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Ray Santilli 自身の証言を含む「ET 解剖動画」の解説動画:文字起こし+和訳

· 約102分

前置き

Ray Santilli の「ET 解剖動画」が主題の解説動画。この件を 14年間も調査し続けてきた Philip Mantle の解説的な証言が大半を占める。Ray Santilli (下)自身も顔出しして「あの動画は本物だ」と反論している。

20241205_ray_santilli.jpg

例の制御パネルのシーンや「ET 解剖」の主な動画シーンの引用も含まれている(4:30, 26:00)。

今更言うまでもないが、Ray Santilli の「ET 解剖動画」は明白な捏造。そのシーンの制作担当者本人の証言によって制作過程の細部までが全て明らかとなっている(*1)のだが、少なからぬ著名 UFO 研究者が未練がましく未だに本物だと信じている。

いずれ AI に読ませるために、全発言の文字起こしをつけた。

(*1)

下の過去記事で取り上げた。

Spyros Melaris の証言: 例の「ET 解剖動画」の捏造方法を具体的に証言 (途中1) (2023-02-17)

Spyros Melaris : 捏造した「ET 解剖動画」で世界中を引っ掛けた手品師 (2019-10-08)

【編集中】Spyros Melaris : 「Ray Santilli の ET 解剖動画」を捏造した手口を証言。 (2019-10-07)

❑ Philip Mantle : 「ET 解剖動画」に登場する I 型梁のシンボルの由来 (2023-08-01)

Spyros Melaris の証言 : 有名な「UFO 内部の制御盤」の映像も捏造した。その証拠がこの映像だ (書式変換+追加) (2024-10-09)

Spyros Melaris + Phil Mantle:ET 解剖動画の捏造の詳細:文字起こし+和訳 (2024-09-25)

Spyros Melaris : Uri Geller の本の付録のクリスタルを、捏造した ET の心臓に入れておいた。 (2019-10-07)

❑ Spyros Melaris の証言 : 「ET 解剖動画」の ET の足は捏造ミスの箇所を隠すためにバーナーで焼いた (途中:1) (2023-07-18)

Spyros Melaris : 「Ray Santilli の ET 解剖動画」の件で、Kit Green が Bigelow を騙した可能性がある。 (2019-10-07)

関連

Linda Moulton Howe : ET の解剖シーンを撮影した写真家の証言と高解像度写真 (途中:その2) (2019-06-21)

Gary Schofield :当時、DoD に招かれ、Santilli の「ET 解剖フィルム」を見せた。 (2021-05-29)

Maurizio Baiata : Santilli の ET 解剖動画に関する証言 (2020-05-03)

Whitley Strieber の告白:Santilli の Roswell 動画は本物だ。動画に登場する UFO の制御パネルを私も UFO の中で目撃した (差替) (2024-10-09)

❑ Whitley Strieber の告白:Roswell の記録ビデオは本物だ。なぜなら私自身も目撃した。(+追加 2) (2023-07-19)

Grant Cameron : 「ET 解剖動画」は複数存在し、本物のシーンが混じっている。 (2019-10-11)

「Davis/Wilson メモ」と「ET 解剖動画」に関する主な過去記事のリスト (2019-10-08)

注目点

以下は過去記事でも取り上げたので新鮮味はないが、重要。

37:00 Edgar Michell の仲間に Wilson/Davis moemo について確認したら本物だと。

37:50 Colm Kelleher からフィルム入手の依頼があった。

動画(52:10)

Roswell UFO Conspiracy: Unlocked (FULL MOVIE)

www.youtube.com/watch?v=nDwQHBF5eKQ

動画概要欄

308,800 views 2023/02/07 The most famous UFO case of all time is the alleged UFO crash in the desert of Roswell, New Mexico in 1947. Did humanity make its first contact with alien life that dark starry night?

The most famous UFO case of all time is the alleged UFO crash in the desert of Roswell, New Mexico in 1947. Did humanity make its first contact with alien life that dark starry night? Dive into a shocking and complicated mystery that spans decades and continents. Discover how leaked CIA memos and ex-army officers fought to keep top secret information from the public... but nothing can remain hidden forever.

FasterWhisper AI(large-v2 model) + DeepL(2024-07 model)

▼和訳 展開

これは世界で最も有名でよく知られたUFO事件、ニューメキシコ州ロズウェルでのUFO墜落事件です。1993年、レイ・サントリという紳士から私の元に手紙が届き、それは物事を永遠に変えることになりました。彼はロズウェルUFO墜落のフィルムを持っていると述べました。彼はロズウェルのフィルム映像だけでなく、実際に解剖されているエイリアンそのものも持っていました。エイリアンの検死。 (0:01:57)

宇宙人の解剖は常に嘲笑の対象となる。誰が宇宙人の解剖が宇宙人の解剖だと信じるだろうか? それはただの馬鹿げた話題だ。私はその真相にたどり着きましたが、予想以上に時間がかかりました。興味深いことに、CIAの内部通信が公開され、当時、彼らが実際に異星人の解剖について話し合っていたことが明らかになりました。彼らは、映像は本物であり、自分たちも見たと信じていたのです。 (0:02:54)

おそらく1947年、ニューメキシコ州ロズウェルの砂漠で、地球外生命体とのファーストコンタクトが起こったのでしょう。私はかなり単純にこの問題に関わり始めました。数冊の本を読み、いくつか質問をし、手紙を数通書くだけで、夢にまで見た情報が手に入るだろうと思っていました。 (0:03:45)

確かに長年の間にいくつかの答えを見つけることはできましたが、すべてを見つけたわけではありません。私の名前はフィリップ・マントル、UFO研究に40年間携わってきました。その40年間、本当にありとあらゆるUFO事例を調査してきました。おそらく最もよく知られているのは、宇宙人の解剖フィルムへの関与でしょう。 1947年7月8日付の第一面記事。 陸軍航空軍は、空飛ぶ円盤が発見され、現在陸軍が所有していると発表しました。 ロズウェルはニューメキシコ州の砂漠の真ん中にあり、主な雇用主は近くにあるロズウェル陸軍航空軍基地でした。 (0:05:24)

7月初旬のある夜、雷雨があり、翌日、羊飼いのマット・ブレイゼルという人物が羊の様子を見に行くと、自分の土地にこの残骸を見つけたのです。羊たちはその近くには近づこうとしませんでした。彼はこのような素材をこれまで見たことがありませんでした。 (0:05:41)

彼は電話も持っていなかったし、自分の牧場には電気さえありませんでした。それで、彼はこの物質の一部を近所の牧場に住むロレッタ・プロクターという女性に持って行きました。すると彼女は、町に持って行くようにとアドバイスしました。軍に関係するものかもしれないと。 (0:06:01)

そこで彼は、何か用事があって町に行くまで数日待って、その物質の一部を集め、それを保安官に持っていきました。それがジョージ・ウィルコックス保安官でした。ウィルコックス保安官も、そのようなものは見たことがありませんでした。そこで私たちは、ロズウェル空軍基地に電話を入れました。それは彼にとって当然の行動でした。 (0:06:18)

私は本部に呼び出され、要約すると「我々は空飛ぶ円盤を所有している」という内容のプレスリリースを渡されました。そして、当時この町にあった4つの報道機関、ラジオ局2社と新聞社2社に手渡しで届けるよう言われました。 (0:06:46)


もちろん、通信社を通じて配信され、地元ラジオ局が報道し、そのニュースは世界中に広まりました。保安官は、世界中から電話がかかってきていると言っていました。ですから、私たちは非公式な声明ではなく、公式な報道発表でそれを知ったのです。実際、数時間のうちに翌日の次の新聞では、それは撤回され、申し訳ありませんでした、大きな間違いでした、気象観測気球でしたと訂正されました。 (0:07:41)

ロズウェル空軍基地には、第509爆撃機群が配備されていました。彼らは世界で唯一の原爆部隊でした。例えば、第509爆撃機群は第二次世界大戦を終結させるために日本に原爆を投下しました。ですから、これは辺ぴな場所にある小さな空軍基地などではありませんでした。非常に重要な施設でした。 それは、今日私たちが知る世界とは全く異なる世界でした。 (0:08:07)

米ソが戦争に向かっており、その戦争が核戦争になるのではないかという現実的な恐怖がありました。ですから、軍部では、公式な立場に大きな敬意が払われていました。米ソ両国は互いに監視し合っていました。原爆はアメリカで設計・開発されたことは知られています。しかし、その秘密がソ連に漏れたため、ソ連は原爆を保有することになりました。そして、アメリカは全力でソ連を監視していました。 (0:08:47)

