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Jeffrey Mishlove:Susan Blackmore は禅を実践中だ

· 約111分

前置き

超心理学に若干でも関心があれば、超心理学の研究者から否定者に転向した Susan Blackmore の名前を知っている筈。その Susan Blackmore が禅を実践中だという話を聴いたので雑ネタとして記録しておく。

あの髪を緑に染めていたキツイおばさん お年を召した おねえさま(下)が、禅にどっぷりとハマっていたとは意外。

20240723_blackmore.jpg

関連

「あの世は存在する」という臨死体験の証言と、それに対する反論:動画(50分) (2013-11-10)

Susan Blackmore がアブダクション現象を扱ったドキュメンタリー動画 (途中:その1) (2015-08-08)

Whisper AI(large-v2 model) + DeepL(new model)

超心理学者として私が認識している違いのひとつに、例えばスーザン・ブラックモアという非常に著名な人物がいることが挙げられます。私の理解では、彼女は禅仏教の実践者であり、超心理学の懐疑論者でもあります。 (00:13:30)

彼女はおそらくこう言うでしょう。彼女の意見は他の誰の意見と同じようにまだ変化している可能性があるので、彼女の代わりに話すのは気が引けますが、超心理学者はまだ、サイ(超能力)や超常現象、人間の超感覚知覚能力が存在することすら証明できていないと彼女は言うでしょう。 そして、それは彼女の考えでは、禅仏教の思想やシンプルさとは完全に一致するでしょう。一方、チベット仏教には、幅広い密教の禅仏教があります。 (00:14:04)


Well, one of the distinctions that I'm aware of as a parapsychologist is, I know, for example, there's a very prominent individual, Susan Blackmore, who to my understanding is a practicing Zen Buddhist and is also identified with the skeptics of parapsychology. She would probably Zen Buddhist and is also identified with the skeptics of parapsychology. (00:13:30)

She would probably say, and I hate to speak for her because her views are probably still changing like everybody else's, but I'm pretty sure she would say parapsychologists have yet to prove that psi, or the paranormal, the extrasensory perception abilities of the human being even exists at all. And that would be, in her mind, completely compatible with the ideas, the simplicity of Zen Buddhism. Whereas, let's say in Tibetan Buddhism, you have a wide range of esoteric Zen Buddhism. (00:14:04)

動画(54:36)

Buddhist Schools of Thought with Gary Gach

www.youtube.com/watch?v=ITgKQutCMc8

動画概要欄

1,600 views Jul 22, 2024 Gary Gach is an adjunct faculty member at the University of San Francisco. He is author of The Idiot's Guide to Buddhism as well as Pause, Breathe, Smile – Awakening Mindfulness When Meditation is Not Enough. He is cotranslator of three Korean books of poetry by Ko Un. He is editor of What Book!? Buddha Poems From Beat to Hiphop. He recently served as cotranslator for Hafiz's Little Book of Life.

Here he reviews and presents his take on different movements within Buddhism – including theravada, zen, pure land, and mahayana.

Whisper AI(large-v2 model) + DeepL(new model)

RAG/検索 用に動画全体の 文字起こし+和訳を折り畳み状態で添付しておく。

▼展開

New Thinking Allowed は、カリフォルニア・インスティテュート・フォー・ヒューマン・サイエンス、マインド・ボディ・スピリット・ユニバーシティが提供しています。 同校は、ここで取り上げている多くのテーマについて、米国で正式に認定された対面およびオンラインの大学学位プログラムを提供するリーダー的存在です。 Thinking Allowed は、心理学者ジェフリー・ミッシュラブによる、知識と発見の最先端についての対談です。 こんにちは、ジェフリー・ミッシュラブです。今日は仏教における主要な思想を探求します。 (00:00:49)

今日は仏教における主要な思想を探求します。ゲストはサンフランシスコ大学の非常勤講師であるゲイリー・ゴック氏です。著書に『The Complete Idiot's Guide to Buddhism』や『Pause, Breathe, Smile, Awakening Mindfulness When Meditation Is Not Enough』などがあります。彼は、高銀の詩集3冊の共訳者でもあります。また、『What Book? Buddha Poems From Beat to Hip-Hop』の編集者でもあります。 (00:01:24)

最近では、ハーフェズの『Little Book of Life』の共訳者としても活躍しています。前回のインタビューは、14世紀のペルシア神秘詩人ハーフェズについてでした。そのインタビューにリンクを貼っておきますので、ぜひお楽しみください。お使いのコンピューターがリンクを認識できる場合は、画面の右上に表示されます。 ゲイリーはサンフランシスコ湾エリアに住んでいます。 では、インターネットビデオに切り替えます。 ゲイリー、ようこそ。またお会いできて嬉しいです。 (00:02:03)

では、インターネットビデオに切り替えます。 ゲイリー、ようこそ。またお会いできて嬉しいです。 ジェフリー、ありがとうございます。こちらこそ。前回、インタビューさせていただいた際、スーフィーの伝統と深く関わっている偉大なペルシャの神秘家、ハーフェズについてお話を伺いました。しかし、スーフィーの信条に加えて、あなたは仏教徒でもあります。そこで今日は、スーフィーの信条に加えて、仏教徒でもあることについてお話をお伺いしたいと思います。 (00:02:28)

今日は、仏教の主要な宗派についてお話をお伺いしたいと思います。仏教について耳にすることはあっても、ほとんどの人は小乗仏教と大乗仏教、上座部仏教とチベット仏教、浄土教の違いを認識していないと思います。そこで、今日はさまざまな宗派について掘り下げていきたいと思います。素晴らしい。私が仏教について少し知っている範囲では、私は仏教徒ではないのですが、仏教はとても好きです。ちょっと待って。 (00:03:01)

ちょっと待って、仏教徒と非仏教徒の違いを知っていますか? いいえ。 非仏教徒は違いがあると思っています。 わかりました、あなたは仏教徒ではないんですね。 私は、何と呼んでいいかわかりませんが、帰依をしたことがありません。 ああ、帰依ですね。でも、調査によると、WuthnowとKajというプロの調査員(素人ではない)が、8人に1人が「はい、仏陀の教えを聞いたことがあります。それを日常生活に取り入れています」と答えたそうです。 (00:03:38)

確かに瞑想は一般的に行われており、マインドフルネスもそうです。 ええ。そして、人生は常に変化し、すべてのものは相互に関連しているという意識も。 ええ。とにかく、素晴らしい紹介を続けてください。私はそれが好きです。 さて、私の理解では、ヴィパッサナー瞑想を教える人々は、小乗仏教または上座部仏教の伝統の一部であると思いますが、彼らの教えはブッダの本来の教えに最も近いと言います。彼らがそう言う限り、私たちが唯一の学校であり、ブッダの教えであると彼らが言い始める限り。 (00:04:23)

彼らがそう言い続ける限り、自分たちが唯一の宗派だと言い始める限り、私たちは本当に最高の宗派なのです。なぜなら、人間にとってそれは自然なことです。 (00:04:29)


ダライ・ラマはヴィパッサナーや禅や浄土について語るつもりはありません。 そのため、これらの宗派はこれまで地理的にも分断されたまま、別々のままなのです。しかし、グローバリズム、そしてここ西洋では、それらにアクセスすることができます。そして、はい、ヴィパッサナーの伝統、上座部仏教、私たちは面白い理由で小乗仏教とは言いません。 しかし、私は原始仏教と言います。2600年前にブッダが説いた教えをほぼ忠実に守っている宗派があります。そしてそこから、私たちはマインドフルネスを得ることができます。また、2600年前に確立されたアビダルマというパッケージもあります。 (00:05:20)

そこから、マインドフルネスを得ることができます。また、アビダルマというパッケージもあります。これは、非常に高度な教えで、アビ、アビ・スーパードラマと呼ばれています。これは、荒野で修行する僧侶たちが、最深部を探索した結果生まれた概念です。西洋心理学なんて幼稚園の教育レベルにしか見えないでしょう。 Abhidharmaは、意識の112段階のチャート、あるいは12の輪、つまり非常に集中的な心理学を提供します。 (00:05:57)

そして、それはかなり、ご存知のように、ブッダの教えを保存しています。その基礎となる教えは、私には一つの教えしかありません。その一つの教えとは、苦しみと苦しみからの解放の本質です。そして、あなたは、ちょっと待って、それは2つのことではないの?と言います。そして、あなたは、いいえ、と言います。そして、あなたは苦しみの本質を理解し、苦しみの解放ができるようになります。これは四諦と呼ばれています。そして、上座部仏教では、それを聞いたことがありますか?それを理解していますか?それを「四諦」と呼びます。 (00:06:31)

そして、上座部仏教では、それを聞いたことがありますか?それを理解していますか?それを認識していますか?それを理解していますか?次のステップに進んでください。これは非常に集中的な、一種の訓練のようなものです。しかし、上座部仏教の最も有名な教師は、タイにいたアジャン・チャーです。彼の生徒たちは森に出かけて行きました。ブッダもそうして、座禅を組んで、大蛇が体を横切るような体験をし、それが道となるのです。 (00:07:03)

ええ、上座部仏教は、ブッダの教えのオリジナルであり、始めるのにふさわしい場所です。 その伝統は、多くの点においてチベット仏教とは正反対です。なぜそう言えるのですか?なぜなら、これは私の視点ですが、明らかに部外者のようなものとして、上座部仏教の伝統にはある種のシンプルさがあるからです。 ああ、チベット仏教は複雑です。 ですから、対照的です。あるいは、その前に、もしよろしければ、あなたと私、そして私たちのリスナーの皆さんに考えていただきたいのですが。 (00:07:48)

