AI 分析 : Jimmy Akin :1896-1897,謎の飛行船 part-2
前置き
以下の過去記事、
Jimmy Akin :1896-1897,謎の飛行船事件の解説 part-2
で取り上げた情報源を AI 整理した。part-1 の要約も AI に情報源として入力しているので、part-1, part-2 を統合した内容に近い筈。
情報源 : 動画(1:56:47)
Secret Origin of the Mystery Airships! (Phantom Airships, UFO, 1897) - Jimmy Akin's Mysterious World
www.youtube.com/watch?v=Mq0pmfgeAt4
動画概要欄
9,100 views 2023/10/14 Jimmy Akin's Mysterious World
In 1896 and 1897, Mystery Airships were reported from California to the Mississippi, which some believed were alien ships. Jimmy Akin and Dom Bettinelli eliminated many theories about the airships, and now address the final mystery: what were the airships, who made them, and was the government involved?
AI 整理
1890年代の謎の飛行船: 実態と論争
この資料は、1896年末から1897年にかけてアメリカで多数報告された「謎の飛行船」現象について包括的にまとめています。ライト兄弟の初飛行以前に目撃されたこれらの物体は、既存の気球とは異なる特性を持ち、葉巻型で探照灯を備え、人間が操縦しているように見えたとされます。
報告は大きく二つの期間に分けられ、西海岸から始まり中部へと移動していきました。この現象については、誤認説やデマ説など様々な説明が試みられましたが、多くの報告には実在する信頼できる個人が関与しており、単純な誤解や捏造では説明できない複雑な側面があることが強調されています。現代のUFOコミュニティでは地球外生命体の証拠として扱われることもありますが、資料は乗組員が「普通の人間」であった可能性が高いことを示唆しています。
1890年代の謎の飛行船:詳細ブリーフィング資料
本ブリーフィング資料は、1890年代に目撃された「謎の飛行船」に関する主要なテーマ、重要なアイデア、および事実を、提供された情報源から引用を含めてまとめたものです。
- 謎の飛行船現象の概要
1896年末から1897年にかけて、アメリカ合衆国で「謎の飛行船」の目撃報告が相次ぎました。これはライト兄弟の初動力飛行(1903年)以前の出来事であり、当時の気球とは異なる「珍しい飛行特性」を示していた」とされます(0:00:29)。この現象は「UFOコミュニティ」において、1947年のケネス・アーノルド事件以前の地球外生命体との接触の証拠として取り上げられることがありますが、一方で「巨大なデマ」であったという説もあります(0:01:04)。
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情報量: 新聞記事を中心に「膨大な情報」が存在し、1896年には「airship」という単語が29,000回、1897年には24,000回出現するなど、その使用頻度が急増しました(0:02:56)。
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フェーズ: 現象は大きく2つのフェーズに分かれます。
- フェーズ1: 1896年11月中旬から12月中旬にかけて、カリフォルニア州サクラメント、サンフランシスコ、サンディエゴ、シアトルなどの西海岸で目撃されました(0:04:59)。約1ヶ月で報告は途絶えました。
- フェーズ2: 1897年2月から5月にかけて、ネブラスカ州ヘイスティングスを皮切りに、テキサス州からダコタ州にかけての中央部で発生しました。報告は時間とともに東へと移動していったかのようでした(0:05:26)。
- 目撃された飛行船の特徴
目撃報告は多様でしたが、共 通する特徴がいくつかありました。
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形状と構造: 「葉巻型」の大きな黒い塊の下に「下部構造」があり、そこに「強力な探照灯」が取り付けられていると描写されました(0:08:42)。また、「巨大なプロペラ」や「大きな方向舵」を持つもの、中には「水車のよう」なもの、人間が「自転車のペダルを必死に漕いでいる」ように見えるものもあったとされます(0:07:53)。
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光: 「強力な探照灯のように道を照らす、きらめく白い光」が特徴でした(0:08:20)。ある目撃者は「強い電力のアークライト」と表現しました(0:08:33)。
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乗員: 船内で乗組員が作業している様子が報告されることもありました(0:09:07)。
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認識: 多くの目撃者は、これを当時の一般的な解釈である「人間が発明した新しい種類の飛行船」、つまり「直接操縦可能な気球(飛行船)」だと理解していました(0:09:07)。
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夜間飛行: 飛行船は主に夜間に活動していたとされ、これは「大量の水素を迅速に排出することによる危険の軽減」「水素生成のコストと時間削減」「夜間のより安定した気流」など複数の理由で理にかなっていた可能性があります(0:09:08)。
