Roswell 関係者の証言を集めた動画: 文字起こし+和訳
前置き
自身ではなく、身内が Roswell 事件の関係者だったという証言者が多い。実際の破片の目撃証言は 33:00 あたり(*1)。 文字起こし+和訳 を付けた。
(*1)
本物の UFO の破片ならば、以下のような雑な運び方は、まずあり得ないのではないか。周囲でそれを見ている人間がいるのに、最重要の機密の品を覆わずに、丸裸のまま手持ちで運ぶだろうか?
そうして私は、彼らがある金属片を運んでいるのを見た。他の人に説明したように、尋ねると、彼らは、ああ、18-24インチか、コーヒーテーブルの上のサイズと言いたい。色はブラッシュドステンレススチール。反対側の面は、どちらかというとくすんでいて、大きな反射力はない。 (0:33:15)
Iビームにマーキングがされていたとか、そういう話を何度も聞いたことがある。 (0:33:34)
でも、それは、ここにあって、そこにあって、あっという間に、私が見ることができたのはそれだけだった。
動画(1:32:10)
Roswell Reunion: Number 1, 07/11/1990 - 07/12/1990
www.youtube.com/watch?v=1j91poAeF7I
動画概要欄
41,600 views 2010/01/07
1990 ARC Identifier 2789136 / Local Identifier 341-ROSWELL-18. This video recording contains interviews with Robert Shirkey, Walt Haut, and others concerning the Unidentified Flying Object (UFO) crashes at Roswell, New Mexico, in 1947. Department of Defense. Department of the Air Force. Office of the Secretary. Office of the Administrative Assistant. Office of the Deputy for Security and Special Investigative Programs. Research Declassification Team. (1987 - ) Made possible by a donation from Joanmarie Diggs
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ああ、そうだね。リッチモンドの東、バラード空港の近くだね。ええ、リッチモンドはレイ・メイが住んでいたところ、あるいは上院だったと思います。ええ、バージニア州のリッチモンドです。そうだ よし スピードは? ああ よし フィリス... 1947年の 夏頃について教えて下さい お父さんに会いに ロズウェルに行った時です お父様はロズウェルで何を? (0:00:28)
父はチャンセラー郡の保安官で、裁判所の中に住んでいました。 拘置所と保安官の宿舎は同じ建物にありました。 階下に事務所があって、2部屋あった。 牢屋は2階にあり、囚人はオフィスに連れて行かれ、階段を上って牢屋に行きました。
(0:01:11)
いいえ、一緒に住んでいたわけではありません。遊びに行っていました。 夫も私も、第二次世界大戦後はニューメキシコ州のラスベガスで学生をしていました。戦前に始めた学位取得のためです。 私たちの教育は第二次世界大戦によって中断されていたので、私たちは戻ったのです。 でも私には幼い息子がいて、母と一緒にいるのが好きだったから、あまり行かないこともあった。 (0:01:56)
そして私が学校に行くのが忙しかったら、私たちは小さなビジネスを経営していて、そこで働いていました。 だから彼はそこにいて、たぶんしばらくそこにいたんだと思う。 その時点で私が実際に学校に通っていたのか、それともしばらく滞在していただけなのかはわかりません。 それで、7月のある日、お父さんをオフィスに訪ねてきたんですね? (0:02:25)
そうです。新聞を読んでいて...保安官のポーチから彼のオフィスに入ることができたんです。 新聞にはこんなことが書いてあった。 新聞の内容は覚えてる? 見出しと空飛ぶ円盤について。 その前に彼から聞いたかどうかは覚えていない。
(0:03:05)
そして私はそのことについて彼に話をしに行った。 そ して時々オフィスに行って、そのことを彼に話した。 そして彼は電話を受けまくっていた...。彼はキッチンに来て、一晩中電話で起きていて、イギリスのロンドンと話したばかりだと話していたのを覚えている。まあ、距離も時代も違うから、今のようにファックスで何かを送ったり、遠距離で送ったりするのとは違うんだけど...。当時は世界はもっと広かった (0:03:42)
そうだね。 そして、当時の世界についてもうひとつ。 世界大戦では...まだ私たちが... 第二次世界大戦では、まだ明らかになっていないことばかりだった。アメリカでは、爆撃は受けなかったけど、洗濯機も作られなかった。洗濯機も新車も何も作らなかった。乾燥機も... 軍事や兵器、そういったものに時間を費やしていたからだ。 (0:04:22)
だから何もなかった。だから車を買うのにしばらく待たされたし、洗濯機を買うのにもしばらく待たされた。 (0:04:28)
それで、あなたはこの空飛ぶ円盤事件について新聞で読んで、それについてお父さんに話を聞きに行ったんですね。 お父さんに聞いたんです。彼は何て? これは本当だと思う? すると彼は、もしそれが重要なことでなかったら、なぜラズルがわざわざここに来てそんなものを持ってきたのかわからない、と言ったんだ。 (0:04:52)
そして、彼は...彼は...彼は...彼が重要だと思う何かでなければならなかったと。 副保安官を送り込んで、そのことを確認させたんだ。 それで彼は...ほら、元々は本当だと思ったんだろうけど、何の情報も持っていなかったんだ。 副保安官を派遣して、もっと情報を得ようとしたんだ。 でも彼が最初にしたのは空港に電話することだった。 (0:05:28)
それで私は、なぜ空港に電話したんですか? と聞くと、彼は、ラズールで飛行士がトラブルに見舞われた場合、飛行機やフライトに関して何か問題があった場合、すぐに空港に連絡するという契約を結んでいるからだ、と言った。 私たちの刑務所には部屋がない。 だから、憲兵が到着するまで彼らを拘束したんだ。 フライトも同じで、彼はこれが空港と関係がある、あるいはそれが彼らの仕事だと感じていた。 (0:06:02)
彼はそれが彼らの大きなやり方だと感じていた。 何が起きたんだ?保安官代理を出動させたと言ったのか? そして保安官代理を送り出した。 そして... 副保安官を送り出したんだと思う。 彼らが見たのは、牧草地が黒く染まった広大なエリアだった。 そして暗くなったので戻ってきた。 そして彼らが戻ってきたとき、彼は翌日まで待たなければならなかった。 (0:06:50)
そして彼らが再び戻った時、軍はそこを封鎖していた。 そして中に入れてくれなかった。 陸軍の話だけど、当時は陸軍と呼ばれていたんだ。 ブラゼルは彼らに行き方を教えたと思う。 でも、彼らは...ブラゼルとコロナの間には長い距離があるんだ。誰かを派遣して広い牧場を探させたり、何かを探させたりはできない。 (0:07:29)
保安官代理は陸軍航空隊に追い返された? そうです。その翌日だったと思いますが、陸軍航空隊が全員オフィスにやってきて、私の姉がやってきたんです。 お父さんのオフィスに着いてからは? 私たちが来たんです。私たちには小さな子供がいました。 私たちが到着したとき、ジープと空軍の人たちがいることに気づきました。 (0:08:14)
そしてもちろん、私は小さな子供を連れてすぐに中に入りました。 そして夫のジェイがオフィスに行って、私の父に言ったんです。 空飛ぶ円盤があると言って、ある物を持ってきた人がいるんです。 (0:08:32)
そして、それが何なのかわからないと言った。 そして、我々はそれを調査していると言った。 彼は言った、それは何ですか? と聞くと、「草が焼けたようだった。 焼けた草みたいだった。 夫はキッチンに戻ってきた。 母は囚人たちの食事の準備をしていました。 私たちは台所にいた。 そして、私たちはもうそれについて話し合うことも何もしませんでした。 (0:09:01)
そして年月が経つにつれて、母は言うのです、ああ、ロズウェルで空飛ぶ円盤があった時のことを覚えている? 新聞が出ていたのよ。 私は片道20マイルも郵便物を取りに行ったのよ。 電話もなかった。 電気もなかった。 田舎だったから。 だから、町に戻るまで、もう1週間はかかったよ。 (0:09:35)
そしてあまり特別なことは何も知らなかった。 一晩中いたわけじゃないからね。 一晩中いたわけじゃないから。 夜には家に帰らなければならない牛乳があったから。 だからフィリスほど詳しくはなかった。彼女は一晩中そこにいたからね。 彼女はラスベガスの学校に通っていたから。でも年月が経つにつれて、母はいつもこう言うようになった。空飛ぶ円盤が何だったのか、今日に至るまでわからない。 (0:10:13)
夫のウィルコックスさんには、彼女が一言もしゃべるなと言うだろうと言われましたから。 だから彼は何も言いませんでした。彼はとても冷静でした。 何も言わなかったんです。 誰が何も言うなと言ったんですか? 空軍だよ。 空軍が来て、その破片を拾ったとき、あるいは彼らが何をしたにせよ、彼女は彼を推薦したと言ったんだ。 彼女が書いた小さな記事にはそう書いてあった。 (0:10:38)
そして私はそれを持っていた。 彼女はたくさん記事を書いていたから。 彼女は郡拘置所での4年間について記事を書いた。 まあ、彼らは郡拘置所にはいなかったんだけど、彼女はそう言ったんだ。 郡拘置所での4年間。 しかし、彼らは刑務所で働く人間としてそこにいた。 その記事の一番後ろのページに、空飛ぶ円盤がニューメキシコのワズウェルにあった日と書いてある。その日付が何だったか覚えていますか? (0:11:10)
さて、その日付は新聞には載っていなかった。 それが覚えていない理由です。彼女はこの記事の外側に、1980年にこの記事をリーダーズ・ダイジェストに送ったと書いてあった。ほら、彼女はそれをタイプしていた。 彼女はタイプライターの束を持っていた。 でも受け取ってもらえなかった。 それは外側に書かれていた。 彼女はまた、その記事を持っていったのか、ワズウェルの歴史協会に話したのかはわかりませんが、こうも言っていました。1980年、ニューメキシコ州ワズウェルのワズウェル歴史協会と書いてあった。だから、彼女はその記事を歴史協会に持ち込んだのかもしれない。私にはわかりません。 (0:11:59)
お父さんは、マック・ブラジルが持ち込んだこの資料がどんなものだったか、あなた方に説明しましたか? (0:12:05)
私には言っていません。 彼は、ガラクタのようなものを持ってきたと言っていました。 それが何かは知らな い。 それが彼の言葉について私ができる精一杯のことです。 ただ、それだけだ 空軍の警告についてもね。 また、母がそこに書いていた、これは本当の本当の話なんだ。 母もその話をしたことがある。 墜落があったこと、死体があったことを、家族のいろいろな人に話していたと思います。 (0:12:50)
でも彼らはそれについて何も言えなかった。 彼女は私の娘に言いました。 彼女はみんなに話した。 そのことで、たぶん彼女と一度だけ会話をしたと思うのですが、私はできませんでした。 でも、彼女は死体について話したのですか? ええ。死体が回収されたと聞いたと? ええ マック・ブラジルのことは?この間、彼に何があったのですか? 空軍に 連れて行かれました (0:13:23)
そして彼は本当に保安官事務所に戻ってきませんでした。 そして資料はそこに残され、空軍がそれを拾って持ち去った。 それで終わりでした。 父はこう言った。 彼は、私は何も情報を持っていない、と言った。彼らに伝えなければならない。
(0:13:50)
本当に知らないんだ。見てないし。 私はそこに入らなければならなかったし、空軍がそれを扱っている。 空軍に電話をかけているんだ。そうだね。 彼らは出なかったと思う。 彼は、あちこちから、イギリスから電話があったと言っていた。想像してみてください、彼女はこの記事に書いています。 私たちが町に着いたその朝、電話がかかってきた場所の名前です。 (0:14:21)
そしてそれはとてもエキサイティングで、少しその辺を駆け回った。 でもオフィスには入らなかった。 母と一緒に台所にいました。そして母から父の言葉を聞いた。 でも母は、父は一言もしゃべるなと言った。 母も何年も何年も何も言わなかった。 そう、電話で。 (0:14:43)
そう、何年も。 1951年以降、彼女はこの記事を書かなければならなかった。だから、彼女がこの記事を書いたのは1951年以降ということになる。 しかし、日付も証拠もない。 私も50年代後半だと思います。 (0:15:17)
それは私たちが推測して話していた通りです。 50年代後半か40年代後半か? これは37年の出来事だ。彼らは49年まで保安官事務所にいた。そうかもしれない 何年か足して... 記事のタイトルは郡拘置所に4年というものですから、彼らはそれを持っていたはずです。 (0:15:43)
つまり、あなたの唯一の疑問は、あなたの母親が記事を書いたのはいつなのか、ということであって、この事件が起きたのはいつなのか、ということではないのですね? (0:15:47)
まあ、それはわかっています。 50年代だと思います。50年代だと思います。父は保安官事務所を辞めた直後に 重い病気になったんです。 彼女は父を助けるために、最高の医者や世界中のあらゆるものを探して回っていました。 とても忙しかった。 仕事を辞めたばかりで、仕事も何も始めていなかった。 (0:16:12)
そして彼には仕事がなかった。 それで彼女はロズウェルの不動産屋になった。そして彼女は仕事をした。 それで父の妻が... 58年に? いや、60年だ。決めたのは... この間は62年だと思った。 ええ、私たちはそれにかなり近いです。 マック・ブラゼルが陸軍航空隊に拘束されたことについて、皆さんはどう思われましたか? (0:16:42)
聞いてないぞ フィリス? いつ聞いたかわからないわ。 彼 が陸軍航空隊に拘束されたのは知っている。彼が外にいたことも知っている。 でも、結局のところ、私たちはここでこのようなことを経験したばかりだった。 それに、私たちは以前にもインタビューを受けていた。 それに、ロズウェル事件やMJ-12も読んでいたし、スタン・フリードマンの話も聞いていた。 なるほど、たくさんのことを学んだわけですね。 (0:17:09)
だから私は...そう、この2年間。 このエージェントの話を聞いたとき、あなたが何を知っているのか、いつ知ったのか、絶対に間違いないと思った。 これは本当です。 私は本を読んだ後、後まで私はブラゼルについて何を知っていたのかわからない... 父と話したとき、父は、なぜブラゼルがそんなものを持ち込んだのかわからない、と言った。 彼はブラゼルを信頼していたようだ。おそらく彼は... ニューメキシコの牧場から、わざわざ誰かに伝えに来たんだ。 (0:17:55)
その時、私はそんな印象を受けたと思う。 確かにそうだった。 でも...ブラゼルの抑留について他に知っていることは、私にはわかりません。 あなたのお父さんは 気球が何だったか知っていましたか? ああ、そうだと思う。 ええ、私たちは牧場でそれらをすべて発見した。 小さな四角い箱で、風船が膨らんで、それを拾うんだ。 (0:18:26)
いくつもあったよ。 気球を空軍に送り返せる場所もあって、今はそうしている。 あなたが知っている限りでは、これは気象観測用の気球ではなかったのですか? いや、そうではないと思う。 彼らはあれは... いいえ、そうは思いません。 円盤の一部とか、金属片とか、何であれ。 (0:18:45)
彼らはその金属をあ のオフィス、あそこにある小さなオフィスに置いていましたが、ドアは閉まっていました。 誰もそこには入らなかった。鍵がかかっていた。 空軍がそれを拾って持って行ったんです。
(0:18:56)
そう、そしてそれを取り上げて、これ以上このことについて何も言うな、と言ったんだ。 彼らはそれを拾ったとき、そこで少し会議をしました。 彼らはジープを全部持っていた。たぶん3人くらいいたんじゃないかな。 でも、私は彼らを見なかった。誰だかわからない。 知らなかったんだ。 見たんですか? いや、見なかった。ただ、軍隊の、ほら、ジープが前に走ってくるのを見ただけだ。 (0:19:20)
もし何か持っていたら、ジープがオープンになっていて、暑い時期だった。 私が知っているのはそれだけです。 それ以外には、忙しくない時以外はそこに入らなかった。 私はそこに入らなかった。 自分の仕事以外のことは、立って聞いていた。 夫は男だから、いつもそこに行っては見逃していた。 (0:19:42)
そう、彼はそこには入らなかった。 私もそうだった。 でも私は、彼が1人でいるときか、本当にどこかに行く必要があるときだけ行ったわ。 オフィスの資料持ち出しに関わった軍人の名前を、お父さんが挙げたことはありますか? いいえ、私にも言っていません。 空軍がこれは気象観測気球だと言った後、通話に関してはどうなりましたか? (0:20:05)
空軍が気象観測用気球だと言って、気象観測用気球になったんだ。 そうだね。みんなそれを受け入れた。 その通り。 その通りだ。 彼らは知っていたかもしれない。 そして、これはおかしいと思ったのをはっきりと覚 えている。 こんなの信じられない。 自分の生活で忙しいのに。 夢にも思わなかったし、こんなことを調査しようなんて考えもしなかった。 (0:20:37)
お母さんは納得していなかったようですね。 いいえ、そうではありませんでした。 いや、彼女は知っていたと思う。 とても、とても素晴らしかった。 父にはなかった責任感で、囚人や副保安官、刑務所やその他もろもろのことをすべて任されていました。 それで彼女は本当に興味を持ち始めた。 でも彼女は、父からその話を聞いて、できる限りそのままにしておいたそうです。 (0:21:02)
そして、私たちの子供たちには孫になるのだから、話してもいいだろうと思ったそうです。 それで、彼女は子供たちに話して、ある種の告白をしたんだ。 でも、彼らが何も言うなと言ったら、あなたは何も言えない。 あなたは軍人の町に住んでいる。 ロス・ホートンにとってはとても重要なことだった。そして、彼らは世間の注目を浴びていた。 あなたは物事に適合する。刑務所に入れられたり、そうなるわけじゃない。 (0:21:31)
でもそれは自然の摂理なんだ。 誰かに何かをするなと言われて、はい、やりますと答える。 国のためにできることをする。 それが重要だと思ったんだ。 そして多くの人が、空軍は実験をしていると感じていた。 (0:21:46)
これは何か新しい実験をしているのだと。 その新しい実験が何なのかを話してしまったら、彼らの新しい実験にとって害になるだろうと。 他の国がその計画を手に入れるかもしれない、とかね。 だから、もし彼らがいろいろな実験をしているのなら、その可能性はあると思ったんだと 思う。 みんな愛国心が強かったからね。みんな自分の仕事をしていた。 (0:22:17)
そして戦争は戦争だから、彼らは何も言わなかった。 戦争は戦争なんだから。 私たちの夫は2人とも戦地で軍務に就いていました。 お二人ともロズウェル近郊にお住まいですね。 ええ、そうです。 43年経った今、ロズウェルのコミュニティーの感覚はどうですか? まったく違います。多くの人に聞かれるよ。 (0:22:47)
友人の何人かがロミュランを買ってくれました。何人かの人に呼び止められ、質問されたよ。 カリフォルニアに住んでいる女性の2人の息子もいる。彼らはとても興味を持ってくれている。 彼らが母親に会いに来るとき、私は時々彼らに会う。 そのうちの一人が、自分たちが見つけた似たような材料を作っていると思ったと言っていました。 (0:23:31)
それをほぼ複製して、市場に出そうな気がする。 というような話をする。 そして彼らはそれを信じている。母親は当時基地で働いていました。 そして彼女は、私はそれを信じていると言うんです。 何を信じるって? 空飛ぶ円盤があったと。 彼女はそれを空飛ぶ円盤と呼び、それについて書いた。 それがこの女性の仕事です。 (0:24:01)
ちょっと年配の女性です。 でも彼女は言った、私はそれを信じると。 彼女は当時基地で働いていました。 私の心には懐かしい人です。 そして彼女はロズウェルの保養所に住んでいる。でも、彼女には夢がある。 ロズウェルのコミュニティで世論調査をしたら、どう思う?
(0:24:24)
その世論調査の結果はどうなると思いますか? 少なくとも半数以上はそうだと思う。 でも今は、それ も昔の人たちだ。 そして、そこには新しい人たちがたくさん流入してきている。 1947年のロズウェルの話をするとき、リズと私は15,000人くらいだったと思う。 今は40~50人。彼らは空軍から戻ってきて、そこで引退した。 (0:24:51)
彼らはとても気に入っていたよ。 ドイツに行ってコーンズに移り、ロズウェルに戻って引退した友人もいました。 たくさんの人が引退した。 彼らは私たちのような原住民ではありません。 だから今、そこに住んでいる大多数について話すなら、その人たちを考慮に入れなければならない。 でも当時そこに住んでいた人たちは (0:25:12)
よし、そうしよう。 彼らの大半を? 60歳だと思う。私がここに着いた時、ここに引っ越してきた娘がいる友人がいた。 それで彼女に電話をしたんだ。 アリス、私はここにいるよ。 彼女は、ここで何をしてるの? と聞かれたので、UFOか空飛ぶ円盤の大会みたいなものに来たんだ、と答えました。 (0:25:39)
ロズウェルの何かでした。すると彼女は、ああ、そうだ、そのことは覚えていると言った。 彼女には会っていない。 彼女はサウジアラビアにいた。スウェーデンにも行った。スウェーデンにも行った。 彼女は石油関係の仕事をしていた。 ここに引っ越してきたんだ。 それで、彼女に電話してみようと言ったんだ。 それで彼女にそう言ったんだ。 彼女はそのことは聞いていた。 (0:26:01)
母親から聞いたんだろう。 彼女はたぶん40代だから。だから彼女は、母親がロズウェル上空の空飛ぶ円盤のことを話さなければならない人になる。彼らは私から20マイルほど離れたところに住んでいました。 でもご近所さ んだよ。 それくらい近いんだ。 まあ、あなたたちが船旅をするのは知っている。 これ以上引き留めるつもりはない。 (0:26:23)
お願いがあるんだけど、これを読んでサインしてくれないかな? ええ、感謝します。 でも、それから質問してください。 その通りです。では、さっそく始めましょう。 1947年に何をしてた?どうだい? いいよ。心配しないで。 わかった。何か紹介はありますか? いいえ。紹介は一切ありません。 (0:27:01)
テープを回しているところです。 1947年、あなたは何をしていましたか?1947年、私はロズウェルの空軍基地にいました。軍にいました。 当時は中尉でした。 私の任務は3つあった。 興味深いことに、私は飛行安全将校補佐、基地作戦将校補佐、そして群作戦将校補佐だった。 (0:27:36)
そのグループは第509爆撃群でした。私が働いていたビルの関係で、今話した3つのオフィスはすべて同じビルに入っていた。 そして一時期、私は行ったり来たりしていたようだ。 当時、私は主にグループのオペレーションを担当していました。 そしてある日、B-29をできるだけ早く出発できるように手配してくれという連絡が入った。 (0:28:13)
そしてもちろん、誰かがどこに行くのかと尋ねた。 私は、乗組員を乗せて飛行機を待機させ、フォート・ワースへ行くと答えた。それがブランチャード大佐の指示だった。 だから私は作戦室にいた。 説明しておくと、建物はH型をしている。 Hの縦長の部分は、両側に廊下が2本ずつあったところなんだ。 (0:28:49)
しかし右側の廊下は、正面の駐車場からまっすぐ建物を通り抜け、飛行機のタラップまで続いていた。 (0:28:58)
Hの十字の半分が作戦室で、基地パイロットが入ってきて、飛行計画を記入し、片側に寄って天候のブリーフィングを受け、飛行士への通達を読み、すべての資料を準備した。 そしてフライトクリアランスを取り、管制塔に提出し、何かが起こりそうだということを知らせ、航空管制などに伝えた。 (0:29:34)
昨夜、あるいは昨日の午後に説明したように、ある点をはっきりさせようとしているのだが、各飛行隊は独自のオペレーションも設定しており、基地オペレーションを通さずに航空機を放出することができた。 離陸する飛行機が何機あるかは知らせてくれるが、航空管制や管制塔との取り決めなどはすべて済んでいた。 (0:30:07)
とにかく、私はその作戦室にいた。ブランチャード大佐が車でやってきて、「飛行機の準備はできているか?と聞いてきた。私ともう一人、もう死んでしまったが、「はい、準備はできています」と答えた。 そう言うと、彼は振り返って外に出て廊下に戻り、屋外でまだ自動車に座っている何人かに手を振った。 (0:30:37)
今思い出そうとすると、4人か5人か6人だったと思うが、5人ということにしておこう。 そしてその人たちは、当時墜落した空飛ぶ円盤の部品を運んでいた人たちで、今日のUFOです。 (0:31:17)
そしてそれはとても短く、あっという間でした。ブランチャード大佐は、彼らの邪魔にならないように、作戦室の出入り口まで下がってきていました。私は大佐に近づき、大佐、横を向いてください、私も見たいです、と言いました。 大佐、横を向いてください。私も見たいんです。たぶん、私が彼にそう言わずに、私がそこにいることを明白にしていたら、2週間後に配属されることはなかったでしょう。 (0:31:43)
あなたの要求に対する彼の即座の反応は? ブランチャード大佐を知っている人なら、彼が三ツ星大将になり、副参謀長になったとき、彼はとても威厳のある存在で、優秀な将校であり、真のリーダーだった。 彼が何かが欲しいと言えば、人々はイエス・サーと答えた。 (0:32: (0:32: 11)
