AI 整理 : Don Schmitt の 2019年講演 : Roswell 事件の解説
前置き
Don Schmitt による 3時間に及ぶ講演(2019年、オーストラリア)を AI(NotebookLM plus) で整理した。もちろん、講演のテーマは彼のライフワークである Roswell 事件。
ロズウェル事件:目撃者の証言
提供された文章は、ドン・シュミット氏が2019年に行った講演の文字起こしであり、ロズウェル事件に焦点を当てています。 講演の中でシュミット氏は、この事件が世界で最も広く知られたUFO事件であると強調し、目撃者の証言、軍による脅迫、および政府による隠蔽工作に言及しています。
彼はまた、事件に関連する物質の特異性や、政府が気球を墜落した物体として偽装したという主張についても詳しく説明しています。さらに、ロズウェル事件の目撃者や関係者が受けた苦痛や、事件の真実を隠蔽しようとする政府の行動についても語られています。
情報源 : 講演動画(2:56:14)
Don Schmitt 2019
https://www.youtube.com/watch?v=X4Z2KWi0yEg
ドン・シュミット氏の講演録を基に、ロズウェル事件に関する詳細なブリーフィング資料を以下にまとめます。講演者の主観的な意見や他の見解への批判を避け、事実とされる事柄や関係者の証言に焦点を当て、網羅的に整理しました。
ロズウェル事件に関する詳細ブリーフィング
- イントロダクションとロズウェル事件の概要
ロズウェル事件は、おそらく世界で最も広く知られたUFO事件であり、あらゆる側面を包含しています (0:02:40)。講演者ドン・シュミットは、ウィリアム・シャトナーとの共同講演を例に挙げ、この事件の注目度を強調しています (0:05:00-0:06:47)。シュミット自身は当初懐疑的でしたが、証拠によって考えを改めたと述べています (0:19:15-0:20:01)。
- 歴史的背景:ニューメキシコ州の特異性
1947年当時、ニューメキシコ州は原子爆弾開発の中心地であり、軍事的に極めて重要な地域でした。
- 初の原子爆弾の爆発地: 1945年6月にロズウェルの西2時間ほどの場所で最初の原子爆弾が爆発しました (0:07:54)。
- 継続的な原子研究: ロスアラモスでは原子研究が続けられ、ホワイトサンズ性能試験場では鹵獲したドイツのV-2ロケットの試験が行われていました (0:08:34)。
- 第509爆撃航空群: ロズウェルには世界初の原子爆弾飛行隊である第509爆撃航空群が駐屯しており、当時の米軍のエリート集団でした (0:08:34-0:09:00)。
- UFO目撃情報の多さ: 米空軍のUFO現象公式調査である「プロジェクト・ブルーブック」によると、当時ニューメキシコ州では世界中のどの地域よりも多くのUFO目撃情報が報告されていました。「まるで誰か別の存在が、当時の我々の軍事力に非常に興味を持っていたかのようでした」(0:09:22)。
- 事件の経緯と公式発表の矛盾
1947年7月2日の夜遅く、ニューメキシコ州リンカーン郡の砂漠地帯で激しい雷雨の中、何かが墜落しました (0:09:22)。
- 残骸の発見: 牧場主のマック・ブラゼルは、約1マイルにわたる奇妙な残骸を発見しました (0:09:40)。この残骸は、ブラゼル、その隣人、州警察官、保安官、そして原子爆弾を管理する第509爆撃航空群にまで届けられました (0:09:40-0:10:48)。
- 「気球」の公式説明の否定: 軍は当初、墜落した物体を「空飛ぶ円盤」と発表しましたが、すぐに「気象観測気球」であると訂正しました。しかし、講演者はこの説明を強く否定します。「5歳の子どもでも気球だと認識できたような素材」にもかかわらず、気球の打ち上げを日常的に行っていたはずの原子爆弾部隊の責任者たちが「人生で気球を見たことがない」かのように振る舞ったことを指摘しています (0:10:48-0:11:14)。
- 30年間の沈黙: この出来事はその後30年間、沈黙に包まれました (0:11:14)。
- 墜落現場と回収作業
- 複数の墜落地点: ロズウェルの北西35マイルの地点には衝撃地点があり、そこからポッド、カプセル、2体の遺体、そして1体 の生存者が回収されました (0:25:08)。これは軍人および民間人の直接の目撃証言に基づいています (0:25:08)。
