Jimmy Akin : Kenneth Arnold の 「UFO 目撃事件」の詳しい解説
前置き
Kenneth Arnold の 「UFO 目撃事件」に関する最良の解説がこの動画。
この動画は過去記事、
❏ Jimmy Akin による「Kenneth Arnold の UFO 目撃事件」の詳しい解説:文字起こし+日本語訳 (2024-03-28)
でも取り上げたが、今回は AI で整理した。
目次
AI 整理
ケネス・アーノルドと最初のUFO
このソースは、ジミー・エイキンのミステリアス・ワールドのエピソード46からの抜粋です。
ケネス・アーノルドによる最初のUFO目撃談に焦点を当てており、1947年6月24日に彼が経験した出来事、そしてそれが現代のUFO目撃時代の始まりにどのように火をつけたかを探ります。目撃の経緯、アーノルドの体験談、およびさまざまな仮説(地球外航空機、既存の航 空機、自然現象、幻覚、デマなど)について詳しく説明されています。
また、「空飛ぶ円盤」という言葉の由来や、目撃の信頼性に関する議論、そして後のUFO関連の出来事(ロズウェル事件やプロジェクト・サインなどの政府プログラム)への影響についても議論しています。信仰と理性の両方の視点からこの現象を考察し、アーノルドの証言の独立した裏付けを強調しています。
ケネス・アーノルドと最初のUFO:詳細なブリーフィングドキュメント
はじめに
本ブリーフィングドキュメントは、「ジミー・エイキンのミステリアス・ワールド」のエピソード46「ケネス・アーノルドと最初のUFO」を基に、ケネス・アーノルドのUFO目撃事件の主要なテーマ、重要なアイデア、および事実をレビューすることを目的とする。この事件は、現代のUFO目撃時代の幕開けとなった古典的なケースとして位置づけられる。
- ケネス・アーノルドの目撃と現代UFO時代の始まり
*目撃日時と場所: 1947年6月24日、ワシントン州上空で、実業家兼パイロットのケネス・アーノルドが自身の飛行機を操縦中に奇妙なものを目撃した。
*目撃内容: 「9つの奇妙な物体が信じられないほどの速度で空を移動する編隊」であった。彼はそれらを「中国の凧の尾のような、うねりながら猛烈な速さでレインボー山脈の顔を横切る連鎖」と表現した。
「空飛ぶ円盤」という用語の誕生: アーノルドは当初、物体の動きを「水面をスキップするソーサー(受け皿)のよう」と表現したが、報道機関によって「ソーサーのような形」と誤報され、「空飛ぶ円盤(flying saucer)」という言葉が生まれた。彼は「パイ皿を半分に切ったような形に、後部に凸型の三角形」を持つものや、「ブーメランや三日月形のパンのような」形をしていたと描写している。
現代UFO時代の幕開け: アーノルドの目撃は、1947年のUFO目撃波(「UFOフラップ」と呼ばれる)のきっかけとなり、それ以降、UFO報告が爆発的に増加した。彼の目撃以前にも報告はあったが、彼の事件が現代におけるUFO現象の起点となった。
- 目撃を取り巻くUFOフラップの状況
1947年の目撃波の推移:
- 1947年1月、4月、5月にも目撃があり、6月上旬にはほぼ隔日、6月20日までは1日約2件に増加した。
- アーノルドが目撃した6月24日には20件の報告があり、特にワシントン、オレゴン、アイダホの北西部で集中した。
- 7月上旬には目撃件数が1日20件以上に急増し、7月8日には驚異的な189件を記録した。
- その後、7月末までに1日1件程度、8月には週数件へと減少した。
ロズウェル事件との関連: アーノルドの目撃からわずか2週間後にロズウェル事件が発生しており、このUFOフラップの一部として捉えられる。
政府の対応: 事件後、空軍はUFO目撃を調査する「プロジェクト・サイン」(1948-1949年)を開始し、その後「プロジェクト・グラッジ」、そして有名な「プロジェクト・ブルーブック」へと引き継がれた。
- ケネス・アーノルドの信頼性
個人的な資質: 彼は実業家であり、独立した思考を重んじる人物であった。
証言の一貫性: 彼は目撃直後から複数のインタビューに応じ、一貫してその内容を主張した。FBI捜査官を含む面談者たちは、彼が「実際に見たものを見た」と信じ、「アーノルド氏の人格と明らかな誠実さを持つ人物が、これほど詳細な報告書を作成するとは信じがたい」と述べた。
私生活への影響: 目撃報道後、彼は「報道機関から嘲笑され、ほとんどの米国人の目には低能者と映る」ほど評判が落ち、事業にも大きな支障をきたし た。しかし、それでも彼は「10階建てのビルが空を飛ぶのを見ても、二度と口をきかないだろう」とまで言いながらも、自身の目撃談を撤回することはなかった。このことは彼の証言の真実性を裏付けるものとして強調される。