- 目撃報告の具体例と信頼性
いくつかの詳細な目撃報告が紹介されており、その信頼性が強調されています。
プレインビュー・ニュース(ネブラスカ州、1897年2月26日) : カーニーの空に現れた「謎の光」について報じ、その変化する様子を「きわめて率直で冷静な記述」として評価しています(0:10:05)。
ダラス・モーニング・ニュース(テキサス州、1897年4月17日 ) : 弁護士J.スペンス・バウンズのヒルズボロ近郊での目撃談。彼は「時速100マイル以上」で移動する「葉巻のような形」の物体を報告し、彼の証言には実在する信頼できる人物の名前が挙げられています。これは「非常に信頼できる話」と結論付けられています(0:11:19, 0:14:39, 0:16:12, 0:17:34)。
サザン・スタンダード(アーカンソー州、1897年5月6日) : ジョン・J・サムター巡査とジョン・マクレモア副保安官が、ホットスプリングス近郊で飛行船と乗員3人(「長い黒い髭を生やした男」と「若い男、女」)と遭遇した宣誓供述書です(0:30:43, 0:31:12)。髭の男は、飛行船がナッシュビルに向かっていると述べました。サムター巡査とC.G.ブッシュ治安判事が実在することが確認され、宣誓供述書は「合法的な証言」として扱われ、「信頼性が高い」とされています(0:36:17, 0:37:11)。
- 複数の飛行船の可能性
多くの目撃報告は、単一の飛行船ではなく複数の飛行船が存在したことを示唆しています。
同時多発的な目撃 : フェーズ2では、テキサス、ワシントン、ミシガンなど広範囲で同時に目撃報告がありました(0:12:33)。
異なる特徴 : 飛行船の長さ(50~200フィート)や乗組員の構成(男性1人、複数名、男女含む)が報告によって異なりました(0:13:13, 0:13:38)。
乗組員の証言 : 一部の乗組員は、複数の飛行船が存在すると述べています。例えば、アルバート・ラブ判事と話した乗組員は、アメリカ国内をツアー中の飛行船が10機あると主張しました(0:13:38)。弁護士ジョージ・D・コリンズは、飛行船の創始者が 複数おり、1人の創始者がすでに2機を所有し、3機目を建造中であると述べました(0:15:16)。これらの証拠に基づき、マイケル・バズビーは合計5機の飛行船があったと推測しています(0:15:58)。
- 飛行船関連人物の特定と信頼性
報告された飛行船の乗組員や関係者の実在性が調査されています。
ウィルソン氏 : テキサス州ユバルデおよびイーグルパスでの目撃で、飛行船の「航海士」が「ウィルソン氏」というニューヨーク出身の人物であることが示唆されました。彼は「飛行術の問題を解決した」と主張し、かつてフォートワースで「空中航法」に取り組んでいたことが知られています(0:18:02, 0:21:05, 0:26:38, 0:27:30)。
S.E.ティルマンとA.E.ドールベア : テキサス州スティーブンビルでの着陸報告で、目撃者R.L.マッケルハニーは、乗組員がS.E.ティルマンとA.E.ドールベアであると報告しました。この報告は、大佐、鉄道重役、新聞記者、裁判官、上院議員、医師、市長、弁護士など、多数の著名な市民が証人として挙げられている点で非常に信頼性が高いとされています(0:29:19, 0:32:07)。
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サミュエル・E・ティルマン教授(S.E. Tillman): ウェストポイント陸軍士官学校の化学、鉱物学、地質学の教授で、後に校長を務め、退役時には准将に昇進しました。彼は軍人でした(1:15:26, 1:16:03)。
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エイモス・E・ドールベア教授(A.E. Dallbear): タフツ大学の自然科学教授で、化学、物理学、天文学を教えていました。彼は「ドールベアの法則」(コオロギの鳴き声から気温を推定する)で有名であり、電気ジャイロスコープ、音から電気への 変換研究、無線電信の特許など、多くの発明を手掛けていました。彼は特に電気とバッテリーに強い関心を持っていました(1:16:19, 1:16:36, 1:17:08, 1:17:46, 1:18:18)。飛行船が「電気モーターと蓄電池」で動いているという報告と一致します(1:18:49)。
ジョン・シェルビー・ウィリアムズ・ジュニア元帥 : テキサス州パリス近郊の牧場主で、飛行船が日中の隠れ場所として利用された可能性が指摘されています。彼はU.S.マーシャルであり、飛行船の開発者と交流があった可能性があります(0:38:07, 0:39:58)。
アーサー・バーナード教授 : ナッシュビルのYMCAの体育指導員で、1897年5月7日にテネシー州センテニアル博覧会で自作の飛行船の展示を行いました。彼の飛行船は「46フィート」と小さく、他の飛行船との直接的な関連は薄いものの、当時の多くの発明家がこの問題に取り組んでいたことを示しています(0:43:44)。
E.H.ベンジャミン博士 : サンフランシスコの弁護士ジョージ・D・コリンズの顧客であり、飛行船の発明者であると目されました。コリンズの提供した情報に基づき、記者たちはサンフランシスコのエリス通りに住むE.H.ベンジャミン博士を特定しました(1:04:25, 1:11:01, 1:11:27, 1:11:59)。
- ベンジャミンは歯科医であり、金属(アルミニウムや銅)を使った実験を行っていたとされます(1:12:22)。
- 当初、ベンジャミンは飛行船との関連を否定しましたが、「もし自分が発明者であれば、身元を隠すために嘘をつくことは正当化される」とも述べました(1:28:12)。