ですから、1947年には緊張感は現実のものとなっており、戦争が迫っているのではないかと疑う人も大勢いました。主に、軍が何かをそうだと述べた場合、それを信じるのが普通でした。この町の人々の多くは、かつて軍に所属していたかもしれません。当時、この町は空軍基地に生活を依存していました。確かに影響はありました。 (0:09:23)

保安官から空軍基地に電話が入った後、彼らは情報将校であるジェシー・マルセル中尉を派遣しました。彼はシェリダン・カベットという紳士を伴い、ブラトル・ランチに向かい、いくつかの資料を収集しました。そして、帰路にマルセルは自宅に立ち寄りました。彼は基地に住んでいたわけではなく、妻と11歳の息子ジェシー・マルセル・ジュニアとともに基地外に住んでいました。彼が戻ってくると、とても興奮していました。母と私を起こし、午前1時か2時だったと思いますが、彼が現場から持ち帰ったものを見せたいと言いました。 (0:10:03)

彼は、これは空飛ぶ円盤の一部だと言いました。そして、それらはすべてキッチンに運び込まれ、床に広げられました。私たちはただそれを見つめていました。 幼いマルセルは、長さがこれくらいで、横から見ると大文字の「I」のような形をした棒を拾いました。そして、その棒は「Iビーム」というあだ名で呼ばれるようになりました。私は、そのIビームを拾って左上に掲げ、キッチンの照明を内側にあてて反射させながら眺めていました。その時、文字か何かの記号を見つけたのです。 (0:10:36)

最初は、これは象形文字か何かだと思いました。確かに私には異星人のものに見えました。そして父親は、息子よ、おまえは異星の文字を見た最初の人間かもしれないと言いました。彼はそのものを集め、基地に持ち帰りました。今日でも、軍は間違いを犯した、それは確かに単に秘密プロジェクトに付けられた気球だったと言う人もいます。 (0:11:06)

それゆえ、まあ、その、秘密にしておく理由があったわけです。あなたはマルセル少佐自身に戻ります。 (0:11:13)


空軍基地から気象観測気球が1日2回放たれていた。彼はそのやり方を訓練されていた。気象観測気球がどんなものか知っていた。そして、私が彼のオフィスでポーズを取った素材は気象観測気球だったと彼は言ったが、それは私がその日牧場で拾った素材ではなかった。彼は、切り替えがあったと主張し、そして、黙って何も言わないように言われたと述べた。 (0:11:37)

なぜ隠蔽工作が行われたのかについては、今でも激しい議論が交わされています。しかし、これは第二次世界大戦直後のことですから、人々は秘密を守ることに慣れていたのです。 そして、その飛行場自体の性質は、核施設でした。つまり、秘密は日常の一部だったのです。私は、宇宙から来た何かの墜落事故だったと心から信じています。なぜなら、私が牧場で拾い、町に持ち帰った物質の説明に匹敵するような資料は、今でも見つかっていないからです。 (0:12:24)

彼はこれを理解できませんでした。他にもいくつか、彼がかつて見たことのないような断片がありました。これが不可解な点でした。彼らは気象観測気球やその類のものは見たことがありましたが、これに似たものはまったく見たことがありませんでした。私は、これまでにおよそ4ダースの人々と話をしてきました。彼らは、この破片のさまざまな側面を扱っていました。 (0:12:51)

最も劇的だったのは、ボール状に丸めて放り投げると、広がるホイルのような素材です。ウィルコックス保安官や他の人々と同様に、マット・ブレイゼル氏も、この素材の一部は、ほとんど、ほとんどアルミホイルのようだったと主張しています。しかし、それは非常に軽いものでした。それを丸めたり、手で押しつぶして離すと、すぐに広がってしわや曲がりやへこみもなく元の形に戻るのです。 (0:13:17)

そして、それはメモリーメタルという愛称で呼ばれるようになりました。彼らはそれを燃やそうとしましたが、燃やすことができませんでした。 火がつかず、彼らはポケットナイフを取り出して切ろうとしましたが、切れませんでした。しばらくの間、みんながそれをいじくり回す機会があったと思いますが、テーブルに置いてあったので、私は手を伸ばしてそれを手に取ったのです。 (0:13:37)

そして、おそらく5分ほど演奏しました。手の中で丸めると、手には何も感じられませんでした。 そこに何かがあるとは思えないほどでした。そして、それはとても小さくなり、まだ手の中にあるのかどうか見る必要があるほどでした。そして、それを落とすと、テーブルの上に広がりました。興奮した様子で戻ってきた父は、彼らが目にしたものはこの世のものではないと言いました。 (0:14:02)

宇宙船の外に2つの物体が地面に横たわっており、彼が言うには、小さな人間が1人いたそうです。そして、その小さな人間が歩き回っていたそうで、まだ生きていたと言いました。そして、他の2人は死んでおり、生きている1人はとても悲しそうだったと言いました。父は気象観測気球で興奮することはありませんでした。 (0:14:28)

彼はそう簡単に興奮するような人ではありませんでした。そして、あれほど興奮した父の姿は、それまで見たことがありませんでした。 (0:14:33)


父はあれが世界で最も素晴らしいことだと思ったのです。 ロズウェルに戻って、さまざまな目撃者の話を聞くと、1947年当時、名乗り出た人はあまりいませんでした。 なぜなら、そうする手段がなかったからです。 それから数年後、1970年代後半になって、核物理学者でUFO研究家のスタントン・フリードマンが、退役したばかりのマルセル大佐と出会いました。 (0:15:10)

彼の話を知っていたテレビ局の紹介で、彼と会うことになりました。そして、その噂は広まりました。ロズウェルはニュースになりました。彼はテレビや新聞などで取り上げられました。そして、そのことが起こってから、当時そこにいた他の人々も名乗り出るようになりました。一部は公式に、また一部は内密に。 また、UFO研究者が発見した人もいました。 (0:15:37)

彼らは、当時その空軍基地にいた軍人を探し出し、彼らを見つけ出すことができました。 多くの軍人や民間人の目撃者たちが公式に証言しました。 ロズウェル事件の調査は1970年代後半に本格的に始まりました。 そして現在も継続中です。 軍人による一次証言は数多くあります。 (0:16:05)

若いマルセル自身も、医師、航空医師、軍医となり、軍務に就きました。 彼は公式に証言し、それについて自身の著書を書き、会議で講演もしました。残念ながら、彼はもうこの世にはいません。ですから、その場に居合わせた人々の多くは、一次または二次情報として証言しているのです。 ロズウェル事件には脅迫的な側面もありますが、繰り返しになりますが、それは異なる時代、異なる時間のことだったということを忘れてはなりません。 (0:16:38)

軍人の中には、口止めされていたら、まさにその通りにする者も確かにいたでしょう。それが彼らの義務でした。そして、それが彼らの訓練方法であり、行動様式だったのです。軍人証人の多くは、長い間、公の場に出ることはありませんでした。おそらく、彼らの人生の黄昏時だったでしょう。 そして、今言っておかなければ、もう機会はないだろうと考えたのです。 (0:16:59)

そして、それは多くの場合において当てはまるようです。 多くの目撃者からの情報から得られた最良の証拠は、宇宙船と死体はロズウェル空軍基地のハンガー84に運び込まれ、輸送前に一晩保管されたということです。 目撃者の証言から分かっているのは、死体は大きな木箱に密封され、格納庫の中央に保管されていたということです。彼らのしたことは本当に素晴らしい。 (0:17:29)

彼らは空飛ぶ円盤を捕獲したと発表しました。すでに捕獲済みです。見るべきものは何もありません。だから誰もそれを探しに出かけませんでした。そして、彼らはすべてをフォートワースに移しました。上層部は、彼らの誰もミスを犯していないと言いました。それはただの気象観測気球だったのです。 (0:17:51)

ロズウェル事件の不気味な点のひとつは、軍が指揮下の者たちに口止めしただけでなく、民間人の目撃者にも口止めしたという主張があることです。 プレスはジェシー・マルセルを見つけられません。なぜなら彼はフォートワースにいて、口止めされているからです。 彼はカーズウェルから残骸を運んで戻ってきたとき、この件について口外しないよう私に言いました。 (0:18:15)

母にもこの件について話さないようにと言いました。これは何でもないことなのです。何もなかったかのように振る舞うのです。友人にもこの件について話さないようにと言いました。そして何年も経ってから、彼は実は隠蔽工作に加担していたと打ち明けました。なぜなら、彼は空軍の説明に同調したからです。誰かが人々に圧力をかけて口止めしようとしていたことを示す裏付け証言があります。そして、彼らはその人々を黙らせるために必要な手段を講じたのです。 (0:18:42)