- 残骸の広がり: 残骸の破片は9/10マイル(約1.4km)にもわたり散乱しており、60人の兵士が3日間昼夜を問わず、手作業で一つ一つの破片を拾い集めました (0:26:50-0:27:30)。各破片はタグ付けされ、番号が振られました (0:27:30)。
- 牧場の羊の反応: 牧場主のマック・ブラゼルは、羊が残骸の中を歩くことを恐れ、水を飲ませるために2マイルも遠回りさせなければならなかったと報告しました (0:33:33-0:33:45)。
- 現場の環境変化: 調査の結果、墜落地点の土壌にはリン酸レベルが異常に低いなどの変化が見られ、これは1947年に現場を汚染除去しようと漂白剤を大量に流し込んだためと考えられています。これにより、牛が5年間もその場所で餌を食べなくなったとされています (2:46:10-2:49:51)。また、軍がアクセスを許可する前に、その地域は焼却されたり破壊されたりしたとの報告もあります (2:49:51)。
- 回収された物体の特徴
- 破片の特性: 回収された素材は「紙のように薄く、金属のような素材」で、「手に持つと重さを感じない」ものでした (0:29:13-0:29:20)。
- 破壊不能: 「切ることも、燃やすこともできなかった」うえ、「弾丸でさえ貫通しなかった」とされています (0:29:20-0:29:30)。基地の技術者たちは、直径約4フィートの大きな破片を16ポンドの大型ハンマーで叩いても、ハンマーが跳ね返り、「傷一つつけられなかった」と証言しています (0:29:30-0:29:48)。
- Iビーム: 同じ素材のIビーム状の部品もあり、指の小指ほどの厚さで、その全長に沿って「奇 妙な記号」が記されていました。これらの記号は見たこともないもので、解読不能でした (0:29:50-0:30:17)。
- シルクのような素材: 光を当てると反対側から光が放出される「シルクのような素材」の繊維も発見されました (0:30:20-0:30:30)。
- 記憶素材: マック・ブラゼルの息子ビルは、軍の清掃後に残骸から記憶素材の破片を見つけ、それを握りつぶしても、手を離すとすぐに元の形に戻ったと証言しています (1:08:29-1:08:49)。これは「自己修復する金属」のコンセプトに酷似しており、ロズウェル事件から数ヶ月後にバテル研究所がこの研究を開始した報告書が存在すると講演者は述べています (2:22:49-2:23:09)。
- 宇宙からの物質: 軍の工学者たちは、この残骸について徹底的な強度試験や圧力試験を行った結果、「この物質は宇宙からのものであり、地球のものではない」と満場一致で結論付けた、とケナー・ハートフォード将軍が証言しています (2:06:50-2:07:05)。
- 破壊された理由: これらの素材は非常に頑丈であったが、それでも破壊されたのは、どのような素材にも「破壊点」が存在し、墜落時の衝撃がその限界を超えたためであると説明されています (2:25:28-2:25:45)。
- 軍と政府による隠蔽工作
- 高官の関与: ロズウェル事件の隠蔽には、カーティス・ルメイ将軍(後に空軍参謀総長)、ロジャー・レイミー将軍(気球の記者会見を行った人物)、そして当時のニューメキシコ州上院議員カール・ハッチなどが関与していました (0:38:24-0:40:01)。ハッチ上院議員は、事件の回収期間中、トルーマン大統領と繰り返し会談しており、民間人に軍の指示に従うよう指 示していた可能性が示唆されています (0:39:20-0:39:45)。
- メディアへの圧力: ロズウェルのラジオ局KGFLのオーナー兼マネージャーであるウォルト・ホイットモアは、連邦通信委員会(FCC)から、空飛ぶ円盤のニュースを流せば24時間以内に放送免許を失うと警告を受けました (0:46:29-0:47:13)。さらにチャベス上院議員からも、「これは我々全員にとって大きすぎる問題だ。真剣な話だ」と警告され、従わざるを得ませんでした (0:47:13-0:47:52)。その後、ラジオ局は荒らされ、事件に関連するすべての書類、メモ、電話番号が持ち去られました (0:47:52-0:48:00)。
- 民間人への脅迫と拉致:
- マック・ブラゼルの改心: 牧場主マック・ブラゼルは当初、墜落した物体が気球ではないと語っていましたが、軍によって拉致され、数日後に新聞社やラジオ局に連れて行かれた際には、「すべて誤解だった。ただの気象観測気球だった」と述べさせられました (0:51:56-0:55:01)。この際、ブラゼルは「言われた通りにしないと大変なことになる」と脅されたことをフランク・ジョイスに打ち明けています (0:55:01-0:55:30)。