- その後、ベンジャミンは新聞社に対し「仮面を脱ぎたい」と述べ、自身が飛行船の発明者であり、7年間開発に費やしてきたことを認めました(1:32:06)。彼はジョージ・コリンズを解雇し、元司法長官W.H.H.ハートを新しい弁護士に雇いました(1:32:26)。
- 飛行船に関する主要な理論と反論 現象を説明する様々な理論が提示され、その信憑性が検討されています。
誤認・デマ説に対する反論:
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誤認説(流星、彗星など): 流星や火の玉は数秒しか見えず、彗星や金星は数ヶ月見えるため、数分から1時間観測された飛行船の説明にはなりません。当時の人々はこれらの天体をよく知っており、簡単に騙されることはなかったと考えられます(0:44:04)。「一般論として」これらの説は機能しないとされています(0:47:04)。
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大衆ヒステリー/人気妄想説: 多くの報告を説明する単一の理由はなく、一部は誤認やデマでも、「核心的な報告」が残る可能性があると示唆されています(0:47:30)。
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デマ説(鉄道作業員、新聞記者):
- 鉄道作業員: 現象はカリフォルニアの都市で始まり、鉄道沿線での目撃が多いのは、飛行船の操縦者が線路を航行の目安にしたためという合理的な説明が可能です。また、広範囲にわたるデマの調整は不可能に近いとされます(0:49:07)。
- 新聞記者: 当時の新聞は「事実として」飛行船の記事を掲載しており、ジャーナリズムの専門家によると、通常はデマであ ることを明示するか、読者が文脈から理解できるようにしていました。虚偽の情報掲載は新聞の信頼性を損ない、「プロとしての自殺」に等しい行為であり、可能性は低いと結論付けられています(0:39:24, 0:56:17, 0:58:44)。
人々は実際に何らかの飛行船を見ていたという説
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地球外/異次元起源説: 現代のUFOコミュニティで人気のある説ですが、形状(葉巻型)は当時の飛行船にも見られる空力的に効率的な形状であり、報告された飛行速度(100~200マイル/時)も現代の飛行機やUFOと比べれば「印象的ではない」です。急な旋回などUFO特有の機動はほとんど報告されていません。乗員の異常性も、当時のアメリカが移民国家であったことを考慮すれば不思議ではありません(1:04:46)。
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地球内隠された文明(クリプト・テレストリアル)起源説: 北極の「ノースポールランド」に住む人々が飛行船を操縦していたというラブ判事の証言が根拠となりますが、現在の地理学と矛盾し、「単なる話」と評価されています(1:11:49, 1:19:00)。ただし、ラブ判事の実在が確認されたため、乗員が「真の起源を隠すための虚偽の物語」を語った可能性も指摘されています(1:20:15)。
- 秘密の政府プロジェクトの可能性
飛行船が秘密の政府プロジェ クトの一部であった可能性も検討されています。
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軍事利用の意図: W.H.H.ハート(E.H.ベンジャミンの新しい弁護士)は、2つの飛行船の発明があり、それらを統合する計画があり、完全に「戦争目的」のために使用されると述べました。「4人の男と1000ポンドのダイナマイトを運搬できる」とされ、キューバのハバナを破壊する計画があったことが示唆されています(1:33:10, 1:34:27)。
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ティルマン教授の関与: ウェストポイントの科学者であるサミュエル・E・ティルマン教授(現役の軍人)が関与していたことは、軍事プロジェクトであった可能性を示唆します(1:37:34)。
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実験的飛行機械の輸送: 1897年4月27日の報告では、キューバに武器を運ぶ船団に「ダイナマイトの使用に適した実験的な飛行機械」が含まれていたとされています(1:38:07)。
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反論: W.H.H.ハートは、発明者の身元を明かさない理由として、「試運転中にフィリバスターとして逮捕されたくない」と述べており、これは政府の関与なしに違法な活動を計画していた可能性を示唆します(1:38:38)。また、彼らは商業的な動機も強く、6ヶ月で500万ドル(現在の1億8000万ドル)を稼ぐと期待していました(1:39:03)。ただし、これらすべてが「隠蔽工作」の一部である可能性も否定できません(1:39:34)。
- 現象の終焉の理由
1896年と1897年の飛行船騒動がなぜ終焉を迎えたのかについては、いくつかの推測がなされています。
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公開計画の不履行: 発明者たちは飛行船を一般に公開する計画があったにもかかわらず、それが実現しませんでした。これは「裕福な資金援助者」を引き付けるか、「キューバでスペイン軍を爆撃するための費用」を支払うことを期待していた可能性があります(1:40:31)。
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鉄道王による買収説: 飛行船が鉄道事業を脅かすと認識した鉄道王たちが、発明者たちを買い取り、設計を秘密にするよう説得したという説があります。しかし、この説は「完全に憶測」であり、証拠はありません(1:41:08)。
