行ける。 今は行けないが、これはすべて9-11以前のことだ。 彼が言うには、DC-7の4発貨物機が基地にタキシングしてきた。 これはすべて夜だ。 格納庫の中を想像してほしい。 (01:11:22)

飛行機が格納庫にタキシングされると、格納庫のドアが閉まる。 そして左舷の貨物室のドアが開いた。 そしてフォークリフトでパレットを降ろし始めた。 パレットには木枠が積まれていた。 この軍将校は木箱の3メートル以内に近づき、中を見始めた。 そして彼は何を見たか? (01:11:45)

彼は3つのE.T.の死体(すべて死亡)を、蓋が外された3つの木箱の中に見た。 身長は3.5~4フィートくらいで、ピチピチのフライトスーツを着ていた。 特大の頭、特大の目、スリットの入った口、小さな鼻があった。 ドライアイスの冷凍焼けから体を守る白いネットで、木枠の底から吊り下げられていた。 (01:12:12)

これは軍の情報筋の話だ。 彼はまた、この死体の一つは胸があったので女性だとも言っている。 これは報告書に書かれていたことなので、私はそれを持ち出しただけだ。 だから、ここで歴史を振り返ることにする。 ルディの絵を参考に、フルカラーのレンダリングを見てみよう。 これはジョセフ・レイが描いたもので、ライト・パターソン空軍基地で1953年当時、これがどのように見えたか、あるいはどのようなものであったかを描いている。 (01:12:38)

そこで彼は、瓦礫が降ろされる木箱も見た。 これは上から見下ろしたところだ。 遺体はこんな感じだった。 細かった。痩せ細っていた。 腕は膝下まであった。 頭は特大で、いつもピチピチのフライトスーツを着ていた。 次は資料番号16だ ウォルター・リード病院でエイリアンの検死が行われた。 (01:13:01)

その死体は身長3フィート、大きな頭、突き出た眉、顔の横に回り込んだくぼんだ目、非常に長い腕、灰色の肌であったと説明されている。 1952-1953年、クリーブランド・クリニックの病理医の報告書である。 つまり、大きな疑問は、ETの死体はどのような姿をしていたのか、ということである。 SFの世界だけでなく、これらの遺体の検死を行った医療関係者、報告書を書いた病理学者、レントゲンから、実際にどのように見えたのか。 (01:13:33)

文書化された正規の医療関係者によると、実際の遺体はどのように見えるのだろうか? (01:13:39)


まあ、身長は3.5〜4.5フィートだ。 これが第一の特徴だ。 2つの丸いアーモンドの目 瞳孔はなくくぼんでいる 重い眉尾根。 頭には毛がない。 耳たぶがない。 はっきりした鼻がない。 口は小さく開いている。 首は非常に細い。 胴体は小さい。 腕は長く、膝まである。 手には親指のない4本の指がある。 脚は短く、細い。 肌の色はベージュ、褐色、茶色、褐色。 (01:14:07)

病理医の報告書、レントゲン写真、剖検に携わった医療関係者の話から、これらの死体について我々が知っていることをすべて取り込み、ここにあるパラメータを取り込むとして、私はこう言った。 彼は奇跡的な仕事をしたと思う。 これ以上のものはないと思う。 (01:14:36)

そしてこれがルディが考え出したものだ。 病理学者の報告書によれば、これがこれらの死体の姿だ。 これ以上のものはないだろう。 これがベストだ これは複数の軍関係者、これらの遺体を検死した医療関係者の証言に基づいている。 重い眉尾根が見えるだろう。 特大の頭、切れ長の口が見えるだろう。 (01:14:56)

彼は基本的に、病理学者の報告書に書かれていることを忠実に再現している。 さて、ニューメキシコ州ウォーカー空軍基地、1954年4月12日。 この紳士は18歳だった。 若い男だった。 1954年から1955年にかけてカメラマンとして勤務していた。 この本の82ページだ。 この紳士は写真について何でも知っていた。 照明のことも知っていた。 (01:15:22)

陰影のことも知っていた。 影のことも知っていた。 露出についても知っていた。 彼は18歳にしてこの道のプロだった。 それで彼のグループには、このヘリコプター(H-19)に乗り込むよう招集がかかった。 そして彼らがヘリコプターに乗り込むと、PAシステムから「これは訓練ではない、赤色非常事態スクランブルだ。 彼らはウォーカー空軍基地(以前はロズウェル陸軍飛行場だった)を飛び立った。 (01:15:49)

彼らは北へ飛び始める。 フリーウェイは右手にある。 左折する。 北西のコロナに向かっている。 そして丘を越えたとき、彼らはこの飛行機を見た。 直径約50フィート。 外周にはリングがあり、光がまだ回転していた。 上部に中規模のドームがあった。 約45度の角度で入ってきた。 そして、このカメラマンは、この円盤状の機体の20フィート上空でホバリングしているこの機体の写真を撮り始めるように言われた。 (01:16:20)

彼はこれを本当によく見た。 これは記録されている。完全に記録されている。 さて、興味深いのは、ヘリコプターが着陸したとき、すぐに何かが明らかになったことだ。 自動車バッテリーの酸のような刺激臭がしたのだ。 これは墜落事故の回収作業で何度も出てくるものだ。 このころには、他の医療トラックも現場に向かっていたため、回収作業は本格化していた。 (01:16:51)

彼は見晴らしのいい場所から4体のETの死体を見た。 (01:16:54)


さて、彼が着陸したとき、彼は医療関係者と軍関係者から、この回収作業で回収された合計6体の遺体のために、工芸品の中に他の2体があったことを知った。 では、フルカラーのレンダリング画像をご覧いただこう。これがどのようなものであったかがわかるだろう。 この18歳のカメラマンは、この報告書の中でこう語っている。 (01:17:14)

もう一つのロズウェル。テキサスとメキシコの国境で墜落した。 この本を書いたノエとルーベンを称えたい。 これは1955年の春で、テキサスとメキシコの国境を越えたところだ。 次のスライドをご覧いただこう。 これは実際に行われた場所の周辺を示すものだ。 16機のF-86セイバーが4機のB-47と一緒に飛んでいる。 (01:17:42)

彼らはテキサス南部上空を西に向かって飛行している。 そしてこれが墜落した場所、ここランドリー、ここはイーグルズ・ネスト、まさにここに墜落した。 これが墜落した場所だ。 そして、これらのパイロットが西に向かって飛んでいる間、F-86パイロットの一人がこの機体がここに入ってくるのを見た。 彼は他のグループから離れ、左上に見えるカーズウェル空軍基地に着陸した。 (01:18:10)

彼はF-86から降りた。公共空港であるコルシカーナ市営空港に向かった。 彼は友人と一緒にアランカのテールドラッガー高翼機に乗り込み、テキサスとメキシコの国境を越えて墜落現場まで飛んで戻った。 夜が明ける前に到着した。 到着したとき、彼らが見たものはこれだった。

(01:18:38)

上部のドームはすでに飛び出していた。 メキシコ軍は他の誰よりも先にそこに到着した。 寒くなってきたので、多くのメキシコ兵がまだ温かい地面から瓦礫を取り出し、その瓦礫を6x6の兵員輸送車から取ってきたカバーに巻きつけ、そのカバーを温めてから、そのカバーを体につけて体を温めていたと、第一の目撃者は述べている。 (01:19:15)

これはちょっとした重要な要素で、彼らがそれをでっち上げるとは考えられない。 さて、機体の側面には、内部にあった遺体の一部が描かれた裂け目があった。 その内部をお見せしよう。 空軍パイロットのロバート・ウィリンガムによれば、腕はほうきのように見えるという。 (01:19:36)

これらはバラバラにされていた。燃やされていて、ちょっとぞっとする光景だった。 しかし、これはパイロットのロバート・ウィリンガムによるとこうだ。 もし我々が1955年当時メキシコにいたとしたら、この光景はどのようなものだっただろうか。 (01:19:50)


そして死体がどのようなものかをお見せするために、ここでズームインをする。 気の弱い人には向かないだろうが、これは軍からの直接の情報源、ロバート・ウィリンガムからのものだ。 ライト・パターソン空軍基地、1955年、対外資料課、ミセスG、この本の17ページだ。 このケースは、この女性が私たちに嘘をついていないことが、このケースを読むだけでわかる。 (01:20:16)

「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」のエンディング・シーンのような、大きな倉庫のようなものがある。 これが戦争作戦ビルのイメージだ。これが倉庫ビル258だ。 この女性は、回収されたUFOの内部から入ってきた1,000もの部品のカタログを作ったと述べている。 (01:20:43)

1000個の部品。 だから、上院議員や下院議員が物的証拠を何も持っていないという話を聞くとき、この女性は1955年にライト・パターソン空軍基地にいて、1000個の部品をカタログ化したと言っているのだ。だから、上院議員や下院議員たちに対する彼女の言葉は、まさに真実なのだ。 ここで話を続けよう。 そこで私はルディに尋ねた。「ミセスGの図面をくれ」と。彼女はカタログを作っている。そこで私はルディに尋ねた。ミセス (01:21:11)

「ミセスGの図面をくれ」と。彼女はカタログを作っている。それから、これらのシェルに、回収された可能性のあるETの部品や残骸、型式船をすべて入れてほしい。 そこで彼らが行ったのは、これを組み立てラインとして設置することだった。 一人の紳士がステーションにいて、破片の写真を撮っていた。 そして次の紳士がそれを袋に入れ、タグを付けた。 (01:21:36)

そして彼女は1000以上の部品をカタログ化した。 この作業が行われている間、2体のETの死体がホルマリン漬けにされたまま、回転する台車が通り過ぎた。 彼女はこれをすべて見たわけだ。 彼女が亡くなる直前、研究者たちは彼女にこう言った。 私が墓の中に入ってしまえば、アンクル・サムは私に何もできない。 (01:22:01)

半年後、彼女は亡くなった。私は、彼女の証言は絶対に本物だと信じている。 もし私たちがこの場にいて、G夫人と一緒に働いていたとしたら、この証言はどのようなものだっただろうか。 さらに続ける。 ETのハードウェアの物理的な構成要素が1,000以上存在する以上、この証拠は、適切なセキュリティ・クリアランスを持つ上院議員や下院議員によって追跡されるべきであり、彼女は公開の議会公聴会で発表されるべきである。 (01:22:25)

これは、最後の遺産である証人たちがここで亡くなってしまう前に、今すぐ起こすべきことだ。 出典は、エド・カマラック・ジュニアが1950年代後半に行なった、引退した空軍パイロットである。 彼がこの空軍パイロットにインタビューしたとき、彼は直径約60フィートの皿形の飛行機を描いた5分から6分の白黒フィルムの切り抜きを見たと述べた。 その側面には傷があった。 映写スクリーンの内側の壁には、この図像が書かれていた。 (01:23:05)

これはエンジンがどのように見えるかのブローアップのようなもので、船自体の内壁にはこのような異なるタイプの文字もあった。 (01:23:13)


さて、ライト・パターソン空軍基地、1962年4月。 直径15フィートの皿状の機体が、第354戦術航空司令部戦闘機飛行隊に属していた5人の一時的なパイロットによって目撃された、88ページ。 だから、彼らのリーダーは彼らの体調管理を担当していた。 1962年当時、彼らはライト・パターソン空軍の格納庫の列をジョギングしていた。 彼らは4つの壁からなるラケットボールコートを完成させるための壁を探していた。 (01:23:46)

基本的に、彼らはそうしていた。 彼らが格納庫を通り抜けたとき、格納庫のドアの1つが開いて、中に飛び込んだ。 ライフル銃を持った軍人が6人ほどいた。 ロープが張られていた。エンジンのテストスタンド2基の上に置かれていた。 そして彼らは挑戦していた。 この紳士が言ったことはとても興味深い。 (01:24:10)

これはジョセフ・レイが描いたフルカラーのレンダリングで、もし我々が戦術空軍司令部戦闘機のパイロットと一緒にそこに戻っていたら、この戦闘機はどんな風に見えただろう。 警備員はこう言った。 警備員は、あなたがここにいるはずはないと思うのですが、と挑発した。

私は肯定の返事をし、私たちは振り返って立ち去った。古き良きアメリカは発展したものだ、と心の中でつぶやきながら。

空飛ぶ円盤は開発され、あるいはずっと現役だった。 これも軍関係者の証言の一つだ。 私は、彼らがここで見ているものが真実であると信じている。 参照番号53、日付1963年。 情報源はP.J.、海軍大尉である。 彼はブラニフ航空に勤務しており、ライト・パターソン空軍基地で直径30フィートの皿型飛行体を目撃した。 つまり、ライト・パターソン空軍基地には機体があり、残骸があり、死体があるということになる。 (01:25:03)

少なくとも1950年代初頭、1940年代にさかのぼり、おそらく1960年代後半まで続くだろう。 続けよう。 1963年12月、ノースカロライナ州チェリーポイント。 これは海兵隊員だ。名前はわかっている。ロイ・ベイカーだ。 本の152ページだ ここはチェリーポイントで、ハヴロックの少し北にある。 彼は窓が黒く塗りつぶされた飛行機に乗るように言われた。 (01:25:30)

そこで彼はこの飛行機に乗り込んだ。 ノースカロライナ州のチェリーポイントから約3時間飛ぶ。 彼は知らなかったが、非公開の場所に着陸した。 彼が飛行機から降りると、格納庫のドアが開けられた。 彼は中を見て、直径約40フィート、高さ約15フィートで、鏡のように反射するクロームメッキの外装で、高度に磨かれた機体を見た。 機体の外周には9つの楕円形の窓があった。 (01:25:58)

そして彼は、この船の出入り口ハッチは船自体の皮膚と完全に一体化しており、この継ぎ目の中に剃刀を入れることはできないと言った。 それくらいハッチ通路は完全に一体化していた。 彼はまた、白衣の技術者チームがダイヤモンドの先がついたドリルビットで船体を破ろうとしていたとも言っている。 つまり、この赤い点が侵入しようとした場所だ。 (01:26:28)

彼らは継ぎ目の上でそれを試みていたが、中に入れなかったのがわかるだろう。 (01:26:31)


彼らは絶対に中に入れなかった。 ルディ 時間通りか? 828. よし、あと1回分だ。 続けよう。 ジョセフ・ライスがフルカラーで 描いたものだ もし1963年に我々がそこにいたら この船はどうなっていただろう? 推進手段も翼もエルロンも見えない。 赤い点は侵入しようとした地点である。 (01:26:55)

そこで彼らが試みたことはこうだ。 先端がダイヤモンドのドリルビットが失敗すると、アセチレン切断トーチに切り替えた。 しかしこれもダメだった。 最後の手段はレーザーだったが、これもうまくいかなかった。 つまり、彼らはこの工芸品に入ろうと3回試みたが、何一つ入ることができなかったのだ。 彼らが中に入ることができたかどうか、私は今日まで知らないが、彼らはこの3回の試みを試みた。 (01:27:18)