あるいは、その前に、あなたと私、そして私たちのリスナーの皆さんに考えていただきたいことがあります。これは、包括性と平静を保つための実践だと考えてください。なぜなら、心の傾向として、違いを見つけ、対比し、比較しようとするからです。そして、私たちはそれに囚われてしまい、損をしてしまうことがあります。バスを降りたときに、私にはある例えが浮かびました。私たちは羅針盤のようなものです。 (00:08:13)

もし、中心の片方の足で立ち止まっていれば、他のすべての宗派に触れながら回転することができます。 つまり、チベット仏教は最も複雑です。 また、それは秘教でもあります。つまり、もしあなたが27人の人々に何かを教えているグルを見かけたとしても、丘を越えてやって来てそれを見たとしても、パスワードを知らないのであなたには何の意味もありません。 (00:08:46)

あなたはまだ入門していないので、その秘密の深遠な意味を知りません。ですから、最初に仏陀とつながり、その系統とつながっているグルに直接つながることが必要です。上座部仏教は、すべて仏陀の教えです。私たちは皆、仏陀の子孫です。しかし、チベット仏教や金剛乗は阿毘達磨(Abhidharma)を包含しています。それには、いわば以前の学派も含まれており、他のすべてを小さく見せるような、ロケット船のような設計を作り出しています。 (00:09:34)

他の主な学派としては、禅宗と浄土宗があります。 (00:09:38)


今日では、本当に8つありますよね?1つは『法華経』という本に基づいています。そこから『ニシャラン・チュー』や『ニシャラン』そして『創価学会』が生まれ、彼らは戸をたたいて教えを説くのです。もう1つは『華厳経』という本に基づいています。これは多巻からなる壮大な叙事詩で、読み解くのに何年もかかります。 もう1つは倫理のみに基づいています。意識的な行動の指針を実践するだけで、私たちは倫理に基づいています。 (00:10:16)

意識的な行動のガイドラインを実践するだけで、完全な覚醒を達成できるのでしょうか? 私が最もよく耳にするものとは異なります。 これらは上座部仏教、ヴィパッサナー、洞察瞑想、原始仏教です。 禅は、西洋の入り口という意味では確かに最も大きなものです。 浄土宗は、最大でありながら、アジア系アメリカ人やアジア人以外にはほとんど知られていません。そして、金剛乗は、私たちにとっては、そして、非アジア系アメリカ人やアジア人にとっては、最も知られていないものです。 (00:10:53)

そして、私たちが知っている金剛乗は、チベットを通じて知られています。そして、私が本の中でこのように整理しているのは、ある種の、そのようにすれば段階的な進歩があるからです。そして、このうちのいくつかは、教えが広まる可能性について、一歩下がって考える必要があります。 教えは教えですが、人々は旅をし、さまざまな国に行きます。 (00:11:24)

そして、羅針盤は中心にあるのに、さまざまな国を旅するという興味深い現象が起こります。そして、異なるスケールで、仏教徒の人数と同じくらい多くの仏教が存在するため、文化的な違いが生まれます。 個人が聞き、理解し、認識し、受け入れ、実践するものは、その人にとっての仏教の方法、または仏教を他の方法と併用するその人の方法です。 それが、仏教の方法、または仏教を他の方法と併用するその人の方法に至る理由です。 (00:12:05)

だから、私たちはこれらの異なる宗派について議論することになったのです。 米国では、仏教は最も急速に成長している宗教の一つだと理解しています。 その通りです。おそらくイスラム教に次いで2番目だと思います。ヨーロッパではスウェーデンで、あらゆるものを追い越す勢いで、メキシコでも大きく、イタリアでも成長しています。米国でも確実にそうです。そして、それが一種のフライホイールのようなものを作り出します。アジアでは、西洋がこれについて話していることを知ります。 (00:12:45)

そして、彼らは、ああ、それは私たちの土着の伝統の一部なのだと気付きます。西洋がそれに興味を持っているのなら、私たちもそれを盛り上げるべきだ。そして、風の大洋を越えるようなものができて、大きな渦巻きが生まれます。 超心理学者として私が認識している違いのひとつに、例えばスーザン・ブラックモアという非常に著名な人物がいることが挙げられます。私の理解では、彼女は禅仏教の実践者であり、超心理学の懐疑論者でもあります。 (00:13:30)

彼女はおそらくこう言うでしょう。彼女の意見は他の誰の意見と同じようにまだ変化している可能性があるので、彼女の代わりに話すのは気が引けますが、超心理学者はまだ、サイ(超能力)や超常現象、人間の超感覚知覚能力が存在することすら証明できていないと彼女は言うでしょう。 そして、それは彼女の考えでは、禅仏教の思想やシンプルさとは完全に一致するでしょう。一方、チベット仏教には、幅広い密教の禅仏教があります。 (00:14:04)

一方、チベット仏教には、超常現象を伴う幅広い密教の修行があります。これまで挙げたものの中で、チベット仏教徒が最も多く持っているのが、シッディと呼ばれるものです。S-I-D-D-H-I-S、意識を都市の大きさにまで拡大したり、空中浮遊したり、全知全能になったり、人間の可能性のあらゆる側面を網羅したりできるのです。しかし、禅では、どの宗派かはよくわかりませんが、チベット仏教のような人間の可能性について知っています。 (00:14:38)

しかし、禅では、どの宗派かはよくわかりませんが、禅には2つの宗派があり、禅が非凡な状態と呼ぶものについての理解があります。禅に入ると、やがて誰かが言うのを耳にするでしょう。非日常的な状態を経験するだろうが、それに執着してはいけない。それはやって来ては去り、やって来ては去る。それを具体化したり、それについて何かしようとしてはいけない。しかし、禅では確かに存在している。 (00:15:11)

私は座っているのですが、10数年間にわたって禅のグループを主催してきました。そして、その特定の金曜日、なぜか、自分が2分ほど時間を引き延ばしていることに気づいたのです。そして、私が終わるとドアが開き、私は「すみません、遅れました」と言いました。私は、彼らが部屋にはいないけれど、正面のドアから入ってくることをなんとなく知っていたのでしょうか?禅を実践するとき、私たちはそういう可能性を秘めていると思います。しかし、禅には、特に日本の禅には、中国のものとは対照的に、私たちに開かれた可能性があります。 (00:15:49)

しかし、禅には、特に日本の禅には、中国、韓国、あるいは私の流派であるベトナムのものとは対照的に、このような、それについては深く立ち入らないでおきましょう。 (00:15:55)


懐疑論者と言うと、まず思い浮かぶのはソクラテス以前の、エピクロス派、懐疑論者、ストア派ですが、彼女はそういうタイプではなく、皮肉屋でもありません。 懐疑論者、あるいは嘲笑者、とも言えるでしょう。 言っておこう。私たちの共通の友人が90歳の誕生日を迎えたばかりだ。おめでとう、ラッセル。ラッセルは以前、基本的に、ロンチェンパを読めば、と私に説明した。 (00:16:33)

ラッセルは以前、私に説明してくれたんだ。基本的に、チベットの哲学者、学者、都市であるロンチェンパを読めば、パドマ版を好むことがわかる。つまり、彼は自分がそこでやっていることを、空性と呼ぶんだ。もし自分が現実の本質と一致すれば、それは空虚ではない。無限の可能性、つまり、何もないという意味で空虚ではないし、何も重要ではない。それは、何も存在しないという意味では何もない。 (00:17:10)

それは、すべてが可能という意味では何もない。 つまり、彼は、自分の才能を見出すとしたら、禅における空性を見出すだろう、と。だから、私はよくわからない。言い方を変えると、超心理学の分野で、自覚的であろうと無意識であろうと、仏教というよりは、もっと適切な言葉が見つからないので、この方法も実践している人がどれくらいいるのかわからない。 (00:17:44)

さて、東洋と西洋のアプローチの違いがそこにあります。 私たちは仏教という言葉を使います。それを何と呼ぶのでしょうか? いい質問ですね。もしそれを呼ぶとしたら、つまり、私は、彼らは皆、私は自分自身を何とも呼びません。いつもここにいます。ブッダ・ダルマは、イズムというよりも、ブッダを意味します。ブッダは、覚醒、覚醒、覚醒者、悟り、充実した生活などの語源です。 (00:18:25)

そして、ヒンドゥー教の教えから取られたダルマは、道という意味です。しかし、あなたの、ほら、ボタンが示すように、あなたの陰陽は、まっすぐで狭い道ではありません。 それは、定義できないのです。本質的に、本当にピンとこないものです。だから、彼らは仏陀の教えと言うのです。ええ、東洋と西洋の違い、そしてそれはおそらく5番目の宗派でしょう?私は、長年にわたり、西洋の物理学者、心理学者、医師でもある多くの仏教徒にインタビューしてきました。そして、彼らがやっていることは、西洋の物理学者、心理学者、医師でもあるということです。 (00:19:20)

そして、彼らがやっていることは、彼らの仏教を西洋科学の理解と融合させようとしていることです。実際、ダライ・ラマ自身が、同じ目的で西洋の学者を招いて多くの会議を開いていると私は思います。うーん、これは興味深いですね。2つのことを聞きました。1つ目は、仏教は棚の上のオブジェのようなものではないということです。それは生き続ける伝統であり、あなたの人生そのものです。禅仏教は棚の上のオブジェのようなものではありません。 (00:19:50)

それは生きている伝統であり、あなたの人生です。禅仏教徒は、ジェフリー・ミッシュラブと仏陀と禅の間に違いは無いと言います。それはすべて現象です。もしあなたが配管工であれば、禅はあなたの配管になります。先日、ある請負業者と話していました。彼は、あるプロジェクトを担当していたとき、問題を引き起こしている状況から少し距離を置くだけで、物事がうまく解決していくことに気づいた、と話してくれました。問題を引き起こしている状況から少し距離を置くだけで、物事がうまく解決していくことに気づいた、と話してくれました。 (00:20:20)