- 予備的結論
1890年代の謎の飛行船現象は「魅力的」であり、その説明には「複数の原因」が考えられます(1:26:08)。しかし、誤認やデマといった「一般的な説明」では、現象の全体を説明することはできません(1:26:08)。多くの報告に「実在する、名前が特定できる個人」が関わっているという事実は、新聞のデマ説を否定します(1:01:48)。目撃された飛行船の乗組員が「普通の人間」であったという「確かな証拠」があるようです(1:25:37)。
このブリーフィング資料は、1890年代の謎の飛行船現象が単純な誤認やデマでは片付けられない、より複雑な現実を示唆していることを強調しています。特に、信頼できるとされる証言が多数存在し、その一部は宣誓供述という法的証拠にまで高められている点は重要です。「地球上の人間によって建造された」という証拠は支持されているものの、誰が建造したのかは未だ謎のままです(0:02:11)。
1890年代の謎の飛行船現象:詳細タイムライン
1847年
- サミュエル・E・ティルマンの誕生:後にウェストポイント陸軍士官学校の教授となるティルマンがテネシー州で生まれる。(1:15:58)
1848年
- ジョン・シェルビー・ウィリアムズ・ジュニアの誕生:後にアメリカ合衆国連邦保安官となるウィリアムズがカリフォルニア州ソノマ郡で生まれる。(0:39:40)
1860-1863年
- モーゼス・ファーマーがアルミニウム合金を開発:電気・電池分野の研究者であるファーマーが、銅や他の金属とのアルミニウム合金を開発。(1:19:35)
1864-1868年
- モーゼス・ファーマーが熱電電池を完成:ファーマーが熱電電池を完成させ、1868年には当時最大規模の電池を建造。(1:19:28)
1867年
- アモス・E・ドルベアーが電動ジャイロスコープを発明:ドルベアーが地球の自転を示すための電動ジャイロスコープを完成。(1:17:34)
1868年
- モーゼス・ファーマーが初のダイナモマシンを建造:ドルベアー教授によれば、この発明が今日のあらゆる電気産業を可能にした。(1:19:53)
1869年
- サミュエル・E・ティルマンがウェストポイントを卒業:ウェストポイント陸軍士官学校を卒業。(1:16:03)
1870年代
- ウィルソンとハイラムがテキサス州に移住:ウィルソンとその息子ハイラムがニューヨークからカリフォルニアを経由してテキサス州に移り住む。(1:22:50)
1872年
- アモス・E・ドルベアーがリサージュ曲線の音叉を発明:リサージュ曲線を示す ための音叉を完成。(1:17:39)
1873年
- アモス・E・ドルベアーが音の電気変換の研究を開始:音を電気に変換する研究を開始。(1:17:46)
1876年
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アモス・E・ドルベアーが磁気電気電話を完成・特許取得:磁気電気電話を完成させ、特許を取得。これはアレクサンダー・グラハム・ベルとの特許侵害訴訟の基となる。(1:17:58)
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アモス・E・ドルベアーが「The Art of Projecting」を出版。(1:18:04)
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C.C.エイカーズがフォートワースでウィルソンと知り合う:エイカーズがフォートワースで、ニューヨーク出身のウィルソンという人物と知り合い、友好的な関係を築く。ウィルソンは航空航法に取り組んでおり、資金も持っていた。(0:27:30)
1877年
- アモス・E・ドルベアーが「The Speaking Telephone」を出版。(1:18:05)
1879年
- アモス・E・ドルベアーが静電電話を発明。(1:18:00)
1880年12月23日
- サミュエル・S・Q・ティルマンがウェストポイントの教授に就任:化学の教授として着任。(transcript 3of3)
1882年
- アモス・E・ドルベアーが無線電信の米国特許を取得:有線なしで四分の一マイルの距離で通信に成功。(1:18:18)
1883年
- アモス・E・ドルベアーがミシガン大学で博士号を取得。(1:16:30)
1885年
- アモス・E・ドルベアーが「Sound and its Phenomena」を出版。(1:18:06)
1886年
- アモス・E・ドルベアーが無線電信の誘導方式の特許を取得。(1:18:28)
1888年
- C.C.エイカーズがザバラ郡保安官に就任:後に1897年には米国税関に勤務。(0:21:05)
1889年頃
- ジョージ・D・コリンズの依頼人がメイン州からカリフォルニア州に移住:飛行船の発明家が他の発明家から隠れて研究するため、メイン州からカリフォルニアに移住。(1:05:58)
1890年
- エミール・ドルベアーが雪虫の鳴き声と気温の関係を発見:ドルベアーの法則として知られる。(1:16:56)
1896年8月11日
- ある発明家が飛行船設計の特許を取得:後にサンフランシスコ・コール紙に掲載された記述と一致する設計で、特許番号585803を取得。(1:36:36)
1896年11月中旬-12月中旬(フェーズ1)
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謎の飛行船の目撃報告がカリフォルニア州で始まる:サクラメント、サンフランシスコ、サンディエゴ、シアトルなど、西海岸で目撃が相次ぐ。約1ヶ月で報告は途絶える。(0:04:59)
