メインコンテンツまでスキップ

Ray Kosulandich : 遭遇した多種多様の ET のスケッチ → 禅語「山是山水是水」

· 約4分

前置き

Ray Kosulandich が、彼が遭遇した多種多様な ET を描いたスケッチを見せながら語っている。彼のスケッチ・ブックには 32種類の ET がその UFO と共に描かれているが、その一例が下。

20250108_ray.jpg

動画(28:50)

Contactee Since 1959 Part 2 | Ray Kosulandich

www.youtube.com/watch?v=ILhvgWHoRPA

コメント

abductee/contactee をからかったジョークかと思いきや、彼は大真面目。

彼のように現実の出来事と 夢/幻覚 の境目がぼやけて、幻覚 が現実に侵入している(= 幻覚が幻覚に特有の「幻覚感」を喪失し、現実に被ってきている)結果が 未知の存在との遭遇/abduction になったのだろう…そう感じさせる。

その「幻覚感」の喪失が極端になると、OBE や NDE での体験の方が日常的な「現実体験よりもリアルだった」という実感に行き着く。つまり、「幻覚」と「現実」において「リアル感」が逆転し、現実が幻に感じられ、幻覚世界が「真実の世界」だと「悟る」ことになる。

そうやって、自分はようやく「目覚めた」が、他人は皆、眠ったまま人生を過ごしている…そのように「リアルに、まざまざと実感する」ことになる。

まさに、鮮やかな 現実と幻覚 の逆転劇だが、平面の上でパタパタ切り替わっているだけで、奥行きはない。つまり、見えている世界から奥行きの次元が失われ、現実と幻覚が同一平面に並んでしまったために簡単にパタパタ切り替わることになる(*1)。

(*1)

パタパタ切り替わるから、『雲門廣録』(雲門文偃)の

  • 諸和尚子莫妄想。天是天地是地。山是山水是水。僧是僧俗是俗。 (悟りに至らない境地では、山は山、水は水に見える。だが、本来無一物の境地に至れば、一切は無差別平等であり、山は山でなく、水も水でなくなる。更に修行が深まって先の悟りさえも消え去れば、山は山として、水は水として新鮮に蘇ってくる)

のような、ありがちな禅語(=オハナシ)が生まれることになる。

この flip-flop の反転周期がどんどん短くなり、高い周波数でパタパタ切り替わった結果(=発振状態)が、下の過去記事の状況なのかも?

❑ 大悟した禅匠が観る「事事無礙法界の風光」の正体は、制御された意識障害の副産物だ(途中 3) (2023-05-31)

(2025-01-08)