Raymond Moody : 人生の危機→自殺願望→接神体験→現実がどれほど悲惨でも、結局のところ全ては OK だと悟った(原文復元+和訳)
前置
Raymond Moody が最近のインタビューでタイトルのような見解を述べている。彼自身の接神体験で得た「悟り or 神からのメッセージ」のエッセンスらしい。
率直に言うが、Moody のこの発言はイカれている。
手抜き
彼の本、God is bigger than Bible
15:10 結局のところ、全ては OK
音声(29:07)
Raymond Moody on 'Life after Life' - COAST TO COAST AM - March 15, 2021
www.youtube.com/watch?v=HbXGKqV_5YM
原文復元+和訳
後述の Youtube transcript (*4)から原文を復元+和訳したものを添付しておく。しかし、ChatGPT の過敏すぎる 検閲/ポリコレ がウザい。以下の内容で「利用規定に違反している可能性があります」とぬかしやがった。
以下は Youtube 動画に transcript ですが、句読点が欠如し改行位置もランダムです。ここから、句読点を補い、改行位置を適切にした原文を復元して。さらにその復元された原文を和訳して。
以下は句読点と適切な改行を補って復元した原文です。
Yes, George, and this is just so paradoxical. I realize, but oddly enough, I was on board with God, you know, years before I kind of finally came to the realization, about five years ago, that, to my astonishment, there is an afterlife. I mean, I guess I sort of talked to God often in prayer and such, but I thought, well, you know, in terms of life after death, I don't know what God has in mind for us. You know, is it conscious experience after death? I just didn’t know.
But I was really down. I mean, you know, I guess severe midlife crisis—this was, I think, in '91 in the summer—and I had just sort of given up on life. I wanted to die, but I didn’t. You know, I just figured suicide is not the route, but I was just really desperate.
Alright, hold on, hold on right there, Raymond. We’re at a break. We’re going to come right back, and we’ll pick it up right there. I want to hear about that incredible story. I never knew that you were at that point, that you know, you were kind of despondent. We’ll find out a little bit more about that when we come back.
And welcome back to Coast to Coast, George Noory with you with Dr. Raymond Moody. His new book is called God is Bigger than the Bible, which we’re going to get into in a big way. But he was telling us a story years ago about how he was a little despondent. Raymond, I’ll let you pick it up from there. What happened?
Yeah, well basically, that was kind of midlife. I think I was 45 or so and had been through a divorce, and was living in a new house. I was just really, really despondent. Maybe, you know, when you’re in a state like that, you’re not exactly sure what the whole picture is, but I was, you know, just so despondent and hopeless. Yet, I had learned from people with near-death experiences who had attempted suicide, but that's not the way—you know, that’s not going to work. So there I was, just not knowing what to do.
And all of a sudden, George, I mean, you know, people with these mystical experiences and encounters with God, they’ll tell you, no matter how articulate they are, as you know, they say, “I just can’t describe it to you.” Well, that’s the wall I’m up against. But all of a sudden, it was like something from above descended on me, and, you know, the most compassion that you cannot even begin to describe—even if—and just beyond words of complete compassion and understanding. Nothing like the judgmental God that, you know, some of the fundamentalists want to portray to us, but just complete understanding.
And, you know, I used to kind of—I heard when religious people would talk about kneeling down to God, I thought, you know, how ridiculous. I mean, it works! It works, yeah. That it would somehow flatter God, or you know, trying to get on God’s good side by kneeling to flatter him or whatever. But I realized what that was all about. You can't stand up. I mean, I was sitting in a chair, and as soon as the presence of God came over me, I just collapsed to the floor. It's kind of like George Ritchie once told me. He said, "It’s kind of like you're being fiercely hypnotized."
And so it was. Yet, there was a darkness to it—I don’t mean in the negative sense—but in the positive sense that even though it was somebody who knew everything about me, every detail, there was still a mysteriousness to it, an impenetrability. But what you see makes you realize that it’s a kind of experience where you would happily be in that state forever, absolutely, in the presence of God.
