Alejandro Rojas : "Majestic 12" の捏造の歴史に関する詳しい調査・解説: 全文+日本語訳(差替)
前置き
つい最近(2014-06-04)、Youtube に up された "Majestic 12" 関連資料に関する詳しい調査・解説動画を紹介する。この調査に数か月をかけたという。かなり大掛かりで、手の込んだ捏造の歴史が細かく紹介されている。
たぶん、たいていの人は(英語が十分に聞き取れたとしても)この動画を何度か見返さないと全貌がよく理解できない筈。つまり、それほど込み入っている。
動画の解説者は Alejandro Rojas (下の静止画)。
"Majestic 12" 関連資料を捏造した首謀者の一員(Richard Doty)の告白なども紹介されている。彼は空軍に所属し、軍の命令によって捏造 UFO 研究家たちを騙していたという。
かつて "Majestic 12" 関連資料を調査の末、真正だと信じ込んで公開した Stanton Friedman も、この動画のインタビューに登場しているが、かなり苦しそうな表情。
動画(29分)
Majestic 12: A UFO Disinformation Scandal
この動画の関連ソース http://www.openminds.tv/open-letter-u-s-air-force-allegations-ufo-disinformation/27071" target="_blank" title="Open letter to the U.S. Air Force regarding allegations of UFO disinformation">Open letter to the U.S. Air Force regarding allegations of UFO disinformation
"Majestic 12" について詳しくない人が、上の動画をよく理解するには、予め "Majestic 12" に関するより包括的なドキュメンタリー動画を見ておくことを勧める。たとえば下の動画。
動画(45分)
Majestic 12: UFO Cover Up Aliens Conspiracy Documentary
ちなみにすぐ上の動画の中で Richard Dolan (下)は既に "Majestic 12" そのものや MJ12 関連資料の真正さは主張せず、「"Majestic 12" 的な組織は存在した筈だ」と若干後退した発言をしている。
MJ-12 関連の資料捏造に関するソースを 2件、ポインターとして紹介。後日、内容を紹介するか も。
MJ-12 Debate Continues: Alejandro Rojas Rebukes Stanton Friedman MJ-12: The Hoax That Quickly Became a Disinformation Operation抜粋
講演動画(1:43:28)
Richard Dolan the Main Players in the UFO Cover Up [FULL VIDEO]
Alejandro Rojas による "Majestic 12" 関連資料に関する後述の詳しい 調査/解説 動画の 文字起こし+日本語訳 をつけておく。
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▼和訳 展 開
マジェスティック12文書はUFO神話の一部となっている。 1947年、政府のUFO調査を管理し、機密を保持するために集められた12人のグループがあったというのだ。 しかし、これらの文書はどこから来たのだろうか? その答えは単純化されすぎている。 文書が公開された本当の歴史は、これまで明確かつ客観的に語られることのなかった複雑な物語なのだ。 (0:00:26)
数ヶ月にわたる調査の結果、私たちはその物語をあなたにお届けする。 MJ-12の物語を語るためには、ポール・ベノウィッツという男と1980年代のアメリカ空軍との取引の物語を語らなければならない。それは欺瞞とデッチ上げの政府文書に満ちた悲しい物語である。 アメリカ空軍の言い分を聞くために、私は情報公開法の要求を提出した。 (0:00:53)
私は、ベノウィッツと空軍との取引の全貌を語るかのような3つのファイルを受け取った。しかし、後でわかるように、この話にはまだ続きがある。 ポール・ベノウィッツは空軍と契約している科学者であった。彼はニューメキシコ州アルバカーキでサンダー・サイエンティフィックという湿度計製造会社を経営していた。彼の自宅と研究所はカートランド空軍基地に隣接していた。私が入手した米空軍の文書によると、ポール・ベノウィッツは1980年後半、カートランドのアーネスト・エドワーズ司令官に近づき、基地に対する脅威の証拠を持っていると主張した。 (0:01:37)
彼は、マンザノ兵器貯蔵エリアの上空でUFOの写真を撮ったと言った。このような脅迫は、このエリアが研究を行い、多くの核兵器を保管していたため、深刻に受け止められてい た。 1980年10月26日、カートランドは、空軍の科学顧問ジェリー・ミラーと空軍特別捜査局特別捜査官リチャード・ドティの2人を調査に派遣した。彼らは、基地上空のUFOの写真と2,600フィートの8ミリフィルムを見たと報告した。 (0:02:13)
ベノウィッツはまた、彼が基地に向けた電子監視装置を使って、マンザノ地域から発せられる電気磁気を記録したと述べた。 ベノウィッツは、UFOが電磁パルスを発していると信じていた。 ミラーは、ベノウィッツが何を撮影したのか確かなことは分からないが、それが基地に脅威を与えるとは思えないと結論づけた。 電磁パルスに関しては、彼はベノウィッツの資料を検査するつもりであった対外技術部に報告した。 (0:02:48)
結局、空軍はこれ以上の調査を行わないという結論に達した。 空軍が調査しないと決めたにもかかわらず、ベノウィッツは基地の人々を説得し、彼の資料を詳しく調べさせたようだ。 つ目の空軍の文書によると、1980年11月10日、ベノウィッツと基地の数人の将校や科学者との間で会議が開かれた。 その会合で、ベノウィッツはUFO活動の証拠を提示し、宇宙船を操縦しているエイリアンと接触していると話した。 (0:03:25)
プレゼンテーションの最後に、彼は宇宙人の調査を続けるために空軍から助成金を得たいとグループに話した。 (0:03:34)
ドキュメントには、科学者の一人が彼が依頼書を提出するための適切な書類に記入するのを手伝ってくれると記されている。 MUFON理事会のメンバーで、NSAで働いていたことのあるトム・ドゥーリーは、会議に出席していた空軍の将校の一人と話したと言う。 それで彼らは、彼が私たちが本 当に彼に話して欲しくないことに首を突っ込むのではないかと恐れていたのです。 (0:03:58)
そこで彼らはカートランド空軍基地にある様々な司令部の上層部との謁見を許可した。その中には当時基地の情報将校だったトム・シェアも含まれていた。
(0:04:32)
そして基本的に何が起こったかというと、ベノウィッツが宇宙のどこかからやってくるエイリアンからのシグナルについて話したのです。 そして最後に、彼らは彼の時間に感謝し、彼は自分の仕事に戻った。 空軍の文書には、OSIのドティ捜査官が11月26日にニューメキシコのハリソン・シュミット上院議員から電話を受けたとある。シュミットは、ベノウィッツが報告したUFOの捜査で、空軍特別捜査局がどのような役割を果たしているのか尋ねた。ドティは調査などしていないと答えた。 (0:05:20)
シュミットは、誰がこの問題を調査すべきか決めるために空軍長官に連絡すると言った。 空軍の文書には、OSIエージェントのドティが11月26日にニューメキシコの上院議員ハリソン・シュミットから電話を受けたと書かれている。シュミットはアポロ17号で宇宙に行った引退した宇宙飛行士である。 FBIの文書によると、シュミットは70年代後半に南西部を席巻した謎の動物切断事件の調査を積極的に提唱していた。シュミットは1979年、この問題に関する法執行機関との会議を組織した。シュミットとベノウィッツはここで初めて出会い、ベノウィッツはシュミットにエイリアンの調査について報告し始めた。 (0:06:09)
これはシュミットが空軍に電話したことの説明に役立つ。ファイルによると、空軍はこの件に関してベノウィッツと他の交流はなかった。 しかし、3つ目の空軍のファイルには、別のニューメキシコ州上院議員の訪問が記録されている。ピート・ドメニチ上院議員である。1981年7月30日、彼はカートランド空軍の監察官を訪ね、ドティ捜査官と話すよう求めた。そして、ドメニチは直接ベノウィッツに会いに行ったらしい。文書によると、ドメニチの側近は、なぜ上院議員がドティと話したがっているのかと聞かれた。ドメニチは、空軍がベノウィッツのUFO目撃を調査したかどうかを知りたがっていた。 (0:06:55)
ドメニチの補佐官は、正式な調査は行われていないと言われた。 (0:07:00)
空軍によると、これがベノウィッツと彼のUFOの主張に対する彼らの関わりの範囲である。 しかし、ベノウィッツとドティの話は違う。 ベノウィッツは、秘密のグループが彼のケースを調査しており、地球外生命体とのコンタクトが続いていると言っている。 しかし、ドティの主張はさらに明らかになるかもしれない。 多くの人々が、この件や他のUFO事件とされるものに関して、ドティと彼の主張について書いている。 (0:07:31)
彼の話はしばしば変わり、具体的な点を突き詰められると、インタビュアーが間違えたと言っている。そこで、今回の調査では、2005年にアート・ベルが出演した『Coast to Coast AM』でのドティ自身の言葉を参照することにする。ドティによれば、彼はベノウィッツとUFOコミュニティ全体に対する入念な偽情報キャンペーンに関与していた。 ドティによれば、ベノウィッツはカートランド空軍基地で行われていた極秘プロジェクトを実際に記録しており、ソビエトを含む人々にベノウィッツを本気にさせないために、 ドティはベノウィッツが地球外生命体を相手にしているという信念を広めたのだという。 (0:08:14)
ドティはベノウィッツをニューメキシコの町ドゥルセ近くのアルチュレタ・メサの上空に飛ばし、そこに異星人の基地があると信じ込ませた。 ドティが使った他の方法の一つは、偽の政府文書を作ることであった。 ドティは、当時のUFO研究の著名人の一人であるビル・ムーアから密かに援助を受けていた。ドティは、ムーアはUFO研究家に偽情報を提供するために利用されたと書いている。ムーアは1989年のUFOネットワーク会議で、偽情報提供の役割を告白した。UFO研究コミュニティは彼の告白に動揺し、ムーアはUFO研究から完全に離れた。偽情報騒動の前、ムーアのUFO学における名声は、チャールズ・ベルリッツとともに、ロズウェルUFO墜落疑惑に関する最初の本の著者の一人であった。 (0:09:08)