- フランク・アキノの脅迫: 残骸を最初に目撃した少女フランク・アキノは、将校から「今日見たことを二度と口にしたら、二度と両親や家族に会えなくなる」と脅迫されました (1:11:02-1:11:15)。彼女は長年この件について沈黙を守りましたが、後に講演者に真実を語りました (1:11:02-1:11:15)。
- ブラゼル氏の妻からの回収: ビル・ブラゼルが発見した残骸の破片(葉巻箱いっぱいの量)も、軍の士官によって強制的に回収されました (1:16:02-1:17:50)。
- 民間人への権限なし: 米軍は戒厳令が布告さ れていない限り、民間人に対する権限を一切持たないにもかかわらず、このような拉致や脅迫、家宅捜索、私有財産の破壊を行いました (0:51:56-0:58:50, 1:19:36-1:19:50)。
- 目撃者の証言抑制: 多くの証人が、その経験について話すことを恐れ、長年沈黙を強いられました。一部の証人は、死の直前に真実を打ち明けました (0:21:42-0:23:21, 1:23:17-1:23:46)。
- 「ストローマン」戦術: 軍は第二次世界大戦でドイツに対して用いた戦術を応用し、情報漏洩があった場合、それを否定するのではなく、一度認めてから別の情報にすり替える「ストローマン」戦術を使ったと説明されています (0:41:22-0:41:51)。「空飛ぶ円盤を捕獲した」というプレスリリースを出し、その後すぐに気球にすり替えることで、世間の信頼を得て30年間その偽情報が信じられたとされています (0:40:01-0:41:51)。
- 目撃者の証言と関係者の反応
- 第509爆撃航空群の隊員: 爆撃機のパイロットである少佐は、格納庫でキャンバスタープの下に「小さな人影のような」ものが置かれているのを目撃し、そのうちの一体が露出していて「うめき声」を上げ、「膝を前後に揺らし始めた」と証言しています (1:01:49)。彼はこの経験からパニック状態になり、その場から逃げ出そうとしました (1:01:49)。
- 軍高官の証言:
- エドガー・ミッチェル博士: アポロ14号の宇宙飛行士であり、MIT卒の博士でもあるエドガー・ミッチェルは、ロズウェルで育ち、少年時代に事件について耳にしていました。彼は後に国防総省に勤務し、そこで何度もロズウェル事件の真偽を尋ね、多くの将校から「ロズウェルは真実だった」 と聞かされたと述べています (0:14:03-0:15:40)。彼はラリー・キングの番組で、懐疑論者に対し「もしあなたが私の目の前に座っていたら、そんなことは言わないだろう」と公言しました (0:15:40-0:16:22)。
- トーマス・デボーズ准将: ロズウェルの基地司令官だったウィリアム・ブランチャード大佐の参謀長であったトーマス・デボーズ准将は、「気球はデマであった」という宣誓供述書に署名しました (2:05:36-2:06:50)。
- ウォルター・ホット中尉: 公報官だったウォルター・ホット中尉は、死後の公開を条件に封印された声明文を作成し、そこに事件の真実を書き記しました (1:56:11-1:56:40)。
- エドガー・スケリー大佐: 戦闘機部隊の指揮官であったエドガー・スケリー大佐は、当初は「気球」だと言い張っていましたが、講演者が尋ねると、自分が頭を打って記憶が曖昧になったと主張しました (1:39:24-1:41:22)。しかし、ロサンゼルスへの近道を尋ねると、正確な距離と道を答えることができ、記憶喪失の主張に矛盾がありました (1:41:22-1:41:50)。
- その他の高官: その他の複数の将軍や高官が、死ぬ前にロズウェル事件の真実を家族に告白しています。
- リチャード・ランドリ大佐は、死ぬ前に妻に「ロズウェルは地球外生命体の船で、乗組員と生存者がいた」と告白しました (1:52:09-1:53:00)。
- ジェシー・マーセル大佐(ブランチャード司令官から指示を受けて回収に当たった情報将校)は、事件から2ヶ月後の1947年9月、現象は現実のものであり、空飛ぶ円盤は実在すると記した手紙を書いています (1:54:35-1:55:18)。
