Alan Watts の語る死と生
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(2025-05-14 begin)
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前置き
本日の別記事で Alan watts を取り上げたので、ついでに彼の講演動画の 文字起こし と 講演内容の AI による整理を追加しておく。
要約(AI)
この アラン・ワッツ の講演の文字起こしは、死後の世界の概念 に焦点を当てています。ワッツは、永遠に存在しない という考えを探求することから始め、これが人生を 非常に奇妙 で 信じられないほど奇妙 なものに感じさせると論じています。
彼は、西洋の考え方である死後の人生(天国、煉獄、地獄)と、** 東洋の考え方**である輪廻転生を対比させます。ワッツは、記憶の喪失 により、転生して新しい人生を送ることは、誰か他の人が生まれること と同じであるという 革新的なアイデア を提示します。
彼は、死は 意識の終わりではない が、単に ある存在の記憶システムが消える と、別の存在によって 真空が満たされる のだと主張します。彼は、この考え方の 重要な結果 は、死における記憶の喪失は 後悔するべきことではない とし、それは 物事の驚きを新たにする からだと述べています。また、誰もが「私」と呼び、世界が自分がいる場所を中心としているという考え方を通して、すべての「私」は同じ であり、誰でもあり得る という 奇妙な認識 につながると論じています。
内容(AI)
Me:
添付ソースは Alan Watts(昔の精神世界の著名人)の講演動画の文字起こしです。
この講演内容を整理して。
提供されたソースは、アラン・ワッツ氏による講演の文字起こしですね。この講演内容について、詳しく整理して説明します。
この講演では、死と存在、そしてアイデンティティという根源的な問いについて、西洋と東洋の考え方を比較しつつ、アラン・ワッツ氏自身の洞察を展開しています。
講演の主な内容は以下の通りです。
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死後の「無」についての考察
- アラン・ワッツ氏はまず、眠って二度と目覚めない、つまり永遠に「そこにいない」状態がどのようなものかについて深く考えを巡らせてきたと述べています。
- これは、夢を見ずに眠りについてから目覚めるまでの「無」の期間を経験することで、ある程度推測できると示唆しています。その期間が終わらず、目覚めが起こらない状態を考えるのは非常に奇妙なことだと感じています。
- しかし、このように**「存在しないこと」、つまり完全な非存在について考えることは、憂鬱な考察であるにもかかわらず、氏にとって人生で最も創造的な思考の一つ**であり、繰り返し立ち返るテーマだと語っています。
- これは、子どもが尋ねる「お母さんが他の人と結婚していたら、私は誰になっていただろう?」といった、存在に関する根本的な問いと通じるものがあります。
- 非存在と比較することで、私たちが存在しているという事実そのものが、非常に奇妙で信じられないほど不可解に思えるからこそ、非存在についての思考は創造的であると考えています。
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死後の世界に関する西洋の考え方
- 西洋世界には、死後に何が起こるかについて、主に二つの支配的な考え方があると説明しています。
- 伝統的な考え方: 死後、別の世界へ行くというもの。これが古い考え方かどうかはさておき、伝統的には天国、煉獄、地獄などに行くとされていますが、本当の答えは誰にも分からないとしています。
- 現代的・現実的な考え方: 現在ではより一般的で多くの人に受け入れられやすい考え方として、死んだら単に存在が停止するというものがあります。
- しかし、この「存在の停止」という考え方に対して、私たちはしばしば憂鬱なイメージを抱きがちであると指摘しています。それは、永遠に暗闇に閉じ込められ、埋葬されたまま、目が見えず、耳も聞こえず、口もきけないけれども、どういうわけか意識だけはあるというようなイメージです。
- 西洋世界には、死後に何が起こるかについて、主に二つの支配的な考え方があると説明しています。
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死後の世界に関する東洋の考え方
- 一方、東洋世界には異なる考え方があります。主要な東洋の考え方は、一般的に**転生(reincarnation)**として知られるものです。これは、無限の連続として生を繰り返すという考え方です。
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転生(輪廻)を自己明白な概念として捉える
- 転生のような考えを聞いたとき、まず「それは本当か?」と問いたくなるものです。
- しかし、深く思索するヒンドゥー教徒や仏教徒がこの考えを持つとき、それは証明できない何かを「信じる」というものではなく、むしろ非常に自己明白な概念として捉えられていると説明しています。