But then, the kind of idea came that I had had this vision of, in Virginia, a blonde mop of—you know, I saw this woman’s blonde mop of hair from behind, and in a blue silk dress of a very specific blue color. And I immediately was drawn to this person. Well, the thought came that everything was going to be alright. I mean, you know, there's always trouble in life, but that—and—and I just, this feeling of complete love and compassion, and the idea also that, you know, this life is full of ups and downs and travails, but eventually, everything does come out alright.
So, that sort of shaped me up, and I got back in shape. About a year and a couple of months later, in September of 1992, I was in Florida, in St. Petersburg, and I was giving a program down there. And, you know, as typical as it is when you travel around, you go to TV studios to be interviewed.
Sure.
And so it never occurred to me. I got into the car that they had sent. When I went into the studio, I was sitting all alone in the green room, and this presence swept in. I saw the big mop of blonde hair with that very blue silk dress, and she threw her arms out as though she were declining to her throng of thousands. She said, “Well, I’ve been divorced for two years. I don’t know if anybody's going to be sexually interested in me again.” And, you know, I mean, I immediately picked up—
You raised your hand right away, right?
That’s right! Like, I mean, this was just a wacky sense of humor. I realized she was just—you know—so immediately, there was this bond with Cheryl, whom you’ve met.
That's amazing.
Then, about a year later, we got married. So that was, you know, that was my experience with God. And, you know, subsequently, I have felt the presence of God on a number of occasions. And God brought us two wonderful kids, whom we adopted at birth. Carter is Mexican-American by birth.
和訳:
そうなんだ、ジョージ。これは本当に逆説的なんだけど、奇妙なことに、私は神と共に歩んでいたんだ。やっと5年前くらいに気づいたことなんだけど、自 分に驚いたのは、死後の世界があるってことだと思う。祈りで神に語りかけることはあったけど、死後の人生については、神が私たちに何を計画しているかなんてわからなかった。死後に意識的な経験があるのか、そんなことは全然わからなかったんだ。
でも、本当に落ち込んでいた。ひどい中年の危機というか、たしか91年の夏だったんだけど、私は人生を諦めてしまっていたんだ。死にたかったけど、死にはしなかった。自殺は道ではないと感じていたけど、とにかく本当に絶望的な気分だった。
ちょっと待って、そこまでにして、レイモンド。休憩に入るよ。戻ってきたらその話をもう一度拾って、続きを聞かせてほしい。君がそんな状態にあったとは知らなかったよ。戻ったらもう少し詳しく話してもらおう。
ようこそ、Coast to Coast へ。ジョージ・ノリーです。今日はレイモンド・ムーディ博士を迎えています。彼の新しい本『神は聖書よりも大きい』について大々的に話す予定ですが、彼が数年前に少し落ち込んでいた話をしていました。レイモンド、続きを話してくれないか?その時、何が起こったんだ?
そうだね、まあ、あれはちょうど中年期くらいだったと思う。たしか私は45歳くらいで、離婚して新しい家に住んでいたんだ。本当に、絶望的な気分だった。そういう時って、全体像がはっきりしないものだけど、とにかく絶望と希望がなくて。でも、死にかけた人々や自殺未遂を経験した人々から学んだんだけど、それは違う、そういう方法じゃ解決しないってね。だから、私はただ、どうしたらいいかわからなかった。
すると突然、ジョージ、分かるだろうけど、神秘的 な体験や神との遭遇を経験した人々が、いくら彼らが話術に優れていても、「それを説明できない」と言うのは知ってるだろう。私も同じ壁にぶつかった。でも、突然、何かが上から降りてきたんだ。そして、言葉では表せないほどの慈悲が私に降り注いだんだ。全く言葉では表現できないほどの完全な慈悲と理解だった。判決を下すような神じゃなくて、全てを理解してくれる存在だった。
そして、私は宗教的な人々が神の前でひざまずく話を聞くたびに、どうしてそんなことをするんだろうと感じていたんだ。だけど
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復元原文 → DeepL(2024-07 model)
上の和訳が 検閲(or token limit) でカットされているようなので DeepL のを和訳を以下につけておく。
ジョージ、これはとても逆説的なことなんだ。でも、不思議なことに、5年ほど前にようやく、死後の世界があることに気づいたんだ。でも、死後の世界という点では、神が私たちに何を考えているのかわからない。死後の意識的な経験とか?わからないんだ。
でも、本当に落ち込んでいたんだ。つまり、重度の中年の危機というか......これは91年の夏だったと思うけど、私は人生を諦めていたんだ。死にたかったけど、死ななかった。自殺なんてするもんじゃないと思っていたけど、本当に絶望していたんだ。
よし、ちょっと待ってくれ、レイモンド。休憩中だ。すぐに戻るから、そこで話を続けよう。その信じられないような話を聞きたい。私は、あなたがその時点で、あなたが知っているように、あなたがある種落胆していたことを知りませんでした。コースト・ト ゥ・コーストにようこそ。
ジョージ・ヌーリーがレイモンド・ムーディ博士とお送りします。彼の新著は『神は聖書よりも偉大である』(原題:God is Bigger than the Bible)です。しかし、彼は数年前、少し落ち込んでいたときの話をしてくれました。レイモンド、そこから先は君に任せるよ。何があったんですか?