さて、ここで見ているのは実際のオリジナルのペン画である。 これは複製ではない。これは実際のオリジナルのコピーである。 これはロイ・ベイカーという海兵隊員自身によるものだ。 これを分解してみる。大雑把だが 重要な項目がある 左上と右上だ 耐え難いほどよく照らされている。 全体が床から5フィートほど離れた足場に支えられているのがわかる。 (01:27:45)

中央の不透明な窓の左を見ると、この黒い点がある。 これがダイヤモンド・チップ・ドリル・ビットで侵入しようとしたポイントだ。 そして、このパッドが船体を支えている。 これはレナード・ストリングフィールドのインタビューを受けた海兵隊員のものだ。 マイケル・ジョンストンが海兵隊員にインタビューしたのは1986年のことだ。 今から約12年前、私はマイケル・ジョンストンを探し出した。 (01:28:13)

ビデオテープでインタビューしたんだ。 彼はロイ・ベイカーから聞いたこの事件についての他の詳細をすべて教えてくれた。 彼はこの絵を描いた。 機体の外皮と不透明な窓の外側の間には1インチの溝があった。 親指で感じることができるものだ。 彼は報告書の中でそれに言及した。 ここで続けよう。 (01:28:32)

これがAutoCADで描いた図面だ。 この全体は足場に支えられている。 その下を歩くことができる。 この船の真下には白い丸が描かれていた。 その輪を破ろうとする者を射殺するのが彼の命令だった。 ここで続けよう。 これがジョセフ・レイが描いた実際の姿だ。 (01:28:52)

そしてこれがジョン・マクニールの最初のパスだ。 白衣の技術者がいるのがわかるだろう。 ここに白い丸がある。 足場もある これは軍の証人が話したことと一致している。 それでは、この施設を見学していただこう。 まるで塀の上のハエのようにね。 (01:29:14)

そしてこのチェーン・リンク・フェンスを突き破って、格納庫の中に入る。 (01:29:18)


さあ、格納庫を通り抜けよう。 もう少しだ。 視界が開けてきた。 もう少し近づく。 軍人がいるのがわかるだろう。 床には白く塗られた円がある。 耐え難いほどよく照らされている。 足場がある。 スーツタイプのCIAタイプもいる。 彼は現場でもそう説明した。 (01:29:39)

もう少し近づいてみる。 ダイヤモンドチップのドリルビットが入ろうとしている。 機体には入れない。 もう少し近づいてみる。 これは45度の見下ろしアングルだ。 彼は絶対に白衣の技術者を描写した。 彼らは全員色分けされたバッジを持っていた。 次のスライドに進もう。 (01:29:59)

さて、彼がそこにいた最後の日、彼は2週間そこにいたので、彼の仕事はこれを警備することだった。 彼が格納庫に入った最後の日、格納庫は足場から外され、クレードル装置に乗せられていた。 だから今、ここに0%の防水シートが張られているところだ。 彼らはクレードル装置を持っていた。 (01:30:18)

約50%の防水シートが張られている。 続けていこう。 完全防水だ。 この施設を出る準備をしている。 次の場所に移動する。 だから、彼らがこのようなことを隠しておく方法は、第一に、情報を区分けすることだ。 それが第一だ。 2つ目は、これらの資産を次から次へと移動させ、指揮系統を非常に低く保つことだ。 (01:30:42)

トップのごく少数の人間だけが、全体について知っている。 これはルディが描いたもので、次の場所に移動する準備をしているときに、これがどのように見えたかを示している。 さて、レーザー事件について話そう。 アセチレン・トーチが故障すると、彼らは大きな発電機を積んだ18輪トラクターの少年トラック2台を運び込んだ。 (01:31:03)

頑丈なケーブルがあった。 1963年当時、彼らは実際にレーザーを持っていた。 世界で最も強力なものではなかった。 発電装置をレーザーに接続し、レーザーを船の皮膚に照射した。 それが跳ね返って反射し、天井のタイルを傷つけた。 それが1963年に起きたことだ。 レーザーを遠ざけると、触ると暖かかったが、皮膚には何の影響もなかった。 (01:31:26)

これが天井のタイルにダメージを与えたシーンだ。 興味深い点だった。 海兵隊員による実際のスケッチである。 そしてこれが色分けされたバッジだ。 緑のバッジを持っていれば、ここに行ける。 黄色のバッジを持っていれば、この施設に入れる。 赤のバッジを持っていれば、施設全体に出入りできる。 (01:31:48)

さて、ある時海兵隊員がこの格納庫施設にいた時、誰も彼をチェックしなかった。 彼は一人でそこに入った。 (01:31:58)


彼は小さなミノックスのカメラを持っていて、これを写真に撮った。 そして彼は言った、「いつかこの話をするつもりだ。 しかし、その写真は1983年の洪水で失われ、証拠も失われてしまった。 だから、もう少しで足場に立てかけられた機体の写真が撮れるところだったんだ。 みんなに見てもらえるはずだったのに、洪水で失われてしまった。 (01:32:21)

そこで私は、実際のミノックス・カメラの写真がどのようなものであったかを基に、複製ができないかと考えた。 そして出来上がったのがこれだ。 1963年にロイ・ベイカーが撮影したものだ。 ポール・ニッツ、アメリカ海軍長官、63年から67年だ。 目撃者の証言によると、その白線の上を歩いていた海軍長官がいたそうだ。 (01:32:47)

彼はもう少しで撃たれるところだった。それはこの紳士だっただろう。 この紳士がその事件に巻き込まれたのだろう。 メルビン・F・マクニコル少将だ。なぜ彼を取り上げたか? 彼はティンカー空軍基地の基地司令官だった。 ここに彼の死亡記事がある。 元ティンカー司令官メルビン・マクニコル死去 オクラホマ州デーリー 1986年7月11日 つまり、彼は自分が言ったとおりの人物なのだ。 (01:33:10)

彼はケープジラード事件に関わったシャーロット・マンと親友だった。 この2人は友人だった。彼らはUFOに共通の関心を持っていた。 そして5年ほど前、彼女はアリゾナ州フェニックスで開催された国際UFO会議で講演をした。 ここでも、この2人は親友だった。 それで二人は話をしていた。 シャーロット・マンがメルヴィン・マクニコルのところにやってきて、こう言ったんだ。僕たちはUFOに興味を持っているんだ。 (01:33:39)

あなたは何も教えてくれなかった。まだ友達なのか?もう知らないよ。まだ友達なのか? そしてこの将軍はシャーロット・マンに向かって言った、「シャーロット、もし今から話すことを繰り返したら、私のキャリアが台無しになるかもしれない。 彼は彼女に3つのことを話した。 その1、西の方角でUFOを見た。それは海兵隊員と一致する。 (01:34:03)

その2、海兵隊員が言っていたように、足場に支えられたキャットウォークでUFOの周りを歩いた。 遺体は回収され、1人はまだ生きていた。 シャーロット・マンがメルビン・マクニコルから聞いた話を聞いたとき、私は「ドーン、今わかった」と言った。 1963年12月に海兵隊員が言っていたことと正確に一致しているのだから。 彼らはお互いを知らなかったはずだ。 (01:34:24)

シャーロットがこのことを話しているのを聞いて、僕は言ったんだ。 これで証明できる。1963年に西部のどこかで回収されたUFOがある。 メルヴィン・マクニコルは、基本的に私のためにそれをカバーしてくれた。 このプレゼンテーションでは、レナード・ストリングフィールドの本から、最も重要な墜落回収事例を簡単に紹介したいと思う。 (01:34:50)

(01:34:56)


そしてここでのゴールは、イラストを使うことによって、我々の国の歴史の重要な部分を保存することである。 ご清聴ありがとう。 クールだ。どうぞ。 E.T.種族はとても進化している。 なぜ2兆3千億光年も彼方から? 重力の井戸を通り抜ける クォークを通り抜けるんだ。 (01:35:38)

彼らはブラックホールを通り抜ける。 ブラックホールを通り抜ける。 そして大気圏に突入し、墜落する。 それは本当に理にかなっていない。 しかし、そうするケースもある。 それを裏付ける証拠書類がいくつかある。軍事情報産業複合体の中に不正な集団が存在し、1つはフリーエネルギー推進システムの進歩のため、もう1つは兵器システムの進歩のために、これらを標的にし、追跡し、撃墜しているのだ。 (01:36:10)

だから米軍情報複合体は、これらの資産を取り戻すためには手段を選ばない。 だから、それが起こっているように見える。 それが起こっていることのようだ。 他に誰かいるか? ポール・ハイネックが前書きを書いている。 そうだ そうだ。 どうぞ 実は何年も前に 脅迫された 秘密の情報があるんだ これだけは言える (01:36:42)

ジェームズ・ジーザス・アングルトンはファイルを持っていた。 そのファイルには、ロズウェルの本当の話と、その他大勢の名前が書かれている。 そしてまた、私たちは、私たちや、私たちにそれを話すために連れてきた人々は、死の脅迫を受けた。 だから、これ以上は話せない。 それ以上のことは知っている。 でも、これ以上は話せない。 だから、この話にはまだ続きがある。 (01:37:08)

驚くべきことに、マイケルがロズウェルの話や他の話にしたように。 ジェームズ・ジーザス・アングルトンのファイルにある。 素晴らしい。 素晴らしい。 テレビ放映されたUAPだ。 公聴会? そうだ 私も公聴会を見たよ。 そして圧倒された。 何もないハンバーガーだったと思う。 文字通り、もう1年が過ぎようとしている。 何のフォローアップもない。 クラッシュの回収もない。 (01:37:47)

情報公開もない。 遺体もない。 機体も出てきていない。 もう私たち次第だ。 政府はこのまま問題を放置し続けるつもりだ。 ロズウェルのように 時間切れを狙ってる 509団はもう生きていない 彼らは時間を使い果たした。 政府の目には、隠蔽工作は完了したと映る。 (01:38:06)

そして彼らは、遺産となった残りの目撃者たちにも、これを行おうとしている。 だからこそ、レナードの本を取り上げることが重要なのだ。 なぜなら、彼にはもっと多くの事件があったからだ。 そして、彼ら全員が一致団結し、一つの声として結集することができる。 それがこの件を前進させるために必要なことだ 他に誰かいるか? ああ、どうぞ。 私は97年の症例を持っている。 グリア博士の功績は証人を吟味したことだ。 (01:38:35)

しかし、彼は基本的に回収作業にいた。 (01:38:39)


これは1997年4月、ボリビアのジャングルで、彼は岩場の側面に埋め込まれた、長さ65フィート、高さ45フィートほどの卵型の工作物に出くわした。 回収作業には少なくとも2人の遺体が関与していた。 船体の側面には裂け目があった。 そして液体が噴出し、それが彼の皮膚に付着した。 というわけで、非常に信憑性の高い事件だ。 (01:39:05)

それで97だ。 UAの公聴会では、驚くべき墜落回収を目撃した証人がいる。 彼のファーストネームはマイケルだったと思う。 私は彼と話をした。彼はインタビューに答えるつもりだった。 その後、誰かが彼に接触し、彼は終わったんだと思う。 どのくらい国際的な... つまり、ボリビアの話をしたよね。 メキシコの税制改革についても話した。 メキシコの税制改革についても話した。 (01:39:36)

つまり、南北アメリカだ。 ロシアは大きな場所だ。 彼らはどこで活躍するのか? 国際的な情報は得られているのか? アメリカ政府、軍は世界中の現場にいる。 そしてストーリーをコントロールしている。 そして、彼らは工作機械を購入し、どこにでも入っていく。 アフリカも含まれる。 フランスに行って目撃者にインタビューした。 (01:40:12)

つまり、墜落事故の回収は世界中どこでも行われている。 しかしアメリカ政府、またの名を軍が完全にコントロールしている。 わかった。 どうぞ。 我々がここで扱っているのは、多頭のヒドラだ。 ET(地球外生命体)の疑惑がある。 人工物もいる 異次元の船もいる タイムトラベラーもいる 未確認水中物体。 つまり、5つのことが同時に進行し、すべてが収束しているのだ。 (01:40:52)

だからこそ、この現象が実際に何なのかを突き止めるのはとても難しいのだ。 J.L.やハイネクでさえ、もし我々がETについてだけ話しているのだとしたら、これはどんなにつまらないことだろうということを知っていた。 なぜなら、この現象は空飛ぶ円盤よりもずっと大きなものだからだ。 実際、UFO事件の51%はUSO事件であり、未確認水中物体である。 (01:41:19)

そして、ほとんど話題にすらならない。 つまり、ここには実に多くのことが起こっているのだ。 そしてアメリカの軍産複合体は、自分たちのディープ・ブラック・プログラムを隠すために、ETを利用している。 だから、このことも考えておきたい。 つまり、これは何層にも重なっているのだ。 トリックスターだ。 このようなものは、影響を与えることなく、山の中にも外にも行くことができる。 自由自在に物質化も脱物質化もできる。 (01:41:43)

だから我々は物理的な工芸品の話をしているのではない。 ここではもっと多くのことが起こっているんだ。 そうだね。 来てくれてありがとう。 感謝するよ。 どうぞ、リード。 まあ、彼らがやろうとしていることは、94年以前のものを完全に消し去ろうとしているんだ。 チックタックとか、ああいうタイプのケースを消滅させようとしている。 しかし、私はそれを許さない。 他のUFO研究家もそうはさせない。 (01:42:10)

ケーリーもそうはさせない。 我々は1865年までさかのぼる遺産をすべて持っているんだ。 (01:42:14)


NICAPのファイルには証拠が山ほどある。 日曜の午後、雨が降っていて退屈している人がいたら、 NICAP.orgにアクセスしてほしい。 1952年と書かれたクロノスのファイルを開くんだ。 パイロットが実際に遭遇した飛行艇を心ゆくまで読むことができる。 その数は何百とある。 52年のフラップは1947年のフラップを上回っている。 (01:42:40)

そして、何もないと思って立ち去ることはできない。 だから、このことは関係している。 文書化されている。 私たちに今ある唯一の選択肢は、物的証拠とともにこのデータを引き出すことができる、残された証人を探し出すことだ。 それができなければ、我々はあと80年もこのことを知らないままここにいることになる。 つまり、これが情報開示の最終的なカーテンコールなのだ。 (01:43:01)

この時点では我々次第だ。 私は本当にがっかりした。 私は昨年、グリア博士と一緒にDCでの内部告発のイベントに参加した。 それを知っている人がいたかどうか分からない。 君たちはそれを見たのか? みんな知っていたよ。 彼らは信頼できる内部告発者だった。 デイヴィッド・グラッシュが「何かを見た人に話を聞いた」と言うようなものではない。 (01:43:25)