この本は1980年に出版された。ムーアはスタントン・フリードマンと協力して目撃者にインタビューを行い、彼は著者としてクレジットされていなかったが、フリードマンはロズウェル研究の原動力であった。 ムーアの本が出版されるまで、ロズウェル事件は知られていなかった。しかし今では、この事件は広く知られるようになった。 ムーアによれば、彼はファルコンとコードネームで呼ばれる諜報機関の高官からドティと仕事をするように勧誘された。ドティによれば、ファルコンは国防情報局で働いていたという。しかし、ファルコンの存在すら確定的に確認されたことはなく、多くの人が彼の作り話を信じている。 (0:09:50)
ドティは、他のUFO研究家もファルコンに会ったことがあると言ったが、それ らの研究家はその主張は嘘だと言っている。 ドティとムーアは、一緒に仕事をする人々にしばしば鳥のコードネームをつけた。 彼らのコードネームのグループは、Aviaryとして知られるようになった。ムーアは、ベノウィッツに渡すために渡された最初のデマ文書は、「アクエリアス・メモ」と呼ばれる文書だったと言う。ムーアは、1981年3月にその文書を渡されたが、ベノウィッツに故意に偽の情報を渡すことをためらったと言う。 (0:10:21)
ムーアは、ベノウィッツにその文書を渡すのをその夏まで待ち、渡したとき、ベノウィッツに本物ではないかもしれないと警告したと言う。 メモの日付は1980年11月で、空軍がアクエリアスと呼ばれるプロジェクトの一環として、ベノウィッツの写真を密かに調査したと主張するものだった。メモによれば、このプロジェクトは最高機密に分類され、MJ-12へのアクセスは制限され、公式の情報チャンネル以外には公表されなかったという。これは、疑惑の秘密組織に関する最初の言及であり、ドティとムーア両氏が捏造されたと主張している文書の中にある。文書はさらに、NASAがこの事件を監視しており、空軍OSIが証拠を集めてNASAに転送していると主張している。ドメニチ上院議員がベノウィッツの件でカートランドを訪問したため、この文書のタイミングは重要である。 (0:11:22)
私が受け取った空軍の文書には、ドティがベノウィッツに彼の事件は調査されていないと言ったと書かれているが、このデマ文書は彼にそうではないと思わせるものである。 (0:11:32)
これがドメニチがドティと話したがった理由かもしれない。ドティはベノウィッツがこのデマ文書を受け取ったことに気づいていたが、ドメニチの訪問に関する空軍の文書によると、ドティはやはりドメニチに、調査は行われていないと話した。 ドティによれば、彼はこの偽情報を発信するよう命令されており、空軍とベノウィッツとの取引の真相について2人の上院議員に嘘をついたことになる。つまり、私にはすべき仕事があり、私は自分の仕事をした。 (0:12:06)
つまり、あなたは空軍に所属していたんでしょう? その通りだ。 あなたは空軍で仕事をしていた。あなたは空軍で仕事をした。その通りだ。 私は空軍で仕事をしていた。自分の仕事をした。 命令に従った。 すべて命令に従った。 我々は... おそらくそうだろうが、私の命令には、決して人に嘘をつくなという命令は含まれていなかった。 (0:12:28)
これがMJ-12についての最初の言及だが、これで終わりではない。 ドティの偽情報計画の一部であった次の文書は、カーター大統領にUFOについて説明するために使われたとされるメモのコレクションであった。ムーアは、1983年3月にこの文書を初めて見たと言う。彼は、文書の閲覧方法について指示を受けると言われたと言う。 (0:12:53)
これがきっかけとなり、彼は国を横断する隠密の旅に出た。 ニューヨーク州北部のホテルにたどり着き、そこで彼は、19分間だけ文書を見ることができると言う男に出会った。 ムーアはメモと写真を撮り、19分が過ぎると男は書類を回収して立ち去ったという。 ムーアは二度と彼に会うことはなかった。 カーターの文書にはオリコン最高機密と書かれており、プロジェクト・アクエリアスと記載されていた。カーターのブリーフィングは1977年6 月14日にホワイトハウスで行われたとされている。それは、マスコミを騒がせたワシントンでのパイロット目撃談から始まる。 (0:13:35)
それから、アメリカ南西部でのUFO墜落を要約し、ロズウェルに墜落した2つのクラフトがあったと主張している。この文書によると、遺体と機体はロスアラモスに送られ、いくつかの資料はライト・パターソン空軍基地に送られた。この文書は、地球外生命体が1949年の墜落事故で生き残り、自らを地球外生命体(Extraterrestrial Biological Entity)の略であるEBEと名乗ったと主張している。
(0:14:20)
これはイエスのことであると多くの人が推測している。この文書によると、MJ-12はETの状況を管理しており、この情報をゆっくりと公開する予定だという。 また、UFOと地球外生命体に関連する他のプロジェクトもリストアップされており、その中にはバンドー、シグマ、スノーバード、パウンスという名前も含まれている。ムーアはドティがカーター文書に関係していることには触れていないが、ドティはUFOとキャトルミューティレーションの研究者であるリンダ・モールトン・ハウに同じ文書、あるいは非常によく似た文書を見せた。ハウは、彼女の著書『An Alien Harvest(エイリアンの収穫)』にこの事件を記録しており、オープンマインズUFOラジオでもこの事件について詳しく話している。彼女は1983年4月、カートランド空軍基地にいるドティに招待されたという。彼女は、その訪問は奇妙に始まったと言う。 (0:15:16)
ドティは彼女を空港まで迎えに来なかった。しばらくして、彼女はドティの同僚のジェリー・ミラーと連絡を取ることができた。彼女が基地に着くと、ドテ ィは緊張しているように見えたという。UFOについて話し始めると、彼は、警察官のロニー・ザモラがニューメキシコで目撃した有名なUFOは間違いだったと彼女に言った。 (0:15:44)
1964年4月24日、政府関係者に会うためにホロマン空軍基地にいたはずだった。ドティによると、問題は修正され、政府は翌日ホロマンでエイリアンと面会した。ドティはその後、カーターのブリーフィングと思われるものを彼女に見せたが、メモを取ることは許されなかった。しかし、メモを取ることは許されなかった。ムーアが見たものとは若干の違いがある。 (0:16:12)
例えば、1949年にロズウェルにUFOが墜落し、生きたエイリアンが目撃され、政府はそれをEBEと呼んだと書かれている。そのエイリアンはロスアラモス国立研究所に連れて行かれたと書いてある。それによると、EBEは55光年離れた連星系から来たもので、25,000年前からここにいたという。 (0:16:36)
2,000年前に作られたEBEについても触れられており、非暴力と愛を教えるためにここにいると言っていた。ニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙ではなく、なぜ彼女にこの資料を見せたのかとハウが尋ねると、ドティは、彼らはトラブルメーカーだからだと答えた。 ドティは、コースト・トゥ・コーストAMで、研究者フィル・クラスに対して、リンダ・ハウとUFOについて話したことはないと否定したが、ドティは、彼女が偽情報プロジェクトの一部であったこと、カートランドで彼女と会い、UFOに関する情報を見せたことを認めた。1989年の悪名高いMUFONの講演で、ムーアは1982年にテレビプロデューサーのジェイミー・シャンダーラと仕事を始めたと聴 衆に語った。ムーアはまた、政府の情報源から得た情報をフリードマンと共有し始めたと言う。彼らは皆、情報の一部が偽情報であることを知っていたという。 (0:17:37)
これは重要なことである。というのも、マジェスティック12の最初のリーク文書と一般に信じられているものを受け取ったのはシャンデラだったからである。それはUFOに関する別の大統領ブリーフィングだったが、これはアイゼンハワー大統領のためのものだった。その文書は、1984年12月11日にシャンデラが受け取った35ミリフィルムに収められていた。その小包は、ドティがまだOSI特別捜査官として働いていたニューメキシコ州アルバカーキから送られてきた。しかし、ドティはそれとの関係を常に否定している。 (0:18:12)
このブリーフィングはもっと短かったが、ワシントンUFO目撃事件に対する大衆の反応から始まったという点で、内容は似ていた。 その後、ロズウェル墜落について説明した。 ロズウェル墜落事故がマジェスティック12の設立を促したことを説明するセクションが追加され、そのグループのメンバーが誰であるかを列挙した。そして、2度目のUFO墜落事故がまとめられていた。 シャンデラは1984年にこの文書を受け取ったが、ムーアとフリードマンだけが見ることを許された。 (0:18:45)
ムーアによると、グループは情報を公開する前にこの文書をさらに調査したかったという。 この間、匿名の情報に基づいて行動したとされるシャンデラとムーアは、1985年7月18日に国立公文書館で裏付けとなる文書を発見したと主張した。この文書は、アイゼンハワー大統領特別補佐官ロバート・カトラーからトワイニング将軍へ の国家安全保障会議MJ-12特別研究プロジェクトに関する1954年7月14日のメモである。短いメモで、会議の日時について述べているが、会議の内容については言及していない。 (0:19:26)
その後、国立公文書館は、この文書の信憑性に問題となる10の点を概説したペーパーを発表した。 このメモ以外には、MJ-12についての検証可能な公式の言及はまだない。ムーア氏によれば、ドティはシャンデラがこの文書を受け取ったことに気づいており、ドティはこの文書を公開するようシャンデラに圧力をかけていたという。 しかし、ムーアは、彼と彼の同僚はもっと調査をするよう主張したと言う。 (0:19:56)
一方、1987年、2人のイギリス人UFO研究家がMJ-12アイゼンハワー・ブリーフィングを提供された。ランデルスは申し出を断ったが、グッドは受け入れた。彼は、1987年に出版された彼の著書『Above Top Secret』にこの文書を掲載した。しかし、その本が出版される前に、グッドはその文書をオブザーバー紙に持ち込んだ。 (0:20:24)
彼らは1987年5月31日にこの文書に関する記事を掲載した。この情報が公になったのはこれが初めてで、ヒットした。 グッドはこの文書の情報源が誰であるかは明かしていないが、ドティがこの文書の作成に関係していると感じてはいるものの、ドティではないと言っている。 グッド氏は、ドティから提供された情報は大目に見るべきであり、この文書は偽情報だと考えているが、似たような組織はおそらく存在するだろうと言う。似たようなものは間違いなく存在したと思う。 (0:21:03)