それは、自分自身で解決方法を見つけ出します。禅はどうですか?彼は請負業者です。科学者なら、これは私が2番目に耳にする話です。これは私にとって興味深いことです。なぜなら、私はガートン科学の愛好家であり、ニュートン科学は、ええと、すみません、間違った番号だと思います。しかし、ダライ・ラマは、科学を仏教徒との対話に持ち込むための興味深い原動力です。そして彼は、仏教徒との対話に科学を持ち込むための原動力だと言っています。 (00:20:56)

そして、科学がチベット仏教の何かを否定する何かを示してくれるなら、私はそれを手放すだろうと言っています。 (00:21:05)


そして彼らはまだ生まれ変わりに至っていません。しかし、もしあなたがこの番組についてきているなら、この番組がどこに向かっているのかお分かりでしょう。ある意味、これはトロイの木馬のようなものですね。彼がチベット仏教を理解する西洋の著名な科学者を招待し、彼らに「意志をどのように測定するか」について語ってもらうのです。ああ、あなたは研究室でそれを試したのですね。興味深いですね。私たちの僧侶たちも「意志をどのように測定するか」について試しました。ああ、あなたは研究室でそれを試したのですね。 (00:21:34)

興味深いですね。うちの僧侶たちも同じことをやっていて、同じ量だとわかったんです。それは一瞬の60万分の1のようなものです。 興味深いことに、私たち2人の意見が一致しているんですね。でも、そうではありません。私はそうは思いません。彼はいつも興味をそそられていました。まるで工作家のようです。彼はいつもそういった、そういった意味で科学に魅了されていました。 仏教や東洋の科学には、デカルトやニュートン的な思考と完全に一致するとは言えないが、より優れているものがあると思います。そして最終的には、それがより優れているという多くのことを改善するかもしれません。 (00:22:20)

そして最終的には、私たちが抱える多くの障害をある程度改善できるかもしれません。なぜなら、科学は常に物質と物質の関係性を探求してきたからです。そうです。この原子とあの原子との関係を見てください。そして今、彼らは原子が何であったかを特定するよりも、その関係性を探求し始めています。しかし、物質と非物質の関係はどうでしょうか?物質と非物質の関係はどうでしょうか? 祈りはその中間に位置するようなものです。そして、彼らはついに非物質と非物質を発見したのでしょうか? 祈りはその中間に位置するようなものです。 (00:22:55)

そして、彼らはついにマギル大学で行われたランダム化プラセボ二重盲検試験を発見しました。この試験では、長距離、非局所的な現象が他の人々に影響を与えることが示されました。それは祈りと呼ばれています。でも、何千年も前から、5年から50年、50万年も続いていることについて、彼らはまだ議論していると思います。西洋の科学よりも長い期間です。すみません、つい反応してしまいました。さっき、輪廻転生についておっしゃいましたね。その考えについて。 (00:23:32)

ああ、さっきの輪廻転生ですね。 もし科学が輪廻転生を否定できるなら、ダライ・ラマはそれを放棄するだろう。 あなたが言ったことは、事実その通りだと思います。 さて、バージニア大学では、科学は正反対のことをしています。彼らは、自分の前世を覚えている幼い子供たちの事例を何千件も収集しています。そして、多くの場合、実際に前世を覚えている人物を特定することで、これらの事例を解決しています。 (00:24:06)

そして、多くの場合、実際に前世を覚えている人物を特定することで、これらの事例を解決しています。しかし、私が間違っているのであれば訂正してください。浄土宗は輪廻転生を認めていないと理解しています。まあ、正確に言えば、ダライ・ラマは輪廻転生を信じていません。彼らはそれを「生まれ変わり」と呼んでいます。そして、問題は、何が生まれ変わるのかということです。私はかつてチベット仏教徒と3時間ほど話し、彼らが言うところの「生存」について理解しました。しかし、彼らは輪廻転生とは言いません。なぜなら、輪廻転生と言うと、すでに「生存」と言っていることになるからです。 (00:24:44)

しかし、彼らは輪廻転生とは言いません。なぜなら、輪廻転生と言うと、すでに、固定的で恒久的な、輪廻する別個の自己が存在することを意味してしまうからです。また、それは天国と天国の神の存在を前提としています。彼らは「再生」と言います。なぜなら、それは私とあの木がミネラルを共有する継続的なプロセスだからです。ある時点で、その木は私の母でした。 ですから、私たちは絶えずお互いを生み出しており、それは人間だけではありません。 種族もそうです。ですから、私たちは絶えずお互いを生み出しており、それは人間だけではありません。 (00:25:17)

種族、すべての種族は絶えず生まれ変わりの状態にあるのです。 浄土、わかりました。 (00:25:23)


もう少し詳しく教えていただけますか?どこでそれを聞いたのか、あるいは何を聞いたのか、この素晴らしい浄土について、私たちの素晴らしい聞き手を紹介する前に。私が聞いたのは、ほんの少しのことですが。 それは、浄土は、肉体が死んだら、私たちは浄土、つまり源に戻るという考えを示唆するというものでした。ある人は、神や絶対的なものと融合すると言うかもしれません。 (00:26:02)

そして、戻ってはこない。 そうですね。 まあ、これは私たちにとって最も理解されていない道です。 私たち、目黒連、丸い目の人たちにとって。 浄土とは何かという背景を説明すると参考になると思います。 わかりました。 教えが南アジア、カンボジア、ラオス、スリランカを離れ、ヒマラヤを越える。そして、ヒマラヤ文化とスリランカがヒマラヤを越えるのは初めてのことだった。 (00:26:42)

そして、ヒマラヤ文化と東アジア文化が初めて出会うことで、禅や浄土などが誕生したアジアが生まれたのです。 その違いの一つは、悟りを開くために修行するモチベーションです。悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟りを開くために修行するモチベーションは、悟 (00:27:12)

それはうまくいかない、なぜならあなたは常に他の人と一緒にいるのだから、と彼らは言う。これはすべての生き物について言えることだ。そして、菩薩の誓いというものがある。聞いたことがあるだろう。 それは、今、私は涅槃の門からあなたのもとへ来ている。私は125%の完全な悟りを達成しようとしている。しかし、私は言う。いや、やめろ、静止しろ。私は悟りを125%達成しようとは思わない。 (00:27:46)

しかし、私は言う。いや、やめろ、静止しろ。すべての存在がこのドアを通れるようになるまでは、私はもう一歩も進まない。私は自分のためだけにそれをしようとは思わない。なぜなら、私が悟りを開いたときに他の人が悟っていないような存在にはなりたくないからだ。 そして、私の悟りと他の人の悟りは互いに結びついている。 だから、こういうことがあった。だから、私たちは神聖な物語に入る。ダルマカラという名の僧侶がいた。だから、こういうことがあった。だから、私たちは神聖な物語に入る。 (00:28:12)

ダルマカラという名の僧侶がいました。彼の修行は素晴らしく、功徳と呼ばれるものを獲得しました。あなたとあなたの環境との関係です。カルマについて少し考えてみましょう。私が、幸せで穏やかで調和のとれた存在として歩き回れば、私の周りの人々も調和し、幸せで穏やかになるでしょう。私が偏執的で怒って歩き回れば、周りの人々は怒るでしょう。そして、それは私の妄想を証明している。 (00:28:43)

つまり、私たちと環境との関係はとても重要なのです。そして、彼は自らの生涯をかけて、この広大で純粋な存在の領域を創造しました。彼が光の中へと旅立つ前に、彼は誓いを立てたのです。そのうちの1つは、彼が創造した時空を超えた浄化された領域に行く前に、もし誰かが彼の名前を呼ぶなら、彼はその声を聞き、その人を彼の領域へと導いて、そこでその人は自分の蓮を持つことができる、というものでした。その蓮は、あなたが自分の蓮の持つあらゆる困難を完全に乗り越えることを可能にするでしょう。 (00:29:39)

その蓮の花によって、この現世で経験したあらゆる困難を完全に乗り越えることができる。そして、仏教徒が宇宙の西半球に描いたように、彼の浄化された領域である彼の純粋な土地では、絶対的で完全な悟りをより簡単に達成することができる。つまり、私たちは自分たちで天国を作り、自分たちで地獄を作り、そして彼は天国、浄化された領域を作り、ただ彼の名前を唱えるだけで、他の人々をそこへ招待するのです。 (00:30:20)

輪廻転生をその中に組み込むかどうかは別として、これは驚くべき話です。輪廻転生をその中に組み込む場合、私が思うに、もしそうしなければ、私たちは生まれ変わり、生まれ変わり、生まれ変わり続けるということです。これを輪廻と言います。私たちは涅槃には至りません。涅槃とは、形や色、その他相対的な次元からの解放のことです。そして、涅槃のエネルギーの裏返しとして、私はこれを何度も何度も繰り返しているだけなのです。 わからないのですが、檻の中をぐるぐる回るネズミが、何度も何度も同じことを繰り返しているように感じます。 (00:31:08)

わからないのですが、檻の中をぐるぐる回るネズミが、扉が開いて外に出られることに気づかないでいるように感じます。 (00:31:11)


だから、輪廻転生の感覚があると思います。 確かにありますが、浄土宗のお寺に行くと説かれるようなものではありません。 私がこれから言うことを聞かないと、ニワトリに生まれ変わるとか、同じ古い自分に生まれ変わるとか、そういうことになるかもしれません。 でも、そういうことがあるかもしれません。 いい質問ですね。小幡先生にも聞いてみます。 (00:31:42)