この内部告発者たちは、マイクと私が実際に接触した。 私たちは彼らにインタビューし、このプレゼンテーションのために彼らの絵を書き留めることができた。 私はこのようなことをするのは初めてだった。 僕はSFファンだった。 イラストレーターとしてのキャリアも長い。 でもマイケルに会ったとき、彼はこれらの物語が素晴らしいと教えてくれた。 でも僕は内部の部外者で、できる限り彼らを助けようとしているんだ。 (01:43:46)

それで、その人たちと話をすることになり、それに没頭することになる。 そしてGrushはGreerのプレゼンテーションの直前に登場した。 数年前、グリアー博士と夕食を共にしたんだ。 私の人生で最もシュールな瞬間だった。 (01:44:13)

で、僕は彼を見て、ああ、そうだね、と言ったんだ。 僕はサドルバックで教えていたんだけど、ある生徒が僕のところに来て、スティーブン・グリアのことを知ってるかって言ったんだ。私は、いや、聞いたことがないと答えた。 ルディ、君の絵がどれだけ高くなったか話してくれないか? ルディ、君のデッサンがどれほどのものだったか話してくれるかい? (01:44:28)

さて、結論から言うと、誰もがこのような展開になることを予想していたので、がっかりしている。 グリア博士はかなり信頼できる。 彼は情報を持っている。 しかし、彼がこのようなことを発表しようとすると、突然、デビッド・グラッシュが出てくる。 そして、全てのニュースチャンネルが、私はもうメインストリームのニュースは全く見ていないが、私の意見では、彼らは完全にコントロールされているからだ。 (01:44:54)

そしてまた、私のバックグラウンドはプロパガンダの論文で、プロパガンダについて書いた。 (01:44:57)


そして、そういうことが起こるのは知っているだろう。メディアは何かを得ると、その物語を流し、みんなが同じことを言う。 だからテレビと呼ばれるんだ。テレコミュニケーション、ビジョン、プログラミング。 ああ、私はこの番組を見るんだ。 私たちはこの用語を当たり前のように使っているが、それは私たちがこの用語で育ってきたからだ。 モッキンバード?よし、これだ。 ここにいる多くの人は、プロジェクト・ブルーブックが何なのか知らないかもしれないし、アラン・ハイネックが誰なのかも知らないだろう。 (01:45:29)

しかし、要するに、グラッシュが登場し、すべてのニュースメディアが彼を取り上げ、彼はどこにでもいて、部屋の空気をすべて吸い取ってしまった。 マイケルがその鍵を握っていた。彼は、私たち、私や他の何人かのアーティストに、こうする必要があるんだ、私たちはこの人たちにインタビューしたんだ、そして私はただ圧倒されてここに座り、ドローイングを描いていた。 (01:46:00)

僕はカトリックの学校で美術の教師として働いていて、副業としてフリーランスで活動しているんだけど、なるべく控えめにしているんだ。僕が知っているのは、去年の今頃、美術学校の、あるいは美術プログラムのマーケット・ディレクターが、僕に電話をかけてきて、ルディ、夏休みに迷惑かけてごめんね、と言うんだ。 (01:46:25)

それで僕は、え?友人が数日前に投稿していたんだけど、マイケル・ヘレラの同じ画像だった。 謙遜する必要はないよ、ルディ、君はフォックス・ニュースまで進出したんだ。誇りに思うよ。 それで、彼らはその記事を書いた人物にインタビューしたんだ。だから、アートワークがそこにあって、僕はただそこに座って、おっ、どうなってるんだ? (01:46:50)

。しかし、あなたが見たのは一瞬だけで、ブリュワー博士のプレゼンテーションは完全に終わっていた。そして、ラッシュはその男になった。 続けてくれ。 私の目標は、過去80年間に何度も行われた墜落事故奪還への認識を高め、奪還作戦に参加した軍関係者の目撃者を探し出すことだ。それが私の目標だ。それしかない。 (01:47:24)

それが私の究極の目標だ。それしかないんだ。 オーケー、ありがとう。ありがとう。そうだね。よかった。最高だ クールだ 最高だ よし。 (01:47:36)

▼原文 展開

Well, thank you for joining me tonight. I really appreciate it. We've got a small intimate group here. We're not going to rush things. We're going to go very slowly here. We're going to walk through these cases one by one. They're all in chronological order. I'm going to provide you with the references, the paperwork, the documentation,so you can verify these cases on your own. I want to thank Rudy and her wife for giving me the opportunity to join all of you today. (00:00:26)

And what I want to do this afternoon is basically give you a brief overview of some of the most mission-critical caseswithin the Leonard Springfield crash retrieval booklet, you could say. Seven of these status reports were made, and this is really what Rudy and I have been working on for the past three years here. Lots of information to go through. I want to go ahead and get started, but the title of this talk is calledLots of information to go through. (00:00:53)

I want to go ahead and get started, but the title of this talk is calledRetrievals of the Third Kind, Cosmic Crashes, Corpses, and Cover-Ups. That's the name of this presentation here. And I kind of like to start here. UFO crash retrievals, the ultimate holy grail of ufology. Now, why is it called the ultimate holy grail of ufology? It's simple. Because it's the crash retrievals that have the bodies, the debris, and the craft all rolled up into one subject. (00:01:20)

This is the vehicle that's going to get us to disclosure. Anything less than that, and we're literally spinning our wheels, because we've been in this business for 80 years now. We've got hundreds of thousands of CE1 cases, CE2 cases. What we need is the hard, physical evidence. That's what's going to drive this whole field forward. So that's why the crash retrievals are literally the ultimate holy grail here. (00:01:48)

A couple of quick announcements before we get into the cases. The content of each case highlighted in this presentation has remained intact for the description of the original source. Number two, the identity of first-hand sources will be protected for Leonard Springfield's original agreement with his military contacts. Number three, the visual aids used in this presentation are computer-generated forensic composite illustrations and sketches,which originated from the specific details provided by Leonard's sources. (00:02:18)

Sources for the material covered in this presentation include the following. So this is where Leonard got his information. First-hand military contacts. Three-star U.S. Air Force generals, U.S. Air Force fighter pilots, astronauts, commercial airline pilots, air traffic controllers, neurosurgeons, pathologists, theoretical physicists and mathematicians,U.S. Army officers, U.S. Navy officers, military police, high-level Pentagon officials, top military brass, scientists and engineers who work at Wright-Petterson Air Force Base and other government facilities. (00:02:55)

So this is just a brief cross-section of the caliber of witnesses that Leonard used to get this information. A couple of quick quotes. Number one, UFO crash retrievals can't be real because if they were, I would have read about them in the local newspaper. That's the first one. (00:03:13)


Number two, there are not now, nor ever have been, any extraterrestrial visitors or equipment on Wright-Petterson Air Force Base. This is their original press release back in July of 1980. So it's going to be our witnesses against the U.S. Air Force. That's the protocol that we're going to be following here. So this is the man of the hour. This is Leonard Stringfield. He's the gentleman who coined the term UFO crash retrievals. (00:03:40)

And over, oh, I would say a good 30-year period, he collected these stories and accounts from these firsthand military witnesses. And they would come to him with all this information. And he compiled all this into multiple status reports. And we'll just go over a couple of biographical points here. First one, Leonard was born in 1920, grew up in Cincinnati, Ohio. By the time he graduated from high school in 1939, he already memorized the entire dictionary. (00:04:08)

So this is the kind of guy that you want on your team to be collecting these type stories. Next one, he joined the military as soon as he heard about the attack on Pearl Harbor on December 7, 1941. After the war, he was employed by a chemical company in Ohio, retired after 30 years. Leonard wrote two books, Inside Saucer, Post 3-0, back in 1957. (00:04:31)

Situation in Red, that was back in 1977. Now the next bullet item is the one that we kind of want to drill down on here. His lecture on UFO crash retrievals at the 1978 UFON Symposium in Dayton, Ohio caused an international sensation. Now the reason why is because this was the first time this whole concept of UFO crash retrievals actually made it onto the radar screen. (00:04:56)

But it was a double-edged sword because the agreement that Leonard made with his first-hand military contactsis he could maintain an important part of our national history by telling these accounts, but the names had to remain under wraps. And so there was this double-edged sword here, and there was some pushback at the UFON Symposium. Leonard passed away December 18th, 1994. Cincinnati Enquirer, July 19th, 1993. (00:05:23)

Author continues quest for truth about UFOs. What I've collected has staggering implications for mankind. This would be the biggest thing since Price, really. If one of these cases is real, it would be a big issue here. Leonard maintained a collection of 22 bank boxes of original correspondence letters, drawings, audio tapes, and testimony from his sources. These witnesses should be located, and their testimony should be presented before Congress. (00:05:51)

That needs to happen. That needs to happen. Because we don't need any of these lone wolves coming forward. We need an entire united coalition of engineers, scientists, people who worked on these reverse engineering programs. We need them to come together as one united voice, and then we can make some good progress here. So, that brings us to this document. Retrievals of the Third Kind, UFO Crash Retrievals that Complete Investigations by Springfield, 1978-1994. (00:06:20)

And so this is kind of how Rudy and I really get going on this. (00:06:24)


Now, this is the book right here, which I have a copy of. And it's got all this wonderful detail on crash retrievals, and bodies, and who was involved in 18-wheeler tractor trailers being sent to Wright-Patterson Air Force Base. It's got all this great information, but as you can see here, it's dry reading. You know, this isn't for the faint of heart. You've got to be a crazy fool like me to get into this kind of thing. (00:06:48)

And so I'm thinking, something needs to happen here. Someone needs to get boots on the ground, go through this document with a fine-tooth comb, pick out the mission-critical cases, and commit those to refined drawings. I'm not qualified to do it, and if we don't do it, we're just left to our imagination. What do these cases look like? I'm not qualified to execute this plan. (00:07:13)

So, I met Rudy at this air show, and I saw his wonderful artwork. I'm thinking, this might be the guy that could help me make these cases come alive. And so, for the past three years, that's exactly what we've been doing. We've been going case-by-case through the entire book, making these cases come alive to preserve an important part of our national history. And that's really the basis of this entire presentation. (00:07:36)

The other book to look at, my friend Ryan Wood, Magic Eyes Only. So, within this document, there's 119 crash retrievals. In this document, there's 104 crash retrievals. Now, are there some overlaps? Yes, there are some overlaps here and there. So, conservatively, we've definitely got about 100 cases. I mean, that's a very conservative number. So, between these two documents, we've got some really good reference information here to drill down on these cases. (00:08:08)

Now, would you go to Las Vegas if you knew the odds were 119 to 1 in your favor? Technically, we can't lose. So, if you had a roulette wheel and had 120 spaces and you put a bet on 119 of them, you're going to win every time. You almost can't lose. And that's the point I'm making is we only need one of these cases to be real and authentic. (00:08:31)

And the whole concept of non-crash retrieval reality completely falls apart. We only need one to be authentic. And we've got over 119 in our favor here. So, I want to give credit to Rudy for his wonderful artwork. And we're going to start here with this case. Mufon Journal, and this is number 403, November 2001. And these are all in chronological order here. This has to do with the 1941 crash retrieval at Cape Girardeau, Missouri. (00:09:02)

Primary people in this case is Charlotte Mann and Reverend William Hoffman. And we'll kind of go through this case here. The book to look at is M041, that's Missouri 41, The Bombshell Before Roswell. So, we're talking six years before Roswell here. And what happened is the Reverend got this knock on the door at about 9.30 p.m. at night. (00:09:27)


This is April 20th, 1941. So, he opens up the door, there's a police officer there. And this police officer says, you know, we believe what we think is an aircraft crash. We need you to help us with an investigation. Would you assist us? So, he got in the squad car. They drove about 15 miles across town. And when they got there, they kind of went into this farmer's field. (00:09:50)

The military was just getting on the scene. And there were some burning embers in the background. There was farm personnel all around the area. There was a fire truck there. And what he saw was about a 25-foot diameter disc-shaped craft that had augered in at a 45-degree angle. It had a hull breach on the side of it revealing internal components. There were three E.T. bodies laying near the craft. (00:10:14)

All about three and a half to four feet tall. Wearing a one-piece tight-fitting flight suit. Oversized head, oversized eyes, slit for a minute nose. All wearing this one-piece tight-fitting flight suit. And one of them was still alive when he got there. So, this is kind of the scene when Huffman Man actually got there. Now, he did pray over the survivor who lasted about 60 seconds. (00:10:38)

And then he passed away. Now, while all this is going on, there were newspaper reporters taking photographs of all this. Just before the military got there. And there were two farm personnel that held up one of these deceased E.T. corpses under its armpits. Outstretched its arms. And one of these photographers took a photograph of this. This was handed through the family. Charlotte, who you see on the left, she actually saw this photograph years ago. (00:11:07)

And then this photograph mysteriously lost. And that's always the case with these things. We always get so close to the evidence and then it's snatched away from us here. And so, we did a replica of what this may have looked like. Now, this would be 70, 80 years old by now. It would be stained, probably dirt. Some of the edges would be rough. (00:11:29)

But this is the best representation of what we can come up with. What this photograph actually may have looked like back in 1941. So, we'll continue here. Now, where would you hide, in 1941, where would you hide E.T. bodies and a craft back in 1941? Well, you would want to hide them at the Pentagon. But the problem is, in 1941, the Pentagon didn't exist. (00:11:58)

So, according to Paul Blake Smith, they were kept at the U.S. Capitol Building. So, this is something we want to consider. That there is an underground basement vault at the U.S. Capitol Building. And this is what it may have looked like within that facility. So, you've got three large glass jars. You've got the E.T. corpses. You've got part of the debris. So, something like this back in 1941 may have existed, according to Paul Blake Smith. (00:12:27)

We'll continue on here. (00:12:28)


Now, next one, 1942. And we're not even at Roswell. We're two in here, and we're not even at Roswell at this time. So, this is 1942 at an Army base north of Georgia. This is at a location that even Leonard didn't even know where this was. So, this is north of Georgia. And this is page 319 in the book. So, I want you to be able to follow along. (00:12:50)

If this is something you're interested in, you can follow along in the book here. And this is page 319. And what this thing actually looked like... It's about 15 feet high. About 10 feet in the vertical axis. There were three levels. The upper level had this control panel with buttons and switches. So, that was kind of the upper section here. And this is what you see in Rudy's drawing that he's done the blow-up here. (00:13:17)

Now, the mid-level had what looked like three bar stools that were sitting behind a wraparound window. That was kind of the mid-deck. The lower deck had an entry hatch. And then, according to the primary source here, there were four crew members taken alive. They were about 5 feet tall and 90 pounds. Oversized head, oversized eyes, slit for a mouth, binding nose. They were taken alive. (00:13:43)