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11月17日火曜日(サクラメント):雨が降り、曇りがちな夕方に、サクラメントの空に輝く物体が出現。声が聞こえ、人が操縦している様子が報告される。(0:52:23)
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チャールズ・ラスクの目撃:セントラル・エレクトリック ・ストリート・レイルウェイ・カンパニーの会計係であるラスクが、自宅で光る物体を目撃。後に同僚も目撃し、音楽や声を聞いたと報告。(0:56:57)
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11月22日日曜日(サクラメント):再び飛行船がサクラメント上空に出現。副保安官や地方検事を含む多くの人々が約30分間目撃。(1:01:49)
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11月25日:飛行船がカリフォルニア州内の11以上の都市で報告される。シアトルやサンディエゴでも目撃され、長距離を高速で移動できることが示唆される。(1:03:55)
1896年12月23日
- ウィルヘルム・H・H・ハートが東部の発明に関与:元司法長官のウィルヘルム・H・H・ハートが、東部で開発された飛行船の発明に個人的に関与していることを明かす。(1:33:37)
1897年2月-5月(フェーズ2)
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謎の飛行船の目撃報告がアメリカ中央部で始まる:ネブラスカ州ヘイスティングスを皮切りに、テキサス州からダコタ州にかけて報告が東へと移動していく。(0:05:26)
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2月26日(プレインビュー・ニュース、ネブラスカ州):カーニーの空に現れた「謎の光」について報道。飛行船と考える者もいれば、「恐ろしい災難の前兆」と捉える者もいた。(0:10:05)
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4月10日土曜日(ダラス・モーニング・ニュース、テキサス州):アメリカ合衆国連邦保安官ウィリアムズが所有するテキサス州パリ近くの牧場で飛行船が研究されていると報道される。(0:38:07)
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4月17日(ダラス・モーニング・ニュース、テキサス州):弁護士J.スペンス・バウンズがヒルズボロ近くで飛行船を目撃。光る飛行船が馬車の上を通過し、時速100マイル以上で移動したと推測。(0:11:19)
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4月17日早朝(ステファンビル、テキサス州):A.L.マッケルハニーが飛行船を発見。修理中の飛行船にS.E.ティルマンとA.E.ドルベアーという2人の乗員がいたと報告。彼らはニューヨークの資本家からの資金提供を受け、試験飛行を行っていたと述べる。(0:29:19)
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4月22日(ユヴァルデ、テキサス州):R.M.ベイラー保安官が飛行船と乗員にインタビュー。乗員はニューヨーク州ゴーシェン出身の「ウィルソン氏」と名乗る。ウィルソンはC.C.エイカーズに伝言を残す。(0:18:02)
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4月22日日曜日(サンフランシスコ・クロニクル、カリフォルニア州):弁護士ジョージ・D・コリンズが、クライアントが飛行船の発明家であり、オロビルからサンフランシスコまで飛行したと主張。発明家はメイン州出身で、カリフォルニアに7年前に移住し、10万ドル以上を研究に費やしたと述べる。発明家はパテント申請をワシントンで行っている最中。(1:04:25)
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4月24日土曜日(イーグルパス、テキサス州):R.W.ダウ保安官が、真夜中にリオグランデ川岸に着陸した飛行船と3人の乗員に遭遇。彼らはユヴァルデから来たと主張。(0:23:56)
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4月27日火曜日(オースティン・デイリー・ステーツマン):キューバへ武器を輸送する遠征隊が「実験的な飛行機械(ダイナマイトの使用に適した)」を搭載していると報道。(1:38:07)
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4月28日水曜日(ガルベストン・デイリー・ニュース):C.C.エイカーズが、ウィルソンというニューヨーク出身の知人がおり、彼が航空航法に取り組んでいたことを認める。これは、ユヴァルデの飛行船乗員「ウィルソン氏」と一致する。(0:26:38)
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5月6日(サザン・スタンダード、アーカンソー州):ジョン・J・サムター巡査とジョン・マクレモア副保安官がホットスプリングス近くで飛行船に遭遇。船は葉巻型で長さ約60フィート。乗員は髭の男、若い男、女の3人。髭の男は飛行船がナッシュビルに向かっていると説明。(0:30:43)
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5月6日(ナッシュビル、テネシー州):アーサー・バーナード教授がテネシー百年博覧会で自作の飛行船を展示し、15マイル飛行。(0:43:44)
1897年5月22日以前