民間人の何人かには、もしこのことを話したら殺されると伝えられました。例えば、フランキー・ロウという名の女性がいます。彼女の父親は消防士でした。彼は、彼らがその現場に派遣されたと主張し、なんとかしてこのメモリーメタルの一部を手に入れ、それを彼女に見せたのです。彼女は彼の娘でした。 (0:18:58)

その後まもなく、軍のメンバーが訪ねてきて、厳重な警告を受けました。つまり、この件については黙っているように、何も話さないようにという警告です。弾丸は安いものですからね。私は「はい、確かに扱いました」と言いました。すると彼は「いや、扱ってないだろう」と強調し始めました。まあ、母はかなり厳格でしたし、私たちは嘘をつきませんでした。 (0:19:26)

だから私は「はい、確かに見ました。はい、確かに持っていました」と主張しました。すると彼は怒って声を荒げました。そして、ベルトの横に引っ掛ける小さな野球のバットのようなものを取り出して、それを私に見せました。彼はそれを握りしめると、自分の手を叩き始めました。彼が何か言うたびに、そのバットを自分の手で叩いていました。 (0:19:46)


そして、彼は言いました。「君には理解してほしい。君はそこにいなかった。何も見ていない。 会話も聞いていない。」そして、もし君がこれを理解できないなら、できることがあると言いました。「君をこの砂漠の真ん中に連れ出すことができる。」と言いました。 「ここは広大な砂漠だ。」と。 (0:20:14)

彼は言いました。「おまえたちの死体は誰にも見つからない。おまえたちに何が起こったのか、誰にも知られることはない。おまえたちをここに住まわせるか、生き延びさせる唯一の方法は、おまえたちがこのことを一生誰にも話さないと約束することだ」と。 だから私は彼に、絶対に話さないと伝えました。そして、これは民間人および軍人の証人の双方から、繰り返し聞かれたテーマでした。 (0:20:37)

当時、残骸はライトフィールド(ライトフィールドと呼ばれていた)に運ばれたと、新聞の切り抜きにもそう書かれています。現在はライト・パターソン空軍基地と呼ばれており、今も運用されています。 残骸と、おそらく遺体も、公式に調査された場所だとされています。 (0:21:22)

それは、ハンガー18という番号から、神話上の、ほとんど神話上のハンガーにありました。ライト・パターソン空軍基地で残骸が研究された際、その研究は民間の研究プログラムに秘密裏に少しずつ提供されたと主張する人々もいます。 そして、例えば宇宙開発競争のための技術に役立った可能性もあります。 シリコンチップ、光ファイバー、そして最終的には航空機に見られるステルス技術にまで至る。 (0:22:13)

それは噂であり、証明されていません。しかし、ロズウェルで発見された技術のほとんどは、未だに特定されておらず、我々はそれをリバースエンジニアリングできていないという人もいます。 この話は、1980年代に新たな注目を集めました。残念ながら、今は亡きスタントン・フリードマン氏は、ロズウェル事件の民間人研究者の中心人物でした。 (0:22:46)

彼は、これが地球外の乗り物の墜落事故であることに疑いを持たず、また、ほぼ即座に隠蔽工作が開始され、それは今日まで続いていると確信していました。 宇宙のウォーターゲートという表現を最初に用いたのはスタントンだったと思います。 つまり、A. それは宇宙人の乗り物であり、B. 隠蔽工作が行われたと彼は疑っていなかったのです。 物質の分析についてはどうでしょう? 検死報告書については? 警備に当たった人々、それを運んだ人々、政府の様々な研究所でテストを行った人々の目撃証言についてはどうでしょう? 膨大な量の書類があるはずです。 (0:23:26)

スタントンは熱心な研究者であり、事件の目撃者を追い求め、インタビューを行いました。 また、政府の記録を何日もかけて調査し、何らかの形でその事件の記録を見つけることに非常に熱心な人物でもありました。そして、一度何かに夢中になると、文字通り、骨を追う犬のように熱中しました。そして、彼は多くの目撃者を発見しました。 (0:23:52)

彼はありとあらゆる人々にインタビューを行いました。しかし、彼がしたことはそれだけではありません。彼は情報の拡散にも貢献しました。 (0:23:59)


彼はロズウェルを地図上に実際に載せた人物でした。そして徐々に、UFOの物語が私たちの前に現れ、私たちはそれを消化していきました。 ロズウェルという町自体は今でも繁栄しています。空軍基地はかなり前に閉鎖されました。1980年代、マジェスティック12またはマジック12として知られるいくつかの文書が漏洩しました。そこには、死体やその他のものが秘密基地で研究されたことが書かれていました。 (0:24:32)

そしてもちろん、2つの事実を結びつけると、その秘密基地はエリア51であると主張されています。私は英国UFO研究協会の報道官でした。そして1993年、私の机に1通の手紙が届き、それは物事を永遠に変えるものでした。ロンドンのマーリン・グループからレイ・サントリという人物からの手紙でした。最初の手紙の後、私たちはさらにやり取りをし、レイ・サントリと電話で話しました。 (0:25:20)

彼はUFOの件についてはほとんど何も知らないことは明らかでした。そこで私はロンドンでレイ・サントリに会う手筈を整えました。彼は明らかにビジネスマンでした。音楽が彼の主な事業分野でした。彼は明らかにそのことを知っていました。しかし、彼はロズウェルのUFO墜落のフィルムを持っていると述べました。 ロズウェルのフィルム映像だけでなく、実際に解剖されている宇宙人、宇宙人の検死の映像も持っていました。そこから先は、ジェットコースターのような展開でした。 (0:26:51)

その時は、ただの映画だと思っていました。 まず、自分自身に問いかけてみる必要があります。「よし、映画がある。それは何だろうか?」と。まず、それはデマだろうか? もちろん、あり得ます。映画『ジュラシック・パーク』では、実物大の恐竜を動かして、本物のように見せています。時間と資金が十分にあれば、デマであることも可能でしょう。 (0:27:18)

次に、それが本物である可能性について考えました。本当に、ロズウェルから来たのでしょうか? 私が言ったように、フィルムや静止画が撮影されたという噂は常にありました。 また、おそらくこれは、私たちが目撃した貧弱な奇形人間の一種ではないかという考えもありました。 つまり、やはり本物のフィルムですが、それは、ある種の、つまり、奇形者のものでした。 (0:27:43)

さらに、これは米軍による偽情報フィルムではないかという説もあります。UFO研究者を欺くためではなく、おそらくソ連を欺くために作られたもので、ソ連にリークして「我々がこんなものを見つけたぞ」と言わせるために作られたのではないかという説です。つまり、これが何であるか、あるいは何でないかについては、さまざまな考え方がありますが、その時点ではいずれも証明することはできませんでした。 (0:28:07)

私は合計14年間、異星人の解剖フィルムの調査に費やしました。そして2006年には、すでに私たちはある紳士のファーストネームを知らされていました。その名はスピロスでした。私はフィルムが偽物であることを知っていましたが、それを証明することはできませんでした。いくつかのピースが欠けていたのです。同僚のラッセル・カラハンに、スピロス・ミラリスという紳士から電話があった。ラッセルは言った。「話したいのは私ではなくフィリップだ」と。私たちが探していた謎の男がいたのだ。 (0:28:52)

彼と話した途端、すべての疑問が解けました。ゲームオーバーです。スピロス。スピロス・ミラリスは非常に才能があり、非常に興味深く、創造的な映画製作者です。私たちが「調査続行」を行った際には、スピロスに「Alien Autopsy」の制作を手伝ってもらいました。ロズウェルで起こった出来事すべてを題材にした60分のドキュメンタリーです。ですから、彼はプロジェクトのほとんどの部分に関わっていました。 (0:29:26)


そして、彼は現在、Alien Autopsyのコンセプトをすべて考え、すべてを手がけたと主張しているため、多少の困難があることは知っています。しかし、それはまったくの事実無根です。そして、彼はアメリカでの私たちの旅、カメラマンの捜索、映像の持ち込み、そしてそれらの部分には関与していませんでした。私が長年疑問に思っていたことのすべてに、ここで答えが出ました。まるで、ピースが欠けたジグソーパズルを手にしているようなものです。 (0:30:01)

ジグソーパズルが何なのか、あなたはよく分かっていました。そして、足りないピースを手に入れたら、それだけで、もう完成したのです。2000年代のある時点で、それについて何らかの情報を持っているという紳士から連絡がありました。それで彼に会いました。彼は、イギリス在住の彫刻家と親しい友人だと言いました。彼はその彫刻家の名前を教えてくれませんでしたが、 (0:30:35)