The source also mentioned that there were hieroglyphic type lettering written on the outer circumference of the lower portion of the disc-shaped craft. I'm going to do a blow-up here to give you a better idea of what this looked like. And this is all 1942 time frames. So, by default, I think it's safe to say that there is probably a united coalition of scientists, engineers, linguistic type expertsthat have multiple bound volumes of these iconologies writing on these crafts,trying to decipher and interpret what this writing actually means here. (00:14:19)

Okay, next one. Wrightfield, Dayton, Ohio, 1946. Primary source was a 6-year-old boy named Tex Martin. And he was rewarded for doing a really good job at school. This is page 242-243 in the book. This is at Wrightfield, Dayton, Ohio. Now, it had not become Wright-Patterson Air Force Base until October 1947. So, in the 1946 time frame, it was known as Wrightfield, Dayton, Ohio. (00:14:46)

And you can see here, now, this little boy was with his father. And they were kind of in this cafeteria that's adjoining to the main hangar. And there was a janitor that wanted to buy this little 6-year-old boy kind of a vintage soda machine here. And he asked his father if it would be okay. And he said, yes, it's okay. So, this janitor buys this little 6-year-old boy a soda pop, hands it to him. (00:15:11)

At the exact same time he's handed this soda pop, this entryway door that leads into the main hangar opens up. A guy walks through, and this boy looks into this hangar. And here's Rudy's original sketch on what this looked like here. You can kind of follow along in the process here. (00:15:30)


He's looking in, and what does he see? What does he see? Here's a rough drawing. There were two 18-wheeler tractor-trailer little boy trucks with unknown tarp debris. There were military personnel there. There was a 20-foot diameter disc-shaped craft propped up on tripod landing gear. So, we'll take this guy and move it to the next level here. And this is kind of like the second pass. (00:15:54)

Now Rudy's just kind of getting things refined. You can see the tarp debris. I don't know what the tarp debris was, but that was included within the report. So, we'll take everything that we got from the six-year-old witness text marking,and then we'll take it to the next level of Rudy's drawing. We'll go into the refined drawing, and this is what Rudy King got. (00:16:13)

So, you can see how he has made these cases come alive. So, this is what this boy reported. 20-foot diameter disc-shaped craft propped up on tripod landing gear. It was off-white in color. It had two rings wrapped around the outer circumference of the disc-shaped craft itself. Here you've got the 18-wheeler tractor-trailer little boy trucks with the tarp debris. We've got military personnel, and then we've got the little boy in the background here. (00:16:36)

There were at least three ET bodies on cots or stretchers laying on the floor,just on the far side of the disc-shaped craft itself. So, here's the illustration based on Rudy's sketch. So, we want to give credit to Rudy to make this come alive. This could never have happened without Rudy's drawing. So, this gives you an idea of what this may have looked like back in 1946. (00:16:59)

And we'll continue on here. Wrightfield, Dayton, Ohio, 1946. This is private and records management. Page 59 in the book, Space, The Final Frontier, by Clark Macomb. This is page 59. Here's what the cover of the book looks like. And he's a space scientist. This is the cover of his book. And what he interviewed is a gentleman who stated that he was involved with this operation. (00:17:27)

This was a 15-foot diameter disc-shaped craft that had come by a railroad flat car from Arkansas. Seven feet tall, highly polished mirror reflective outer surface of the craft itself. Came from this railroad car from Arkansas. Now, I want to mention, there were no seams. There were no rivets. There were no socket head cap screws. There were no hex head cap screws. There were no visible means of propulsion. (00:17:55)

This thing had about a three-foot diameter central column in the center here that went from the bottom all the way up to the top. This is the original sketch from the primary I witnessed. So I went ahead and did an AutoCAD drawing here. And you can see no hatches, no welds, no seams. What I want to bring your attention to is this red dot over here. (00:18:14)

This is the attempted point of entry with a diamond tip drill bit. (00:18:19)


I've got about four other cases now within the Springfield collection where these lab coat technicians are desperately trying to breach the hull of this craft with a diamond tip drill bit. This is something that is going on and on here. Alright, so this was the first past color illustration to give you an idea of what this craft actually looked like here. And then we'll go to Joseph Wraith's drawing, which gives you an idea of what this craft looks like. (00:18:44)

And you can see he's got the red dot just aft of center on the left-hand side. This is the attempted point of entry where they're using these diamond tip drill bits. So, let's go to Ruby's drawing. Now, when this private record management got into this hangar... And this gentleman said, hey, I've got something I want to show you. Come follow me. He brings him into the hangar and they see this craft sitting on the hangar floor. (00:19:08)

There was a tarp folded up off to the right of the craft. In the foreground, there was a toolbox with an electric drill outside the toolbox with a diamond tip drill bit in it. And he's just shocked at what he's seeing. About ten minutes later, they had to vacate the area. So, we'll take Rudy's drawing. We'll take the original information from the primary source. (00:19:30)

And Joseph Wraith came up with this drawing right here. Full-color rendering of something that was seen at Wright Field, Dayton, Ohio back in 1946. Just to make this case come alive here. We'll go on to the next one. So, who would have a need to know? Well, Nathan Twining. Quote, the phenomenon is real, not imaginary or fictitious. Wright-Patterson Air Force Base Commander. So, he would have a need to know of what's going on here. (00:19:58)

Next one. Papagos Indian Reservation, west of Globe, Arizona. This is January 1947. North of Superstition Mountains. Witness was in the U.S. Navy during World War II. This is page 93 in the book. And according to the source, there were two military personnel driving down this unimproved road. They were challenged by two MPs with rifles, telling them to vacate the area immediately. You're not supposed to be in here. (00:20:28)

But it was already too late, because about another 50 foot down the road off to the leftwas about a 30 foot diameter disc-shaped craft that augered in at a 45 degree angle. It had a row of indented windows wrapped around the outer circumference. There were two rings wrapped around the outer circumference. And then there was a low-rise dome. So, they did get to see this. (00:20:48)

It's in the report. So, if we take Rudy's drawing, we factor in the eyewitness testimony,we come up with the full-color rendering here by Joel Christopher Payne. So, I want to give him credit for the fantastic work. Just to keep these cases alive and preserve an important part of our national history. (00:21:05)


Next one. Roswell Road Trip. So, we've already got five in here. We finally made it to Roswell. We're at the July 2, 1947 time frame here. And I want to highlight this because this is something that any one of you could do, like tomorrow. If you flew to Roswell, you can take the same exact road trip that members of the 509th Bomb Group did back in July 1947. (00:21:28)

You can literally trace the exact same footsteps that they followed back in 1947. So, this is the layout of what we're talking about here. So, it's actually July 2, 1947. And I want to highlight these areas here because we're not talking about just one thing. The first thing to keep in mind is what you see here with this big blob. That is the debris field. (00:21:53)

We want to start about five nautical miles north of the debris field at something called the Touchdown Site. That is where Lincoln LaPaz, who is a meteorite expert, and Lewis Rickett, 509th Bomb Group member,what they found was fused green glass that could only be done by high heat. You don't get that with a weather balloon. So, we can take the weather balloon theory and wipe it out immediately. (00:22:19)

We're not talking about a weather balloon here because you're not going to melt sand into glass with a weather balloon. The other thing they found was a seamless black box the size of a bread box, which was never opened. We don't even know to this day if they were ever able to open. But there was a small box found not too far from where the fused green glass was found. (00:22:42)

So, that's the first thing. Now, five nautical miles south of the Touchdown Site is the debris field. That's where Mack Brazel, rancher Mack Brazel, and seven-year-old Timothy D. Proctorcame across a 200-foot-wide by three-quarter-mile-long debris field that was completely encased with three types of debris. Number one type of debris was small-type tinfoil material that could not be cut, could not be burned,could not be dented with a 16-pound sledgehammer. That's debris number one. (00:23:14)

Debris number two was this so-called memory metal, the kind of material where you could crunkle it up on your hand,you would let go of it, and then it would spread out like liquid mercury. That's debris number two. Debris number three were these small I-beams with hieroglyphic-type Egyptian lettering written on the inside wall. That talked about by Jesse Marcel, Jr. Now, the flight path is from the northwest to the southeast. (00:23:39)

What you see here is the second body site, also known as the Timothy D. Proctor body site. Two bodies were ejected at that location. Now, if we continue going on, this is about 65, 35 miles north of Roswell,is the crash site where another two bodies were recovered. An additional body was found alive. So, there were five bodies. One was still alive. That's, in a nutshell, the breakdown of what we're talking about here. (00:24:07)

Now, when you go to the Roswell area of the debris field, this is what you're going to find. (00:24:12)


This is what it looks like out there. It's remote by car, but not remote by plane. There's no, you know, high mountains. There's really no trees. So, if you go there today, this is what you're going to find here. So, again, it's remote by car, but not by airplane. And here we have Mack Brazel and Timothy D. Proctor. This is the morning of July 3, 1947. (00:24:36)

And here they have the debris field. You can see the rut that was carved in. And this is what it looked like when they both got there. Now, the way they rolled back then is if you were old enough to walk, you were old enough to ride horseback. And so, that's why you see these two people together, even this seven-year-old boy. Now, we know for a fact, and it's talked about in Ryan's book here, Magic Eyes Only,that Battelle Memorial Institute, which is America's oldest defense contractor, they are intimately involved in this. (00:25:07)

We know this now. We've got enough documented evidence to indicate that some of the Roswell debris was sent to Battelle Memorial Institute, without a doubt. It's very clear at this point. Now, July 8, 1947. So, whatever the bodies were, whatever biological material there was, was sitting out in the desert for the night of the 2nd, the 3rd, the 4th, the 5th, the 6th,Now, July 8, 1947. (00:25:34)

So, whatever the bodies were, whatever biological material there was, was sitting out in the desert for the night of the 2nd, the 3rd, the 4th, the 5th, the 6th,into the night of the 7th, when the retrieval operation began, and then the morning of July 8th. That's what you see here. So, according to Don Schmidt, Tom Carey, the Roswell craft was about the size of a Volkswagen bug, 13 feet across. (00:25:49)

It looked like an egg-shaped craft with a dome on top. Here you see the survivor, and then you've got the 18-wheeler tractor trailer low boy that was used to retrieve the craft itself. We'll go on to the next slide here. Major Jesse Marcell, intelligence officer. This is what he said. It certainly wasn't anything built by us. We'll continue on. 1947 Roswell Army Airfield Yearbook. (00:26:13)

Do we have any sources, any military credible sources, that can tell us what the interior of this thing looked like? Well, it turns out we do. So, here's the yearbook. In the yearbook, I want to bring your attention to this gentleman right here, Sergeant William W. Budd Taylor. He was at the crash site. He got a look inside the egg-shaped craft. Here you see a good photo of him. Here's his bullet items here. (00:26:44)

Sergeant William Budd Taylor, the craft tailor said, quote,It seemed like it could have been from Earth, only from our future. Certain areas of the interior of the craft were entwined with a network of strange plastic-like fibers or filaments. The interior was also outfitted with embedded flat screens or display panels. An ethereal violet or pink-purple color was incorporated in some of the materials of the construction of the craft. (00:27:13)

Some of the craft structure was embossed with unusual hieroglyphic-like symbols that he described as being somewhat Asian writing. (00:27:20)


There were bodies, small corpses were found that he described as being like little humans. So, if we take the information from the 509th Bomb Group member, William Budd Taylor, who was a firsthand military witness,this is what we're going to come up with, and this is what Rudy came up with. We've got the flat-screen monitors represented here. We've got the fiber-optic cables, which now we know were the fiber optics that we know today. (00:27:47)

We've got the hieroglyphic-type writing in here. We've got the hull breach. So, something like this was described by this 509th Bomb Group member. Now, of course, I had to do some digging. Is this guy legitimate here? El Paso, Times, May 9th, 1985. Services for W.F. Budd Taylor, 87, of Roswell, will be at 10 a.m. Friday in the first... So, yes, it checks out he is who he said he was. (00:28:15)

So, just wanted to verify that. Now, we'll move on here. That brings us to this gentleman,Ernst Steinhoff, number two person under Wernher von Braun through Operation Paperclip. This is the gentleman. What did he say about all this Roswell? The Roswell craft was not extraterrestrial. It was extradimensional. Now, do we have any other testimony from a credible witness talking about this? U.S. Navy Commander George W. Hoover, seated left. (00:28:44)

That's this gentleman. He was clued in on Roswell. What did he have to say about it? Well, this is what he said. The Roswell visitors were not extraterrestrial, but actually extratemporal from our future. So, that's an interesting understanding. Now, how do you move a 13-foot-wide, egg-shaped craft? Turns out, believe it or not, that the 509th Bomb Group did not have a crane at the base. (00:29:11)

I mean, can you believe it? It's true. Don Schmidt confirmed it. They did not have a crane. So, it was a civilian, independent contractor that had to drive all the way from Roswell up to the crash site. They hit the lanyard around this thing, and then they hoisted it up on the 18-wheeler tractor-trailer. That's what you see here. That's how they retrieved the egg-shaped craft and brought it back to the base. (00:29:34)

So, now we're going down Roswell Main Street. That's what you see here. And you can track this exact course today. I've driven down this myself. This is something you can do. We've got the time here at 4 p.m., July 8, 1947. We've got it down to plus or minus five minutes, basically. We've got multiple witnesses, including two paper boys, who saw this egg-shaped craft on an 18-wheeler tractor-trailer little boy truck going toward the base. (00:30:01)

So, we've got it confirmed. About 15 minutes later, it made it to the hangar here. Now, Roswell Daily Record, July 8, 1947. Roswell Army Airfield captures flying saucer on ranch in Roswell. This is July 8, 1947. Less than a day later, they change their mind. July 9, 1947. Then it says, General Ramey empties Roswell saucer. (00:30:27)


Ramey says, excitement is not justified. General Ramey says, this is weather balloon. So, within 16 hours, they completely changed their entire thing from a flying saucer to a weather balloon. This is July 9. So, July 8, 1947. This is hangar P3, building 84, which still stands today. And I'm taking you inside this hangar. We're going to start over here. We've got our egg-shaped craft on the 18-wheeler tractor-trailer little boy truck. (00:30:57)

We've got the caskets, child-sized caskets, that were confirmed by mortician Glenn Dennis. We've got the ET bodies laying on the hangar floor. And then we've got this crate that they were building, all going on at the same time. Now, by this time, one of the bodies has already been flown out to right-field Dayton, Ohio. Let's continue on here. Roswell Army Airfield, hangar P3, building 84. (00:31:20)

So, of course, I had to do some digging. So, I contacted the maintenance personnel over at the Air Center in Roswell. And I said, I'm a historian. Would it be possible to set up an appointment to take me inside this hangar, building 84? He said, yes, I can do that. So, I actually met this guy. We spent two hours going around the entire base. (00:31:43)

