Peter Davenport の講演 : Phoenix lights の詳細 ⇒ やはり自然現象
前置き
この講演動画は過去記事で取り上げた(*1)。今回は AI で整理した。その上で 私の判断 を末尾で述べる。
(*1)
展開
1997-03-13, Phoenix Lights : 自然現象である証拠の一つ : V字型を構成する光点が入れ替わった (2025-03-01)
Peter Davenport : 1997-03-13, Phoenix Lights :事件の翌早朝、空軍基地関係者からかかってきたタレコミ電話 (2020-06-13)
Peter Davenport : 1997-03-13, Phoenix Lights : 一部の光点が移動した。 (2020-06-09)
Peter Davenport : 1997-03-13, Phoenix Lights : 当日、多数の光点群を目撃。 (2020-06-09)
Peter Davenport : 1997-03-13, Phoenix Lights : 地上に光ビームを放射した。 (2020-06-09)
1997-03-13、Arizona : "Phoenix Lights" の背後の星や月が掠れて見えた…という証言 (途中:その2) (2020-06-09)
Peter Davenport : 1997-03-13, Phoenix Lights : UFO が加速して去る時、編隊の形が閉じるように変化した。 (2020-06-09)
Peter Davenport : 1997-03-13, Phoenix Lights : 7機ほどの UFO が出現した。 (2020-06-09)
Peter Davenport : 1997-03-13, Phoenix Lights : 当日の最初の目撃報告 (2020-06-09)
Peter Davenport : "Phoenix Lights" UFO の飛行経路の要約 (2020-06-09)
概要
フェニックスの光: 現象の調査
この文書は、フェニックスの光という大規模なUFO目撃事件に関する講演の記録であり、主にピーター・ダベンポートによるものです。彼は国立UFO報告センターのディレクターとしての長年の経験を語り、目撃者からの報告やUFOの奇妙な特性について詳細を述べています。特に、UFOの大きさが何マイルにも及ぶ可能性や、形状や光の変化、そしてその静かな飛行といった点が強調されています。また、このイベントにおける政府の反応や、軍用機との遭遇に関する仮説も提示されており、この事件の謎が深められています。
目次
- 前置き
- 概要
- 音声対話
- 詳細:フェニックスの光: 現象の調査 - 詳細なブリーフィング資料
- 時系列
-
主要関係者
- ピーター・ダベンポート (Peter Davenport)
- ジム・クラークソン (Jim Clarkson)
- ロバート・グリブル (Robert Gribble)
- ラリー・チャイルズとマリリン・チャイルズ (Larry and Marilyn Childs)
- ケンジ・テラウチ (Kenji Terauchi)
- スー・ワトソン (Sue Watson)
- ステイシー・ロード (Stacey Rode)
- ティム・リー (Tim Lee)
- トリッグ・ジョンストン大尉 (Captain Trigg Johnston)
- 空軍兵 (US Air Force Airman)
- F-15の主翼パイロット (Lead F-15 Pilot)
- ビル・クリントン (Bill Clinton)
- グレッグ・ノーマン (Greg Norman)
- ジョー・ファスベンダー (Joe Fassbender)
- ローラ・ヒンチー (Laura Hinchey)
- ジム・デレトソ (Jim Dilettoso)
- マイケル・タナー博士 (Dr. Michael Tanner)
- リン・キタイ博士 (Dr. Lynn Katai)
- アンソニー・レイク (Anthony Lake)
- サンディ・バーガー (Sandy Berger)
- ジョナサ ン・ドーバー (Jonathan Dover) & スタンレー・ミルフォード (Stanley Milford)