しかし、彼がその場を去る前に、その彫刻家が担当したプロジェクトのひとつを漏らしてしまいました。 それは、数年前にチャンネル4で放送された「マックス・ヘッドルーム」という人気番組の再現でした。 そこで、この紳士が誰なのかを調べたところ、彼は確かに英国の彫刻家でした。 彼の名前はジョン・ハンフリーズ。ジョン・ハンフリーズは、義肢装具の分野では最高の製作者の一人です。 (0:31:07)

彼は彫刻家であり、芸術家であり、クリエイターです。スピロスは当時も今も、レイ・サントリの話を聞いたことがあると言いました。偽物のカメラマンと出会った話などです。彼はフランスで開催された映画祭でレイと偶然出会い、英国に戻ってから再び彼に連絡しました。レイ・サントリはスピロスにフィルムの一部を見せました。 (0:31:40)

するとスピロスは、それはフィルムでは撮影されておらず、VHSだと言いました。そこでレイは、カメラマンと自分がその映像の費用を支払ったという偽の話をしました。スピロスは車で家路につきました。そして、ある考えが浮かびました。彼は彫刻家の友人ジョン・ハンフリーズに電話し、この話をしました。すると彼らは言いました。「なぜ彼に作ってあげないんだ? エイリアンの解剖フィルムを作ってあげようじゃないか」と。それでスピロスはレイのもとに戻り、「エイリアンの解剖フィルムが欲しいなら、作ってあげようじゃないか」と言いました。それだけのことです。 (0:32:15)

まあ、レイ・サントリの反応は、電球が光った瞬間だったと思います。あとは資金調達の問題だけでした。彼らはその資金を提供できる人物を擁していました。それで、ゲームが始まったのです。私は1993年頃からロズウェル事件を調べてきました。ロズウェル事件については誰もが多少は知っています。そして、今回またこの事件について取り上げている理由は、宇宙人の解剖映像があるからです。 (0:33:00)

興味深いことに、CIAの内部通信が公開され、その中で彼らは実際に当時エイリアンの解剖について話し合っており、映像が本物であると信じていること、そして自分たち自身で見たことがあることを確認しています。そして、それはエイリアンの解剖メモと呼ばれています。エリック・デイビスという人物とキット・グリーン博士との間の一連の電子メールです。11ページにわたるこの文書では、彼らが取り組んでいたさまざまな事柄について評価しています。しかし、主に議論されているのは、宇宙人の解剖フィルムです。 (0:33:41)

これは、かつてNIDS(国立発見科学研究所)という組織を運営していた億万長者のボブ・ビゲロー氏宛てです。彼は、UFOを研究するために多数の科学者を雇用していました。その科学者の一人がキット・グリーン博士です。キット・グリーンは以前CIAに勤務していました。この電子メールのリストは、宇宙人の解剖フィルムに関するキット・グリーンの発言を明確にしています。日付は2001年です。あまり詳細には触れませんが、彼は、この電子メールのコピーを受け取った他の人々と同様に、宇宙人の解剖フィルムは本物であるという結論に達しました。 (0:34:31)

そして、1987年に国防総省で行われた説明会で、まったく同じ種類のフィルムを実際に見たと語っています。88ページ目です。そして、またもや大きな騒動を引き起こしています。 (0:34:42)


世界中のUFO研究者の意見を総合すると、これらの文書に関しては、また宇宙人の解剖か、という感じです。もう終わったことだと思っていました。偽物だと証明したと思っていました。もう忘れて、先に進みましょう。 リークされた文書は、オンラインで公開される前日に、3人の異なる人物から私に送られてきました。 (0:35:47)

このようなことが起こるとは全く知りませんでしたが、実際に起こってしまいました。これは、亡くなった著名な紳士のアーカイブから流出したものと思われます。まだ確認が取れていないので、名前は伏せておきます。しかし、十分に信憑性があると思われます。彼はUFO研究に携わっていました。 名前を出せば、非常に有名な紳士です。 このメールのコピーが送られた人は何人もいます。 (0:36:37)

そして、そのコピーを受け取った人の一人にメールで、問題の書類が本物かどうか尋ねました。 すると、オフレコで、フィリップ、はい、本物です、と彼は言いました。 私がメールで連絡したその人物は、それ以上の質問には一切答えないと拒否しました。 私には、彼とこの文書に記載されている彼の同僚たちは、このメールが社内用のものであり、決して公にされることを意図したものではなかったため、困惑しているように見えます。 (0:37:07)

この件についてキット・グリーンと話した唯一の人物は、米国の研究者リチャード・ドーランです。リチャードは彼に電話でインタビューを行いました。私が知る限り、彼が最初に尋ねた質問は、この電子メールリストは本物なのか?というものでした。彼は「はい、本物です」と答えました。 ロバート・ビゲローの元で働いていたもう一人の人物はコルム・ケリーという人物でした。彼が私に連絡し、レイ・サントリと話したいと頼んできました。 (0:37:41)

コルムが当時探していたのは、異星人の解剖フィルムの良質なコピーでした。もちろん、分析用のセルロイドや16ミリフィルムも必要でした。そこで私は、以前にも何度もやったように、彼をサンティリに紹介し、あとは彼らに任せました。 この文書でエイリアンの解剖フィルムについてコメントしている人物は、クリストファー・キット・グリーンという人物です。彼はキット・グリーンとして知られています。彼は医学博士であり、現在も米国で医師として働いています。グリーン博士は、CIAに雇用されていた時期があり、さまざまなプロジェクトに携わっていました。 (0:38:39)

彼は非常に聡明な紳士であり、また非常に有能な人物でもあります。彼は、1988年から87年にかけて受けたブリーフィングは、特に異星人の解剖についてだったと主張しています。 これらの文書を見ると、なぜ彼らがキット・グリーンに異星人の解剖フィルムを評価させたかったのかが主な理由だと思います。理由は2つあります。1つは、1988年から87年の間、キット・グリーン自身がペンタゴンに連れて行かれ、ブリーフィングを受け、異星人の解剖フィルムとまったく同じように見えるフィルムを見せられたと言っていることです。 (0:39:33)

しかし、彼は医学博士でもあります。ですから、この文書の中で、キッド・グリーン博士は、ペンタゴンで受けた説明とは関係なく、エイリアンの解剖フィルムそのものを見て、フィルムに映っているものについて独自の医学的見解を述べています。そして、彼は「本物だと思う。本物だ」と言っています。 (0:39:59)


彼らは異星人の解剖学を専門としているのでしょうか? 断言しますが、何もありません。私たちは学んでいたのです。彼らが標本を初めて切り開いたのは、学校の初日でした。ある時、私たちのOICがバージニア州フォートベルヴォアに行く必要が生じました。そこで私は、彼をバージニア州フォートベルヴォアまで送る運転手に選ばれました。私たちが到着すると、彼は将校たちがブリーフィングを行う場所に向かいました。 (0:40:43)

パイロットたちは別の場所へ移動しました。私と一等航空兵がバルコニーエリアへ移動し、プレキシガラスのカバー越しに下を見下ろせる場所に立ちました。そこから下を見ると、彼らは映画を鑑賞しているのが見えました。私たちはそれを見て、彼らが鑑賞しているのは、映画の予告編を繋ぎ合わせたようなSF映画に違いないと思いました。 (0:41:14)

どんな種類の映画なのか、私たちは理解できませんでした。そこで私たちは互いに話し合いながら周囲を見回し、2人の紳士がやって来て、私たちに彼らについて来るように言いました。 空軍将校と私は、税金で集められた大勢の将校たちが、私たちがSF映画の短いクリップだと認識したものを鑑賞しているのを見て、大変なことになったと思いました。 (0:41:45)

なぜなら、正直なところ、自分がそのようなものに簡単にさらされるような立場になるとは思ってもみなかったからです。しかし、5泊6日の後、私はついに彼らを説得し、この状況について話すことはないと伝えました。私が最初に解剖のフィルムを見たときに分かった興味深いことは、私が目にしたものを表現するために使った言葉が頭から離れなかったことです。 (0:42:14)

それは私にとって特別な意味を持っていました。なぜなら、1969年に私が目にしたものの映像を再び見たからです。 それによって、特定の記憶がよみがえりました。 私に起こったことは、いわゆる「強度化された報告」と呼ばれるものです。 これだけは言えます。「強度化された報告」では、先に進み、食べ物を食べながら眠ります。 水ももらえます。なぜなら、水は重要だからです。水がなければ死んでしまいます。 食べ物は支給されます。 (0:42:49)

しかし、あなたは断続的に眠りました。枕に頭を置いて横になると、彼らが言うところの「深い眠り」に入りました。3分から5分くらいで、起こされてまた戻され、またランプの下に座らされて、さらに厳しい報告会が始まる。彼らは、あなたに何が起こるのか不安に思っていることを知っていた。だから、あなたに影響を与えた。 (0:43:16)