それで彼は振り返って私を見た。彼は横を向いたので、私は半歩出入り口に入って、彼らが通り抜けるのを見ることができた。そうして私は、彼らがある金属片を運んでいるのを見た。他の人に説明したように、尋ねると、彼らは、ああ、18-24インチか、コーヒーテーブルの上のサイズと言いたい。色はブラッシュドステンレススチール。反対側の面は、どちらかというとくすんでいて、大きな反射力はない。 (0:33:15)
Iビームにマーキングがされていたとか、そういう話を何度も聞いたことがある。 (0:33:34)
でも、それは、ここにあって、そこにあって、あっという間に、私が見ることができたのはそれだけだった。 彼らは飛行機に乗ってフォートワースへ行き、マーシャル少佐ももちろん一緒に行った。 作戦のセットアップについては申し上げた。どの飛行機がどこに行くのかについて混乱があったことは、議論の中で明らかになっていた。 最初のインタビューのひとつで、B-29について聞かれたので、ああ、B-25もありましたよと答えたんだ。 (0:34:20)
さて、その数日後、私たちは何かをするためにB-25をセットアップし、何かをフォートワースに運ぶ機会がありました。これはパピー・ヘンダーソンがパイロットだっ たB-29で、彼はオハイオ州デイトンのライト・パターソン飛行場まで飛んだ。ロズウェルから直接だ。途中降機なし。その答えを知っているわけではありませんが、時間的な要素に話を戻すと、先日、マーシャル少佐が墜落現場まで出かけて行って、この資料を拾い、基地に持ち込んで大佐に見せ、そして飛び立ったという印象をみんなが持っていると感じました。 (0:35:16)
そして同時に、ウォルター・ハントはこの新聞発表、広報発表を行い、12時間以内にすべてつぶされた。 殺された。そして私は、誰もがあのフライトですべてが終わったと思っていることを知った。 フォートワースへ行き、ライトパターソンへ向かったと。
(0:35:57)
夕食に招いた夫婦がいて、彼が葬儀屋で引退していることは知っていた。 その40周年記念日に、ロズウェルの地元紙が空飛ぶ円盤の話と写真、あるいはスケッチを掲載したんだ。 発見されたというエイリアンの遺体だ。
廊下を歩いて玄関に向かう途中、その男が私のほうを向いて言った。「昨日の新聞を見たか?ええ、見ましたよ。 そして衝撃の第一声は、「これが彼らの姿なんだ」というものだった。 その後、彼はスタントン・フリードマンにインタビューを受けた。彼は当直の葬儀屋で、空軍基地から子供サイズの棺と遺体袋を求める電話を受けた。 (0:37:12)
その夜。 あるいは、最初の飛行機が飛び立った翌日の夜。 その人物は霊安室で救急車を運転していたのだが、それが空軍に提供するサービスであった。 それから24時間後の夜だった。 そして彼は、ガールフレンドに会ってくるよ、と言った。 (0:37:58)
そして偶然にも、遺体を 扱った看護婦が彼のガールフレンドだった。 (0:38:03)
二人は結婚まで考えていた。 彼女の姓は覚えていない。ファーストネームはナオミだった。彼は彼女の研究室に入ったが、すぐに航空警察に止められた。 そして外に連れ出された。 彼が外に連れ出される前に、彼女は顔を上げて言った。 彼は、どこに行くの?ガールフレンドのクラークソン中尉に会いに行くんだ。彼らは彼を連れ出した。 (0:38:50)
その後、彼らは会ったと彼は言った。彼女は処方箋パッドにエイリアンの姿をスケッチした。 彼はそのスケッチを霊安室に持ち帰り、机の引き出しのファイルに入れた。 彼は自分が担当した仕事に関する一連のファイルを持っていた。 彼らが保管していたすべての記録だ。 彼はたくさんの棺を届けたり、たくさんの飛行士を乗せて病院に連れて行ったりした。 (0:39:21)
スタントン・フリードマンはこの人物にインタビューし、霊安室が現在も維持しているファイル・ビルに行く手配をした。 そして、彼がそこで働いていた数年間、机の中にあったすべてのファイル、マニラフォルダーなどを見つけた。 ただし、スケッチと備考が入ったファイルだけは別だった。 それはテキサスで拾われたものだった。誰によってかはわからない。 (0:39:59)
しかし、ここでもまた秘密のベールは下ろされた。 この事件が起きた後、すぐに出向したと言いましたね? そうです。昨日、この点をはっきりさせるために人々に説明したように、私はもちろん、衛兵の軍曹が何人かの飛行士を連れて出動し、現場を包囲し、その地域を掃討して、ありとあらゆるものを拾い集めたということを知りま した。 (0:40:37)
遺体は運び込まれ、すべてが84号格納庫に並べられた。その後、彼らはどうなったのですか? まあ、私が仲間に話していたように、空軍はシステムを確立していた...通常の活動にはすべて基地作戦室があり、気象台を管理し、墜落装置を管理し、管制塔の運用を管理し、その近辺を監督・管理していた。 (0:41:12)
各飛行隊には独自の連絡先と業務があり、独自の訓練飛行を設定し、航空管制官との連絡を確立し、管制塔に明日の午前10時に離陸することを伝えることができた。 そして彼らが基地に提供したのは、明日出発する12機の飛行機が、例えば15時間のミッションに出たかもしれないという事実だけだった。 (0:41:45)
グループの作戦と基地の作戦を代表するという観点から言えば、我々が知る必要があったのはそれだけだ。 そして、ある飛行隊が、これは今から3日後、4日後のことだが、訓練飛行を発表し、彼らの航空機はすべて、仮に今朝、規定された順序などで離陸した。 そのうちの1機はパピー・ヘンダーソンが操縦し、84格納庫からすべての資材を積んでライト・パレスに向かった。遺体も? (0:42:24)
そう、私の友人が霊安室から提供した棺の中に入っていた。 (0:42:31)
あなたは棺や遺体を見ましたか? いいえ、見ていません。そのフライトで運ばれたと どうしてわかるんです? その便に乗ったからだ なぜわかる?パピー・ヘンダーソンが運んだと聞いたからです。 彼は格納庫でこの資料を見て、自分の飛行機に積まれているのを見た。 いずれにせよ、彼が誰かに何かを話すのは何年も前のことだ。 (0:43:02)
つまり、私が伝えようとしているの は、その最初の飛行機ではすべてが出なかったということだ。 そして次のフライトがいつ行ったのか、今日私たちは知ることができない。それを結びつける方法がない。 彼がいつ現地に到着したかはわかっている。 しかし、それは重要なことではない。 (0:43:36)
重要なのは、秘密のベールが剥がされ、ブランチャード大佐が報告を受け、一日後に彼のスタッフに報告した時点で、公式のストーリーは、これは気象観測気球であり、それだけだということだ。それ以上何も言う必要はない。 私は、誤解とまでは言わないが、2人組の調査報道記者の理解不足にぶつかった。彼らは私に誘導尋問のような質問をしたので、私は振り返って、あなたを見ているように彼らを見て、あなたは何歳ですかと言った。彼らはかなり驚いていたよ。
(0:44:13)
彼は朝鮮戦争の頃、1952年、1951年、1953年に生まれた。 と私は言った。あなたの戦争に関する知識は、ベトナム情勢とその混乱、そしてあの戦争に対する人々の支持のなさ、そしてワシントン当局の混乱した運営方法に限られていますね」と私は言った。 (0:44:51)
、私は言った。軍事作戦の歴史の中で、国家の首都が後退して、明日どれだけ爆弾を落とせるか、どれだけ砲弾を撃てるかを国民に指示したことは一度もなかった。 こんな馬鹿げた作戦のやり方はない。 しかし... ウォルター・ホークと私は空軍基地で知り合い、1年半後、2年後、民間人として町で1年間オフィスを共にした。彼は自分の小さな仕事をし、私は自分の小さな仕事をした。 (0:45:39)
そしてオフィスをシェアすることで経費を削減した。 彼はウォルターに、そして私にも、 「どうして君たちはお互いに話をしないんだ? そしてウォルターは、私は私の知っていることを知っているし、彼は彼の知っていることを知っている。 じゃあ、どうしてお互いに話さなかったんだ?それが私が彼に年齢を尋ねた理由だ。 (0:46:08)
彼は第二次世界大戦だと言った。体験していないと、理解するのはとても難しい。 でも私は言ったんです。誰かが現れて、国の鼻をひっぱたいて、私たちは反撃した。 新聞や雑誌、ラジオで、口は災いの元と同じようなことを言ったんだ。 (0:46:33)
何も話すな。なぜなら誰かがその情報を手に入れ、あなたの不利益になるように利用しようとしているからです。 私は、大学のキャンパスは地雷原と書かれた標識を使ってはいけないと言った。 芝生に近づくなというより、ここを歩くなと言った方がいい。 新しく種を蒔いた場所にはロープが張られ、地雷原と書かれていた。ここには足を踏み入れるな。 その結果、国全体がある意味、洗脳されてしまったのです。 (0:47:13)
誰もが第二次世界大戦に関心を持っていました。海岸線ではみんな窓やドアに遮光カーテンをつけていたことをご存知でしたか? 誰かが玄関のベルを鳴らすと、ドアを開ける前に明かりを消すんだよ。 私は、これはフロリダやメキシコ湾周辺の東海岸全体に言えることだと言った。理論的には、敵に我々の都市がどこにあるのか知られてはいけないということだ。 (0:47:46)
もちろん、彼らは日中そこに座って眺めることができる。 ニュージャージーの人々は海を眺め、魚雷で爆破されるタンカーを見ることができた。 このようなことがすぐそこで起こっていた。 これが私たちのやり方だった。 何も話すなと言われた。 軍隊にいれば、それはさらに強調された。 (0:48:12)
その結果、ウォルターは自分のことを知っていたし、私は自分のことを知っていた。 ここに招待されるまで、ロズウェル事件についてお互いに話したことはなかった。 そして突然、私たち2人は... どう思う? お互いに知っていることを説明しなければならないと思ったんだと思う。 何が起きたと思う?
(0:48:45)
私たちにはまったくなじみのないタイプの機体が問題を起こし、バラバラになって砂漠地帯に墜落したのだと思う。 本当にそう思います。 というのも、発見された物質の性質は、私たちの科学者にとっても未知のものだったからです。 もしこのスケッチが本当なら、遺体は誰も見たことがないものだった。 もしこのスケッチが本当なら、誰も見たことがなかったでしょう。 (0:49:22)
あなたはこの葬儀屋をよく知っていましたね? ええ、彼と私の妻が同じ学校に通っていたことがきっかけでした。 彼の妻とは、1945年に私が初めてB-29の操縦を学ぶためにロズウェルに行ったときから、友人を通じて知り合っていました。そして私たちはとても親しい友人で、結婚寸前までいった。 そして彼女は私の妻にもそう話していた。 (0:50:00)
と彼女は言うが、私の妻ジョアンにはあなたが先に着いていた。それ以来、私たちは親しい友人なんだ。今までずっとね。 あの出来事が起こって以来、私たちはお互いを知っていた。 それについて話したことはなかった 彼女に何があったんですか?看護婦さん? 看護師?相反する話を聞いた。 事件発生直後まで遡る。飛行機 は部品と遺体を持ち去った。 (0:50:38)
フィリピンに送られました。どのくらいで?
(0:50:49)
2週間以内。 予想外だった? 予想外でした。 こういうことは突然起こるものなんだ。 でも電報があった。TWXが軍に連絡した。第8空軍からだった。フィリピンのクラーク・フィールドに出頭する飛行安全士官MOSナンバーのようなものが緊急に必要だと書いてあった。彼らは振り返って見た。僕の名前が書いてあったかもしれない。 (0:51:33)
なぜならその基地で唯一の重量均衡士官だったからだ。 それで私は出向することになった。 フィリピンのクラーク・フィールドに行きました。 看護婦も同じ週に出向したと聞いています。 衛兵の軍曹と衛兵は全員、現場を取り囲み、周辺を掃討し、破片を拾い集めました。 彼らは全員移送された。 (0:52:06)
そして私たち一人ひとりが、世界中のどこか別の基地に行きました。 だから2人一緒にはなれなかった。 それは意図的なものだったと思いますか? ああ、そうだね。何年も振り返ってきたことだから、意図的なものだったと思う。 当時、私はクラーク・フィールドに行きましたが、重さとバランスの担当官は必要ありませんでしたから。 (0:52:39)
彼らは一度も要請したことがなかった。 私はこの電報にそう書いてあると言った。 すると彼らは、そんなことはどうでもいい、必要ない、もう一人いる、と言った。 もう1つも必要ない。 他に何をするんだ? 私はオペレーション・オフィスだと答えた。 すると彼らは、よし、君を作戦将校としてそうそうたる飛行隊に配属しよう、と言った。 そこへ行ったんだ。 (0:53:09)
私たちは高高度フォトレコンに携わっていました。 高高度からの写真撮影をやっていたんだ。 看護師はどこに送られたのですか? ドイツに送られたと聞いています。飛行機が墜落して、彼女も看護師たちも全員亡くなったと聞いています。 領土を包囲し、資料を回収した警備隊の軍曹は、ニューメキシコに住んでいて、つい最近、記者のひとりと初めて話をしたそうですが、彼の情報はどの記事にも発表されていません。 (0:53:59)
そう言ったのは、その調査レポーターが、ボブ君は彼に会ったばかりだと言ったからだ。 彼はあの事件以来、初めて私たちに話しかけてきたのだ。 もう43年近く前のことだ。 ほぼ正確に43年。 そして彼は、彼が初めて話したのは私たちだから、現時点では彼の資料を使うつもりはないと言った。 というのも、私たちは......。でも彼は、トムが私に話してくれたこと、つまり今晩あなたが私たちに話してくれたことは、他のみんなが言ったことの要点を強調し、証明していることがわかったと言った。 (0:54:52)
ところで、この特定の記者はニューヨークから来たのだが、彼はその仕事を受けたとき、信じられないような未確認飛行物体の調査に彼を送り出そうと考えるとは、まったくもって愕然としたと言っていた。 (0:55:10)
しかし彼は、私はここにいると確信したと言った。 大雑把に言うと、これが私の話です。 私はいくつかのものを見た。私は航空機のスケジューリングに関わった。 私は他の何人かと一緒に、ほぼ同時期に出向した。 そして40年が経ち、私の親友が初めて口を開き、それについて何か知っていると言った。 その時以来、スタントン・フリ ードマンはその人物にインタビューしている。 (0:55:50)
スタントンが行くべきかどうか迷っていたので、私はスタントンを山に連れて行ってその人に会わせた。 これは余談だが、なかなか面白かった。 おそらくインタビューとは何の関係もない。 ロズウェルのホテルの部屋でスタントンと話していたら、スタントンがこう言ったんだ。 行くべきだと思う? (0:56:17)
もし行く価値があると思うのなら、レンタカーを借りて車で行くこともできると彼は言った。 そして私はスタンに言った。 彼は自分の意見を言う。もし、彼が君を誘って夕食を共にしたのなら、それは彼が君を誘って夕食を共にすることを望んでいるということだ。 それに、彼がやっていたのは礼儀正しいことではなかった。彼がしているのは特別なことだと言ったんだ。 (0:56:52)
僕は家に帰って妻とデッキを片付け、スタンに電話をかけ直して言った。 明日、君を連れて行くよ。 そうした。 彼らは素晴らしいインタビューをして、それからみんなで夕食を食べに行き、スタントンのためにいくつかの点を明確にしながらインタビューを続けた。あなたと、あなたの友人である葬儀屋は、ともに看護婦のナオミとの関係に関心を持っていましたから、彼女が殺されたと聞いたことについてどう思うか、聞かなければなりません。 (0:57:33)
それを受け入れますか? 私の唯一の考えは... 2つの考えがありました。 1つは、なんてもったいないんだ、ということです。私がそこでグループ作戦に携わっていたとき、私の前に座っていた大佐、いや、大佐の作戦担当官と言うべきでしょうか、その後ろに私は机を置き、私の左隣 にはビキニドロップを飛行したウッディ・スワンカ少佐がいました。 (0:58:22)
そして彼の飛行機は海中で爆破されたと伝えられている。彼はロズウェル事件とは無関係で、ロズウェル事件が起こる前に海外に行っていたからだ。 その中でも、今日ここにいた連中は、フレッド、明日はどこに行くんだい?ああ、そうなのか?飛行機が墜落して、行方不明になったんだ。 また友だちがいなくなった。彼はそう考えていた。 (0:58:59)
ナオミと看護師に関して2番目に考えたことは...。もちろん今、私は海外にいるのですが、滞在中か帰国直後に知ったのですが、彼女の飛行機は行方不明になったそうです。 だから、2つの可能性がある。ひとつは、飛行機が紛失するという、ごく当たり前のこと。 (0:59:31)
あるいは、政府が彼女の知っていることをコントロールするために、そこまで極端なことをしたのか。 というのも、彼女は実際に遺体の処理にあたった人間だからだ。 というのも、彼は遺体の保存方法について、当時知られていた最新の方法を学ぶ学校から戻ったばかりだったからだ。 (1:00:05)
彼女は彼が知っていることを彼女に伝え、それを実行しようとしていた。 彼女はエイリアンの死体について、誰よりも直接的な情報を持っていた。 あなた自身はどうなの?何か心配事でもあるのか?注目されている? いいえ、だから政府が直接あなたを拘束するようなことは... 秘密保持の誓約書に サインしましたか? いや、黙っていろとは言われなかった。私が知っている以上の情報を持っていると感じた人もいた。 (1:00:55)
そして、私が知ったように、全員が出向させられた。 それで、おそらくほとんど解決したんだと思う。 それが最初の試みでした。例えば、この葬儀屋は、彼が関与していたため、訪問を受けました。 彼の母親と父親は、軍服であろうと私服であろうと、軍人が訪ねてきた。 そして彼らは、どんなことでも誰にも何も言わないようにと警告された。 (1:01:33)
非常に直接的だ。 そしてもう一度言うが、この男は失敗しないと私は信じている。 だから何人かは直接言われた。他の人たちは、ただ送り出されただけだった。 私は海外から戻り、ウォルター・ホップが任務を辞したことを知った。 だから、彼らは彼を放っておいた。もちろんウォルターは、ご存知のように、一度も... 彼は個人的に部品や破片などを見たことはない。 彼はたまたま、すべてをかき乱すリリースを書いた男だった。 (1:02:20)
ええ、繰り返しますが、彼の責任です。 ありがとう、シャーキーさん。ありがとうございました。 私が知っているのはここまでです。 魅力的だ。本当に魅力的だ。 私はいまだに舌を噛み、物事を忘れてしまう。 15回も20回も答えた質問なのに。 同じ質問でも、ほんの少し違う言い方をする。 頭を振って後ずさりして、仕切り直しをしなければならない。 まあ、いかにリラックスすべきかについて、お決まりのレクチャーをする必要はないだろう。 (1:02:57)
君と僕だけの話だ。トムもカメラも無視して。 ここにいないふりをしてください。できるだけリラックスしてほしいんだ。 僕には悪い癖があって、カメラ越しに見ていると思われるかもしれない。 たまにそうするんだ。 考え事をしているとき、あなたとのアイコンタクトを失うことが ある。 それは厳密には... ちょっと休憩したい。 (1:03:23)
いい言い訳だ。目をそらして、コンマ1秒でも止まってみるよ。 トム、転がってる? はい、そうです。 ホークさん、ブランチャード大佐から電話があり、ニュースリリースを出すように言われた日のことを教えてください。 その日、電話での会話で何が起きたと記憶していますか? (1:03:46)
基本的に、彼から電話をもらうまで、何が起こっていたかはわかりません。 ごく日常的な一日だったと思う。 広報の仕事か、基地の宿舎か、それ以外の何かをしていた。 それが何だったかは本当に覚えていない。普通の仕事の日だった。 ブランチャード大佐から電話がかかってきて、要するに、空飛ぶ円盤かその部品を彼が持っていると言われたんだ。 (1:04:25)
それがどこから来たのか、少し教えてくれた。 ロズウェルの西、北の牧場だ。そして、私たちの基地情報将校だったジェシー・マルセル少佐がそれをフォート・ワースまで飛ばし、当時フォート・ワースで第8空軍の司令官だったロジャー・レイミー将軍に引き渡すつもりだと述べた。ブランチャード大佐はあなたに何をさせたかったの? (1:04:57)
ブランチャード大佐は、基本的に電話で私に伝えた情報を使ってリリースを作成し、それを地域に持って行き、当時ロズウェルにいた4つの報道機関に手渡すようにと言いました。 それが私がしたことです。
(1:05:27)
私の記憶では、午前中だったと思います。 9時頃だったと思います。私がその数字を思いついた唯一の理由は、その日の夕刊に載せるために、レコードをセットするのに間に合うように、レコードを仕上 げて街に行かなければならなかったからだ。 (1:05:59)
そして、これが何日に起こったか知っていますか? 1947年7月8日ですね。ロズウェル・デイリー・レコードの記事の8日です。 ニュースリリースを書いたら、その後はどうなったのですか? 言ったように、私はそれを町に持っていかなければならなかった。 (1:06:31)
もしこれが空飛ぶ円盤であるという事実に何らかの妥当性があり、私たちのメディア以外の他の報道機関に情報が流れた場合、ロズウェルの私たちの仲間にそれを最初に伝えてほしいと彼は思ったのです。 (1:06:53)
ロズウェル以外の報道機関に情報を流してしまったと思われたくなかった。だから私はそれを町に持って行き、町の4つの報道機関、2つのラジオ局と2つの新聞社に届けた。 どのような旅程だったか覚えていますか?例えば、最初に誰を訪ねましたか? 最初にラジオ局のKGFLに行ったのはほぼ間違いない。次にKSWS。彼らは半ブロック北にいた。 (1:07:17)
それから、さらに1ブロック北にあるデイリー・レコードに行きました。 そして基地に戻る途中、デイリー・レコードから3ブロックほど離れたモーニング・ディスパッチに寄った。このニュースリリースを地元のさまざまな報道機関に手渡したときの反応はどうでしたか? (1:07:44)
この資料を読んで、すぐに反応した人はいましたか? そんなことはなかったと思います。何年も前にさかのぼりますが、最初に行ったのはKGFLだったと思います。そして、私が覚えている限りでは、受付係の机の上に置いただけだと思います。彼女はそこにいなかった。 フランク・ジョイスは、私の記憶の限りでは、スタ ジオにいて、受付を見ることができたし、通りに出ることもできた。 (1:08:26)
そして、おそらく私はそれを指差して、それが彼らのためのものであることを示したと思います。 KSWSで何があったかは覚えていない。レコードを編集者に渡した。 おそらく、やあ、ドン、元気かい?父さんがこれを欲しがっているかもしれない。何も素晴らしいことはなく、ニュースリリースを持ってくるときに私がする、普通のルーチンワークだった。 (1:09:03)
そして、ディスパッチに行った。そこでも編集者のオフィスか出版社のオフィスのどちらかに持って行ったと思う。 どちらもよく知っている。時折、出版社に頭を突っ込んで世間話をすることもあった。 実際にそれを誰に届けたかというと、いろいろなニュースメディアのオフィスで6人の人を見たかもしれない。 (1:09:39)
そして、最終的に誰に言ったかというと、これだ。と言った。 誰も、おお、すごい、とは言わなかった。私はただそれを見て、ほとんどそれを置いた。 ほとんどのジャーナリストはニュースリリースを... その通りだ。誰かのオフィスに行って、これがニュースリリースです、と言う。 (1:10:12)
彼らはそれを手に取って走って戻り、プレスを止めたりしなければならないほど熱くはなかった。 だから、彼らはそれを受け取り、おそらくそれをちらっと見て、少し言葉を交わしただけで、私は自分の道を進んでいったよ。 それからどうしましたか? 基地に戻り、オフィスに入ると電話が鳴っていた。 (1:10:42)
私が電話に出ると、最初の電話はイギリスのロンドンからだった。私は電話に出た。彼の質問は、マルセル少佐はどうやってこの物体の操縦方法を知ったのか、というものだった。 私はリリースの中で、マルセル少佐がその物体をフォートワースまで飛ばしたと述べていた。 私の言い方が悪かったのです。 (1:11:16)
同様の趣旨の通報は非常に多かった。 もしこれが未確認飛行物体だとしたら、そこに乗り込んでスイッチを押したり操縦桿を操作したりする方法を知っている人間が、どうやって空軍内にいるのだろうか? 中にはかなり辛辣なものもあった。これも噂話のひとつなのか? 検証できるのか?指揮官は、これが我々が持っていたものだと述べたものだ。 (1:11:51)
検証は十分でしたか? (1:11:54)
私にとっては十分すぎる検証でした。彼が何かを言ったとき、それが法則だった。 それがずっと続きました。電話が鳴りっぱなしだった。働いていた人たちは5時ごろに帰っていった。私は7時半から8時頃だったと思う。そのころには、完全に先細りになっていた。 最後の30分ほどは、一日の間に起こったこと、そしてロズウェル事件以外のことに目を通した。 (1:12:31)
いわゆる空飛ぶ円盤を発見したからといって、基地が操業を停止したわけではない。 翌日何が起こったと記憶していますか? 朝刊で読んだか、ニュースで聞いたと思いますが、レイミー将軍が、空飛ぶ円盤はない、あれは気象観測気球だと言ったんです。 私はほっと安堵のため息をつき、オフィスの一人に向かって言ったと思う。そしてまた、私たちは、飛行物体を見たという何百人もの他の人たちと同じカテゴリーに入った。 (1:13:20)
飛行物体を見たと思っていたら、なんとそれは墜落してしまった、というのはよく あることだった。 それで終わりでした。 この残骸や資料を見ましたか? 何も見ていない。 ブランチャード大佐はそれを見たと思いますか? はい、信じています。 なぜそう思うのですか? 彼はそれほど......ガンガンとは言いませんが、自信満々にコメントしたとは思えません。 (1:13:58)
空飛ぶ円盤を所持している、あるいは空飛ぶ円盤の部品を所持している、分からない。 彼は過剰に興奮していたわけでもなく、はしゃいでいたわけでもない。 彼が私に電話してきて、これをやってほしいと言ったときにするような、普通の日常的な会話だった。 でも、かなり前向きな感じだった そう、前向きだった。 彼が持っているものについてはね。 ブランチャード大佐がこの資材を、気象観測用の気球や観測装置だと勘違いしたと考える理由はありますか? (1:14:39)
