「究極の真理」の中身が常に空っぽである理由
履歴
(2024-07-26) 書式変換。タイトル変更。(2021-07-06) 追加。DMT 摂取、瞑想、NDE、チャネリングで究極の答えを得たのに、気づいたら全てを忘れているのはなぜか。 (途中2) (2021-07-06)
(2021-07-04) 作成。DMT 摂取、瞑想、NDE、チャネリングで究極の答えを得たのに、気づいたら全てを忘れているのはなぜか。 (途中1) (2021-07-04)
前置き
このネット会議の主要なテーマは
- DMT 摂取、瞑想、NDE、チャネリングで究極の答えを得たり、宇宙の真理を理解した…という報告が無数にある。
- 私(複数の参加者)もそれを体験した。具体的には…(略)
- なのに日常意識を取り戻したら、その全てを忘れていた。
- なぜそれほど貴重な情報を忘れるのだろうか?
というもの。参加者は全員 DMT などの摂取経験があり、中にはかなり高い頻度で摂取した人間(Desta Barnabe など)も含まれる。
音声書写(自動生成)が付与されていないが、付与されたら追加するかも。
見どころ
33:10 あたりがこの動画の最大の見どころ。(他はどれもヨタ話)
Chase Williamson の絶妙な受け答えで、全員が苦笑いしている。
(2021-07-04 end)
(2021-07-06 begin)
音声書写(自動生成)
▼展開
and if that's 32:57 the case why 32:59 why doesn't it happen when i like like 33:01 if i'm about to be in a car wreck or 33:02 something or if i'm 33:03 you know lightning is going to strike me
33:05 you know what the answer would be 33:06 if you were on a dmc dmt trip right now 33:10 yes that would be the answer 33:13 and then you'd see the universe and you 33:15 come back and you go... shit!
手抜き
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8:40 Chase Williamson(ヒゲ男、右下):DMT 摂取でで究極の回答を得た。が DMT あから覚めたら全て忘れていた。
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12:50-- Desta Barnabe : ひと晩中、全ての謎の回答、全ての真理を得たが朝になったら忘れていた。
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13:40 テープに語って録音とする方法。
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覚えていなくとも答えは無意識かどこかに残っている。
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トリガーとなる幾つかの記憶があるから、どこかに全体の記憶が残っている筈。
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7:00 Chase Williamson:もし、得た全ての情報を忘れなかったら、もう人間ではなくなる?
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34:00 Desta : Michael Talbot の本、"The Holographic Universe" が私の世界観をひっくり返した。
動画(1:15:43)
GRANT CAMERON Psychedelics, the Mind and the Nature of our Reality with Strange Recon PART 1
コメント1
参加者(Desta Barnabe, Grant Cameron, Chase Williamson, Jeff Kingsbury)はみな、次のように思い込んでいる。
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(a) 真理なるものが、人間とは無関係に、自立・独立して存在している。
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(b) さらに、真理群の中には「究極の」真理なるものが存在している。
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(c) おまけに、その「究極の真理」を人間は獲得できる。
だが、すでに (a) が間違っている。
・真理は(宗教における神と同じく)、人間が作り上げた観念(=幻想)なので、真理の追求は哲学のそれだろうが精神世界のそれだろうが、どれも無駄にカラカラと空回りするだけで、どこにもたどり着かない。
真理が実在しないゆえに、当然ながら (b) や (c) も間違っている。DMT の摂取や、瞑想で得られるのは「究極の真理」というラベルを貼った「中身が空っぽの観念」でしかない。中身が空っぽだから後で思い出そうとしても何も出てこない。当然の話。
空っぽの観念だから、後からそこに有り難そうなタワゴトを何でもブチ込むことができるし、帽子から兎を取り出す手品のように何でも際限なく(観念のタワゴトを)引っ張り出すことができる。
仮にだが、DMT なり瞑想なり、禅の悟りなりで得られた「究極の真理」の中身が空っぽでなく、何かが有ったとする。その何かを A としよう。A が空でない場合は、次のような 致命的な矛盾を生じる。それゆえ、空っぽでなければならない。
…
コメント2
DMT 摂取、瞑想、NDE、チャネリングで究極の答えを得た(が、日常意識からはその答えにアクセスできない)…という主張は、いわば精神世界のドグマになっている。
この「究極の真理を得たが、アクセスできない」という精神世界のドグマは「禅のドグマ」(=誰もが既に悟っているのだが、それに気づいていないだけだ)と共通した構造になっている。そしてこの共通した構造は単純な錯誤に基づいている。
このような「観念が逆立ちした構造」は宗教的な救済観念にも組み込まれている。神を信ずるものは、救われることが決まっているから、信じることができるのだ…とか、念仏を本心で唱えた時には成仏は决定しているのだ…とか、菩薩の誓願の時点で…とか。
(2021-07-06 end)
(2024-07-26 begin)
前置き
最初に「究極の真理」の中身が常に空っぽである理由を説明し、続いて 3年前に書きかけたが、ダルくて放置していた
仮にだが、DMT なり瞑想なり、禅の悟りなりで得られた「究極の真理」の中身が空っぽでなく、何かが有ったとする。その何かを A としよう。A が空でない場合は、次のような 致命的な矛盾を生じる。それゆえ、空っぽでなければならない。
…
の続きを完成させておく。
ついでなので、動画全体の文字起こし+和訳 を折り畳み状態で付けておく。
「究極の真理」の中身が常に空っぽである理由
結論を先に述べる。多くの人が誤解しているようだが、
- 人は普遍的かつ超越的な何か(=A)が「究極の真理」であると「了解/理解/洞察/悟達 した」が故に、A を「究極の真理」だと認める
のではない。
人は無自覚のまま深層意識の中で「究極の真理」を創出するが故に、それが「究極の真理」だと「悟る」。
つまり、「究極の真理」は(その真理の内実を伴って)発見されるのではなく、(「究極の真理」というラベルだけが)創出される。その機序 をざっと説明する。
生真面目な人は「究極の真理」を探し求めて彷徨い続け、何度も裏切られたり、挫折を繰り返し、絶望と悲嘆と疑念の中でのたうち回る。大半は途中で気力が尽きて脱落する。
ごく少数だが、それでも諦めきれずに未練がましく追い求める人々がいる。だが、彼らも結局、何も得らないまま一生を終える。これが定番コース。言葉には言い表せない何かが得られたという手応えがある…そう錯覚する場合もあるが、それは錯覚や思い込みでしかない。所詮「手応え」レベルなら錯覚に過ぎない。
だが、ごくごく少数の体質的な例外者がいて、そういった特殊な人間は、無自覚のまま深層意識の中で「究極の真理」を創出してしまう。
むろん、無から創出するのではなく、当人の育った宗教的、伝統的価値観という 轍/型 に沿って、創出される。
それゆえ、創出された「究極の真理」には、そのラベルに大書きされたコピー・フレーズはあれども実質的な中身はなにもない。
当然、なぜそのコピー・フレーズが「究極の真理」なのかという納得のゆく説明もない。あるのは、「究極の真理」なのだから、最奥の真理なのだから、凡夫には窺い知ることすら不可能ゆえ純粋一途に信じろ…という押し付けがあるだけ。
なにせ、悟った当人ですら、これこそが「究極の真理」だという自明性を伴った強烈な確信があるだけで、その中身が空だということには全く気づいていないのだから。