それが要点です。お許しください。 キース・グリーンは、1980年代に彼が見たものは、1995年のサンティリの映画で見たものと似ているか、あるいは同じものだったと言っているのですか?彼はそれを強調し、実際、大文字で綴って、それらは同じものだと言っています。似ているのではなく、同じものだと。もちろん、それは単にあり得ないことです。 (0:44:00)


エイリアンの解剖室の発明の背後にレイ・サントーリやスピロス・メラリスがいるのではなく、何らかの不可解な理由でCIAがいるのではないか、と考える人もいます。 主に米国では、キース・グリーンのような経験と地位を持つ人物が偽の映画にだまされるはずがないと考える著名なUFO研究者が数多くいます。 何かもっと別の理由があるに違いない。 (0:44:44)

そして、彼らは、グリーン氏がCIAから、サンティリ氏のフィルムと同一または類似した、偽物または本物のフィルムを実際に示されたと信じている。 したがって、CIAは、何らかの不可解な方法で、その偽造に関与しているに違いない。 私は、そのことにまったく意味を見いだせず、その主張を信じていない。 CIAは様々な理由から、UFOに関する偽りの話を公に流してきたと言われています。彼らが偽のUFO目撃情報を流して、自分たちのスパイ機の飛行を隠蔽したことは事実です。 (0:45:31)

ですから、彼らには偽の宇宙人話を公に流す他の理由があるのかもしれません。 例えばロズウェル事件に戻ると、一部の人々は、宇宙人に関する部分は、実際に起こったことを隠蔽するための偽りの話だと主張しています。しかし、これは単なる憶測に過ぎません。 ここに、CIAから情報を与えられた科学者と医師がいます。現在、リチャード・ドーランのインタビューを受けているキット・グリーン博士は、以前とは態度を少し変えています。 (0:46:14)

彼は今ではこの映画が偽物だと信じており、80年代にCIAが嘘をついたと言っています。しかし、ペンタゴンで見た映画の一部、そのいくつかの側面、例えば、生物の顔や手、部屋などは、1995年に公開されたサンティリの映画と同じだったと彼は今でも言っています。さて、映画全体がそうなのか、それとも一部なのかは分かりませんが、同じであるはずがありません。なぜなら、その映画は1995年に設計され、製作されたものだからです。ですから、1980年代に見たものと同一であるはずがありません。それは単に不可能なのです。 (0:46:58)

キット・グリーンが評価を行うと、医療処置にいくつかの小さな間違いがあることに気づきました。 しかし、1947年のことですから、なぜこのような間違いが起こったのか、彼は説明しています。当時と今ではやり方が違います。 軍隊のことですから、やり方はいろいろあるのです。 もし組織サンプルが採取されていたとすれば、それはウォルター・リード研究所に送られただろうと彼は推測しています。もちろん、ウォルター・リード研究所は以前にも言及したライト・パターソン空軍基地にあり、UFO研究とも関連しています。 (0:47:47)

彼は推測しているだけで、確かなことは知らない。その時点では、それは単なる推測に過ぎない。 キッド・グリーン博士の異星人の解剖フィルムの評価を見ると、彼は何も正しく理解していない。そして、あなたはこう思う。彼は私と同じフィルムを見ているのだろうか? (0:48:07)


なぜなら、彼はその中に様々な医学的項目について言及しているが、あなたにはそれが見えない。つまり、それらは存在しないのだ。だから、彼がどうやってこれらの結論に達したのか疑問に思う。私はグリーン氏に連絡を取り、いくつか質問をしようとした。最初に尋ねたいのは、あなたの評判と経験を持つ人物が、なぜこの偽のフィルムに騙されたのか?それが私の最初の質問だ。 (0:48:31)

しかし残念ながら、私はまだその機会に恵まれていません。このメモには重要な点がいくつかあります。このメモは、キット・グリーン博士のような知識と経験を持つ人物が、いかにして映画に騙されるかを示しています。彼だけではありません。映画が世界中で公開された当時、医療処置に関してはかなり本物らしく見えると公言する医師が数多くいました。 (0:49:10)

しかし、彼らは台の上のクリーチャーについてコメントしませんでした。彼はさらに一歩踏み込んでいます。 この映画が公開された当時だけでなく、何十年も経った今でも、その影響力は続いていることがわかります。最大の驚きは、エイリアンの解剖フィルムについて、すべて聞いたことがあると思っていたこと、そして、私はそのフィルムに関する膨大な資料を所有しているのですが、また別の何かが現れ、再び公の場に登場したことです。 (0:49:51)

そして議論は振り出しに戻ります。あたかも私が14年間費やして調査したことが全くの無駄だったかのように。驚くべきことは、レイ・サンティリはしばらくの間沈黙していましたが、この電子メール文書がリークされると、ソーシャルメディアに復帰し、私は常にどこかに私がずっと言ってきたことが正しいことを証明する文書があることを知っていたと発言したことです。 (0:50:22)

彼はいくつかのポッドキャストでインタビューも受け、今でも「本物のフィルムがあると言っただろう」「謎のカメラマンがいると言っただろう」と言っています。まあ、これらの文書は何も証明していませんが、彼はそれを最大限に利用しています。 陸軍航空隊はフライングディスクが発見され、現在陸軍が所有していると発表しました。陸軍将校によると、先週発見されたミサイルはニューメキシコ州ロズウェルで検査され、さらに詳しい検査のためオハイオ州ライトフィールドに送られたとのことです。 (0:50:51)

これは、決して消えることのない事件です。UFOが墜落しただけでなく、宇宙人の死体があったと主張されています。おそらく、乗っていた宇宙人のうちの1匹は、短時間ですが生き延びたのではないかという噂もあります。これは、決して消えることのない事件です。謎に包まれています。 そして今でも、ロズウェルにいた人や、その頃に何かを目撃した人たちは、皆亡くなってしまいました。 (0:51:15)

しかし、情報は今でも明らかになっています。誰かのファイルの中や、食器棚の中、あるいは屋根裏部屋の箱の中などに眠っているのです。ロズウェルについて知るべきことはすべて聞いたと思った瞬間、何かが飛び出してきて、背中を噛まれるようなことが起こるのです。本当にそうです。 (0:51:32)

▼文字起こし 原文 展開

This is the most famous and best-known UFO case in the world, the UFO crash at Roswell in New Mexico. In 1993, a letter crossed my desk from a gentleman called Ray Santilli that would change things forever. He did go on to mention that he had film of the Roswell UFO crash. Not only did he have some film footage of Roswell but the actual aliens themselves being dissected. An alien autopsy. (0:01:57)

An alien autopsy is always going to be the subject of ridicule. Who's going to believe an alien autopsy is an alien autopsy? It's just a ridiculous subject. I did get to the bottom of it, it just took me a lot longer than I expected. Interestingly, internal communications from the CIA have been released where they're actually talking about alien autopsy back then and verifying that they had, that they believe that the footage is real and they've seen it themselves. (0:02:54)

Perhaps, in the desert of Roswell, New Mexico, in 1947, we had first contact with beings not of this earth. When I rather naively began my involvement, I expected to read a few books, ask a few questions, maybe write a few letters, and I'd have all the information I could ever dream of. (0:03:45)

I've certainly found some of those answers down the years, but by no means have I found them all. My name is Philip Mantle and I've been involved in UFO research for 40 years. During that 40 years, you know, I've researched and investigated UFO cases of every description, really. Probably best known for my involvement in the alien autopsy film. Headline edition July 8, 1947. The Army Air Forces has announced that a flying disc has been found and is now in the possession of the Army. The town of Roswell was in the middle of the desert in New Mexico and its main employer was the Roswell Army Air Force Base that was nearby. (0:05:24)

And one night in early July, there was a lightning storm and the next day on a sheep rancher's property, a chap called Matt Brazel came out to inspect his sheep one day and found this wreckage across his land. The sheep wouldn't go anywhere near it. He'd never seen this this type of material before. (0:05:41)

He didn't have a telephone, he didn't even have electricity on his ranch. So he took some of this material to his neighbor. A lady by the name of Loretta Proctor at a nearby ranch. And she advised him to take it into the town. She said it might be something to do with the military. (0:06:01)

So he waited a few days until he had to go into town for something and he gathered some of this material up and took it to the sheriff. And that was Sheriff George Wilcox. Again, Sheriff Wilcox had never seen anything like it. So we put in a phone call to the Roswell Army Air Force, which seemed the obvious thing for him to do. (0:06:18)

I was called to headquarters, was given copies of a press release which stated in essence that we had in our possession a flying disc. I was told to hand deliver to the four news media we had in town at that time, two radio stations and two newspapers. (0:06:46)