彼が気象観測気球だと気づかなかった可能性は10億分の1もないと思います。 彼は陸軍士官学校の卒業生で、私の記憶では37回生だった。 少尉から大佐まで、それほど長い年月を経ていない。 非常に知的な人物で、余計なことに飛びつくタイプではなかった。 彼は気象観測気球を見ればすぐにわかったと思う。 (1:15:15)
彼はそれを持ってどこにも行かなかっただろう。 マーセル少佐に、これは気象観測気球だと言っただろう。 そしてまた、マーセル少佐はそれが気象観測気球ではないことを知っていただろう。 それが次の質問だった。マーセル少佐が惑わされた可能性はありますか? いいえ、ブランチャード大佐が、自分の目で見たわけでもないのに、この残骸が何であるかについて、誰かから誤った情報を与えられた可能性はありますか? (1:15:41)
それはかなり疑わしい。 (1:15:43)
彼がそれを持って作戦本部に降りるという行動を取ったとは思えない。 もし彼が作戦ビルにいたのなら、間違いなく見たはずだ。 マーセル少佐は彼と話し、彼に関してはかなり賢明なアドバイスを与えていたはずだ。 ジェス・マーセルがどの程度知っていたかはわからない。 彼はまた、非常に聡明な人物で、何にでも飛びつき、最後までやり遂げようとするタイプではなかった。 (1:16:26)
二人の間で、それが気象観測気球であれば、どちらか一方がもう一方の手を呼んだことは間違いないでしょう。 では、レイニー将軍が気象観測気球だと言ったとき、あなたはどう思いましたか?それを信じましたか? 1947年、将軍が気象観測気球だと言ったとき、それは気象観測気球だった。 そして、私としては心の荷が下りた。私たちの心というのは、私のオフィス、つまりオペレーション・オフィスのことです。 (1:16:59)
国境警備の中心ではなくなったから? 私たちは完全にそこから外れていました。 そうなってよかったと? とてもね。 私の知る限り、それで話は終わりだった。 驚いたことに、私はよく将軍に会っていた......当時、彼はブランチャード将軍になっていた。彼が街に来ると、私に電話をかけてきて、一緒に朝食を食べに行ったものだ。 (1:17:28)
私たちとの会話中、一言も口を挟むことはなかった。 それは意図的だったのですか? いいえ、率直に言って、すっかり忘れていました。 大佐がそのことを忘れていたかどうか、私は大いに疑問ですが、大佐はそのことを話題にすることはありませんでした。 レイミー将軍の発言の直後、大佐はこの件について何か言っていましたか? おそらくスタッフ会議で? (1:17:59)
次のスタッフ・ミーティングでは、1週間後くらいだったと思いますが、当時は毎週月曜日に開催していました。彼は私たちの議題や、これから話すことについてコメントしました。 そのコメントの後、彼はある発言をしたと思う。 先週は確かに失敗した。 実は、あの気象観測用の気球を飛ばしていたのは、私たちの放送局にいたのです。 (1:18:34)
彼らはホワイトサンズから来ていて、東から西への上層大気の風をチェックしていた。 彼は、気象観測気球説を後押ししてくれたんだ。 そのコメントで、私たちは皆、最初からわかっていたんです。 私たちは突然、本当に賢くなった。それが空飛ぶ円盤でないことは分かっていた。 ジェシー・マーセルと話す機会はありましたか? 次に彼と話したのは1980年頃だった。 (1:19:16)
ジェシーがニューオーリンズのテレビ局からジョニー・マンと一緒にロズウェルに来たんだ。彼はロズウェルの現場を見せるために、マンを現場に連れて行ったんだ。 彼は私にインタビューし、ジェシーを連れてきた。 (1:19:38)
私はジェシーと1時間半か2時間過ごした。当時は、あれは気象観測気球ではなかった。 私が将軍のオフィスに持ち込んだものは、私が戻ってきたときにそこにあったものではありません。 報道陣がそこにいた。 それで私は納得したんだ。 彼はロズウェルの1ブロック先の隣人だった。私は彼を高く評価していた。とても立派な人だった。 (1:20:15)
私たちは彼の息子、現在のマルセル博士に感銘を受けた。彼は11歳 の小さな子供で、とても鋭かった。彼は11歳か12歳だったと思う。 彼はクラッカーのように鋭かった。今でもそうだと思う。 基地内でマルセル少佐と一緒に働いていたもう一人の将校、シェリダン・カボットについてはどうですか? その名前に心当たりはありますか? その名前は、ええ、聞いたことがあります。 (1:20:48)
彼はOSIかCIAか何かでした。 彼とはどんな時も何の関わりもありませんでした。 もしあなたが1947年にこの質問をして、彼が通りかかったとしたら、私はあそこにいるのが彼だと言えたでしょう。 その程度だったでしょう。 どのような形であれ、どのような方法であれ、どのような形であれ、彼とは何の関係もない。 あなたが空軍を去った状況について、いくつかの話がありました。あなたがこの記事に関与したせいで、退職するよう圧力をかけられたとか、そういうことです。誤解を解いてもらえますか? (1:21:35)
長い話がいいですか、それともとても短い話がいいですか? まあ、短いバージョンでやってみましょう。 事件当時、私たちには生後2ヶ月の娘がいた。 数カ月前に家を建てたんだ。 私は家を空けることが多かった。仕事は4つほど掛け持ちしていた。 生後2カ月半か3カ月の娘も、たまに家の中に入ってくるのは何だろうと思い始めていました。 (1:22:10)
妻と話し合った。 現役を続けるか、退団するかを決めるのは、私たちにとってかなりの決断だった。 私たちはこのことを行ったり来たりして、最終的に1948年2月にロズウェルに残ることに決めた。ロズウェルの仕事関係者には十分な知り合いがいたから、何もなければロズウェルで仕事を得られると思 ったんだ。私は辞表を提出した。私は空軍の正規将校だった。 (1:22:50)
1948年4月1日、ブランチャード大佐の机の上に置いた。1948年8月18日、私は基地でツワモノになった。 最初はウォルター・G・ハウト少尉で、シリアルナンバーは041123だった。そして延々と続く。 そして、すべての任務と配置から解放されたと書かれている。 そして、ウォルター・G・ホート氏の本籍地はニューメキシコ州ロズウェル、1405ウェスト73rdとなっている。ユーモラスだな
(1:23:34)
私はもうハウト中尉ではありません。私はハウト氏だった。あの事件や基地で起こったこととは全く関係ない。 (1:23:48)
妻も私も、娘をロズウェルで育てたいと思ったのは、個人的なことだった。十分に小さなコミュニティで、良い学校制度もあり、何もかもが揃っていた。 あの時点では、そんなに先のことを考えるべきじゃなかったかもしれない。 でも、私たちが考慮していたことのひとつだった。 また、私はおそらく4、6ヶ月のうちにフォート・ワースへ転勤することになっていました。 (1:24:20)
フォートワースには行きたくなかった。私たちは小さなコミュニティーにとどまりたかったのです。 ブランチャードは、もし私がフォート・ワースへ行ったら、第8空軍の広報官になると言っていた。その後、彼はフォートワースに異動し、第8空軍の作戦将校になった。彼はかなりコネがあったんですね? そうだ。彼の師匠はカーチス将軍だった。その話はやめよう。 (1:25:02)
私はいつもカーティス・E・ルメイと言いたい。ですから、あなたに関する限り、あなたは軍に留まることができたし、むしろ輝かしい未来を 楽しむことができたのです。 そのあと、軍に配属されたという話は......。何もなかった。 ただ、それまでと同じように物事が進んでいった。 私がステーションに到着した日ではなく、ビキニから戻ってきた後だ。彼らは攻撃を仕掛けてきて、私がロズウェルに戻ったとき、ブランチャードは私をグループ広報官兼基地広報官に任命した。
(1:25:49)
この事件に関わったことを後悔していますか?とても魅力的なことだった。 本当にいろいろな人に会う。99%の人は本当にいい人なんだけど、たまに1%の人が必ず現れて、あなたを押しのけて陽気に去っていくんだ。 楽しいよ。 心の中で、43年前にロズウェルの牧場にあったものは何だと思いますか? 宇宙から来た、ある種の工芸品だ。どこから来たのかは知らない。 (1:26:25)
私は、ジェシー、マルセル・シニア、ジュニアなど、それに関わった人たちと十分に話をした。他にも、少し触れたことのある人たち、ボブ・シャーキーはまだロズウェルに住んでいる。私が調査員から聞いたことすべて、彼らが何か新しいことを思いつくたびに、私は、うわあ、これは本当に驚きだ。 王冠の星がまた一つ増えたというか、何とでも言える。 (1:27:08)
私が感じたのは、正当な人たちから多くのことが持ち出されているので、何かあるはずだということだ。 そしてどうやらそれがそうだったようだ。実際に砂漠に降り立ったものだ。私は固く信じている。 歴史のこの時点において、政府がこの件に関して何をすべきか、あなたの考えを述べてもらってもいいですか? (1:27:38)
まあ、非常に率直に言って、政府はこの件に関して持っているすべてのファイルを、正当なUFO学者の委員会に渡すべきだと思います。 (1:28:19)
私は、これは検閲だと思う。気に入らない。 (1:28:31)
人々がプラカードを持って通りを歩き、抗議する権利が欲しい。 もしペンタゴンや公文書館で、大勢が看板を持って歩き始めたらどうなるんだろう。遠くへは行けないと思う。 そうだろうね。 (1:28:58)
私たちがまとめようとしているこの記録に付け加えるべき重要なことで、私が見落としていることはありますか?何か経験したことはありますか?何か思うことは? まあ、この件に関する私の経験はすべて、非常に楽しいものだった。とてもいい人たちに出会った。 ただ1つだけ経験がある。ある人からの電話だった。 そのとき私は外出していて、家に帰ってきた。妻が言った。 (1:29:31)
それで僕は言ったんだ、あの影と軋むドアを知ってる? この男が私を呼んだんだ。彼は昔からの友人だった。 彼はとても小さな声で、とてもゆっくりと話し、私にこう言った。 このことはすべて忘れるべきだと。彼は、材料がどのように発見され、それが貨車に積まれ、ある場所から次の場所へ輸送されたかをすべて話してくれた。 (1:30:08)
その時の記憶は実に鮮明で、それは主に私がこの男と真顔で話そうとしていたからだ。 妻は私の近くを「キイキイ」言いながら歩き続けていた。おかしいと思ったんだ。 その朝、妻が初めて彼と話したとき、彼はこう言ったんだ。 ああ、すごく楽しいと思うよ。何も面白くないよ (1:30:46)
あれは本当に変な電話だった。 誰だかわかる? いや、彼を騙して、基地の知り合いだとか、どこそこの知り合いだとか、何 か手がかりを得ようとあらゆる手を尽くしたんだ。 彼は止めなかった 彼は私を脅すでもなく、まだ笑っていたら悲惨な結果になると警告しながら続けた。 他の人たちは、みんなとても親切だった。彼らはとても物知りだ。 (1:31:31)
たまに、あなたを混乱させるような質問をする人がいる。 私はできる限り正直に答えようとしてきたし、誰ともトラブルになったことはない。 私は自分の話をまっすぐにするよう心がけている。言い方を変えよう。私は自分の話をシンプルにするよう心がけている。 (1:31:56)
そんなところだ。 もう十分でしょう? ありがとうございました。どういたしまして。 どういたしまして。 では、ミーティングに戻りましょう。下まで送るよ。 (1:32:09)
▼原文 展開
Oh, oh, sure, yeah. Well, that's east of Richmond, out near Burrard Airport. Yeah, I think Richmond was where Ray May had lived, or even that was Senate. Yeah, Richmond, Virginia. Yeah. Alright. And we got speed? Yeah. Okay. Phyllis, tell me about this period in 1947, during the summer, when you came to see your father at Roswell. What did your father do in Roswell? (0:00:28)
My father was the sheriff of Chancellor County, and they lived in the courthouse. The jail and the sheriff's quarters were in the same building. And they lived on the downstairs floor, and then downstairs was an office, with two rooms. And the jail was upstairs, and prisoners were taken into the office, and then up the steps to the jail. And were you living with your folks in 1947? (0:01:11)
No, I wasn't living with them. I was there visiting. My husband and I were both students after World War II in Las Vegas, New Mexico. To finish up our degrees, which we had started before the war. Our education had been interrupted by World War II, so we went back. But I sometimes did not go quite as much, because I had a young son, and he liked to stay with my mother. (0:01:56)
And if I was busy going to school, and we also owned a little business, and we worked in it. So he'd stay there, and probably he'd been there for a while. I don't know whether at that point in time I was actually in school, or just staying up there for a while. So you came to visit your father in his office one day in July, we think? (0:02:25)
Yes, I came to... I was reading the... you could just walk into his office from the sheriff's porch. And the paper came out with this, and I didn't read the paper. What do you remember about what the paper said? About the headlines and the flying saucer. And I don't remember whether he told me about it before then or not, I don't know. But I was so interested, and in some way it excited me, and I loved it, and I wanted it to be true. (0:03:05)
And I went in to talk to him about it. And sometimes I went into the office and talked to him about it. And he was getting all these phone... he had... I remember he came into the kitchen and talked about that he'd been up all night with the phone calls, and that he had just talked to London, England, and he was... Well, the distance and the times, you know, it's not the same as faxing something or sending it long distance now, like we... The world was a lot bigger back then. (0:03:42)
Yes, it was. So... And, you know, another thing about the world then. World War... they hadn't really revealed things that we... All the things hadn't been revealed from World War II. Now, in America, I know we weren't bombed, but we didn't have any... They didn't build any washing machines, they didn't build any new cars, they didn't build anything... Dryers... Nothing, because they spent all their time on the military, and weapons, and those things. (0:04:22)
So there were no... So we had to wait a while to get a car, and we had to wait a while to get a washing machine, because we just didn't want to wash it. (0:04:28)
So you've read about this flying saucer incident in the newspaper, and you went and talked to your father about it. I asked him about it, and... What did he tell you? And I asked him, do you think this is true? And he said, I don't know why Razzle would have come all the way in here and brought that stuff if it hadn't been something important. (0:04:52)
And that he didn't... that he... it had to be something that he thought was important. And he had sent deputies out to see about it. And he thought... see, so originally he thought it was true, but he didn't have any information. He was trying to send the deputies to get some more information. But the first thing he did was call the airport, because that seemed to be important to him. (0:05:28)
And I said, why did you call them? And he said, because I have an agreement with them that if any airman is in trouble in Razzle, any kind of problem about any airplane or flight or anything like that, I call them immediately. We don't have room in our jail. So they just held them until the MPs got there. And the flight, the same, he felt that this had something to do with the airport, or that was their business. (0:06:02)
He felt that was their big way. What happened? Did he say, we sent the deputies out? And he sent the deputies out. And I think... I'm of the opinion that he sent the deputies out once. And that they saw a large black area, blackened area, the grass, the rangeland. And that they came back because it was dark. And then when they came back, he had to wait until the next day to send them back again to find something else. (0:06:50)
And when they went back again, the Army had blocked it off. And didn't let them in. And I'm talking about the Army, but it was called the Army then. And see, I think Brazel told them how to get there. But didn't... but they... you know, there's a long distance between Brazel and Corona. You can't send somebody out and have them search over a large ranch or look for anything. (0:07:29)
So the deputies were turned away by the Army Air Force? Yes. And then I think it was then the next day that the Army Air Force all came to the office and my sister came in. And what happened when you got to your father's office? We'd come in. We had a small child. And when we arrived, I noticed that there were Jeeps and some people from the Air Force there. (0:08:14)
And of course I went right in with my small child. And my husband Jay went into the office and he said to my father, What's going on, George? And he said, well, we've had a man come in saying that there is a flying saucer and bringing a piece of things. (0:08:32)
And said, I don't know what it is. And said, we're investigating it. And he said, what was it? And he said, well, it looked like a burnt grass. It looked like burnt grass out there. And my husband came back into the kitchen. And my mother prepared the meals for the prisoners. And we were in the kitchen. And we didn't discuss it anymore or anything. (0:09:01)
And as the years went along, Mother would say, Oh, remember the time when we had the flying saucer in Roswell? And the papers were out. And I go 20 miles for my mail one way. And I had no telephones. I had no electricity at that time. Because we were in the rural area. So it was another week, see, then, before I probably went back to town. (0:09:35)