I couldn't believe it. It was unbelievable. So, I'm going to take you inside this hangar. This is what it looks like. This could be the most historic hangar in all the United States. It still stands today. And if you do the right leg work, you can get inside here. This is kind of getting inside now. They do maintenance work. They do aircraft shredding. (00:32:01)

They do aircraft scrapping here. You can see the engines inside here. And over here is where that tractor trailer would have been right here. These are where the crates were here. The back crate was over here. Let's continue on. Here you see some of the engines and the maintenance. You've got aircraft skins, maintenance personnel. They're doing a lot of aircraft fuselage skins in this location. (00:32:26)

And then we start getting kind of near the center of the hangar. And I want to go one more slide in. And this is it. According to the witnesses, it was at this spot right here. Plus or minus six inches is where they laid the bodies out right there. It's kind of a strange feeling when you get there. Because if this is all true, this would have been where the bodies were laying back in 1947. (00:32:50)

Okay, now next thing that happened. This is the night of July 8th, 1947. Atomic bomb pit number one. So if this was an atomic bomb that was in this pit,they'd have this B-29 taxi over the bomb pit. And then by way of a hydraulic lift, they would hoist this bomb into the bomb bay of the B-29. On that night, there was no atomic bomb there. (00:33:14)

But there was a wooden crate containing at least three ET bodies. (00:33:19)


And they had two rows of perimeter screens with MPs with rifles told to shoot to kill anyone who got into these perimeter screens. Now this is over a weather balloon now. So we can rule out the weather balloon. Something else was going on here. Here's straight flush that taxied over atomic bomb pit number one. Once they brought the crate into the bomb bay, it made a direct flight to 8th Air Force Headquarters, Fort Worth, Texas. (00:33:45)

And that's where this straight flush went. Now, I did some digging on straight flush B-29 that went to Fort Worth. It was scrapped in 1954. So beside the Wright Flyer, which is at the Smithsonian right now, this aircraft would have been the most historic aircraft in the United States. And it's gone now. The craft that actually carried the bodies has been scrapped. The only thing we have left at Roswell that has anything to do with straight flush B-29 is this display at the Air Center. (00:34:17)

And here's straight flush B-29. This is what the nose artwork looks like. And that's all we have left for the most historic aircraft in the world. Now, C-54 Skymaster flown by Pappy Henderson. This is July 8th. At least one body plus debris was sent directly to right field Dayton, Ohio. So in addition to B-29, we had the C-54 flight. So I had Rudy do a drawing. (00:34:43)

This is Oliver Pappy Henderson. And then he is overseeing the loading of one of these bodies onto his C-54. He's pilot in command. He needs to know what's going on in his aircraft. Okay, we'll continue on here. At least one E.T. autopsy was done kind of haphazardly at the base. And then sometime after July 9th, 1947, we believe that something was done at right field Dayton, Ohio in the terms of an autopsy. (00:35:11)

Now, what evidence do we have that any of this is true? Do we have any credible witnesses, military witnesses, firsthand that we can actually put our hats on and get some verification here? I want to introduce you to this gentleman. Marion Black Mac McGruder. Marine pilot. World War II ace. Deployed to England February 6th, 1943 to learn about night fighting. So he's a decorated pilot. (00:35:38)

Best of the best. Credible witness. Someone that you can actually trust. And so, of course, I had to do some digging here. The Lexington Herald, August 9th, 1945. Colonel McGruder was one of five Marine pilots selected in 1942 to go to England and study night fighting techniques. So prior to that time, the U.S. didn't know anything about night fighting. They had to send Marion Black Mac McGruder to England to learn night fighting, then fly him all the way back to the U.S. so he could train pilots. (00:36:11)

So we're talking about a credible witness here, a historical figure. That brings me to one of his sons. Mark McGruder, son of pilot Marion McGruder. This is about five years ago. (00:36:24)


I did about a three hour interview with this gentleman, all on videotape. He showed me his father's original notation, his awards, his induction into the Aviation Hall of Fame. Here are some of the medals. That's the induction into the Hall of Fame. So he absolutely is who he said he is. These are some of the other medals that he got as well. Credible witness. (00:36:45)

This is the Air War College that he was involved in. This is 1947 to 1948 timeframe. And they were at Montgomery Field back in April of 1948. And I was able to secure some of the original declassified documents that talk about this here. And you can see study history file, Air War College, 4748. I'm going to move forward here. Air University, Air War College, Montgomery, Alabama. (00:37:14)

That's where they were originally stationed. Now, that brings us to this. So in April 1948, they made a field trip to Wright Field, Dayton, Ohio, Wright-Patterson Air Force Base. This is April 1948. And this is the actual listing of where they went and the time. So this checks out completely. Now, while they're there, there is a call from Wright-Patterson Air Force Base. So they originally were stationed at Montgomery Field. (00:37:45)

And there's this urgent call from Wright-Patterson Air Force Base to please come to us quickly because we want to get your opinion on something. So all these pilots pile into this car. They fly to Wright-Patterson Air Force Base. They're brought into this room, large room. And two guys walk in with boxes. And they start handing out pieces of the Roswell debris to all these fighter pilots. (00:38:08)

They're gauging the reaction of these pilots. Could they handle this new reality? It was like a trial balloon. That was what they were doing here. Now, when that was done, all these pieces were brought back into these boxes. And these pilots were led down this long corridor. They made a left-hand turn. They were brought into this another room with a one-way mirror. And they were actually shown the survivor at Roswell. (00:38:35)

And that's what Rudy has done such a well job here. Now, he was described as 3 1⁄2 to 4 feet tall, squiggly-looking, emaciated arms, kind of looked like Casper the Ghost. He had an oversized head, oversized eyes, slit-for-a-mouth, minute nose. So they saw the survivor, and they saw the other deceased corpses as well. So not only did he get to see the survivor, but he saw the ET corpses as well. (00:39:02)

Now, this is coming from a United States Marine pilot, decorated ace, with thousands of hours of experience. So, some of the notes that I was able to get from his son, Mark,and this is a direct quote from the notes that I was able to get here. They all think the bodies are at Wright-Patterson Air Force Base,but they are at Eglin Air Force Base in vast underground coal-storage vaults there. (00:39:28)

This is according to Marion Black-McGruder. (00:39:31)


So not only do we have Wright-Patterson Air Force Base as one of these repositories,but we've got Eglin Air Force Base, we've got Homestead Air Force Base,we've got MacDill Air Force Base, we've got Edwards North Base Complex. So they're peppered around the entire United States. There is no way the United States government is going to put all their eggs in one basket. (00:39:52)

What they're going to do, and it's the smart thing, anyone would do this,you want to diversify your portfolio so that if you have an accident, you've got a backup plan. It only makes sense. So they're going to definitely diversify their portfolio here. We're going to move on. White Sands Missile Range. This is July 4th, 1947. So we're still within this Roswell timeframe. (00:40:13)

Page 196 in the book. The military witness was a technical sergeant, U.S. Army Air Force. And what I want to highlight is when this gentleman was on this retrieval operation,this whole thing was at night, completely at night. Came down in one of these sand dunes at about a 40 degree angle, about 150 feet in diameter. And I want to stress that this whole area was excruciatingly well lit. (00:40:41)

They had light-alls on this thing, they had searchlights on this, they had spotlights on this. They had people with Geiger counters going around this thing. This is 150 feet in diameter, disc-shaped craft. They had people taking still camera photographs. They had motion picture film reels going on of this thing. So in other words, bottom line is, it was very well documented. This is something that was very well documented. (00:41:05)

So we'll take Rudy's drawing as a guide, and we'll go to the full color rendering hereto give you an idea of what this looks like back in 1947. Well documented. So, what's the takeaway here? Actionable item. Since still photography and motion picture film reel was recorded of this event,Senators and Congressmen, with the appropriate security clearances,should track down and utilize this evidence for future public hearings. (00:41:32)

Now, this is where we want to really drill down here,because the problem we're running into is a lot of these Senators and Congressmen,number one, they don't have a need to know, and they have not been read into these programs. So how can they get access to something that they've never been briefed on? That's what we're running into here. So that's the roadblock to the Congressional hearings, is these Congressmen, Senators,they don't have a high enough security clearance even to get to this stuff. (00:42:00)

So that's why we're stuck in this rut, and it's incumbent upon us to track down these final legacy witnessesto come forward. Hopefully we can get to their supervisors,and their supervisors can take us to the debris, the bodies, and the crap. That's the final hope. It literally is the final curtain call on crash retrieval. This is it. It's only us here. The United States government is not going to help us out. (00:42:24)

It's going to be upon us to bring this forward here. Let's continue on. (00:42:27)


UFO crash retrieval, 1947. Of all places at Berkeley University. You wouldn't think so, but this is at Berkeley University. Page 197 in the book. Albert Bruce Collins, deceased. He was a metallurgical engineer. He was at the right place at the right time when this 18-wheeler tractor-trailerbacked into a warehouse at Berkeley University. Here's Rudy's drawing here. This is an egg-shaped craft, 30 feet across, 15 feet high. (00:42:59)

The outer hull had this hull breach into it, showing the interior components. Now there was about a 3-foot diameter egg yolk right here. It had a forward composite bulkhead, and then another bulkhead wrapped around the outer circumferenceof this 3-foot diameter central egg yolk here. Now, he also mentioned that on the bottom right of this craft, there was a hull breachwith the shrapnel coming out of this thing. (00:43:26)

So this is what this metallurgical engineer described. Now, if we take Rudy's drawing, we factor in the primary eyewitness. We came up with this full-color rendering just to give us an idea of what this case may have looked likeback in 1947 at Berkeley. Let's continue on. Carrot Patch, south of Salinas, California, July-August 1947. Seen by two 19-year-old workers in a nearby field. (00:43:51)

Now, I got this from the original Leonard Stringfield dictation notes. That's where I got this information from. What they described is a 9-foot diameter disc-shaped craft, 4 feet tall. It has a double row of indented windows wrapped around the outer circumference. Kind of a flat top here. And this is two 19-year-old boys that discovered this. X marks the spot. So technically, I could probably get you within an eighth of a mile of where you've got the freeway here. (00:44:21)

Here is the 101 here. So I could probably get you within an eighth of a mile. But this is so long ago, there wouldn't be anything left. I mean, it's picked through pretty well. What they described is it came down the night before. The foreman saw this, alerted the two boys. And when they got to work the next morning, they walked up to this craft. (00:44:42)

They kicked the side of this thing. This is what the craft looked like, about 9 feet in diameter. It had a flat top. And this is my first pass SOLIDWORKS rendering to give you an idea of what this thing may have looked like. So then here's Rudy's drawing. Now, within five minutes of these 19-year-old boys getting on site,there was a convoy of military personnel pulling a trailer. (00:45:05)

They were told to vacate the area immediately. But they did see them manhandle this craft up onto the back of this trailer. Within 10 minutes, they were out of there. So this is another one of these cases where civilians got to the site before the military did. And then this is Joel's full-color rendering based on Rudy's drawing to give this thing,you know, make it come alive and preserve our history here. (00:45:26)

Let's continue. (00:45:27)


March 25, 1948, Aztec, New Mexico. All of the blood, sweat, and tears research documentation was done by Scott and Suzanne Ramsey. And according to Stanton Friedman,these two individuals have put more research in on this case than anyone has ever done on Roswell. It's almost the forgotten case, but so much research has been done on Aztec here. This is the map that shows you where this thing came down. (00:45:55)

1948, about 16 miles northeast of the town of Aztec, New Mexico. And we'll kind of run through this case. What they found was a 99.9-foot diameter disc-shaped craft,highly polished, mirror-reflective outer section to the craft itself,had a low-rise dome with a number of porthole windows wrapped around the outer circumference. So this is what it looked like when the oil field workers got there very first time. (00:46:24)

So this thing is just under 100 feet in diameter. They were shocked at what they saw. Military didn't get there yet, so they climbed up the rim of this thing and went to one of these portholes. And they're looking in this porthole window, and what do they see here? They found a small quarter-size hole within one of these porthole windows. So one of the oil field workers went back to the truck, pulled out a pole,pushed that pole through this little quarter-size hole, and were starting to jiggle it around. (00:46:56)

They activated a device that opened up the entryway hatch on the bottom of the craft,and when they got in, they went up to the upper dome,and they saw two E.T. bodies slumped over, deceased, up on control panel. There were buttons and switches. There was iconology, purple-slash-violet-colored iconology,hieroglyphic-type lettering written on the inside wall of this upper dome. That's talked about in multiple cases before. (00:47:24)

So we've got two bodies there. By this time, the military got involved. They told everyone to get out of the area. All of the oil field workers were told to vacate the area. They went inside the rim of the disk. They found 14 more bodies for a grand total of 16 bodies recovered at the Aztec New Mexico site. So, how do you move a 100-foot disk-shaped craft way out in the deserts of Aztec New Mexico? (00:47:51)

Well, when the military went into this craft, they found a pin device,and they activated this pin device, and when they did that,the whole thing came across and broke apart like three pie segments. They loaded those pie segments on M-25 tank transporters and brought them to Los Alamos. That's how they moved it. This is all according to Scott and Suzanne Ramsey. Now, here you see the M-25 tank transporters bringing these pie segments over to Los Alamos,and that's how they actually moved this thing. (00:48:23)

It was not moved in one unit. It was moved in multiple pieces. So, C-119 flying boxcar, Sierra Madre Valley, Mexico, sometime prior to 1951. So I'm thinking it's a 1948 time frame, page 32 in the book. (00:48:38)


This is a small craft, about nine feet in diameter, and what you're looking at here is a C-141 boxcar. Now, how do we know the diameter of the craft? Very simple, because if you take a tape measure to the inside wall of the cargo bay of the C-119,it's nine feet, ten inches wide. That means by default, it's a mathematical certainty,the craft can't be any larger than nine feet in diameter,because you have to allow five inches on either side for clearance. (00:49:09)

So we're talking about a small craft here. And the witness described how when the clamshell doors were open,he was asked to assist the United States military bringing this craft into the F cargo bay doors of the C-119. So here's Joseph Ray's full-color rendering of what this may have looked like back in 1948. Now, he said that at least three bodies were recovered,and when this construction worker walked over to one of these bodies,and we've kind of done a little bit of an enlargement here to give you an idea of what this retrieval operation may have looked like,he went over and touched the skin of one of these bodies, and the skin came off on his hand. (00:49:53)

So they were burnt. It was kind of a gruesome scene, but this is according to the witness here. Continuing on, Naval Air Station, Sunnyvale, California, 1950. This is hangar one, which you can still go to today. I've actually been in this hangar. This hangar is so large, it has its own weather. That's how big this hangar is. So this is page 57 in the book. This is a radar operator. (00:50:19)