エリック・ウォーカー博士(物理学者)をはじめ、何人もの人々が名乗り出ている。彼は、そ のような組織があったことは事実だが、それがマジェスティックと呼ばれていたのか、マジェスティック12と呼ばれていたのかはわからない、と言った。私が知っているのは、私がMJ-12の文書を最初に発表したということだ。オリジナルではないと思います。 (0:21:30)
おそらくいくつかの情報に基づいていると思うが、その信憑性には満足していない。 文書が公開され、ムーアたちがスクープされた今、彼らは自分たちの話を共有しなければならないというプレッシャーを感じた。 彼らは1987年6月に記者会見を開き、自分たちの話と受け取った文書、そして国立公文書館で発見したメモを披露した。グッドは一人ではなかった。 (0:21:56)
多くの人が、ドティがマジェスティック12の文書を作成したのではないかと疑っていた。特に、アクエリアスの文書とリンダ・モールトン・ハウに見せたカーターのブリーフィングとの類似性からである。しかし、彼は常にこれを否定してきた。彼は、ソーサー・シュミアのニュースレターのある号で、「私は、ムーアと共謀して文書を作成したのではありません。もしムーアがMJ-12文書の原著者であるなら、彼は私の助けも私の知識もなしにそれを行ったのです。 (0:22:27)
ドティはまた、FBIが彼を調査し、彼はいくつかの嘘発見器テストに合格し、彼が文書を作成していないことを証明したと言った。 私はMJ-12文書に関して2つの政府の調査を受けました。 私はMJ-12文書を作成したと非難された。 どちらの調査でも、私はこれらの文書に関与していないことが証明された。FBIはMJ-12文書を調査し、その報告書はオンラインで見ることができる。しかし、その報告書に はドティのことは書かれていない。その報告書は、FBIがアメリカ空軍にその文書が本物かどうかを尋ね、空軍がその文書の上にインチキという言葉を書いて答えたという内容である。 (0:23:10)
ドティが指摘したように、ムーアは文書をデッチ上げたもう一人の容疑者だった。 1982年1月、彼が『ナショナル・エンクワイアラー』誌のライターで『ムフォン・ジャーナル』誌の編集者であるボブ・プラットを訪ね、MJ-12とアクエリアス計画についてのノンフィクション本を書くことを提案したことが明らかになり、疑惑はさらに深まった。このプロジェクトは頓挫したが、その主な理由は、プラットが、ムーアが彼に与えた情報の多くを確認することができなかったので、本をフィクションとして書くことを望んだからである。 (0:23:44)
研究者にとってのもう一つの赤信号は、彼の研究パートナーであるスタントン・フリードマンからのものである。フリードマンは、最初はMJ-12の文書に懐疑的であったが、メンバーとされる人物を調査した後、そのグループが実際に存在したと信じるようになったと言う。彼は、1997年に出版された『トップ・シークレット・マジック』という本を書いた。 (0:24:04)
その中で、フリードマンは物議をかもす発言を繰り返している。彼が言うには、単純な事実として、ムーア、シャンデラ、そして私は、10年前に始まったアーカイヴ調査に何日も費やした結果、ドナルド・メンゼル博士を除いて、このフィルムを受け取る前に、すでにリストの名前をすべて把握していたのである。 私はフリードマンに、このコメントとリストの作成方法について尋ねた。我々は下調べをし ました。 (0:24:34)
47年のトルーマンのオフィスに関して、誰がいつどこにいたかを調べました。明らかな名前がありました。 誰が誰と会っていたのか、そういうことを調べれば、すべてありました。 ムーアと彼の仲間が作成したリストが、MJ-12文書に複製されているのを発見したのは、非常に偶然的だと感じる人もいる。 MJ-12文書の出自は、確かにその信憑性を疑わせるものである。MJ-12について最初に言及したのは、ドティが偽情報としてベノウィッツに渡したというアクエリアス文書である。 (0:25:12)
私は国立公文書館からドティの勤務記録のコピーを受け取ることができた。ドティは1980年2月に空軍OSIの特別捜査官になっていた。ムーアがMJ-12の名前の入ったアクエリアスの文書を渡されたのは、その1年後だった。なぜ、新米のエージェントが、アメリカがこれまで作った中で最も秘密主義的な組織に関する情報を扱い、広めることができたのだろうか?この疑問をスタントン・フリードマンにぶつけてみた。 (0:25:43)
いい質問だが、答えはない。 誰が偽情報を手配し、人々を間違った道へと誘うかわからない。私の感覚では、あのオリジナルのフィルムを公開した人たちは、つまり、問題を起こす人たちだと思う。許可や知る必要のない人に機密情報を渡すのは法律違反だ。 (0:26:08)
だから、そういう人たちは、自分たちに何が起こるのか心配しなければならない。そして、彼は言われたことをやっていたのかもしれない。 もっといい表現があればいいんだけど、レッド・ヘリングを出すんだ。 まあ、世の中をいろいろなものでごちゃごちゃにすれば、本物のものが拡散することを願う よ。ああ、あれはインチキだから、これもインチキに違いない。 (0:26:34)
言ったように、私はMJ-12文書の多くがニセモノであることを示してきた。 そして私はそれを証明することができる。多くの文書がニセモノだからといって、どれも本物だということにはならない。 これはufology全体に見られる誤った推論です。 証拠がないのは証拠がない証拠なのですよ。 もし私が彼らが望むものを提供できないなら、それは存在しないということです。 (0:26:57)
この話は多くの疑問を投げかけている。 MJ-12アイゼンハワー・メモの真偽についてFBIの調査があったが、米空軍はこの話についてコメントしていない。 ドティは、彼が主張するように偽情報を流すように命令されていたのだろうか?そうでないとすれば、ドティは特別捜査官でありながら、上司に知られることなく、これらの活動をすべて行っていたことになる。 (0:27:24)
彼が空軍を辞めたのは1988年である。彼は、軍歴の後半に関係ない理由でOSIから外されたというが、カートランドから曹長として名誉除隊した。 ベノウィッツが1988年に精神病院に収容されたとき、ドティの活動は、巨大な都市伝説を作り上げただけでなく、別の次元にまで発展した。彼は、避けられないエイリアンの侵略について偏執的になり、その考えに取り憑かれていた。 (0:27:57)
退院後、彼はもうUFO研究には参加しなかった。ベノウィッツは2003年6月に亡くなった。私は空軍OSIの広報部と協力してこの話を調査した。記録への私の要求が受理されれば、この事件全体について公式な声明を出すことができる空軍の誰かと連絡を取ることができると言われた。 (0:28:26)
しかし、文書を受け取った後は、それ以上話すことはないと言われた。私は、なぜ彼らがこの話についてコメントすることが重要なのかを強調する手紙を送ったが、返答はいつも、この件に関して彼らが持っているすべてを私に渡したというものだった。私は、ドティがリンクしている他のデマ文書の詳細を記したこの手紙と、この記事のための私の情報源すべてをOpenMinds.TVに掲載する。私たちはまた、空軍からの回答を追求し続け、皆さん自身が空軍にEメールや電話をすることで協力することができる。 (0:28:58)
この話はほとんど闇に葬られましたが、マジェスティック12文書の真偽を論じるには、その真の出自を含めなければなりません。 オープンマインドのために、私はアレハンドロ・ロハスです。 (0:29:11)
▼文字起こし 原文 展開
The Majestic 12 documents have become a part of the UFO mythos. They allege that there was a group of 12 men brought together in 1947 to manage the government's investigation of UFOs and maintain secrecy. But where did these documents come from? The answer to that question is usually oversimplified. The true history of their release is a complicated story which has never been told clearly and objectively. (0:00:26)
After months of research, we are bringing you that story. In order to tell the MJ-12 story, we have to tell you the story of a man named Paul Benowitz and his dealings with the U.S. Air Force in the 1980s. It's a sad story full of deceit and hoaxed government documents. In order to get the U.S. Air Force's version of the story, I submitted a Freedom of Information Act request. (0:00:53)
I received three files that seemingly tell the entire story of Benowitz's dealings with the Air Force. However, as we will learn later, there is much more to the story. Paul Benowitz was a scientist with contracts with the Air Force. He owned a humidity instrument manufacturing company called Thunder Scientific in Albuquerque, New Mexico. His home and his laboratory were located adjacent to Kirtland Air Force Base. According to the U.S. Air Force documents I received, Paul Benowitz approached Commander Ernest Edwards at Kirtland in late 1980, claiming he had evidence of threats against the base. (0:01:37)