- 原子爆弾の無線起爆装置を発明したモトローラのシビルエンジニア、ライトル氏は、民間人ながら将軍級のGS-16という最高位の資格を持っており、彼もロズウェル事件について多くのことを語っています (1:55:20-1:55:45)。
- 医療関係者の証言:
- グレン・デニスと看護師: 葬儀屋のグレン・デニスは、軍事基地病院に派遣された看護師から、非人間的な遺体について聞かされ、そのスケッチも提供されました (1:58:31-2:01:16)。この看護師は事件後すぐにイギリスに転属させられました (1:59:06-1:59:25)。
- メアリー・ロウ看護師: 別の看護師であるメアリー・ロウは、聖マリア病院から基地病院に緊急派遣され、そこで見たものが「今でも悪夢になる」と親友に告白しました (2:01:16-2:01:40)。
- MPの証言: MPのメルビン・ブラウンは、救急車トラックの後ろに配置され、視線を前方に保つよう指示されていましたが、隙を見てタープを持ち上げ、2体の遺体を目撃しました。彼はロズウェルから数週間で転属させられ、ロンドン郊外の病院でガンで死に瀕するまで沈黙を保ちました (0:22:05-0:22:30)。
- 放射線被ばくの証言: 現場で残骸の回収にあたった兵士たちは、自分たちが汚染されたものを扱っていると感じていました。彼らは基地に戻るたびに基地病院で検査を受けました。ある兵士の妻は、夫がシャワーを繰り返し浴び、食事中もキャンバス手袋を着用していたことを証言しています。また、夫の軍服を燃やす必要があったことから、遺体の話が真実であると確信したと述べています (2:49:51-2:52:49)。
- その他の関連事項と理論
- 政府の隠蔽理由: 講演者は、政府がこの現象について「どこから来たのか、なぜ来 たのか、誰が来たのかを知らない」ため、「無知の隠蔽」を行っている可能性があると示唆しています (2:09:14)。彼らは「開示のゆっくりとした流れ」を開始しており、海軍や陸軍も関与し始めていると述べています (2:09:14-2:09:47)。
- 技術移転の可能性: ロズウェルの残骸は、バテル研究所、ランド研究所、ゼネラル・エレクトリック、ヒューズ・エアクラフト、ボーイングなどの民間企業に送られ、リバースエンジニアリングの試みが行われたと多くの目撃者が証言しています。これらの企業は政府から契約を受け、技術開発を行っていると説明されています (2:17:49-2:18:20, 2:21:38-2:22:09)。ただし、トランジスタや集積回路が直接UFO技術に由来するかどうかについては疑問視しています (2:22:09-2:22:49)。
- マリリン・モンローとケネディ大統領: マリリン・モンローとジョン・F・ケネディ大統領がロズウェルやUFOに関する情報を知っていた、あるいは公開しようとしていたために暗殺されたという憶測が存在します (2:32:44-2:33:12)。ケネディ大統領がリンドン・ジョンソン副大統領をUFO監視グループに任命したという未確認情報も存在します (2:34:00-2:34:54)。
- ソ連の反応: 1988年、ソ連の国営紙「プラウダ」は、1947年当時のヨシフ・スターリン書記長が「気球説」を信じず、独自に科学者たちに調査を命じたという報告書を公開しました。その報告書には、墜落した物体がアメリカ製ではないことが示されており、最優先で調査すべきだと提案されていたと記載されています (2:52:49-2:54:15)。
- 継続的な調査と物理的証拠の追求
講演者たちは、600人以上の直接的・間接的な目撃者へのインタビュー、ロズウェル博物館の設立(過去25年間で300万人以上が来館)、そして5回の考古学的な発掘調査を行ってきました (0:20:01-0:20:37)。彼らは今も物理的な証拠を探し続けており、さらなる発掘調査を計画しています (0:20:37-0:20:47, 2:12:48-2:12:53)。講演者は、「我々はこれを証明するつもりだ。一度限りで、これを実証するつもりだ」と結んでいます (2:12:53-2:13:00)。
ロズウェル事件の主要イベントのタイムライン
- 1945年6月: ニューメキシコ州ロズウェルから西に2時間ほどの場所で、史上初の原爆が爆発。ロスアラモスでは原子 爆弾の研究が継続され、アラモゴードのホワイトサンズ性能試験場では鹵獲したドイツのV-2ロケットの試験が行われていた。
- 1947年7月2日夜: ニューメキシコ州リンカーン郡の砂漠地帯で激しい雷雨の中、何かが墜落。