Yeah, that's right. You can still go there today. So when he walked in this double doorway, he was shocked to see about a 100-foot diameter disc-shaped craft. It had a low-rise dome. There were porthole windows wrapped around the outer circumference of the craft itself. He was challenged by a guard, told to vacate the area immediately, but he did say,quote, it was certainly no aircraft of ours, according to the radar operator. (00:50:49)

Hundreds at Farmington report large force of flying saucers. Albuquerque Journal, March 18, 1950. Yeah, this is a watershed case. There were 500 disc-shaped craft on this date. The leader, quote-unquote leader, was a red-colored UFO. These craft were seen making these 90-degree left-hand turns. They could fly backwards. This was an armada back in 1950. Now, why is any of this important? Because during the early 1950s, there was a standing order by the U.S. Air Force told to our pilots to shoot these things down. (00:51:30)

Newspaper clipping after newspaper clipping, talking about shooting these things down. Jets keeping 24-hour alert for saucers. Pilots ordered to down objects if they don't land. On the saucer trail, pilots told shoot them down. Jets on 24-hour alert to shoot down saucers. So, again, after newspaper clipping in the early 1950s, there was this shoot-down order. (00:51:53)


The aircraft they were using was the Lockheed F-94 Starfire. And if you want to get a close-up view of one of these things, there's only two places to do it. Pima Air and Space Museum in Arizona and the Air Force Museum in Dayton, Ohio. Now, if you go to Arizona, it has these front rocket flaps in the closed position, so you won't be able to see much. (00:52:16)

But if you go over here to the Air Force Museum in Dayton, Ohio, they have it with the rocket flaps in the deployed position, ready for an attack here. So, here is one of these shoot-down orders. This is something that went on. A lot of these jets, virtually all of them, carried gun camera footage. So, we know they have legions and warehouses full of gun camera footage, 8x10 glossy black and white footage. (00:52:43)

They've got 8x10 glossy color photography of these craft. This has been going on for decades here. Now, why this is important, that brings us to this letter to Leonard Stringfield by a woman named Mildred Bissell, October 2nd, 1979. I'm just going to rip through this here. I heard you speak at the MUFON Symposium in Dayton last year, and I am interested in your research on retrievals of the third kind. (00:53:11)

I gave a talk at a local library last week, and in the discussion period following, a fellow told me that when he was a gunner in the Air Force,he had emptied his guns on a UFO and had taken pictures with his gun camera that clearly showed the shells exploding against the side of the craft. He said the camera was taken off the wing of his plane when it landed and the pictures developed. (00:53:32)

At 2 a.m., a couple of military policemen came and got him out of bed and took him to the base auditorium. They ran the 17 seconds of movie footage of the UFO over and over and questioned him and two other crew members until 10 a.m. He was warned never to tell anyone what had happened. He said he had a wife and a family, a good job and a lot to lose. (00:53:52)

He seemed afraid of the CIA and wouldn't even give me his name. So bottom line is, here you've got this pilot who emptied an entire magazine of shells on this thing, got it caught on gun camera footage, and was told never to talk about this. This is something that has gone on over and over multiple times. They absolutely have gun camera footage of these intercepts. (00:54:14)

So that brings us to Classified Materials Library, unknown U.S. Air Force base. This is a former military officer, page 212, 213 in the book. So he's in this Classified Materials Library. He had the correct security clearance to get in there. So he opens up one of these file cabinet drawers and he pulls out one of his manila folders, and this is Rudy's drawing of what he saw. (00:54:39)

And what he described was an 8x10 black and white glossy photograph of about a 36-foot diameter disc-shaped craft. (00:54:47)


It had a low-rise dome and then porthole windows wrapped around the outer circumference, and there was a tiny hole inside one of these porthole windows. We'll move on here. What he said, talking about this Classified Materials Library personnel. Military officer had the correct security clearance which gave him access to a Classified Materials Library. Number two, reports seen by witness made references to crashes and that bodies were recovered. (00:55:15)

Number three, in addition to diamond tip drill bits and acetylene torches were used to gain access to the interior of the craft. Four, eventually technicians were able to gain access to the interior of the craft by way of a small entry hatch. And this is interesting. The report said, referring to the door, that it was almost as if the material of the craft liquefied and then solidified again. (00:55:38)

So bottom line is, a lot of these witnesses are telling us that the seams on these craft are so fully integrated into the skin of the vehicle, you could not put a razor blade in there. They're so fully integrated. That's what we're dealing with here. Like a liquid metal, a safe, self-healing metal. The Pentagon, 1952, off-limits room. This is a worker. This is page 152, case 1 in the book. (00:56:04)

Now, this worker got access to an underground basement at the Pentagon, probably by accident. She didn't really know where she was going. So she gets into this basement. She kind of goes into this room. It's dark. It's dingy. There's some cardboard boxes off to the left. And she kind of does a 180. And what does she see when she makes this turn? She sees an E.T. corpse in a large glass jar. (00:56:30)

She is absolutely shocked. And this is Rudy's drawing. I said, Rudy, you've got to give me this lady with this shocked look on her face. And so this is what Rudy had done. Within five seconds, this woman feels this hand on her shoulder. It was an E.T. telling her to get out of this area immediately. She was not supposed to get in there. (00:56:51)

So this is what this witness is telling us here. And when you take these witnesses as a whole, could some of these people be lying and hoaxing? Absolutely. Yeah, absolutely. No doubt about it. But when you take it as a whole, when you take it as a body of information, as a united coalition, not all these people are lying. And, you know, we've got 119 people here. They're not all lying. Here's Joseph Rice's illustration based on Rudy's drawing. (00:57:19)

So something like this was most likely going on at the Pentagon. So, of course, I had to do some digging. Is there, in point of fact, a basement at the Pentagon where they could be hiding these things? So, of course, I could win some digging here. Peninsula Times Tribune, March 25th, 1989. New defense chief gets lost in Pentagon basement. We're talking about Dick Cheney here. (00:57:42)

Darth Cheney, of all people, gets lost in the Pentagon basement. So here we go. There is such a place here. (00:57:49)


This is also confirmed by James Fox that there is such an underground vault at the Pentagon basement where they could be hiding who knows what. But bottom line is it does exist. Over here it says the Pentagon building, which covers 29 acres. Huge building. Who knows what they might have in these basements? Okay, we'll continue on. Dutton, Montana, 1953. Cecil Tenney is a civilian, page 16 within the book. (00:58:16)

He's driving down the road. Just a nice leisurely day. What does he see? Well, number one, he looks up and he sees a 120-foot long cigar-shaped craft tipped up at a 45-degree angle. And it's belching out fire and smoke and balls of fire coming out of this thing. It's like trying to keep itself airborne, but it's having a hard time. That's what he said. (00:58:41)

Now, the oncoming traffic had their tailpipes caught on fire and he can't believe what he's seeing here. So what he does, and this is our witness here in the pickup truck, he drives down to the local base and he files a report at a gas station. He actually goes to the gas station, files a report. Ten minutes later, a police officer comes in and he files virtually the identical report. (00:59:09)

That night, when the primary witness gets home, he gets a call from this nice-looking gentleman up here. This is the base commander. His exact words were, I want to see you. So he was told to go to the base the next morning. He's grilled for about three hours. What did you see? You're not allowed to talk about it. He had to sign nondisclosure agreements. (00:59:31)

As he's walking away, he sees these two muscular military personnel with potato sacks over their backs. One of these guys trips, falls, this bag falls on the floor, and he said it looked like human body parts. Now, I can't tell you if it was ET things, or I don't know. He didn't know either, but he said it looked like it could have been human body parts in there. (00:59:56)

We don't know, but this is part of the record. We have to maintain historical accuracy. So, Great Falls Air Force Base is where this originally took place. Now, it became Malmstrom Air Force Base, which is the site of multiple UFO incursions back in 1967. We got that confirmed from Robert Salas. This is Great Falls, September 20th, 2010. No less, this is back in 1967, no less than 10 nuclear ICBM missile silos went offline back in 1967. (01:00:29)

Two weeks after the event, Boeing engineers came to the missile silos, and they went from A to Z checking out all the electronics. They could find nothing wrong with the system. So, whoever or whatever, it was on purpose, there was intent to show U.S. Armed Forces that there's something else going on here. Who knows the agenda, but the bottom line is Boeing could find nothing wrong with their system. (01:00:55)

So, something intentionally incurred on the Air Force Base and shut down these ICBM missiles. (01:01:01)


Yes, yes, correct. And that's what we have in Rudy's drawing here. He's shown the incursion here. So, this is something that also went on in the former Soviet Union. They also had the similar type issues. Argentina, December 7th, 1954. Something similar to what Cecil Tenney described was seeing this cigar-shaped craft with smoke and flames coming out the back of it. So, it's not an isolated incident. This is Argentina, December 7th, 1954. (01:01:35)

This is our Tom Bogan illustration of what that craft may have looked like. Continuing on, Fort Polk, this is Camp Polk, Louisiana, summer 1953, primary source was a private in the Army. This is page 80 in the book. He was at the right place at the right time. When an egg-shaped craft came down 30 feet across, it had what looked like a fin that was rotating around the outer portion of the craft, still rotating. (01:02:04)

The ground where this thing came down was still hot to the touch. It was almost burning. It had this red embers going on. And he said that there were military medical personnel assisting ETs coming out of this craft. One was being carried away in a stretcher. And there was this attempted ongoing communication between their comrades and the body that was being carried off. (01:02:32)

Now, these things were about three and a half to four feet tall, slight build, oversized head, oversized eyes. They were wearing a one-piece tight-fitting green flight suit. They had mittens on and they had helmets on. And the other point is that they had no knee joint. So they had this stair-step maneuver when they were walking. They had no knee joint. They only could bend at the hips. (01:02:56)

That was something that was talked about by the primary eyewitness. We'll continue on with the renderings here. So here's Joseph Ray's full-color rendering of what this may have looked like at Fort Polk. We'll zoom in here. Here they are being helped by the medical personnel. They definitely had mittens on, one-piece tight-fitting flight suit. They had the helmets on. We'll go on to the next slide here. (01:03:19)

Here's the comrade being carried off into the ambulance truck. And then we'll do a little bit of a zoom in here. And now you can see a little bit more of a close, enhanced view of this corpse being taken to the ambulance truck. So what happened to the survivors? According to the source, the survivors had been sent to a hospital and put into isolation, but all soon died. (01:03:44)

He also learned that the cadavers were sent to a medical center near Washington, D.C. That's interesting. This is something we've heard multiple times,that there is some type of medical center where these E.T. bodies, these corpses, are sent to for pathologist reports, for autopsies. What could that place be? Walter Reed Army Medical Center, closed in 2001. This is absolutely ground zero for a number of these autopsies, without a doubt. (01:04:12)

Multiple sources confirm this. (01:04:14)


Okay, Kingman, Arizona. UFO. This is May 18th, 1953. I want to mention the work by Harry Drew, who's no longer with us. He was the primary witness on the Kingman crash retrieval, which is in point of fact a forced landing and not a crash retrieval,because when this thing came down, it was 100% intact. Now, what he described, according to the witnesses that Harry Drew had vetted out,was a 30-foot diameter disc-shaped craft, 14 feet tall,had a series of indentions wrapped around the outer circumference of the craft itself,and a small entryway hatch. (01:04:51)

This is my 2D drawing of it. Now, there was a series of military personnel and engineers that took off from Indian Springs. They flew to Phoenix. There were about 30 of them. When they got to Phoenix, they were joined by another 10. So now there was 40 of them. And they took a General Motors bus all the way from Phoenix up to Kingman, where this thing came down. (01:05:16)

Like a late-night arrival on dirt roads. I mean, it must have been historic. So you can kind of track the path of where they were going. When they finally got there, this is what they saw. The retrieval operation was already in full swing. They had light-offs. They had a tent at each corner. There were military personnel there. The whole craft was tipped up at a 30-degree angle. (01:05:38)

There were three bodies standing about right here. And there was a leader who was the, quote, leader of the other three. Two-way communication was made between military personnel and these ETs. And the agreement was the ETs would go with the military on one condition and one condition only. That you do not separate us. That was the agreement that was made. So the other thing that was talked about is that when American medical personnel tried to get inside this craft,they could only stay there for about three minutes before they got sick. (01:06:18)

That happened twice. And this is confirmed by other witnesses as well. So there was something going on within this craft, some residual propulsion still going on within this craft itself. We'll move on to the next slide here. So once they secured the area, they brought in an M-25 tank transporter. They built a cradle device. And they were shipping this thing out. This is all at night. (01:06:41)

And they had to move this thing in haste. So what they were trying to do, and here's where the story gets a little bit murky here. They were trying to move it to Area 51. This is back in 53. So, of course, I started digging here. Here's Highway 93. You've got to cross the Colorado River, and then you make your way up to Area 51. (01:07:03)

This is according to Harry Drew, if we're to believe this account. So, of course, I started digging. Yes, here's the track they took. You can see here Highway 93 started in 1935, still exists. (01:07:18)


So, yes, it did exist back in 1953. Now the question is, what did Groom Lake, Area 51, have back in 53? U-2 spy plane test flights didn't even start until 1955. And if you do any research into my good friend Peter Merlin, who wrote a book I'm going to show you a little bit later,there's a little bit of a discrepancy here. So, according to Harry Drew, once they got it to the Hoover Dam,they noticed that the outer diameter of this shape craft was way too big to get it through the upper part of Hoover Dam,because there were light fixtures. (01:07:54)

They couldn't do that. So they actually went to a put-in about 100 feet north of the north wall of the Hoover Dam. They floated a barge down the Colorado River. They took this whole 18-wheeler tractor trailer with the disc-shaped craft on it. They rolled it up onto the barge. They strung cables across the Colorado River and were basically trying to get this barge across the Colorado River. (01:08:19)

Now this is all at night, in haste. There's a lot of men screaming and swearing. They've got to secure this thing before daylight. And all of a sudden, the cables snapped. And this barge starts going down the Colorado River and actually hits the wall of the Hoover Dam. So, being at the water levels, there may be a mark there today where this thing made contact. (01:08:41)

I haven't seen it myself, but it may exist. We'll do a little bit of a blow-up. This gives you an idea of what this may have looked like. So, eventually they strung another series of cables across the Colorado River. They got it to the other side. And then, according to Harry Drew, they brought it to Area 51. So, this is Harry's book on this. (01:09:00)

This is a very rare book. Seven Days in May, The Kingman UFO Story. Almost impossible to get this book. I probably have one of a couple of dozen that were ever published. So, interesting book. Harry did a great job. He's no longer with us, but I want to give credit for his research. But, here's where it gets a little bit murky, because on page 18, on Peter Merlin's book,who is absolutely the world expert on Area 51. (01:09:27)

