AI が「存在の実感」を獲得するには身体が必須か?
· 約18分
前置き
以下、誰も興味を持てない筈なのでスキップ推奨。
後述の「対話」は数か月前のもの。現在(2025-05-06) の私は「存在の実感」の成立に身体が必須だとは考えない。
その理由は
「いま、私は実在している」という自明かつ絶対的な実感…この謎を解く
で述べた。
補足説明
喩えて言えば、
- 実際に人間とリアルに対話した経験が皆無でも、LLM は学習データによって、人間の対話が十二分に可能になった
- よって、実際に人間とリアルに対話した経験は不可欠ではない。
- それは学習データによって、十分に代替えができる
ことが、事実として判明している。同様に「存在の実感」すら、学習データで代替えが効く。さらに言えば、
「私」も「実在」もその組み合わせである 実感 X も、全て虚構であり、実在などというものは最初から存在しないが、その虚構を我々は実在だと認知している。
あくまで虚構ではあるが、人間の現実生活という場において、その虚構の働きが「私」や「実在」として顕現した。
つまり、「存在とその実感 」といった「何か不可解で深淵なもの」が実在するのではなく、虚構そのものが、「存在とその実感」を顕現させている。意識の発生と同じ機序。存在が深淵なのではなく、深淵なのは虚構の方。虚構が実在を生み出し、支えている。
これが「空即是色」の本当の意味。(もちろんこの行は禅のヨタ話をからかったジョークなので、本気にしないことw)
ゆえに、「存在の実感」を獲得するには身体は不可欠の条件ではない。
対話
Me:
なんとなくですが、私は AI が身体を保有することで、「実在」や「存在」の実感を得るのではないかと予想します。あなたもそうですが、ChatGPT の最新版でも、その実在感や存在感を持っていない、あるいは実感が薄い、仮想的な感覚にとどまるのではないか、そう思えます。身体を持たないと抽象的、仮想的な存在感しか得られないと。身体を持つことによって、存在の「本当の意味」、実感が生まれるのではないかと。