- 1947年7月3日以降: 牧場主のマック・ブラゼルが、約1マイルにわたる奇妙な破片の散乱現場を発見。彼は地元の保安官ジョージ・ウィルコックスや州警察官スクロッギンスに連絡し、破片をロズウェルに持ち込む。この破片は、原子爆弾を管理する第509爆撃航空団にも届けられた。
- 1947年7月6日(日): ブラゼルが回収した残骸がロズウェル陸軍航空基地に持ち込まれる。ラメイの参謀長トーマス・デボーズ大佐がクレメンツ・マクミューレン将軍に連絡し、ロズウェルの基地司令官ウィリアム・ブランチャード大佐に、牧場主が持ってきた残骸をすぐにワシントンへ送るよう指示する。
- 1947年7月8日: ロズウェル陸軍航空基地の広報担当官ウォルター・ホット少尉が「空飛ぶ円盤を捕獲した」と発表するプレスリリースを出す。この発表は世界中に報道され、大きな反響を呼ぶ。同日、フォートワース陸軍航空基地のロジャー・ラメイ准将が、回収された物体は気象観測用気球であると訂正する記者会見を行う。本物の破片を気象観測用気球にすり替えて公開した。
- 1947年7月上旬(事件後数日以内):墜落現場からさらに25マイル離れた場所で、もう1つの墜落地点が発見される。そこではカプセル状の物体、2体の遺体、そして生存者が1体回収される。
- 目撃者たちは軍から沈黙を強要される。KGFLラジオ局のオーナーであるウォルト・ホイットモアと共同オーナーのジャド・ロバーツは、FCCから空飛ぶ円盤の物語を放送すれば24時間以内に免許を剥奪すると警告される。
- ブラゼルは軍に連行され、数日後に「誤解だった、気象観測用気球だった」と証言するように強制される。彼の事務所は荒らされ、関係する書類が持ち去られる。
- 軍事警察のメルビン・ブラウンが救急車の後ろに隠された2体の遺体を目撃する。
- フランク・ランダーマンと彼女の家族は、回収された破片に触れ、奇妙な特性を目撃する。その後、軍人から口止めと脅迫を受ける。
- ビリー・ブラゼル(マック・ブラゼルの息子)が軍の清掃後に残された記憶素材の破片を見つけ、サリー・テトラリニに見せる。後に軍によって回収される。
- 目撃者の中には、基地病院に急行させられたメアリー・ロウをはじめとする複数の看護師が、基地で異様な光景を目にする。
- 軍事写真家のフレデリック・ベンタルは、ワシントンでブリーフィングを受け、ロズウェルに到着。テントの中で、地上の物体を撮影するよう命じられる。
- ウィリアム・クィグリー軍曹は、爆弾ピットの周りで警備任務に就き、テントに隠された物体と、それがB-29爆撃機に積み込まれてフォートワースに運ばれる様子を目撃する。
- フェリックス・マートゥッチ中尉は、フォートワースの滑走路で遺体安置所の職員が木箱を待っているのを目撃する。
- チェスター・バートン中尉は、回収作業に携わった隊員たちが、基地病院で検査を受け、汚染された作業服を焼却するのを目撃する。
- 1947年9月:アルフレッド・リトル准将が「この現象は本物である。空飛ぶ円盤は実在する」という手紙を書く。
- ソ連のヨシフ・スターリンに、ロズウェルで回収された物体がアメリカ製ではなく、差し迫った脅威ではないが、最優先で調査すべきだという科学者たちの報告書が提出される。
- 事件後30年間: ロズウェル事件は公式には「気象観測用気球」として沈黙が保たれる。
- 1960年代初頭: バリー・ゴールドウォーター上院議員がカーチス・ルメイ将軍にロズウェルについて尋ねると、ルメイは激しく拒絶し、再び尋ねれば軍法会議にかけると脅迫する。
- 1970年代後半: 沈黙が破られ、事件の調査が再開される。
- 1990年代中盤: ドン・シュミットがウィリアム・シャトナーと共同でロズウェルに関する講演ツアーを行う。
- 時期不明: 『Witness to Roswell』が出版され、3年間世界で最も売れたUFO本となる。エドガー・ミッチェル博士が序文を執筆。
- 現在(2019年時点の講演時):ロズウェル事件に関する600人以上の目撃者へのインタビューが行われる。
- ロズウェルに博物館が設立され、過去25年間で300万人以上の来館者を集める。
- 5回の考古学的発掘調査が行われる。
- ドン・シュミットはロズウェル事件のさらなる物理的証拠を探すため、12月に地中レーダーによる調査、翌春には本格的なチームでの調査を計画していることを発表する。
- アメリカ海軍と陸軍がUFO/UAP現象の「ゆっくりとした開示」を開始していることが示唆される。