Yual Harari に対する評価
前置き
本日の別記事、
AI 整理 : Yuval Noah Harari のインタビュー
に関連。Yuval Harari を最初に絶賛して取り上げたのは 2017-12-19 なので、7年半前。それから徐々に熱が冷め、現時点での私の評価を記録しておく。長々と説明するのはダルいので以下、AI との対話で代替えする。
以下では Yuval Harari の有名な主張、
- 生命(特に人間)はアルゴリズムである
を具体例として扱っている。
最新の AI( ChatGPT 4.5 )が、Harari に対してどういった評価を下すのか、それも面白い。
目次
- 前置き
- 対話の要約
- 対話
- Harariの主張の要点:
- この主張に対する問題点:
- 結論:
- 1. Harari は「アルゴリズム」を比喩的に使う権利がある
- 2. 複雑性はアルゴリズム的説明と矛盾しない
- 3. 意識の難問は本質的に解決不能である
- 4. 実用的な予測能力は必ずしも主張の前提ではない
- 5. 還元主義は科学の本質的態度である
- まとめ:
- 1. 学問的厳密さの不足
- 2. 過度の単純化
- 3. 未来予測の曖昧さ
- 4. 専門外領域への踏み込みすぎ
- 5. アジテーションに偏りすぎる傾向
対話の要約
以下、ユーザーとは私のことで、Assistant が AI のこと。
以下に、この対話の要約を示す。
対話の要約
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問題提起(ユーザー) Yuval Harariが主張する「生命(特に人間)はアルゴリズムである」という考えに対して、ユーザーはかつてその斬新さに感銘を受けたが、現在ではその主張が単純化され過ぎで雑に感じられ、真に受けることができないと指摘。特に、社会構造や宗教などの複雑な現象をアルゴリズムの副産物として説明することに無理があるとの問題を提示。
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Harariの主張に対する批判的評価(Assistant) Assistantは次の理由から、この主張は「素朴で雑」であると評価:
- アルゴリズム概念の比喩的乱用
- 社会現象や文化現象の還元困難性
- 意識や主観性の問題(クオリア、意識の難問)
- 予測・説明能力の不足
- 悪魔の弁護人としてのHarariの弁護(ユーザーのリクエストにより) Assistantは逆の立場から以下のような反論を提示:
- Harariはアルゴリズムを比喩として用いる権利がある
- 複雑さや予測困難性はアルゴリズム的理解と矛盾しない
- 意識の問題は現代科学で誰にも解決できていないので、Harariだけの弱点ではない
- 還元主義的な単純化は科学的手法として正当である
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Harariの主張は意図的なアジテーションだと再評価(ユーザー) ユーザーは、Harariが敢えて過激な表現(「生命はアルゴリズム」「無用な人間」)を用いて社会に衝撃を与えることを意図しており、学術的厳密性よりも社会的インパクトを狙った「煽り文句」だと再評価。
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Harariの非凡な能力(ユーザー&Assistant) しかしながら、HarariがBill Gatesなど著名人や世界のリーダー層を強く感銘させることに成功し、ダボス会議で特別講演を行うほどの社会的影響力を持つという事実から、彼の卓越したストーリーテリング、時代感覚、プレゼン能力などの非凡さが再確認された。
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Harariの弱点(ユーザー&Assistant) 最後に、Assistantは以下をHarariの主な弱点として指摘:
- 学問的な精密さの欠如
- 過度の単純化と一般化
- 未来予測における曖昧さや具体性の不足
- 専門外領域への踏み込みすぎ
- アジテーションや煽情性に偏った表現スタイル
結論
