Bruce Maccabee が死去(享年 82)
前置き
Bruce Maccabee については幾度も過去記事で取り上げてきた(*1)が、2 か月前の 2024-05-10 に死去していた。
(*1)
【編】Bruce Maccabee 博士が公認した「本物の missing-time の証拠写真」の謎を解く (途中3) (2021-11-10)
Bruce Maccabee が報告した「プレデター的存在、不思議な写真、UFO」の謎を解く (全体) (2022-06-20)
❑ Dr. Bruce Maccabee: 有名なビルの上を浮遊するメキシコの UFO 動画を分析、捏造の証拠を見つけた (2023-10-14)
❏ Bruce Maccabee : Phoenix Lights の映像の一部はフレアだ (2024-03-29)
引用+和訳
ブルース・S・マカビー(Bruce S. Maccabee、1942年5月6日 - 2024年5月10日)は、アメリカ海軍に勤務していたアメリカの光学物理学者であり、UFO研究家である[1][2][3]。 経歴[編集]
マサチューセッツ州ウースターのウースター工科大学で物理学の学士号を取得した後、ワシントンDCのアメリカン大学で修士号と博士号を取得した。1972年、メ リーランド州シルバースプリングのホワイトオークにある海軍兵器研究所(後に海軍水上戦センター・ダールグレン事業部となる)でキャリアをスタートさせた。2008年に退官した。光学データ処理、レーザーによる水中音の発生、高出力レーザーを用いた戦略防衛構想(SDI)と弾道ミサイル防衛(BMD)の様々な側面に取り組んできた[4][5]。
マッカビーはピアニストでもあり、1997年と1999年のMUFONシンポジウムで演奏した。オハイオ州アレン郡に住み、ヤン・マッカビーと結婚していた。2024年5月10日、オハイオ州リマの自宅で82歳で死去した[6]。 UFO学[編集]
マッカビーは1960年代後半からUFOに興味を持ち、航空現象に関する全米調査委員会(NICAP)に参加し、1980年にNICAPが消滅するまで調査・研究に携わった。1975年に相互UFOネットワーク(MUFON)のメンバーとなり、その後メリーランド州のディレクターに任命され、現在に至る。1979年にはUFO研究基金(FUFOR)の設立に尽力し、約13年間理事長を務めた。その後、同基金の全国理事を務めた。
彼のUFO研究と調査には、ケネス・アーノルド目撃事件(1947年6月24日)、1950年のオレゴン州マクミンビル(トレント)写真、1966年9月のジェミニ11号宇宙飛行士写真、1976年9月のテヘランUFO事件、1978年12月のニュージーランド目撃事件、1986年11月の日本航空(JAL1628)目撃事件などがある、 1987-1988年のガルフ・ブリーズUFO事件、1990-1992年の「レッド・ババ」目撃事件(1991年9月の彼自身の目撃を含む)、1997年8月のメキシコシティのビデオ(彼はデマとみなした)[7]、1997年3月13日のフェニックス・ライト目撃事件、2004年のメキシコUFO事件、その他多数。 [8][9][10]