He said he had taken photographs of UFOs over the Manzano Weapons Storage Area. Threats such as these were taken serious, as this area did research and housed many nuclear weapons. On October 26, 1980, Kirtland sent two men to investigate, Jerry Miller, a scientific advisor for the Air Force, and Air Force Office of Special Investigations Special Agent Richard Doty. They reported that they looked at photographs and 2,600 feet of 8mm film of UFOs over the base. (0:02:13)
Benowitz also said he had recorded electrical magnetism being emitted from the Manzano area using electronic surveillance equipment he had pointed at the base. Benowitz believed the UFOs were producing electromagnetic pulses. Miller concluded after looking at the material that he could not determine for sure what Benowitz had filmed, but he did not believe it posed a threat to the base. As for the electromagnetic pulses, he informed the Foreign Technology Department, who intended to inspect Benowitz's material. (0:02:48)
In the end, it was concluded that the Air Force would not conduct any further investigation. Despite the Air Force deciding not to investigate, Benowitz apparently convinced people at the base to take a closer look at his material. The second Air Force document says, a meeting took place on November 10, 1980, between Benowitz and several officers and scientists from the base. In the meeting, Benowitz presented his evidence of UFO activity and told the group he was in contact with the aliens that were flying the ships. (0:03:25)
At the end of the presentation, he told the group he wanted to obtain a grant from the Air Force to continue his investigation of the aliens. (0:03:34)
The document notes that one of the scientists would help him fill out the proper documents to submit his request. Tom Dooley, a member of the MUFON Board of Directors, who had worked for the NSA, says he spoke to one of the Air Force officers who was present at the meeting. So they were afraid that he might be getting into things that really we didn't want him going out and talking about. (0:03:58)
So they allowed him an audience with higher-ups in the various commands that are there on Kirtland Air Force Base. And they brought the intelligence people in, and that included Tom Shea, which was at the time an intelligence officer on the base. And Tom's description of what went on there, once they introduced Benowitz and he began to talk, he began to get into things that, as the various people who were there, once they determined that they had no interest in this, they'd leave the room. (0:04:32)
And basically what happened is that Benowitz was talking about these signals coming from aliens somewhere in space, and to them, the people who were there, and worried about what he was seeing and saying, they basically just eventually all got up and walked away. And in the end, they just thanked him for his time, and then he went on about his business. The Air Force document goes on to say that OSI agent Doty had received a call from New Mexico Senator Harrison Schmitt on the 26th of November. Schmitt asked what role the Air Force Office of Special Investigations were playing in the investigation of the UFOs reported by Benowitz. Doty advised him that there was no investigation. (0:05:20)
Schmitt said he would contact the Secretary of the Air Force to determine who should investigate the matter. The Air Force document goes on to say that OSI agent Doty had received a call from New Mexico Senator Harrison Schmitt on the 26th of November. Schmitt was a retired astronaut who went into space on the Apollo 17 mission. According to FBI documents, Schmitt had been an active advocate for investigations into the mysterious animal mutilations that had swept the Southwest in the late 70s. Schmitt organized a conference with law enforcement on the matter in 1979. This is where Schmitt and Benowitz first met and Benowitz began updating Schmitt on his alien investigations. (0:06:09)
This helps explain Schmitt's calls to the Air Force. According to the files, the Air Force had no other interaction with Benowitz on the matter. However, the third Air Force file documents a visit by another New Mexico Senator. This time it was Senator Pete Domenici. On July 30th, 1981, he visited Kirtland Air Force's Inspector General and asked to speak to Agent Doty. They met and apparently Domenici then went directly to meet with Benowitz. The document says that Domenici's aide was asked why the Senator wanted to speak with Doty. They were told that Domenici wanted to know if the Air Force had investigated Benowitz's UFO sightings. (0:06:55)
Domenici's aide was told that no formal investigation had been conducted. (0:07:00)