小幡先生にも聞いてみます。浄土宗の人々は、誰に対しても何かを話すことに非常に慎重です。なぜなら、そうすることで、ある種の優越感や隔たりが暗示され、それを実践すれば、自分自身で分かるようになるからです。 それは、特定のグルの名前を唱えるだけで悟りを開けるという、ブッダの本来の教えとは大きく異なる印象を受けますが。 (00:32:12)

まあ、CNNは、それらがブッダの教えだったとみなしています。チベット仏教徒は、彼らの教えはターマ(T-E-R-M-A)であり、それはつまり、人々がまだその準備ができていないため、私はそれらを埋めておくつもりだ、そして人々が何億年か後に準備ができたときにそれらを掘り起こすだろう、と釈迦が言った教えだ、と語っています。 そうですね。 その起源はすべて仏陀に由来していますが、歴史的に見ると、浄土はキリストと同じ時期に興味深い形で登場しています。 (00:32:51)

そうですね。 仏陀には浄土の要素がありますが、仏陀について語るのであれば、私たちはある人物に名前を与えています。ゴータマ・シッダールタ、彼は宝石泥棒よりも多くの別名を持っていましたが、私たちは彼をイエス・キリストと呼ぶのと同じように、ダライ・ラマを「法王陛下」と呼び、ゴータマ・シッダールタを「仏陀」と呼んでいます。 なぜなら、彼、つまり彼が森の中で一緒に学んでいた人たちは、彼が悟りを開いたのを見て、彼を何と呼べばいいのだろう? (00:33:42)

そして彼は言った。 「私をブッダと呼ぼう。 」そして、その言葉は悟りを開いた者、目覚めた者を意味した。 そして、私が言いたいのは、この話を思い浮かべ、注意深く見守り、ブッダという名前を口にすることができるということは、私たち自身の中に、ブッダ、ブッダ、ブッダ、ブッダ、ブッダと水をやるだけで育つ種があるということです。 (00:34:13)

もちろん、ブッダという名前をただ唱える人はいません。 通常、法蔵菩薩の読誦は、無限の光は知恵、無限の命は慈悲を意味する阿弥陀仏として知られるようになりました。 また、薬師如来もあります。 病気のときは、薬師如来経を唱え、薬師如来の名前を唱えます。 そして、チベットに戻ると、彼らは以前に神々の神殿全体を所有していました。 (00:34:52)

そして、彼らはパドマサンバヴァを通して仏陀の教えを受け取ったとき、神々を征服し、仏教のものへと改宗させたのです。 ですから、人は呼び出し、視覚化し、自分自身の中に浸透させることができる、超越的な神々の膨大な数を持っているのです。 これがチベットの宗派です。 (00:35:17)


禅寺に行くと、剣を持った男がいるでしょう。 それは文殊菩薩で、二元論ではない剣です。観音菩薩、慈悲の女神、慈悲と知恵を象徴する神々を見ることができます。 彼らがあなたの声を聞く耳や、あなたを見る目を持っているというわけではありません。 (00:35:42)

象徴が私たちに水を思い起こさせ、私たち自身の能力に浸透させるのです。 しかし、これらは禅に存在しますが、このような背景です。 日常的な教えという観点では。 チベット仏教では、守護神という言葉を聞いたことがあると思いますが、神と個人的な関係を築くのです。 ええ、あなたのグルはあなたに神を割り当て、その神と一体となり、そして空虚に溶け込むようにします。 (00:36:30)

仏教と禅において、それに相当するのは禅宗で与えられる公案だけです。 言い換えれば、これらの宗派の特質はかなり異なる可能性があります。 しかし、あなたが言っていることは、それらはすべて同じ方向を指し示しているということだと思います。 指し示す、またはそこから来る。 違いは、あなたはすでにそこにいるが、霧の夜、満月がどこにあるかを知るために指し示すものが必要だったということだ。 (00:37:08)

満月は、一般的に完全に悟りを開いた心のイメージまたは象徴である。 私が持っているタペストリーを思い出させる。 特に仏教的なものだと思ったことはない。 詩人が描かれていて、夜中に一人で、おそらくどこかの森の中で、酒を飲んでいて、月に向かって一礼している。 これはアジアの絵ですか? ええ、そうです。中国の絵です。 中国における月の象徴は魅力的です。水面に映る月など。 (00:37:47)

ボストンには観音菩薩像があります。 慈悲の美しいイメージです。 あぐらではなく、片膝を立てて座っています。 そして、女神が月と月の反射を同時に見ていることから、月見仏と呼ばれています。 水面に映る月の反射が消えたとき、あなたの心はどこへ行くのでしょうか? それは禅問答になるでしょうね。 (00:38:31)

ええ、実際そうです。 でも、李白は満月を何度も祝杯で乾杯していました。 李白はイスラム教徒でもあり、道教や仏教だけでなく、部分的にイスラム教徒でもありました。 とにかく。 何ですか? あなたのように、少しイスラム教徒、少し仏教徒、そして道教も少し入っていると思います。 仏教は、中国で「あ、あいつだ、あいつがそうだ」と思った人々によって翻訳された。 (00:39:07)

彼は悟りを開いた。 ああ、彼がどこに行ったのかはわからない。老子、老子が『老子道徳経』を書いた。 私たちが知っているのは、彼がそっちに行ったということだけだ。 そして今、その方向から、悟りを開いた男の噂を耳にする。 彼は老子に違いない。 そして、彼らは仏教の翻訳を始め、魏が道教であり、彼らが道教について知っていたすべてのことを翻訳した。 (00:39:35)

そして、禅の多くは、今でも道教の世界観に基づいています。 (00:39:44)


ただ、私は禅がさらに発展すると思います。 道教では、車輪は空っぽのスポークがあって初めて機能し、鉢は空っぽの中心があって初めて機能すると言われています。 つまり、私たちが空間的な意味で言及していた「空」について語っているのです。 そして仏教では、さらに進んで、時間的、あるいは他の次元的な意味でも語っています。 そうですね、東アジアでは道教、仏教、儒教もそうですね。 (00:40:26)

ですから、間違いなく多くの、本当に多くの種類があり、これらの異なる流れの融合を試みているものも多いのです。 そうですね。 1つの宗派ですら、他の宗派と本当に切り離されていないというのは興味深いですね。 アメリカで、私の知り合いに、母親がスコットランド系日本人、父親がアフリカ系アメリカ人とフィリピン人の、そういう血筋の女性がいます。 あなたはベトナム仏教の学校に身を寄せていますね。 (00:41:04)

そして、私の記憶が正しければ、ティク・ナット・ハン師の指導の下ですね。 ええ、そうです。 その学校について、どのように特徴づけますか? 私たちは浄土と禅について少し話していました。 そして、私たちは、それらが別々の学校であるという日本的な感覚のような感覚で話していました。 それは、通りの異なる住所という意味で別々です。 それらは別々です。 同じ通りです。 (00:41:38)

日本とは異なり、中国に似たベトナムには、そのシンクレティックな、S-Y-N-C-R-E-T-I-Cな親和性があります。 それは、中華料理のレストランで宴会があり、丸いテーブルがあり、皆が少しずつ取るようなものです。 そして、あなただけの調合物ができあがります。 組み合わせの例を挙げましょう。 あなたが浄土教徒だと想像してください。 あなたはあまり本を読んでいません。 (00:42:19)

知っているのは、この名前を唱えれば、何度も何度も唱えれば、1,000の思考を純粋な思考に置き換え、自分の心の浄化領域、自分の純粋な心の浄化領域に入れるということだけです。 それを25分間続けます。 (00:42:43)

そして今、自分自身にこう問いかけてみるのです。 私がこの名前を唱えているとき、誰がこの名前を唱えているのか? そうすれば、浄土宗の修行をしながら禅の悟りを得ることができます。 これはベトナム仏教に非常に典型的な融合です。 私が最初に学んだことのひとつは、私が所属する教団はベトナムで創設され、創設時のメンバーはベトナム人だったということです。 (00:43:28)

ですから、私はダライ・ラマに次ぐ、西洋における最大の仏教のスポークスマンである人物から、ベトナムの仏教について学んでいます。 彼は西洋人に対して浄土について語ったことはありませんが、ベトナム人コミュニティとのリトリートでは、それが共通言語のようなものなのです。 ですから、東洋の系譜とつながりがあり、西洋についてもよく理解している人と30年もの素晴らしい年月を共にできたことは素晴らしいことだと思います。 (00:44:09)

例えば、トーマス・マートンは彼を兄弟と呼んでいました。 (00:44:12)


先ほど、公案についてお話されましたね。 公案に集中すると、例えば、このマントラを唱えているのは誰なのか、といったことを考えていると、あなたが表現されているように、ある種のブレイクスルー、突然の悟りの瞬間のようなものを得られる、ということを言いたかったようですね。 禅の教えから聞いたことがあると思いますが、禅宗では「見性」という言葉が、突然の悟りの瞬間を表しています。 (00:44:48)

仏教の興味深い部分ですね。 西洋の伝統ではそのようなものはないと思いますが。 えっ? カトリックでは「啓示」はないのですか? おそらく「見性」と「啓示」は同じ意味なのでしょう。 思い当たらないですね。 そして、禅について語るとき、ユダヤ教のバルシャム・トヴによって始まったハシディズムと共通点があることに気づきます。また、イスラム教よりも古いとされる神秘主義の伝統、スーフィズムとも呼ばれるイスラム教の神秘主義的な側面とも一致しています。 (00:45:35)

