Scott Taylor (Monroe Inst. 元トップ) の講演:臨死体験で見る 3種類の光
前置き
Scott Taylor (Monroe Inst. 元トップ) の講演:文字起こし+和訳
からタイトルの話題に絞る。
FasterWhisper AI(large-v2 model) + DeepL(2024-07 model)
あまり知られていないことですが、光には3つの種類があります。 メディアで紹介されやすいので、一番人気があるのはこの光です。 トンネルの先にある白い光。 僕のCDのジャケットにも描かれているよ。よし、これで行こう。 でも他にも2種類あるんだ、透明と黒。 (0:52:52)
これは『What Dreams May Come』から好きなシーンのひとつ。ロビン・ウィリアムズの後ろ姿です。そしてこれは、透明な光とは何かを完璧に表現していると思います。 (0:53:07)
クリアな光が違うのは、すべてが生きていて、光を放っているからだ。 ここに来るのとは違う。 このように、すべてが光を放射する。 そしてまた、この光には物理的な平面には存在しない色がある。 そして黒い光、紫がかった黒。 これを体験した人々は、シェルターについて話す。 彼らは育成について話す。 そして、私が知っているブラックライトを体験した人は、ほとんどみんなジェスチャーをします。 (0:53:48)
このように腕を組む。 彼らは、とても育まれ、とても抱きしめられ、とても愛されていると話します。 ブラックライトは神の子宮だと。そして、この野原にやってくる。
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動画(1:24:03)
The Relationship Between NDEs and OBEs. Scott Taylor at Monroe Institute
www.youtube.com/watch?v=15k5RVDdd74
コメント
DMT/LSD でも特有の非日常的な光(例のサイケデリックなアレ)が見える。
臨死体験だから非日常的な光が見えるのではない。つまり、「臨死体験に特有の 3種類の光」が別次元なり別世界に実在するわけではない。
幻覚/白昼夢 で見た「まがい物の光」(*1)を、
- 何やら神聖にして不可思議な光だ
と誤認しているだけ。この機序については、以下の記事で詳しく述べた。
Joe McMoneagle : 臨死体験特有のトンネルに手で触れ、詳しく観察した ⇒ この機序を説明する
(*1)
特殊な意識状態(=深い瞑想、OBE, NDE, DMT/LSD 摂取、高等魔術による高度な意識操作の技法…などがもたらす非日常的な意識状態)で見る情景は、とても印象深く、色鮮やかに見える。たとえば、大沼忠弘は次のように表現している。
これは澄んだ、透き通った、実に精妙、繊細な光と色の交錯から成る視覚像で、顔料の色彩や自然光、人工光の色彩とは全く次元を異にしている感じである。一度この光に照らされたら、地上のあらゆる宝玉、絵画、建築の美もこの光景の無骨な模造品でしかないことを悟るだろう。
大沼 忠弘 『実践カバラ―自己探求の旅』人文書院 1988-02、250~264頁
ref: メモ:薬物と神秘体験と光 (+追加) (2016-04-01)
特殊な意識状態で見る情景が色鮮やかなのは、その世界が精妙だからだと言われてきた。精神世界の定説では日常世界は粗雑で、高い意識状態でのみ到達できる世界(アストラル世界の類)は精妙だとされてきた。だがそれは真逆。
最初に DMT や LSD を経験すると誰もがその色と光の鮮やかさに驚愕する。その鮮やかさに比べると日常世界のそれはまるで白黒だ、死んだ色だ、偽物の色だと感じる。この実感自体に嘘はないが、実際のところは、おのぼりさんが物珍しさに眼を眩まされているようなもの。
DMT 摂取で見る情景も Preston Dennett が OBE で感嘆した情景もネオンの如く派手なだけ。本当は日常世界の色の方が遥かに精妙。幼児や精神がまだ幼い人間は派手な色、純色に惹かれるもの。彼らには利休鼠の色の深みが理解できず、派手なネオンのような光や色に惹かれる。サイケデリックな絵画に惹かれているようでは、墨だけで描いた白黒の禅画のもつ深みは理解できない(禅を全否定する私が言うのも何だが…w)。
特殊な意識状態で見る情景が色鮮やかなのは、それが粗雑な造り物だからであって、その世界が精妙だからではない。精神世界の定説は転倒している。
これをわかりやすく音で喩えると…。特殊な意識状態で見る光と色は、純音、つまり歪を全く含まないきれいな正弦波に相当する。純音は歪を全く含まないのでこれ以上の澄んだ音はない。純音は自然界には存在しないし、一般の楽器でも生み出せない。楽器が出すどの音階の音(たとえば A4 のラ音)も、無数の異なった純音成分が含まれている。つまり純音からは程遠い。
だが、純音には人を惹きつける艶も響きも音色も一切が欠けている。人の歌声、バイオリンの絶妙な艶、ピアノの和音の響きこそが「精妙な音」であり、純音は造り物の「死んだ音」でしかない。
これと同じことが色と光でも言える。DMT や LSD で見る光と色は、特殊な意識状態で見る光と色は、純音のもの珍しさでしかない。ど派手なので目を惹き、自然界に無いから物珍しいだけ。
本来であれば、やがてその単調さに飽きる筈だが、特殊な意識状態は永続せず一時の体験でしかないゆえに、慣れることがない。それゆえ、空虚な光と色を精妙な幽玄な世界の実在だと誤解して飽かずに生涯それを追い求め続けることになる。
Butch Witkowski もそうだが、彼らは人生の大半を UFO/超常現象/オカルト の追求と解明に費やしてきた。その謎の正体が何も掴めぬまま、その解明の緒すら掴めぬまま人生を終えることになった。それは彼らにとって、とても心残りなことだが、一方で謎が謎のままであり続けることが彼らの「救い」にもなっている。
ref: 追悼:Butch Witkowski が(心臓疾患で)死去。享年 74 (2022-01-14)
ref: Preston Dennett : OBE 中に亡き母に遭遇、母の案内で精妙な死後の世界を訪問 (2022-02-22)
(2025-01-24)