According to the Air Force, this is the extent of their involvement with Benowitz and his UFO claims. However, Benowitz and Doty have a different story. Benowitz says that a clandestine group was investigating his case and that he had continued contact with extraterrestrials. However, Doty's claims may be even more revealing. Many people have written about Doty and his claims regarding the matter and other alleged UFO incidents. (0:07:31)
Often his story changes and when pinned down on specific points, he has said the interviewer got it wrong. So for this investigation, I refer to Doty's own words from a 2005 appearance on Coast to Coast AM with Art Bell. According to Doty, he was involved with an elaborate disinformation campaign against Benowitz and the whole UFO community. Doty says that Benowitz was actually recording secret projects that were taking place at Kirtland Air Force Base and in order to keep people, including the Soviets, from taking him seriously, Doty perpetuated Benowitz's belief that he was dealing with extraterrestrials. (0:08:14)
Doty flew Benowitz over Archuleta Mesa near the New Mexican town of Dulce to convince him that there was an alien base there. One of the other methods Doty employed was to create fake government documents. Doty was secretly aided by one of the luminaries of UFO research at the time, Bill Moore. Doty wrote, Moore was used to provide disinformation to ufologists. Moore confessed his role in the disinformation scheme at a mutual UFO network conference in 1989. The UFO research community was so upset by his admission that Moore left UFO research altogether. Prior to the disinformation fiasco, Moore's claim to fame in ufology was being one of the authors, along with Charles Berlitz, of the first book on the alleged Roswell UFO crash. (0:09:08)
The book was published in 1980. Moore worked with Stanton Friedman to interview witnesses, and although he was not credited as an author, Friedman was the driving force behind the Roswell research. Before Moore's book, the Roswell incident was unknown. Now, it has become a household name. According to Moore, he was recruited to work with Doty by a high-level intelligence official that he codenamed Falcon. Doty says Falcon worked for the Defense Intelligence Agency. However, it has never been definitively confirmed that Falcon even exists, and many people believe him to be made up. (0:09:50)
Doty said other UFO researchers had met Falcon, but those researchers have said those claims are false. Doty and Moore often gave bird codenames to people they worked with. Their group of codenames has become known as the Aviary. Moore says the first hoax document he was given to give Benowitz was a document called the Aquarius Memo. Moore says he was given the document in March 1981, but was hesitant to give Benowitz knowingly false information. (0:10:21)
He says he waited until that summer to give Benowitz the document, and when he did, he warned Benowitz it may not be real. The memo was dated November 1980, and it alleged that the Air Force had secretly investigated Benowitz's photographs as part of a project called Aquarius. The memo says the project was classified top secret with no dissemination outside of official intelligence channels with restricted access to MJ-12. This was the first reference to the alleged secret organization, and it's in a document that both Doty and Moore have claimed was fabricated. The documents went on to claim NASA is monitoring the case, and that Air Force OSI is gathering evidence and forwarding it to NASA. The timing of this document is important because of Senator Domenici's visit to Kirtland about Benowitz's case. (0:11:22)
Although the Air Force documents I received say that Doty told Benowitz his case was not being investigated, this hoax document would lead him to believe otherwise. (0:11:32)
This could be why Domenici wanted to talk to Doty, and although Doty was aware Benowitz had received this hoax document, according to the Air Force document on Domenici's visit, Doty still told Domenici that no investigation had been conducted. According to Doty, he was under orders to send out this disinformation, which meant he had lied to two senators about the true nature of the Air Force's dealings with Benowitz. I mean, I had a job to do, and I did my job. (0:12:06)
I mean, it's just like, you served in the Air Force, I know you did. That's right. You had a job in the Air Force. You did your job in the Air Force. That's right. I had a job in the Air Force. I did my job. I followed orders. Everything we did was following orders. We would... Perhaps so, but my orders never included orders to...never to lie to people. (0:12:28)