これらは、他の伝統にも存在していると思います。 興味深いのは、西洋における自らのルーツに目覚めさせてくれる東洋の精神性について私たちが知っていることは、主に仏教を通じてであり、スーフィズムを通じてではないということです。 そしてハシディズムは、今でも比較的、少し、少し、ハシディズムは今でも比較的、少し、少し、独自のものです。 しかし、禅は大きな爆発を起こしました。いや、爆発という言葉は使いたくないですね。 (00:46:22)

ジャック・ケルアックが『路上』というベストセラーを書いたとき、彼は好きなことを何でも書くことができたと思います。 そして、彼が次に書いた本は『ダルマ・バムズ』でした。仏教を主流に紹介したいと思ったからです。 J.D.サリンジャーは『ナイン・ストーリーズ』の中で、彼の警句だったと思いますが、「片手の音とは何だろうか」という問いを提示しています。 これは興味深いことです。私たちは、自分の裏庭にあるものを見て、それがあまりにも身近すぎて偏見を抱いてしまうことなく、それを認識することで、わざわざ外に出て、再び戻ってくる必要があることがあるのですよね。 (00:47:13)

F.A. 仏教の宗派が互いにどのように影響し合っているかについて話してきました。 しかし、実際には、私たちはグローバル経済とグローバルな知の世界の中にいます。 西洋の宗教が東洋の宗教に影響を与え、その逆も真であるということは確かだと思います。 例えば、ダライ・ラマは、ユダヤ教の指導者たちと協議することを重視していました。というのも、ダライ・ラマは、ユダヤ教の指導者たちが、自分たちの国が征服されたにもかかわらず、数千年にわたって自分たちのコミュニティを維持し続けてきた理由を理解したかったからです。 (00:47:53)

J.D. その通りです。 この実り多い対話の例はたくさんあります。 歴史家のアーノルド・トインビーは、20世紀において、仏教が西洋に伝わったことが最も重要な出来事だったと言っています。 そして、それは多くの分野で見られます。 心理学でもそうです。 ウィリアム・ジェームズは、現代における最大の発見は、自分の心の態度を変えることで自分の人生を変えることができる、と述べています。 (00:48:39)

F.A. その通りです。 J.D. 彼は長老派教会からその考えを得たわけではないと思います。 (00:48:45)


彼は仏教の学生でした。 実際、エマーソン、ソロー、エミリー・ディキンソンといった超越論者たちは、スーフィー教徒や仏教徒、ヒンズー教徒の著作を読んでいたのです。 私がこのエネルギーフィールドの共通点を見つけようとしているのは、私たちがルネサンスIIの時代を生きているという事実が非常にエキサイティングだと感じているからです。 ルネサンス、スティーブン・プロセローは、ルネサンスIはギリシャ語とラテン語の再発見であり、文明と文化の変化の受容を後押ししたという理論を持っていました。 (00:49:40)

私たちは、人々がサンスクリット語、中国語、日本語、韓国語を学んでいる時代に生きています。 「東は東、西は西、そして両者は決して交わることのないもの」と書いたのは、リチャード・キップリングだったでしょうか? キップリングです。 ウォルト・ホイットマンはインドへの航路とそれ以遠を求めていました。 私たちは、この新しいルネサンスの時代を生きているのです。 (00:50:13)

ええ、私はこのことを、別々のものとしてではなく、ある種の楽しみとして感じています。 以前あるトークショーに出演したとき、300万人のリスナーを持つ番組で、ゲイリー・ゴックという人物から「ユダヤ人であるあなたが、仏教という東洋の宗教を受け入れることができるのはなぜですか?」と質問されました。 私は司会者がユダヤ人であることを指摘し、「ジョー、ユダヤ人であることは、西南アジアから来たものですか? それとも、東洋の宗教でないなら、どこから来たのでしょうか? (00:50:49)

私は、世界の分割に対する私たちの認識は、間違いなく誤りであり、あるいは私たちが皆研究する必要がある歴史上の瞬間であったと思います。 まあ、私が「ニュー・シンキング・アローン」の視聴者に、仏教のさまざまな宗派が何を提唱していたのかを知ってもらうことが有益だと考える理由の1つです。 仏教の宗派が何を言っていたのか、そしてそれらが互いにどのように相互作用していたのか、そして私たちがこの対話からそれぞれどのような意味を見出すことができるのか。 (00:51:28)

とても素晴らしい。 素晴らしい。 この機会をようやく得られて本当に嬉しいです。 ゲイリー、このインタビューの計画には何週間も費やしましたよね。 またお会いできて嬉しいです。これからもたくさんお会いしたいですね。 ああ、あなたは本当に素敵な方ですね。 私もそう思います。 よろしければ、ダンスフロアから立ち去る方法を用意しました。 (00:52:06)

私がこれをしても何も起こりません。 何も変わりません。つまり、あなたと私、そしてリスナーの皆さんを、リラックスしたオープンな方法で、質問や懸念、不安をすべて手放し、この鐘の音を通して、ほんの数呼吸の間、今この瞬間に戻るように誘うだけです。 ゲイリー、今日は「ニュー・シンキング・アローテッド」の視聴者の皆さんと一緒にいてくれて、気まぐれな性格と知恵を分かち合ってくれて、本当にありがとう。 (00:53:13)

ジェフリー、あなたの人生に感謝します。 そして、ご覧になっている皆さん、聞いてくださっている皆さん、私たちと一緒にいてくれてありがとうございます。皆さんがいるからこそ、私たちはここにいるのです。 さて、『New Thinking Allowed Dialogues』ブックシリーズの第二弾は、超心理学者のラッセル・ターグ氏の90歳の誕生日を祝うものです。PDF版をダウンロードするか、美しい印刷版『New Thinking Allowed』マガジン第6号を注文することができます。 (00:54:15)

あなた(00:54:31)


New Thinking Allowed is presented by the California Institute for Human Science, Mind Body Spirit University, a leader in fully accredited in-person and online U.S. college degree programs in many of the topics we cover here. Visit their website at cihs.edu. Thinking Allowed, conversations on the leading edge of knowledge and discovery, with psychologist Jeffrey Mishlove. Hello and welcome, I'm Jeffrey Mishlove. Today we'll be exploring the major schools of thoughtHello and welcome, I'm Jeffrey Mishlove. (00:00:49)

Today we'll be exploring the major schools of thought within Buddhism. My guest is Gary Gok, who is an adjunct faculty member at the University of San Francisco. He is author of The Complete Idiot's Guide to Buddhism, as well as Pause, Breathe, Smile, Awakening Mindfulness When Meditation Is Not Enough. He is co-translator of three Korean books of poetry by Ko Un. He is editor of What Book? Buddha Poems From Beat to Hip-Hop. (00:01:24)

He recently served as co-translator for Hafez's Little Book of Life. Our previous interview was about the 14th century Persian mystical poet Hafez. I'm going to link to that interview, I think you might enjoy it very much. If your computer can capture that link, it's in the upper right hand corner of your screen. Gary lives in the San Francisco Bay area. Now, I'll switch over to the internet video. Welcome Gary, it's a pleasure to be with you once area. (00:02:03)

Now, I'll switch over to the internet video. Welcome Gary, it's a pleasure to be with you once again. Jeffrey, thank you. My pleasure too. Last time I interviewed you, we talked about Hafez, a great Persian mystic who I think is mostly associated with the Sufi tradition. But in addition to your Sufi credentials, you also are a Buddhist. So, today we'll be looking at the addition to your Sufi credentials, you also are a Buddhist. (00:02:28)

So, today we'll be looking at the major schools of Buddhism. I think it's very confusing for people because we hear about Buddhism, but most people wouldn't know the difference, I don't think, between Hinayana and Mahayana and Theravada and Tibetan Buddhism and Pure Land Buddhism. So, we'll dig into those various schools of thought. Excellent. And I guess, from what little I know about Buddhism, I'm not a Buddhist, I'm very fond of Buddhism. Wait, wait, wait. (00:03:01)

Wait, you know the differences between Buddhists and non-Buddhists? No. Non-Buddhists think there's a difference. Okay, so you're not a Buddhist. I've never taken, what do they call it, taken refuge. Oh, taken refuge. But you know, there was a survey, Wuthnow and Kaj, who are professional survey people, not just amateurs, found that one in eight people said, yes, I've heard teachings of the Buddha, which I have adopted in my everyday life. (00:03:38)

Well, certainly meditation is very commonly practiced, and mindfulness. Yeah. And awareness of the impermanence of life and the interconnectedness of all things. Yeah. Anyway, go ahead with your splendid introduction. I like that. Okay, well, to my understanding, the people who teach Vipassana meditation, which I think is part of the Hinayana or Theravada tradition, say that their teachings are the closest to the original teachings of the Buddha. As long as they say that, when they start saying that we're the only school, teachings of the Buddha. (00:04:23)

As long as they say that, when they start saying that we're the only school, we're really the best school. Because see, it's natural for human beings to do that. (00:04:29)


So the Dalai Lama is not going to tell you about Vipassana or Zen or Pure Land. So all of these schools up until now have remained separate, also geographically bound. But in globalism, and here in the West, we have access to them. And yes, the Vipassana tradition, Theravada, we don't say Hinayana for a funny reason, or I'll get into that later. But I say original Buddhism, there is a school that pretty much follows what the Buddha laid down 2600 years ago. And from that, we get mindfulness. And also, a package called Abhidharma, down 2600 years ago. (00:05:20)

And from that, we get mindfulness. And also, a package called Abhidharma, which is a super Dharma, it's called Abhi, Abhi super Dharma, which is this concept, a result of the concentration of monks in the wilderness, exploring, you know, the outermost reaches. And so it makes Western psychology look like kindergarten. Abhidharma will give you a chart of the 112 phases of consciousness, or a wheel of the 12 this, or, you know, just very an intensive psychology. And or a wheel of the 12 this, or, you know, just very an intensive psychology. (00:05:57)