- ティム・ヒル (Tim Hill)
- ジョージ・ナップ (George Knapp)
- 軍・政府の関与と反応
- 初期の報告
- 報告の多様性/混乱
- 物体の特徴
- 著名な目撃者
- Peter Davenport の個人的な目撃体験
- 情報源
- 文字起こし
- コメント
音声対話
詳細:フェニックスの光: 現象の調査 - 詳細なブリーフィング資料
このブリーフィング資料は、Peter Davenport氏の「フェニックスの光: UFO現象の調査」と題された講演のトランスクリプト(2部構 成)を元に、主要なテーマ、重要なアイデア、および事実をまとめています。
- はじめに:フェニックスの光とは
Peter Davenport氏は、1994年以来、National UFO Reporting Centerのディレクターを務めており、UFO目撃情報の報告と調査に長年携わってきました。彼は、フェニックスの光現象を「現代UFO学において、おそらく最も劇的なUFOイベント」と評し、政府と報道機関がこの劇的な出来事を「鎮圧することに非常に成功した」と指摘しています。
フェニックスの光は、1997年3月13日に発生した大規模なUFO目撃事件で、アリゾナ州フェニックスとその周辺地域、さらにはニューメキシコ州にまで及びました。この現象は、ネバダ州ヘンダーソン付近で始まり、ポールデン、セドナ、プレスコット、チノバレー、プレスコットバレー、デューイ、コーデスジャンクション、キングマンといった多くのコミュニティ上を移動しました。
- 目撃情報と物体の特性
フェニックスの光で目撃された物体は、その巨大さと特異な挙動によって特徴づけられます。
形状と光:
- 初期の目撃報告では、「低空飛行する747型ジェット機ほどの大きさのV字型物体」で、「翼の下に6つの大きな光があり、前縁からヘッドライトのように輝いていた」と述べられています。
- 別の報告では、「多数の光の編隊、おそらく2ダースから30個ほどの光」と表現され、それぞれの物体には「5〜9個の光」があったと推測されています。
- Sue Watson氏は、自宅上空に5分間静止していた物体を「ブーメラン型」で「一体型の乗り物」と表現し、「黄みがかった光」で照らされていたと述べています。彼女は当初、光の数に混乱がありましたが、最終的に「7つ」と特定しました。
- Trigg Johnston機長(TWAの国際線パイロット、飛行時間13,000時間)は、物体が地上からの向きによって「異なって見えた」と報告しており、これは物体が「外見を変える能力」を持っていた可能性を示唆しています。また、物体が胴体の異なる部分間で光を移動させることができた可能性も示唆されています。
- ある目撃者は、物体が「多くの光」を持ち、「青い光が角から、後縁の角から流れていた」と述べています。
- 物体が「星の光をにじませる」現象も多数報告されており、これは「この地球上のあらゆる技術をはるかに超えた技術」が関与していることを示唆しています。
大きさの推定:
- Sue Watson氏の目撃情報に基づくと、彼女の家の上空に静止していた物体は、彼女が腕で示した角度(135度)と推定される高度(後述の空軍兵士の証言から9,000フィート)から計算すると、約8.2から8.4マイル(約13.2から13.5キロメートル)の幅があったと推定されます。これは「サッカー場のサイズ」や「サッカー競技場または航空母艦のサイズ」といったこれまでの推定をはるかに超える巨大さです。
- Stacey Rode氏も同様に、家族が乗る車の上空を通過した物体が「以前に説明されていたよりもはるかに、はるかに大きかった」とし、「文字通り私たちの上の空を覆い尽くした」と証言しています。彼女は、息子が車の左側から物体の南端を見ることができ、娘が右側から物体の北端を見ることができたと報告しており、その巨大さがうかがえます。
挙動と速度:
- 物体は「非常にゆっくり」と移動し、「全く音がしなかった」と多くの目撃者が証言しています。
- Sue Watson氏が目撃した物体は、自宅上空で5分間静止した後、南に移動を開始し、突然加速し、「翼が後方に折り畳まれてより流線形になった」と彼女は述べました。これはDavenport氏にとっても初めて聞く情報でした。