Although this is the first mention of MJ-12, this is not the end of the story. The next document that was part of Doty's disinformation scheme was a collection of notes that was allegedly used to brief President Carter on UFOs. Moore says he first saw this document in March of 1983. He says he was told he would receive instructions on how to view the documents. (0:12:53)
This led him on a cloak-and-dagger trip across the country. It ended up in a hotel in upstate New York where he was met by a man who told him he could view the documents for 19 minutes. Moore says he took notes and pictures and when the 19 minutes were up, the man collected the documents and left. Moore never saw him again. The Carter document was labeled Top Secret Oricon, with the subject listed as Project Aquarius. It alleges that Carter's briefing took place on June 14, 1977 at the White House. It begins with a pilot sighting in Washington that made waves in the press. (0:13:35)
Then it summarized UFO crashes in the southwestern United States and alleged there were two craft that crashed in Roswell. It says the bodies and craft were sent to Los Alamos with some materials sent to Wright-Patterson Air Force Base, home of Blue Book, the Air Force's official investigation into UFOs. The document claims an extraterrestrial being survived a crash in 1949 and called itself EBE, which stands for Extraterrestrial Biological Entity. It also says that ETs have been visiting Earth for 5,000 years and that the ETs planted a human on Earth about 2,000 years ago. (0:14:20)
Many assume this refers to Jesus. The document says MJ-12 manages the ET situation and that they are planning a slow release of this information. It also lists other projects related to UFOs and extraterrestrials, including the names Bando, Sigma, Snowbird, and Pounce. Although Moore did not mention Doty having anything to do with the Carter document, Doty did show the same or a very similar document to UFO and cattle mutilation researcher Linda Moulton Howe. Howe documents the incident in her book An Alien Harvest and has also talked to us about it in depth on Open Minds UFO Radio. She says she was invited by Doty to visit him at Kirtland Air Force Base in April of 1983. She says the visit started off strange. (0:15:16)
Doty did not pick her up from the airport. After some time, she was able to get in touch with one of his colleagues, Jerry Miller, the same gentleman who apparently accompanied Doty to Benowitz's house. She says when she reached the base, Doty seemed nervous. When they began talking about UFOs, he told her that a famous UFO sighting in New Mexico seen by police officer Lonnie Zamora was a mistake. (0:15:44)
It was supposed to have been at Holloman Air Force Base to meet government officials on April 24, 1964. According to Doty, the problem was corrected and the government met with the aliens at Holloman the following day. Doty then showed her what she believes is a Carter briefing, but did not allow her to take notes. She says she remembers much of what the document said. There are slight differences from what Moore saw. (0:16:12)
For instance, it states that a UFO crash in Roswell in 1949 resulted in the live alien, and that the government called it an EBE. It stated that the alien was taken to Los Alamos National Laboratories. It said the EBEs came from a binary star system 55 light years away, and that they had been here for 25,000 years. (0:16:36)
It also mentioned the EBE created 2,000 years ago, and said it was here to teach nonviolence and love. When Howe asked why she was being shown the material, and not the New York Times or the Washington Post, Doty said it was because they were troublemakers. Although Doty denied ever talking about UFOs with Linda Howe to researcher Phil Klass, on Coast to Coast AM, Doty admitted that she was part of the disinformation project, and that he had met with her in Kirtland and shown her information pertaining to UFOs. In his infamous MUFON lecture in 1989, Moore told the audience that he began working with TV producer Jamie Shandera in 1982. Moore says he also started sharing information he was receiving from his government sources with Friedman. He says they all knew that some of the information was disinformation. (0:17:37)
This is important because it was Shandera who received what is commonly believed to be the first leaked Majestic 12 document. It was another presidential briefing on UFOs, but this one was for President Eisenhower. The document was on a roll of 35mm film Shandera received on December 11, 1984. The package was sent from Albuquerque, New Mexico, where Doty still worked as an OSI special agent. However, Doty has always denied having anything to do with it. (0:18:12)