And it preserves pretty much, you know, original teachings of the Buddha, of which a foundational one is, I have but one teaching, the one teaching is the nature of suffering and liberation from suffering. And you say, wait, isn't that two things? And you say, no, and you understand the nature of suffering, you will be able to liberate yourself from suffering. This is called the Four Noble Truths. And in Theravada, there's do you hear it? Do you perceive it? Do called the Four Noble Truths. (00:06:31)

And in Theravada, there's do you hear it? Do you perceive it? Do you recognize it? Do you understand it? Move on to the next one. It's a very intensive, kind of a drill. And yet, the Theravada teachers like the most famous is Ajahn Chah, who was in Thailand, and his students would go out in the forest. And the Buddha did and get acquainted with sitting and having a python sort of cross you because you become the path. (00:07:03)

Yeah, Theravada, original teachings of the Buddha, it's a good place to start. That tradition would be almost diametrically opposed in many regards, certainly not in all regards to Tibetan Buddhism. Why do you say that? Because, and this is from my perspective, obviously, as something of an outsider, there's a certain simplicity to the Theravada tradition. Oh, the Tibetan is complex. So, contrast. Or before I do that, if I might invite you and I and our listeners to considerSo, contrast. (00:07:48)

Or before I do that, if I might invite you and I and our listeners to consider this a practice of inclusivity and equanimity. Because it's the tendency of the mind to find differences and to contrast and to compare and all that stuff. And we can really get bogged down in that and lose. I had the analogy come to me as I was getting off the bus. We're like a compass. (00:08:13)

If we remain with one leg in the center, then we can revolve around and touch all the other schools. Okay? So, Tibetan Buddhism is the most complex. And it is also, it's esoteric, meaning, well, if you saw the guru teaching 27 people something and you just came over the hill and you saw it, it wouldn't mean anything to you because you didn't know the password. (00:08:46)

You hadn't been initiated. You didn't know the secret esoteric meaning. So, it requires a direct connection to a guru who's connected to, who's connected to, who's connected to the Buddha in the beginning, to lineage. Theravada, it's all the teachings of the Buddha. We're all descendants of the Buddha. However, Tibetan Buddhism or Vajrayana encompasses Abhidharma. It includes the previous schools, as it were, to create this, you know, like, rocket ship design that makes everything else look kind of, you know, puny. (00:09:34)

The other major schools would be Zen and Pure Land. (00:09:38)


There's really, today there's eight, right? One that's just based on the Lotus Sutra, on a book. And from that, you get Nisharan Chu, Nisharan and Soka Gakkai, where they knock on doors and offer you, you know, their teachings. Another is based on a book called the Avatamsaka, which is multivolume, epic, gargantuan, take you years to read and study. Another is based just on ethics. Just by practicing the guidelines of conscious conduct, can weAnother is based just on ethics. (00:10:16)

Just by practicing the guidelines of conscious conduct, can we achieve complete awakening? And those, those aren't what I call the ones that you hear about the most. And those are Theravada, Vipassana, insight meditation, original Buddhism. Zen, which has certainly been the biggest in terms of Western gateway. Pure Land, which is the largest and yet the least heard about by non-Asian Americans or Asians. And the Vajrayana, as we and yet the least heard about by non-Asian Americans or Asians. (00:10:53)

And the Vajrayana, as we know it, through Tibetan. And that forms, this is how I arrange them in a book, as a kind of a, there's a sequential progression if you do it that way. And some of this has to do, to step back with the way the teachings might get, you know, they don't spread like butter. You know, the teachings are the teachings, but people travel and they go to different countries. (00:11:24)

And so it's an interesting phenomenon of the compass is in the center, but it travels to different countries. And so you have cultural differences because at a different order of scale, there's as many Buddhisms as there are people. Whatever an individual hears and understands that recognizes, accepts and practices is their Buddhist way or their way using Buddhist along with another way. So that's how we come to even Buddhist way or their way using Buddhist along with another way. (00:12:05)

So that's how we come to even discuss these, you know, different schools. I understand that here in the United States, Buddhism is one of the fastest growing religions. Absolutely. I think it's probably second to Islam. And in Europe, in Sweden, it's just like overtaking everything and large in Mexico, growing in Italy, certainly the United States. And that creates a kind of a flywheel where, oh, in Asia, they see that the West is talking about this. (00:12:45)

So then they find, oh, that's part of our native tradition. And if the West is interested in that, we should pump it up too. And so you get a kind of a crossing over the ocean of winds creating great vortexes. Well, one of the distinctions that I'm aware of as a parapsychologist is, I know, for example, there's a very prominent individual, Susan Blackmore, who to my understanding is a practicing Zen Buddhist and is also identified with the skeptics of parapsychology. She would probably Zen Buddhist and is also identified with the skeptics of parapsychology. (00:13:30)

She would probably say, and I hate to speak for her because her views are probably still changing like everybody else's, but I'm pretty sure she would say parapsychologists have yet to prove that psi, or the paranormal, the extrasensory perception abilities of the human being even exists at all. And that would be, in her mind, completely compatible with the ideas, the simplicity of Zen Buddhism. Whereas, let's say in Tibetan Buddhism, you have a wide range of esoteric Zen Buddhism. (00:14:04)

Whereas, let's say in Tibetan Buddhism, you have a wide range of esoteric practices that do involve the paranormal. Of all of the ones we've mentioned, Tibetan Buddhists have the most, what they call, siddhis, S-I-D-D-H-I-S, who can, you know, expand their consciousness to be the size of the city, they can levitate, they're omniscient, you know, the whole rainbow of human possibilities, Tibetan Buddhism. But see, in Zen, and I don't really know which school, of human possibilities, Tibetan Buddhism. (00:14:38)

But see, in Zen, and I don't really know which school, because there's two schools of Zen, there's an understanding of what Zen calls extraordinary states. And when you enter into Zen, you will hear someone eventually say, you know, you'll experience extraordinary states, don't attach to them. They come, they go, they come, they go. Don't reify them, don't try to make a thing about it. But they certainly exist in Zen. (00:15:11)

I'm sitting, you know, I've hosted a Zen group for a dozen or so years. And how do I know, on that particular Friday, that for some reason, I find myself kind of stalling for an extra two minutes. And then when I'm done, the door opens, and so I said, sorry, I'm late. How did I, did I kind of like know that they were not in the room, but coming in the front door? I think we have that potential open to us when we practice Zen. But Zen has, especially Japanese Zen versus Chinese, potential open to us when we practice Zen. (00:15:49)

But Zen has, especially Japanese Zen versus Chinese, Korean, or my school, which is Vietnamese, this kind of a, let's not get into that. (00:15:55)


But when you say skeptic, you know, the first thing that came to my mind was the pre-Socratic, you know, this, the Epicureans, the skeptics and the Stoics, but she's not that kind of a, she's not a cynic, but she's not, she's a doubter. Yeah, you could say that, or a scoffer. I'll tell you this, our mutual good friend who just celebrated his 90th birthday, happy birthday, Russ. Russ explained to me once, you know, it's basically, if you read Longchenpa, Russ. (00:16:33)

Russ explained to me once, you know, it's basically, if you read Longchenpa, the Tibetan philosopher, scholar, city, he likes the Padma edition. You know, that's, he locates what he does there in what you would call sunyata. If you align yourself with the nature of reality, which is called blank essence, infinite possibility it's not empty in the sense of nothing is, nothing matters. It's nothing in the sense of it's not empty in the sense of nothing is, nothing matters. (00:17:10)

It's nothing in the sense of everything is possible. That, he says that's, you know, if he were to locate his gift, he finds it in, and you see sunyata in Zen, you know, it's there. So I'm not so sure that, or I put another way, I don't know how many people in parapsychology, knowingly or unknowingly, are also practitioners of this, for want of a better word, way, since Buddhism isn't really even a word in the East. (00:17:44)

Well, there you have a distinction right there between the Eastern and the Western approaches. We have a word, we call it Buddhism. What do they call it? Ah, good question. If they call it, which, you know, I was like, you know, they're all, I don't call myself anything, I'm always here. Buddha dharma, rather than an ism, means Buddha, which is the root for awakened, or awakening, or awakener, or enlightened, or living fully. (00:18:25)

And dharma, taken from a Hindu practice, is there, it means way. But just like your, you know, the button shows, your yin yang is not a straight and narrow way. It's, you know, you can't define it. It's by its essence is something that you can't really pin down. So they say Buddha dharma. Yeah, the differences between East and West, and that's probably a fifth school, right? I happen to have, over the years, interviewed many Buddhists who are also educated Western physicists, psychologists, medical doctors. And I think what they do is, also educated Western physicists, psychologists, medical doctors. (00:19:20)

And I think what they do is, they try to fuse their Buddhism with their understanding of Western science. And in fact, I believe the Dalai Lama himself has held many conferences where he invites Western scholars for that same purpose. Hmm, this is interesting. So I hear two things. One, you know, Buddhism isn't just like some object on a shelf. It's a living tradition, and it's your life. Zen Buddhism isn't just like some object on a shelf. (00:19:50)

It's a living tradition, and it's your life. Zen Buddhists would say there's no difference between Jeffrey Mishlove, Buddha, and Zen. It's all this phenomenon. And if you happen to be a plumber, then you, Zen will be your plumbing. I was talking with a contractor the other day. He says, yeah, you know, he had this project, and he realized how if he just kind of removed himself from the situation that created problems about it, it just kind of works its way out. It finds its way of working that created problems about it, it just kind of works its way out. (00:20:20)