And knew anything too particular about it. Because I didn't stay all night. I went in and turned around and came back. Because we had milk out, which you have to get home to at night. So I really was not as familiar with it as Phyllis. Because she was staying all night there. Because she was going to school up in Las Vegas. But as the years went along, Mother would always say, And I also know of an article that she wrote that said, We do not, as to this day, know whether it was the flying saucer or what. (0:10:13)
Because they told my husband, Mr. Wilcox, that she would say, Don't you say a word. So he didn't. And he was very calm about it. I mean, he just didn't say anything. Who told him not to say a word? The Air Force did. When they came and picked up the piece or whatever they did, She said they recommended him. That's what the words were in the little article she wrote. (0:10:38)
And I had it. Because she wrote a great deal. And she wrote an article on their four years at the county jail. Well, they were not in the county jail, but that's what she said. Four years in the county jail. But they were there as working people in the jail. So on the very back page of her article, She wrote the day the flying saucer was in Waswell, New Mexico. Do you remember what she said that date was? (0:11:10)
Now, the date was not on the paper. That's the reason I don't. And she said on the outside of this article, She said, I sent this article to the Reader's Digest in 1980. See, she had typed it over. She had a whole bunch of typewritten things. But they did not accept it. That was written on the outside. She also said, I don't know whether she took the article or she spoke to the Historical Society in Waswell. It said, Waswell Historical Society in Waswell, New Mexico in 1980. So she might have taken the article over to the Historical Society. I do not know. (0:11:59)
Did your father describe to either of you what this material that Mac Brazil brought in looked like? (0:12:05)
Not to me. He said, he brought some material with him, some junk. Like, I don't know what it is. That's the best I can do about what his words were. Just that briefly. And about the Air Force warning. Also, my mother had written on there, this is a real and true story. And she had spoken about it some after. And I think she had talked to different members of the family that there was a crash and there were bodies. (0:12:50)
But that they could not say anything about it. She told my daughter. She had told people. And I think maybe I had one conversation with her about it, but I could not. But she talked about bodies? Yes. That she had heard that there were bodies recovered? Yeah. What about Mac Brazil? What happened to him during this period of time? Well, the Air Force took him right away. (0:13:23)
And he really never came back to the Sheriff's office. And the material was left there and the Air Force picked it up and took it away. And that was the end of it. And my father said, I said, what are you telling the people on the telephone? He said, I don't have any information. I have to tell them. I don't know that it is a guy. (0:13:50)
I don't really know. I haven't seen it. I had to get in there and the Air Force is handling it. And I'm referring calls to the Air Force. Well, that's right. They didn't even answer, I don't think, out there. He said that he had had calls from all over, from England. Imagine, she wrote it in this article. The name's the place where they had the calls from that morning when we got to town. (0:14:21)
And it was quite exciting and rushing around there a little bit. But we just didn't go in, I just didn't go in the office. I just stayed back in the kitchen with Mother. And then she told us what my father had said. But she said that he was not to say one word. And she didn't say anything either for years and years. Yes, on the phone. (0:14:43)
Yeah, years. Now, see, it is four years in the county jail, so she had to write this article after 1951. So, since she usually wrote things down sometimes fairly soon after they happened, I'm guessing it's been in the 50s, 55 that she wrote it. But we don't have any... we don't have any date, we don't have any proof. I'm guessing the late 50s too myself. (0:15:17)
That's just what we had talked about guessing it to be. Late 50s or late 40s? Well, see, this happened in 37. And they were still in the sheriff's office until, I believe it was 49. It may have been. Okay, so we're just adding some years onto that and saying that... The title of the article is four years in the county jail, so they had to have it. (0:15:43)
So your only question really is when did your mother write the article and not when this incident happened? (0:15:47)
Well, I know that. And we're trying to say we think that it was in the 50s. We think it was in the 50s. My father became very ill right after he came out of the sheriff's office. And she was traveling around trying to find the best doctors and everything in the world to help him. And she was very, very busy. And she had not started a business or had anything, you know, because she had just come out of this job. (0:16:12)
And he didn't have a job. So then she became a real estate agent in Roswell. And she did the work. And my father's wife here... Oh, in 58? No, it was in 60. We decided... I think the other day it was 62, we thought. Yeah, we're pretty close to that. What did you all hear about Mack Brazell's being detained by the Army Air Force? (0:16:42)
I didn't hear, Phyllis, did you? Well, I don't know when I heard it. I know he was detained by the Army Air Force. And I know he was out there. But after all, you know, we had just been through all this business here. Plus, we had been interviewed before. Plus, I had read the Roswell incident, the MJ-12, listened to Stan Friedman talk. Okay. So you learned a lot of stuff. (0:17:09)
So I have... yeah, the last two years. When I heard this agent, I was absolutely sure what you knew, when you knew it. This is true. I don't know what I knew about Brazell until after I read the book and after... When I talked to my father, he said, I don't know why Brazell would have brought that stuff in. And some way he indicated that he trusted Brazell. It's probably because he was... New Mexico, ranch, came all the way trying to tell somebody, you know, I found something unusual and want someone to help me. (0:17:55)
And so I think I did get that impression then. I know I did. But when... what else I know about Brazell's internment, I don't know. Would your father have known a weather balloon if that's what it was? Oh, I think so. Yes, we found them all on our ranch. They're little square boxes and you can... the balloon just deflates and you pick them up. (0:18:26)
There's been a number of them. They have a place that you can send them back to the Air Force and they do that now. As far as he was concerned, from what you know, that this was not a weather balloon? Oh, no, I don't think it was. They said it was... No, I don't think so. About a piece of the saucer, you know, a piece of metal or whatever it was. (0:18:45)
They had the metal in that office, in the small office over there, but the door was shut. Nobody went in there. It was locked. And the Air Force picked it up and took it. From your father's office? (0:18:56)
Yes, and took it and said, don't you say another word about this. They had a little meeting in there when they picked it up. They had all the Jeeps. Like they said, there was probably three people in there. But, see, I didn't see them. I don't know who they were. I wouldn't have known. Did you see them? No, I didn't. I just saw the military, you know, how a Jeep drives up in front. (0:19:20)
If you have something, there were open Jeeps and it was hot weather. They got out and came in the office and that's all I know. Besides that, I did not go in there unless it wasn't busy. You know, I didn't go in there. And stand and listen to anything that was not my business. My husband went in there and missed it all the time because he was a man. (0:19:42)
Yeah. He wouldn't go in there. And mine did too, I'm sure. But I just, you know, I went only when he was by himself or when I really needed to go somewhere. Did your father ever name any of the military people who were involved with taking this material out of his office? No, not to me either. What happened after the Air Force said this was a weather balloon, as far as the calls? (0:20:05)
Well, then they just went down because the Air Force says it's a weather balloon and it becomes a weather balloon. Right. Everybody just accepted that. That's right. They accepted it exactly. They may have known. And I remember distinctly thinking, this isn't right. I don't believe this. You know, you're busy in your own life. I didn't dream, I never had an idea about investigating anything like this. (0:20:37)
Doesn't sound like your mother was convinced. No, she was not. No, I think she knew. Very, very brilliant. And she didn't have all of the responsibility my father had with all the prisoners and all the deputies and all of the jail and all of the thing. And so she began to be real curious. But she said he told her the story and then she kept it as long as she possibly could. (0:21:02)
And then she thought, well, she could tell our children because they would be her grandchildren. And so she has talked to them and, you know, kind of come forth. But you can't, if they say, don't say anything. And you live right there in a military town. And it was very important to Ross Horton. And they were in the public eye. You conform to things. It's not that you're put in prison or you're that. (0:21:31)
But it's just a part of nature that you do it. Someone asks you not to do something and you say yes, I will. We do what we can for our country and you just do that. We thought it seemed important. And a lot of people felt that the Air Force was doing experiments. (0:21:46)
And that this was some new experiment that they were doing. And that it would be harmful to their new experiments if you told what they were. Some other country might get the plans, you know, or some kind of thing like that. So if they were doing experiments with things, then I think that I thought that that was a possibility. We were all so patriotic. Everybody was doing their job. (0:22:17)
And they would not tell anything because a war is a war, you know. And you believe that you should be very patriotic. Both our husbands were in the service in combat. And you both live around Roswell today. Yes, we do. What would you say is the sense of the community there about now, 43 years later? Entirely different. A lot of people ask me about it. (0:22:47)
And a couple of my friends bought me the Romulans. And I have several people that have stopped me and asked me questions about it. And I have one woman's two grown sons that live in California. And they're very interested in this. And I see them every once in a while when they come to see their mother. And they told me that, one of them told me that he thought they were building some material that was similar material that they found. (0:23:31)
I think that they have almost duplicated that and it's going to go on the market. And we talk about things like that. And they believe it. And the mother worked at the base at the time. And she just says, I believe it. Believe what? That there was a flying saucer. Because she called it a flying saucer and wrote about it. That's what this lady does. (0:24:01)