This briefing was shorter but similar in content in that it began with the public's reaction to the Washington UFO sighting. Then it went on to explain the Roswell crash. There was an added section explaining that the Roswell crash prompted the creation of Majestic 12 and it listed who the members of the group were. Then it summarized a second UFO crash. Although Shandera received the document in 1984, only Moore and Friedman were allowed to see it. (0:18:45)
Moore says the group wanted to investigate the document further before releasing any information. During this time, allegedly acting on an anonymous tip, Shandera and Moore claimed to have found a supporting document in the National Archives on July 18, 1985. This document is a July 14, 1954 memo from Robert Cutler, Special Assistant to President Eisenhower to General Twining regarding a National Security Council MJ-12 Special Studies Project. It is a short memo and discusses the date and time of a meeting although it does not allude to the nature of the meeting. (0:19:26)
The National Archives has since released a paper outlining 10 points that pose problems for the authenticity of the document. Other than this memo, there is yet to be any verifiable official reference to MJ-12. Moore says that Doty was aware Shandera had received the document and that Doty was pressuring the group to release it to the public. But, Moore says he and his colleagues insisted on doing more research. (0:19:56)
Meanwhile, in 1987, two British UFO researchers were offered the MJ-12 Eisenhower briefing, Jenny Randles and Timothy Goode. Randles declined the offer, but Goode accepted. He included the document in his book Above Top Secret, which was published in 1987. However, before the book's publication, Goode took the document to the Observer newspaper. (0:20:24)
They printed a story on the document on May 31, 1987. This was the first time this information had made it to the public, and it was a hit. Goode has never revealed who his source for the document was, but he says it was not Doty, although he feels Doty had something to do with its creation. Goode says information provided by Doty should be taken with a grain of salt, and believes the document is disinformation, but that a similar organization probably does exist. I think something like it definitely existed, no question about that. (0:21:03)
A number of people have come forward, including Dr. Eric Walker, a physicist, in conversation, a recorded conversation with American researcher William Steinman. He said, yes, there was such an organization, but as to whether it was called Majestic or Majestic 12, I don't know. What I do know is that I was the first to publish the MJ-12 documents. I do not think they are the originals. (0:21:30)
I think they're based on perhaps some information, but I'm not happy with the authenticity of them. Now that the document was out, and Moore and company were scooped, they felt pressure to share their story. They held a press conference in June of 1987, sharing their story and the documents they had received and the memo they discovered at the National Archives. Good was not alone. (0:21:56)
Many suspected that Doty created the Majestic 12 documents, especially because of their similarity to the Aquarius document and the Carter briefing he had shown Linda Moulton Howe. However, he has always denied this. He wrote in an issue of the Saucer-Schmeer newsletter, I was not involved in any conspiracy with Moore to create any documents. If Moore was the original author of the MJ-12 documents, he did it without my assistance or my knowledge. (0:22:27)
Doty also said the FBI investigated him and he passed several lie detector tests, proving he did not create them. He wrote, I went through two government investigations regarding the MJ-12 documents. I was accused of creating them. Both investigations cleared me of any involvement with these documents. The FBI did investigate the MJ-12 documents and their report can be found online. However, the report does not mention Doty. It consists of the FBI asking the U.S. Air Force if the documents were real and the Air Force replying by writing the word bogus over the top of the document. (0:23:10)
As Doty noted, Moore was another suspect for hoaxing the documents. Suspicions increased when it was revealed that he had visited Bob Pratt, a writer for the National Enquirer and editor of the Mufon Journal in January of 1982 and proposed they write a non-fiction book about MJ-12 and Project Aquarius. The project fizzled, mainly because Pratt wanted the book to be written as fiction as he could not confirm much of the information Moore was giving him. (0:23:44)
Another red flag for researchers comes from his research partner, Stanton Freedman. Freedman says he was skeptical of the MJ-12 documents at first, but that after some research of the alleged members, he began to believe the group actually existed. He wrote a book called Top Secret Magic, published in 1997 on his research. (0:24:04)