- また、Sue Watson氏の自宅上空にいた物体は、南に移動する際に「光の束またはボルトを地面に放った」と報告されています。
- 軍の関与と反応
フェニックスの光事件では、米国空軍のF-15戦闘機による未確認物体への迎撃が示唆されており、その詳細が明かされています。
空軍兵士の証言:
- Peter Davenport氏は、事件発生の夜、ルーク空軍基地の空軍兵士から匿名で電話を受け、約42分間の会話を行いました。この兵士は、ルーク空軍基地で何が起こったかについて「まだ話すなと命令されていない唯一の理由」で情報共有 が可能だと述べました。
- この兵士の証言によると、ルーク空軍基地はフェニックスの光イベント中に「完全に施設を封鎖し、正面ゲートに大きな鎖をかけた」とのことです。
- 2機のF-15戦闘機がルーク空軍基地からスクランブル発進し、約18,000フィートの高度にいた物体を迎撃しました。物体は「エンジェルズ10」(10,000フィート以上の高度を意味する航空用語)まで降下していきました。
- パイロットはレーダーで「完全にホワイトノイズ」を受信し、計器盤全体がホワイトノイズになったと報告しました。
- 物体はスカイハーバー空港のパターンを横切り、離陸中の2機の737と1機のDC-10と遭遇しました。
- パイロットは物体を「一つか複数の航空機か不明」とし、「三角形のパターンで5つの異なる光」を見たが、「航空機を特定できなかった」と述べました。光は「星のように明るくなく、薄暗くなった後、完全に暗くなった」とのことです。
- 迎撃後、F-15がルーク空軍基地に戻った際、パイロットは自分でコックピットのキャノピーを開けることも、自力で降りることもできず、地上勤務員が彼を物理的にコックピットから持ち上げる必要がありました。これはパイロットが「死ぬほど怖がっていた」ことを示唆しています。Davenport氏は、戦闘機パイロットが「全く異なる種類の人間」であるため、この点には疑問を呈しています。
- このパイロットは、メリーランド空軍州兵の中佐という「非常に経験豊富なパイロット」でした。
F-15の役割と装備:
- これらのF-15は、「エアフォースワンとエアフォースツー護衛グループ」の一部であり、事件当日(1997年3月13日)、クリントン大統領をワシントンD.C.からフロリダ州(マイアミまたはオーランド)へ輸送するために活動していたとDavenport氏は推測しています。
- F-15は単発エンジンのF-16ではなく、双発エンジンであるため、ミッション続行能力が高く、大統領機を護衛するのに適しているとされています。
- F-15には「Lantern II ポッド」という非常に洗練された光学デバイスが搭載されており、パイロットは最大500マイル先まで視覚的に目標を捉え、識別することができます。これにより、パイロットは物体を「比類なき眺め」で確認できたはずです。
- 護衛任務中のF-15は、「ホットパッド」で待機しており、常に燃料補給され武装していたと考えられます。Davenport氏は、迎撃の目的で未確認機を阻止できない場合、「即座に撃墜する」能力が必要なため、F-15は確実に武装していたと断言しています。
DEFCON 3への昇格:
- Davenport氏は、軍の各所からの「信じられないほど大きな物体」に関する報告(ネリス空軍基地や退役海軍提督からの報告を含む)を受けて、米軍が通常の平時防御状態であるDEFCON 5からDEFCON 4をスキップして、直接DEFCON 3(全面戦争の直前、核兵器不使用)に引き上げられたと強く推測しています。これは「非常に深刻な軍事的状況」を意味します。
- クリントン大統領の負傷との関連性(疑惑)
フェニックスの光事件と、同時期に報告されたビル・クリントン大統領の負傷との間に、Peter Davenport氏は強い関連性があると考えています。
大統領の負傷:
- 1997年3月13日の夜、クリントン大統領はフロリダ州でグレッグ・ノーマン氏の自宅に滞在中に膝の靭帯を負傷し、ワシントンD.C.に急遽搬送されたと報じられました。
- Davenport氏は、大統領がUFOについて語り始めたテレビ番組で、この負傷に言及したことを指摘しています。