ああ、基本的には中年期のことだった。45歳くらいだったと思うけど、離婚を経験して、新しい家に住んでいたんだ。ただ、本当に落ち込んでいたんだ。たぶん、そういう状態になると、全体像がよくわからなくなるんだろうけど、私はただただ落胆し、絶望していたんだ。でも、臨死体験をした人たちから、自殺未遂をした人たちのことを学んだ。だからどうしたらいいのかわからず、ただそこにいた。
そして突然、ジョージ、つまり、神秘的な体験や神との出会いをした人たちは、ご存知のように、どんなに口が達者でも、「うまく説明できない 」と言うんだ。それが私の壁だった。でも突然、天から何かが舞い降りてきたような、たとえ言葉では言い表せないような、完全な憐れみと理解という言葉では言い表せないような憐れみを感じたんだ。一部の原理主義者が私たちに描きたがるような、裁きを下す神のようなものではなく、ただ完全に理解してくれた。
宗教家が神にひざまずくことについて話しているのを聞いて、なんてばかげたことだろうと思ったものだ。でも、それは効果があるんだ!そうだよ。ひざまずいて神様にお世辞を言ったり、お世辞を言うことで神様のご機嫌を取ろうとか、そういうことだ。でも、それがどういうことなのか気づいたんだ。立ってはいけないんだ。つまり、椅子に座っていたのに、神の臨在が私を支配したとたん、私は床に倒れこんでしまったんだ。かつてジョージ・リッチーが私に言ったようなことだ。ジョージ・リッチーに言われたんだ。「激しい催眠術をかけられているようだ 」ってね。
その通りだった。否定的な意味ではなく、肯定的な意味で。私のすべてを、細部まで知り尽くしている人物であるにもかかわらず、そこには神秘的な不可解さがあった。でも、その光景を目の当たりにすると、神の御前で永遠にその状態にいられるなら、それは幸せな経験なのだと気づく。
でもそのとき、ヴァージニアで金髪のモップのような、ほら、この女性の金髪のモップのような髪を後ろから見たことがあるんだ。そしてすぐにその人に惹かれた。まあ、すべてうまくいくだろうと思ったんだ。つまり、人生には常にトラブルがつきものだけど、その人からは完全な愛と思いやりを感じたし、人生には浮き沈みと苦難がつきものだけど、最終的にはすべてがうまくいくんだという考えも生まれたんだ。
だから、それが僕を成長させ、体調を戻したんだ。それから約1年数カ月後の1992年9月、私はフロリダのセント・ピーターズバーグでプログラムを行った。そして、旅をしているとよくあることだけど、テレビのスタジオに行ってインタビューを受けるんだ。
それで、思いもよらなかった。送られてきた車に乗り込んだ。スタジオに入ると、私はグリーンルームに一人で座っていた。大きなブロンドの髪に真っ青なシルクのドレス、そして彼女は何千人もの群衆に向かって辞退するかのように両手を広げた。離婚して2年になるわ。また 私に性的な興味を持つ人が現れるかどうかわからないわ。それでね、私はすぐに手を挙げて......