She's a little older woman. But she said, I believe it. She worked at the base at the time. She's a long memory to my heart. And she lives in a rest home in Roswell. But she's got her dreams. Now if we were to take an opinion poll in Roswell, that community, what do you think? And the question was, do you believe a flying saucer crashed here in 1947? (0:24:24)
What would be the results of that poll, do you think? I think that would be at least, I think at least half of them. But now see that's the old timers too. And we have a lot of new influx of newer people there. When we're talking about Roswell in 1947, we think, Liz and I think about 15,000 is probably what it was. And now it's 40, 50. They came back from the Air Force and retired there. (0:24:51)
They liked it so well. I had friends that had gone to Germany and moved to the Cones and came back to Roswell and retired. Lots of people retired. They're not natives like we are. So now we have to take those into consideration if you're talking about the majority of them that live there right now. But the people who lived there then. (0:25:12)
Okay, let's say that. You take most of them? I think that at 60. When I got here, I arrived and there was a friend of mine who had a daughter who's just moved up here. So I gave her a call. And I said, Alice, I'm here. She said, oh, what are you doing up here? And I said, well, I came to kind of a convention for UFOs or flying saucers, just in that conversation. (0:25:39)
It was something at Roswell. And she said, oh, yes, I remember about that one. And I haven't seen her. She's been in Saudi Arabia. She's been in Sweden. She's been all over. And she was oil, in the oil business. And they had moved up here. And I said, well, I'll give her a call. So I said it to her. She had heard of it. (0:26:01)
Because her mother probably told her. Because she probably is in her 40s. So she would be someone that her mother would have to tell about the flying saucer over Roswell. They lived about 20 miles from me. But that's neighbors. That's as close as mine gets. Well, I know you ladies have a boat line to take. So I'm not going to keep you any longer. (0:26:23)
I'd just like to ask you, as a big favor to me, if you would mind reading over and signing this for me. Yeah, I appreciate it. But then you come in with your questions. Exactly. OK, well, I'll just get you started. Just asking what you were doing in 1947. How's that? OK. Don't worry about it. OK. Do you have any introduction? Nope. No introduction at all. (0:27:01)
We're just rolling the tape. And I'd just like to ask you what you were doing in 1947. In 1947, I was at the air base in Roswell. I was in the military. And I was first lieutenant at the time. My assignments were three. Interestingly enough, I was assistant flying safety officer, I was assistant base operations officer, and I was assistant group operations officer. (0:27:36)
Now, the group was the 509th Bomb Group. And because of the building I worked in, all three offices that I just told you about were contained in the same building. And for a time, it seems, I was running back and forth. At that time, I was primarily in group operations. And the call came in one day to arrange to have B-29 ready to go as soon as possible. (0:28:13)
And, of course, someone asked where to. I said, just get a crew on board and have the airplane stand by and we're going to go to Fort Worth. And that was Colonel Blanchard's directive. So I was out in the operations office. I have to explain to you, the building is an H-shaped building. And the vertical part of the H is where the two hallways were, one on each side. (0:28:49)
But the one on the right side ran directly from the parking area out front, straight through the building and out to the ramp for the aircraft. (0:28:58)
The cross of the H, half of it, was the operations, base operations office, where the base pilots came in, filled out their flight plan, and stepped to one side and obtained their weather briefing and read notices to airmen and got all the material ready to go. And the flight clearance then was taken and submitted to the tower to let them know something was going to happen and to air traffic control and so forth. (0:29:34)
As I explained last night, or yesterday afternoon, trying to clarify a point, each squadron also had their own operations set up, and they could release their aircraft without going through base operations. They would let us know that a group was taking off and just how many airplanes were, but they had already handled all their arrangements with air traffic control and with the tower and so forth. (0:30:07)
At any rate, I was in that operations office, and Colonel Blanchard drove up and came in and asked, is the aircraft ready? And I and one other fellow there, who is now dead, said, yes, it's sitting right out front, ready to go. And with this, he turned, stepped out and back into the hallway, and waved to some people outdoors and still sitting in the automobiles. (0:30:37)
And I suspect, trying to recall now, there were four or five or six people, and I'll say five, doesn't really matter, but they came in the front door, straight down the hallway, and right out onto the ramp to climb into the airplane. And these were the people that were carrying parts of the crashed flying saucer at that time, UFO today, that I got to see, and that was the only thing I got to see. (0:31:17)
And it was very short, very quick. Colonel Blanchard, in order to get out of their way, they had backed into the doorway of the ops office, and I stepped up to him and I said, Colonel, turn sideways, I want to see too. Maybe if I hadn't said that to him, made it obvious that I was there, I would not have been shipped out two weeks later. (0:31:43)
What was his immediate response to your request? Well, he just turned, and if you knew Colonel Blanchard, when he went on to become three-star general and vice chief of staff, he was a very commanding presence, and he was a good officer, a real leader. When he said he wanted something, people said yes sir, and it wasn't just because he was in the military. (0:32:11)
So he just turned and looked at me, and he did turn sideways so that I could half-step into the doorway and watch the fellows go through, and thus I saw them carrying certain pieces of these metal items, and as I've described to other people, when asked, they had one piece that was, oh, I'd like to say 18-24 inch or coffee table top size, brushed stainless steel in color, maybe if you think of the common aluminum foil roll today, when you pull it out, one side's real reflective, but that's not what it was. It was like the opposite side, which is rather dull, doesn't have great reflective power. (0:33:15)
And I've heard it mentioned now for so many times about the I-beam with the markings on it and so forth, and I actually saw that piece of I-beam being carried through and saw the markings. (0:33:34)
But it was a case of, here it was, and there it went, and very quickly, that was all I got to see. They went out, got on board the aircraft, went to Fort Worth, and Major Marshall went with them of course. I mentioned the operational setup. This had become clear in the discussion that there was some confusion about what airplane went where. One of the first interviews I did, they asked me about a B-29, and I said, oh, there was a B-25 also. (0:34:20)
Well, a couple days later, we had occasion to set up a B-25 to do something and take something to Fort Worth. Then there was a third flight, and this was the B-29 that Pappy Henderson was the pilot, and he flew to Wright-Patterson Field in Dayton, Ohio. Directly from Roswell. No stop-off. I say that, not really knowing that answer, but going back to the time element involved, I sensed the other day that everyone got the impression that Major Marshall went out to the crash site, picked up this material, brought it on base, showed it to the Colonel, and it was flown out. (0:35:16)
And at the same time, Walter Haunt had made this newspaper release, a public relations release, and within 12 hours, it was all squashed. Killed. And I picked up that everyone was thinking that everything went out on that flight. That they went to Fort Worth, and then they went on to Wright-Patterson. I'll have to jump now 40 years, because something that happened in our house. (0:35:57)
There was a couple we had in for dinner, and I knew he was a mortician, and retired. On the 40th anniversary, the local paper in Roswell reprinted the story of the flying saucer, and the pictures, or the sketches, and they had a couple sketches of what the aliens were supposed to look like. These alien bodies that were claimed to have been found. As we were walking to the front door down our hallway, this fellow turned to me and said, Did you see yesterday's paper? (0:36:39)
And I said, And the article on the Roswell incident? He said, Yes, I did. And shock number one comes when he said, That's what they looked like. Thus we stopped and talked a little bit, and I come to find out, and he has since been interviewed by Stanton Friedman. He was a mortician on duty that received a phone call from the air base asking for child-sized caskets and body bags. (0:37:12)
That night. Or, say, the night after the first airplane flew out. It develops that this individual was driving an ambulance for the mortuary, which was a service they provided the Air Force, and he had gone to pick up a sick airman in town and took him to the base hospital. Now this is the next night, 24 hours later. And he said, I'll go over and see my girlfriend. (0:37:58)
And it happens that the nurse who handled the bodies was his girlfriend. (0:38:03)
They had even been thinking about getting married. I don't recall her last name. Her first name was Naomi. He walked into her lab area and was immediately stopped by air police. And escorted out. Before he was actually taken out, she looked up and said, I will call you later. Because he said, where are you going? Well, I'm going to see my girlfriend, Lieutenant Clarkson. They took him out. (0:38:50)
Later they did meet, as he told me, and she sketched on a prescription pad what the aliens looked like. And he had that sketch and took it back to the mortuary and put it in a file in the drawer of his desk. He had a series of files on the work that he handled. All the records they were keeping. He delivered so many caskets, or he picked up so many airmen and took them to the hospital, and so forth. (0:39:21)
Stanton Friedman interviewed this individual and they arranged to go to the file building that the mortuary still maintains. And they found all of the files, manila folders and so forth, that he had had in his desk during the years he worked there. Except that one file with the sketches in it and any remarks in there. That had been picked up sometime in Texas. By whom, they don't know. (0:39:59)
But, here again, the secrecy veil had come down. You said you were shipped out shortly after this happened? Yes. Now, as I explained yesterday to the people to clarify this point of the different flights, I had learned, of course, that the sergeant of the guard with a series of airmen went out and they surrounded the site and then they swept the area and picked up everything they could. (0:40:37)
The bodies were brought in and everything was laid out in Hangar 84. And what happened to them then? Well, as I was relating to the fellows, the Air Force had established a system of... there was a base operations office for all normal activity and they controlled the weather station, they controlled the crash equipment, the tower operation that oversaw and controlled the immediate area. (0:41:12)