There's nobody better on this planet. He wrote this book called Dreamland, The Secret History of Area 51. It's about a 600-page volume, fully referenced, fully illustrated. It weighs six pounds. It's a massive book. Page 18. Prior to 1955, there was an auxiliary airstrip at Groom Lake,which was used during World War II for gunnery training. There were no hangars there. There was really no established buildings at Area 51 back in 53. (01:09:57)

So, whatever Harry was talking about, there's a little bit of discrepancy. But, as being a historian, I have to give you the truth,even if the truth doesn't agree with what I want to hear. (01:10:08)


So, we'll just continue on here. Go ahead. That's possible. That's possible. Wright-Patterson Air Force Base, 1953. Michael Olvey is the source. He was an Army warrant officer. Page 15 in the book of Leonard Stringfield. So, again, Wright-Patterson Air Force Base is ground zero for a lot of this information. So, he was at the right place at the right time. And I believe it's hangar number four where this actually took place. (01:11:00)

I can't prove it, but I think it's hangar number four. And if you look at that arrow here, that takes you to Bay E,which I've actually been inside this hangar. Can't go there now, but this is all before 9-11. And what he says is that a DC-7 four-engine cargo aircraft taxied up onto the base. This is all at night. And picture this being inside a hangar. (01:11:22)

So, once they got the aircraft taxied into the hangar, the hangar door shut. And then there was a left port cargo bay door that opened up. And then they had a forklift that started offloading these pallets. On these pallets were these wooden crates. And this warrant officer got within 12 feet of these crates, and he started looking inside. And what did he see? (01:11:45)

He saw three E.T. bodies, all deceased, in these three crates that had their lids pulled off. They were about three and a half to four feet tall, wearing a one-piece tight-fitting flight suit. They had oversized head, oversized eyes, slit for a mouth, minute nose. And they were all being suspended off the bottom of the wooden crates by a white nettingthat protected their bodies from the dry ice freezer burn below. (01:12:12)

That's according to the military source here. Now, he also said that one of these bodies was female because it had breasts. And I'm just bringing it up because this is what it said in the report. So, we'll just keep our history here. So, let's take Rudy's drawing as a reference, and we'll go to the full-color rendering. And this is Joseph Ray's depiction of what this may have seen or been like back in 1953 at Wright-Patterson Air Force Base. (01:12:38)

So, he also saw the crates where debris was being offloaded as well. This is a top view looking down. And this is what these bodies looked like. They were minute. They were emaciated. They had arms that went down below their knees. They had oversized head, always wearing this one-piece tight-fitting flight suit. Next one, reference number 16. Alien autopsy performed at Walter Reed Hospital. (01:13:01)

The cadaver was described as being three feet in height, with a large head, protruding brow, sunken eyes,which wrapped around to the side of the face, very long arms, gray skin. Pathologist's report from the Cleveland Clinic, 1952-1953. So, big question is, what did these ET bodies look like? And not just from science fiction, but what do they actually look like from the medical personnel that perform autopsies on these,the pathologists that wrote up the reports, the x-ray. (01:13:33)

What do the actual bodies look like according to documented, legitimate medical personnel? (01:13:39)


Well, they're three-and-a-half to four-and-a-half foot tall. That's item number one. Two round almond eyes, sunken without pupils. Heavy brow ridge. Large, hairless head by human standards. No ear lobes. No definitive nose. Small slit for a mouth. Very thin neck. Small torso. Arms described as long, reaching down to the knees. Hands have four fingers without thumb. Short, thin legs. Skin color beige, tan, brown, tan. (01:14:07)

So, if we take everything we know about these bodies from the pathologist's report, from the x-rays, from medical personnel involved in autopsies,and we take in these parameters right here, I said, okay, Rudy, give me the best possible drawing of what these bodies look like based on the actual pathologist's report. And I believe he did a miraculous job. I don't think we're going to get any better than this. (01:14:36)

And this is what Rudy came up with. This is what these bodies look like according to the pathologist's report. Probably not going to get any better than this. This is about the best we're going to get. This is based on multiple military personnel, medical personnel who autopsied these things. And you can see the heavy brow ridge. You can see the oversized head, the slit for a mouth. (01:14:56)

He's basically replicated exactly to a tee what these pathologist's reports are talking about here. Okay, Walker Air Force Base, New Mexico, April 12, 1954. This is a gentleman who was 18 years old. He was a young guy. He served as a photographer 1954 to 1955. This is page 82 in this book right here. This gentleman knew everything about photography. He knew about lighting. (01:15:22)

He knew about shading. He knew about shadows. He knew about exposure. He was, by 18, he was a professional at this. So a call went out to his group to board this helicopter, which is an H-19. And when they got into this helicopter over the PA system, quote,men, this is not a drill, this is a red alert scramble. So they take off from Walker Air Force Base, which used to be Roswell Army Airfield. (01:15:49)

They start flying north. The freeway is on their right. They make a left-hand turn. Now they're heading northwest toward Corona. And when they get over the hill, they see this craft. Measured about 50 feet in diameter. It had a ring wrapped around the outer circumference with light still rotating. There was a medium-sized dome on top. Came in at about a 45-degree angle. And this photographer is told to start snapping photographs of this thingas this thing is hovering 20 feet above this disc-shaped craft. (01:16:20)

He got a real good look at this. So this has been documented. Absolutely documented. Now, what's interesting is, when the helicopter landed, something became very apparent immediately. There was this pungent odor of automobile battery acid. And this is something that comes up multiple times in these crash retrieval operations. By this time, the retrieval operation was kind of in full swing because there were also other medical trucks getting toward the area. (01:16:51)

He saw four ET bodies from his vantage point. (01:16:54)


Now, when he landed, he found out from medical and military personnel that there were two other bodies inside the craftfor a grand total of six bodies recovered in this retrieval operation. So we'll go to the full-color rendering here. Gives you an idea of what this may have looked like. So this 18-year-old photographer, this is what he's telling us within this report here. (01:17:14)

The other Roswell. Crash on Texas-Mexican border. I want to give credit to Noe and Ruben for doing this book. This is spring 1955, and this is just across the Texas-Mexican border. We'll go to the next slide here. This gives you an idea of the vicinity of where this actually took place. So you've got 16 F-86 Sabre jets that are flying in conjunction with four B-47s. (01:17:42)

They're flying westbound over southern Texas. And where this thing came down, you see here Landry, this is Eagle's Nest, came down right here. This is where this thing came down. And while these pilots are flying westbound, one of these F-86 pilots saw this craft come in here. He peeled away from the other group, and then he landed his plane over here at Carswell Air Force Base that you see on the upper left. (01:18:10)

He got out of his F-86. He went over to Corsicana Municipal Airport, which is a public airport. He climbed in an Aranca tail-dragger high-wing aircraft with a friend of his,and they flew all the way back to the crash site across the Texas-Mexican border. Now, they got there before it was nighttime. When they arrived, this is what they saw. 25-foot diameter, disc-shaped craft about five feet tall. (01:18:38)

The upper dome had already popped off. The Mexican military got there first before anybody else got there, so they got there first. And what I thought was interesting is there was a debris trail leading up to the craft itself,and since it was getting cold out, the primary eyewitness stated that a lot of these Mexican soldiers were taking debris off the ground,which was still warm, and they were wrapping that debris around covers that they got from the 6x6 troop transport,warming up the covers, and then putting the covers on their bodies to warm them up. (01:19:15)

This is a little key factor that you just wouldn't think that they would make that up,so it actually adds credibility to the craft. Now, there was a whole breach on the side of the craft depicting some of the bodies on the interior. I'm going to kind of take you inside here. Now, according to Air Force pilot Robert Willingham, the arms look like broomsticks, so it was a gruesome sight. (01:19:36)

These things were dismembered. They were burnt up, so it was kind of a gruesome sight. But this is according to pilot Robert Willingham. Here's a full-color rendering of what this scene may have looked like if we could be there back in Mexico back in 1955. (01:19:50)


And we'll do a zoom-in here to show you what the bodies look like. So it wasn't for the faint of heart, but this is from the firsthand military source, Robert Willingham. Wright-Patterson Air Force Base, 1955, Mrs. G., Foreign Materials Division, page 17 in the book. This is one of these cases where you can just tell by what you're reading in this case that this woman is not lying to us. (01:20:16)

Something that may have looked like the closing scene of Raiders of the Lost Ark, where you have this big warehouse,that's where she was working at back at Wright-Patterson Air Force Base. This gives you an idea of war operations building. This is the warehouse building 258. And what this woman stated is that she cataloged a thousand components that came in from the interior of a recovered UFO. (01:20:43)

A thousand components. So when we hear about senators and congressmen not having any physical evidence,this woman is telling us that she was there at Wright-Patterson Air Force Base in 1955,and she cataloged a thousand components. So it's really her word against these senators and congressmen. We'll continue on here. So I asked Rudy, give me a drawing of our Mrs. G., and she's cataloging things,So I asked Rudy, give me a drawing of our Mrs. (01:21:11)

G., and she's cataloging things,and then I want you to populate these shells with all this ET components and debris and type craft that may have been retrieved. So what they had done is they set this thing up as an assembly line. There was one gentleman at a station taking a photograph of the debris. Then there was a next gentleman who bagged and tagged it, and then it went over to Mrs. G. who cataloged it. (01:21:36)

And she had over a thousand components that were cataloged. While all this is going on, there was this rotating, rolling dolly that went bywith two ET corpses being preserved in this formaldehyde-type liquid. So she saw all this. Now, researchers got to her just before she passed away, and this is what she said. Uncle Sam can't do anything to me once I'm in my grave. (01:22:01)

Six months later, she died. I believe her testimony to be absolutely authentic. Here's our rendering of what this may have looked like if we were there working with Mrs. G. here. We'll continue on. Since over 1,000 components of physical ET hardware exists,this evidence should be tracked down by senators and congressmen with the appropriate security clearances,and she be presented in open public congressional hearings. (01:22:25)

This is something that needs to happen now before these last legacy witnesses pass away here. Source retired Air Force pilot, late 1950s, conducted by Ed Kamarack, Jr. When he interviewed this Air Force pilot, he stated that he saw a five- to six-minute black-and-white film clipdepicting a dish-shaped craft about 60 feet in diameter. It had a gash on the side of it. The movie panned to another scene showing you the interior components of the craftthat had this projection screen with this iconology written on the inside wall of this projection screen. (01:23:05)

Here's kind of a blow-up of what the engine looked likeand also these different type lettering on the inside wall of the craft itself. (01:23:13)


Now, Wright-Patterson Air Force Base, April 1962. 15-foot diameter dish-shaped craft was seen by five transient pilotsthat were part of the 354th Tactical Air Command Fighter Wing, page 88. So the leader of these guys was in charge of their physical well-being. So they were jogging down the row of hangars at Wright-Patterson Air Force back in 1962. They were looking for a wall to complete their four-wall racquetball court. (01:23:46)

Basically, that's what they were doing. So as they're going through these hangars, one of these hangar doors was opened upand they ran inside and they saw this 15-foot diameter dish-shaped craft. There were about six military personnel with rifles. It was roped off. It was sitting up on two engine test stands. And they were challenged. And I thought it's very interesting what this gentleman said here. (01:24:10)

Here's Joseph Ray's full-color rendering of what this may have looked likeif we were back there with these Tactical Air Command Fighter pilots. Here's what the guard said. The guard challenged by saying,I don't think you're supposed to be in here, sir. I replied to the affirmative and we had turned about face and departed,mumbling to ourselves that the good old U.S. had developedmumbling to ourselves that the good old U.S. (01:24:31)

had developedor had all along flying saucers in service. This is another one of these testimonies from a military personnel. I absolutely believe they're telling us the truth on what they're seeing here. Reference number 53, date 1963. Source was P.J., Captain of the Navy. He worked for Braniff Airlines and he saw a 30-foot diameter dish-shaped craftat Wright-Patterson Air Force Base. So the case keeps building that there's craft there, there's debris there,there's bodies at Wright-Patterson Air Force Base. (01:25:03)

At least in the early 1950s, going back to the 1940s,probably going into the late 1960s. We'll continue on. December 1963, Cherry Point, North Carolina. And this is a Marine. We have his name. His name is Roy Baker. Page 152 in the book. And this is Cherry Point, a little bit north of Havelock. He was told to board a plane with blacked-out windows. (01:25:30)

So he climbs into this plane. They fly about three hours from Cherry Point, North Carolina. They land at an undisclosed location that he didn't know about. When he got off the plane, they opened up the hangar doors. He looked inside and he saw this craft,which was about 40 feet in diameter, 15 feet tall,had a highly polished mirror-reflective chrome exterior. There were nine elliptically opaque windowswrapped around the outer circumference of the craft itself. (01:25:58)

And then he said that the entryway hatch on this craftwas so fully integrated into the skin of the craft itself,you could not put a razor blade inside these seams. That's how fully integrated the hatchway was. Now, he also mentioned that there were teams of white lab coat technicianswith diamond-tipped drill bits trying to breach the hull of the craft. So these red dots are the attempted point of entry. (01:26:28)

You can see they were trying to do it on the seam and they couldn't get in. (01:26:31)


They absolutely could not get in. And can we get a time, Rudy, of where we are on time? 828. Okay, so we've got time for about one more here. Let's continue on. Here is Joseph Rice's full-color rendering of what this craft may have looked likeif we could be there back in 1963. No visible means of propulsion, no wings, no ailerons. The red dots are the attempted points of entry. (01:26:55)

So here's what they tried to do. When the diamond-tipped drill bits failed, they went to acetylene cutting torches. No luck there either. The final shot was a laser and that didn't work. So they had three attempts to get into this craft and they could not get in whatsoever. I don't know to this day if they were ever able to get inside,but they did try these three attempts. (01:27:18)

Now what you're looking at here is an actual original pen drawing. This is not a reproduction. This is a copy of the actual original. This is by the marine himself, Roy Baker. I'm going to break this down. It's rough, but there's some key items here. Upper left, upper right. Excruciatingly well lit. You can see the whole thing was propped up on scaffolding about five feet off the floor,so you could walk under this thing. (01:27:45)

If you look on the left of center opaque window, there is this black dot. That is the attempted point of entry with the diamond tip drill bit. And then you've got these pads supporting the craft itself. So this is from the marine who actually was interviewed by Leonard Stringfield. Michael Johnstone interviewed the marine back in 1986. About 12 years ago now, I tracked down Michael Johnstone. (01:28:13)

I interviewed him on videotape. He gave me all the other details of what Roy Baker told him about this case. He came up with this drawing. And there was this one inch lip between the outer skin of the craft itselfand the outer portion of these opaque windows. Something that you could feel with your thumb. He mentioned that within the report. We'll continue on here. (01:28:32)