In it, Freedman repeats a controversial statement he made. He said, the simple fact of the matter is that Moore, Shandera and I had already picked up on all the names on the list prior to the receipt of the film, except for Dr. Donald Menzel as a result of the many days spent in archival research begun a decade ago. I asked Freedman about this comment and how they compiled the list. We did our homework. (0:24:34)
We looked at who was where when with regard to Truman's office in 47. And there were certain obvious names. If you look at who was meeting with who and all that sort of stuff, it was all there. Some feel it is awfully coincidental that the list Moore and his associates had worked out found itself replicated in the MJ-12 document. The origins of the MJ-12 document certainly cast doubt on their authenticity. The first mention of MJ-12 came in the Aquarius document that Doty says he gave to Benowitz as disinformation. (0:25:12)
I was able to receive a copy of Doty's service records from the National Archives. Doty had become a special agent for Air Force OSI in February of 1980. It was a year later that Moore was given the Aquarius document with MJ-12's name in it. Why would a brand new agent be able to handle and disseminate information about the most secretive organization the United States has ever created? I asked Stanton Friedman this question. (0:25:43)
Good question and I don't have an answer for you. You never know who's arranging disinformation to get people off on wrong trails. And my feeling is that the people who released that original roll of film, I mean, they're the guys who would be in trouble. That's against the law to give classified information to people who don't have a clearance or a need to know. (0:26:08)
So, those are the guys who gotta be worried, you know, what's gonna happen to them. And he may have been doing what he was told to do. Put out red herrings for want of a better phrase. Well, if you clutter the world with all kinds of stuff, you hope you diffuse the genuine stuff. Oh, well, that's phony, so this must be phony too. (0:26:34)
As I say, I've shown that a number of the MJ-12 documents are phony. And I can prove it. The fact that a whole bunch are phony doesn't mean none are genuine. This is the kind of false reasoning you see throughout ufology. Absence of evidence is evidence for absence, you know. If I can't provide them something they would like, that means it doesn't exist. (0:26:57)
This story raises a number of questions. And although there was an FBI inquiry into the authenticity of the MJ-12 Eisenhower memo, the U.S. Air Force has not commented on this story. Was Doty under orders to disseminate disinformation as he claims? If not, that means Doty was undertaking all of these activities while he was a special agent, unbeknownst to his superiors. (0:27:24)
He did not leave the Air Force until 1988. He was honorably discharged from Kirtland as a Master Sergeant, although he says he was removed from the OSI for unrelated reasons late in his military career. The fallout of Doty's activities, besides creating a huge urban legend, went to another level when Benowitz was checked into a mental health facility in 1988. He had become so paranoid about an inevitable alien invasion that he was obsessed with the idea. (0:27:57)
When he came out of the hospital, he no longer participated in UFO research. Benowitz passed away in June of 2003. I worked with Air Force OSI's Public Affairs Department to research this story. I was told that once my requests for the records were received, I would be put in contact with someone in the Air Force who could make an official statement about the whole affair. (0:28:26)
However, once I received the documents, I was told they had nothing further to say. I sent a letter emphasizing why it's important that they comment on this story, but the response has always been that they have given me everything they have on the matter. I will post this letter, which details other hoax documents Doty has been linked to, and all of my sources for this story at OpenMinds.TV. We will also continue to pursue a response from the Air Force, and you can help by emailing and calling them yourselves. (0:28:58)
This story has nearly been lost to obscurity, but any discussion about the authenticity of the Majestic 12 documents must include their true origins. For Open Minds, I'm Alejandro Rojas. (0:29:11)
履歴
(2024-10-21) 書式変換。文字起こし+和訳の差替(最新 AI)
(2023-09-16) 追加。❑ Alejandro Rojas : "Majestic 12" の捏造の歴史に関する詳しい調査・解説: 全文+日本語訳
(2017-07-05) 追加。 "Majestic 12" の捏造の歴史に関する詳しい調査・解説動画(+追加2) (2017-07-05)
(2014-06-06) 作成。 "Majestic 12" の捏造の歴史に関する詳しい調査・解説動画