AI 分析 : Jimmy Akin :1896-1897,謎の飛行船 part-1
前置き
以下の過去記事、
Jimmy Akin :1896-1897,謎の飛行船事件の解説 part-1
で取り上げた情報源を AI 整理した。
情報源 : 動画(1:32:11)
Airship Mystery of 1896 and 1897 (Mystery Airships, UFOs) - Jimmy Akin's Mysterious World
www.youtube.com/watch?v=DoJUsaTknNw
1890年代の謎の飛行船
このポッドキャストのエピソードでは、1890年代にアメリカで目撃された謎の飛行船について考察しています。この現象は、1896年後半にカリフォルニアで始まり、翌年の1897年前半には中西部へと広がり、UFOの先駆けとも言える報告が数多く寄せられました。
目撃者は、葉巻型の船体、強力な探照灯、推進装置を備え、時に乗組員が見えると証言し、これらは当時の最新鋭の飛行船、すなわち飛行船を連想させるものでした。番組は、これらの目撃が地球外生命体によるものだったのか、それとも大規模なデマや誤認だったのかを検証し、信頼できる目撃情報の証拠を提示しています。
さらに、19世紀には既に飛行船の概念が存在し、ある程度の飛行速度も達成可能であったため、ライト兄弟の初飛行以前に飛行船が存在しなかったという説には異議を唱えています。
1890年代の謎の飛行船:詳細ブリーフィング資料
本ブリーフィング資料は、1890年代に目撃された「謎の飛行船」に関する主要なテーマ、重要なアイデア、および事実を、提供された情報源から引用を含めてまとめたものです。
- 謎の飛行船現象の概要
1896年末から1897年にかけて、アメリカ合衆国で「謎の飛行船」の目撃報告が相次ぎました。これはライト兄弟の初動力飛行(1903年)以前の出来事であり、当時の気球とは異なる「珍しい飛行特性」を示していたとされます(0:00:46)。この現象は「UFOコミュニティ」において、1947年のケネス・アーノルド事件以前の地球外生命体との接触の証拠として取り上げられることがありますが、一方で「巨大なデマ」であったという説もあります(0:01:04)。
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情報量: 新聞記事を中心に「膨大な情報」が存在し、1896年には「airship」という単語が29,000回、1897年には24,000回出現するなど、その使用頻度が急増しました(0:02:56)。
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フェーズ: 現象は大きく2つのフェーズに分かれます。
- フェーズ1: 1896年11月中旬から12月中旬にかけて、カリフォルニア州サクラメント、サンフランシスコ、サンディエゴ、シアトルなどの西海岸で目撃されました(0:04:59)。約1ヶ月で報告は途絶えました。
- フェーズ2: 1897年2月から5月にかけて、ネブラスカ州ヘイスティングスを皮切りに、テキサス州からダコタ州にかけての中央部で発生しました。報告は時間とともに東へと移動していったかのようでした(0:05:26)。
- 目撃された飛行船の特徴
目撃報告は多様でしたが、共通する特徴がいくつかありました。
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形状と構造: 「葉巻型」の大きな黒い塊の下に「下部構造」があり、そこに「強力な探照灯」が取り付けられていると描写されました(0:08:42)。また、「巨大なプロペラ」や「大きな方向舵」を持つもの、中には「水車のよう」なもの、人間が「自転車のペダルを必死に漕いでいる」ように見えるものもあったとされます(0:07:53)。
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光: 「強力な探照灯のように道を照らす、きらめく白い光」が特徴でした(0:08:20)。ある目撃者は「強い電力のアークライト」と表現しました(0:08:33)。
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乗員: 船内で乗組員が作業している様子が報告されることもありました(0:09:07)。
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認識: 多くの目撃者は、これを当時の一般的な解釈である「人間が発明した新しい種類の飛行船」、つまり「直接操縦可能な気球(飛行船)」だと理解していました(0:09:07)。
- 目撃報告の具体例