Here's my AutoCAD drawing to give you an idea of what this thing looks like. Now, this whole thing was propped up on scaffolding. You could walk under it. There was a white circle painted directly below this craft. And his orders were to shoot to kill anyone who tried to breach that circle. We'll continue on here. Here's Joseph Ray's rendering of what this thing actually looks like. (01:28:52)

And here's John McNeil's first pass on what we were talking about here. You can see we've got the lab coat technicians. We've got the white circle here. We've got everything with the scaffolding. This tracks with what the military witness has talked about. So what I want to do now is I want to take you through a tour of this facility. Like we're a fly on the wall. (01:29:14)

And we're going to penetrate this chain link fence and get inside this hangar. (01:29:18)


So we're getting through the hangar now. We're getting a little bit closer here. You can see it's all coming into view. We'll get a little bit closer. You can see we've got the military personnel. We've got the white painted circle on the floor. Excruciatingly well lit. We've got the scaffolding in place. We've got suit types, CIA types. He described that at the scene as well. (01:29:39)

We'll zoom in a little bit closer. Diamond tip drill bits are trying to get in. They cannot get in the craft itself. We'll go a little bit more. This is a 45 degree look down angle. He absolutely described white lab coat technicians. And they all had a color coded badge, which we'll talk about in a little bit later here. Let's go on to the next slide. (01:29:59)

Now, on the last day he was there, because he was there for two weeks,his job was to guard this thing. He said the last day he came into the hangar, it was being moved off its scaffolding,put onto a cradle device, and then they were putting tarps over this thing. So here we're about 0% tarp right now. They had a cradle device. (01:30:18)

We're about 50% tarped here. We'll continue on. We're fully tarped. We're getting ready to move out of this facility. And now we're moving on to the next location. So the way they keep these things under wraps is, number one, they compartmentalize the information. That's number one. Number two is, they move these assets from one location to the next,and they keep the chain of command very low. (01:30:42)

Very few people at the top are the only ones who know about the whole thing. This is Rudy's drawing to give an idea of what this may have looked likeas they're getting ready to move this to the next location. Now, we talk about the laser incident. Once the acetylene torches failed, they brought in two 18-wheeler tractor little boy truckswith these big electrical generators on them. (01:31:03)

They had heavy gauge cable. They actually did have lasers back in 1963. They weren't the most powerful things in the world. They connected the generating device to the laser, shined the laser onto the skin of the craft. It bounced up, reflected, and damaged the ceiling tile. That's what happened back in 1963. When they moved the laser away, it was warm to the touch, but had no effect on the skin whatsoever. (01:31:26)

Here's the scene showing the damage to the ceiling tile. So, that was an interesting point. Here's the actual sketch from the Marine describing the incident. And then here's the color-coded badging. So, if you had a green badge, you could go here. If you had a yellow badge, you had access to this facility. If you had a red badge, you had access to the entire facility. (01:31:48)

Now, one time when the Marine was at this hangar facility, nobody checked him. He got in there all alone. (01:31:58)


He had a small Minox camera, and he took a photograph of this thing. And he said, quote,Someday I will tell this story, and by God, people are going to believe me. However, that photograph was lost in a flood back in 1983, and we lost the evidence. So, we were this close of getting a photograph of this craft propped up on scaffolding. It would have been for everyone to see, but it was lost in a flood. (01:32:21)

So, I said, okay, let's see if we can do a reproduction based on what an actual Minox camera photograph may have looked like. And here's the reproduction that we came up with. Something like this was taken by Roy Baker back in 1963. So, Paul Nitz, United States Secretary of the Navy, 63 to 67. The primary eyewitness said that there was a Secretary of the Navy who just about walked over that white line. (01:32:47)

He almost got shot. It would have been this gentleman right here. This gentleman would have been involved in that incident. Now, four-star Major General Melvin F. McNichol. Why do I bring him up? He was base commander at Tinker Air Force Base. And here is his obituary. Ex-Tinker Commander Melvin McNichol dies, Daly, Oklahoma, July 11, 1986. So, he is who he says he is. (01:33:10)

He was good friends with Charlotte Mann, who was involved in the Cape Girardeau incident. These two were friends. They had a mutual interest in UFOs. And so, about five years ago, she gave a lecture at the International UFO Congress in Phoenix, Arizona. Again, these two were good friends. And so, they were talking. And Charlotte Mann came over to Melvin McNichol and said,You know, we've been friends for a long time. We've got this mutual interest in UFOs. (01:33:39)

And you haven't told me anything. Are we still friends? I don't even know anymore. Are we still friends? And this general turns to Charlotte Mann and says,Charlotte, if you ever repeat what I'm about to tell you, it could ruin my career and I'll deny it. He proceeds to tell her three things. Number one, saw a UFO which was located in the west. That checks out with our marine. (01:34:03)

Number two, he walked around a UFO on a catwalk which was propped up on scaffolding, just like the marine had said. Bodies were recovered and one was still alive. So, when I heard Charlotte Mann describe what Melvin McNichol told her, I said, boom, I got it now. Because this tracks exactly with what the marine said back in December 1963. I'm sure they didn't know each other. (01:34:24)

So, when I heard Charlotte mention this, I said, now I've got independent confirmation. I can prove it now. We do have a recovered UFO somewhere in the west back in 1963. And Melvin McNichol just basically covered it for me. So, what I wanted to do in this presentation, just give you a brief overview of some of the most mission critical crash retrieval cases from this book from Leonard Stringfield. (01:34:50)

And I want to thank Rudy for making this all come alive because I could not have done this without Rudy. (01:34:56)


And the goal here is to preserve an important part of our national history through the use of illustrations to really make these things come alive and preserve our history. And I want to thank you for your attention. Cool. Go ahead. E.T. races are so advanced. Why are they coming from light years away, 2.3 trillion light years away? They're getting through gravity wells. They're getting through quarks. (01:35:38)

They're getting through black holes. They traverse all this time and space. And then they get into our atmosphere and they crash. It doesn't really make sense. Now, there is a case to be made. And there's some documented evidence to back this up is that there is, in point of fact, a rogue group within the military intelligence industrial complex that are targeting, tracking, and shooting these things down for, one, their free energy propulsion system advancements and, number two, for their weapons system advancements. (01:36:10)

And so the U.S. military intelligence complex, they will stop at nothing to retrieve these assets. So that appears to be what's going on. That appears to be what's going on. Anybody else? Paul Heineck wrote the forward to it. Yes. Yep. Go ahead. So, I have some secret information that we actually got death threats over many years ago. And I can tell you this much about it. (01:36:42)

That James Jesus Angleton had files. And in those files is the real story of Roswell and a bunch of other names. And, again, we got, we and the people that brought us in to tell us about it had death threats. So I can't tell you anything more. I know more about it. But I can't tell you anything more. So there is a lot more to this story. (01:37:08)

Amazingly, as Michael has done to the Roswell story and to others. That are in the files of James Jesus Angleton. Great. Wonderful. It's a televised UAP. The hearings? Yes. Yeah, I did watch the hearings like most of you here. And I was underwhelmed. I think it was a nothing burger. Literally, we're one year beyond it now. And there's been no follow-up. There's been no crash retrieval. (01:37:47)

There's been no disclosure. There's been no bodies. No craft have come out. It's up to us now. It's clear the government's just going to keep on kicking the can down the road here. And they want to run out the clock like they did with Roswell. Because there are no 509th Bond Group members alive anymore. They've run out the clock. And in the eyes of the government, it's cover-up complete. (01:38:06)

And they're going to try to do this with the rest of the legacy witnesses. And that's why it's so important to highlight Leonard's book. Because he had a lot more cases. And they can all come together as a united coalition, one voice. That's what we need to get this thing forward. Anybody else? Yeah, go ahead. I have a case in 97. And Dr. Greer gets credit for vetting the witness. (01:38:35)

But he was basically at a retrieval operation. (01:38:39)


This is April 1997 in Bolivia, in the jungle, where he came across a 65-foot-long by about 45-foot-tall egg-shaped craftthat embedded into the side of a rocky outgrowth. There was at least two bodies involved in the retrieval operation. It had a hull breach on the side of it. And it was pouring out liquid that he got on his skin. So that is a very credible case. (01:39:05)

So that's 97. In the UA hearing, there is a witness who has witnessed an amazing crash retrieval. His first name, I think, is Michael. I talked to him. He was going to do an interview. And then, I guess, somebody got to him and he got done. How much international... I mean, you've talked about Bolivia. You've talked about the Mexican tax reform. You've talked about what you brought up earlier. (01:39:36)

I mean, that's the Americas, North and South. Russia is a big place. Where do they come into play? Are we getting any information internationally? The United States government, military, is on the site all around the world. And they control the story. And they buy the craft and go in everywhere. And that includes Africa. And in these small reports, we went to France, interviewed witnesses there. (01:40:12)

I mean, the crash retrievals happen everywhere all over the world. But the United States government, again, the military, is completely in control. Okay. Go ahead. Well, what we're dealing with here is a multi-headed Hydra. So you've got alleged ETs. You've got man-made craft. You've got interdimensional craft. You've got alleged time travelers. You've got unidentified submerged objects. So you've got five things going on at the same time, all converging. (01:40:52)

And so that's why it makes it so hard to get a real, you know, pin down what this phenomenon actually is. Even J.L. and Hynek knew that if we were only talking about ETs, how boring this would be. Because this phenomenon is a lot bigger than just flying saucers. In fact, 51% of all UFO cases are, in point of fact, USO cases, unidentified submerged object,which is almost completely forgotten about. (01:41:19)

And it's almost never even talked about. So there's so many things going on here. And the U.S. military industrial complex, they are using the ET brush to hide their own deep black program. So that's something we want to consider as well. So this thing is multi-layered. It's a trickster. These things can go in and outside of mountains with no impact. They can materialize and dematerialize at will. (01:41:43)

So we're not talking about physical craft. So there's much more going on here. Yeah. So thanks for coming out. Appreciate it. Go ahead, Reed. Well, what they're trying to do is they're trying to make anything prior to 94 completely disappear. With the tic-tac and things like that, they're trying to make those type cases disappear. But I won't let it happen. Other UFO researchers won't let it happen. (01:42:10)

Cary won't let it happen. We've got all the legacy cases going back to 1865. (01:42:14)


We've got a mountain of evidence within the NICAP files. I mean, if anyone here gets bored on a Sunday afternoon and it's raining, just go to NICAP.org. Open up Kronos file where it says 1952. And you can just read to your heart's content about military firsthand pilot encounters with these craft. And there's like hundreds of them. The 52 flap outpaces the 1947 flap. (01:42:40)

And you cannot walk away thinking there's nothing to this. So this thing is involved. It's documented. And the only choice that we have now is to track down these legacy witnesses that can pull this data out with the physical evidence. Anything less than that and we're all going to be here another 80 years and not knowing about it. So this is the final curtain call on disclosure. (01:43:01)

It's up to us at this point. I found it really disappointing. I was working with Dr. Greer last year on that DC whistleblower event. I don't know if anybody was aware of that. Did you guys get to see that? Everybody knew that was coming. These were credible whistleblowers. It wasn't a David Grush thing where David Grush says, well, I spoke to somebody who saw something. (01:43:25)

These whistleblowers, Mike and I actually had contact. We were able to interview these guys and get their drawings down for this presentation. And it was the most, I'm new to this stuff. I mean, I've been a science fiction fan. I've been an illustrator a long time. But when I met Michael, he's telling me these stories are fantastic. But I'm an outsider on the inside trying to help them out the best I can. (01:43:46)

And so when we end up talking to these people and you get invested in it. And then Grush comes out like right before the Greer presentation. And it was, I mean, Dr. Greer, we had dinner with him a couple of years ago. And he asked me, and it was the most surreal moment of my life, one of them anyway,where he looks at me and he says, can I use your book? (01:44:13)

And I looked at him like, uh, yeah. Because I heard somebody, I used to teach at Saddleback, and a student came up to me and said,do you know about Stephen Greer? And I said, no, never heard of him. Rudy, do you want to talk about how high your drawing went? As a feather in your cap, do you want to talk about how high your drawing went? (01:44:28)

Okay, so the bottom line is, I'm disappointed because everybody saw this coming in, this building up. Dr. Greer is pretty credible, whatever your opinion is on him. And he's got information, I don't know what to make of it, I'm on the outside. But when he's ready to present this stuff, all of a sudden, you get David Grush coming out. And all the news channels, which I don't watch mainstream news at all anymore,because in my opinion, they're completely controlled. (01:44:54)

And again, my background is propaganda thesis, I wrote on propaganda. (01:44:57)


And you know that that's what happens. The media gets something, they run with the narrative,everybody's saying the same thing, they're programming you. That's why it's called television. Telecommunication, vision, programming. Oh, I'm going to watch this program. We take this terminology for granted, but it's because we've been raised up with it. Mockingbird? Okay, there you go. That's the thing, a lot of people in here may not know what Project Blue Book is,and they don't know who Alan Hynek was. (01:45:29)

But bottom line is, Grush comes out, and all the news media grabbed him,and he was everywhere, sucked all the air out of the room,and you very rarely saw anything with Dr. Greer's presentation. And Michael was key in that, because he was the one that was telling us,myself and a couple of other artists, this is what needs to happen,we interviewed these people, and I'm sitting here just blown away,and drawing these drawings, and then to get there and to see it,like a million people were streaming this thing. (01:46:00)

And I'm trying to keep it up, because I work as an art teacher at a Catholic school,and I freelance on the side, but I'm trying to keep it down low,and all I know is the market director this time last year for the art school,or for the art program, she calls me up, and she says,Rudy, sorry to bother you over summer, she says, but I just want to let you know,I'm in Palm Springs right now, and I'm watching the news,and I think your artwork is being featured on Jesse Waters. (01:46:25)

And I went, what? And a friend of mine had posted that a couple of days before,it was the same image by Michael Herrera, and it was on the daily, what's it called? You don't have to be modest, Rudy, you made it all the way to Fox News,and I'm proud you did. I'm proud you did, brother. So they interviewed that person that did that article, so the artwork was there,and I was just sitting there, like, whoa, what is going on? (01:46:50)

But again, you only saw it for one moment, Dr. Brewer's presentation was completely over,because of constant repeat, repeat, which is the African 101,repeat, repeat, repeat, until people get the message. And Rush became the guy. Go ahead. My goal is to raise awareness to the multiple crash retrievals over the past 80 yearsand try to track down the remaining witnesses that were firsthand military witnessesinvolved in the retrieval operation. That's my goal. That's the only shot we have. (01:47:24)

That is my ultimate goal. That's the only shot we have. Okay, thanks a lot. Good. Yep. Good. Great. Cool. Good. All right. (01:47:36)

(2024-08-30)