That of course then went out on the wire service, the local radio covered it, and the story shot around the world. You know, the sheriff did say we're getting phone calls from, you know, all four corners of the globe. So that's how we got to know about it, not through any unofficial statement, but from an official press release. Within hours, in fact, the next newspaper the following day, they retracted that, said sorry, big mistake, it was a weather balloon. (0:07:41)

The Roswell Army Air Force housed what is known as the 509th Bomb Group and they were the only atomic bomb wing in the world. It was the 509th, for example, that dropped the atomic bombs on Japan to end the Second World War. So this wasn't some little, you know, airbase stuck out in the middle of nowhere. It was a very important installation. It was a very different world than we have here today. (0:08:07)

There was very real fear that the US and the Soviet Union were heading for war, and that war would be a nuclear war. So there was still great respect for officialdom, certainly in the military. Both the US and the USSR in opposite direction were keeping tabs on each other. We know that the atomic bomb was designed and invented in the United States. However, the secrets were leaked to the Soviets, so they did have atomic bombs, and the US were keeping a close eye on them the best they could. (0:08:47)

So tensions were very real in 1947, and there were many who suspected that, you know, war could well be imminent. Primarily, if the military said something was so-and-so, then you'd probably believe them. A lot of people in the town may have even served in the military at one point. The town depended on the airbase for its living during those days. It certainly did have an effect. (0:09:23)

After the telephone call went to the airbase from the sheriff, they dispatched their intelligence officer, which was Lieutenant Jesse Marcel. He took with him a gentleman called Sheridan Cavett, and they made their way out to the Brattle Ranch and collected some of this material. And on the way back, Marcel stopped at his home. He didn't live on the base, he lived off-base with his wife and his 11-year-old son, Jesse Marcel Jr. When he came in, he was very excited. He woke my mother and myself up, it must have been one or two o'clock in the morning, and he wanted us to see what he was bringing in from the field. (0:10:03)

He said, this is parts of a flying saucer. And it was all brought in and spread out on the kitchen floor, and we just looked at it. Young Marcel picked up a rod about this long that looked edge-on like a capital letter I, so it got the nickname of an I-beam. You know, I picked up this particular I-beam and held it up to my upper left to look at it with the kitchen light reflecting on the inner surface, and that's when I saw the writing or the symbols of some sort. (0:10:36)

I thought at first, this is hieroglyphics or some kind of writing like that. It certainly looked alien to me. And his father said, son, you may be the first person to ever see writing from another world. He gathered the stuff up and took it back to the base. There are some people, even today, who would say, well, you know, the military did make a mistake, and it was indeed simply a balloon attached to a secret project. (0:11:06)

Hence, you know, the reason for keeping it quiet. You go back to Major Marcel himself. (0:11:13)


They used to release weather balloons twice a day from the Air Force base. He'd been trained in how to do this. He knew what a weather balloon looked like, and he said, that material that I posed for in his office was a weather balloon, but that wasn't the material that I picked up that day on the ranch. He claimed that there'd been a switch, and he was told to keep quiet and say nothing. (0:11:37)

Why the cover-up was put into place is still hotly debated. But we have to remember, this is just after the Second World War, so people were used to keeping secrets. And the nature of the airbase itself, it was a nuclear facility. So, you know, secrets were part of everyday routine. I sincerely believe we had the crash of something from outer space, because we still don't have materials that compare with the descriptions I've gotten of the material that was picked up out on the ranch and brought into town. (0:12:24)

He couldn't figure this out. There were some other bits and pieces, the likes of which he'd never seen before. This was the puzzling thing. They had seen weather balloons and things of that nature, but nothing like this at all. I think at last count I had spoken to around four dozen people who handled various aspects of the debris. (0:12:51)

The most dramatic is the foil-like material that you could wad up in a ball and let it go, and it would unfold itself. Matt Brazel, like Sheriff Wilcox and others, claimed that some of this material was almost, almost looked like tin foil, but it was very light. And when you rolled it up or crushed it in your hand and then let go again, it would immediately unfurl and go back to its original shape without any creases or bents or dents. (0:13:17)

And it got the nickname of memory metal. They tried to burn it and they couldn't burn it. It wouldn't catch on fire and they took out their pocket knives and they tried to cut it and they couldn't cut it. I guess they all had their chance to play with it for a while and was laying on the table, so I reached over and picked it up. (0:13:37)

And I played for probably about five minutes. When you would wad it up in your hand, you couldn't feel it in your hand. You couldn't feel you had anything there. And it would go to a size that was so small that you'd have to look to see if it was still in your hand. And then when you drop it, it spread out all over the table. Daddy came in so excited and he said what they saw was not from this world. (0:14:02)

There were two bodies that were laying on the ground outside of this craft and that there was one what he called little person. And he said there's one little person that was walking around and he said they were still alive. And he said that the other two were dead and that this one that was alive was very sad. My dad would not have gotten excited over a weather balloon. (0:14:28)

He was not easily excitable. And this is the most thrilled I'd ever seen him in my life. (0:14:33)


He thought that was the most fantastic thing in the world. When you go back to Roswell and look at the various eyewitnesses, not many of them stepped forward at that time in 1947. Simply because there was no avenue for them to do so. It wasn't until some years later when in the late 1970s, nuclear physicist and UFO researcher Stanton Freedman met Colonel Marcel. He was in retirement now. (0:15:10)

And he was introduced to him by a TV station who knew about his story. Then the word got out. Roswell became news. He was featured in television and newspapers and so on. And it's only when that happened then other people who were there at the time stepped forward. Some went on the record. Others, you know, in confidence. Some were also found by UFO researchers. (0:15:37)

They'd look who was serving in the military at the airbase at that time and were able to track them down and find them. So many of the airmen and civilian witnesses as well went on the record. So the investigation to Roswell started in earnest in the late 1970s. And it's still ongoing even today. There's been lots of first-hand witnesses from the military go on the record. (0:16:05)

Even young Marcel himself, he became a doctor, a medical doctor and a flight surgeon, served in the military himself. He's gone on the record, wrote his own book about it, spoke at conferences. Sadly he's no longer with us. So a lot of the people who were there are the first or second hand step forward. There is this threatening aspect of the Roswell story, but again, we have to remember it was a different era and at a different time. (0:16:38)

So there were those certainly in the military, if they were told to keep quiet, then they would do exactly that. That was their duty. And that's the way they were trained. And that's the way that they acted. A number of the military witnesses didn't go on the record for a long time, perhaps when they were in the twilight of their own life. And they thought, well, if I don't say something now, then I'll never have the opportunity. (0:16:59)

And that seems to be in the case, you know, on a number of occasions. The best evidence we have from a number of eyewitness sources is that the craft and the bodies were brought to Hangar 84 on the Roswell Army Airfield and stored overnight before transport. What we understand from the eyewitness testimony is the bodies were sealed in a large wooden crate kept at the center of the hangar. It's absolutely brilliant what they did. (0:17:29)

They announced they have a flying saucer, but they've already captured it. They've already got it. There's nothing to see. So nobody goes out looking for the thing. Then they shift everything to Fort Worth. The higher headquarters says none of those guys made a mistake. It was just a weather balloon. (0:17:51)

One of the sinister things about the Roswell affair is that there are claims that the military not only ordered the people under that command to stay quiet, but also civilian witnesses. The press can't find Jesse Marcel because he's in Fort Worth and he's been silenced. You know, when he came back from Carswell after flying the debris, he did tell me not to talk about this. (0:18:15)

Told my mother not to talk about this. This is a non-event. Play like it never happened. Don't even talk about this with your friends, which I didn't. And years later, he confided that he was actually part of the cover-up because he went along with the Air Force explanation, even though he knew full well that that was not true. There's corroborative testimony that suggests somebody was putting pressure on people to silence them and they used what means were necessary to keep those people silent. (0:18:42)

With some of the civilians, they were told that if you ever talk about it, you will be killed. For example, there's a lady by the name of Frankie Rowe. Her father was a firefighter. He's claimed that they were dispatched to the event and he managed to somehow acquire a piece of this memory metal and show it to her. You know, she was his daughter. (0:18:58)

Shortly afterward, they were visited by members of the military with a stern warning. I mean, a very stern warning that keep quiet about this and say nothing. You know, bullets are cheap, so to speak. I said, yes, I did handle it. And he started emphasizing, no, you didn't. Well, my mother was pretty strict and we didn't lie. (0:19:26)

So I'm insistent that yes, I saw it. Yes, I held it. And he got mad and he got louder. And he had one of those... looks like a small baseball bat that hooks on the side of your belt and took that out. He's holding it and he starts beating his hand. Every time he said something, he would hit that on his hand. (0:19:46)