いくつかの詳細な目撃報告が紹介されています。
プレインビュー・ニュース(ネブラスカ州、1897年2月26日) : カーニーの空に現れた「謎の光」について報じました。「小さくかすかな光から大きく明るい光へと変化し、再び小さくなる」様子が記述され、一部は飛行船と考え、一部は「恐ろしい災難の前兆」と捉えられました。これは「きわめて率直で冷静な記述」と評価されています(0:10:05)。
ダラス・モーニング・ニュース(テキサス州、1897年4月17日) : 弁護士J.スペンス・バウンズのヒルズボロ近郊での 目撃談。「電気探照灯からのまばゆい閃光」が馬車の上を通過し、馬を怯えさせた後、「約1,000フィート上空に巨大な黒い怪物」を発見。「葉巻のような形」で、探照灯が消えると「小さな黒い雲のように滑空した」と述べられています(0:11:19)。バウンズは、物体が「時速100マイル以上」で移動したと推測しています(0:14:39)。この証言には、彼を信じる証人としてJ.M.ホール判事やW.E.スペル弁護士の名前が挙げられており、これらの人物が実在することが確認されています(0:16:12)。これは「非常に信頼できる話」と結論付けられています(0:17:34)。
フォートワース・レジスター(テキサス州、1897年4月18日) : 電信修理工のパット・C・バーンズが地上に降りていた飛行船と遭遇し、その乗員と話したとされる記事です(0:20:57)。飛行船は「葉巻型で長さ約200フィート、幅50フィート」とされ、推進装置は「巨大なガソリンエンジン」によって駆動される「鋼鉄製のカタツムリの殻のような装置」と描写されています(0:22:52)。乗員は、スペインとの戦争が勃発寸前のキューバへ向かい、「スペイン海軍を破壊する」ためにダイナマイトを積んでいると語ったとされています(0:23:32)。バーンズの身元は独立して確認されていませんが、「誠実な人物としての評判」があったとされています(0:21:07)。
ニューオーリンズ・デイリー・ピカユーン(1897年4月25日) : テキサス州ボーモントのラビ、ドクター・レヴィの証言。彼の自宅から2マイル離れた農場に飛行船が着陸し、乗員が水を補給しているのを見たというものです(0:27:04)。飛行船は「長さ約150フィート、普通のミ シンに使われるハッスル(胴体)のような形」で、「両側に巨大な翼」があったとされています(0:28:25)。乗員は「電気で動いている」と語り、機械を「テストしている」と述べたそうです(0:28:47)。
サザン・スタンダード(アーカンソー州、1897年5月6日) : ジョン・J・サムター巡査とジョン・マクレモア副保安官が、ホットスプリングス近郊で飛行船と遭遇した宣誓供述書です(0:30:43)。彼らは「きらめく光」に導かれて飛行船を発見。船は「葉巻型で長さ約60フィート」で、乗員は「長い黒い髭を生やした男」と「若い男、女」の3人でした(0:31:12)。髭の男は、光を頻繁にオンオフするのは「推進力の大半を消費するから」だと説明し、ナッシュビルに向かっていると述べました(0:32:49)。サムター巡査とC.G.ブッシュ治安判事が実在することが確認され、この宣誓供述書が「合法的な証言」として扱われるべきだと強調されています(0:36:17)。宣誓供述は「非常に真剣に受け止められ」、虚偽の宣誓には厳しい罰則があったため、この供述は「信頼性が高い」とされています(0:37:11)。
- 飛行船に関する主要な理論と反論
現象を説明する様々な理論が提示され、その信憑性が検討されています。
人々は実際に飛行船を見ていなかったという説
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誤認説: 流星 、火の玉、彗星、金星などの通常の天体を飛行船と誤認したという説です(0:44:04)。しかし、流星や火の玉は数秒しか見えず、彗星や金星は数ヶ月も見えるため、数分から1時間観測された飛行船の説明にはなりません。当時の人々はこれらの天体をよく知っており、簡単に騙されることはなかったと考えられます(0:45:53)。「一般論として」これらの説は機能しないとされています(0:47:04)。
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大衆ヒステリー/人気妄想説: 多くの報告を説明する単一の理由はなく、一部は誤認やデマであり、「核心的な報告」が残る可能性があると示唆されています(0:47:30)。
デマ説:
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一般のいたずら者: 報告が新聞に掲載され始めた後、一部の一般市民が独自の飛行船の話を創作した可能性はあります(0:49:07)。