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ジョージ・D・コリンズが態度を一変:突然飛行船の存在を否定し、以前の主張を撤回する。(1:25:07)
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E.H.ベンジャミンが飛行船との関連を否定:報道機関が彼を発明家と特定した後、ベンジャミンも飛行船との関連を否定。(1:27:11)
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E.H.ベンジャミンが飛行船の発明家であることを告白:サンフランシスコ・クロニクル紙に、7年間飛行船に取り組んできたことを明かす。しかし、新聞は彼をからかい続ける。(1:32:06)
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E.H.ベンジャミンがジョージ・D・ コリンズを解雇し、ウィルヘルム・H・H・ハートを新たな弁護士とする:コリンズが秘密を守れなかったため。(1:32:51)
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ウィルヘルム・H・H・ハートが飛行船を軍事目的で使用する計画を明かす:キューバのスペイン軍を爆撃するために使用し、48時間でハバナ市を破壊できると述べる。発明家の身元は明らかにせず、金銭的報酬を期待していることを示唆。(1:33:55)
1899年7月13日
- E.H.ベンジャミンが歯科外科の博士号を取得:サンフランシスコ・クロニクル紙が医学および歯科外科の博士号授与を報じ、エルマー・H・ベンジャミンがリストに掲載される。(1:24:01)
1903年
- ライト兄弟が初の動力飛行を成功。(0:00:29)
1917年
- サミュエル・S・Q・ティルマンがウェストポイントの学長に就任。(transcript 3of3)
1947年
- ケネス・アーノルド事件が発生:現代のUFOコミュニティで宇宙人との接触の証拠とされる。(0:01:04)
登場人物リスト
アモス・E・ドルベアー (Amos E. Dallbear)
- 略歴: 1837年コネチカット州生まれ、1883年ミシガン大学で博士号取得。複数の大学で自然科学の教授を務め、化学、物理学、天文学を教えた。1890年に雪虫の鳴き声から気温を割り出す「ドルベアーの法則」を発見。1867年に電動ジャイロスコープ、1876年に磁気電気電話(アレクサンダー・グラハム・ベルとの特許侵害訴訟の原因となる)、1879年に静電電話などを発明した著名な発明家。1882年には無線電信の米国特許を取得し、ヘルツやマルコーニに先駆けて無線通信を実現した。飛行船に電力を供給する蓄電池に関心を持っていた。(1:16:03, 1:17:34, 1:18:18, 1:18:57)
アーサー・バーナ ード (Arthur Barnard)
- 略歴: 1897年5月6日にテネシー州ナッシュビルで開催されたテネシー百年博覧会で、自作の飛行船を展示し、15マイルの飛行に成功した教授。YMCAナッシュビルの体育インストラクター。(0:43:44)
ウィルソン (Wilson)
- 略歴: ニューヨーク州ゴーシェン出身。1876年から1877年にかけてフォートワースに住んでいた。航空航法に機械的な才能と関心を持ち、豊富な資金を持っていた。1897年4月、テキサス州ユヴァルデに着陸した飛行船の操縦士とされ、保安官ベイラーにインタビューされた。また、イーグルパスでも目撃され、C.C.エイカーズの旧友であることが確認されている。(0:18:02, 0:26:38, 1:22:33)
ウィルヘルム・H・H・ハート (W.H.H. Hart)
- 略歴: 元司法長官。1897年11月、ジョージ・D・コリンズの代わりに飛行船の発明家の新しい弁護士となる。複数の飛行船が存在し、そのうちの1つは東部で完成し、もう1つはカリフォルニアで完成したと述べた。飛行船を軍 事目的(キューバのスペイン軍を爆撃するため)で使用する計画を明らかにした。(1:32:51, 1:33:37, 1:34:27)
E.H.ベンジャミン (Dr. E.H. Benjamin / Elmer H. Benjamin)
- 略歴: 1897年11月、サンフランシスコの弁護士ジョージ・D・コリンズのクライアントとして、飛行船の発明家であると特定された人物。エリクソン通り633番地に住み、歯科医であったが、その時点では開業していなかった模様。裕福で、飛行船の動きと一致するような短い旅行を頻繁に行っていた。当初は飛行船の発明家であることを否定したが、後にクロニクル紙に告白。コリンズを解雇し、ウィルヘルム・H・H・ハートを新しい弁護士とした。1899年7月に歯科外科の博士号を取得している。(1:11:01, 1:23:03, 1:27:11, 1:32:06)
J.スペンス・バウンズ (J. Spence Bounds)
- 略歴: テキサス州の弁護士。1897年4月17日、ヒルズボロ近郊で飛行船を目撃。その飛行船が「時速100マイル以上」で移動したと推測し、その証言は信頼性が高いとされている。(0:11:19)
ジョン・J・サムター (John J. Samter)
- 略歴: アーカンソー州の巡査。1897年5月6日、ジョン・マクレモア副保安官と共にホットスプリングス近郊で飛行船に遭遇。飛行船と乗員(髭の男、若い男、女の3人)について宣誓供述書を提出し、その証言は「信頼性が高い」とされている。(0:30:43, 0:36:17)
ジョン・マクレモア (John McLemore)
- 略歴: アーカンソー州の副保安官。1897年5月6日、ジョン・J・サムター巡査と共にホットスプリングス近郊で飛行船に遭遇。宣誓供述書に署名している。(0:30:43)
ジョン・シェルビー・ウィリアムズ・ジュニア (John Shelby Williams Jr.)