すぐに手を挙げたでしょ?
そうだよ!つまり、ユーモアのセンスがおかしいんだ。それですぐに、君が会ったことのあるシェリルとの絆が生まれたんだ。
すごいね。
それから約1年後、僕たちは結婚した。それが僕の神との出会いだった。その後、僕は何度も神の存在を感じてきた。そして神様は、私たちが生まれたときに養子にした2人の素晴らしい子供たちを連れてきてくださった。カーターはメキシコ系アメリカ人。
コメント1
精神世界や宗教に深くハマると、タイトルのようなイカれたアイデアが深奥の真理だと思い込むような特殊な精神状態になる。
コメント2
contactee/abductee が UFO の中で ET から受け取るメッセージは、精神世界信者が チャネリングで download する教えと以下の点で共通している。
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(a) このままでは世界は大惨事に巻き込まれる。人類の意識を変える必要がある。
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(b) 意識の目が開けると「全てはひとつ」で、「無条件の愛」に包まれていることが観えてくる。
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(c) 現実がどれほど悲惨でも、結局のところ全ては OK だ。「善悪は本当は存在しない。全ては舞台の役柄のようなもの」だから。悲惨な役柄を 演じているだけ。舞台が終われば全ては一座の芝居だったと気づく。
この (a) と (c) は互いに真正面から激しく矛盾しあっているのだが、Raymond Moody を含め、精神世界信者はだれも気づかないでいる(or 矛盾から目を逸している)。(a) と (b) も互いに矛盾しあっている。
つまり、(a) が正しければ必然的に (b) と (c) は虚偽となる。(b) や(c) が正しければ、(a) は虚偽となる。両立はしない。
要するに、上記のような ET の教え、精神世界のチャネリング・メッセージ、宗教的な悟りは、どれもその根幹に虚偽や欺瞞を含んでいる。
関連
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コメント3
・Raymond Moody が対面した神は、彼について全てを知悉していたという。
it was a somebody 14:01 knew from everything about me every 14:04 detail 14:05 and yet still there's a mysteriousness
ここで気づかねばならない。この神の正体は彼(の深層意識)であることに。彼のことを誰より詳しく知っているのは彼自身。(神を偽装した)自分が自分に「無条件の愛」を向けるのは当然のこと。罰や罪の類いを一切、追求しないのも予想通り。
彼の人生の危機の最中、彼の深層意識が神のイメージを身に纏って出現することで彼を破滅から救い出した…そうみるのが妥当。人生の緊急事態だもの、神のふりをして自分を騙すことは、まぁ、致し方ない。
彼も精神分析の専門家なのだから、この神の正体に気づいても良さそうなものだが、それに気づくようだと神の偽装は失敗し、自身の救済も失敗する。ゆえに気づかない仕組み。
同様の意味で、悟りも真理の体得などではない。悟りはギリギリの土壇場に追い詰められた人間の無意識が自己洗脳によって土壇場から安息の地へテレポートしようという必死の足掻きに喩えられる。必死の足掻きだから、論理も矛盾も全て無視し(*1)、カラの自明性だけで強引に自身を騙し通す。そうやってマンマと自身を完全に騙しおおせたものだけが大悟(*3)したと見なされる。
(*1)
論理も矛盾も全て無視し…
たぶん、意図的に無視しているのではない筈。この神を偽装し、自己洗脳を施す無意識の主体は右脳の機能だろう。右脳は言葉も論理も知らない。それゆえ、悟りの内容は、必然的に破綻し、矛盾だらけとなる。
禅が 不立文字だの、言詮不及 だの、可及其智 不可及其愚 などと主張するのは、そもそも右脳が文字通り言葉や論理を知らないことが根本的な理由だろう。言語や論理を超越(*2)しているわけでは ない。
(*2)
京都学派の連中が 「絶対無の「場所」」 だの 「絶対自己矛盾的自己同一」 といったタワゴトにかぶれたのも、右脳(空間認識が得意)に特有の論理を欠落させた認知方式を絶対化したためだろう。
ただし、龍樹の『中論』だけは色合いが異なる。『中論』は左脳機能が乾いた言葉の手品を巧みに繰り広げているが、言語や論理を超越しているわけではない。その手品の手際が鮮やかなので、言語や論理を超越しているかのように錯覚させているだけ。
右脳機能が関与していないから、『中論』は(禅のような)芸術味に乏しく、カラカラに干からびている。鰯の頭(禅)の方がまだ絵に描いた餅(『中論』)より滋味がある。
(*3)
この不可逆性の大悟には、左脳の一部機能の永続的な抑止(or 遮断)が伴っているのではないか。左脳の一部機能の抑止によって、ニルバーナの実感が以後も永続し、死や人生の苦から脱却したと実感するのだろう。
数週間だか数か月だかに渡って左脳が侵され、後に回復した女医(脳神経科の専門医)がその期間、ニルバーナに浸っていたという TED 講演での証言(過去記事で紹介したかも?)がこの仮説の補強材料になる筈。彼女は左脳機能が回復した途端に、ニルバーナが終了し、人生の苦しみも再開したと述べていた1。
ちなみに、彼女が自宅で最初に左脳機能の麻痺症状を自覚し、同僚の脳神経専門医に助けを求めて電話連絡した際の逸話が面白い。左脳機能が麻痺しているので電話をかけることも簡単ではない。ようやく電話がつながったが、今度は言葉で説明ができない。ウーとかオーとかいう声しか出せない。それを聞いた同僚は…(略)
(*4)
元動画が消えているので、まともな文字起こしができない。そのため、Google 謹製の句読点が欠落した音声書写: transcript ではあるが、復元する前のデータとして一応残しておく。
展開
09:55 yes george and this is so just so 09:58 paradoxical 09:59 i realized but oddly enough i was on 10:02 board with god 10:03 you know years before i kind of finally 10:06 came to the realization of about five 10:10 years ago that 10:11 to my astonishment there is an afterlife 10:14 i mean i guess i sort of 10:16 talks to god often in prayer and such 10:19 but i thought well you know in terms of 10:21 life after death i don't know what god 10:22 has in mind for us 10:24 