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鉄道作業員: 多くの目撃が鉄道沿線で報告されたため、鉄道作業員がデマの発生源または主要な要因であるという説があります(0:49:43)。しかし、この現象は鉄道沿線ではなく、カリフォルニアの都市で始まったため、全体的な説明にはなりません(0:50:18)。また、鉄道従業員が多くの飛行船を目撃した理由としては、夜間の飛行船の操縦者が鉄道線路を航行の目安にしたため、という合理的な説明も可能です(0:50:48)。さらに、多数の異なる鉄道会社が広範囲にわたってデマを調整し、維持することは不可能に近いとされます(0:53:07)。
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新聞記者: 新聞が紙を売るためにデマをでっち上げたという説です(0:39:24)。しかし、当時の新聞は「事実として」飛行船の記事を掲載しており、軽妙な話として扱ったり、連載ものとして最後に明かすこともありませんでした(0:56:17)。ジャーナリズムの専門家によると、当時の新聞は「通常、記事がデマであることを明示するか、読者が文脈から理解できる」ようにしていました(0:56:59)。また、虚偽の情報を掲載すれば新聞の信頼性が失われ、経営に深刻な影響を与えるため、「プロとしての自殺」に等しい行為であり、可能性は低いと結論付けられています(0:58:44)。
人々は実際に何らかの飛行船を見ていたという説
- 地球外/異次元起源説: 現代のUFOコミュニティで人気のある説です。根拠として、葉巻型であること、当時の技術を超える飛行特性、乗組員の異常なアクセントや行動、火星からのものという新聞の憶測、墜落した飛行船のパイロットが「この世界の住人ではなかった」という報告が挙げられます(1:04:46)。
反論:
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形状: 葉巻型は当時の飛行船や現代の飛行機にも見られる空力的に効率的な形状であり、地球外起源の証拠にはなりません(1:05:56)。
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飛行特性: 報告された飛行速度(100~200 マイル/時)は、当時としては驚異的かもしれませんが、現代の飛行機やUFOの速度と比べれば「印象的ではない」です(1:06:56)。また、急な旋回などUFO特有の機動はほとんど報告されていません(1:08:20)。
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乗員の異常性: 当時のアメリカは世界的な移民国家であり、ヨーロッパなどからの発明家が奇妙なアクセントや行動をしていても不思議ではありません(1:09:08)。
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新聞の憶測: 火星からのものという憶測はごく一部の新聞によるもので、大半の新聞や人々は人間による発明だと考えていました(1:09:57)。
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墜落したパイロット: この報告はテキサス州オーロラでの出来事であり、別途検証が必要とされています(1:10:43)。
地球内隠された文明(クリプト・テレストリアル)起源説: 地球上の隠された文明の人々が飛行船を操縦していたという説です(1:11:49)。
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ラブ判事の証言: ダラス・モーニング・ニュースが報じたラブ判事の証言がこの説の根拠となります。彼は、北極圏の「ノースポールランド」に住む人々に出会ったと述べられています。彼らは蒸気で暖められた土地で農業を営み、水から水素と酸素を分離して燃料と光を得て、木材がないために飛行船を発明したと主張しました(1:12:20)。彼らはナッシュビルの博覧会で飛行船を展示する予定だとも述べました(1:17:40)。
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反論: この話は「素晴らしいが、単なる話」と評価されています(1:19:00)。
- 奇妙で信じがたい要素: 北極に温暖な土地が存在するという主張は、現在の地球の地理学と矛盾します(1:19:00)。
- 逸脱したパターン: 他の報告パターンから大きく逸脱しており、信頼性が低いとされます(1:20:15)。