- 略歴: 1848年カリフォルニア州ソノマ郡生まれ。アメリカ合衆国連邦保安官。1897年4月、テキサス州パリ近くに所有する牧場が飛行船の開発場所として言及された。飛行船の開発者が彼の牧場を昼間の隠し場所として利用することを許可した可能性がある。(0:38:07, 0:39:58)
ジョージ・D・コリンズ (George D. Collins)
- 略歴: 1897年4月にサンフランシスコで活動していた著名な弁護士。飛行船が存在し、その発明家が彼のクライアントであると主張した。クライアントの詳細(メイン州出身、7年前にカリフォルニアに移住、10万ドル以上を研究に費やしたなど)を明らかにしたが、後に一転して、飛行船の存在や自身がそれを見たことを否定した。その「おしゃべり」が原因でクライアントに解雇された。(1:04:25, 1:24:33, 1:32:51)
サミュエル・E・ティルマン (Samuel E. Tillman)
- 略歴: 1847年テネシー州生まれ。1869年にウェストポイント陸軍士官学校を卒業し、後に同校の化学、鉱物学、地質学の教授、さらに学長を務めた。退役時には准将に昇進。1897年4月、テキサス州ステファンビルに着陸した飛行船の乗員の一人としてA.L.マッケルハニーによって名が挙げられた。飛行船への関心と専門知識から、その存在が実在し、飛行 船に関与していた可能性が高いとされている。(0:30:40, 1:15:26, 1:37:34)
J.M.ホール (Judge J.M. Hall)
- 略歴: 弁護士J.スペンス・バウンズの飛行船目撃談の証人の一人として挙げられている実在の判事。(0:16:12)
C.G.ブッシュ (C.G. Bush)
- 略歴: ジョン・J・サムター巡査の宣誓供述書に署名している実在の治安判事。(0:36:17)
C.C.エイカーズ (C.C. Akers)
- 略歴: 元ザバラ郡保安官。1897年時点では米国税関に勤務しており、イーグルパスにいた。1876年から1877年にかけてフォートワースでウィルソンと友人関係にあったことが確認されており、ウィルソンの飛行船開発への関心を知っていた。(0:18:02, 0:26:38)
R.W.ダウ (R.W. Dow)
- 略歴: 1897年時点でテキサス州マヴェリック郡の保安官(イーグルパスが郡都)。1897年4月24日の夜中にリオグランデ川岸に着陸した飛行船と3人の乗員に遭遇したと報告。(0:23:56)
R.M.ベイラー (R.M. Baylor)
- 略歴: ユヴァルデの保安官。1897年4月22日、飛行船がユヴァルデに着陸した際、乗員にインタビューし、そのうちの一人が「ウィルソン氏」であると特定した。彼の証言は信頼性が高いとされている。(0:18:02)
W.E.スペル (W.E. Spell)
- 略歴: 弁護士J.スペンス・バウンズの飛行船目撃談の証人の一人として挙げられている実在の弁護士。(0:16:12)
アルバート・ラブ (Judge Albert Love)
- 略歴: 判事。飛行船の乗員に出会ったと主張し、彼らが「ノースポールランド」出身で、北極圏に隠れた文明を持つ人々であるという奇妙な話を語ったとされる。彼らの話は信じがたいが、ラブ判事自身は実在し、実際に飛行船と乗員に遭遇したが、乗員が飛行船の真の起源を隠すために「嘘をついた」可能性があると考察されている。(1:12:20, 1:20:15)
A.L.マッケルハニー (A.L. McElhaney)
- 略歴: ステファンビルの住民。1897年4月17日、飛行船が着陸するのを発見し、S.E.ティルマンとA.E.ドルベアーという2人の乗員がいたと報告。この目撃には、多くの著名な市民が同席していたとされている。(0:29:19)
チャールズ・ラスク (Charles Lusk)
- 略歴: セントラル・エレクトリック・ストリート・レイルウェイ・カンパニーの会計係。1896年11月17日にサクラメントで飛行船を目撃し、その光と、音楽や声を聞いたと報告した。彼の話は同僚によっても裏付けられた。(0:56:57)
マイケル・バズビー (Michael Busby)
- 略歴: 1890年代の謎の飛行船現象を研究し、複数の飛行船が存在し、人間の発明家によって操縦されていたという説を提唱している研究者。(0:15:58, 1:20:15, 1:23:03)
アラン・ダニレク (Alan Danilek)
- 略歴: 1897年の大飛行船に関する著書を持つ研究者。ダニレクは、ベンジャミンの存在証明がないと述べたが、バズビーの著書では多くの記録が引用されている。(0:52:23, 1:23:03)
ドム・ベティネリ (Dom Bettinelli)
- 略歴: 「Jimmy Akin's Mysterious World」のホストの一人。(0:02:11)
ジミー・エイキン (Jimmy Akin)
- 略歴: 「Jimmy Akin's Mysterious World」のホストの一人。(0:02:11)
飛行船開発に関わった可能性のある人物 について、敷衍して。
1890年代の「謎の飛行船」現象のより大きな文脈において、提供された情報源は、これらの飛行船の開発に関わった可能性のある複数の人物について詳細な洞察を提供しています。この現象は、ライト兄弟の初飛行以前に、当時の気球とは異なる「珍しい飛行特性」を示した「人間が発明した新しい種類の飛行船」として理解されていました。情報源は、目撃された飛行船が「実在する、名前が特定できる個人」によって操縦された、人間が建造した地上性の乗り物であったという強い証拠を示唆しており、単なる誤認やデマでは説明できない複雑な現実があることを強調しています。
以下は、飛行船開発に関与した可能性のある主要人物と、彼らの関与を裏付ける証拠です。
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Mr. Wilson(ハイラム・ウィルソン)
- ユバルデ、テキサス州で目撃された飛行船の航海士は、自身の名前をウィルソンと名乗り、ニューヨーク州ゴーシェン出身であると述べました。彼は1877年にフォートワースで元ザバラ郡保安官のC.C.エイカーズと会ったことがあると語りました。
