Fermi paradox 関連:「人類は宇宙では平凡な存在」かつ「人類は宇宙の中で独りぼっち」 は無矛盾で両立する
前置き
UFO 絡みの Youtube 動画を見ていると "We are not alone."(私たちは宇宙で独りではない)という文言が頻繁に語られている(例: C2C の George Noory のキャッチ・フレーズ)。そして、現代人は皆、"We are not alone." と確信している、少なくとも先進国では。
だが、
- "We are alone." 「我々人類には宇宙の中には同類がいない」(=全宇宙をくまなく探しても人類のような知的生物は存在しない)
と
- 「人類は宇宙の中では平凡な存在である」
は論理的に無矛盾で両立することに気付いた。この事にたぶん誰も気づいていない気がする(Stanislaw Lem (*1)を除いて)。
履歴
(2024-09-11) 書式変換(FC2Blog → markdown)。ついでに改題。
(2024-05-26) 作成。❏ 「人類は宇宙では平凡な存在」かつ "We are alone." が両立する
簡潔な説明
(i) 宇宙における人類の評価値(知能レベル、技術レベル、精神レベル、生物学的特性の諸元など)を(あたかも生成 AI の LLM のパラメータのように )高次元ベクトル空間(LLM の場合は数十億から数千億次元の空間)にプロットする。ET のような他の知的生物もプロットする。
(ii) すると高次元ベクトル空間上に、人類を含め他の知的生物はある程度離れて散在する。人類と他の ET との距離は平均的だとする(= 2.「人類は宇宙の中では平凡な存在である」)。
(iii) 人類の認知機能の上限により、人類が自分たちの同類と見なしうる高次元ベクトル空間での距離が、先の平均距離よりも小さい可能性がある(= 1.「我々人類には宇宙の中には同類がいない」)。
この ii と iii の仮定は論理的に無矛盾で両立しうる。
蛇足
あくまで評価値を高次元ベクトル空間にプロットした時の距離であって、物理的距離(例:10万光年とか)ではない。
人類が観測可能な宇宙の最果て(= 460億光年先)にグレイや爬虫類型 ET がいれば、それは先の高次元ベクトル空間では人類のすぐ近傍にプロットされる。
「ソラリスの海」(*2)のような知的存在も、先のグレイよりは若干、距離は離れるがそれでも人類の近傍(=人類が同類と見なしうるギリギリの範囲内)にプロットされる。
要するに…。
- 人類の認知機能には人類という種に固有の上限があり、
- その上限を宇宙の多様性は遥かに上回っている
という可能性があるということ。少なくとも論理的には矛盾なく成立する。