報道機関への非自発的関与: 彼は自ら報道機関に連絡したわけではなく、友人に話したことがきっかけでメディアの注目を浴びることになった。
- 提唱された理論とその反論
アーノルドの目撃に対しては、様々な説明が試みられたが、多くは彼の詳細な証言や科学的分析によって反論されている。
4.1. 地球外航空機説 (Extraterrestrial Hypothesis)
- アーノルド自身は当初、政府の機密プロジェクトと考えていたが、政府が否定したため、「極端な可能性」(地球外起源)を考慮するようになった。
- 事件後の研究者たちは、この説を裏付ける証拠を見出した。
4.2. 地上航空機説 (Terrestrial Aircraft Hypothesis)
候補: 実験的な陸軍航空隊のロケットや航空機、あるいは鹵獲したドイツの航空機(例:ホルテンHo 229)の可能性が挙げられた。
反論:
- 速度: アーノルドが推定した時速1,200マイル(実際には1,700マイルと計算される)は、当時の有人航空機の最高速度(時速647マイル)をはるかに上回っていた。音速の壁すらまだ破られていなかった(1947年10月にチャック・イェーガーが達成)。
- 政府の否定: 陸軍航空隊は、それが自軍のものでもなく、外国の航空機でもないと否定した。
- J.アラン・ハイネックの近距離説: 当初はUFO懐疑派だった天文学者ハイネックは、物体が実際にはア ーノルドの想像よりもはるかに近い(約6マイル)場所にあり、その場合、速度は時速400マイル程度で説明可能だと提案した。
- ブルース・マカビーによる反論: 光学物理学者ブルース・マカビーは、ハイネックの主張を「全くの誤り」と指摘。アーノルドの視力は、10~15マイル離れたDC-4型機を識別できるほど優れており、物体を報告された距離で識別する能力があったと結論付けた。
4.3. 自然現象説
反論の共通点: 多くの自然現象は、アーノルドが報告した「飛行速度」「形状の明瞭さ」「光の閃光」「高度の変化」といった特性を説明できない。
窓の反射/水滴: アーノルドは窓を開けても物体を見続けたため、この可能性は排除された。また、他の目撃者にも見えたことから、個人的な窓の現象ではない。
ファタ・モルガーナ(蜃気楼): 空軍の説明ともされたが、蜃気楼は同じ高度から見られるものであり、アーノルドが9,000フィートから14,000フィートのレーニア山に対して見た現象とは合致しない。また、蜃気楼は明るい閃光を放たず、移動もしない。
山頂からの雪の吹き飛ばし: 雪はアーノルドが描写したような明るい光を反射せず、その速度で移動する風も報告されていない。また、雪が航空機のような明確な形に見えることはない。
ガンや他の鳥: 鳥は航空機のコックピットを照らすほどの明るい閃光を出せず、アーノルドの飛行速度(時速100マイル以上)よりはるかに遅い(最大時速50マイル)。アーノルドは、鳥が自分より速く移動するのを見たため、鳥ではないと判断した。
雲: 雲はそのような高速で移動せず、航空機のような明確な形に見えることもない。
流星: 流星は数秒しか視界に留まらず、アーノルドが数分間観察した時間とは合致しない。また、流星は加熱された空気の層であり、明確な形は見えず、上昇することもない。
4.4. 幻覚説 / でっち上げ説
幻覚: アーノルドが飛行していた高度9,000フィートは、酸素欠乏による幻覚が起こるような高度ではない(通常23,000フィート以上)。
でっち上げ: 前述のFBI報告書や、事件が彼の評判とビジネスに悪影響を及ぼしてもなお証言を堅持したことから、でっち上げの可能性は低いと判断されている。
- 地球外仮説を支持する可能性のある要素
物体の発光: アーノルドは、物体が太陽を反射しているだけでなく、自ら光を発していた可能性があると考え、光学物理学者ブルース・マカビーの計算も、コックピットを照らすには物体が自ら発光する必要があったと結論付けている。アーノルドは「溶接トーチのような青い光」と表現しており、これは原子エネルギーによって生成されるチェレンコフ放射と関連付けられる可能性が言及されている。
磁気的影響: 同じ日に目撃したフレッド・ジョンソンという探鉱者は、自身のコンパスの針が物体によって影響を受けたことを報告している。これは「計り知れない磁場強度」を示唆しており、当時の技術では利用できなかった推進システムを暗示している。
複数人による目撃: アーノルドの目撃を裏付ける複数の独立した目撃者が存在した。
- フレッド・ジョン ソン(レーニア山、望遠鏡で確認)
- L.G.バーニエ(リッチランド、アーノルドの半時間前)
- エセル・ホイールハウス(ヤキマ、同時刻)