Harariの主張は、学術的な真理としては雑で単純化が過ぎるものの、社会への衝撃や議論の誘発を狙った戦略的な「煽り文句」としては極めて効果的である。その卓越した社会的影響力と、同時に存在する弱点や限界が確認された。
対話
以下、対話の内容。
Me:
Yuval Harari の、「生命は(特に人間は)アルゴリズムである」という主張について、少し考えてみたい。
7-8年前に彼のラジオインタビュー(podcast )を初めて聴いたが、その時はその洞察力の凄まじさに感銘したが、今、振り返ってこの主張を考えると、どうも嘘っぽい。別にスピリチュアルな観点から反論するわけではない。
彼のこの主張は素朴すぎ、雑だと思える。たとえば、彼の主張どおりならば、様々な社会の構造、や宗教がアルゴリズムの副産物として導出できる筈だが、それができれば社会学者は苦労しない。
Yuval Harariの「生命(特に人間)はアルゴリズムである」という主張に対する批判的考察について、以下のように整理できる。
Harariの主張の要点:
- 人間を含む生命は本質的に情報処理アルゴリズムであり、感情や思考、選択や意識も生物学的アルゴリズムの一環にすぎない。
- 意識や自己といった概念も高度な演算の副産物であり、基本的に脳内のニューロン間の物理的なやり取りに還元できる。
この主張に対する問題点:
以下の観点から、Harariの主張は「素朴」で「雑」であると言える。
1. アルゴリズムの比喩的使用の問題
- Harariの主張は、「アルゴリズム」という比喩的な表現を文字通り生命や人間に当てはめすぎている。
- コンピューターアルゴリズムは明確なルールと有限の手順に従うが、生物のシステムは「曖昧さ」「ノイズ」「ランダムネス」を本質的に含む。
- 生命のプロセスは単なる情報処理以上のものであり、代謝やホメオスタシスなど、単純なアルゴリズム的描写では捉えきれない動的な調整過程を含む。
2. 社会・文化現象の還元不可能性
- Harariの主張どおり生命が単純にアルゴリズムだとすると、社会構造や宗教の誕生、発展、変化を「アルゴリズムの結果」として予測可能であるはずだが、現実はそうではない。
- 社会学や文化人類学の膨大な蓄積は、社会現象が複雑で、還元的アルゴリズム的説明では収まらないことを示唆している。
- 例えば、宗教のような文化現象は「信念」「神話」「物語」の相互作用や、歴史的偶然性、地理的条件といった多元的要因が絡み合って形成される。これを単なるアルゴリズムの副産物に還元するのは雑すぎる。
3. 意識・主観性の軽視
- 意識や主観的体験(クオリア)は、「アルゴリズムの副産物」という説明では十分に捉えられていない。
- 「なぜ情報処理が意識を生むのか?」というハードプロブレム(チャーマーズの言う意識の難問)は、アルゴリズム的説明では解決どころか正しく設定すらされない。
- Harariの議論では、意識の存在を前提に議論を進めつつ、同時に意識を単なる演算の副産物 として片付ける自己矛盾を抱えている。
4. 実践的・予測的な説明力の不足
- アルゴリズム的アプローチが真に正しいならば、人間行動や社会の変化を予測し、制御可能であるべきだが、実際には人間行動や社会現象の予測は非常に困難である。
- 人間行動には内的動機、無意識的影響、認知的バイアスがあり、外的環境の微妙な変化に敏感に応じる。こうした状況下では、単純なアルゴリズム的説明は予測力を失う。
5. 歴史的・生態学的文脈の軽視
- Harariの主張は人間や生命を情報処理システムとして過度に単純化し、その個体が置かれる歴史的、生態学的文脈の影響を無視または軽視している。
- 生命体の行動や選択は生物学的基盤だけでなく、生態系や社会環境との相互作用の産物でもある。その複雑性を捨象し、すべてをアルゴリズム的説明に帰着するのは現実の観察と合致しない。
結論:
Harariの主張は魅力的な直観や理解しやす いシンプルなモデルを提供するが、現実の生命や社会現象の複雑さを正確に反映しているとは言えない。アルゴリズムという比喩に基づく説明は一見洗練されているが、具体的な社会科学の課題に応用した場合、その限界は明らかである。
結局、生命や人間を「アルゴリズム」と言い切るのは、概念的な単純化や科学的な説明のしやすさを優先するあまり、現実の複雑さを省略している点で、「素朴で雑な主張」であるという批判は妥当だろう。
Me:
その回答の判断(もっともだと思いますが)に対して、あえて「悪魔の弁護人」の立場から Harari を弁護してみて。