It finds its way of working itself out. How's Zen? Well, he's a contractor. If you're a scientist, this is the second thing I'm hearing. This is interesting to me because, you know, I'm a Gertien science buff, and I find Newtonian science just like, huh, sorry, wrong number. But the Dalai Lama is an interesting motor here for bringing science into the dialogue with Buddhists. And he says, motor here for bringing science into the dialogue with Buddhists. (00:20:56)

And he says, if science can show me anything that disproves anything in Tibetan Buddhism, I'll drop it. (00:21:05)


And they haven't gotten to reincarnation yet. But if you're following along, you can see where this is going. It's kind of a Trojan horse in a way, isn't it? That if he invites the great Western scientists who understand Tibetan Buddhism and gets them talking about, well, how do you measure will? Oh, you tried that in a lab. That's interesting. Our monks have done the how do you measure will? Oh, you tried that in a lab. (00:21:34)

That's interesting. Our monks have done the same thing, and they find it's the same quanta. It's like one 600th thousandth of an instant. Interesting that we both agree, right? But it isn't. I don't. And he's always been fascinated, like he's a tinkerer. He's always been fascinated with those, you know, with science in that sense. I think that there's a Buddhist or an Eastern science that I can't say it's really compatible with Cartesian Newtonian thought, but I think that it's better. And eventually, it might kind of ameliorate a lot of the that it's better. (00:22:20)

And eventually, it might kind of ameliorate a lot of the you know, obstacles we have, because science has always been science is looking at material in relation to material. Right. And you see with this atom does to that atom. And now they're starting to look at the relationships rather than tagging what what the atoms were. But what about the relationship between matter and non matter? And what about the relationship between non matter and non matter? Like prayer is sort of in between the two. And they finally discovered non matter and non matter? Like prayer is sort of in between the two. (00:22:55)

And they finally discovered randomized placebo double blind studies at McGill or whatever have shown that long distance, non local phenomena do affect other people. It's called prayer, guys. Right. But, you know, I think they're still coming to the table of what has been going on for thousands and like five to 50 to 500,000 years, more than Western science. Sorry that you pressed my button there. Well, you brought up reincarnation a minute ago. And the idea. (00:23:32)

Oh, we're reincarnating to a minute ago. The idea that science if science could disprove reincarnation, the Dalai Lama would drop it. I think that's in effect what you said. Well, science is actually doing the opposite at the University of Virginia. They're collecting thousands of cases of young children who remember their past lives. And often they solve these cases by identifying the actual previous remember their past lives. (00:24:06)

And often they solve these cases by identifying the actual previous person. But I understand and correct me if I'm wrong, that the Pure Land School of Buddhism does not accept reincarnation. Oh, well, so let's be precise. The Dalai Lama doesn't believe in reincarnation. They call it rebirth. And, you know, the question is, what gets reborn? I once had a three hour conversation with a Tibetan Buddhist where I finally got what they're saying is survival. But they don't say reincarnation because that implies already saying is survival. (00:24:44)

But they don't say reincarnation because that implies already that there's a fixed, permanent, separate self that will reincarnate. And that also presumes that there's a heaven and a god in the heaven. They say rebirth because it's a continual process of me and that tree sharing minerals. At one point, that tree was my mother. And so, we're constantly giving birth to each other and not just human beings. Species,And so, we're constantly giving birth to each other and not just human beings. (00:25:17)

Species, all species are constantly in a state of rebirth. Pure Land, okay. (00:25:23)


You want to tell me just a bit more about like maybe where you heard it or what you heard before we include our good listeners to this wonderful Pure Land? Here's what I heard and it's just the tiniest little snatch. It was the idea that Pure Land suggests that when the body dies, we return to the Pure Land, to the source. One might say, you know, we merge with the divine or with the absolute. (00:26:02)

And don't come back. Right. Now, maybe I misunderstood. Well, you know, this is the least understood path by us, you know, meguro-ren, our round eyes. I think it'd be helpful to provide a context of what is Pure Land. Okay. As the teachings leave South Asia, Cambodia, Laos, and Sri Lanka, and they go over the Himalayas. And the first time that the Himalayan culture and Sri Lanka, and they go over the Himalayas. (00:26:42)

And the first time that the Himalayan culture and East Asian culture meet, they come into Asia where you get Zen and Pure Land and so forth. And one of the differences is that your motivation, you're no longer practicing to become enlightened for yourself because you can't really, you know, until you get it together, you're not going to be of any use. So you go off in the woods, so you get it together. (00:27:12)

They say, you know, that doesn't really work because you're always going to be with other people. And this is about all beings. And so there's the bodhisattva vow. You've heard of it. And it is that I'm at the, right now, I'm coming to you from the gates of nirvana. I'm about to attain 125% complete enlightenment. But I say, no, stop, freeze frame. I ain't going to take attain 125% complete enlightenment. (00:27:46)

But I say, no, stop, freeze frame. I ain't going to take another step until all beings can come through this door. I'm not going to do it just for me because I don't want to be a being in a being where I'm enlightened and other people aren't. And that my enlightenment and other people's enlightenment are bound up with each other. So there was this, so we get into a sacred story here. There was a monk named DharmakaraSo there was this, so we get into a sacred story here. (00:28:12)

There was a monk named Dharmakara whose practice was so great that he earned, we call it merit. It's the relationship between you and your environment. Let's look at karma for a minute. If I walk around as a, you know, blissful, calm, harmonious being, other people around me will be harmonious, blissful, and calm. If I walk around paranoid and angry, other people will be angry. And that kind of verifies my paranoia. (00:28:43)

So our relation to our environment is very important. And he was creating in his own lifetime this vastly purified, clear realm of being such that before he was going to pass on into the light, he made a vow and it has 48 parts. And one of them was, before he goes into the purified realm that he's created that is beyond space and time, if one says his name, he will hear you and he will conduct you to his realm where you will have a lotus of your own. And that lotus will enable you to completely transcend all the difficulties a lotus of your own. (00:29:39)

And that lotus will enable you to completely transcend all the difficulties you've had in this mortal realm. And you'll be able to attain absolute, complete, 123% enlightenment so much easier in his pure land, in his purified realm, which happens to be in the western quadrant of the universe as mapped by the Buddhists. So there's this concept that we create kind of our own heaven, we create our own hell, and that he created a heaven, a purified realm that he invites other people to go to just by reciting his name. (00:30:20)

Whether we factor reincarnation into that or not, this is an amazing story. To factor reincarnation into it, I think the point is that if we don't do this, we will be reborn and reborn and reborn. It's called samsara. We won't reach nirvana, which is liberation from form and color, whatever, the relative dimension. And instead, the flip side of the energy of nirvana is, I just keep doing this over and over. I don't know, it's like the rat that goes around in a cage is, I just keep doing this over and over. (00:31:08)

I don't know, it's like the rat that goes around in a cage and doesn't realize that the door is open and it could just walk out. (00:31:11)


So I think there's that sense of samsara. It is, but it isn't like preached when you go to a pure land temple. You know, if you don't listen to what I'm going to say, you're going to be reborn as a chicken, or you're going to be the same old, you know, what you call it. But it may be there. You know, it's a good question. I can ask Reverend Sensei Kobata, and he might tell me,You know, it's a good question. (00:31:42)

I can ask Reverend Sensei Kobata, and he might tell me, the Pure Land people are very kind of guarded about telling anybody anything, because even that implies a certain state of superiority and separation, and that if you practice it, you'll know for yourself. Well, I'm under the impression that that's very different than the original teachings of the Buddha, that you can just call on the name of a particular guru and achieve a measure of enlightenment. (00:32:12)

Well, you know, a CNN there, they all say that these were teachings of the Buddha. Tibetan Buddhists say that their teachings were TERMA, T-E-R-M-A, which means, you know, T-E-R-M-A, which were teachings that the Buddha said, people are so not ready for this, that I'm going to have these buried, and people will dig them up eons later when they're ready. Right. They all factor their origin from Buddha, but yes, historically, Pure Land comes around interestingly the same time as Christ. (00:32:51)

Right. Although there is a Pure Land element to Buddha, which is, if we are talking about Buddha, we've given a name to some guy, you know, Gautama Shakyamuni Siddhartha, he had more aliases than a jewel thief, and we call him by this honorific, the way we call Jesus Christ, we call the Dalai Lama His Holiness, we call Siddhartha Gautama Buddha. Because when he, you know, the people he'd been studying with in the forest saw him, and they saw that he got it, what shall we call you? (00:33:42)

And he said, you know, let's call me Buddha. We'll call you Buddha. And that word meant enlightened one, awakened one. And to be able to, here's my point, watch for it, look out, to be able to say this story, to be able to say the name Buddha, means that we have a seed in ourselves that we can water, simply by Buddha, Buddha, Buddha, Buddha, Buddha. (00:34:13)

Not that anyone really does recitation of just the name Buddha. It's usually recitation of the Dharmakara became known as Amitabha, which is a combination of infinite light is wisdom, endless life is compassion. And there's also Medicine Buddha. You know, when you're sick, you recite the Medicine Buddha Sutra, you recite Medicine Buddha's name. And you are back to Tibetan where they previously had a whole pantheon of deities. (00:34:52)

And when they received the teachings of Buddha through Padmasambhava, they conquered and converted the deities to Buddhist ones. So you have a whole plethora of transcendent deities that one can invoke and visualize and instill within yourselves. Now that's the Tibetan school. (00:35:17)


When you go to a Zen temple, you'll see a guy with a sword, who is Manjushri, and it's the sword of non-dualism. And you'll see a Kuan Yin, you'll see a goddess of compassion, you'll have a deity representing compassion and wisdom, just as you have a picture of the Buddha. It isn't that they have ears to hear you or eyes to see you. (00:35:42)