- C.C.エイカーズは実在の人物であり、彼自身がウィルソンというニューヨーク出身の「機械的な才能を持つ」人物を1876年から1877年にフォートワースで知っており、「航空航法」の研究をしており、世界を「驚かせる」何かを計画していたことを確認しました。エイカーズは、ウィルソンが「多額の資金」を持っ ていたとも述べています。
- マイケル・バズビーは、国勢調査記録と南北戦争の兵役記録を比較することで、1850年頃にゴーシェン、ニューヨーク州またはその近郊で生まれ、後にカリフォルニアとテキサスに移住したハイラム・ウィルソンを特定しました。これは、ウィルソンが飛行船プロジェクトに関与した裕福な発明家であったという信頼性の高い候補であることを示唆しています。
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S.E. Tillman(サミュエル・E・ティルマン教授)とA.E. Dolbear(エイモス・E・ドルベアー教授)
- テキサス州スティーブンビルで地上に降りていた飛行船の乗組員として、彼らの名前がS.E.ティルマンとA.E.ドルベアーであると報告されました。この目撃談には、陸軍大佐、鉄道幹部、新聞記者、判事、上院議員、医師、市長など、多くの著名な市民が同席しており、その信頼性が高いとされています。
- サミュエル・E・ティルマンは実在の人物であり、1880年からウェストポイント陸軍士官学校の化学教授を務め、後に1917年に同校の校長に任命されました。彼は教科書の著者でもありました。
- エイモス・E・ドルベアーも実在の人物で、コネチカット州出身の著名な発明家でした。彼は物理学、化学、天文学の教授を務め、電気ジャイロスコープ、電話(アレクサンダー・グラハム・ベルと特許侵害訴訟を起こした)、無線電信などの発明で知られています。彼はまた、バッテリーとアルミニウム合金の専門家でもありました。
- 飛行船が「巨大な電気エンジン」と「蓄電池」によって 推進されていたという報告があることから、電気とバッテリーに関する専門知識を持つティルマンとドルベアーがその開発に関与していた可能性は十分にあります。ニューオーリンズのホテルで彼らが連名で宿泊していたことも、彼らが一緒に移動していた可能性を示唆しています。
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Dr. E.H. Benjamin(エルマー・H・ベンジャミン博士)
- サンフランシスコの著名な弁護士ジョージ・D・コリンズは、飛行船の発明者が彼の依頼人であり、その発明者は非常に裕福な人物で、15年間飛行機械の研究に没頭し、7年前にメイン州からカリフォルニアに移住したと主張しました。コリンズが提供した詳細な情報(身長、年齢、住所、職業など)に基づいて、記者たちはすぐにエルマー・H・ベンジャミン博士をその発明者として特定しました。
- ベンジャミンは当初、飛行船との関係を否定しましたが、彼が発明家であることは認め、発明を秘密にするために嘘をつくことは「正当化される」と述べました。
- その後、彼はサンフランシスコ・クロニクル紙に対し、7年間取り組んできた飛行船の発明者であることをついに「仮面を脱ぎ捨てて」認めました。コリンズが「多弁」であったために彼を解雇し、元司法長官W.H.H.ハートを新しい弁護士として雇ったことは、彼が真の発明者であり、秘密を守ろうとしていたことを強く裏付けています。
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Dr. Charles A. Smith(チャールズ・A・スミス博士)
- 彼は1896年8月11日に飛行船の設計に関する特許を取得しており、1897年4月に大陸横断の旅を計画していたことが報告されています。この時 期は第2フェーズの目撃情報がピークに達した時期と一致しており、彼もこの現象に関与した発明家の一人であった可能性が示唆されています。
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Professor Arthur Barnard(アーサー・バーナード教授)
- 彼は1897年5月にテネシー州で開催されたセントラル博覧会で自身の飛行船を展示しました。バーナード教授は実在の人物であり、自転車のペダルを使ってプロペラを回す、単独の人間が乗る気球のような原始的な設計の飛行船を操縦しました。
- 彼の飛行船は他の報告された飛行船の記述(葉巻型、強力な探照灯、乗組員複数など)とは大きく異なっていたため、彼が「謎の飛行船」現象の中心的なグループの一部であった可能性は低いと考えられています。しかし、当時の多くの発明家が航空航法の問題に取り組んでいたことを示す一例ではあります。
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John Shelby "Sheb" Williams Jr.(ジョン・シェルビー "シェブ" ウィリアムズ・ジュニア、USマーシャル・ウィリアムズ)
- マイケル・バズビーの研究により、テキサス州北部にある彼の牧場が、飛行船の主要な日中の隠れ場所であったと特定されました。彼自身は発明家ではなかったようですが、バズビーの三角測量計算と新聞記事(U.S.マーシャル・ウィリアムズが所有する牧場で飛行船が作業中であるというダラス・モーニング・ニュースの報告)によって、彼の牧場が飛行船の拠点であったという「反論の余地のない証拠」が示されています。
- ウィリアムズはカリフォルニア州ビュート郡(オロビルがある場所)で育っており、カリフォルニアの発明家たちとの接点 があった可能性があり、そのため彼らに自身の土地を提供した可能性があります。
これらの情報源は、1890年代の謎の飛行船が、複数の、おそらく相互に知り合いであった発明家たちによって建造・試験された、地上性の乗り物であったという説を強力に支持しています。彼らは特許の確保や技術の完成、あるいは潜在的な軍事利用(キューバのスペイン海軍爆撃など)や商業的公開に備えて、意図的に夜間に飛行し、秘密裏に活動していた可能性があります。最終的に、この現象が突然終焉を迎えた最も有力な理由は、水素を使用していたことによる機械的な、時には壊滅的な故障であったと考えられています。
(2025-07-05)