- 「皮肉なことに、そして非常に重要なことに、米国大統領がこの負傷を負ったとされるのは、米国空軍がスー・ワトソン氏の家の非常に近くでその物体、そしておそらく他の物体も迎撃した数分以内」のことだとDavenport氏は述べています。
- グレッグ・ノーマン氏は、階段でつまずき、膝を負傷したことを確認していますが、Davenport氏は、大統領が「急いで地下の軍事施設に運ばれ、米国の防衛を監督するため」に急がされていた可能性を推測しています。
軍のパニック:
- Davenport氏は、「非常に熟練したF-15パイロットが、迎撃している物体が想像を絶するほど大きいと告げ、レーダースクリーンに同時に5、6個の物体が見える」状況において、軍が「パニックに陥った」可能性を指摘しています。そして、これがDEFCON 3への昇格と大統領の負傷が「偶然の一致としては多すぎる」と主張する根拠となっています。
- メディアの反応と情報操作の可能性
フェニックスの光事件に対するメディアの反応は、Peter Davenport氏にとって懸念事項であり、政府による情報操作の可能性を強く示唆しています。
報道の欠如と軽視:
- Davenport氏は、事件翌朝にはUnited Press International (UPI) などの報道機関に情報を提供したにもかかわらず、彼らは「関心を示さなかった」と報告しています。当時の「速報ニュース」は、O.J. Simpson事件に関連するマーク・ファーマンのポリグラフテストの結果でした。
- Davenport氏は、「報道機関は、この現象を単に無視し、しばしば私たちのように何が起こっているのかに非常に興味を持っている人々を嘲笑しようと努める」と批判しています。
- 事件から14週間後(1997年6月18日)になってようやく、USA Todayなどの全国紙で報道されましたが、地元のアリゾナ・リパブリック紙はDavenport氏のような人々を「UFOマニア」とレッテルを貼って報道しました。
政府の隠蔽工作:
- Davenport氏は、「政府はUFOについてアメリカ国民に嘘をついている」と断言し、「これは全く不適切だ」と非難しています。
- 過去の講演者も「政府はアメリカ国民にUFOについて嘘をついている」という証拠を提示したと述べています。
- Davenport氏は、大規模なUFO目撃事件が発生した場合に、「後日、事件を取り巻く水を濁すようなこと」ができる「予備計画」を政府が棚に持っていると推測しています。
- フレアが使われたという政府の説明は、Jim DilettosoとDr. Michael Tannerが収集した目撃者の情報(物体が空中で方向転換したことなど)とは矛盾すると指摘しています。また、「スノーバード」と呼ばれるフレア展開プログラムが「陽動」を意味するとも指摘されています。
- その他の未解決の疑問と関連事件
物体の性質と技術:
- 物体が「B-2ステルス爆撃機の形状と非常に似ている」という指摘に対し、Davenport氏はその巨大さから類似性は薄いとしながらも、「重力駆動」のような、地球上の技術をはるかに超えた「我々が何も知らない種類の技術」である可能性を示唆しています。
オーブの目撃情報:
- フェニックスの光事件の後、National UFO Reporting Centerは「赤、オレ ンジ、黄、琥珀、金色の光の塊」に関する多数の報告を受けるようになり、Davenport氏はこの現象がフェニックスの光の「前兆」であった可能性を考察しています。
キャプテン・クレイグ・ボタン失踪事件:
- フェニックスの光事件の数週間後、A-10ウォートホッグに乗った空軍大尉クレイグ・ボタンが飛行中に飛行から離脱し、北に向かって失踪するという未解決事件が発生しました。彼の遺体と飛行機は当初見つからなかったとされていますが、その後の報告で訂正があった可能性があるものの、Davenport氏は依然として疑問を呈しており、これもフェニックスの光事件に関連する「非常に興味深い補足事項」であると述べています。
NORADからの情報提供の可能性:
- 過去にCoast to Coastのラジオ番組で、NORADの元将校と名乗る人物から「UFOのクローキング装置がダウンし、NORADがフレアを使った隠蔽工作を行うよう国防総省から電話があった」という情報が提供されたことがあったと、聴衆から指摘されています。Davenport氏自身はこの情報を覚えていませんでしたが、Knapp氏に確認する価値があると考えています。
- 結論と提言
Peter Davenport氏は、フェニックスの光事件は、その規模、目撃された物体の特性、軍の反応、そして政府とメディアの隠蔽工作の可能性から、「信じられないほど大規模な事件」であると強調しています。彼は、アメリカ国民が真実を求めるために、こうしたイベントに参加し、手紙を書き、選出された公務員に圧力をかけるべきだと訴えています。
「政府は私たちに嘘をついている。これは全く不適切だ。…アメリカ国民は真実を教えてもらうべきだ。」とDavenport氏は述べており、この事件がUFO現象に関する広範な情報操作の証拠であると結論付けています。
時系列
1974年
- ピーター・ダベンポートがディレクターを務める以前の「National UFO Reporting Center」が設立され、郵送による報告を受け付けるようになる。
1975年頃
- ジム・クラークソンがフォート・ルイスのMP署で、「National UFO Reporting Center」のビジネスカードを見てその存在を知る。当時の電話番号は206-722-3000。
1980年代
- ピーター・ダベンポートがマッコード空軍基地で空軍の気象学者として勤務。マッコードはNORAD基地でもあった。
1986年
- 日本航空のパイロット、ケンジ・テラウチがアンカレッジ上空で「浮遊都市」を目撃し、全国的なニュースとなる。当初FAAのレーダーで確認されたが、後に撤回された。
- ジム・クラークソンが「National UFO Reporting Center」に電話し、当時のディレクターであったロバート・グリブルと話す。グリブルの勧めによりMUFONに参加し、UFO調査を始める。
- ピーター・ダベンポートがワシントン州議会選挙の候補者となる。
- ピーター・ダベンポートがシアトルを拠点とするバイオテクノロジー企業の創設社長となる。
1990年2月
- ピーター・ダベンポートがバハ・カリフォルニア上空で「劇的な異常現象(UFO関連の可能性あり)」を目撃する。
1992年
- ピーター・ダベンポートがワシントン州上空で複数の夜間異常現象を目撃する。
- ピーター・ダベンポートが米国下院議員選挙の候補者となる。
1994年
- ピーター・ダベンポートが「National UFO Reporting Center」のディレクターに就任する。
1997年3月12日(火曜日)
- (日付が不確かだが)ヘンダーソン、ネバダでV字型オブジェクトの目撃報告がされる。低空飛行のジャンボジェット(747型機)ほどの大きさで、6つの大きなライトがあり、音は「風が吹き荒れるような音」だった。このオブジェクトはネリス空軍基地の方向へ向かったと推定される。
1997年3月13日(木曜日)- フェニックスの光事件当日
- 午後7時頃:ピーター・ダベンポートが「National UFO Reporting Center」のホットラインでUFOの目撃報告を受け始める。
- 午後7時22分 (19:22):ポールデン、アリゾナ州からの最初の報告をピーター・ダベンポートが受ける。元警察官が運転中に西の方角にライトの塊を目撃し、家族の安否を気遣い帰宅するほどだった。音は全くなかった。
- 午後8時頃 (20:00):飛行物体はヘンダーソン、ネバダ上空からポールデン、セドナ、プレスコット、チノバレー、プレスコットバレー、デューイ、コーデスジャンクション、キングマンなど、アリゾナ州の複数のコミュニティを通過する。
- 午後8時15分~8時17分 (20:15-20:17):ポールデンの元警察官が複数のオブジェクトを目撃した正確な時間として報告。
- 午後8時25分頃 (20:25):スー・ワトソンと彼女の4人の子供たちが、フェニックスのキャメルバック山の1マイル下に位置する自宅上空で巨大なオブジェクトを目撃。オブジェクトは低速で飛行し、音は全くなかった。ライトは黄色がかった色で、ブーメラン型またはV字型をしており、固体の乗り物に見えた。約5分間自宅上空に滞在した。子供たちはその光景に感動し、庭に仰向けに寝そべった。