Each squadron had its own contact and own operations and they could set up their own training flights, establish their own contact with air traffic control, tell the tower that they were going to take off tomorrow at 10 a.m., the whole 12 airplanes or however many. And all they provided to the base was the fact that 12 airplanes leaving tomorrow may have gone on, let's say, a 15-hour mission. (0:41:45)
That's all we needed to know, speaking in terms of representing the group ops and the base ops. And one of the squadrons, this is about three days later now, four days, announced a training flight and their aircraft all took off, let's say this morning, in the order that was prescribed and so forth. And one of those aircraft was flown by Pappy Henderson, which had been loaded with all the material out of Hangar 84 and went to Wright Palace. Including bodies? (0:42:24)
Yes, they were in the caskets that this friend of mine had supplied from the mortuary. (0:42:31)
Did you see the caskets or the bodies? No, I didn't. How do you know that they were on that flight? Because that's when they got there. How do I know? I was told that's what Pappy Henderson said, he carried it. He was in the hangar and saw this material and saw that his aircraft was loaded. It was years before he mentioned anything to anybody, at any rate. (0:43:02)
In other words, what I'm trying to convey is, everything did not go out with that first airplane. And when the next flights went, we can't find out today. There's no way of tying it down. They have an idea of when he arrived there. But that's not important. (0:43:36)
The point is that once the secrecy veil dropped and Colonel Blanchard was informed and he informed his staff a day later, the official story is this was a weather balloon and that's it. Nothing further need be said. I ran into, I don't call it a misunderstanding, a lack of understanding on the part of a couple of investigative reporters, who asked me a leading question and I turned and looked at them like I'm looking at you and I said, How old are you? And they were rather startled, you know. And I said, When were you born? (0:44:13)
Well, he was born around the time of the Korean War, 1952, 1951, 1953, you know, different dates for different people. And I said, All right. I said, Your knowledge of war has been limited to the Vietnam situation and the confusion that was going on and the lack of support by people for that war and really the confused way it was run by Washington authorities. (0:44:51)
I said, Never before in the history of military operations has a national capital set back and told the people how many bombs they can drop tomorrow or how many shells they can fire in their gun. This is a ridiculous way to run an operation. But back in... Oh, the question had evolved because of Walter Hawk and myself, who knew each other at the airbase, knew of, who a year and a half later, two years later, shared an office for a year in town as civilians. He was running his little thing and I was running my little operation. (0:45:39)
And we cut expenses by sharing an office. And he had raised the question with Walter and then with me, How come you fellows never talked to each other? And Walter had made the remark, Well, I guess I know what I know and he knows what he knows and that was it. Well, how come you didn't talk to each other? That's what I'm leading to and why I asked him how old he was. (0:46:08)
He said, World War II. If you didn't experience it, it's very difficult to understand. But I said, Someone came up and slapped the collective nose of the country and we fought back. And it was in the newspapers, it was in magazines, it was on the radio, statements similar to loose lips sink ships. (0:46:33)
Don't talk about anything. Don't let on you know anything because someone is going to take the information and use it to your detriment. I said, College campuses got into it, but not by using signs that said minefield. Don't walk here rather than keep off the grass. Newly seeded areas and they'd have it roped off and it said minefield. Don't step here. Consequently, the entire country became, in a sense, brainwashed. (0:47:13)
Everyone was concerned with World War II. And I asked the question, Did you realize ever, did you ever know that everyone on the coastline had blackout curtains on their windows and on their doors? When someone rang the doorbell, they turned out the lights before they opened the door? And they said, No. I said, Well, this is true all the way down the eastern coast around Florida and the Gulf of Mexico. Theory being, we shouldn't allow the enemy to know where our cities were. (0:47:46)
Of course, now they could sit out there during the day and watch. And people in New Jersey could look out on the ocean and see tankers being blown up by torpedoes. This was taking place right out there. And this is the way we operated. You were told not to talk about anything. And then if you were in the military, it was even more emphasized. (0:48:12)
Consequently, Walter knew his thing and I knew my thing and we never talked about it. We had never talked to one another about the Roswell incident until after we were invited to come here. And suddenly we both... What do you think? I guess we both felt we had to explain to each other what we did know. What do you think happened? What crashed in New Mexico? (0:48:45)
I think some type of craft of which we were not at all familiar had a problem and did come apart and crashed in the desert area. I really do. Because the properties of the material that was found was unknown to all our scientists. The bodies had never been... no one had ever been seen like that before if these sketches were true. And I feel they were. (0:49:22)
You knew this mortician pretty well, didn't you? Yes, it developed that he and my wife went to school together. And his wife and I knew each other through some friends from the moment I first went to Roswell in 1945 to learn to fly B-29s. And we were very close friends and came close to marrying one another. And she as much was told that to my wife. (0:50:00)
She says, but you got there first to my wife Joanne. And we've been close friends ever since. All this time. Ever since the event took place we knew each other. And we never talked about it. What happened to her? The nurse? The nurse? I heard conflicting stories. I'll jump back to the time of just after the incident occurred. The airplanes had taken the parts and the body. (0:50:38)
I was shipped out to the Philippines. How soon after? Two weeks you said? (0:50:49)
Within two weeks. Was that unexpected? Well it developed it was unexpected. These things occur off and on to people. But there was a telegram. TWX called the military. It came in from 8th Air Force. It said urgent need for one each flying safety officer MOS number such and such to report to Clark Field in the Philippines. And they turn around and look. Well I'm not even sure what it might have had my name on it. (0:51:33)
Because I was the only weights and balance officer on that base. And so I was shipped out. Going to Clark Field in the Philippines because of being weights and balance officer. I understand the nurse was shipped out the same week. The sergeant of the guard and the guards, all of them who surrounded the site, swept the area and picked the pieces up. They were all shipped out. (0:52:06)
And every one of us went to a different base someplace around the world. So that no two of us were together. Was that by design do you think? Oh yes I believe it was by design because it's been looking back through the years. And even at that time I suspected something because I got to Clark Field and they didn't need a weights and balance officer. (0:52:39)
They had never asked for one. I said well that's what this telegram says. And they said we don't care what that says, we don't need one, we've got one. And we don't need another one. And I said what else do you do? And I said well, operations office. They said alright, I'll assign you to squadron so and so as the operations officer. That's where I went. (0:53:09)
We were involved in high altitude photorecon. That's what I spent time over there doing, taking pictures from high altitude. Where was the nurse shipped out to? I understand she was shipped to Germany. And I understand I was told that there was an airplane crash and she and a group of her nurses were all killed. The sergeant of the guards that surrounded the territory and picked up the material, he lives in New Mexico and I understand just recently spoke to one of the reporters for the first time, but his information has not been released in any of the stories. (0:53:59)
I say that because the investigative reporter said Bob you just saw him. And he had spoken to us for the first time since the event. Now that was nearly 43 years. Almost exactly 43 years. And he said since we're the first ones he's talked to, we're not going to use any of his material at this point. Because we have to dovetail and collaborate to make sure we're... But he said I am finding that what you said Tom, speaking to me, is what you have told us this evening just emphasizes and proves the point of what everyone else has said. (0:54:52)
This particular reporter by the way had come out of New York City and he said when he got the assignment he was totally aghast that they would think of sending him out to research some unidentified flying object which he didn't believe. (0:55:10)
But he said I've become convinced of being here. So roughly speaking that's my story. I saw a couple things. I was involved in scheduling an aircraft. I was shipped out with several other people all at about the same time. And 40 years went by before a best friend of mine spoke up for the first time and said I know something about that. Since that time Stanton Friedman has interviewed the individual. (0:55:50)
I took Stanton up in the mountains to meet the man because Stanton didn't know whether he should go. This was rather interesting as an aside. Perhaps it had nothing to do with the interview. I was talking to Stanton in his hotel room in Roswell and Stanton said well so and so has invited me up there for dinner tomorrow. Do you suppose I ought to go? (0:56:17)
He said I can rent a car and drive up there if you think it would be worthwhile. And I said Stan, knowing this individual, he's one of the good old boys. He speaks his piece. If he invited you to come up and have dinner with him, that means he wants you to come up and have dinner with him. And it wasn't a polite thing he was doing. I said it's an exceptional thing he's doing. (0:56:52)
I went home and cleared the decks with my wife and called Stan back and said I'll take you up there tomorrow. Help you and I'll introduce you. We did. They had a great interview and then we all went in to have dinner together and we continued the interview, clarifying some points for Stanton. Since you and the mortician, your friend, both had an interest in the relationship with Naomi, the nurse, I have to ask what you think about what you were told about her having been killed. (0:57:33)
Do you accept that? My only thought was... I had two thoughts about it. One is, gosh what a waste, because when I was working there in group operations, the colonel who sat in front of me, or I should say the colonel operations officer, behind whom I sat with my desk, and to my left was Major Woody Swanka, who flew the bikini drop, and the colonel got an assignment to go overseas. (0:58:22)