you know is it conscious experience 10:27 after death and i just didn't know 10:29 but but i was um 10:32 really down i mean you know i guess 10:35 severe midlife crisis this was i think 10:38 in 91 in the summer and i had just sort 10:41 of given up on life i 10:43 i wanted to die but i didn't you know i 10:47 just figured suicide is not the route 10:50 but i was just 10:51 really desperate all right hold on hold 10:53 on right there 10:54 uh raymond we're at a break we're going 10:56 to come right back and we'll pick it up 10:58 right there 10:58 i want to hear about that incredible 11:00 story i never knew that you were at that 11:02 point that 11:03 you know you were kind of despondent and 11:06 we'll find out a little bit more about 11:07 that when we come back 11:10 and welcome back to coast to coast 11:11 george dory with you with dr raymond 11:13 moody his new book is called 11:15 god is bigger than the bible which we're 11:16 going to get into in a big way 11:18 but he was telling us a story and years 11:20 ago how he was a little despondent then 11:23 raymond i'll let you pick it up from 11:24 there what happened 11:26 yeah well basically i that was kind of 11:28 midlife i think i was 11:30 45 or so and uh had been through a 11:33 divorce 11:34 and was living in a new house and 11:37 i was just really really despondent 11:40 maybe you know when you're in a state 11:42 like that you're not exactly 11:43 sure what the whole picture of or is but 11:47 i was you know i was just so despondent 11:50 and hopeless and yet had learned from my 11:53 people with 11:54 near-death experiences who had attempted 11:56 suicide but that's not the way you know 12:00 that's not going to work so there i was 12:04 just not knowing what to do 12:06 and all of a sudden george i mean you 12:08 know people with these 12:10 mystical experiences and so on and 12:13 encounters with god they will 12:14 they'll tell you no matter how 12:15 articulate they are as you know they say 12:18 i just 12:19 can't describe it to you well that's the 12:21 wall i'm up against but 12:23 all of a sudden it was like something 12:25 from above 12:26 descended on me and um 12:30 you know the most compassion that you 12:34 cannot even begin to 12:37 describe even if and just 12:40 just beyond words of complete 12:44 compassion and understanding 12:48 nothing like the judgmental god that you 12:51 know some of the 12:52 fundamentalists all want to portray to 12:55 us but 12:56 just complete understanding and 13:00 and um you know i used to kind of 13:04 i heard when religious people would talk 13:06 about kneeling down to god i thought you 13:08 know what uh 13:10 you know how ridiculous i mean 13:13 it works it works yeah that's right 13:17 it would it you know that that it would 13:19 somehow flatter god or you know trying 13:21 to get on god's 13:23 good side by by kneeling to 13:26 flatter him or whatever but i realized 13:29 what that was all about 13:30 is you can't stand up i mean i was 13:33 sitting in a 13:34 chair and i just as soon as the presence 13:38 of god came over me i just 13:40 collapsed