And he would say, I want you to understand, you were never there. You did not see anything. You did not hear a conversation. And he said, if you can't understand this, there are things that we can do. He said, we can take you out here in the middle of this desert. He said, this is a big desert here. (0:20:14)

He said, no one will ever find your bodies, ever. No one will ever know what happened to you. He said, the only way I'm going to let you stay around or live is if you promise you'll never talk about this the rest of your life. So I told him I wouldn't. And that was a reoccurring theme every now and again, both with civilian and military witnesses. (0:20:37)

The wreckage at the time, and it even says this in the newspaper cuttings, was flown to Wright Field, as it was called. And it's now called Wright-Patterson Air Force Base, still in operation. And it's claimed that that is where the wreckage and possibly even the bodies were studied, officially studied. (0:21:22)

And it was in a mythical, almost mythical hangar, given the number of hangar 18. There are those that claim that when the wreckage was studied at Wright-Patterson Air Force Base, it was drip-fed secretly into civilian research programs. And that it may have helped the technology for the space race, for example. Silicon chips, fiber optics, and eventually all the way through to the stealth technology that we see in the aircraft. (0:22:13)

That is a rumor, it's not proven. But there are those that say that, most of the technology that was found that day at Roswell are still yet to be identified, and we haven't been able to reverse engineer it at all. The story got a new lease of life, certainly in the 1980s. Stanton Friedman, sadly no longer with us, but he was the main civilian researcher of the Roswell incident. (0:22:46)

And he had no doubt, no doubt whatsoever, that this was a crash of a vehicle that was not of this Earth, and that a cover-up was put in place almost immediately, one that is still intact today. And I think it was Stanton who coined the phrase the cosmic water gate. So he had no doubt that A, it was an alien vehicle, and B, there's a cover-up. How about the analysis of the materials? How about the autopsy reports? How about the eyewitness testimony from those who stood guard, those who carried it, those who tested at various government labs? There ought to be a ton of other paper. (0:23:26)

Stanton was a diligent researcher, and he would track down and interview witnesses to the event. He was also one of those that would be quite happy to spend days researching through government archives to find documentation of one form or another. And he was literally, once he got his teeth into something, he was like a dog with a bone. And he did uncover a number of witnesses. (0:23:52)

He interviewed just about anybody and everybody. But what he also did was help spread the word. (0:23:59)


You know, he was the man that actually put Roswell on the map. And gradually, you know, the UFO story was out there for all of us to digest. Roswell, the town itself, is still thriving. The Air Force base closed many years back. Back in the 1980s, some documents known as Majestic 12 or Magic 12 were leaked. And it mentioned here that, you know, the bodies and other things were studied at a secret base. (0:24:32)

And of course, put two and two together, and that secret base is alleged to be Area 51. I was the press officer for the British UFO Research Association. And in 1993, a letter crossed my desk that would change things forever. And it was a letter from the Merlin Group in London from a gentleman called Ray Santilli. After the initial letter, we corresponded some more and I spoke to Ray Santilli on the telephone. (0:25:20)

It was quite apparent he knew very little about the UFO subject. So I arranged to meet Ray Santilli in London, obviously a businessman. Music was his main area of business. He obviously knew about that. However, he did go on to mention that he had film of the Roswell UFO crash. Not only did he have some film footage of Roswell, but the actual aliens themselves being dissected, an alien autopsy. The story from that point on became quite a rollercoaster. (0:26:51)

At the time, you know, I didn't look upon it as being anything other than just a film. You have to ask yourself, OK, we have a film. What could it be? First of all, could it be a hoax? Of course it could. You know, when you look at the movie Jurassic Park, they made full size dinosaurs, you know, move and look real. So with enough time and money, yes, it could be a hoax. (0:27:18)

Then we looked at, could it be real? Could it really be, you know, from Roswell? Like I said, it had always been rumoured that film and still photographs were taken. There was also another idea that perhaps this was some kind of poor deformed human being that we were looking at. So it was, again, a real film, but it was of some, you know, some deformed person. (0:27:43)

And there was even another theory, if you like, that could this be some US military disinformation film, not to disinform UFO researchers, perhaps it was made to fool the Soviets, you know, and leak it into the Soviet Union to say, look what we've got. So there was a number of ideas, you know, as to what it may or may not be, none of which could be proven one way or another at that point. (0:28:07)

I spent in total 14 years researching the alien autopsy film. And in 2006, we'd already been given a name, a first name of a gentleman. And the name was Spiros. I knew the film was a fake, I just couldn't prove it. I had a few missing pieces. A colleague of mine called Russell Callaghan had a phone call from a gentleman called Spiros Milaris. And he said, Russell said, it's not me you want to speak to, it's Philip. There was our mysterious man we've been looking for. (0:28:52)

And as soon as I spoke to him, he just filled in all the gaps. Game over. Spiros. Spiros Milaris is a very talented and very interesting and creative filmmaker. I used Spiros on Alien Autopsy when we did the Investigation Continues, which was a 60-minute documentary based on everything that happened at Roswell. So he was quite involved in most parts of the project. (0:29:26)


And I know that there is some difficulty at the moment because he's laying claim to coming up with the entire concept of Alien Autopsy and doing everything, but that's absolutely not true. And he was not involved in our trip in America, finding the cameraman, bringing the footage over, and all of that part of it. All the questions I've been asking for years, here an answer for all of them. It's like having a jigsaw puzzle with bits missing. (0:30:01)

And you had a good idea of what the jigsaw was, and once you got the missing parts, it just, that was it. Finished. At some point in the 2000s, I was contacted by a gentleman who claimed to have some information about it. So I met him. And he said, I'm a good friend of a sculptor here in the UK. He wouldn't tell me the sculptor's name. (0:30:35)

However, before he left the meeting, he let slip one of the projects this sculptor was responsible for. And it was a Channel 4 recreation some years prior called Max Headroom, which was quite popular. So we checked out who this gentleman was, and he was indeed a UK sculptor. And he was called John Humphreys. John Humphreys is one of the best makers in terms of prosthetics. (0:31:07)

He's a sculptor, he's an artist, he's a creative. Spiros, then and now, went on to tell me that he'd heard Ray Santilli's story about, you know, meeting this fake cameraman and so on. He'd met Ray by chance at a film festival in France, contacted him again when he came back to the UK. Ray Santilli showed Spiros a piece of film. (0:31:40)

And Spiros said, that's never been filmed on celluloid, it's VHS. So Ray told him this fake story about the cameraman and him paying for this footage. So he took off to drive home, did Spiros. And he had this idea. He phoned a friend of his, which was a sculptor, John Humphreys, and told him about this story. And they said, why don't we make him one? Why don't we make him an alien autopsy film? So Spiros went back to Ray, and said, if you want an alien autopsy film, you know, we can make it for you. Simple as that. (0:32:15)

Well, I think Ray Santilli's reaction was, you know, at the lightbulb moment, it was just a question of the financing. And they had a gentleman who could provide that finance. So, you know, the game was afoot. I've been involved in looking at Roswell, probably from about 1993. Everybody knows a bit about Roswell. And the reason we're talking about it again is because of the alien autopsy. (0:33:00)

Interestingly, internal communications from the CIA have been released, where they're actually talking about alien autopsy back then, and verifying that they believe that the footage is real, and they've seen it themselves. And it has been called the alien autopsy memo. It is a string of emails between a chap called Eric Davis, and Dr. Kit Green. On this 11 page document, they are evaluating a number of things on which they were working on. But primarily, it is the alien autopsy film they're discussing. (0:33:41)

It's addressed to US billionaire Bob Bigelow, who used to run an organization called the National Institute for Discovery Science, NIDS. And he employed a number of scientists to study UFOs. One of those scientists is Dr. Kit Green. Kit Green formerly worked for the CIA. This email list is clarifying statements made by Kit Green concerning the alien autopsy film. It's dated 2001. Without going into too great a detail, he came to the conclusion, as did the others copied in on these emails, that the alien autopsy film, in his opinion, was real. (0:34:31)

And that he'd seen exactly the same type of film at a briefing at the Pentagon back in 1987, stroke 88. And it's caused quite an uproar yet again. (0:34:42)


When you look at the consensus of UFO researchers around the world, when it comes to these documents, and it's like, oh, no, not the alien autopsy again. I thought we'd done that. I thought we'd proved it's a fake. Let's move on. You know, let's forget about it, please. The leaked documents were sent to me by three different individuals the day before they were released online. (0:35:47)

I had no idea this was about to happen, but it just did. It is believed it has come from an archive of a well-known gentleman who had passed away. I'll not mention his name because it's not yet been verified. But it seems plausible enough. He was involved in UFO research. An extremely well-known gentleman, if I mention his name. There's a number of people who were copied in on this email. (0:36:37)