And his airplane was reportedly blown up all over the ocean. He had nothing to do with the Roswell incident because he was going overseas before the Roswell incident took place. And of all those things, the fellows were here today, and gosh Fred, you're going where tomorrow? Oh, is that right? You know, your airplane goes down, you're lost. Well, there's another friend gone. And that's the way he thought about it. (0:58:59)
The second thing I thought of in regards to Naomi and the nurses was... Of course now, I'm overseas, and I learned this either while I was there or right after I got back, that her airplane had been lost. So there's two possibilities. One was the normal, natural thing of some kind of an airplane being lost, because it does occur. (0:59:31)
Or, boy has the government taken that extreme to control what she knows. Because she was the one who actually worked on the bodies. And another thing was that they had called this mortician, asking him for information on taking care of the bodies, because he had just newly returned from a school with the latest methods known at that time on how to preserve the bodies. (1:00:05)
She had related to her what he knew, and she was trying to do that. She had more first-hand information about the alien bodies than anyone else. What about yourself? Do you have any concern? Are you drawing attention? No. So there's not any direct hold the government has over you in terms of... Did you sign any kind of secrecy oath? No. I was not told to keep quiet. Some people were, whom they felt had more information than they knew I did. (1:00:55)
And it's just that, as I learned, everyone was shipped out. So that probably pretty much took care of it, I suppose. It was the first initial attempt. Now, this mortician, for example, because of his involvement, he was visited. His mother and father were visited by military people, whether they were in uniform or in civilian dress. And they were warned not to say anything to anybody about anything. (1:01:33)
Very direct. And once again, I believe this man would not fail. So some people were directly told. Others were just shipped out. I came back from overseas and learned that Walter Hopp had resigned his commission. Thus they left him alone. Walter, of course, as you probably know, never did see any... He personally never saw any of the parts or pieces or whatever. He just happens to be the guy that wrote the release that stirred everything up. (1:02:20)
Yeah, and again, it was on him. Thank you, Mr. Shirky. I appreciate your time. So that's all I know. Fascinating. Absolutely fascinating. I still get tongue-tied and forget things. Questions that I've answered 15, 20 times. Same question, but put just a little bit differently. You have to shake your head and back off and regroup. Well, I don't need to give you my standard lecture about how one should be relaxed. (1:02:57)
It's just you and me talking. Just sort of ignore Tom and his camera. Just pretend they're not here. I just want you to be as comfortable as possible. I do have a bad habit, and you may think I'm looking over the camera. I'll do that occasionally. When I'm trying to think, I may lose eye contact with you. That was just strictly... I want a break. (1:03:23)
That's a good excuse. I'll look away and see if I can stop for a tenth of a second. Tom, are we rolling? Yes, we are. Mr. Hawke, can you tell me about the day that Colonel Blanchard gave you a call and told you to put out a news release? What was happening that day, as you recall, in that phone conversation? (1:03:46)
Basically, up until the time I got the phone call from him, I sure can't tell you what was happening. It was probably a very routine day. I was doing either some public relations work, base housing, or something else. I really can't remember what it was. It was just a normal work day. I got the telephone call from Colonel Blanchard, and in essence, he told me that he had in his possession a flying saucer or parts thereof. (1:04:25)
Gave me a little bit of an idea of where it came from. Ranch North, west of Roswell. Then stated that Major Marcel, Jesse Marcel, who was our base intelligence officer, was going to fly it to Fort Worth to turn it over to General Roger Ramey, who was commanding general of the 8th Air Force at that time in Fort Worth. And what did Colonel Blanchard want you to do? (1:04:57)
He told me to prepare a release with basically the information that he gave me over the phone when it was done, to take it into the community and hand deliver it to the four news media we had in Roswell at that time. Which is what I did. As best you recall, would that have happened, the initial phone conversation, during the morning or in the afternoon? (1:05:27)
To the best of my remembrance, it would have been in the morning. And I would have to guess, somewhere I would guess around 9 o'clock. The only reason I had come up with that figure is that it had to be done and gotten into town so that it would have gone to the record in time for them to set it and to have gone ahead and run it in that day's evening paper. (1:05:59)
And would you know what day this happened? I would say the 8th of July, 1947. The 8th of the Roswell Daily Record article. Once you wrote up the news release, then what happened after that? As I said, I had to take it into town. (1:06:31)
He had told me to take it in so that if there was any validity to the fact that this was a flying saucer and information got out to other news media other than our own, he felt that he wanted our people there in Roswell to have had first crack at it. (1:06:53)
Didn't want them to feel that he had given the information out to someone who got it to the press services outside of Roswell. So I took it into town and delivered it to the four news media in town, two radio stations and two newspapers. Do you happen to recall what your itinerary was? Who you went to first, for example? I'm almost certain I went to the radio station KGFL first. Secondly, to KSWS. They were a half a block north. (1:07:17)
And then I took it to the Daily Record, which was a block further north. And then on my way back out to the base, I dropped it off at the Morning Dispatch, which was about three blocks from the Daily Record. What's your recollection about the reception initially when you handed out this news release to these various local outlets? (1:07:44)
Did anybody read this material and respond immediately? I don't believe they did. I believe, again, going back many, many years, I believe the first place I went was to KGFL. And I believe I just simply left it on the desk of the receptionist, as best I recall. She was not there. And Frank Joyce, to the best of my memory, was in the studio and he could see the reception area and also see out on the street. (1:08:26)
And I think I probably pointed at it to indicate that it was something for them. I don't remember what had happened at KSWS. The record, I gave it to the editor because he sat close to the front door. Probably said, hi Don, how are you? Dad might like to have this. Nothing fantastic, just the normal routine, what I did when I brought them a news release. (1:09:03)
And then I went down to the dispatch. Again, I believe there I took it into either the editor's office or the publisher's office. I know both of them real well. Occasionally I'd stick my head in and shoot the breeze with the publisher. The actual delivering of it to who I gave it, I may have seen a half a dozen people in the different news media offices. (1:09:39)
And who I finally said, here it is. It's kind of hard to differentiate from one to the other. Nobody said, oh wow. I just looked at it and almost put it down. Most journalists treat news releases... That's right. And this was not something that was unusual because you walk into someone's office and say, here's a news release, which I had done many, many times. (1:10:12)
Nothing was that hot that they had to grab it and run back and stop presses and that type of thing. So they took it and probably glanced at it and had a few words and I went my merry way. And what happened next after you completed your appointed rounds? I returned to the base and when I got into my office, the phone was ringing. (1:10:42)
I picked it up and the first call was from London, England. I answered the phone. His question was, how did Major Marcel know how to fly this object? I had, in the release, had stated that Major Marcel had flown the object to Fort Worth, meaning that he had put it on an aeroplane and got in and flew the aeroplane. It was a poor choice of words, the way I put it. (1:11:16)
There were a tremendous number of calls of the same effect. If this was an unidentified flying object, how would we have someone within our Air Force that knew how to just get in there and flip switches and run controls? Some of them were rather terse. Is this another one of those fly-by-night stories? Can you verify it? The commanding officer was the one that stated that this is what we had. (1:11:51)
Was verification enough for you? (1:11:54)
For me, that was more than enough verification. When he said something, that was the law. That went on continually. We had continual phone calls. People that were working left somewhere around 5 o'clock. I left there, I would guess, 7.30 to 8 o'clock. By that time, it had tapered off completely. I spent the last half hour or so just looking over what had happened during the course of the day and beyond the Roswell incident. (1:12:31)
The base didn't stop operating because we found that so-called flying saucer. What happened the next day, as you recall? The only thing that happened of any import, as far as I was concerned, I believe I read it in the morning newspaper, heard it on the news that General Ramey said that we didn't have a flying saucer, that that was a weather balloon. With which I just breathed a tremendous sigh of relief and I think I turned to one of the people in the office and said, well, they sure made fools of us again. Then again, we fit into the category of hundreds of others that had said they saw flying objects. (1:13:20)
It was not uncommon for people to think they had a flying object and then lo and behold, it shot down. Beyond that, that was the end of it. Did you see any of this wreckage or any of the material? None whatsoever. Do you believe that Colonel Blanchard had seen it? Yes, I do. And why do you feel that way? I don't think he would have been so, I don't want to say gung-ho, but I don't think he would have been so confident in his comment. (1:13:58)
We have a flying saucer in our possession, or parts of a flying saucer, I don't know. He wasn't overly excited, he wasn't flipping about it. It was a normal, routine type of conversation that we'd have when he'd call me and say he wants this done. But he sounded pretty positive about it. He sounded positive, yes. About what he had. Would you have any reason to believe that Colonel Blanchard would have mistaken this material for being any form of weather balloon or observation device? (1:14:39)
I don't think there's one chance in a billion that he would not have recognized a weather balloon. He was a West Point graduate, class of 37 as best I recall. Had gone up through, from second lieutenant up to colonel, not too many years. Very intelligent individual, not the type to just jump off on tangents. I think he knew a weather balloon if he had seen it, and that would have been the end of that. (1:15:15)