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再評価: しかし、ラブ判事が実在し、実際に判事として活動していたことが確認されたため(1:22:19)、マイケル・バズビーは、ラブ判事が実際に飛行船と乗員に遭遇したが、乗員は彼らに「嘘をついた」可能性があると主張しています(1:20:15)。飛行船の真の起源を隠すための「虚偽の物語」を語った可能性が指摘されています(1:25:05)。
- 予備的結論
1890年代の謎の飛行船現象は「魅力的」であり、その説明には「複数の原因」が考えられます(1:26:08)。しかし、誤認やデマといった「一般的な説明」では、現象の全体を説明することはできません(1:26:08)。多くの報告に「実在する、名前が特定できる個人」が関わっているという事実は、新聞のデマ説を否定します(1:01:48)。目撃された飛行船の乗組員が「普通の人間」であったという「確かな証拠」があるようです(1:25:37) 。
このブリーフィング資料は、1890年代の謎の飛行船現象が単純な誤認やデマでは片付けられない、より複雑な現実を示唆していることを強調しています。特に、信頼できるとされる証言が多数存在し、その一部は宣誓供述という法的証拠にまで高められている点は重要です。次回の調査では、飛行船の建造者、報告が突然終わった理由、そして政府の秘密計画との関連性についてさらに深く掘り下げられる予定です。
1890年代の謎の飛行船:タイムライン
1670年
- イエズス会司祭フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィが飛行船のデザインを発表。
1709年
- ブラジルのポルトガル人司祭バルトロメウ・デ・グスマォンが、ポルトガル国 王ジョアン5世のために初の人間を乗せた気球飛行を実演。
1783年
- フランスのモンゴルフィエ兄弟が、フランス国王ルイ16世とマリー・アントワネットのために大型熱気球を飛行させる。
1851年
- フランスのエンジニア、アンリ・ギファールが、方向転換可能な飛行船「ギファール式飛行船(Guiffard dirigible)」を設計。
1864年
- 南北戦争中、発明家ソロモン・アンドリュースが水素充填飛行船をスミソニアン協会で実演し、計画をエイブラハム・リンカーン大統領に提供したが、戦争終結が近づいていたため採用されず。
1886年
- フランスの著名な作家ジュール・ヴェルヌが、飛行船に関する小説『征服者ロベール(Robert the Conqueror)』を出版。
1895年-1898年
- アメリカが関与するキューバ独立戦争が勃発。
1896年11月 中旬 - 12月中旬
- 第1フェーズ:カリフォルニア州での目撃報告の波(フラップ)11月17日(火): カリフォルニア州の州都サクラメントで最初の飛行船目撃が報告される。
- 11月22日(日): サクラメントおよび近郊のサンフランシスコで飛行船が再び現れる。
- その後、南はサンディエゴから北はワシントン州シアトルまで、西海岸全域で飛行船の目撃が報告される。
- 12月中旬: 目撃報告が急速に減少する。
- クリスマス・イブ: 最後の目撃が1件報告される。
- 1月: 報告が途絶える。
1896年12月16日
- ジョン・J・サムター・ジュニアがアーカンソー州ホットスプリングス郡ホットスプリングス郡区の警察官に任命される。
1897年2月2日(火)
- 第2フェーズの開始:ネブラスカ州ヘイスティングスで飛行船が目撃される。
1897年2月 - 5月上旬
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第2フェーズの継続:全米中央部での目撃報告の波目撃報告 は南部はテキサス州、北部はダコタ州まで広がる。
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報告は時間とともに東へと移動し、東海岸に向かうかのような動きを示す。
1897年2月26日(金)
- ネブラスカ州プレインビューの「プレインビュー・ニュース」紙が、カーニーでの謎の光(飛行船の可能性)の目撃を報じる。
1897年4月15日(木)夕方 - 4月16日(金)未明
- テキサス州ヒルズボロ近郊で、弁護士J.スペンス・バウンズが自宅への帰途、飛行船に遭遇。明るいサーチライト、葉巻形の上部、船のような下部、推進器、方向舵、搭乗員を目撃。時速100マイル以上の高速で移動したと推定。
1897年4月15日(木)
- パット・C・バーンズがテキサス州プットナム駅近郊で飛行船に遭遇。地上に着陸しており、搭乗員と会話する。飛行船の詳細は200フィートの葉巻形、ガソリンエンジン、キューバへ向かいスペイン軍を攻撃する計画を聞く。