- ロバート・フーバッハ(森林監視塔、同日午後3時にレーニア山で閃光を目撃) これらの独立した証言は、幻覚やでっち上げの可能性を排除する強力な根拠となる。
- 結論
ジミー・エイキンは、当初は懐疑的であったものの、この事件の詳細な調査を通じて、「この物語には当初考えられていた以上のものがある」と結論付けた。
彼は「地球外のものだとは言えないが、それが何であるかは分からない」と述べ、アーノルドが物体を測定できる位置にいたことの重要性を強調している。従来の航空機や自然現象による説明では、アーノルドの測定値と証言を真剣に否定する必要があり、それは難しい。複数の独立した目撃者による裏付けは、でっち上げや幻覚の可能性を排除する傾向にある。
この事件は、単なる一過性の出来事ではなく、その後のUFO研究と大衆文化に多大な影響を与えた画期的な出来事として位置づけられる。
タイムライン
1915年
- ケネス・アーノルド、ミネソタ州で誕生。
1890年代
- 「ミステリー飛行船」と呼ばれる、時代を先取りした地上航空機の目撃が相次ぐ。
1939年~1945年 (第二次世界大戦中)
- 連合国側と枢軸国側の双方が、空中で「フー・ファイターズ」と呼ばれる奇妙な物体を目撃。互いに相手側が開発したと考えられた。
1945年8月
- アメリカが日本に原子爆弾を投下。
1947年1月、4月、5月
- ケネス・アーノルドの目撃以前にも、UFO目撃報告(「UFOフラップ」の始まり)が散発的に発生。
1947年6月上旬
- UFO目撃報告がほぼ隔日に増加。
1947年6月20日
- 目撃報告が1日約2件に増加。
1947年6月24日 (火曜日)
- 午後2時15分頃:実業家兼パイロットのケネス・アーノルド、自身の飛行機(Call Air A2)を操縦中に、ワシントン州シャヘイリスを離陸し、ヤキマへ向かう。
- 午後2時58分頃:アーノルド、レーニア山上空9,200フィートで、9つの奇妙な物体が信じられないほどの速度で空を移動するのを目撃。物体は「水面をスキップするソーサーのよう」な動きをし、その形は「パイ皿を半分に切ったような形に、後部に凸型の三角形」や、「ブーメランや三日月形のパンのような」形をしていたと描写。閃光を発し、コックピットを照らすほどであった。
- アーノルドの目撃時間は約2分半。レーニア山からアダムズ山までの距離を1分42秒で移動したと計測。これは時速1,200マイル(実際には1,700マイルと計算される)に相当した。
- 同じ日、ワシントン、オレゴン、アイダホの北西部を中心に20件のUFO報告が記 録される。
- フレッド・ジョンソン(探鉱者)、レーニア山で望遠鏡を使って同じ物体を目撃し、コンパスに磁気的影響があったと報告。
- L.G.バーニエ、リッチランドでアーノルドの約30分前に同様の物体を目撃。
- エセル・ホイールハウス、ヤキマで同時刻に同様の物体を目撃。
- ロバート・フーバッハ(森林監視塔の職員)、同日午後3時にレーニア山で閃光を目撃。
1947年6月25日
- アーノルド、地元のラジオ局のインタビューに応じる。この中で彼は「空飛ぶ円盤(flying saucer)」という言葉は使っておらず、物体の動きを「水面をスキップするソーサーのよう」と表現したことが、報道機関によって「ソーサーのような形」と誤報され、「空飛ぶ円盤」という用語が誕生したとされる。
1947年7月上旬
- UFO目撃報告が1日20件以上に急増。
- 7月4日:88件の目撃報告。
- 7月5日:75件の目撃報告。
- 7月6日:156件の目撃報告。
- 7月7日:159件の目撃報告。
- 7月8日:189件の目撃報告を記録し、UFOフラップのピークとなる。
1947年7月2日頃 (アーノルドの目撃からわずか2週間後)
- ロズウェル事件が発生。
1947年7月末
- UFO目撃報告が1日1件程度に減少。
1947年8月
- UFO目撃報告が週数件に減少。
1947年9月
- アメリカ陸軍航空隊からアメリカ空軍が独立した軍種となる。
1947年10月14日
- チャック・イェーガーがベルX-1で音速の壁を突破(時速814マイル、マッハ1.07)。
1948年~1949年
- アメリカ空軍、「プロジェクト・サイン」を開始しUFO目撃を調査。
1950年
- アーノルド、エドワード・R・マローのインタビューに応じ、自身の目撃について再び語る。
1952年
- ケネス・アーノルド、自身の体験に関する著書「The Coming of the Saucers」を出版。
1962年
- ケネス・アーノルド、アイダホ州の副知事選に立候補するも落選。
1984年
- ケネス・アーノルド、ワシントン州で68歳で死去。