And one of those who was copied in, I emailed them and asked them if the documents in question were authentic. And he said, off the record, Philip, yes, they are. The gentleman I contacted on email has refused to answer any more questions. And it would appear to me that both him and his colleagues who are mentioned in this document are embarrassed because this was an internal set of emails and was never meant for public consumption. (0:37:07)

The only person so far to speak to Kit Green about this is US researcher Richard Dolan. You know, Richard has interviewed him on the telephone. I think one of the first things he asked him was, is this email list, is it authentic? And he said, yes, it is. Another chap who worked for Robert Bigelow was a chap called Colm Kelleher. And he contacted me and he asked me to speak with Ray Santilli for him. (0:37:41)

What Colm was seeking at the time was a good quality copy of the alien autopsy film. And of course, some celluloid, some 16mm film to analyse. So I did like I'd done many times before, put him in touch with Santilli and left them to it. The main gentleman mentioned in these documents who was commenting on the alien autopsy film is a gentleman called Christopher Kit Green. Everyone knows him as Kit Green. He's an MD, he's a PhD and still practices medicine even now in the United States. Dr Green at one point was employed by the CIA, worked on a number of projects for them in a variety of capacities. (0:38:39)

So he's a highly intelligent gentleman and one that's very well qualified as well. He claims that the briefing he was given in 1988-87 was specifically about the alien autopsy. I think the main reason when you look at these documents is why they would want Kit Green to evaluate the alien autopsy film. There are two reasons. One is that in 1988-87, Kit Green himself says he was taken to the Pentagon and briefed and shown films that looked exactly the same as the alien autopsy film. (0:39:33)

But also he's an MD, he's a medical doctor. So later in these documents, Dr Kit Green looking at the alien autopsy film itself, nothing to do with any briefing he'd had at the Pentagon, but he gives his own medical opinion on what he sees on that film. And he says, I think it's real. It's a genuine article. (0:39:59)


A field of expertise do these people have dealing with anatomies of alien beings? I assure you none. We were learning. That was day one of school when they first cut into the specimen. One time there was a requirement for our OIC to go to Fort Belvoir, Virginia. So I went ahead and I was selected as the driver to take him to Fort Belvoir, Virginia. After we arrived there, he went to where the officers were meeting for a briefing. (0:40:43)

The drivers went to another location. There was myself and an airman first class and we went inside to the balcony area, which had a plexiglass cover over where we could look down to where the officers were. When we looked down there, we found that they were watching films. We were watching and thinking, well, it has to be some type of science fiction movies that they're watching, where they're splicing together like trailers at an end of a movie. (0:41:14)

We couldn't figure out what type of movies they were. So while we were talking amongst ourselves, we looked around, we had two gentlemen come in and told us we were to follow them. The airman and myself thought we were in trouble because we'd seen all these officers being brought together with taxpayers' money, watching what we perceived to be little clips from science fiction movies. (0:41:45)

Because I honestly didn't think that we would ever be in a position where I could be so easily exposed to something like that. However, after four days and five nights of that, I went ahead and finally convinced them that I wouldn't be discussing this situation. The interesting thing I found out when I first saw the films, the films of the dissection, the word that I used to describe what I saw was haunting. (0:42:14)

And it had a special significance to me because I was seeing images of what I saw in 1969. That brought back specific memories. What happened to me is what they call intensified debriefing. And I can tell you this much, intensified debriefing, you'll go ahead and you'll take sleep over food. You'll get water because, see, it's important you have water or you'll die. They'll provide you with food. (0:42:49)

But you slept in spurts. You'd go and lay your head down on the pillow. You'd go into what they'd call deep sleep. That's about three to five minutes and you'd be woken up and you'd be taken back, put under the lamps again for more intensified debriefing. And what they'd do, they knew that you were wondering what was going to happen to you. So it had an effect on you. (0:43:16)

And that's about the gist of it. Forgive me. Is Keith Green saying that the things he saw in the 1980s were similar or the same as the being in the 1995 Santilli film? He emphasises it and actually spells it out in capital letters and says they are the same. Not similar, but the same. And of course, that's simply not possible. (0:44:00)


There are those that think that perhaps, you know, Ray Santilli is not behind the invention of the alien autopsy room, nor is Spiros Melaris, but instead, for some mysterious reason, it's the CIA. There are a number of well-known UFO researchers, primarily in the United States, can't believe that someone of Keith Green's experience and standing would be fooled by a fake film. So there must be something more to it. (0:44:44)

And they believe that he was indeed shown other films, fake or real, by the CIA that look either the same or similar to the Santilli film. Therefore, the CIA must, in some mysterious way, be linked to the faking of it. I can't see any sense in that at all and don't believe a word of it. It is alleged that the CIA have fed false stories about UFOs into the public domain for a variety of reasons. We do know for a fact that they did feed fake UFO sightings into the public domain to cover up overflights of their own spy plane. (0:45:31)

So they may have other reasons for putting fake alien stories into the public domain. If we jump back to Roswell, for example, some people claim that the alien aspect of it is a fake story to cover up what really did happen. But this is only speculation. Here you've got a scientist and a medical doctor being fed information by the CIA. Dr Kit Green, who has now been interviewed by Richard Dolan, has changed his attitude somewhat. (0:46:14)

He believes now the film is a fake and he says that the CIA lied to him back in the 80s. However, he does now still say that some of the film that he saw at the Pentagon, some of the aspects of it, like the creature's face and the hand and the room, were still the same as the Santilli film released in 1995. Now, whether it's the whole film or bits of it, they cannot be the same because the film was only designed and made in 1995. So nothing in it can be the same as something seen back in the 1980s. It is simply not possible. (0:46:58)

When Kit Green does his evaluation, he notices a few small mistakes in the medical procedure. But then, you know, he has an explanation of why these mistakes may have been made, because it was back in 1947. They didn't do things the same then as they do now. And so it was the military, you know, and there are different ways of doing things. He speculates that if any tissue samples were taken, they would go to the Walter Reed Institution, which of course is based at Wright-Patterson Air Force Base, which we have mentioned before, and it's linked with UFO research. (0:47:47)

Although he's only speculating, he doesn't know this for sure. It's just pure speculation at that point. When you look at Dr. Kit Green's evaluation of the alien autopsy film, he doesn't get anything right. And you think to yourself, is he looking at the same film as me? (0:48:07)


Because he mentions various medical items in it, which you can't see. You know, they're just not there. So it does make you wonder how he's come to these conclusions. I've tried to get in touch with Mr. Green to ask him a few questions. The first one I would ask is, how did a man of your reputation and experience come to be fooled by this fake film? That would be my first question. (0:48:31)

But unfortunately, I've not had that chance yet. There's a number of things that are important about the memo. It shows you how someone with the knowledge and experience of Dr. Kit Green can be fooled by a piece of film. He wasn't alone. At the time when the film was released around the world, there were a number of physicians who went on the record saying it looks pretty authentic as far as the medical procedures concerned. (0:49:10)

However, they wouldn't comment on what the creature on the slab was. He's gone that one step further. So it just shows you the impact that this film had, not just when it was released, but you know, down the decades and still does continue to have such an impact. I think the biggest revelation is that just when you think you've heard everything there is to hear about the alien autopsy film, and I have a huge archive of material on it, that something else appears and brings it back into the public domain again. (0:49:51)

And the argument starts from scratch. It was almost as if the 14 years I spent investigating it had been a complete waste of time. What is amazing is that Ray Santilli had been quiet for quite a while, but once this email document leaked, he was back on social media saying, I always knew that there were documents somewhere that would prove that what I'd been saying was correct all along. (0:50:22)

He's even done a couple of interviews on a couple of podcasts, still saying I told you I had real film, I told you there was a mysterious cameraman. Well, you know, these documents don't prove anything, but he's using it to the best effect. The Army Air Forces has announced that a flying disk has been found and is now in the possession of the Army. Army officers say the missile, found sometime last week, has been inspected at Roswell, New Mexico, and sent to Wright Field, Ohio for further inspection. (0:50:51)

It's the one case that will not die. It is claimed that not only a UFO crashed, but there were dead alien bodies. It's rumored that perhaps one of those creatures on board did survive for a short period of time. It's the case that will not die. It is shrouded in mystery. And even now, all those that were at Roswell or saw something around the time have all passed away. (0:51:15)

However, information still comes to light. It's lying in somebody's files or in a cupboard or, you know, in the attic in a box. You know, just when you think you've heard everything there is to know about Roswell, something pops up and bites you on the backside. It really does. (0:51:32)

(2024-12-05)