to the floor it's kind of like 13:42 george richie once told me he said it's 13:44 kind of like 13:45 he said like you're being fiercely 13:47 hypnotized 13:49 and so it was just and yet there was a 13:53 darkness to it i don't mean in the 13:55 negative sense but then the positive sin 13:58 was that even though it was a somebody 14:01 knew from everything about me every 14:04 detail 14:05 and yet still there's a mysteriousness 14:08 to it the impenetrability but 14:10 what you see makes you realize that you 14:13 it's a kind of experience where you 14:15 would 14:15 happily be in that state forever 14:18 absolutely and the presence of god 14:20 but the kind of idea came was i had had 14:23 this vision 14:24 of in virginia a um 14:29 a blonde mop of you know that i saw this 14:33 woman's blonde mop of hair from behind 14:35 and in a 14:37 blue silk dress of a you know a very 14:40 specific 14:41 blue color and i immediately was drawn 14:45 to this person 14:47 well the the sort of thought came that 14:49 everything was going to be all right 14:51 i mean you know there's always trouble 14:53 in life but that 14:55 and and i just 14:58 con this feeling of complete love and 15:02 compassion 15:03 and the idea also that you know this 15:06 life is full of 15:07 ups and downs and travails but 15:09 eventually everything does 15:11 come out all right so that sort of 15:14 shaped me up and i got back in shape 15:17 about a year and a couple of months 15:20 later 15:20 in september of 1992 15:25 i was in um florida in saint petersburg 15:29 and i was given a program down there 15:33 and you know as typical as you know when 15:36 you travel around you get 15:38 you go to tv studios to be interviewed 15:41 sure and so it never occurred to me i 15:43 got into the car that they had spent 15:45 when i 15:45 went into the studio i was sitting all 15:48 alone in the 15:49 green room and this 15:53 presence swept in i saw the big mop of 15:56 blonde hair with that very blue silk 15:58 dress 16:00 and she threw her arms out as though she 16:04 were declining to 16:05 her throng of thousands she said well 16:09 i've been divorced for two years i don't 16:10 know if anybody's gonna be sexually 16:12 interested in 16:14 me uh again and you know i mean 16:17 i immediately picked up the you raised 16:19 your hand right away right that's right 16:23 like i mean this was just a wacky sense 16:25 of humor i realized she was 16:27 just you know so immediately there was 16:30 just 16:31 this bond with cheryl whom you've met 16:34 and um that's amazing then about a year 16:36 later we got married 16:38 so that was you know that was my 16:40 experience with god 16:41 and you know and and subsequently have 16:44 felt the presence of god 16:46 um and on a number of times and 16:50 and uh god brought us two wonderful kids 16:53 who we adopted at birth 16:55 uh carter is mexican-american by birth
履歴
(2024-10-23) 書式変換。差し替え(原文復元+和訳)
(2021-03-27) 追加。タイトル変更。コメントと音声書写(自動生成)追加。 Raymond Moody : 人生の危機→自殺願望→接神体験→現実がどれほど悲惨でも、結局のところ全ては OK だと悟った。(全体)
(2021-03-19) 作成。Raymond Moody : 現実がどれほど悲惨でも、結局のところ全ては OK (途中1)