- これを理解するために、二つのステートメントを比較することを提案しています。
- ステートメント1: 私が死んだ後、私は赤ん坊として再び生まれるだろう。ただし、前の生は忘れるだろう。
- ステートメント2: 私が死んだ後、赤ん坊が生まれるだろう。
- アラン・ワッツ氏は、この二つのステートメントは全く同じことを言っていると考えています。
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記憶と意識、そして「無」の概念
- ステートメント2は事実です。赤ん坊は常に生まれており、意識を持つ存在は、他の存在が死んだ後も絶えず出現しています。
- なぜ二つのステートメントが同じと言えるのかというと、死んで記憶がなくなり、自分が誰であったかを忘れるならば、再び生まれるということは、他の誰かが生まれるのと全く同じことだからです。記憶がなければ、意識の連続性はありません。
- しかし、この考え方の興味深い点は、特定の記憶の集合は消滅するにもかかわらず、死は意識の終わりではないということです。
- 死を終わりのない暗闇、終わりのない「無(nothingness)」と考えるのは、一種の幻想に騙されている状態だと述べています。なぜなら、「無」は考えられないだけでなく、論理的に全く無意味だからです。「無」の感覚は、「何か(something)」の感覚と比較して初めて持ちうるものであり、この二つはともにあるものだからです。
- したがって、死によってある存在(その記憶システム)が消滅してできた真空状態は、単に別の存在によって満たされるということです。そして、その新しい存在もまた、あなたが自分自身を「私」と感じるように、自分を「私」と感じるのです。
- 「私」であること、自分が宇宙の中心であるかのように感じることは奇妙ですが、この「私」という感覚は常に単数でしか体験できません。二つや三つの「私」を同時に体験することはできないのです。
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この考え方から導かれる三つの重要な結果
- この東洋的な、または氏自身の洞察に基づく転生(意識の連続)の考え方には、三つの非常に重要な結果があると述べています。
- 記憶の消滅は後悔すべきことではない: 死による記憶の消失は、本当に残念がるべきことなのでしょうか。もちろん、愛する人や思い出を永遠に持ち続けたいと誰もが願うでしょう。しかし、それを突き詰めて考えたとき、私たちは本当にそれを求めているのでしょうか。たとえ遠い未来であっても、それに飽きてしまわないというのは考えられないことではないでしょうか。
- 無常(Impermanence)の恩恵: ここに秘密があります。無常という悪魔は恩恵をもたらす存在です。なぜなら、物事を忘れることによって、その驚きが更新されるからです。子どもが初めて世界に目を開いたとき、色がどんなに鮮やかだったか、太陽が宝石のように見えたか、星々がどれほど驚くべきものだったか、木々がどれほど生き生きしていたか。それはすべて、それらが目にとって新しかったからです。古いミステリー小説も、筋書きを忘れていればまたワクワクしますが、覚えていればそうはなりません。このように、忘れるという摂理によって、世界は常に新しくされます。そして私たちは繰り返し世界を見て愛することができ、深く愛着を持つ人々に、過去に何度も会ったという対比なしに、常に新たな強い気持ちで接することができるのです。
- 「私」の普遍性: もう一つの結果は、非常に奇妙な気づきです。**「もし母が他の人と結婚していたら、私は誰になっていただろう?」**という問いを思い出してください。私たちはよく「もし私があなただったら」と言いますが、私たちは非常に容易に他の誰かになりえたのです。中国やインドで生まれることも容易だったはずです。なぜ自分のいるこの場所が世界が中心であるように感じるのでしょうか。あなたが知っているように、世界はあなたが「私」として存在している場所に中心があるのです。そして、これは、他の人々もまた、あなたがそうであるのと同じ意味で存在しているという非常に奇妙な感覚を与えます。
- 誰もが自分を「私(I)」と呼びます。だから、世界には常に「私」が存在します。すべての「私」は、ある意味で同じ「私」なのです。私たちは誰もが他の誰かになりえるのです。そして、これには逃れることができません。どこかに意識がある限り、「私」は続きます。あなたは、ある意味で、すべての「私」を通して世界を見ているのです。そして、これこそが、思いやり(compassion)という偉大な徳の秘密かもしれません。
- この東洋的な、または氏自身の洞察に基づく転生(意識の連続)の考え方には、三つの非常に重要な結果があると述べています。
このように、講演では、死後の非存在という憂鬱な思考から出発し、西洋と東洋の考え方を対比させながら、東洋的な転生観念を独自の視点から解釈し、記憶を超えた意識の連続性と、無常の肯定、そして普遍的な「私」の感覚へと議論を展開しています。そして、この普遍的な「私」の認識が、他者への思いやりにつながる可能性を示唆して締めくくられています。
Alan Watts の講演の文字起こし
(2025-05-14 end)