It's that the representation reminds us to water and instill within ourselves our own capacities. But these are present in Zen, but they're this kind of background. In terms of the everyday teachings. Whereas I presume in Tibetan Buddhism, I've heard the term tutelary deities, that one develops a personal relationship with the deity. Yeah, your guru will assign you your deity to identify with and then to identify with and then dissolve into emptiness, the way everything is empty. (00:36:30)

In Buddhism and Zen, the only equivalent would be in Renzai, where you're given a koan. In other words, the particulars of these schools can be quite different. But I think what you're saying is they're all pointing in the same direction. Pointing to or coming from. You know, the difference being you're already there, but you needed a pointing finger in a foggy night to know where the full moon was. (00:37:08)

The full moon being typically the image or symbol of the fully enlightened mind. It reminds me of a tapestry that I have. I never thought of it as Buddhist, particularly. It shows a poet and he's alone at night, probably out in a forest somewhere, and he's drinking some intoxicant and sort of saluting the moon. Is it Asian? Yeah. Oh, yes, it's Chinese. The Chinese symbolisms for moon are fascinating, like the moon in the water. (00:37:47)

There's a Kuan Yin Bodhisattva of compassion in Boston. Beautiful image of compassion. Not seated cross-legged, seated with one knee up. And it's called the moon viewing Buddha because the goddess is looking at the moon and the reflection of the moon at the same time. When the reflection of the moon in the water goes away, where does your mind go? That would be a koan, I imagine. (00:38:31)

Yeah, actually it is. But yeah, the Li Bai was toasting the full moon a lot. Although Li Bai was also Muslim, partly Muslim as well as Taoist and Buddhist. Anyhow. What? Like you, a little bit of Muslim, a little bit of Buddhist, and I think Taoist in there as well. The Buddhism was translated in China by people who thought that, oh, our guy, that's our guy. (00:39:07)

He became enlightened. Oh, we don't know where he went, Lao Tzu, the old Lao, who wrote that book, The Tao Te Ching, the Book of the Tao. All we know is that he went that way. And now from that way, we're hearing word of this enlightened guy. He must be Lao Tzu. And so they started translating Buddhism where Wei was Tao and everything they knew about Taoism. (00:39:35)

And much of Zen is still based on a Taoist worldview. (00:39:44)


Only I think Zen will go further. Like the Taoists speak of the wheel having the empty spoke that makes it work and the bowl having the empty center that makes it work. So they're speaking about this emptiness that we were referring to only spatially. And in Buddhism, they go further and they talk about in terms of temporally and other dimensions. But yeah, so Taoism and Buddhism and Confucianism in East Asia, too. (00:40:26)

So there are undoubtedly many, many varieties, many trying to fusions of these different threads. Right. Yeah, this is interesting that even one school isn't really separate from other schools. It's just like, you know, in America, you know, I know a woman, she's a Scottish Japanese on her mother's side, and she's African-American and Filipino and her father's, you know, stuff is like that. You've taken refuge in a Vietnamese school of Buddhism. (00:41:04)

And if I recall correctly, under the tutelage of Thich Nhat Hanh. Yeah, man. How would you characterize that school? So we were talking a bit about Pure Land and Zen. And we've been talking about it kind of with the sense of the Japanese sense that these are discrete schools. That's discrete in the sense of like different addresses on a street. They're separate. The same street. (00:41:38)

Unlike Japan, but more like China, Vietnam has that syncretic, S-Y-N-C-R-E-T-I-C affinity. It's like you go to the restaurant with a Chinese meal with a banquet and you have a round table and everybody takes a little bit. And so you have your own concoction. So to give you an example of what the combinations might be like. Imagine you're a Pure Land. You haven't read a lot of books. (00:42:19)

You know, all you know is if you say this name, you'll, and if you do say it over and over and over, you know, you replace a thousand thoughts with a pure thought and you'll be in a purified realm of your own mind, of your own pure mind, whether or not you're going in the future somewhere else. And you're doing that, say, for 25 minutes. (00:42:43)

And now you say to yourself, hmm, let me give myself a Zen koan. Who is saying this name as I'm saying it? And then you can achieve Zen enlightenment at the same time as you're practicing Pure Land. So that's a fusion that's kind of very typical in Vietnamese Buddhism. And one of the first things I learned was that I'm a member of an order that was in, created in Vietnam and the original members are Vietnamese. (00:43:28)

And so I'm learning about Vietnamese Buddhism from an individual who, second only to the Dalai Lama, has been the biggest spokesperson for the West. And he hasn't talked about Pure Land for Westerners, but at retreats with the Vietnamese community, they, you know, that's all the kind of lingua franca. So I find it wonderful to be able to have been connected for 30 or some wonderful years with someone who has this living connection to the Eastern lineage and who also has understood the West very well. (00:44:09)

Thomas Merton, for example, called him his brother. (00:44:12)


You talked about the koan a moment ago. And you seem to imply if you concentrate on a koan, like who is the one who is repeating this mantra, you achieve a kind of, I think the way you express it, a breakthrough, like a sudden moment of enlightenment. I think I've heard the term, I think out of Zen, Kensho represents that, a sudden moment of enlightenment. (00:44:48)

That's an interesting part of Buddhism. I don't know that you find that, for example, in Western traditions. What? You don't have epiphany in the Catholic? Well, perhaps Kensho and epiphany are the same. It hadn't dawned on me. And then when we talk about Zen, we find it has a counterpart with Hasidism, started by Balsham Tov in Judaism, and a alignment with a mystical tradition that may even predate Islam, but is known as Sufism, the mystical side of Islam. (00:45:35)

These, I think they exist in other traditions. It's an interesting point that what we know of Eastern spirituality that awakens us to our own roots in the West, largely come through Buddhism, not through Sufism. And Hasidism is still relatively, I think, a little bit of a, a little bit of a, a, a Hasidism is still relatively its own little thing. But Zen had this big explosion, or, or I don't want to say explosion because, you know, that's kind of a military word. (00:46:22)

But I'm thinking when Jack Kerouac wrote a bestseller called On the Road, he, he could write anything he wanted. And then the second book he wrote was Dharma Bums, because he wanted to introduce Buddhism into the mainstream. J.D. Salinger, at the same time, in Nine Stories, introduces it with his epigram, I believe, was, What is the Sound of One Hand? So, this is interesting how we sometimes have to go out of our way to come back in again, having seen something that's in our own backyard, by recognizing it without it being something we're over-familiarized and kind of prejudiced about, right? (00:47:13)

F.A. Well, we've been talking about how the schools of Buddhism influence each other. But the fact is, we're in a global economy and a global world of intellect. And it's certainly true, I think, that the Western religions are influencing the Eastern religions and vice versa. I know, for example, the Dalai Lama made a point of consulting with Jewish leaders because he wanted to understand how they were able to keep their community alive for thousands of years when their nation had been taken over. (00:47:53)

J.D. That's right. Yeah, there's many examples of this fruitful dialect. Toynbee, the historian Arnold Toynbee said, of the 20th century, the coming of Buddhism to the West has been the most significant event. And you see it in so many spheres. You know, psychology. William James says, what the greatest discovery of our time is that I can change my life by changing my attitude of my mind. (00:48:39)

F.A. Right. J.D. I don't think he got that from Presbyterianism. (00:48:45)


He was a student of Buddhism. Actually, the transcendentalists of Emerson, Thoreau, Emily Dickinson, they were reading both Sufis and Buddhists and Hindus. So, my locus here to try and find a point in this energy field is that we're living in a time that I find very exciting as the Renaissance II. Renaissance, Stephen Prothero had this theory that Renaissance I had the rediscovery of Greek and Latin, fueling its embrace of change in civilization and culture. (00:49:40)

We are living in a time where people are learning Sanskrit, Chinese, Japanese, Korean, and how much of a difference that makes for so much for all of us. Was it Richard Kipling who wrote, East is East and West is West and never the twain shall meet? That's Kipling. Walt Whitman wanted passage to India and beyond. So, we are living in this new Renaissance. (00:50:13)

Yeah, that's the way I kind of enjoy feeling this, not as something that's separate. I was on a talk show once and a guy asked me, syndicated, three million listeners, Gary Gok, you're a Jew, how can you embrace Buddhism, an Eastern religion? I said, the host was Jewish, I said, you know, Joe, is Jewishness, does that come from Southwest Asia? Or where does it come from if it's not an Eastern religion? (00:50:49)

You know, I think our sense of the division of the world has certainly been an error or a moment in our history that we are all in need of studying. Well, it's one of the reasons why I think it's useful for the New Thinking Aloud audience to have a sense of what these different schools within Buddhism's had to offer. Within Buddhism's have to say and how they interact with each other and what meaning we might each find for ourselves in this dialogue. (00:51:28)

Very good. Excellent. I'm so happy that we've taken this chance, finally for this chance to take place. Well, Gary, I know we've been planning this interview for many, many weeks. It's a pleasure to be with you once again, and I hope that we do many more. Ah, aren't you the sweet one? I hope so, too. If you like, I brought a way to walk us off the dance floor, as it were. (00:52:06)

Nothing happens when I do this. Nothing changes, that is, except I would invite you and I and our listeners to just in a relaxed, open way, let go of any of our questions and concerns and anxieties and just for a few breaths, returning to this present moment through the sound of this bell. So, thank you so much, Gary, for being with me in the New Thinking Allowed audience today and sharing your capricious personality and your wisdom. (00:53:13)

Jeffrey, thank you for your life. And for those of you watching or listening, thank you for being with us because you are the reason that we are here. So, book two in the New Thinking Allowed Dialogues book series is a tribute to parapsychologist Russell Targ celebrating his 90th birthday. You can now download a PDF copy or order a beautiful printed copy of issue six of the New Thinking Allowed magazine. (00:54:15)

(2024-07-23)