- 午後8時32分 (20:32):プレスコットバレー空港に降下していたセスナ機が、巨大な飛行物体とニアミスする。このオブジェクトは、退役した米海軍提督が操縦する飛行機を通り過ぎ、地上の全てのライトを遮った。
- 不明確な時間:2機のF-15戦闘機がルーク空軍基地から緊急発進する。彼らは空軍第1号機・第2号機護衛群の一部であったため、完全に武装し、すぐに発進できる状態であった。F-15は南から約18,000フィート(約5,486m)の高度を降下しているオブジェクトを迎え撃ちに向かった。このオブジェクトは10,000フィート(約3,048m)まで降下した。F-15のコックピットの計器盤は「ホワイトノイズ」となり、レーダーデータは得られなかった。パイロットは、スカイハーバー空港の出発滑走路のパターンを横切るオブジェクトを追尾し、そのオブジェクトがサウスマウンテンを通過するのを見て「死ぬほど怖かった」と報告した。オブジェクトは5つの明確な三角形のパターンライトを持っていた。オブジェクトがスー・ワトソンの自宅を離れ南へ移動する際、光の柱またはボルトを発射し、地面に当たったと見られる。
- 不明確な時間:オブジェクトがルーク空軍基地の上空を通過した際、基地は完全に封鎖され、正面ゲートには大きな鎖がかけられた。
- 不明確な時間:オブジェクトはセブンスアベニュー上を直線で飛行し、フェニックスの中心部を横切り、Uターンして戻ってきた。
- 不明確な時間:アメリカ大統領ビル・クリントンがフロリダのグレッグ・ノーマンの自宅で膝を負傷する。彼は足の靭帯を損傷し、ワシントンD.C.に「運び込まれた」とされる。この負傷は、米空軍がオブジェクトを迎撃したのと同時期に発生したと推測される。米軍はDEFCON 3に引き上げられた。
- 午後10時02分 (22:02):ピーター・ダベンポートがルーク空軍基地の電話交換台に電話し、情報提供を求める。彼が将校との連絡を求めたが、代わりに自称「今夜のルーク空軍 基地司令官」と名乗る曹長に繋がれる。これは軍事施設としては非常に異例な対応であり、情報が隠蔽されていることを示唆している。
- 午後10時19分 (22:19):ピーター・ダベンポートがルーク空軍基地に再度電話するも、保留にされ、誰も繋がらない。
- 午後10時過ぎ:フェニックス南西のギラ・ベンド射撃場でフレアが展開される。これは政府による「撹乱工作」であると疑われる。
1997年3月14日(金曜日)
- 午前3時頃 (03:00):ピーター・ダベンポートが電話の呼び出し音を切らずに就寝。
- 午前3時20分 (03:20):ピーター・ダベンポートがルーク空軍基地の空軍兵からの電話を受ける。空軍兵は「今夜ルークで何が起こったか」について情報を共有する。この空軍兵は、2機のF-15の緊急発進を助け、着陸後、パイロットが自力でコックピットから出られなかったと報告した。パイロットは地上班に迎撃の詳細を語り、高度18,000フィートからの降下やオブジェクトの巨大さについて述べた。
- 午前7時32分 (07:32):ピーター・ダベンポートがユナイテッド・プレス・インターナショナル(UPI)のジョー・ファスベンダーに電話し、フェニックスの光の情報を共有し、報道を求める。UPIは当時、O.J.シンプソン事件に関するマーク・ファーマンのポリグラフ検査結果という「速報」に注目していたため、興味を示さなかった。
- プレススコット・デイリー・クーリエ紙のローラ・ヒンチ ー(当時)が、フェニックスの光事件に関する公正な記事を執筆する。
- アンソニー・レイクがクリントン大統領の国家安全保障顧問を解任され、サンディ・バーガーに交代する。
1997年3月15日(土曜日)
- ニューヨーク・タイムズ紙に、ベセスダ海軍病院の病床にいるクリントン大統領の写真が掲載される。
1997年3月16日(日曜日)
- スー・ワトソンが彼女の目撃に関する手書きのイラストと報告をピーター・ダベンポートにファックスで送る。
事件から数週間後
- 米空軍大尉クレイグ・バトンがA-10ウォートホッグに乗ってデイビス・モンタン空軍基地から飛び立ち、他の2機の訓練生から離脱して北へ向かい、行方不明となる。彼の遺体や機体は見つかっていないと報じられる(後に一部情報が修正されるが、正確性は不明)。