He wouldn't have gone anywhere with it. He would have told Major Marcell, this is a weather balloon. Then again, Major Marcell would have known that it wasn't a weather balloon. That was my next question. Is it possible that Major Marcell would have been misled? No. Is it possible that Colonel Blanchard might have been misinformed by somebody who told him about what this wreckage was without having seen it for himself? (1:15:41)
I would doubt that very much. (1:15:43)
I don't think he would have taken the actions he did by going down to operations with it. If he was there in the operations building, he certainly saw it. I'm sure that Major Marcell had talked to him and had given him some pretty sage advice as far as he was concerned. I don't know how much Jess Marcell knew about it. He, again, was a very intelligent individual and not the type that would just jump at anything and try to carry it to an end. (1:16:26)
Between the two of them, I'm certain that one or the other would have called the other one's hand if it was a weather balloon. So what did you think when General Rainey said it was a weather balloon? Did you believe that? In 1947, when the General said it was a weather balloon, it was a weather balloon. And it was a load off of our mind, as far as I was concerned. When I said our mind, my office, the operations office. (1:16:59)
Because you no longer be the focus of border protection? We were out of it completely. You're just as happy that that was the case? Very much so. As far as I was concerned, that was the end of the story. Surprisingly, I used to see General... at that time, he had become a General Blanchard. When he'd come into town, he'd call me and I'd go out and have breakfast with him. (1:17:28)
Never a word was mentioned at any time during any of our conversations. Was that deliberate on your part? No. I had very frankly completely forgotten about it. And whether he had forgotten, I would doubt it very much, but he just never brought it up. Did anything happen, did the Colonel say anything about this incident shortly after General Ramey's statement? Perhaps in a staff meeting? (1:17:59)
In the next staff meeting, which was about a week later, I think we held them at that time every Monday. He made some comments about our agenda and what we were going to talk about. I believe after those comments, he made some statement. He said, to the effect, we sure messed up on that one last week. Matter of fact, he said, that outfit that was sending those weather balloons up were here on our station. (1:18:34)
They were from White Sands, and they were checking the upper atmosphere winds from east to west. He sort of helped buttress the weather balloon theory. With that comment, we all, see, we knew it all along. We were all real smart all of a sudden. We knew that it wasn't a flying saucer. Did you ever have a chance to talk with Jesse Marcel? Not until about 1980 was the next time I talked to him. (1:19:16)
Jesse came to Roswell with Johnny Mann from a TV station in New Orleans. He was taking Mann out to the site to show him where it had happened. He interviewed myself and had brought Jesse with him. (1:19:38)
I spent an hour and a half or two hours with Jesse. At that time, that was no weather balloon. What I brought into the General's office is not what was there when I came back in. The news media were there. That kind of convinced me. He was a neighbor of mine, a block down the street in Roswell. I had high regard for the man. He was a very fine individual. (1:20:15)
We were impressed with his son, now Dr. Marcel. He was quite a sharp little 11-year-old. I believe he was 11 or 12, whatever it was. He was as sharp as a cracker. I think he still is. What about another officer there on the base who worked with Major Marcel, Sheridan Cabot? Does that name ring a bell with you? The name, yes, I'd heard it. (1:20:48)
He was OSI or CIA or something. I had no association with him whatsoever at any time. Had you asked this question in 1947 and he walked by, I could have said, that's him over there. That would have been about the extent of it. Had nothing to do with him in any way, manner, shape or form. There has been some talk about the circumstances under which you left the Air Force. The suggestion was that somehow you were pressured into leaving because of your involvement in the story and that sort of thing. Can you set us straight? (1:21:35)
Do you want a long story or a very short story? Well, let's try the short version and I could ask questions. At the time of the incident, we had a two-month-old daughter. We had built a house a couple of months before. I was gone a lot of the time. I had about four different jobs. We were starting to wonder, well, I think my daughter at her age of two and a half or three months, wondered what this was that came in the house every once in a while. (1:22:10)
My wife and I talked about it and talked about it. It was quite a decision for us to have made to try to decide to stay in the service or get out. We kicked this thing back and forth and back and forth and finally in February 1948 we decided that we'd stay in Roswell. I felt I knew enough people in business there that if nothing else I could get a job in Roswell. I submitted my letter of resignation. I was a regular Air Force officer. (1:22:50)
Put it on Colonel Blanchard's desk April 1, 1948. On August the 18th of 1948, I got a twix at the base. Started out with First Lieutenant Walter G. Haught, serial number 041123. And goes on and on and on and on and on. And it states that relieved of all duties and assignments and all that. And it ends up Mr. Walter G. Haught's permanent address is 1405 West 73rd Roswell, New Mexico. I thought it was rather humorous. I started out as Lieutenant Haught up here and a twix that long at the bottom. (1:23:34)
I was no longer. I was Mr. Haught. It had nothing to do whatsoever with the incident or anything else that had happened on the base. (1:23:48)
It was just a personal matter that my wife and I both felt we'd like to raise our daughter in Roswell. It was a small enough community, good school system, everything else. Maybe we shouldn't have been thinking that far ahead at that point in our life. But it was one of the things that we were taking into account. I was also probably going to be transferred to Fort Worth within a matter of four or six months. (1:24:20)
We didn't want to go to Fort Worth. We wanted to stay in the smaller community. Blanchard had told me that if I did go to Fort Worth, that I would become Public Relations Officer, 8th Air Force. He transferred over there subsequently and became Operations Officer, 8th Air Force, and from then on he... He was rather well connected, wasn't he? Yes. His mentor was General Curtis. I have to stop on that. (1:25:02)
I always want to say Curtis E. LeMay. So as far as you're concerned, you could have stayed with the military and enjoyed a rather bright future. No talk about your being shipped out after the... None whatsoever. Things just went on the way they had been going on. Not the day I arrived on the station, but after we came back from Bikini. They were attacking, and when I came back to Roswell, Blanchard made me the Group Public Relations Officer and also Base Public Relations Officer. Do you have any regrets having been involved in this incident? (1:25:49)
None whatsoever. I found it fascinating. I meet so many different people. 99% are real nice, but once in a while that 1% always pops up and squirts you away and goes on your merry way. It's been fun. In your heart of hearts, what do you think it was that was on that ranch in Roswell 43 years ago? Some type of craft from outer space, from where I do not know. (1:26:25)
I've talked to enough people involved in it, such as Jesse, Marcel Sr. and Jr. Other people that have had a little touch of it, Bob Shirky, who still lives in Roswell. Everything I've heard from the investigators, every time they come up with something new, I'm kind of, wow, that really is a surprise. That puts another star on the crown, or whatever you want to say about it. (1:27:08)
My feeling is that there's been so much that has been brought forward by legitimate people that there had to be something to it. And apparently that is what it was. It was something that actually landed out there in the desert. I'm a firm believer. Can I get you to express your desire about what our government should do about this, at this point in history? (1:27:38)
Well, very frankly, I think that the government ought to take all files that they have on this subject and turn them over to a committee of legitimate ufologists, if you permit the use of that word, whether they be the ones that I'm familiar with, or a panel of scientists who are not negative, but will look at all the information with an open mind and come up with a conclusion. (1:28:19)
I think that, you know, this is censorship, pure and simple. I don't like it. (1:28:31)
We want the right for people to walk the streets with placards and protest. I wonder what would happen if a bunch of people started walking around the Pentagon or the archives carrying signs, we want the files. I don't think we'd get very far. I bet you're right. (1:28:58)
Is there anything that I've missed in all of this that you feel is important to add to this record that we're trying to put together? Any experiences that you've had? Any thoughts? Well, all my experiences with this have been extremely pleasant. I've met some of the nicest people. I've only had one experience. It was a telephone call from a fellow. I was out at the time and I came home. My wife said, the shadow called you. (1:29:31)
And I said, you know the shadow and the squeaking door? This fellow had called me. He was a friend from my past. And he spoke very low voice and very slowly, telling me that I was going to be in trouble. I should forget this whole thing. He told me all about how the materials were found and they were put on freight cars and shipped from one place to the next. (1:30:08)
My recollection of that is real vivid, primarily because I was trying to talk to this fellow and keep a straight face. My wife kept walking near me like, creak. I thought that was funny. He told her, when she first talked to him that morning, he said something to the effect of, what do you think about it? Oh, I think it's a lot of fun. There's nothing funny about it. (1:30:46)
That was really kind of a crank phone call. Do you know who this was? No. I tried everything I could to trick him into giving me some clue that I know him at the base, that I know him from where. He just didn't stop. He kept on, not threatening me, warning me about the dire consequences if we still laughed about it. The rest of the people have just, everybody's been extremely gracious. They're very knowledgeable people. (1:31:31)
Once in a while you get someone who asks a question that kind of throws you off in the corner. I've tried to answer everything as honestly as I can and I've had no trouble with anybody. I try to keep my story straight. Let me change that. I try to keep my story simple so that it'll be straight and I don't have to cover anything up. (1:31:56)
And that's about it. Enough of that, hasn't it? Thank you very much. I appreciate it. You're welcome. Tell you what, we'll let you get back to the meeting. I'll walk you down there. Oh, before I let you go... (1:32:09)
(2025-01-04)